待ち遠しかった日曜日の午後がやってきた。おかあさんの「姿現し」に付き添って、カナは「隠れ穴」の裏庭に立っていた。見慣れた庭だ。鶏小屋の丸々した子たちも相変わらずで、茂みの向こうではジャガイモ頭の庭小人ノームたちが、なんだなんだと顔を覗かせていた。
「カナ!」
 裏口から飛び出してきたのはジニーだ。長く垂れた赤毛を揺らし、そばかすの浮いた白い頬を桃色にして、ぴょんぴょんと跳ねるように、カナに飛びついた。
「ジニー! もうみんな来てるの?」
「ハーマイオニーが来てるわ。それに、パパたちがハリーを迎えに行ってる最中よ」
 ジニーはパッと顔を上げて、カナの後ろのおかあさんに目を向けた。
「こんにちは。エリアおばさん」
「ええ。こんにちは。ジニー。モリーはいるかしら」
「案内するわ!」
 ジニーがカナのトランクを持って先導し、カナがおかあさんの手を引っ張った。裏口から見慣れたキッチンに入ると、モリーおばさんがテーブルでお茶を振る舞っている最中だった。
「まあ、エリアに、カナ!」
 モリーおばさんが駆け寄ってきた。カナとおかあさんを順番にぎゅうぎゅうと抱き寄せて、歓迎してくれた。
「会いたかったわ。元気にしていた?」
 カナは頷きながら、おかあさんをちらりと見た。結局、おかあさんの症状のことについて、カナは確かめることができなかった。
「私もよ、モリー」
 おかあさんは、手土産に紅茶の茶葉の大きな箱を手渡した。
「紹介するわ。この子が末っ子のジニーで――こっちが長男と次男よ」
 おばさんが退けると、テーブルに座った二人の青年が見えた。ふたりとも赤毛だ。
「また会えると思わなかった、エリアさん。僕です、ビルです」
 長髪をポニーテールにした背の高いほうが、立ち上がっておかあさんに握手を求めた。エジプトでグリンゴッツ魔法銀行に勤めているというビルだ。
「まあ、あのやんちゃなビルが。すっかり大人になったのね」おかあさんは朗らかに言った。
「エリアさんは、すこし痩せたみたいだ」
 ビルの視線は次にカナへ向いた。
「君がカナだね? フレッドのやつ、なかなか話してくれなくてね――そのかわり、ジニーから聞いてるよ。うん、こんなに可愛い子だなんて思ってなかったな」
 ビルはウインクを飛ばした。片耳にぶら下がったイヤリングの牙が揺れた――カナはちょっと気恥ずかしくなって、あいまいにはにかんだ。去年の夏、カナが家出したときに、ビルからも心配する旨の手紙が届いていたから、そのときの騒動を覚えているに違いない。
「チャーリーだ。よろしく」
「わあ、ドラゴンの仕事をしているんだよね?」
 大きくておうとつだらけの手が、カナの手を包んだ。チャーリーは、ひょろ長のビルやパーシー、ロンとは違い、双子に――つまり、母親に似ていると思った。がっしりした体格で、日に焼けた頬のそばかすが、人の良さそうな笑顔を引き立てていた。ルーマニアでドラゴンを追いかけているというだけあって、傷は絶えないようだけれど、とても頼もしく見えた。
「君もドラゴンが好きかい? そしたら、今年はきっといいことがあるぞ――」
「どういうこと?」
「ハハ、楽しみにしていなよ」
 首をかしげていると、ジニーが声をかけた。
「ねえ、カナ。今回はあたしの部屋に泊まってね。ビルとチャーリーが帰ってきてて、部屋がいっぱいなの――ハーマイオニーが待ってるわ。行こう」
「そうね、カナのベッドを準備しないといけませんね」

 モリーおばさんとジニー、それにカナとおかあさんの四人はキッチンを離れた。ぎしぎしと鳴る階段を登って最初の部屋にたどりつくと、扉が開いた。
「ハーイ、カナ」
 顔を出したのはハーマイオニーだ。栗色のふわふわの髪に、笑うと見えるすこし大きな歯がリスみたいでかわいいと、カナはいつも思っていた。
「ハーイ、ハーマイオニー」
 カナはハーマイオニーと短いハグを交わした。
「カナのお母さまも、こんにちは」
「ええ、こんにちは。ハーマイオニー。エリアでいいわ」
