ランチが半分ほど減った頃、アーサーおじさんが突然立ち上がった。笑顔で手を振っている――その先に、大股で近づいてくる魔法使いがいた。
「これは、これは! 君を待っていたんだよ、ルード!」
「よう、よう! 我が友、アーサー!」
ルード・バグマンだ。バグマンはこのキャンプ場にいるあらゆる魔法使いのなかでも、ひときわ目立っていただろう。鮮やかな黄色と黒の横縞柄の、競技用ローブを着ていた。現役時代のチームのものだろうか。もともとはがっちりした体格が、年をとってたるんだ感じだった。鼻は潰れていた(ブラッジャーにぶち当たってしまったのだと思う)けれど、短く刈ったブロンドに、丸いブルーの瞳、日焼けしたばら色の頬といった少年のままのような顔が、贅沢に肥えた身体と不釣り合いに思えた。
「どうだい、この天気は。え? どうだい! こんな完全な日和はまたとないだろう? 今夜は雲ひとつないぞ・・・・・・それに準備は万全・・・・・・俺の出る幕はほとんどないな!」
バグマンの背後を、げっそりやつれた魔法省の役人が数人、急いで通り過ぎていった。遠くのほうの上空で、紫色の魔法火が上がっているのを指差している。自由な魔法使いがやんちゃして、その後始末に追われているんだろう。
パーシーが勢いよく進み出て、バグマンに握手を求めた。バグマンの部の指揮に不満がありながらも、それはそれとして好印象を与えるほうが大切らしい。
「ああ、そうだ」アーサーおじさんは満足そうに微笑んだ。「私の息子のパーシーだ。魔法省に勤め始めたばかりでね。こっちはフレッド――おっと、ジョージだ。すまん――こっちがフレッドだ。ビル、チャーリー、ロン、娘のジニーだ。それから、ロンの友人のカナ・エリオット、ハーマイオニー・グレンジャー、ハリー・ポッターだ」
バグマンも、ハリーの名を聞いて、ほんのわずかにたじろいだ。
「みんな。こちらはルード・バグマンさんだ。誰だか知っているね。この人のおかげでいい席が手に入ったんだ――」
バグマンはにっこり笑って、なんでもないように手を振った。
「試合に賭ける気はないかね、アーサー?」
ロンとハリーがぎくりと肩をこわばらせた。バグマンはローブのポケットを弾ませて、熱っぽく誘った。音からして、相当な金貨を用意しているようだ。
「ロディ・ポントナーが、ブルガリアが先取点をあげると賭けた。いい賭け率にしてやったよ。アイルランドのフォワードの三人は、近来にない強豪だからね――それと、アガサ・ティムズお嬢さんは、試合が一週間続くと賭けて、自分の持っているウナギ養殖場の半分を張った」
「ああ・・・・・・それじゃ、賭けようか」おじさんが言った。「そうだな・・・・・・アイルランドが勝つほうにガリオン金貨一枚じゃどうだ?」
「一ガリオンか?」バグマンはすこしがっかりした様子だった。「よし、よし・・・・・・ほかに賭ける者は?」
「この子たちにギャンブルは早すぎる。妻が嫌がる――」
「賭けるよ。三七ガリオン、十五シックル、三クヌートだ」
フレッドが、ジョージと二人でコインをかき集めながら言った。
「まずアイルランドが勝つ――でも、ヴィクトール・クラムがスニッチを捕る。あ、それから、『だまし杖』も賭け金に上乗せするよ」
「バグマンさんにそんなつならないものをお見せしてはダメじゃないか――」
パーシーが顔をしかめたけれど、バグマンはそうは思わなかったらしい。フレッドから杖を受け取ると、おもちゃをもらった子どもみたいな顔になった。杖がけたたましい鳴き声とともにゴム製の鶏に変身すると、よく響く大声で笑った。
「すばらしい! こんなに本物そっくりな杖を見たのは久しぶりだ。俺ならこれに五ガリオン払ってもいい!」
パーシーが驚いて、信じられないといったふうに身も顔もこわばらせた。
「おまえたち」おじさんが声をひそめた。「賭けはやってほしくないね・・・・・・貯金の全部だろう・・・・・・母さんが――」
「お堅いことを言うな、アーサー!」バグマンが興奮気味に言った。「もう子どもじゃないんだ。自分たちのやろうとしてることはわかってるさ! アイルランドが勝つが、クラムがスニッチを捕るって? そりゃありえないな、お二人さん、そりゃないよ・・・・・・二人にすばらしい倍率をやろう。その上、おかしな杖に五ガリオンつけよう」
バグマンはガートがそうしたように、羊皮紙に羽根ペンで双子の名前を書きつけた。
「サンキュ」バグマンが寄越したメモを受け取って、ジョージがジャケットの内ポケットに仕舞い込んだ。
バグマンはすっかり上機嫌になって、アーサーおじさんのほうに向き直った。
「お茶がまだだったな? バーティー・クラウチをずっと探しているんだが」
「・・・・・・バーティー・クラウチ?」
カナが、小さな小さな声でつぶやいた。その名前に聞き覚えがあった。いったいどこで聞いたんだったか、カナは考え込んだ。すっかり冷たくなったソーセージを口に運びながら、パーシーが何故か怒って乱暴に焚き火をかきまぜ、薬缶を沸騰させているのをぼーっと眺めた。
――そうだ。シリウスが言っていたんだ。夏休みのはじめ、おかあさんが十五年前に失踪したときに、シリウスの弟か、バーティー・クラウチが関わっているんじゃないかと、シリウスは疑っていた。パーシーがあんなに「クラウチさん」と何度も呼んでいたのに、どうしていままで思いつかなかったんだろう――リーマスは、否定していたけれど――
「カナ?」
ジニーがカナの顔を覗き込んでいた。その手には熱々のお茶のカップが二つ握られている。
「ぼーっとしちゃって、どうかしたの?」
「えーと・・・・・・」カナは冷たい手でカップを受け取った。じわりと伝わる熱が、痛いくらいだった。「ううん、なんでもない――」
