受け身を取れず、傾斜になっている土のトンネルを、ごろごろと転がった。平らな地面に放り出されたとき、カナはいつのまにか人の姿に戻っていた。ズキズキと全身が痛んだ――カナの足も、いま酷使したのもあって、無事でないに違いない。なんとか身を起こして、杖を取り出して明かりを灯した。まだ通路は延々と続いているようだった。狭いし、軽い猫の姿の方がまだ歩けるだろう――カナはもう一度変身して、ぐねぐね曲がりくねった暗闇の道を進んだ。
猫はあんがい体力がない。この道はどこに続いているんだろう――どのぐらい歩いただろう――カナが四肢を引きずるようにして歩くころ、やがて、ぼんやりした明かりが上り坂を薄く照らした。
カナのすぐ後ろから、クルックシャンクスが追い越して行った。カナもがんばって上り坂を這い出た――
ぼろぼろの部屋に出た。壁紙は破れて剥がれかけていて、壁も床も染みだらけで、家具の残骸が打ち捨てられていた。まるで、誰かが暴れて壊したかのようだった。窓は全て隙間なく板が打ち付けられていた。
カナは気がついた――ここは――ホグズミードの「叫びの屋敷」だ。
部屋には誰もいなかったけれど、ドアが一つ開きっぱなしになっていた。奥は暗いホールに続いているようだ。床の埃が、何かを引きずった跡を残していた。パッドがロンを連れて行ったんだろう――クルックシャンクスのブラシのようなオレンジ色のしっぽがそちらに揺れて消えていくのが見えた。切り傷から流れる血の跡を、点々と床に残しながらカナもついていく。
崩れ落ちそうな階段をそっと上る。カナが前脚をのせるたびに、厚く積もった埃が舞い上がり、全身の体毛に降りかかるようだった。
二階の廊下も暗かったけれど、一つだけ開いている扉があるのが見えた。低くうめく声が聞こえる――ロンの声だ。カナは人の姿に戻りながら、扉に手をかけた。
そのとき。トン、と肩に手がかかり、カナは振り返った。杖を額に突きつけられ、「シー」としわがれた声がカナを黙らせた。
男が立っていた。
泥で黒く汚れた、幽霊のような青白い顔貌――肘まで垂れた黒い髪――暗く落ち窪んだ眼窩――ぎらぎらと揺れる薄灰色の瞳――カナは目の前の男を見たことがあった。フリットウィック先生が学校中に貼り出した写真で――間違いない。大量虐殺犯で、脱獄囚で、指名手配中の、シリウス・ブラックだ。
「・・・・・・パッド」
それでもカナは、その名を呼んだ。そうだという確信があった――すべてが、カナの想像通りであるのなら。
「まだその名で俺を呼ぶのか」
ブラックはくつくつと腹を揺らして、低い声で笑った。その顔は、長らく表情というものを忘れているかのように、痩せこけた頬に影を落としながら、いびつに歪んだ。
ポケットの中の杖に手を伸ばすことができなかった。ブラックが握っているのはロンの杖だ――ロンが中にいる。
カナは部屋の中に押し込まれた。ロンは床に座り込んでいた。不自然に折れ曲がった足を投げ出して、痛みにうめきながらベッドに寄りかかっている。四本柱の天蓋付きのベッドのまんなかに、クルックシャンクスが寝そべって、機嫌よさそうに喉を鳴らしていた。
「カナ――」ロンが蒼白な顔を上げた。額に脂汗が浮いている。
カナは振り返って、青白くこけたブラックの顔を見上げた。
「杖でロンの足を固定してもいい? あなたを攻撃しないから――」
「ダメだ」
ブラックはカナの杖を取り上げて、また闇の中に消えた。
「カナ、あいつを知ってるのかよ――」
カナは答えなかった。足を引きずりながら、窓に打ち付けられた板を思いっきり引っ張り、バキリと音を立てて引き剥がした。肋が軋んで痛むけれど――ベッドの破れたカーテンを引きちぎる。包帯の代わりになるだろう。
「カナ――!」
「わ、わかんない」
カナは頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような気分だった。ロンのそばに座り込み、折れた足の下に板を敷き、カーテンでぐるぐると巻いていく。
「ぼく、ずっと彼のこと、可愛がってた。ただの犬だと思ってた――なのに――」
「きみ、血が――」
小脇に抱えた薄汚れたカーテンに、赤い血がべっとりと付着していた。カナの脇腹から、ローブに血が滲んでいた。「暴れ柳」に打たれた時に、裂いたのだろう。全身が痛むせいで、今までちっとも気が付かなかった。
「きみの足もひどいよ。ごめんね、痛むけど・・・・・・」
あらぬ方向に折れ曲がった足を、そっとまっすぐに引き伸ばす。ロンは歯を食いしばって耐えたけれど、大きなくぐもった悲鳴が部屋にこだました。
「ごめん、ごめんね――」なんとか固定を終え、余ったカーテンを引き結んだ。
「カナ、きみも止血をしないと――」
「自分でやる。ロン、座ってて」カナはもう一度、カーテンを引っ張った。思ったより出血量が多いのだろうか――よろめきながら、カナはベッドに乗り上げた。「あっち、向いててくれる?」
カナはローブを脱いだ。大きく血の染みたシュミーズをめくり、傷口をたしかめた。確かに、脇腹が大きく裂けて、思っているより深くまで達しているようだったけれど――止血できるだろう。シュミーズの上から、カーテンをきつく巻き付けた。杖があれば、こんなのすぐに終わるのに――
そのとき、バン! と大きな音と共にドアが蹴り開けられた。杖を構えたハリーとハーマイオニーだった。
床に座り込んだロンと、血まみれのカナ、そしてくつろいでいるクルックシャンクスを見て、ふたりは駆け寄って来た。
「ロン、カナ――なんてこと、大丈夫?」
「犬はどこだ?」
「犬じゃない――」ロンがうめいた。「ハリー、罠だ。あいつが――」
ドアの向こうの闇の中に、ゆらりと姿を現した。
「あいつはアニメーガスなんだ・・・・・・!」
ハリーが振り向いたと同時に、ブラックが扉をバタン! と閉じた。
