ほんの数時間も眠りきれずに、カナはふたたび起きるはめになった。アーサーおじさんがみんなを起こして回り、魔法でテントを手早く畳んで片付けてしまう。できるだけ急いでキャンプ場を離れたいんだろう。
 門を潜った先で、小屋の戸口にロバーツさんが立っていた。奇妙にとろけた出立いでたちで、通り過ぎる人々に手を振り、ぼんやりと「メリー・クリスマス」と声をかけていた。
「彼は大丈夫だよ」
 おじさんが、みんなを安心させるように言った。
「記憶修正されると、しばらくの間はちょっと呆けることがある・・・・・・それに、今度はずいぶん大変なことを忘れてもらわなくちゃならなかったしね」
 ポート・キーの周りには、ずいぶん大勢の魔法使いたちが詰め寄っていた。ポート・キーを管理しているバージルを取り囲んで、とにかく早くキャンプ場を離れたいと大騒ぎだ。アーサーおじさんはバージルと話をつけて、列に混ぜてもらい、今度は古タイヤ・・・・で、ストーツヘッド・ヒルへと戻ることができた。
 太陽も昇りきらない薄明かりの中を、ただみんな黙って歩いた。丘を下り、オッタリー・セント・キャッチポール村を横切り、ようやく「隠れ穴」のでこぼこした影が見え出したとき――朝露に湿った路地の向こうから、叫び声が響いてきた。
「ああ! よかった、ほんとうによかった!」
 モリーおばさんだった。顔を真っ青にして、手の中に「日刊予言者新聞」を丸めて握りしめ、パジャマ姿のままこちらへと走り寄ってきた――その後ろから、線の細い女の人が歩いて追いかけてくるのが見えた。ひどく薄い魔女のローブを着ていて、たなびく真珠色の裾がまるでゴーストのようだった。
「あの人は誰?」
 カナが聞いた。すると、ロンが訝しげに眉をぎゅっと寄せた。
「誰って――何言ってるんだ? 僕らのママだ」
「ちがうよ、モリーおばさんの後ろにいる人」
「よく見てよ、カナ、あなたのお母さまじゃないの」
 ハーマイオニーも、あっけらかんと言った。
「ううん。ぼくにお母さんはいないよ。みんな知ってるでしょ?」
 みんなが唖然としてカナを振り返ったとき、モリーおばさんがアーサーおじさんのもとにたどり着いた。
「アーサー! 心配したわ――ほんとうに心配した――無事だったのね――」
 ふるえる喉で息を吐きながら、おばさんはおじさんの首に回した腕を離し、子どもたちの一人ひとりを真っ赤な目で見回した。
「みんな、生きててくれた・・・・・・ああ、おまえたち!」
 おばさんが、フレッドとジョージをつかんで、思い切りきつく抱きしめた。その勢いで、双子はお互いの頭をぶつけることになった。
「家を出るときに、おまえたちにガミガミ言って!」
 双子のあいだからおばさんのすすり泣きが聞こえ始めたとき、アーサーおじさんが顔を上げた。
「ああ、エリア・・・・・・」
 さっきの、ゴーストのように見えた魔女が立っていた。近くで見てみると、ちゃんと生きている。息を弾ませて胸が上下しているし、顔色の悪い頬にはきちんと血の色が透けている。ただ、ずっと目を伏せていたので、きっとこの人は盲目なのだろうと思った。
「アーサー。フクロウをありがとう」
「いいや、エリア、君になんと謝罪すればいいのかわからない」
「気に病まないで、アーサー。あなたたちは悪くない」エリアと呼ばれた魔女は、目を伏せたままアーサーおじさんの声のするほうを向き、そしてビルたちのほうに顔を向けた。「いつだって、闇の陣営は身勝手に他人を傷つけて、壊してきた」
 そして、見えているはずがないのに、カナの目の前にまっすぐ歩いてきて、膝をついた。
「こうして、生きて戻ってきてくれただけでじゅうぶんなの――カナ、どこか悪いところはない?」
 カナは、とっさに答えることができなかった。思わず一歩半ほど後ろに足を引きずると、伏せられた瞼がわずかに開いた――薄く、濁った色の青だった。
「カナ?」
 アーサーおじさんが、カナの様子に気がついて声をかけた。
「――その、おじさん。この魔女ひとは誰なの?」
 みんなが、言葉をなくして立ち尽くしていた――ただ一人、エリアさんは唇を引き結び、立ち上がった。
「・・・・・・とにかく、家の中へ入りましょう。みんな疲れているでしょうから」