「おっ――噂をすればだ! バーティー!」
バグマンの声に、カナはパッと顔を上げた。焚き火のそばに、いつのまにか魔法使いが一人立っていた。「姿現し」したのだろう。
バーティー・クラウチと呼ばれた男は、バグマンとは対照的な存在だった。皺ひとつない背広をかっちりと着込んで、ピカピカのとんがった革靴を履いていた。短い銀髪の分け目は不自然なほどにまっすぐで、口髭も同じく平らに切り揃えられていた。パーシーが熱心に敬うわけだ、と、この場にいる全員が納得したに違いない。
カナはこくり、と生唾を飲んだ。
「ちょっと座れよ、バーティー」
バグマンは自身が足を投げ出している草むらの上をぽんぽんと叩いて、朗らかに誘った。
「いや、ルード、遠慮する」クラウチの声は苛立っているように聞こえた。「ずいぶんあちこち君を探した。ブルガリア側が、貴賓席にあと二十席設けろと強く要求している」
「ああ、そういうことを言っていたのか。俺はまた、あいつが毛抜きを貸してくれと頼んでいるのかと思ったね。訛りがきつくて」
「クラウチさん!」パーシーが息をきらしたように言い、クラウチを熱心に見つめたままお辞儀した。「よろしければお茶はいかがですか?」
「ああ」クラウチは少し驚いたようだった。「いただこう――ありがとう、ウェザービー君」
フレッドとジョージが盛大にお茶にむせた。パーシーは耳までパッと赤くして、急いで追加の薬缶を沸かした。
「ああ、それにアーサー。君とも話したかった」
クラウチは鋭い目でアーサーおじさんを見下ろした。
「アリ・バシールが仕掛けてくるぞ。空飛ぶ絨毯の輸入禁止について君と話がしたいそうだ」
おじさんは深いため息をついた。
「そのことについては先週ふくろう便を送ったばかりだ。何百回言われても答えは同じだよ。絨毯は『魔法をかけてはいけない物品登録簿』に載っていて、『マグルの製品』だと定義されている。しかし、言ってわかる相手かね?」
「無理だな」クラウチはパーシーから並々とお茶が満ちたカップを受け取った。「わが国に輸出したくて必死だから」
「まあ、イギリスでは箒に取って代わることはあるまい?」バグマンが言った。
「アリは家族用乗り物として市場に入り込める余地があると考えている」クラウチが淡々と言った。「私の祖父が、十二人乗りのアクミンスター織の絨毯を持っていた――しかし、もちろん絨毯が規制される前だがね」
「ところで、バーティー、忙しくしてるかね」バグマンが朗らかに言った。
「かなり」クラウチは愛想のない返事だ。「五大陸にわたってポート・キーを組織するのは並大抵のことではない。ルード」
「二人とも、これが終わったらほっとするだろうね」アーサーおじさんが言った。
バグマンはショックを受けたような顔をした。
「ほっとするだと! こんなに楽しんだことはないのに・・・・・・それに、その先も楽しいことが待ち構えているじゃないか。え? バーティー? そうだろう? まだまだやることがたくさんある。だろう?」
クラウチは眉を吊り上げて、バグマンを見下ろした。
「まだそのことは公にしないとの約束だろう。詳細がまだ――」
「ああ、詳細なんか!」バグマンは羽虫を払うかのように手を振った。「みんな署名したんだ。そうだろう? みんな合意したんだ。そうだろう? ここにいる子どもたちには、どのみちまもなくわかることだ。賭けてもいい。だって、どのみち事はホグワーツで起こるんだし――」
「ルード。さあ、ブルガリア側に会わないと」クラウチはバグマンを遮るようにして、鋭く言った。「お茶をごちそうさま、ウェザービー君」
ひと口もつけていないお茶をパーシーに返し、クラウチはバグマンが立ち上がるのを待った。一方バグマンは、お茶の残りをグイッと飲み干し、金貨を鳴らしながら立ち上がった。
「じゃあまたな! みんな、貴賓席で俺と一緒だぞ――解説席だからな!」
バグマンは手を振り、クラウチは軽く頭を下げて、二人とも「姿晦まし」で消えた。
「パパ、ホグワーツで何があるんだ?」
フレッドとジョージがすかさず聞いた。
「あの二人、何のことを話してたんだ?」
「すぐにわかるよ」おじさんは微笑んだ。
「魔法省が解禁するときまでは機密情報だ」パーシーが頑なに言った。「クラウチさんが明かさなかったのは正しいことなんだ」
「おい、黙れよ、ウェザービー」フレッドが目尻をとがらせて言った。
夕方が近づくにつれて、見るからにキャンプ場の興奮は高まってきた。試合を待つ何千人という魔法使いたちの声や雑踏が、森の木々を揺らしているとさえ思った。すっかり日が落ちてしまうころになると、最後の慎みもどこかへ行ってしまったようだ。あからさまな魔法の行使があちこちで見られても、とうとう魔法省はもはやお手上げだとばかりに、戦うのをやめていた。
どこかのテントから魔法火が、七色に色を変えながら空中に打ち上がるのを、カナはぼんやりと眺めていた。目の前で、小さくなっていく焚き火に薪を入れるのも忘れて、カナはずっとつまらなそうに座り込んでいた。
「カナ、大丈夫かい?」
見かねて、アーサーおじさんが声をかけた。ほかの子どもたちは、森のほうへ遊びに出たり、友だちに会いに行ったりして、ずっとテントに残っていたのはカナだけだった。
「おじさん、その」カナはすこし言いにくそうにした。「バーティー・クラウチさんって、その・・・・・・ぼくのおかあさんと面識がある?」
「エリアと?」おじさんはわずかに目を丸くした。「さあ――そういう話は聞いたことがないな。それに、エリアはどちらかというと、交流関係は少ないほうだがね、ないとも言えないだろう」