「エクスペリアームス!」
しわがれた声が部屋に響いた。ブラックはロンの杖で、ハリーとハーマイオニーの杖を弾き飛ばした。そして、空中を舞った二本の杖が骨ばった手に収まる。
「お前なら友を助けに来ると思った」
ブラックはまっすぐハリーを見据え、一歩近づいた。
「ジェームズも俺のためにそうしたに違いない。お前は勇敢だ。大人の助けを求めなかった。助かるよ・・・・・・そのほうが事が楽だ」
カッとなったハリーは丸腰にも関わらず、身を乗り出した。その瞬間、両脇でハーマイオニーとロンが、ハリーの両腕を押さえつけた。
「ハリー、だめ!」ハーマイオニーはか細い声で言った。けれど、ロンはよろよろと立ち上がりながら、ブラックに向かって声を張り上げた。
「ハリーを殺したいのなら、僕たちも殺すことになるぞ!」
しかし、傷が痛むのか――ロンはますます血の気を失って、よろめいた。
「座ってろ」ブラックは静かに言った。「脚の怪我が悪化するぞ――応急処置はしてあるようだが」灰色の目がカナをちらりと見た。カナはくらくらする頭で、破れたローブを肩にかけた。
「聞こえたのか?」ロンはそれでも、ハリーの肩を掴みながら立ち上がった。「僕たち、四人だ! 殺さなきゃならないんだぞ!」
「今夜はただ一人を殺す」
「なぜなんだ?」両腕を振り解こうとしながら、ハリーが吐き捨てるように聞いた。「前回は、そんなこと気にしなかったはずだろう? ペティグリューを殺るために、多くのマグルを無惨に殺しただろう? どうしたんだ、アズカバンで骨抜きになったのか?」
「ハリー!」ハーマイオニーが哀願した。「黙って!」
「こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!」
ハリーは大声をあげた。そして二人をふりほどき、目の前の男に飛びかかった。
それが予想外だったのか、ブラックは杖を上げ遅れた。ハリーは片手でやせた手首をつかみ、ひねって杖先をそらした。もう一方の拳で男の横面を殴りつけ、もつれながら壁に倒れ込んだ。
ハーマイオニーは悲鳴をあげ、ロンは喚いていたけれど、ハリーには届いていないようだった。ブラックは杖先から火花を噴射したけれど、ハリーには当たらなかった。ハリーは手当たり次第にブラックを殴りつけた――
その光景から、カナは目が離せなかった。ハリーの事情を知っているわけではない。ブラックに情があるわけじゃない。でも――ほとんど抵抗と呼べるものをしない男を、一方的に殴りつけるハリーの背中は、ひどく悲しくて、むなしいと思った。
我を忘れて拳を振り下ろすハリーの喉を、唐突に男のてのひらがとらえた。
「ハリー、もう遅すぎる――」
ブラックは歯を食いしばりながら、喉をしめつけるために手に力を込めた。ハリーが動けなくなっているのを見て、ハーマイオニーが動いた。掴み掛かっている腕を蹴りつけ、ブラックはうめいてハリーを解放した。今度はロンが反対の腕に体当たりして、四本の杖が床に散らばった。
もつれあいながらハリーが杖のひとつをとりあげたとき、カナの脇からオレンジ色の塊が飛び出した。クルックシャンクスはハリーの腕に勢いよく飛びつき、鋭い爪を食い込ませていた。
「放せ!」
ハリーは大声を出し、クルックシャンクスを振り払い殴り飛ばした。猫は威嚇しながら飛び退き、その隙にハリーは杖を手に入れた。
「どいてくれ!」
ハリーのひと声に、息も絶え絶えにハーマイオニーは残りの杖をひったくり、その場から飛び退いた。ロンは足を引きずりながらベッドのそばに戻ってきて、青ざめた顔でばったり倒れ込んだ。
ブラックは壁際で床に手足を投げ出したままだった。やせた胸を激しく上下させ、ハリーが杖をまっすぐ自分の心臓に突きつけるのを見つめていた。
「ハリー、俺を殺すか?」
ハリーはブラックにマウントをとった。心臓に杖を突きつけたまま、左の眼窩を黒く変色させ鼻血を垂らした男を見下ろしている。
「おまえは僕の両親を殺した」
声はふるえていたけれど、杖腕は微動だにしなかった。ブラックも、じっとハリーをまっすぐ見据えていた。
「否定はしない」その声は静かだった。「しかし、お前がすべてを知ったら――」
「すべて?――おまえは僕の両親をヴォルデモートに売った。それだけ知ればたくさんだ!」
「聞いてくれ」ブラックの声は初めて切実なものに変わった。「聞かないと、お前は後悔する・・・・・・お前はわかっていない」
「おまえが思っているより、僕はたくさん知っているんだ」ハリーがますます呼吸を乱した。「おまえは聞いたことがないだろう。僕の、母さんが・・・・・・ヴォルデモートが僕を殺すのを、止めようとして・・・・・・おまえがやったんだ、おまえが・・・・・・」
つぎの言葉が紡がれる前に、クルックシャンクスが動いた。ジャンプして、ブラックの胸の上に陣取った。ブラックの心臓の真上――男は目を瞬いた。
「どけ」ブラックが払い除けようとした。しかし、クルックシャンクスは衣服に爪を立て、動かないと意思を見せた。じっとハリーを見上げ、大きな黄色い目で見つめ続けた。ハーマイオニーが、涙も流さずしゃくりあげていた。
それでも、ハリーは杖を構えた。止まったような時間が、何秒か過ぎていった。杖を突きつけたまま、ブラックはハリーをじっと見つめ、その胸の上でクルックシャンクスが静かに抵抗していた。聞こえてくるのは、ロンの荒い息遣いだけだ――
そして、新たな物音が聞こえてきた。
くぐもった足音が、床にこだました――階下に誰か侵入したのだ。
「ここよ!」ハーマイオニーが急に叫んだ。「私たち、上にいるわ――シリウス・ブラックよ――早く!」
ブラックが驚いて身動きした。クルックシャンクスは振り落とされそうになった。ハリーは杖を握りしめている――足音がバタバタと上がってくる。