「カナ、ほんとうにエリアのことがわからないの?」
 崩れるように、みんなでテーブルを囲み――ハーマイオニーが熱いお茶の準備をする。おろおろと、モリーおばさんが痛ましげな声を出した。カナが「うん」とだけ答えると、アーサーおじさんが、大きなため息を吐きながら、広いおでこを手で隠し、頭を振った。
「そうきたか・・・・・・」
「『忘却術』か?」ビルが言った。
「しかし、何のために?」おじさんはひどくつらそうに言った。「カナが襲われたのは、エリアの記憶を消すためだったとして――なぜ、そうする必要がある?」
 おじさんが、ウィスキーの瓶を呼び寄せて、紅茶の中に入れるようにハーマイオニーに頼んでいた。おばさんが「アーサー、およしなさいな」と言ったけれど、おじさんは聞かなかった。
「目的ははっきりしてるわ。それが私だったからよ」
 エリアさんが、はっきりと言った。
「ひとつだけ心当たりがあるの・・・・・・でも、ありえない」
「なぜ、ありえないんですか?」ビルが聞いた。
「その人は――その闇の魔法使いはもうこの世にいないはずなの」
 気丈に振る舞っているようだったエリアさんの語尾が、わずかに震えている。まぶたをかたく閉ざして、眉間にぎゅっと皺を寄せた姿は、まるで悪夢にうなされているかのようだった。
「それじゃ、ゴーストのしわざだとでも?」ビルが言うと、エリアさんは首を横に振った。
「そんなんじゃないわ。そうじゃないから、余計に意味がわからないの――」
 ぶつぶつと、何かつぶやくように言葉を紡ぐエリアさんのことを、ハーマイオニーがちらちらと気にしているのが見えた。
「おそらくだけれど――カナは『忘却術』をかけられたのではないわ。記憶を抜き取られている」
「抜き取られているだと?」
 熱い紅茶をあおったアーサーおじさんが、大きな声を出した。
「そんな芸当が、可能なのか?」
「私は学生時代、どうにかして頭を空っぽにできないかと研究していたから、そういう方法があるのは本当よ」
 その言葉にハーマイオニーが、信じられないといった表情で何度も瞬きをしてエリアさんを見た。そんなふうに見られていることを知らないエリアさんは、こんどは両手を額に押し当て、髪をくしゃりと握りしめた。
「誰かが私の情報を欲しがっていて、無防備なカナに近づいたのよ」
「それって、ヴォ――『例のあの人』ですか?」
 唐突に、ハリーが聞いた。眼鏡の奥のエメラルド色の目が、カナをちらりと見た――カナはその意味をはかりかねた。
「いいえ、ハリー。やつなら生きて帰したりはしないでしょう――」エリアさんはそこで言葉を飲み込んだ。「――でも、だとしたらいったい誰が・・・・・・」
「エリア、すこしリラックスして――」
 モリーおばさんが、エリアさんにも紅茶を差し出した。背を撫で、こわばった体にゆっくりした呼吸を促している。カナは、それをただ遠巻きに見ていた。
「カナは、記憶を取り戻すことができないの?」
 ジニーが言った。大人たちは黙り込み、代わりに、パーシーが口を開いた。
「『忘却術』を破るのは、一流の忘却術士でも軽傷じゃ済まないと言われてる。脳にダメージを負う可能性があるからね。ショックを与えることで、思い出すこともあるようだけれど――」
「パーシー」おじさんの厳しい声が飛んだ。「そのたぐいの手段は、カナにはさせられない」
 ガタリと椅子が動き、みんながカナを見た。カナは立ち上がって、あいまいな表情で言った。
「ぼく――ちょっと休みたいから、ベッドに行ってもいい? それから、ぼくをどうするか決まったら、教えてくれる? 尋問でもなんでも、ぼく、その通りにするから――」
 言い終える前に、カナはキッチンを出ようと、すでに歩き出していた。「カナ」とフレッドが声をかけたけれど、振り返ることもせずに、カナはキッチンを出て行った。
「――あの子の前で話すべきではなかった」とこぼすおじさんの声は、カナには聞こえていなかった。