「うん・・・・・・」カナは膝を抱えた腕に、鼻先をつけた。
「どうかしたのかい?」
おじさんはやさしく聞いた。カナとおかあさんのあいだに問題があることは、おじさんやおばさんもわかっているはずだ。
「うん・・・・・・おかあさんの知り合いに、同じ名前の人がいるみたいだから」
「・・・・・・そうか」おじさんは、揺れるひとみでカナを見ていた。「カナ、エリアとゆっくり話すことはできたかい?」
「うん、少しだけ・・・・・・でも、おじさんも事情は知ってるでしょう。ぼくの知ってるおかあさんじゃなくなっちゃった」
「そうだね。いつだったか――ホグワーツの校長室で会ったエリアは、ずいぶんと雰囲気が変わったものだと、心配していたんだ」
またひとつ、魔法火が高く上がった。今度は何度も続けて弾けている。
「しかし、いつだってエリアは君のことを考えているよ」
カナは静かに頷いた。
「彼女は秘密めいているからね。信じるには勇気がいるけれど――どうか、カナ、勇気を持って欲しいんだ」
「うん。いまは、信じたいと思ってます。それに、好きになってみようって」
顔を上げて、カナはほほえんだ。おじさんも、眉を垂れ下げて笑い返してくれた。
ジニーが走り寄ってきて、行商人がそこらじゅうに来ているから、見に行こうと誘ってきた。カナとアーサーおじさんは立ち上がって、ビルやチャーリー、それに無一文のフレッド、ジョージと一緒に出店を回った――光る胸飾りが一番人気みたいだ。アイルランドは緑で、ブルガリアは赤。ふれると、甲高い声で選手の名前を叫ぶ。カナが気を惹かれたのは、揺れ動くシャムロックでびっしり覆われたとんがり帽子だ。まるで、シェーマスのテントみたいで可愛いと思った。カナは自分の財布から金貨を出して買った。ほかにも、低く唸るライオンが描かれたブルガリアのスカーフ、振ると国歌を歌う国旗、飛び出すファイアボルトの模型に、選手たちのミニチュア人形。
「すごいね!」
カナはすっかり楽しくなって、ジニーと一緒にはしゃいだ。アーサーおじさんはほっとしたように、二人の後ろで微笑んでいた。おじさんに心配をかけてしまったことで、カナは申し訳なくなった。
賭けに全財産をはたいたフレッドとジョージ以外は、胸に緑色のロゼットをつけて、アイルランド国旗を手にしていた。デニムの帽子の代わりに、カナはシャムロック・ハットをかぶって、テントに戻った。あちこちで、カナと同じようにシャムロックを身につけた魔法使い、ライオンの被り物をした魔女、顔じゅうに派手な光るペイントを施した人――いろんな人に出会った。お祭りは、それだけで心を浮わつかせた――
ハリー、ロン、ハーマイオニーも帰ってきた。その手に、真鍮のいかついレンズとプログラムを持っていて、ロンに至ってはカナと同じシャムロック・ハットを頭に乗せていた。
そして、深く響く鐘の音が、森の奥から聞こえた。同時に、木々の間に赤と緑のランタンがいっせいに灯り、競技場へ続く道を照らし出した。
「いよいよだ!」
アーサーおじさんも興奮しきって言った。
「さあ、行こう!」
アーサーおじさんを先頭に、みんな急ぎ足でランタンに照らされた道を歩いた。そこらじゅうで、ほかの魔法使いたちの足音と、話し声、歌声、叫び声が聞こえてきた。何千人もの熱狂が、波のように押し寄せる。ランタンと、みんなが身につけたロゼットがちらちらと光るのだけが浮かび上がって見えた。
ついに森のはずれに出ると、目の前に巨大な黄金の壁があらわれた。上を見上げても、夜闇で先が見えなかった。
「競技場だ。十万人規模のね」アーサーおじさんが言った。「魔法省の特務隊五百人が、まる一年がかりで準備したんだ。『マグル避け呪文』で一分の隙もない。この一年というもの、この付近に来たマグルは、突然急用を思いついて慌てて引き返すことになった・・・・・・気の毒にね」
おじさんは最後に愛情を込めて言った。一行が入り口に向かうけれど、すでにそこは大勢の魔女や魔法使いが押し寄せていた。
「特等席!」魔法省の魔女が入り口で切符を検めた。「最上階貴賓席! アーサー、まっすぐ上がって。いちばん高いところまでね」
深い紫色の絨毯が敷かれた階段を、一行は大勢と混じりあいながら登った。カナは途中、はぐれたかと思ったのだけれど、だんだんと観客はそれぞれ自分の席へと分かれていく。最後まで登り続けたのはウィーズリー一行で、カナは自然と合流できた。
観客席の最上階に、貴賓席は位置していた。しかも、両サイドにある金色のゴールポストのちょうど中間で、試合がいちばんよく見える場所だ。金箔の縁に紫色のクッション椅子が、二十数席ほど二列に並んでいた。一行は前の列に座った。カナはジニーの隣で、その反対隣はフレッドが座る。
会場を見下ろして、カナは声を漏らした。十万人の魔法使いたちが押し寄せた観客席は、楕円形のピッチに沿って階段状に迫り上がっている。不思議な金色の光が、あたりにまばゆくみなぎっていた。
「最高だ!」フレッドがはしゃいで、カナを見た。「なあ、おふくろも来りゃよかったのにな? それに、おまえの母さん――エリアおばさんだったか。試合を観れなくて残念だな」
「こんなに良い席をもらっておいて、これ以上バグマンさんにわがままは言えないでしょ」カナはコートを脱ぎながら、くすくすと笑った。「それに、おかあさんは目が見えないんだ。きっとつまんないんじゃないかな」
「じゃあ、次のワールドカップにはおばさんも誘おう」フレッドは真摯なひとみをして言った。「四年後だけどさ――どこで開催されたって、行けなくはないだろ。つまらないかどうかは、そのとき決めてもらえばいい」
カナはうなずいた。そのとき、ふたつ隣の席でハリーが息をのむ音が聞こえた。