ドアが勢いよく開いた。蒼白な顔の、杖を構えた、リーマスが飛び込んできた。鳶色の目が、ベッドの上で血まみれのカナを、その床に横たわるロンをとらえ、ドアのそばですくみ上がっているハーマイオニーに移り、杖を突きつけたハリーと、その足元で血を流し、倒れ込んだブラックへと移った。
「エクスペリアームス!」
リーマスが叫び、四本の杖はその手の中に飛んできた。リーマスはそれをキャッチして、ブラックを見据えたまま部屋の中に入ってきた。
カナは力が抜けた――ベッドにぱたりと転がった。リーマスが来てくれたのなら、ブラックは吸魂鬼に引き渡される――この「叫びの屋敷」でのいざこざも終わる――
「シリウス、あいつはどこだ?」
感情を押し殺したような、リーマスの震えた声がして、カナは顔を向けた。ここからではリーマスがどんな顔をしているのか、よく見えなかった。
ブラックは無表情だった。それから、ゆっくりと腕を上げた――指差したのはロンだ。ロンも、困惑していた。
「しかし、それなら・・・・・・」リーマスはブラックから目を離さなかった。「なぜ今まで正体を現さなかったんだ? もしかしたら――」
急に、リーマスの声が晴れた。
「――もしや、あいつがそうだったのか。きみは、あいつと入れ替わりになったのか・・・・・・わたしに何も言わずに?」
落ち窪んだ眼窩で、それでも輝きを失わない薄灰色の瞳で、ブラックはリーマスを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「ルーピン先生、いったい――」ハリーの声は続かなかった。
リーマスは構えていた杖を下ろし、ブラックに歩み寄り、手を取って助け起こした――クルックシャンクスが転がり落ちた――そして、ふたりはまるで親友のように、兄弟のように、かたく抱きしめ合った。
みんな唖然とした――カナだけは、ぼうっと目の前の光景を眺めていた。
「なんてことなの!」ハーマイオニーが叫んだ。
リーマスはブラックを離し、子どもたちを見た。ハーマイオニーの揺れ動く栗色の瞳はカナを見て、そして、リーマスを指差している。
「先生は――先生は――」
「ハーマイオニー」
「――その人とグルなんだわ!」
「ハーマイオニー、落ち着きなさい」
「私、誰にも言わなかったのに!」ハーマイオニーはカナに近寄り、右往左往して――カナが身を起こしてハーマイオニーを、そしてリーマスを見た。「先生のために、私、隠していたのに――」
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから!」リーマスも叫んだ。子どもたちを、カナのことをすがるように見ている。「説明するから――」
「僕は先生を信じてた」ハリーが怒りに震えながら声を発した。「それなのに、先生はずっとブラックの仲間だったんだ!」
「それは違う――この十二年間、わたしはシリウスの友ではなかった。しかし、今はそうだ。説明させてくれ・・・・・・」
「だめよ!」ハーマイオニーが叫んだ。「カナ、ごめん、でも――ハリー、騙されないで。この人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。この人もあなたの死を願っているんだわ――この人、人狼なのよ!」
カナは呆然と、リーマスを見た。全ての視線が今はリーマスに注がれていた。青ざめた顔ではあったけれど、驚くほど落ち着いていた。カナはふるえる手で、埃っぽいシーツをぎゅっと握りしめた。
「いつものきみらしくないね、ハーマイオニー。残念ながら、三問中一問しか合っていない。わたしはシリウスが城に入る手引きはしていないし、もちろんハリーの死を願ってなんかいない」
リーマスの、大きく傷の走った頬がこわばった。
「しかし、わたしが人狼であることは否定しない」
弱々しい微笑みが、カナに向けられた。
「カナ、今まで騙していてすまない」
ふるえたまま、カナは何も言えなかった。リーマスはそれをどう受け取ったのか――
ロンが立ちあがろうとした。しかし、痛みにうめいてよろめいた。リーマスは心配そうに近づこうとしたけれど、ロンは大きな声で言った。
「僕に近寄るな、人狼め!」
リーマスはハッと足を止めた。それから、こらえたように立ち直り、ハーマイオニーに向かって話し始めた。
「いつごろから気づいていたんだい?」
「ずーっと前から・・・・・・代理授業で『人狼』のレポート書いた時から」
「先生がお喜びだろう」落ち着きはらった声だ。「彼は、わたしの症状が何を意味するのか、誰かに気づいて欲しいと思って、あの宿題を出したんだ。それに、カナには薬の手伝いまでさせて――この子はまったく気づいていなかったみたいだけれどね」
「それじゃ」やっとカナが口を開いた。「リーマスは病気なんかじゃなくて――」
「そういうことだ」リーマスは頷いた。「さて、ハーマイオニー。月の満ち欠け図を見て、わたしの病気が満月と一致することに気がついたんだね? それともボガートがわたしの前で月に変身するのを見て気づいたのかい?」
「両方よ」ハーマイオニーは小さな声で言った。
「きみは、わたしがいままでに出会った若い魔女の、誰よりも賢いね」
「違うわ・・・・・・私がもう少し賢かったら、みんなにあなたのことを話してた!」
「しかし、もうみんな知っていることだ。少なくとも、先生がたは知っている」
「ダンブルドアは、人狼と知っていて雇ったっていうのか?」ロンが息をのんだ。「正気かよ?」
「先生がたの中にもそういう意見があった。ダンブルドアは、わたしが信用できると、何人かの先生を説得するのにずいぶんご苦労なさった」
「そして、ダンブルドアは間違っていたんだ!」ハリーが叫んだ。「先生はずっとこいつの手引きをしていたんだ!」