 ジニーの部屋に入り、三つ並んだ全く同じベッドのうち、窓に一番近いのに潜り込む。何度か大きく息を吐き、カナは目頭が熱くなるのをぎゅっとこらえた。
 ――カナにお母さんはいない。お父さんもいない。それがカナの知っていることだった。カナは、血の繋がっていないリーマスに育てられた。たった一人の家族はリーマスだけだ。それが――まるで、カナだけが別の世界に来てしまったような感覚だった。みんな、あのエリアという魔女がカナの母親であることが当然で、カナがそれを理解できないでいる、という認識らしい。カナ以外のみんなが幻覚を見ているのでなければ、異常なのはカナのほうだ。
 あの森で何が起きたかなんて、カナに知りようがない。カナは寝転がっていたんだから――忘却術だろうが、記憶を抜き取られようが、それがヴォルデモートだろうが、カナには知りようがない。
 ふるえる喉から息を吐きながら、カナはシーツを捲って、身を起こした。床にお尻をつけて、ベッドの下から古いトランクを引っ張り出す。カナがずっと使ってる、お下がりの――お下がりのトランクだ。カナはそれを一心に探る。花柄のアンティークなジュエリー・ボックスは、去年のクリスマスにガートが贈ってくれたものだ。その中に、真珠色のリップケース、ペドラス・プリジオンのおしろいと、自分で買ったキラキラのアイシャドウが収まっている。蓋のポケットにはビロードの赤いリボン、それにフレッドに買ってもらった白いリボンと青いリボンがたたんで入っている。パーバティから贈られた紫色の石のブレスレットの下には、小ぶりな、滑らかな箱が入っている。これは、去年リーマスが送ってくれた蛇のアクセサリーだ。
 カナはボックスを閉じた。ていねいにトランクの奥にしまい込み、こんどは手鏡を手に取った。
 リーマスが、入学祝いにくれた木彫りの手鏡だ。赤茶の木の色が、リーマスの髪の色にそっくりだって、カナは最初から思っていた。
 会いたくなった。リーマスに――二日前に「行ってきます」を言ったばかりだというのに。去年は、三年生の頃は、ずっとホグワーツでリーマスと一緒だったから、不安なことがあるとすぐにリーマスを訪ねに行った。嬉しいことも、悲しいこともいくつもあったけれど、少なくともカナの味方でいてくれて、カナを安心させてくれた。
 鏡の奥のカナが泣きそうな顔をしていたので、顔を横に振った。垂れた黒い髪をはらって、カナは手鏡をハンカチに包んで、トランクに仕舞った。
 そのとき、寝室の扉が控えめに叩かれた。カナがあわてて、目もとに袖を押し当てたとき、扉が開いた。顔を出したのはジニーだった。
「・・・・・・カナ、泣いてたの?」
 そのひと言で、カナの目はやっぱり潤んでしまう。
「ジニー、ぼくのお母さんは、やっぱりあの人なの?」
「うん、そうよ。エリアおばさんっていって、ママとパパと親しいみたいなの」
 ジニーはカナの隣に座り込んだ。
「ジニーはよく知ってるの?」
「ううん。もともと、カナはあんまりエリアおばさんのことが好きじゃなかったわ。だから、どんな人か知らなかった。でも、今年の夏休みが始まるときに、駅に迎えに来てくれて、あたしも初めて会ったの」
 すこし複雑そうな表情で、ジニーはカナを見た。
「ねえ、出発前の夕食で話したことも、忘れちゃった?」
「・・・・・・どんな話だっけ」
「ビルがエリアおばさんのことを好きだって話よ」
 カナは目を丸くした。
「なんか・・・・・・そんな話をした気がする。ぼく、ツボにはまって笑ってたよね?」
「ビルとエリアおばさんが結婚したら、あたしたち、叔母と姪になっちゃうって話よ。つまり、エリアおばさんがカナのママだから」
 やっぱり飲み込めなくて、カナは表情を曇らせた。
「――ううん、やっぱり、わかんない。あのエリアって魔女ひとのこと、ちっとも心当たりがないよ」
 引き続き、カナはトランクを探った。ふと、手に触れたものがある――写真だ。
「なに――見せて?」
 ジニーもカナの手元を覗き込んだ。家族写真だと思う。男女に挟まれたダークブロンドの女の子が、不思議そうにカナを見上げている。
「わあ、エリアおばさんじゃない?」ジニーが嬉しそうな声を出した。「かわいい。カナに雰囲気が似てるわ」
「そうかな?」
「ええ、そうよ」
 カナは不思議な気持ちで写真の中の親子を見つめた。カナのトランクに入っていたということは、エリアさんはカナの縁者で間違いないのだろう。カナの記憶とつじつまの合わないみんなの話が、カナの胸をちくちくと刺すけれど、カナの分が悪いことはわかっていた。ただ、どうやって折り合いをつけていいのか、これからカナは何をさせられるのか――そういうことを考えて、不安になっていた。
「みんな、まだ話してる?」
「パパとパーシーは、魔法省に向かったわ。日刊予言者新聞があることないこと書いたせいで、対応で忙しくなるみたい。それに、エリアおばさんもついていったわ。何か、確かめたいことがあるって言ってた」
 ジニーが、気遣わしげにカナを上目で見た。
「カナ。心配しなくていいわ。パパが、絶対にカナに負担になるような調査はさせないって、そう言ってた」
「うん――ありがとう」
 そのとき、パッと扉が開いた。入り口に立っていたのはハーマイオニーだった。疲れ果てたように寝室に入ってきて、ベッドに座った。
「男の子たち、いまからクィディッチをするんですって。休んだほうがいいに決まってるのに――ねえ、カナ?」
 すこし不満そうに、ハーマイオニーは言った。カナはあいまいに笑って見せた。
「気分転換に箒に乗ったら、すごく気持ちがいいだろうね」
「じゃ、カナも箒の練習をしないとね」
 ジニーがにやりと口角を上げた。ハーマイオニーもくすりと笑みをこぼす。
「やだよ――怪我したくないもん」



「エリアったら、カナに会わないで帰っちゃうなんて」
 翌朝、朝食のベーコンと目玉焼きをたっぷりとカナの皿によそいながら、モリーおばさんがぼやいた。
「カナちゃん、心配しなくていいですからね。厄介なことはぜーんぶ大人たちがなんとかしてくれます」
「おじさんと、パーシーは?」
「日付が変わる頃に帰ってきて、日が昇りきる前に家を出ましたよ――あんなんじゃ、数日もしないうちに体を壊してしまうわ」
 ぶつくさと言いながら、おばさんは今度はトーストの山をテーブルに運んだ。カナはそこから一枚引っ張って、熱いうちにかじった。
「おばさんも寝てないんじゃないですか?」
「ええ、でも――あの人たちが苦労しているんだから、私も頑張らないとね」
 おばさんは複雑そうに笑って、カナにウインクを飛ばした。カナもあいまいに笑みを返した――カナのことを勇気づけようとしてくれているんだろう。いつでも明るく振る舞うモリーおばさんのことを、カナは心の底から尊敬していた。
「ああ、カナ。アイスクリームを作ってあげるって、約束していたのにね。ごめんなさい、すっかり忘れちゃって――」
「ううん。おばさん、大丈夫だよ」