 ジニーが机のそばにカナのトランクを置くと、モリーおばさんが二つ並んだベッドに向かって杖を振った。すると、熱いチーズみたいに横に伸びて、そしてぷつんとちぎれた――パッチワークされた可愛らしいベッドが、三つ並んだ。
「『双子の魔法』よ」ハーマイオニーがこっそり耳打ちした。「ロンのお母さまって、じつは凄腕の魔女なんじゃないかって思うのよ」
 おばさんは満足そうに頷くと、手を叩いた。
「エリア、夕食を食べていきなさいな」
「ええ、ありがとう」
 そのとき、階下から大きな笑い声が響いてきた。
「きっとみんなが帰ってきたんだわ」
 モリーおばさんはおかあさんの手を引きながら、階段を降りて行った。子どもたちもついていく。笑い声のあとには、アーサーおじさんの怒鳴り声が聞こえてきた――きっと、なにかトラブルが起こったに違いないと、三人は顔を見合わせた。

 廊下に出ると、言い合う声がはっきりと聞こえてきた。
「それとこれとは違う! 母さんに言ったらどうなるか――」
「わたしになにをおっしゃりたいの?」
 モリーおばさんがとがった声を出すと、キッチンにいる全員が振り返った。
「まあ。ハリー、こんにちは」
 おばさんはハリーにだけ笑いかけた――ハリーの眼鏡の奥のエメラルドが、ハーマイオニー、ジニー、そしてカナを見つけると、にこりと微笑んだ。カナも笑顔を返した。ジニーは耳まで真っ赤にしていた。
「アーサー、何事なの?」
 アーサーおじさんは黙り込んだ。きっと、双子がなにかとんでもない悪戯を仕掛けたに違いない――いまも笑いを堪えようと、唇がきゅっと引き結ばれて、今にも吹き出しそうにしていたからだ。カナがフレッドを見ていると、それに気付いたのか、フレッドは静かに口角を持ち上げた。
「いったいなんですの? 言ってちょうだい」
 沈黙が続き、モリーおばさんの声がますます険しくなった。おじさんはおろおろしながら、一歩前に歩み出た。
「モリー、大したことじゃない――フレッドとジョージが、ちょっと――だが、もう言って聞かせた――」
「今度は何をしでかしたの? まさか、ウィーズリーWeasleyウィザードWizardウィーズWheezesじゃないでしょうね――」
 モリーおばさんが、ずんずんとおじさんに詰め寄った――そのとき、ハーマイオニーが小さく咳払いした。
「ロン、ハリーを寝室に案内したらどう?」
「ハリーはもう知ってるよ」ロンが答えた。「僕の部屋だし、前もそこで――」
「みんなで行きましょう」ハーマイオニーは意味ありげに言った。
「あー、オッケー」ロンもハーマイオニーの意図を汲んだようで、そろりとキッチンから抜け出してきた。
「うん、僕らも行くよ」と、ジョージが立ち上がった。しかし、すかさず「あなたたちはここにいなさい」と、モリーおばさんが凄んだ。
 ハーマイオニーたちは階段をのぼっていった。カナはおかあさんの手を取って、そっとリビングのほうに移動した。後ろから、ビルとチャーリーもついてきた。
 扉を閉めても、モリーおばさんの怒鳴り声がびりびりと響くようだった。カナとおかあさんは、ソファーに腰掛けたとたん、くすくすと笑い出した。
「あなたたち家族って、とってもにぎやかなのね」
「お恥ずかしい限りです」
 そう言うビルも、楽しげに笑っていた。
「うん、とっても楽しいよ――フレッドとジョージはすっごく悪戯っ子なんだ」
「フレッドと仲が良いみたいね」
 穏やかなおかあさんの言葉に、カナはすこし顔を熱くした。
「その、うん。仲が良いんだ」
 いま赤くなっているであろう顔を、おかあさんに見られなかったのはさいわいだけれど――ビルとチャーリーに見られるのが恥ずかしくて、カナは両手を頬にあてた。
「ふふっ」おかあさんはまた笑い出した。
「悪戯するためのお菓子を、ずっと作ってるんだ。きっとそれだと思う」
「カナ、よく知ってるな」チャーリーが戸棚のビスケット缶を開けながら言った。「あのふたり、そいつを売って稼ごうって計画してたみたいだぜ。俺はいいと思うんだけどな」