ハリーはブラックを指差した。ブラックはベッドにずかずかと歩いてきて、震える片手で顔を覆いながらベッドに身を埋めた。座ったままのカナがぶわんと揺れた。クルックシャンクスもベッドに飛び上がり、ブラックの膝の上に乗って喉を鳴らした。
「わたしはシリウスの手引きはしていない。わけを話させてくれれば、説明するよ。ほら――」
リーマスは杖をそれぞれ、ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてカナへと投げ渡した。
「ほーら」リーマスは自分の杖をベルトに挟んだ。「きみたちには武器がある。わたしたちは丸腰だ。聞いてくれるかい?」
みんな、黙りこくった。
「お前はどうする?」
しわがれた声が後ろから聞こえて、カナは振り返った。ブラックが額にかざした手の下から、カナを見つめていた。
「ぼくは――」カナは自分の杖を膝の上でにぎりしめた。何度か口を開いて――そして、心を決めて顔を上げた。
「話してくれるのなら、なんだって受け止める」
カナは涙をこらえて、リーマスを見据えた。鳶色の瞳はゆらゆらと揺れながらも、まっすぐにカナを見ていた。
「そのかわり、すべてを話して」
みんな、カナの言葉をのみこんだようだった。
ハリーは息を吸った。
「先生は――ブラックの手助けをしていなかったっていうのなら、こいつがここにいるって、どうしてわかったんだ?」
ハリーはまだ激しい怒りをにじませていた。
「地図だよ。『忍びの地図』だ。これを調べていたから――」
双子がハリーに渡したという、ホグワーツじゅうの抜け道の描かれた不思議な「地図」だ。
「使い方を知ってるの?」ハリーが疑わしげに聞いた。
「もちろん、使い方は知っている。わたしもこれを書いた一人だ。『ムーニー』――学生時代、友はわたしをそういう名で呼んだ」リーマスは先を急くように手を振った。
「先生が書いた――?」
「そんなことより、わたしは今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。というのも、きみたち――というよりは、カナが城をこっそり抜け出して、ヒッポグリフの処刑の前に、ハグリッドを訪ねるだろうと思っていたからね。そして思った通りだった。そうだね?」
リーマスは子どもたちを見ながら、部屋を行ったり来たりした。その足元で埃が舞う。
「きみはお父さんの『透明マント』を着ていたかもしれないね、ハリー――」
「どうして『マント』のことを?」
「ジェームズがマントに隠れるのを何度見たことか――」リーマスはまた急くように手を振った。「要するに、身を隠していても、変身していても、『透明マント』を着ていたとしても、『忍びの地図』に表れるということだよ。わたしはきみたち四人がハグリッドの小屋に集まるのを見ていた。二十分後、きみたちは城に戻り始めた。しかし、今度はきみたちのほかに誰かが一緒だった」
「え――いや、僕たちだけだった!」ハリーが言った。
「わたしは目を疑ったよ」リーマスはハリーの言葉を無視して、行ったり来たりを繰り返していた。「地図がおかしくなったかと思った。あいつがどうしてきみたちと一緒なんだ? とね」
「誰も一緒じゃなかった!」ハリーが憤った。
「すると、もうひとつの点が見えた。急速にきみたちに近づいてくる。シリウス・ブラックと書いてあった・・・・・・シリウスがきみたちにぶつかるのが見えた。きみたちの中からふたりを『暴れ柳』に引きずり込むのを見た」
「一人だろ!」ロンも叫んだ。
「ロン、違うね――二人だ」
リーマスは足を止め、ロンの全身を眺めた。
「ネズミを見せてくれないか?」ひどく感情を押し殺した言い方だった。
「なんだよ? スキャバーズに何の関係があるんだ?」
「大ありだ――頼む。見せてくれないか」
ロンはためらったけれど、ローブに手を突っ込んだ。スキャバーズはひどくもがきながら現れた。逃げようとするのを、ロンは尻尾を捕まえて止めた。クルックシャンクスが低く唸るのが聞こえる。
リーマスはロンに近づいた。息を殺して、じっとスキャバーズを見つめている。
「なんだよ――」ロンはスキャバーズを胸に抱きながら、怯えて同じことを聞いた。「僕のネズミがいったいなんの関係があるっていうんだ?」
「それはネズミじゃない」ブラックが突然起き上がって言った。
「どういうこと――こいつはもちろんネズミだよ――」
「いや、ネズミじゃない」リーマスは静かに言った。「こいつは魔法使いで――」
「アニメーガス」ブラックが低い声で言った。「名前はピーター・ペティグリュー」
「・・・・・・ピーター・ペティグリュー?」
カナが反芻したのを、リーマスとブラックが頷いた。
しばらくして、ロンが「二人ともどうかしてる」と言い放った。
「ばかばかしい」ハーマイオニーも小声で言った。
「ペティグリューは死んだんだ!」ハリーがブラックを指差した。「こいつが十二年前に殺した!」
ブラックのこめかみがピクリと痙攣した。
「殺そうと思った」黄色い歯を剥き出しにして唸った。「だが、ピーターは小賢しいやつで、出し抜かれた・・・・・・今度はそうはさせない!」
ブラックが飛び出して、クルックシャンクスが投げ出された。スキャバーズに襲い掛かり、折れた足に体重がかかって、ロンは叫んだ。
「シリウス、よせ!」リーマスも飛びついて、ブラックをロンから引き離そうとした。「待ってくれ! そういうやり方をしてはだめだ――みんなにわかってもらわないと――説明しなければいけない――」
「あとで説明すればいい!」
ブラックは痛みに叫ぶロンの上で、低く唸りながらリーマスを振り払おうとした。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
カナの声が部屋に響いた。ブラックの体がぶわっと空中に浮いて、ふたたびベッドの上に投げ落とされた。
「怪我人に乱暴しないで!」