 あの夜のことを書いた「日刊予言者新聞」の記事を、カナも見た。
「――森のはずれにて、怯えながら情報を今か今かと待っていた魔法使いたちは、魔法省からの知らせに皆、失望させられた。『闇の印』の出現からしばらくして、魔法省の役人が姿を現し、だれも怪我人はなかったと主張。それ以上の情報の提供を拒んだ。それから一時間後に数人の遺体が運び出されたという噂を、この発表だけで打ち消すことができるかどうか、大いに疑問である――」
 新聞をばさりと置いて、カナは眉根を寄せた。
「なに、これは」
「僕らみーんな、そう思ってるさ」ソファーで今月号の「ザ・クィディッチ」を読んでいたチャーリーが言った。「嘘八百だ。あることないことばっか書きやがるんだ、あのリータ・スキーターって女は」
「そのうえ、特技は中傷記事ときた」窓際のサボテンを手入れしながら、ビルが言った。「まるで魔法省が悪いみたいな書き方だ。悪いのは闇の魔法使いたち。違うか?」
「カナ、あの女に嗅ぎつけられないように気をつけろよ。好き放題言われるぜ――」
「大丈夫だよ、ホグワーツにはダンブルドアが認めた人しか入れない」
「ああ、ダンブルドアがあの女をお断りする理由があればいんだが――」
 リビングの隅っこで、フレッドとジョージが額を突き合わせてなにかこそこそと話し合っているのを、カナはじっと見つめた。ふたりは熱中して、カナの視線に気づきやしない。手持ち無沙汰で浮かない時間を、カナはどう過ごすか悩んでいた。男の子たちには箒がある。ハーマイオニーは予習に読書と、むしろ時間が足りないくらいだ。ジニーも、こまごまと自分の時間を過ごしていた。
 フレッドが相手してくれないと、カナは今まで「隠れ穴」でどんなふうに過ごしていたのか、忘れてしまった。この家で過ごすとき、たいてい、フレッドがカナの手を引っ張って、なにか楽しいことに引き込んでくれていた――カナにも趣味と呼べるものがあれば良かったけれど、考えてみたら、一人でできることがカナには思い当たらなかった。
 カナはぼーっと空想した。猫になって、オッタリー・セント・キャッチポール村を歩き回ったら面白いだろうか。あそこには魔法使いが住んでいるんだろうか。マグルのみんなは、いったいどんな暮らしをしているんだろう――そういえば、次のマグル学の授業ではどんな課題が出されるだろうか。マグル学はカナにとってはちんぷんかんぷんなのだけれど、授業自体は楽しくて、気に入っていた。あとは成績が少しでも上がればいいのだけれど――
「カ・ナ!」
「――えっ? なあに?」
 大声にびっくりして、カナは飛び上がった。呼びかけていたのはハーマイオニーだ。
「ぼーっとしてないで、部屋に置いてある新しい教科書、あなたも確かめたら?」
 その提案は、まるで頭の上に枕が落ちてきたみたいな衝撃をカナに与えた。

 カナのトランクのそばには、四年生用の教科書とともに、新品の制服用ローブが畳んで置いてあった。それを広げて、カナはTシャツの上から着てみた。裾まで長さがピッタリで、今までの子どもっぽいリトルローブと違って、カナは嬉しくなった。それをもう一度ていねいに畳んでトランクに仕舞っていると、一番下に、制服用の真っ黒のものとは違う、キラキラしたローブがあるのに気がついた。
「なあに、これ? 誰か間違えてる?」
「それ、正装のドレスよ。エリアおばさまが準備してくれたんじゃないかしら」
 ハーマイオニーが、「基本呪文集・四年生用」から顔を出しながら言った。
「今年の準備リストに書いてあったの」
「ええ?」カナは顔をしかめた。「ドレスって――ハーマイオニーも準備したの?」
「モチの、ロンよ」
「どんなの?」
「そりゃあ――」ハーマイオニーはわずかに、栗色の目を泳がせた。「パーティーのときのお楽しみよ」
 カナは目をパチパチしながら、そっとドレスローブを広げてみた。黒いふわりと広がるキラキラの生地に、木苺のような粒々した飾りがいくつも縫い付けられていた。パッと見たところ、あまりかわいいとは思えなかった。
「うわあ、毒きのこみたい」
「カナ、きっと楽しいパーティーが待ってるわよ」
 ハーマイオニーが、カナを励ますように言った。
「そうだといいけど」
「フレッドがエスコートしてくれるじゃない?」
 その名前を聞いて、カナはあわくため息をついた。
「どうしたっていうの?」ハーマイオニーが本を閉じて、カナのほうへ歩み寄ってきた。
「うん――帰ってきてから、あんまり、フレッドと話してないから」
「『悪戯専門店』でしょ。応援してあげたらいいじゃない?」
「もちろん、応援はするよ。でも、なんか、話しかけづらくって」
 カナは、トランクをパタンと閉じた。立ち上がると、ハーマイオニーを見上げた。
「ねえ、鶏に餌をあげる時間なんだ。一緒に行かない?」
「ええ――ええと、ウン、いいわ」
 ハーマイオニーはすこし微妙な反応だったけれど、頷いてくれた。