「ドビー?」
すると、「旦那さまはあたしのこと、ドビーってお呼びになりましたか?」と特徴的なキーキー声が、ふるえたようにか細く言った。声は後ろからだった――振り返ると、いちばん奥の席をひとつ空けて、なんと屋敷しもべ妖精が座っていた。タオルを全身に巻き付けて、両手で顔を覆っていたけれど、指のすきまから大きな茶色い目が覗いていた。
「ごめんね。僕の知っている人じゃないかと思って」
ハリーが謝った。しかし、ハウスエルフは首を振った。
「でも、旦那さま、あたしもドビーをご存知です!」
いまや、アーサーおじさんまでもがハウスエルフに注目していた。
「ドビーって誰?」カナが聞いた。
「マルフォイのとこにいたハウスエルフだ。いろいろあって、僕が自由にしてやったんだ――」
「旦那さま、あなたさまは――あなたさまは、ハリー・ポッターさま!」
「うん、そうだよ」
「ドビーが、あなたさまのことをいつもお噂しております!」
ハウスエルフは震えながら、ほんの少し顔の手をずらして、ハリーの顔をまじまじと見た。なんだか、ガートの家のエッダや、ホグワーツの厨房で働いているエルフと比べて、ずいぶん落ち着きがないし、緊張しているのか、ろれつも回らないようだ。
「あたしはウィンキーでございます、旦那さま」
「そう、ウィンキー。ドビーはどうしてる? 自由になって元気にやっている?」
「ああ、それが」ウィンキーは首を横に振った。「それがでございます。けっして失礼を申し上げるつもりはございませんが、あなたさまがドビーを自由になさったのは、ドビーのためになったのかどうか、あたしは自信をお持ちになれません」
「どうして?」ハリーはその言葉が意外だったようだ。「ドビーに何かあったの?」
「ドビーは自由で頭がおかしくなったのでございます」ウィンキーは悲しげに耳を垂れさせた。「身分不相応の高望みでございます、旦那さま。勤め口が見つからないのでございます・・・・・・」
「それはなぜ?」
「仕事にお手当をいただこうとしているのでございます」
「お手当?」ハリーはぽかんとしていた。「だって――なぜ給料をもらっちゃいけないの?」
ウィンキーが怯えて、指をピッタリと閉じてしまった。
「ハウスエルフはお手当などいただかないのでございます!」ウィンキーの押し殺したような甲高い声が貴賓席に響いた。「ダメ、ダメ、ダメ――あたしはドビーにおっしゃいました。ドビー、どこかよいご家庭を探して、落ち着きなさいって、そうおっしゃいました。旦那さま、ドビーはのぼせて、思い上がっているのでございます。ハウスエルフにふさわしくないのでございます。ドビー、あなたがそんなふうに浮かれていらっしゃったらしまいには、ただの小鬼みたいに『魔法生物規制管理部』に引っ張られることになっても知らないからって、あたし、そうおっしゃったのでございます」
「でも、ドビーはもう、少しぐらい楽しい思いをしてもいいんじゃないかな」
「ハリー・ポッターさま。ハウスエルフは楽しんではいけないのでございます」顔を覆ったままで、ウィンキーはきっぱり言った。「ハウスエルフは、言いつけられたことをするのでございます。あたしは、旦那さま、高いところがお好きではないのでございますが――」ウィンキーは前面の開け放たれた景色をチラリと見て、生唾を飲んだ。「――でも、ご主人さまがこの貴賓席に行けとおっしゃいましたので、あたしはいらっしゃいましたのでございます」
「きみが高いところが好きじゃないと知っているのに、どうしてご主人様はきみをここに寄越したの?」ハリーは眉をひそめた。
「ご主人さまは――ご主人さまは自分の席をあたしに取らせたのです。ハリー・ポッターさま、ご主人さまはとてもお忙しいのでございます」ウィンキーは隣の空席のほうへ頭をかしげた。「ポッターさま、ウィンキーは、ご主人さまのテントにお戻りになりたいのでございます。でも、ウィンキーは言いつけられたことをするのでございます。ウィンキーはよいハウスエルフでございますから」
ウィンキーは席の前面をもう一度こわごわと見て、それからまた完全に顔を覆い隠してしまった。
「あの子、厳しいご主人様のもとで働いてるんだね」カナがぽそっと言った。
「そんなもんだろ、ハウスエルフなんて」フレッドがカナの帽子を触りながら言った。「偏屈な金持ちのやつらが気に入るわけだよ。情けない生き物を従えていると、優越感に浸れるんだ。むしろ、あんなのが四六時中家にいると思ったらさ、気が滅入ると思わないか?」
「どうにか、いい関係にもなれると思うけど――」
ロンが「万眼鏡」――何度も繰り返し見れる双眼鏡みたいなものを目にあててはしゃいでいる横で、ハーマイオニーが熱心にプログラムに目を通していた。
「試合に先立ち、チームのマスコットによるパフォーマンスがあります」
「ああ、それはいつも見応えがある」おじさんがハーマイオニーに言った。「ナショナルチームが自分の国からなにか生き物を連れてきてね、ちょっとしたショーをやるんだよ」
それから、貴賓席にはさまざまな観客がやってきて、徐々に席が埋まってきた。アーサーおじさんはひっきりなしに挨拶に応じ、続けざまに握手をするはめになった。パーシーも父親にならって、そのたびに弾けるように立ち上がって直立不動になった。魔法大臣のコーネリウス・ファッジが登場したときなんか、あまりに深く頭を下げたので、眼鏡が落ちて割れてしまった。
ファッジは隣に連れている、黒のビロードのローブを着たブルガリアの大臣に、ハリーを懸命に紹介していた。けれど、なかなか言葉が伝わらないらしい。