カナがにらむと、ブラックは呆気に取られたようにカナを注視した。
「みんなすべてを知る権利がある」リーマスがローブの襟を正しながら言った。「ロンはあいつをペットにしていた。わたしにもまだわからない部分がある――それに、きみはハリーに真実を話す義務がある」
ブラックは無理やり奪うことは諦めたようだったけれど、落ち窪んだ目はまだスキャバーズを見据えたままだった。ロンの手はネズミに噛みつかれて引っ掻かれて血が出ていた――それでもしっかりと握りしめていた。
「いいだろう。それなら――」ブラックはスキャバーズから目を離さないで言った。「お前からなんとでも話してくれ。ただ、急げよ、リーマス。俺を地獄に送り込んだ原因を、いますぐ殺してやりたい」
「正気じゃないよ。この二人」
ロンは声を震わせて、ハリー、ハーマイオニー、カナに同意を求めるように見回した。
「もうたくさんだ。僕は行くよ」
ロンはなんとか立ちあがろうとした。しかし、リーマスが再び杖を構え、スキャバーズを指した。
「ロン、最後までわたしの話を聞きなさい」静かな声だ。「ただ、聞いているあいだ、ピーターをしっかり捕まえていておくれ」
「ピーターなんかじゃない! こいつはスキャバーズだ!」
叫びながら、ロンはポケットにネズミを押し込もうとした。しかし、スキャバーズは大暴れだ。ロンがよろめいた――ハリーとカナが支え、ロンはベッドの上に座り込んだ。
「ペティグリューが死んだのを見届けた証人がいる。通りに大勢がいた・・・・・・」ハリーが言った。
「見てはいない。見たと思っただけだ」しわがれた、荒々しい声だ。ブラックはまだひとときもスキャバーズから目を離さない。
「シリウスがピーターを殺したと、誰もがそう思った」リーマスが頷いた。「わたし自身もそう信じていた――今夜、地図を見るまではね。『忍びの地図』は決して嘘をつかないから・・・・・・ピーターは生きている。ロンがあいつを握っている」
ハリーとロンはまるで信じ難い、狂言だとでも言いたげなうろんな目をしていた。
「リーマス、アニメーガスの反対呪文を知っているんでしょう」
みんなの視線がカナに集まった。
「スキャバーズに杖を振ってみればいい。そうすればすぐにわかる――ネズミを始末するんじゃなくて」
「でも、カナ――スキャバーズがペティグリューなはずがないわ。先生だって、そのことをご存知のはずです――」
「どうしてだい?」
リーマスはまるで授業の質問に答えるみたいなたやすさで聞いた。
「だって、だってもしピーター・ペティグリューがアニメーガスなら、みんながそのことを知っているはずです。マクゴナガル先生の授業で――私、そのことを調べました。魔法省が動物に変身できる魔法使いや魔女を記録していて、何に変身するとか、その特徴を書いた登録簿があります――」
カナもそれを知っている。でも――
「今世紀はたった七人しかアニメーガスがいないんです。ペティグリューの名前はリストに載っていませんでした――」
「またしても正解だ、ハーマイオニー。でも――だとしたらこの子は?」リーマスが笑って、カナを顎でしゃくった。
「カナは――」ハーマイオニーはぶるぶるとうろたえた。
「・・・・・・リーマス、どうしてそれを知っているの?」
カナが訝しげにたずねた――リーマスにはアニメーガスの変身を見られていないし、カナが訓練していたことも知らないはずだ――
「ン――そこの猫と一緒に、ペット用の通路を通っていただろう。それでわかったんだ――」リーマスはもう一度急くように手を振った。「魔法省は未登録のアニメーガスまでは把握していない。つまり――かつて、三匹のアニメーガスがホグワーツを徘徊していたことを知らない」
「その話をこいつらに聞かせるつもりなら、リーマス、さっさと済ませてくれ」もがいて暴れるスキャバーズをじっと監視し続けながら、ブラックは黄色い歯を剥き出しにして唸った。
「わかった・・・・・・だが、シリウス。きみにも助けてもらわないと。わたしはそもそもの始まりしか知らない――」
リーマスの声が途切れた。入り口で、大きく軋む音がした――ギイと鳴きながら寝室の扉がひとりでに開いて、その場の全員がそれを見つめた。リーマスは足早に歩み寄り、廊下に顔を出した。
「誰もいない・・・・・・」
「この家は呪われてるんだ!」ロンが騒いだ。
「いや、違う」不審そうに扉に目を向けたまま、リーマスが言った。「『叫びの屋敷』は呪われてはいない。村人がかつて聞いたという叫びや吠え声は、わたしの出した声だ」
リーマスは目にかかる髪を払った。一瞬、遠くを見つめ――話し出した。
「話はすべてそこから始まる――わたしが人狼になったことから。わたしが噛まれたりしなければ、こんなことはなにひとつ起こらなかった・・・・・・」
ひどく疲れたように、リーマスは話した。カナは浅く息を吐き、痛む脇腹を抑えながら、姿勢を変えた。
「噛まれたのはわたしが小さい頃だった。両親が手を尽くしたが、あの頃は治療法がなかった――トリカブト系の脱狼薬が開発されたのはごく最近だ――難しい魔法薬だが、エリアが手を尽くしてくれている」
「エリアだと?」ブラックが口をはさんだ。初めてスキャバーズから目を離した。その薄灰色の瞳がぐらぐらと揺れていた。「あいつは――」
「エリアは生きている」
ブラックが立ち上がった。「ふざけたことを――!」そして、勢いのままリーマスにつかみかかろうとした。
「ま、待って」カナもよろよろと立ち上がった。「おかあさんを知っているの」
「『おかあさん』だと?」ブラックがカナの肩をつかんだ。カナは心臓をきしませながら甘んじた――薄灰色がぎらりと光って、カナの顔をじっと見つめた。「お前――お前は、そうか――」
カナが口を開きかけたとき、ブラックの鼻先にてのひらがかざされた。
「シリウス、落ち着いてくれ」リーマスのひと声で、カナは存外あっさりと解放された。