 一週間がのろのろと過ぎていった。その間、パーシーもアーサーおじさんも、カナたちが起きている時間にはほとんど家にはいなかった。ようやく、明日ホグワーツへ発つという日の夜、夕食を終えてみんなが足を伸ばしているとき、パーシーが帰ってきた。
「一週間ずーっと、何と戦ってたと思う?『吠えメール』さ。ずっと火消し役だった。次々と送られてくるんだ――当然、すぐに開封しないと爆発する。そのおかげで僕のデスクは焼け焦げだらけだし、一番上等の羽根ペンは灰になるし」
「どうして『吠えメール』がくるの?」
 暖炉の前で、ジニーが、スペロテープで「薬草ときのこ千種」を繕いながら、パーシーに聞いた。そのすぐ横で、カナも同じように、「中級変身術」の教科書を繕うのを手伝っていた。
「ワールドカップでの警備の苦情だよ」パーシーのくたびれた声だ。「壊された私物の損害賠償を要求してる。マンタンガス・フレッチャーなんか、寝室が十二もあるジャグジー付きのテントを弁償しろと来た。だけど僕はあいつの魂胆を見抜いてる。棒切れにマントを引っ掛けて、その中で寝てたという事実を押さえてる」
 パーシーが喋る以外には、雨が窓を打つ音が聞こえてくるばかりだ。フレッドとジョージは相変わらず部屋の隅っこでなにか隠しているし、ハリーは「箒磨きセット」でファイアボルトの手入れをしていた。ハーマイオニーは新しい「基本呪文集」を読み耽っている。ビルとロンのチェス勝負は拮抗しているようだし、チャーリーは仕事で使うドラゴン革の防火頭巾を繕っていた。
 モリーおばさんがちらりと柱時計を見上げた。九本の金色の針には、家族の名前が彫られている。文字盤には時間ではなく、家族の居場所が書かれている。いま、八本の針は「家」を示していたけれど、いちばん長いアーサーおじさんの針だけは「仕事」を指していた。
「お父さんが週末に仕事にお出かけになるのは、『例のあの人』のとき以来のことだわ」
 おばさんが、心ここに在らずといった感じで言った。
「お役所はあの人を働かせすぎるわ――」
ふぁっくちゅん!
 カナの盛大なくしゃみが、リビングに響いた。みんな笑ったけれど、モリーおばさんだけは立ち上がった。
「まあ、まあ。カナちゃん。風邪をひいたらいけないわ。ひと足先にベッドに入って、おやすみなさいな」
「でも――」カナはちらりとフレッドを見た。フレッドは、モリーおばさんがカナのそばに近寄るのを見ると、フッと視線を手元の羊皮紙に戻した。
「明日は大事な出発日よ。熱でも出したら、台無しになるわ」
「うん――」
 カナは修繕した教科書をジニーに渡し、「それじゃ、おやすみ」と言って、ひとり寝室に向かった。その寂しい背中を、誰か追いかけてきてはくれないだろうかと、カナは空想していた。

 静かな階段には、雨の音だけが響いて聞こえてくる。
 カナは少し、涙が出そうだった。もともと泣き虫なカナだけれど、いまはひどく感傷的になっているみたいだった。
 寂しかった。この「隠れ穴」にいるときは、フレッドがずっとそばにいてくれるものだと思っていた。手紙でやりとりしているあいだのほうが、よっぽど言葉が多かったんじゃないかと思う。
「ラ――ラベンダーズ、ブルー、ララ、ララ――」
 パジャマに着替えて、冷たいベッドに潜り込みながら、カナはふと口ずさんだ。去年の夏にくすんだシーツの中で聴いた、マグルの童謡だ――それはあまりよい思い出ではなかった。けれど、なぜかいまは、カナの心をなぐさめてくれた。
 ああ、誰かの腕の中で眠るのは、たしかにカナを寂しくはさせなかった。そばで誰かが眠る夜は、たしかにカナを孤独にはしなかった。そんな気持ちは、カナが年頃だからそう思うだけなんだろうか。この世にたったひとりぼっちのカナを慰めてくれるひとは、いくらでもいるだろう。でも、何も言わずともそばにいてくれるひとは、何人いるだろうか――寝付けない夜に、多感な胸をちくちくさせながら、カナは目を閉じた。







 今朝のカナの体調は最悪だった。着替えもせず、髪もとかさず、ぼーっとする頭でよろよろと階段をくだっていると、後ろから降りてくるビルに捕まえられて、ジニーの部屋のベッドへとふたたび押し込まれるはめになった。
「こりゃひどいぞ」
 そう言って、ビルとチャーリーはキッチンへ向かい、今度はモリーおばさんがやってきた。
「朝食に降りてこないと思ったら――まあ、まあ、まあ――どうしましょう。エリアを呼ぶべきね――」
「おばさん」
 掠れた声で、カナが言った。
「ホグワーツに行ったら、スネイプ先生に薬を作ってもらえるから――列車に遅れちゃう――」
 静止を振り切ってカナは無理やり起きて、のろのろと着替えた。しかたなく、おばさんはカナの髪をとかしてくれた。
 キッチンでは、カナは真っ赤な顔でミルクをちびちびとすするだけで、朝食らしいものは食べられなかった。断片的に聞いている限りみんなの話では、アーサーおじさんは、緊急の仕事が入って見送りには来られなくなったらしく、代わりにビルとチャーリーが来てくれるみたいだった。パーシーも仕事に行かなければならないと言ったそうだ。
 ロンドンまで行くために、おばさんが村の郵便局からマグルの「タクシー」という車を、三台呼んだ。昨日から降り続いてる雨のせいでぬかるんだ庭を、タクシーの運転手たちは七個の大きな旅行用トランクを詰め込んで、興奮状態でキーキーわめくヘドウィグとピッグ――ロンの新しいフクロウのピッグウィジョンを運ぶのに苦労しているのを、カナはフレッドに支えられながら見ていた。
 いつのまにやらタクシーにみんな乗り込んで、車は走り出していた。カナはフレッドにぐったり寄りかかっていて、濡れた体がくっついているのがじめじめと心地悪かった。けれど、その相手がフレッドなことが、ほんの少しだけ嬉しかった。