「あいつらはまだ未成年だし、『O.W.Lふくろう』の試験勉強の時間を、『悪戯専門店ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』の注文書を作るのに使ってたんだから、母さんは失望してるんだ」ビルがビスケットを受け取りながら言った。
 学期末、えらく熱心に机に向かっていると思っていたのだけれど、双子は試験勉強をしているわけじゃなかったらしい――カナはまた笑いが込み上げてきた。
 カナとおかあさんにもビスケットが渡ってきた。ごろごろとナッツが入っている。
「しかし、母さんったら、本当に双子のことを考えて言ってるのかね?」ビルが一人がけの椅子にゆったりと座った。「神の遣いみたいなやつらだぞ。もちろん、厄介ごとの神のね。この家に帰ってきた日、僕の尻も燃えた」
 チャーリーが豪快に笑った。その笑い声が、アーサーおじさんにそっくりだった。
「母さんはパーシーがもう一人、いや二人欲しかったんだろう。十二ふくろうに、首席で、魔法省勤務」
「きっと裸足で逃げ出すぞ、魔法省のほうがね」
「モリーは心配してるのよ」おかあさんが言った。「子どもたちの誰一人だって、苦労してほしくないのよ」
「ホグワーツから届いた指導の手紙の山を見れば、そういう気持ちにもなりますね」ビルが肩をすくめた。
「でも、フレッドとジョージは寮のみんなに信頼されてるよ。それに、取り返しのつかないことはしたことがないもの」
「君は優しいんだな」ビルが微笑んだ。「それを母さんの前で言ってみておくれ。どんな顔をするだろうね――」
 ガチャリと大きな音がして、リビングの扉が開いた。ドアを押さえているのは眉間に深い溝を作ったモリーおばさんだった。
「お夕飯の準備をしますよ! ビル、チャーリー、庭にテーブルと椅子を運んでちょうだい――」二人はすぐに立ち上がって、リビングを出て行った。それを見送ってモリーおばさんはこちらを振り向いて、微笑んだ。
「エリアとカナはゆっくりしていてちょうだい。すぐに支度ができますからね」
 そう言うと、リビングの扉が閉まった。
「カナ。私はモリーを手伝ってくるわ。あなたは庭に行っていて」
「うん」
 二人してキッチンに入ると、モリーおばさんがぶつくさとぼやきながら、激しく杖を振って食材を踊らせていた。
「モリー、邪魔かもしれないけれど、手伝うわ」
「邪魔だなんて! エリア、それじゃあ、サラダを準備してね・・・・・・」
 おかあさんは大量の野菜と果物を引き受けながら、楽しそうにしていた。
「カナ、テーブルクロスを持っていって、外の準備を手伝ってちょうだい」
「はーい」
 カナは戸棚から、ふたつの大きなクロスを引き出した。すこし使い古した感じがするけれど、きれいに洗濯されている。

 裏庭に出ると、バラの茂みの奥に走り寄るオレンジ色の毛玉が見えた。クルックシャンクスだ。毛叩きのような大きな尻尾をピンと立て、ノームを追いかけている。ノームは急カーブして、裏口のドアのそばに散らばった長靴の中に走って逃げ込んだ。クルックシャンクスも飛び込んできて、前脚を突っ込んでなんども引っ掻いたけれど、つま先に逃げ込んだんだろう。長靴の中から、ノームのくぐもった笑い声が聞こえた。
 表のほうでは、ビルとチャーリーが杖を手にして向かい合っていた。そのわきで、フレッドとジョージがいくつも重ねてグラグラ揺れる椅子に腰掛け、はやしたてていた。
「何をしてる最中?」
 カナが歩み寄ると、フレッドが振り返った。
「ようやくお出ましか」フレッドは椅子から飛び降りた。「われらが誇り高き兄者、そしてその尊き兄者の勇姿を見たまえよ――」
 ビルとチャーリーが、同時に杖を振り上げた。そして、その頭上にテーブルが高く飛び上がった。カナが息をのんだその時、テーブルどうしが激しくぶつかりあった――フレッドとジョージは拳を突き上げて応援した。
「おばさんに怒られるよ」
「おふくろはどんなに怒っても、夕飯抜きにはしたことがない」ジョージが得意げに言った。