座り込んだブラックがふたたびスキャバーズをにらみつけ、リーマスは話を続けた。
「エリアは十五年ものあいだ、わたしに協力してくれた。わたしも彼女に手を貸した――彼女が研究した脱狼薬のおかげで、わたしは無害になる。わかってくれるかい。満月の夜がくるまでの一週間、あれを飲みさえすれば、変身しても自分の心を保つことができる・・・・・・ベッドの上で丸まっているだけの、無害な狼でいられる。そして再び月が欠け始めるのを待つ」
羊皮紙のようなひどい顔色で、あの劇薬を飲んでいたリーマスを思い出す。
「脱狼薬というものがこの世に生まれる前までは、わたしは月に一度、完全な怪物に成り果てた。ホグワーツに入学するのは不可能だと思われた。他の親にしてみれば、自分の子どもを、わたしのような危険なものに晒したくはないはずだ」
リーマスはカナを見た。彼はきっと、おかあさんのことを考えているに違いない。おかあさんはこれまで、自分の子どものそばにリーマスを近づけ続けていた。それも、満月が近づく夜に。おかあさんは、リーマスをちっとも危険だと思っていなかったらしい――あるいは、子どもたちが危険にさらされてもいいと思っていたのか。
「――しかし、ダンブルドアが校長になり、わたしに同情してくださった。きちんと予防措置さえ準備すれば、学校に来てはいけない理由などないと、ダンブルドアはおっしゃった」
ため息をついて、リーマスはハリーを見た。
「ハリー、『暴れ柳』はわたしが入学した年に植えられたと言ったけれど、本当のところは、わたしがホグワーツに入学したから植えられた。この屋敷は――」
鳶色の目がやるせなさをにじませて、屋敷を見回した。
「――ここに続くトンネルは、わたしが使うために作られた。月に一度、城から秘密裏に連れ出され、ここで変身を許された。わたしが危険な状態にある間は、誰もわたしに出会わないようにと、あの木がトンネルに植えられた」
部屋は静かだった。誰もがリーマスの話に聞き入った――そのほかに聞こえるものといったら、スキャバーズがキーキーと喚く声だけだ。
「ここに閉じ込められているあいだは他のだれも傷つけはしなかった。ン――しかし、何より自分が恐ろしかった」
カナはうつむいた。以前、父親が誰なのかと問いかけたときカナが放った言葉は、リーマスを傷つけたに違いないと、いま気がついたからだ。
「人狼に変身するのはとても苦痛だった。噛む対象がいないのだから、わたしは暴れ、自分を傷つけた。村人はその騒ぎや叫びを聞いて、荒れ狂うゴーストの声だと思った。ダンブルドアはむしろ噂を煽った・・・・・・そのおかげで、いまでも、もうこの屋敷が静かになって何年も経つというのに、村人は近づこうともしない・・・・・・
しかし、変身することを除けば、人生であんなに幸せだった時期はない。生まれて初めて友人ができた。三人の素晴らしい友が。シリウス・ブラック・・・・・・ピーター・ペティグリュー・・・・・・それから、ジェームズ・ポッター」
ハリーは深く息を吐いただけで、じっとリーマスを見据え続けていた。リーマスは淡く口角をあげた。
「さて、三人の友人が、わたしが月に一度姿を消すことに気づかないはずがない。くだらない言い訳をいろいろ考えた・・・・・・彼らがわたしの正体を知ったら、見捨てられてしまうのではないかと、それが怖かったんだ。しかし、ハーマイオニーが思い至ったのと同じように、彼らもほんとうのことを悟ってしまった・・・・・・
それでも三人はわたしを見捨てはしなかった。それどころか、わたしのためにあることをしてくれた。おかげで満月の夜は辛いものではなくなったばかりでなく、生涯で最高の時になった。ウン――三人はアニメーガスになってくれたんだ」
「僕の父さんも?」ハリーが驚いて聞いた。
「ああ」リーマスは複雑な微笑みをうかべた。「どうやればアニメーガスを習得できるのか、三人はほぼ三年の時間を費やしてやっとやり方を見つけた。ジェームズもシリウスも学校一の賢い生徒だった。それが幸いした。アニメーガスはまかり間違うと、とんでもないことになる。魔法省がこの術を試みる者を厳しく見張っているのもそのせいなんだ」
視線がカナに注がれた。リーマスはカナにお説教をしたがっているように見えた――しかし、今はその件は後回しだ。
「ピーターだけは、ふたりにさんざん手伝ってもらわなければならなかったけれど。五年生になって、やっと三人は成し遂げた。それぞれが、それぞれの動物へ変身する能力を得た。
それがなぜ必要だったかというと――人間は狼男と一緒にいられない。だから動物として付き合ってくれた。人狼の標的は人間だけだからね。三人はジェームズの『透明マント』に隠れて、毎月一度、こっそり城を抜け出した。そして変身して――『暴れ柳』にこぶがあっただろう。あれに一番小柄なピーターが触れる。そうするとおとなしくなるんだ。三人はトンネルをくぐり、わたしと一緒に過ごしてくれた。友のおかげで、わたしは以前ほど狂暴ではなくなった。体は狼だったけれど、心は人間に近づいていった」
「リーマス、早くしてくれ」ブラックが殺気を放ちながらいらいらと唸った。
「もうすぐだ、シリウス――そう、全員が変身すれば、わたしたちはもっといろんな可能性が開けるのを感じた。夜になると四人で『叫びの屋敷』を飛び出して、校庭や村を歩き回るようになった。シリウスとジェームズは大型動物になれたから、狼男を抑制できた。ホグワーツで、わたしたちほど校庭やホグズミードの隅々まで詳しく知っていた生徒はいないだろうね・・・・・・こうして、わたしたちが『忍びの地図』を作り上げ、それぞれのニックネームで地図にサインした。シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはプロングスと」