 ホグワーツ特急に乗り込むまでのことは、カナはうろ覚えだった。キングス・クロス駅に着くまでに雨足はさらに強くなり、荷物をおろすあいだに全員がずぶ濡れになるほどだった。
 気がつくと、すでに列車は走り出しているさなかで、目の前にジニーとジョージが座っているのが、傾いて見えた。
「あっ、カナ――眠ってていいのよ」
 カナはフレッドのかたい太腿に頭を預けて、コンパートメントの座席に横になっていた。
「なんか食うか?」
 そっと身を起こして、フレッドの提案に首を横に振った。まだ熱に浮かされて朦朧としたまま、カナはフレッドの肩にもたれかかって、そのまま目を閉じた。
 おそらく、カナが眠っているあいだに、何人かの友人たちがコンパートメントを訪ねてきたのが遠くで聞こえていた。しかし、カナの体調がすぐれないことがわかると、みんなすぐに引き返していったみたいだ。フレッドもジョージも、ジニーも、久しぶりに会う友だちと話して遊びたいだろうに、付き合わせてしまって申し訳ないと思った。
「ごめん――」
 小さな声でカナがつぶやくと、フレッドの手がそっとカナの髪を撫でた。「気にするな」と言ってるようにも聞こえたけれど、カナはまた気を失うように眠りに落ちていった。







 おそらく、カナはホグワーツに着くなり、医務室に運ばれたに違いない。そしてスネイプ先生の処方を受けて、一晩眠ったのだと思う。
「ミス・エリオット、目が覚めましたか?」
 カーテンがめくられ、校医のマダム・ポンフリーのしかめ面が顔を出した。カナが目を開けて返事をするまでもなく、マダムは検温をしながらつらつらと話し始めた。
「あんな状態でよくもまあ、ホグワーツ特急に乗ってこれましたね・・・・・・せっかくの歓迎会に参加ができなくて残念でしたわね。一年のあいだに何度も医務室で眠る生徒は何人かいますけれどもね、新学期初日に運ばれてきたのは、十数年前にやんちゃな生徒の魔法で馬車に火がついたおかげで絡まって、大勢怪我人が出たあのとき以来ですわ――」
 カナの口から体温計を取り出して、マダム・ポンフリーはうなずいた。
「ええ、退院してかまいませんよ。ミス・エリオット。スネイプ先生がお薬を出してくださったんです。あとでお礼におあがりなさいな」
「はい、もちろん」
 カナは勝手知ったる手つきで、水差しをゴブレットにかたむけて、水をもらった。それを見ながら、マダムがふと気がついたように言った。
「そうですわ。ミス・エリオット、外傷の応急処置ぐらいはできるでしょうね?」
 とつぜんの問いかけに、カナは目をパチパチしながらも「まあ、はい」と答えた。
「魔法薬の成績もいいとか――たとえばわたくしが『止血薬』と『元気爆発薬』を今すぐ三人分作ってちょうだい、と言ったら、準備できるかしら?」
「まあ、材料があるなら、その程度はできます。ただ、その二つは飲み合わせが悪いんじゃ・・・・・・」
 カナの答えに、マダムはにっこりと笑い、満足そうに頷いた。
「ええ、ええ、ミス・エリオット! それが聞きたかったのです。さあさ、授業が始まってしまいますから、寮へお戻りなさいな――」
 マダム・ポンフリーの質問の意図はわからなかったけれど、お許しが出たので、カナは医務室をあとにした。
 嵐は過ぎ去ったみたいだけれど、空はまだどんよりと曇っていた。カナはまだマグルの服装のまま、朝食に降りていく生徒たちとすれ違いながらグリフィンドール塔へと向かった。しかし、八階の「太った婦人レディ」の肖像画の前に来たとたん、はたと足を止めた。
「合言葉は?」
 婦人レディがふくよかな頬を持ち上げて問いかけるのに、カナは言葉をなくして立ち尽くしてしまった。
 そうだ――新しい合言葉を知らないじゃないか。
 カナが困っていると、肖像画がパッと開いた。中から出てきたのは、ふわふわの栗毛――そう、ハーマイオニーだった。
「まあ、カナ!」
 その後ろから、ロンとハリーも顔を出した。
「もう体調はいいの?」ハリーが聞いた。
「うん。ねえ、合言葉を教えてくれない?」
「『ボルダーダッシュたわごと』よ」ハーマイオニーが朗らかに言った。「ねえ、ゆうべはすごい発表があったの――待っててあげるから、着替えていらっしゃい!」
 女子寮の階段を、一番てっぺんまでのぼる。去年までと変わらない、同じ寝室の、カナのベッドの足元に、古めかしいトランクが置かれていた。カナはローブに着替え、杖をポケットにしまい、ブラシで軽く髪をとかしてから三角帽子を被る。裾の長い新品のローブはまだ慣れなくて、カナはゆっくりと階段をおりた。
「カナ!」
 階下から、呼ぶ声が聞こえた。階段の手すりから見下ろすと、フレッドが手を振っていて、そばにジョージとリー・ジョーダンもいた。
「元気になったみたいだな」
「うん。その、ぼく――昨日、ヘンなことしてなかった?」
 カナは心配になって、フレッドに聞いた。ジョージとリーが、目を合わせた。
「いや?――してないよ。ずっと寝てたし」フレッドが言う。
「『ハグバグ』みたいにくっついてはいたけどな」後ろからリーが、ジョージに抱きつきながら言った。
「ごめんね、その――」カナがまごまごと謝ると、フレッドの手がカナの肩に乗った。
「いいって。謝るなよ。大広間に行こうぜ」
 フレッドがうながして、みんなが歩き出した――その背中を見送りながら、カナは少し心苦しくなった。なんだか、フレッドは気を遣っているように思えたからだ。