 ジニー、ハーマイオニー、そしてすこし遅れてロンとハリーも庭にやってきた。みんなおもしろそうに笑ってテーブル合戦を見上げていたけれど、ハーマイオニーだけはすこしハラハラしたようにあちこちをチラチラ見ていた。
 ビルの操るテーブルが、ものすごい勢いで突撃した。チャーリーのテーブルの脚が一本弾け飛び、観衆が沸いた。そのとき、カタカタと音がして、みんな真上を見上げた。
 パーシーが、三階の窓から顔を出し、しかめていた。
「静かにしてくれないか?」
「ごめんよ、パース」ビルがにやりと笑った。「それで、鍋底はどうなった?」
「最悪だよ」
 パーシーはそれだけ言って、力任せに窓を閉めた。ビルとチャーリーはおかしくてたまらない様子で、テーブルを芝生の上に並べて置いた。ビルが杖をひと振りすると、もげた脚がすっかり元に戻った。
「お怒りなのはミスター・鍋底のほうだったな」フレッドが椅子を並べながら言った。
「鍋底?」
「パーシーの新しい仕事だよ。粗悪品のペラペラの鍋を取り締まるんだと」
「大事な仕事じゃない?」
「やってることは鍋底オタクだ」フレッドは肩をすくめた。
 カナとフレッドで協力して、テーブルにクロスを敷いた。ロンとハリーがその上に、皿やナイフ、フォークを並べていった。

 やがて七時になると、モリーおばさんとおかあさんが料理を運んできた。大きな二卓のテーブルはあっというまに一杯になって、その重みで天板が沈んでいるように見えた。
 モリーおばさんのできたての料理を食べるのはひさしぶりで、去年家出をして以来だった。カナはすこし胸が切なくなりながら、フレッドがつぎつぎに寄越す鳥ハムのパイやベークドポテト、クリームのたっぷり入ったスープ、大盛りのサラダを分け合った。
「おばさんの料理がまた食べられるなんて、ぼく、思ってなかった」
「何言ってんだ。うちに来りゃ、いつでも食えるさ」フレッドは朗らかに微笑んだ。「いつでも来ていいんだ」
 カナもはにかんだ。
「へへ・・・・・・そうだね」
 カナは昨日までの食事を思い出した。リーマスが作る味がしない、もしくは甘すぎる、ぼそぼそした生焼けのパイや、シリウスの辛くてしょっぱいソースたっぷりの肉料理いっぺんとうなんかを――
「ぼく、おばさんに料理を教えてもらおうかなあ」
 フレッドがナイフを落として、あわてて掴みなおした。しかし――上下が逆さまだ。カナは笑った。
 テーブルを見回すと、なんだかホグワーツの大広間みたいで楽しかった。テーブルの端っこで、パーシーが鍋底の報告書についてアーサーおじさんに話しているのが聞こえてきた。
「火曜日までに仕上げますって、クラウチさんに申し上げたんですよ。クラウチさんが思ってらしたよりも少し早いんですが、僕としては、何事も余裕をもってやりたいので。早く仕上げたらお喜びになると思うんです。だって、僕たちの部はいま、ものすごく忙しいんですよ。なにしろ、ワールドカップの手配なんかがいろいろ。『魔法ゲーム及びスポーツ部』からの協力があってしかるべきなんですが、これがないんです。ルード・バグマンが――」
「私はルードが好きだよ」おじさんがやんわりと言った。「ワールドカップのあんなにいいチケットを用意してくれたのも彼だよ。ちょっと恩を売ってあってね。弟のオットーが面倒を起こして――不自然な芝刈り機のことで――私がなんとか取り繕ってやった」
「まあ、もちろん、バグマンは好かれるくらいが関の山ですよ。でも、いったいどうして部長にまでなれたのか・・・・・・クラウチさんと比べたら! クラウチさんだったら、部下がいなくなったのに、どうなったのか調査もしないだなんて考えられませんよ――」
 真ん中のほうでは、ビルがおかあさんにワインを振る舞っていた。おかあさんはカナと違って飲めるたち・・みたいだ。モリーおばさんが、ビルのイヤリングについて小言を言っていた。
「・・・・・・そんなに大きな牙なんかつけて、まったく、ビル、銀行ではみなさんなんと言ってるの?」