「パッドフットね」カナがぽそっと言ったので、シリウスの頬がピクリと動いた。
「それってとても危険だわ!――もし人狼がみんなをうまく撒いて、誰かに噛みついたとしたらどうなっていたの?」
「それを思うと、いまでもぞっとする」ハーマイオニーの問いに、リーマスが重苦しく息を吐いた。「あわや、ということがあった。何回もね。あとになってみんな笑い話にしたものだ。若かったし、浅はかだった――自分たちの才能に酔っていたんだ。
もちろん、ダンブルドアの信頼を裏切っているという罪悪感を、わたしは時折感じていた。あの方以外のだれも、わたしを入学させるなんて許さなかっただろう。わたしのためにダンブルドアが定めたルールを、わたし自身が破っていたことも、さらには、三人の友を非合法のアニメーガスにしてしまったことも、あの方は知らなかった。しかし――みんなで翌月の冒険を計画するたび、わたしは都合よく罪の意識を忘れた。そして、わたしは今でもその頃からちっとも変わっていない・・・・・・」
リーマスの目つきがこわばった。乱れた白髪混じりの鳶色の髪が、ばらりと垂れて表情を隠した。
「この一年――わたしは、シリウスがアニメーガスだとダンブルドアに告げるべきかどうか迷い、心の中でためらう自分と闘ってきた。しかし、結局黙っていた――わたしが臆病者だからだ。シリウスのことを告げるには、長年ダンブルドアを裏切っていたことも、友人をあるべきでない姿に引き込んだことも、明かさなければならない――最初に信頼を示してくれたのはダンブルドアだったのに。わたしにとってはそれがすべてだったのに・・・・・・子ども時代だけじゃなく、あの方は、大人になって社会から締め出されたわたしに、職すらも与えてくださった」
鬱蒼と髪をかきあげて、顔を上げて、リーマスは呼吸を入れた。
「だから、わたしはシリウスが学校に入り込むのに、ヴォルデモートから学んだ闇の魔術を使っているに違いないと思いたかった。アニメーガスであることは、今回の件とはなんの関わりもないと自分に言い聞かせた・・・・・・カナ、きみが勇敢にも犬のことを告白してくれたときも、それでもわたしは腹を決められなかった」
カナは首を横に振った。
「ン、ある意味では、スネイプの言うことは正しかったわけだ」
「スネイプ? なぜあいつが?」ブラックがいまいましげに聞いた。
「彼もここにいるんだ――ホグワーツの教師として」
ブラックは鼻を鳴らした。子どもたちを見回して、リーマスが続けた。
「スネイプ先生はわたしたちの同期でね。わたしが『防衛術』の教職に就くことに、彼は強く反対した。ダンブルドアに、わたしは信用ならない存在だと、この一年間言い続けた。彼なりの理由で・・・・・・それは、このシリウスが仕掛けたいたずらで、彼はあやうく死にかけたんだ。わたしも関わっていた――」
「当然の報いだった」嘲るようなかすれた笑いが寝室に響いた。「こそこそ嗅ぎ回って、俺たちのやろうとしていることを詮索して・・・・・・俺たちを退学に追い込みたかったんだ」
「セブルスはわたしが月に一度どこに行くのか、非常に興味を持ったんだ。わたしたちは同学年だったけれど、その――ウン――お互いに好きになれなくてね。セブルスはとくにジェームズを嫌っていた。妬んでいたのだと思う――とにかく、セブルスはある晩、わたしが校医とともに校庭を歩いているのを見つけた。満月の夜の引率だった。
シリウスが――その――からかってやろうと思って、『木の幹のこぶを棒で突けば、後をつけて穴に入ることができる』と入れ知恵したんだ。そう、もちろん、セブルスは試した――もし、彼がこの屋敷まで入り込んでいたら、完全に人狼に変身したわたしに出会っただろう――しかし、ジェームズがシリウスのやったことを聞くなり、自分の身も顧みず、セブルスを追いかけて引き戻した・・・・・・しかし、セブルスはトンネルの向こうにいるわたしの姿を見てしまった。ダンブルドアが口外しないよう口止めしたけれど、その時から彼はわたしの正体を知ってしまった・・・・・・」
「だからスネイプはあなたが嫌いなんだ」ハリーが考えながら言った。「スネイプはあなたもその『悪ふざけ』に関わっていたと思ったんですね?」
「その通り」
リーマスの背後から、冷たい嘲るような声が聞こえた――セブルス・スネイプ先生その人が、「透明マント」を脱ぎ捨てて、リーマスの頭に杖をピタリと突きつけていた。
みな、弾かれたように動いた――ハーマイオニーは悲鳴をあげ、ブラックが立ち上がり、ハリーは飛び上がった。
「『暴れ柳』の根元でこれを見つけましてね」スネイプ先生は「透明マント」を床に投げ捨てた。「ポッター、なかなか役に立ったよ。感謝する・・・・・・」
スネイプ先生は息をきらしていたけれど、勝ち誇ったように顔を歪めていた。
「私がなぜここを知ったのか、不思議に思っているだろうな?」
黒い目がギラリと光った。
「貴様の部屋に行った――ルーピン。今夜分の例の薬を持って、な。すると机の上に何やら地図があった。ひと目見ただけで――私が何をするべきかわかった。貴様がこの通路を通り、姿を消すところを見たのだ」
「セブルス――」リーマスがうめいたが、スネイプ先生は構わず続けた。
「私は校長に何度も進言した。ルーピンが旧友のブラックを手引きして城に入れているとね。これが動かぬ証拠だ。図々しくもこの古巣を隠れ家に使うとは、さすがに夢にも思わなかった――」
「セブルス、誤解だ――」杖を向けられて動けないまま、リーマスは背後に声をかけた。「きみは話を全部聞いていないだろう――説明させてくれ――シリウスはハリーを殺しに来たのではない――」
「今夜、また二人アズカバン行きが出る」先生の瞳はまさしく狂気が宿ったようにぎらぎらと輝いていた。「ダンブルドアがどう思うか、見ものだな・・・・・・彼は貴様が無害だと信じ切っていた。わかるだろう、ルーピン・・・・・・飼い慣らされた狼男よ」