「カナ、何から聞きたい?」
 大広間に向かうさなか、ロンがもったいぶって言った。
「それって悪いニュース?」
「まあ、全部を帳消しにするくらい良いニュースもあるさ」
「まず、今年の『闇の魔術に対する防衛術』の先生だけれど」ハーマイオニーが、ロンの言葉に被せるように言った。「ムーディ先生よ」
「カナ、例のマッドアイ・ムーディだ」ロンが言った。
「例の、って」カナが目を瞬いた。「なんの?」
「カナは昨日寝込んでたんだから、その話は知らないわよ」ハーマイオニーがつけ足した。「昨日、ウィーズリーおじさまが緊急で出かけなければいけなかった事件というのが、そのムーディ先生は庭の警備にゴミバケツに呪いをかけていたみたいなの。庭に何かが侵入したってね。それが暴れたからって、『不正使用取締局』がムーディ先生を弁明するために、おじさんは駆り出されたのよ」
「はっきり言って変人だよ。まあ、パパは高く評価してるけど」ロンが言った。
「そんな人が、なんでホグワーツの教師に?」カナが聞いた。
「『闇祓いオーラー』だったって」ハリーが言った。「現役時代は闇の魔法使いを捕まえて、アズカバンの独房を半分以上埋めたってさ」
「それがね」ハーマイオニーが声をひそめた。「歳をとって、なんだか被害妄想が出てるらしいの。でも、凄腕の魔法使いだったのは間違いないわ。ダンブルドアとも旧知の仲らしいの」
「そんなことよりも!」
 大階段にさしかかる頃、ロンが興奮した声を出した。
三大魔法学校対抗試合トライウィザード・トーナメントだ!」
 ハーマイオニーとハリーも、にっこりと笑った。まるでカナの反応を待っているようだった。
「なあに、それは?」
 カナが聞くと、ロンが満足そうに頷いた。
「パーシー達がずっともったいぶってたのがコレだよ――魔法省の『国際魔法協力部』と『魔法ゲーム及びスポーツ部』が噛んでるんだ!」
「イギリスのホグワーツ、フランスのボーバトン、北極圏のどこかにあるダームストラング」ハーマイオニーが得意げに言った。「ヨーロッパの三大魔法学校が、伝統的に行ってきたのよ。数百年前に死者の山ができるまではね」
「死者の山?」カナが繰り返したけれど、誰も気にしていないようだった。
「代表選手が各校一人ずつ選ばれるの。もちろん、とっても危険だから、未成年はエントリーできないわ。十七歳上の魔法使いか魔女のみ」
「あーあ! 双子より一年早く生まれてりゃあなあ――」ロンが天を仰いだ。
「そんなに危険なのに、ロンは参加したいの?」
 カナがびっくりして聞くと、頭上からロンの顔がカナを覗き込んできた。
「賞金、なんと、一千ガリオン!」ロンが人差し指をピッと立てた。
「おお・・・・・・」カナは両手で口元を隠した。
「優勝できなくったってさ、その学校の代表選手だぜ? やるしかないよな?」
「ロンはエントリーできないでしょ? 十七歳じゃないんだから」
 カナの言葉に、ロンはチッチッと舌を鳴らした。
「フレッドとジョージが年齢を誤魔化す方法を考えてるんだ。そしたら僕らだっていけるだろ?」
「まあ、ダンブルドアを出し抜くなんて、私たち全員が知恵を絞ったって不可能に近いわよね?」
「なんだよ、今に見てろよ――」
「ロン、あなたは何もしてないじゃない」
 大広間につくと、四年生用の時間割が配られていた。カナたちはそれを受け取って、グリフィンドールのテーブルにつく。
「どれどれ・・・・・・今日はまあまあだな。午前中は屋外での授業」
「『薬草学』に、『魔法生物飼育学』」
「あーあ、またスリザリンと一緒だ」
「それに午後は『占い術』が二限続きだ」
 ロンとハリーがうめいていた。「占い術」の授業はとても人気があるけれど、ふたりは担当のトレローニー先生のことが大嫌いだった。
「あなたも『占い術』を辞めればよかったのよ。私みたいに」ハーマイオニーがトーストにバターを塗りながら言った。「そしたら、『数秘術』みたいなもっときちんとした科目が取れるのに」
「おやおや、また食べるようになったじゃないか」
 ロンが目を細くして、ハーマイオニーに言った。カナはヨーグルトにはちみつをまぜながら、首をかしげた。
「ハーマイオニー、どうかしたの?」
「カナ、この素晴らしい食事は誰が作っているのか知っていて?」
 ハーマイオニーが意志の強い栗色の目で、カナを刺すように見た。
「うん。ハウスエルフたちが、地下の厨房で作ってるんだよ。去年シリウ――」カナはあわてて咳払いした。「――あの犬・・・にご飯を持って行くとき、いつも用意してもらってた」
「カナ、知ってたんじゃない!」
 ハーマイオニーが髪を膨らませた。
「ハウスエルフ達がホグワーツで奴隷労働に従事してたって、知っていて教えてくれなかったのね!」
「奴隷だなんて」カナはすこし萎縮しながらハーマイオニーを見た。「ハウスエルフは好きで働いてるんだよ。ハーマイオニーが好きで勉強してるのと一緒」
 カナの言葉に、ロンが魔女かぼちゃジュースを吹き出した。
「私、知らなかったの」ハーマイオニーが姿勢を正して、ジャムを追加したトーストをかじりながら言った。「お給料も、お休みもないんですってね。だからショックで――昨夜は食事をいただく気がしなかったのよ」
「ハーマイオニーでも知らないことがあるなんてね」カナもヨーグルトを口に運んだ。「ぼくらの寝室を掃除したり、洗濯場に置いたローブはハウスエルフがぜーんぶ綺麗にしてくれてるんだよ?」
「私、考えてるのよ」ハーマイオニーは気にせずに言った。「ハウスエルフの権利を主張するには、もっと良い方法があるってね」
「どうしてそんなにこだわってるの?」
「どうしてですって?」ハーマイオニーは眉をつりあげた。「カナ、あなたも可哀想なウィンキーちゃんの姿を見たでしょう! 嫌なことも怖いこともかまわず従わされて――『いいえ』と言えない相手に向かって強制するのは許されないことです!」
「でもそれがあの子達の主従関係だし――」
「カナ、やめとけよ」ソーセージを口いっぱいに頬張りながら、ロンが言った。「ハーマイオニーは、エルフたちが人間と同じように見えてるんだよ。ほら、手と足が二本ずつあって、言葉を話すだろ?」
「あなたの挑発には乗らないわ、ロン」
 その時だ。頭上で、羽ばたく大群の音が聞こえてきた。開け放たれた窓から何百というフクロウが飛び込んでくる。朝の郵便だ。何匹ものフクロウたちが頭上を旋回するので、カナは残りのヨーグルトをぜんぶ口の中に入れた。羽根が落ちてきたり、たまにはフンを落とされることもあるからだ――
 しかし、思いがけず、カナの目の前にワシミミズクがドスッと降り立った。頭のてっぺんが禿げたような、褐色のくりくりした目をもつワシミミズクだった。
「スキャントリー!」
 夏じゅう、フレッドに手紙を運んでくれた、カナの家にいるフクロウだった。足にくくりつけられている手紙をはずし、カナはテーブルの上のビスケットを砕いて、手のひらに乗せてやった。するとスキャントリーは喜んで、ビスケットのかけらをつまんでいる。
 手紙をひっくり返した。差出人は「エリア・エリオット」と書かれていた。カナはわずかに緊張した――カナにとっては、見知らぬ人で――でも、カナの母親だとみんなが言う魔女だ。カナはスキャントリーが満足するのを待って、手紙を開けた。内容は、かすれた字で簡潔に書かれていた。