「母さん、銀行じゃ、僕がきちんとお宝を持ち込みさえすれば、だれも服装なんか気にしやしないよ」
「それに、髪もおかしいわよ。わたしに切らせてくれるといいんだけどねえ」おばさんは杖を弄びながら言った。
「あたし、良いと思うわ。ビルに似合ってる」ジニーがにこやかに言った。「ママったら古いんだから。それじゃ、ダンブルドアのお髭はいいの?」
「ジニーちゃん、そういうことじゃありません」
「あら、あら、モリー」おかあさんがくすくす笑った。「牙のイヤリングだったのね。それが揺れると、音がするでしょう。すぐにビルだってわかるの。私は助かるわ」
「はは、それじゃ、エリアさんがいる間は、どうしても外せないな」
「エリアも、ビルを甘やかさないでちょうだい――」
 反対側隣では、フレッド、ジョージ、チャーリーが、ワールドカップの話で盛り上がっていた。
「絶対、アイルランドだ」
 チャーリーが、口いっぱいにポテトを頬張ったまま、もごもごと口を動かした。
「準決勝でペルーをこてんぱんに伸したんだから」
「でも、ブルガリアにはヴィクトール・クラムがいるぜ」フレッドが身を乗り出して言った。
「クラムはいい選手だが一人だ。アイルランドはそれが七人」チャーリーがきっぱりと言った。「イングランドが勝ち進んでりゃなあ。あれは赤っ恥だった。まったく――」
「どうなったの?」ハリーがクィディッチの話題に参加した。
「トランシルバニアにやられた。三九〇対一〇だ」チャーリーはがっくりとうなだれた。「なんてざまだ。それからウェールズはウガンダにやられたし、スコットランドはルクセンブルクにボロ負けだ」

 庭が暗くなってきた――アーサーおじさんが杖をふると、テーブルの上に蝋燭がならんだ。それらに火が灯ると、デザートが運ばれて来た。手作りのストロベリー・アイスクリームだ。カナは甘くて冷たいアイスクリームが大好物だった。
 あたたかな風がやさしく吹き、芝の空気とスイカズラの甘い香りを運んだ。カナはジニーと肩を並べて、おいしいアイスクリームを口に運びながら、ゆったりと足を伸ばした。蝋燭に蛾が誘われて羽ばたいているのを見つめていると、とても穏やかな気持ちになった。
「あたし、さいきん爪の手入れに凝ってるの」
 ジニーが、細っこい手を差しだした。その指先に、まるいつやつやした血色のよい爪が乗っている。たしかに、カナの切りっぱなしの指先とは違う――自分の手のうちに指を折り曲げながら、カナは見比べた。
「気分がスッキリするの。カナもどう? あたしが教えてあげようか?」
「うん。ジニーはなんでも器用にやるね」
「ううん、きっとカナの方が器用だわ」
 ふと、ジニーの向こうでモリーおばさんとおかあさん、そしてビルが笑っているのに気がついた。カナは最後のひと口を運びながら、そっちに気を取られた。蝋燭の薄明かりに、おかあさんの酔った赤い頬が浮かび上がって見えた。
 モリーおばさんもわずかに酒が入っているのか、普段より大きな声で話していた。
「あなたたちって、そんなに仲が良かったかしら?」おばさんが訝しんだ。
「モリー。私、ビルに貸し・・があるだけよ――」
 おかあさんはグラスをわずかに傾けてから、モリーおばさんたちに話した。
「ビルがむかし、十歳もなかったと思うけれど――木の枝を杖に見立てて遊んでいて、ほんとうに火が出ちゃってね。大火傷をしたことがあったのよ。モリー、覚えてる? あなたはあのとき、双子がシャボン玉を吐くのが止まらないって、忙しくしてたから――私、治療をしたわ。そのときに、ビルったら、私が白衣の天使にでも見えたんでしょうね・・・・・・とっても可愛いプロポーズを受けたわ」
「まあ、ビル――」モリーおばさんが声を裏返した。
「エリアさん」
 ビルは苦い顔でおかあさんの手にあったグラスを取り上げた。おかあさんはかまわず、クスクスと笑っている。
「私、あのころ――なんだかとっても嬉しくてね、それに、子どもって純心だから――断りづらくって」