「言葉は苦手だよ」大臣がうんざりしたように言った。「こういうことになると、バーティー・クラウチが必要だ。二百か国語も話せて何になるかと思ったが、やはり有用だ――ああ、クラウチのエルフが席を取っているな・・・・・・いや、なかなか考えたな。ブルガリアの連中が寄ってたかって、良い席を全部せしめようとしているし・・・・・・ああ、ルシウスのご到着だ!」
カナはちらりと横目で見た。カナの真後ろあたりを横切るのは、ルシウス・マルフォイとその息子のドラコ、その後ろにマルフォイ夫人らしき女性の三人だった。ドラコ・マルフォイはカナたちの同学年のスリザリン生で、なにかとふっかけてくるいやみなやつだった。そんなマルフォイの母親を見るのは初めてだ。背が高く、ほっそりしたブロンドの女性で――アーサーおじさんの後ろの席までやってきて、不愉快げに顔をしかめていた。
「これは驚いた」ルシウス・マルフォイは低い声で言い、アーサーおじさんを見下ろした。「貴賓席の切符を手に入れるのに、何をお売りになりましたかな? お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」
「アーサー」ルシウスの言葉が聞こえなかったのだろう、ファッジが朗らかに言った。「ルシウスは先頃、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に、それは多額の寄付をしてくれてね。今日は私の客として招待したのだ」
ドラコ・マルフォイと目があった――すこし前に、ロンドンの裏路地でばったり出くわしたときみたいに、心底蔑んだようにカナたちをずらりと見下した。
ファッジがルシウス・マルフォイとやりとりをはじめると、カナは巻き込まれないようにそっぽを向いた。ウィーズリーのきょうだいたちもシーンとしらけた様子で、フレッドなんか鼻をつまんでいた。
「みなさん、よろしいかな?」
ルード・バグマンが貴賓席に飛び込んできた。丸顔がつやつやと光り、興奮しきった様子で言った。「大臣――ご準備は?」
「君さえよければ、ルード、いつでもいい」
バグマンは杖を取り出し、自分の喉に当てた。
「ソノーラス!」
スタンドの隅々を見渡し、バグマンは大きく息を吸い込んだ。
「レディース・アンド・ジェントルメン・・・・・・ようこそ!」その声は会場のすべての観衆に響き渡った。「第四二二回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦に、ようこそ!」
大観衆が叫び、拍手するのが波のように見えた。何千という国旗が打ち振られ、重なり合わない二つの国歌が騒音となり盛り上げた。貴賓席正面にある魔法の広告板が、「百味ビーンズ」の文言を消し、「ブルガリア 〇-アイルランド 〇」と書かれていた。
「さて、前置きはこれくらいにして、さっそくご紹介しましょう・・・・・・ブルガリア・ナショナルチームのマスコット!」
深紅一色のスタンド席から、大きな歓声が上がった。
「いったい何を連れてきたのかな?」アーサーおじさんが席から身を乗り出した。「あーっ!」おじさんは急に眼鏡を外して、慌ててシャツの裾で拭いた。「ヴィーラだ!」
シルバー・ブロンドの髪をなびかせ、百人もの美しく輝くヴィーラたちがピッチに現れた。不思議な魔法生物だった。一見、ヒトの女性のように見えるけれど、風もないのに髪が踊り、滑らかな肌は月のように輝いていた。
音楽が始まると、ヴィーラたちはゆるやかに踊り始めた。歓声が止み、観客はその踊りに見惚れて静まり返っていた。音楽とともに、踊りもだんだんと速くなり――ちょうどその頃、異変が起きていた。
「ロン?」
ロンが立ち上がっているのを、ハーマイオニーが不思議そうに見上げていた。ハリーもつられたように立ち上がった。その目線は、いまや激しく打ち振るうように踊る、ヴィーラたちに釘付けだった。
「ハリー? ねえ、何してるの?」
男の子たちはいまや、前面の手すりに手や足をかけて、飛び出して行かんばかりの格好になっていた。やがて、音楽が止んで、ヴィーラが退場していく――すると、会場じゅうから怒号が飛んだ。ものすごい熱狂ぶりだ。
ロンなんか、買ったばかりの帽子のシャムロックを、無意識にむしっていた――それを、アーサーおじさんがひょいと取り上げた。
「きっとこの帽子が必要になるよ。アイルランド側のパフォーマンスが終わったらね」
「はぁー?」
ロンはまだ恍惚とヴィーラに魅入っていた。ハーマイオニーが二人に手を伸ばし、「まったく、もう!」と、座席に引っ張り戻していた。カナだって、腰を浮かせて立ち上がりかけていたフレッドのジャケットをピッと引っ張った。
「さて、お次は――」バグマンの声が響いた。「どうぞ、杖を大きく掲げてください・・・・・・アイルランド・ナショナルチームのマスコットに向かって!」
上空から、かがやく緑色と金色の大きな彗星が流れ込んできたようだった。光は競技場を一周すると、二つに分かれて両端のゴールポストへ向かって飛んでいった。ぽっかり開いた上空には、大きな虹が競技場をまたがるように現れて、客席からは大きな歓声が上がった。
虹が薄れると、二つの光が一つに集まり、巨大なシャムロックが花開くように広がった。空高くのぼり――なんと、金色の雨を降らせた。悲鳴のような歓声が上がった。降ってきたのは金貨だ――みんな立ち上がり、頭に、足元に、落ちてくる金貨を拾うのに熱狂していた。
よく見ると、光り輝くシャムロックの正体は、小さな髭面の小人の集まりだった。みんな、揃いの赤いベストを身につけて、その手に小さなランプを抱えていた。
「レプラコーンだ!」