「スネイプ先生」カナが無謀にも歩み寄った。歩くと脇腹の傷が開きそうだったけれど――手でおさえながら、羽織ったローブを引き寄せて、スネイプをまっすぐ見た。「杖を下ろしてください」
「黙れ!」スネイプが大声で威圧した。「何も知らない子どもが――人狼をかばうか」
「何度も言わせないで」カナは目を逸さなかった。いつだかスネイプが吐き捨てた言葉を、そっくりそのまま返す。「話し合うのであれば、杖を下ろしてください」
「カナ!」リーマスがとがめるように叫んだ。しかし、カナは引かなかった。スネイプは冷たく嘲った。
「フン――くだらん家族ごっこをまだ続ける気か。血は争えんな。やはり裏切り者の娘だな。親子そろって人狼に魅入られている」
「セブルス、黙ってくれ――」リーマスがうめいた。
「人狼と交わす言葉などない」
「人狼、人狼って呼ばないで!」
カナが杖を振り上げるよりも早く――バン!――衝撃が響いた。スネイプの杖から飛び出た縄が、カナの口と、胴体に腕ごと、ぐるぐると巻きついた。勢いのままカナは受け身を取ることもできず、床に激しく倒れた。
リーマスがベルトから杖を取ったけれど、スネイプの方が早かった。同じように縄を蛇のように放って、あっという間にリーマスの体も縛り上げてしまった。怒って唸りながらブラックが飛び掛かろうとして――スネイプが眉間に杖を突きつけた。
「やれるものならやるがいい」ねっとりした低い声が部屋に響いた。「きっかけさえくれれば、確実に仕留めてやる」
ブラックは床に倒れたリーマスとカナをちらりと見て、ピタリと止まった。激しい憎悪が、二人の間に渦巻いているのがわかる――
ほかに誰も動くことができなかったけれど、ハーマイオニーが恐々と一歩踏みだした。
「スネイプ先生――あの――カナの言う通り、この人たちの言い分を聞いても、害はないのでは、ありませんか」
「グレンジャー。貴様は停学処分を待つ身だ――」吐き捨てるように、スネイプが言った。「ポッター、ウィーズリー、それにエリオット・・・・・・貴様らは許容されている境界線を超えた。しかもお尋ね者の殺人鬼や人狼と一緒とは。グレンジャー、貴様も一生に一度くらい、黙っていたまえ」
「でも、もし――もし誤解だったら――」
「黙らんか!」大声が寝室をビリビリと揺らした。「わかりもしないことを口に出すな!」
ブラックの鼻先に突きつけたままの杖先から、火花がバチバチと弾けた。ハーマイオニーは黙り込んだ。
「復讐は蜜より甘い」スネイプは囁くように言った。「貴様を捕らえるのが私であったならと、どんなに願ったことか・・・・・・」
「お生憎だな」ブラックも憎々しげに言った。「だが、この子がそのネズミを城まで連れて行くなら――」ロンを顎で指した。「――それなら俺はおとなしく連行される」
「城までかね?」スネイプがいやに明朗に言った。「そんなに遠くに行く必要はないだろう。『暴れ柳』を出たらすぐに吸魂鬼を呼べばそれで済む。連中は、ブラック、貴様を見てさぞ喜ぶだろう・・・・・・喜びのあまりキスをする。それで貴様の魂は永遠に抜け殻となる・・・・・・」
ブラックの蒼白な顔からさらに血の気が消えた。
「聞け――最後まで、俺の言うことを聞け」誰に向かって言うでもなく、ブラックはかすれた声でうめいた。「ネズミだ――ネズミを見るんだ――」
スネイプは聞く耳を持たなかった。
「来い、全員だ」
言うなり、スネイプはリーマスを縛る縄の端を引き寄せた。
「人狼はわたしが引きずっていこう。吸魂鬼がこいつにもキスをしてくれるかもしれんな――」
言葉は途切れた。ハリーが飛び出して、ドアの前に立ち塞がっていた。
「どけ、ポッター。貴様はもうじゅうぶん規則を破っているのだ」スネイプが唸った。「私がここに来て貴様の命を救っていなかったら――」
「ルーピン先生が僕を殺す機会なら、この一年に何百回もあったはずだ。僕は先生と二人きりで、何度も吸魂鬼防衛術の訓練を受けた。もし先生がブラックの仲間なら、なぜそのときに手を下さなかったんだ?」
「人狼がどんな考え方をするか、私に推し測れとでも言うのかね」スネイプが凄んだ。「どけ、ポッター」
「恥を知れ!」ハリーが叫んだ。「学生の時からかわれたってだけで、話も聞かないなんて――」
「黙れ! 私に向かってそのような口の利き方は許さん!」スネイプはますます狂気じみて叫んだ。「蛙の子は蛙だな。どいつもこいつも・・・・・・私はいま貴様を救ってやったのだ。ひれ伏して感謝するがいい! そうでなければ、貴様の父親と同じような死に方をしたに違いない。親子揃ってブラックを信じ込み、自分が判断を誤ったとは認めない高慢さよ――さあ、どけ。さもなくば、どかせてやる。どくんだ、ポッター!」
「エクスペリアームス!」
スネイプが吹き飛んだ――呪文はひとつではなかった。ハリーだけでなく、ロンとハーマイオニーも杖を手にしていた。弾け飛んだスネイプの杖は、クルクルと宙を舞い、倒れたカナの目の前に落ちた。
「こんなこと、お前たちにさせたくなかった」ブラックがうめいた。「俺がやるべきだった――」
スネイプは頭から血を流して、ぐったり倒れている。ハーマイオニーはその光景を怯えた目で見つめ、「先生を攻撃してしまった――」と泣きそうな声を出していた。「私たち、ものすごい規則破りになるわ――」
じたばたと、リーマスが縄をほどこうともがいていた。ブラックがすばやくかがみ込んで、解放した。
リーマスは縄が食い込んで赤く擦れた腕をのばし、すぐさまカナの縄をほどいた。
自由になった腕で、リーマスに抱きついた。ぎゅっとローブを握りしめると、大きな手がカナの背中にも回った――顔も上げられなかったし、言葉は無かったけれど、それで十分だった。
20240804