「それで、その時は何と言ったの?」
「『ビルが大人になったとき、もう一度聞かせて』って」
「まあ、でも、もう時間切れでしょう」
 そう言ったビルはすこし寂しげに見えた。
「結局エリアさんをつかまえたのは別の男だったってことだ――」
「あら、聞かせてはくれないの?」
「からかうのはよしてくださいよ――」
「冗談よ。年上の女の子が珍しかっただけだわ。そうでしょ?」
 カナはそっと目をそらした。あんまり聞かないほうがいいかも、と思った。ジニーも聞き耳を立てていたらしい。顔を背けた先で、くるみ色と目が合った。
「ビルがエリアおばさんのこと好きだったなんて!」
 ジニーはごくごく小さな声で言った。
「あたし・・・・・・だと思うのよ」
 ジニーが神妙な顔でそう言うので、カナはぷっと吹き出して笑った。
「カナ、真剣に考えてよ――ビルとカナのママが結婚したら、あたしたち、叔母と姪になっちゃう!」
 カナはお腹を抱えて笑った。
「そんなわけないよ!」
「わかんないじゃない!」ジニーもはんぶん冗談のつもりなんだろう。楽しげに頬を上気して、はしゃいで笑っていた。「ねえ、ビルってかっこいいじゃない? でもね、恋人がいたなんて聞いたことないの――もしかしたら――」
「ジニー、夢見すぎだよ」カナはやっとお腹のひきつれがおさまってきて、息を吐きながら目尻の涙を指でぬぐった。「そんなの――だって――こじれちゃうよ!」
 カナはまた「叔母と姪」を思い出しておかしくなってしまって、笑いの波が帰ってきた。くつくつとお腹を揺らしていると、誰かがカナの肩を叩いた。
「ずいぶん楽しそうだな?」
 フレッドだった。カナはジニーと顔を見合わせた。
「――禁断の恋になっちゃうわ」
 ジニーが悲壮感たっぷりに言うので、さらにカナの笑いが、長く尾を引いた。
 そろそろ息が苦しくなって、カナの顔が真っ赤になってきたころ、モリーおばさんが立ち上がった。
「まあ、もうこんな時間――みんなもう寝なくちゃ。全員よ。ワールドカップに行くのに、夜明け前に起きるんですからね」
 おばさんが、みんなを見回して言った。
「学用品はわたしとエリアで揃えましょう。明日、カナのローブを買うんでしょう? わたしも買わないといけないものがあるの・・・・・・ワールドカップのあとは時間がないかもしれないわ。前回の試合なんか、五日間も続いたんだから」
「わあっ、今度もそうなるといいな!」ハリーが熱っぽく言った。
「あー、僕は逆だ」パーシーがしかめ面で言った。「五日間もオフィスを空けたら、未処理の書類の山がどんなになっているかと思うと、ぞっとするね」
「そうとも。また誰かがドラゴンの糞を忍び込ませるかもしれないし。な、パース?」フレッドが言った。
「あれは、ノルウェーからの肥料のサンプルだった!」パーシーが顔を真っ赤にして憤慨した。「僕への個人的なものじゃなかった!」
「個人的だったとも」フレッドが、テーブルから離れながらささやいた。「僕らが送ったのさ」
 パーシーがみんなよりもひと足先に眠ろうと、さっさと寝室に引きこもったので、本人が聞いていないのがさいわいだった。



「ねえ、ジニーはハリーが好きなのよね?」
 ベッドの上で髪をとかしながら、ハーマイオニーが出し抜けに言った。ジニーはカナの爪にオイルを塗って馴染ませている最中で、間近にあるその顔は煙が出そうなほど赤くなり、こくりと首がとれそうなぎこちなさで頷いた。
「アタックはしないの?」
「ハーマイオニー、あたし、できないわ」ジニーはしおれた花みたいになった。「あなたみたいに、彼を助けたりできない」
「そんなことする必要はないわ」ハーマイオニーは朗らかに言った。「私だって、ハリーを助けようと思ってしているんじゃないの。いつのまにかそうなってるだけよ。友だちだもの。ねえ、カナ?」
「まあ、うん。ハーマイオニーはみんなのことを助けてるよ。ハリーだけじゃなくて」カナはジニーを安心させるように言った。
「ねえ、カナはハリーの手を握ったことがある?」