大喝采のさなかに、アーサーおじさんが叫んだ。おじさんが、ロンから取り上げた帽子を前に差し出すと、そこに金貨の雨が降り注ぐ。カナも真似をして、三角帽子がずっしりと重たくなっていた。
巨大なシャムロックが消えて、レプラコーンはヴィーラと反対側のピッチへと降り立った。ヴィーラたちは一列に整然と並んでいたけれど、レプラコーンはごちゃごちゃと集まって、あぐらをかいて試合が始まるのを待っていた。
「さて、レディース・アンド・ジェントルメン。どうぞ拍手を――ブルガリア・ナショナルチームです! ご紹介しましょう――ディミトロフ!」
ブルガリアのサポーターたちから爆発的な拍手があがる――深紅のローブを身につけた選手たちが、ファイアボルトに乗って地上の入場口から飛び出してきた。その動きはあまりに速く、真っ赤な何かが目の前をかすめていったとしか思えなかった。
「イヴァノワ!」
二人目の選手もあっという間に飛び立っていく。
「ゾグラフ! レフスキー! ボルチャノフ! ボルコフ! そしてぇぇぇ――クラム!」
「クラム! クラム!」
フレッド、ジョージ、ロンが大興奮して、ヴィクトール・クラムの登場に歓喜した。実際に見てみると、とてもまだ十八歳には見えない。いかめしい顔で空を駆ける姿は、ヒトのかたちをした猛禽類みたいだと思った。
「では、皆様どうぞ拍手を――アイルランド・ナショナルチーム!」
緑色の群衆から歓声が湧き起こり、バグマンはそれに負けないくらいに声を張り上げた。
「ご紹介しましょう――コノリー! ライアン! トロイ! マレット! モラン! クィグリー! そしてそして!――リンチ! 」
鮮やかな緑色のローブを身に纏った七名が、ピッチへと躍り出た。
「そして皆様、はるばるエジプトからおいでになった我らが審判、国際クィディッチ連盟の名チェアマン、ハッサン・モスタファー!」
選手が整列するピッチに歩み出たのは、金色の装飾がこれでもかと施されたローブを身につけた、小柄な老魔法使いだった。口髭の下に、大きな銀のホイッスルを咥えている。痩せた腕で大きな木箱を軽々と抱え、反対の手に箒を掴んでいた。
モスタファーが木箱を芝生の上に置いた。木箱が蹴り開けられ、真っ赤なクァッフル、ふたつの黒いブラッジャー、そして小さな小さな金色のスニッチが、勢いよく飛び出して――
「試合、開始ぃぃぃ!」
バグマンが叫び、会場も大歓声を上げた。
「早速あれはマレット! トロイ! モラン! ディミトロフ! またマレット! トロイ! レフスキー! モラン!」
ものすごいスピードで、クァッフルとチェイサーが行き交った。カナはこんなクィディッチの試合は初めてだ――バグマンも名前を言うだけが精一杯のようだった。プロの、それもワールドクラスになると、学生の試合とはまるで格が違う。もちろん、全員がファイアボルトで駆け回っているというのもあるだろうけれど――
「トロイ、先取点! 十対〇、アイルランドのリード!」
バグマンの声が轟いた。会場内も、大歓声が響いてまるで揺れ動いているかのようだ。トロイが競技場を一周、ぐるっと飛ぶと、観客のみんなが大手を振ってアピールした。ピッチの外側で試合を観戦していたレプラコーンが空中に舞い上がり、巨大なシャムロックの形になった。反対側のヴィーラは、ひどく不機嫌そうにそれを睨め付けているようだ。
アイルランドのチームの連携は、さながら軍隊蜂を見ているようだった。チェイサーの三人は互いをフォローしながら縦横無尽に飛ぶ。チーム全体がかんぺきな連携で、まるで互いの考えが透けてわかっているのではと疑うほどだ。「トロイ――マレット――モラン!」胸についている緑のロゼットが、ひっきりなしにチェイサーの名前を叫んでいた。
――あっというまに、アイルランドは得点を重ねて三〇対〇となった。まだ試合開始から十分しか経っていない。試合運びはもっと速く、荒っぽくなっていった。
ブルガリアのビーター、ボルコフとボルチャノフは積極的にブラッジャーをけしかけ、アイルランドのチェイサー三人の連携を崩しにかかった。アイルランドがバラけると、ついにブルガリアのチェイサー、イヴァノワが敵陣を突破して、キーパーのライアンをもかわし――初のゴールを決めた。
「耳を塞いで!」
アーサーおじさんが叫んだ。男の子はみんな耳に指を突っ込んだ。ブルガリア側で、ヴィーラが祝いのダンスに興じていた。美しい歌声が、会場に響く。
クァッフルはブルガリアが握っている。
「ディミトロフ! レフスキー! ディミトロフ! イヴァノワ――うおっ、これは!」
バグマンが唸った。観客席も息を呑んだ――両シーカーのクラムとリンチが一直線に、チェイサーたちのど真ん中に割って突っ込んできた。その速さといったら、まるで流星のようだった。
「地面に衝突しちゃうわ!」
ハーマイオニーが叫んだ。半分正解だった――クラムは最後の最後、寸前でかろうじて箒を引き上げ、螺旋を描きながら空中へと舞い戻った。しかしリンチは最高速度で地面に突っ込み、鈍い音が競技場に響いた。「ウワーッ・・・・・・」と、カナとジニーは同時に声を上げた。同じように、アイルランド側には呻き声があふれた。
「バカ!」アーサーおじさんが珍しく吐き捨てた。「クラムがかけたフェイントだ!」
「タイムです!」バグマンが声を張り上げた。「エイダン・リンチの様子を見るため、専門の魔法医が駆けつけています!」
「大丈夫だよ、衝突しただけだから!」
チャーリーが、手すりから身を乗り出してフィールドを見つめるカナとジニーに言った。
「もちろん、それがクラムの狙いだけど――『ウロンスキー・フェイント』っていって、シーカーを引っ掛ける危険技さ」