「カナへ。
 まだ信用してもらえていないと思うけれど、伝えなければいけないことがあるので、手紙を書いています。
 諸事情があって、あなたの友達の黒い犬とヒッポグリフは隠れ家を変えるわ。あの家に彼らが長くいると、不都合な部分もあったから。『忠誠の術』で、彼らの居場所を完全に隠すことにしたの。そうすれば吸魂鬼ディメンターに怯えずに済むし、早くこうしていればよかったわね。学友に隠し事をするなんて心苦しいものね。だから、これまでのことをあまり気に病まないで。
 ハリーもきっとわかってくれるわ。何の慰めにもならないかもしれないけれど、あの男は、約束をきちんと守る人だから。
 この間の晩は、あなたの前で取り乱してしまって、ごめんなさいね。あなたに害を与えた人物については、こちらで調べているわ。ただ、ホグワーツでも油断しないで、ひとりになることがないように気をつけて。ダンブルドア先生は事情を知ってくださっているわ。何かあれば、すぐに先生がたを頼ること。
 それから、あなたがスリザリンじゃなくてよかったって、心の底から思っているわ。
 健康を祈っています。エリアより」

 カナはそっと手紙を折りたたんだ。エリアさんを信用していないわけではなかった。ただ、母親がいないものとして育ったカナにとっては、この人を「おかあさん」と呼ぶのは難しかった。それに、内容からして、エリアさんがカナの母親だというのは本当なんだろうとも思う。そんな、自分のことを守ろうとしてくれている人に、「知らない人」としか言えないのも、気の毒だった。
 ふと、封筒の奥底に、小さな袋が入っているのに気がついた。それを取り出して、そっと開く――植物の種が入っていた。小さなメモも一緒だった。

「満月草の種を分けてあげる。教科書と睨めっこしながら、育ててみて。きっと月の満ち欠けを覚えるのに役立つわ」

 どうして、カナが「天文学」を苦手としていることを、エリアさんは知っているのだろう。



20241105


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