 くるみ色の瞳がゆらゆらと揺れながら、カナをじっと覗き込んだ。
「えー、うーん。あるんじゃないかな」
「ハーマイオニーは?」
「あると思うけど」
 ジニーは首を左右に振った。
「それじゃ――二人きりで話したことは?」
「うん、あるよ」
「よく話してるわ」
「あたし――ないわ。ないのよ」
 カナの指をコットンで拭き取りながら、ジニーはうつむいた。
「ねえ、ジニー」ハーマイオニーがベッドの端まできて座った。「あんまり飛躍しすぎよ。ジニー、あなたきっと、彼とまだ友だちというほど仲良くなれていないのよ。そんな人といきなりスキンシップはしないでしょ? 私たちだって、必要じゃなければそんなことには、まずならないし――」
 大きなため息が、三人のあいだに落ちた。
「ジニーは、ハリーの前だと緊張しちゃうよね?」
 カナが言うと、ジニーはうつむいたまま頷いた。
「きっとハリーも緊張してると思うんだ。ジニーって、見るからにハリーのことが大好きだから」
「あ、あたし、わかりやすい?」
「ええ、そうね――」ハーマイオニーが言った。「もうすこし、リラックスして彼の前にいられるといいんだけど」
 そのとき、部屋の扉が咎めるように激しくノックされた。モリーおばさんだ。
「もう寝るわ、ママ!」
 三人はベッドに入り込んだ。ジニーが明かりを消すと、たちまち真っ暗になって、お互いの顔が見えなくなる。けれど、みんな話し足りないのはわかっていた。
「ねえ、ハリーをロンだと思って接してみるのはどう?」ハーマイオニーがこそこそと言った。
「でも、ハリーはコリン・クリービーみたいに熱心なのは苦手だよね」カナが言うと、ジニーが唸った。
「そうだわ!」ハーマイオニーが声を高くした。「ジニー、あなたが一人前のレディだということを知ってもらわなくちゃ。ロンの小さな妹だって思われたままじゃ、進展も何もないわよね?」
 カナはあくびを噛み殺した――しかし、途中でとぎれる羽目になった。
「カナだって、フレッドと付き合い始めてから、ちょっと人気があると思わない?」
「ぼくが?」
「うん、そうだと思うわ」ジニーも同意した。
「だ、誰がそんなこと言ってるの?」
「たまに聞くのよ――ほら、ホグワーツって、娯楽が少ないから。みんなうわさが好きなんでしょう」ハーマイオニーは寝返りを打ちながら言った。「誰が誰と付き合ってるとか、片思いとか、破局したとか――」
「あっ、そうだわ」
 ジニーがぽつりと言った。
「ねえ、ハリーって好きな女の子はいる?」
 これには、ハーマイオニーもカナも押し黙った。いないとは言い切れなかったけれど――「いる」とはっきり言うのもはばかられた。
「そういう話って、あんまりしないから――知らないわ」
「いたとしても、たぶん、いや絶対、ぼくたちには話さないと思う。ハリーってほら――ちょっと気にしいだもんね?」
 くすくす笑い合いながら、女の子たちはしだいにまどろんでいった――







 ふと、カナは目が覚めた。まだ眠りについてから、ほんの数時間しか経っていないに違いないと思った。体が鈍くて、そのくせ頭ははっきりと冴えていたからだ。
 暗闇に目が慣れると、ジニーやハーマイオニーのベッドがなだらかに膨らんでいるのが見えた。静かな寝息だけが聞こえてくる。
 眠り直そうと思って、カナはブランケットを引き寄せた――そのとき、お尻に冷たい何かが触れた。カナはどきりとして目を開いた。部屋には誰もいない――カナはそっとブランケットをめくり、目を走らせた。暗くてよくわからなかった。いよいよカナは起き上がって、ぜんぶ剥ぎ取った。そして――声を失った。

 暗い階段を降りていく。はだしのまま、こわごわと足を踏み出すと、きしきしと揺れて床板が鳴く。この音でみんな起きてしまうのではないかと、心配になるほどに。
 キッチンから明かりが漏れていた。そっと入り口から顔を出すと、モリーおばさんが一人、テーブルに座って帳簿とにらめっこしていた。
「まあ――カナ。もうエリアは帰ったわ。どうかしたの」