リンチは芝生の上で、何杯もの魔法薬をつぎつぎと飲まされていた。カナはそれを見て、口もとを押さえた。
「大丈夫か?」フレッドが声をかけた。
「まずそうな薬を飲んでるよ」カナはじっとりと言った。
「よく見えるな。おまえさん、目がいいんだな」
一方クラムは、悠々と空中を滑っていた。リンチが回復するまでの時間を使って、フィールドの隅々を見回して、スニッチを探している。
リンチがやっと立ち上がって、ファイアボルトに跨った。地を蹴って空中に飛び出してから、モスタファーのホイッスルが鳴り響き、試合が再開された。
さっきまでよりも、試合の展開はますます激しく加速した。アイルランドが勢いづいて、十五分のあいだに十回もゴールを決めた。一三〇対一〇、アイルランドの圧倒的リードで、試合はしだいに泥試合になってきた。
マレットがクァッフルを抱えてゴールに突進すると、ブルガリアのキーパー、ゾグラフが飛び出してマレットを迎え撃った――そして、カナの目には衝突したように見えた。マレットがよろめき、クァッフルがこぼれ、アイルランドのサポーターからは怒号が飛んだ。同時に、モスタファーが鋭く長く、ホイッスルを鳴らした。
「ブルガリアのキーパーの反則です!『コビング』――過度な肘の使用です!」観衆のどよめきを収めるように、バグマンが言った。「そして――よーし、アイルランドがペナルティ・スロー!」
怒った蜜蜂の大群のように、キラキラと空中に舞い上がっていたレプラコーンが、素早く集まって文字を作った。「HA HA HA!」
ピッチの反対側で、ヴィーラが弾かれたように立ち上がった。髪を打ち振るって、怒りのままに踊り始めた。男の子たちは再び耳に指を突っ込んだ――しかし、そんなの必要ないカナたちは、フィールドを見て、笑い声を上げた。
「見てよ!」
カナとジニーは男の子たちの腕を引っ張った。何かというと――審判のモスタファーが、踊り狂うヴィーラたちの目の前に降り立って、熱心にアピールを始めたからだ。腕の力こぶを見せつけたり、口髭を撫で付けたり――
「さーて、これは放っておけません」バグマンもおかしそうに言った。「誰か、審判を引っ叩いてくれ!」
魔法医の一人が大急ぎで駆けつけた。自分はしっかりと指で耳栓をしながら、モスタファーのむこう脛を思いっきり蹴飛ばした。それで、審判は我に返った。ばつが悪そうにヴィーラたちを怒鳴りつけて、それで踊りは止んだけれど、ヴィーラたちは反抗的な態度をとっていた。
「さあ、私の目に狂いがなければ、モスタファーはブルガリア・チームのマスコットを本気で退場させようとしているようであります!」バグマンのうわずった声が響いた。「さーて、こんなことは前代未聞・・・・・・ああ、これは面倒なことになりそうです・・・・・・」
ブルガリアのビーター、ボルコフとボルチャノフが、モスタファーの両脇に着地し、身振り手振りでレプラコーンのほうを指さして、激しく抗議し始めた。当のレプラコーンは上機嫌で、いまや「HEE HEE HEE」の文字になっていた。
モスタファーはブルガリアの抗議に取り合わず、空中に向かって指を突き上げていた。試合に戻るよう指示しているようだ。二人が拒否すると、モスタファーはホイッスルを短く二度吹いた。
「アイルランドにペナルティ、二つ!」
バグマンがそう叫ぶと、ブルガリアのサポーターが怒りで猛反発した。
「さあ、ボルコフ、ボルチャノフは箒に乗ったほうがよいようです・・・・・・よーし、乗りました・・・・・・そして、トロイがクァッフルを手にしました――」
試合はますます凶暴になってきた。ボルコフとボルチャノフは棍棒をめちゃくちゃに振り回して、ブラッジャーに当たろうが選手に当たろうが見境がなくなっていた。ディミトロフがクァッフルを持ったモランに向かって突進し、彼女はあやうく箒から突き落とされそうになった。
「反則だ!」
アイルランドの応援団がいっせいに立ち上がり、口々に叫んだ。
「反則!」バグマンも叫んだ。「ディミトロフはモランに接触しかけました、わざとぶつかるように飛びました――これはさらなるペナルティを取らねばなりません――よーし、ホイッスルです!」
レプラコーンが空中に舞い上がった。大きな手のサインを作り、下品なジェスチャーを形どった。これにはヴィーラも怒りで我を忘れた――ピッチの向こうから、レプラコーンに向かって火の玉がいくつも飛んできた。
「ほら、お前たち、あれをよく見なさい」
アーサーおじさんが、観客席の喧騒に負けない大声で言った。みんながピッチを見下ろすと、ヴィーラは怒りのあまり変身し、甲高い不快な声で叫んでいた。美しかった顔貌は、いまや鳥の嘴のように鋭く伸び、肩からは鱗にびっしり覆われた翼が飛び出して――その姿はハーピーそっくりになっていた。
「だから、外見だけにつられてはだめなんだ!」
魔法省の役人が、ヴィーラとレプラコーンを引き離すのに地上で奮闘していたけれど、これが一筋縄ではいかなかった。いっぽうで、上空でも激しい試合が続いていた。クァッフルがあっちこっちに飛び交い、バグマンの実況が追いつかないほどだ。
「レフスキー――ディミトロフ――モラン――トロイ――マレット――イヴァノワ――またモラン――モラン――モラン決めたぁ!」
アイルランド・サポーターの大歓声が、どこか遠くで聞こえた。ヴィーラの叫び、魔法省役人の杖から飛び出る爆発音、ブルガリア・サポーターの怒り狂う声で、会場はめちゃくちゃだ。かまわず、試合は再開された。
アイルランドのビーター・クィグリーが、目の前を通るブラッジャーを大きく打ち込んだ。クラムめがけて、ブラッジャーは勢いよく突進する――
「うわっ・・・・・・」