 おばさんが目をぱちぱちと瞬かせた。カナはなんと言っていいのかわからなくて、不安でいっぱいになって――その目に涙が溜まっていった。
「まあ、まあ、カナちゃん。何があったの?」
 モリーおばさんは駆け寄ってきて、カナの肩に触れた。
「お、おばさん・・・・・・」
 カナはかたかたふるえながら、不安げに丸めた手を口もとにあて、ブルーの瞳を見上げた。
「ぼく、病気かもしれない――血が、出てて――」
 おばさんは一瞬言葉を失ったようにぱちぱちと目を瞬かせた。そして、視線を巡らせて、カナのパジャマの後ろに赤い染みが浮かんでいるのを見つけた。
「カナ、あなた、まだだったのね」おばさんはほっと息を吐いた。「心配しないでね。痛くもなんともないでしょう? 女の子は大人に近づくと、月にいっぺん、こうやって血が流れるの」
「どうして?」
「赤ちゃんを産むためよ」
 カナはパッと顔を上げた。
「ぼく、赤ちゃんが産めるの?」
「大人になったらですよ」おばさんはやさしく、でもはっきりと言い切った。「成人して、カナがホグワーツを卒業して、愛する人と結婚して、そうしたら子どもを産んでいいですよ」
 それは、その言葉は、なんだかカナにとって、なによりも心惹かれる甘美な響きを持っていた。おばあちゃんみたいに、おかあさんみたいに、モリーおばさんみたいに、カナも、愛する人の子どもを産むんだ――
「さあ、着替えてもうひと眠りしなさいな。汚れたパジャマはおばさんが洗っておくから――」
「あの、ベッドを汚しちゃった」
「そんなことを気にしないのよ」
 不思議と、おばさんはずーっとにこにこと笑っていた。
「おばさん、どうしてうれしそうなの?」
「そりゃあ、とってもおめでたいことだからよ。もちろん、エリアにも知らせるわ。出発の日でなければ、お祝いに大きなケーキを作ってあげたのに――」
「ぼく、ゆうべのアイスクリームがいい」カナは頬をほころばせた。「今まで食べたなかで、いちばん美味しかった」
「まあ、まあ。カナったら、おだてるのがじょうずね」
 おばさんはカナを抱えるようにして、バスルームに入った。
「男の子たちには内緒よ」
「・・・・・・フレッドにも?」
「まあっ」おばさんは急に眉を跳ね上げた。「あなたたち、まさか・・・・・・してないわよね?」
 カナはなんだか、以前もどこかでこんなやりとりがあったな、と思った。首を横に振って、「なにも、おばさんに隠すようなことはしてないよ」と言った。
「そうよね。キスだってまだ早いわ――」
 きゅうに、カナはいたたまれなくなった。付き合うようになったその瞬間にキスをしただなんて言ったら、おばさんはよろめいてしまうだろう。それに、カナが家出していた時のことを知ったら気絶してしまうと思ったし――もしもそれらがバレたら、フレッドはこっぴどく叱られるのだろう。
 おばさんはカナに着替えを渡し、コットンの当て方を教えてくれた。もじもじと股のあいだを気にしながらカーテンから出てきたカナを見て、おばさんは満足そうに頷いた。
「うちは男の子ばっかりだったから、こういう機会があるって、すっかり忘れていたのよね」
「ジニーは?」
「おばさんからは話したりしないわ。知りたいんだったら、あの子と話してごらんなさいな」
 ふたりは静かに――できる限りキシキシを抑えながら階段をのぼり、音を立てないように寝室に入った。ベッドの染みをきれいに取り去ってしまうと、おばさんはカナにブランケットを肩までしっかりとかぶせた。
「さあ、もう少し眠る時間があるわ。おやすみ」
 ――モリーおばさんが出ていっても、カナの意識ははっきりしていた。何度も寝返りを打ち、カーテンのすきまから漏れるぼんやりした星あかりを見つめた。
 心臓が、いまになってトクトクと脈打っている。ブランケットに顔を埋めて、ゆっくりと息を吐いた。
 カナもいつか、母親になるんだ。
 そう思うと、落ち着かなくて――ちっとも眠れなかった。



20241003


戻る
TOP