クラムは避けそこなった。ブラッジャーが顔面を強打した――会場からは呻き声が湧く。クラムは鼻を折ったに違いない。滴るほど血を流しているのに、ホイッスルが鳴らなかった。審判は、箒の尾が火事になっていて、それを消すのに必死だった――ヴィーラの火の玉が飛んできたんだろう。
「誰かクラムに気づいてあげて・・・・・・」みんな同じ気持ちらしい。ロンも「タイムにしろ!」とわめき、ブルガリア・サポーターからもブーイングが上がる。
そのとき、何人かが立ち上がった。「リンチが!」ジニーもカナの袖を引っ張った。
シーカーが急降下をはじめた。フェイントなんかじゃない、本物のスニッチだ――事態に気づいたアイルランドのサポーターもいっせいに立ち上がり、リンチに声援を送った。しかし、いつの間にかその背後に、クラムがピッタリとつけていた。血の飛沫を飛ばしながら、クラムは構わず前進し、いまやリンチと並んでいた。二人は一対の流星のように、グラウンドに突っ込んでいく。
「二人ともぶつかるわ!」ハーマイオニーが叫んだ。
「そんなことない!」ロンが叫んだ。
――またもやリンチが地面に激突した。怒れるヴィーラの群れが、たちまちそこに押し寄せた――
「スニッチはどこに行った?」チャーリーが叫ぶ。
「とった――クラムが捕った!」ハリーが叫んだ。「試合終了だ!」
深紅のローブが血に塗れたまま、クラムがゆっくりと、ファイアボルトとともに舞い上がった。高く突き上げた拳の中に、しっかりと金色のスニッチを握りしめていた。
スコアボードが点滅した。
「ブルガリア 一六〇-アイルランド 一七〇」
何が起こったのか、誰ひとりすんなり飲み込めていなかった。ややあって、ゆっくりとざわめきが大きくなっていき、アイルランド側の歓声がふくらみ――爆発した。
「アイルランドの勝ち!」
バグマンが、度肝を抜かれたように叫んだ。
「クラムがスニッチを捕りました――しかし勝者はアイルランドです――なんということでしょう、誰がこの結果を予想したでしょう!」
「クラムが捕った!」フレッドとジョージが飛び跳ねた。
「しかも、アイルランドの勝ちだ!」
「どうしてクラムはスニッチを捕ったんだろう」カナが言った。
「アイルランドが止まらないって、クラムはわかってたのよ」ジニーが答えた。「点差が縮まらないから、終わらせたんだわ」
クラムがゆっくりとグラウンドに降り立った。見下ろすと、魔法医の集団がレプラコーンとヴィーラの大乱闘のさなかに突入して無理やり吹き飛ばしながら、怪我したクラムのもとに向かおうとしていた――クラムはそれを撥ねつけているように見えた。
レプラコーンが空中を跳ね回りながら、金貨の雨をフィールドに降らせていた。その中で、アイルランドの選手たちが狂喜して踊っていた。あちこちにアイルランド国旗が打ち振るわれ、国歌が聞こえてきた。ヴィーラはすっかり意気消沈して、羽も嘴もなくなって、もとの美しい姿に戻っていた。ブルガリア選手たちもクラムのもとに集まり、がっくりとうなだれていた。
「まあ、ゔぁれゔぁれは、勇敢にだだかった」
背後から沈んだ声がした。振り返ると、ブルガリアの魔法大臣が肩をすくめていた。
「話せるのではないですか、英語を!」ファッジは怒っていた。「それなのに、一日中私にパントマイムをやらせて!」
「いやぁ、ゔぉんとにおもじろかっだです」
「さて、アイルランド・チームがマスコットを両脇に、ウイニング飛行をしているあいだに、クィディッチ・ワールドカップ優勝杯が貴賓席へと運ばれます!」
バグマンの声が響いた瞬間、カナは目が眩んだ。貴賓席全体が、会場全体から見えるようにまばゆく照らされたからだ。
巨大な黄金の杯がコーネリウス・ファッジに手渡された――ファッジはまだ一日じゅう手話をさせられたことを根に持って、不貞腐れているように見えた。
「勇猛果敢な敗者に絶大な拍手を――ブルガリア!」
バグマンの声とともに、七人のブルガリア選手が貴賓席へと登壇した。会場が拍手で湧き、カナも賞賛の拍手を贈った。
選手ひとりひとりの名前をバグマンが読み上げ、ブルガリア魔法大臣、そしてファッジ大臣と、順番に握手を交わした。いちばん最後がクラムだったけれど、まさに満身創痍だった。まだ顔じゅうは血まみれで、両目のまわりは黒い痣になっていた。その手にはまだスニッチが握られている。ポスターで見たよりもずっと眉間の皺が深く、ひどい猫背が余計に人相を悪く見せていた。しかしクラムの名が呼ばれると、スニッチを掴んだ彼を讃えるために、会場からは割れんばかりの歓声が送られた。
それから、アイルランド・チームも登壇した。エイダン・リンチはモランとコノリーに支えられながらだった。二度目の激突で目を回したまま、焦点が定まっていなかった。それでも、トロイとクィグリーが優勝杯を掲げ、観客席から祝福の声が轟くと、嬉しそうに笑っていた。カナは賭けには負けたけれど――それでも、傷だらけになるほど真剣に望んだ選手たちを見て、やっぱり素晴らしい試合を見た、と思った。
アイルランド・チームが、貴賓席の前面から飛び出して箒に乗り、もう一度ウイニング飛行を始めた――リンチはコノリーの箒の後ろに乗っていた。
バグマンは杖を自分の喉に向け「クワイエタス」と唱えた。
「この試合は、何年も語り草だろうな」バグマンの声はすっかりしわがれていた。「実に予想外の展開だったな。実に・・・・・・いや、もっと長い試合にならなかったのは残念だ。ああ、そうだったな・・・・・・君たちに借りが・・・・・・いくらかな?」
フレッドとジョージが、バグマンの前に飛び出した。にっこり笑って、両手を差し出しながら。
20241018