例の掲示物がされてから、城の雰囲気がガラリと変わった。どこへ行っても、「トーナメント」の話題で持ちきりだ。一週間、みんな、当日の夜が待ちきれないとばかりにそわそわしっぱなしだ。試合の内容はどんなものなのか、ボーバトンやダームストラングの生徒たちはどんな感じなのか、と。
 城の床が、以前に増してぴかぴかに磨き上げられているのにも、カナは気がついた。額縁が曲がって掛かっているのは許されず、煤けた肖像画は特注の汚れ落としで磨かれて、磨かれ過ぎたせいで顔が赤く擦れているのを気にして隠したりしていた。甲冑たちも鏡のようにピカピカに磨かれて、油も差されてギシギシ軋む音がなくなった。ホグワーツ城の管理人のフィルチさんは、生徒の靴が汚れているとヒステリックに叫んで、必ず泥を落として城に入るようにとひどく脅していた。ピリピリしているのは管理人だけではない。先生がたも、緊張感を漂わせていた。

「カナ。お前さん、代表選手がどうやって選ばれるのか、マクゴナガルに聞きに行っちゃくれないか?」
 十月三十日の朝。談話室を出て階段を下っていると、フレッドがジョージを伴いながら、カナに話しかけてきた。
「・・・・・・やっとぼくのこと思い出したんだ」
「なんだよ、カナ。この間から、何を怒ってるんだよ?」
「怒ってないよ」
 そうは言うものの、カナはやっぱりフレッドに対して、あきらかに突き放すように言った。ここ二か月ほど、フレッドはカナのことをほとんどほったらかしにしていたのだ。寂しかったよ、なんて、素直に言うには、ちょっとカナのプライドが気持ちに追いついていない。
 カナの肩に、フレッドの大きな手が回る。しかし、カナはそっぽを向いた。
「都合がいいときだけぼくを使おうとして」
「脳みそをフル回転して考えてるんだよ。お前も協力しちゃくれないか?」
「何をしようとしてるのかも、ぼくは聞かされてないよ」
「なんだと? おいおい――そんなの、ちょっと考えりゃわかるだろ。トーナメントにエントリーする方法に決まってる!」
 ひそひそと、フレッドはカナの耳元でささやいた。カナは息を吸って吐き、意を決して眉をひそめてフレッドを見上げた。
「そりゃ、ぼくは察しも悪ければものも知らないけどね。今年だけで言えばきみと話した時間は、他寮の子と話す時間よりずっと少ないよ。そんなので、どうやって協力しろっていうの?」
「拗ねてるってか。僕がお前と話さないから?」
 フレッドは、そんなことを思いつきもしなかったようで、目を丸くして言った。視界の端で、他の生徒たちが二人とそっと距離をとるのが見えた。
「たったそんだけのことをか!」
「フレッド、きみはよくそう言うけど、ぼくには大きなことなんだ」
 そっと、カナの肩から手が離れた。
「僕のことを避けてるのはお前のほうだろ、カナ」
「ぼく?」
 フレッドはポケットに手を突っ込んで、つまらなそうに言った。
「お前が話しかけてくりゃ、済む話じゃあないか?」
「それができたら、こんなことになってないよ。だって忙しいんでしょ、たまに顔が怖いよ。そのくらい、夢中になることが、いっぱいあるんでしょ、今は」
 フレッドが押し黙った。カナは虚しい気持ちになりながら、言葉を続けた。
「いいよ、べつに、フレッドが相手してくれなくたって・・・・・・ぼくにも友だちはいるもんね。たとえば、そうだね、最近は、セドリックはぼくのこと気にしてくれてるし」
 フレッドが足を止めた。両肩を勢いよく掴まれて、カナも足を止めるはめになった。踊り場のど真ん中で、二人は向かい合わせになった。
「なんであいつが出てくるんだよ?」
「夏休みに何があったか、もう忘れちゃったんだね」
 カナは悲しみを滲ませながら、じっとフレッドの薄茶色の瞳を見つめた。
「ぼくが無事かどうか、何か変なことが起こってないか、気にしてくれてるよ。『今日は元気?』とか、『困ったことはない?』とか、会うたびに声をかけてくれる」
 フレッドのまぶたが、すこし怖い動き方をした。しかし、カナも怯まなかった。
「間抜けのお節介野郎みたいにしろってか?」
「ぼくの友達をそんなふうに呼ばないで!」
 カナの声が大理石の階段に響いた。
「ああ――だったら、そいつとよろしくやりゃあいいだろ。過去のことをいつまでも引っ張り出してるやつなんて、間抜け以外のなんでもないからな。やつが好きなら、最初からそう言えよ!」
 ビリビリと、フレッドの声が頭に響く。ちくちくと痛む胸をローブの上から掴んで、うまく返答することができなくて――こんどはカナが押し黙った。
「・・・・・・なあ、どうなんだよ。あいつが好きなのか?」
 フレッドが、勢いをなくして、悲しげにカナを見つめていた。うつむいて、視線から逃れて、カナはか細い声で返した。
「ちがうよ・・・・・・でも今は、心地のいい言葉をくれるのは、きみよりも彼のほうだよ」
 顔を上げられないでいると、特大のため息が聞こえてきた。
「カナ、わかってるか? お前、去年の夏と同じこと言ってるぞ。つまり、そういうことだ、な?」
 その言葉に、カナはついに目頭が熱くなるのを感じた。フレッドはつまり、それは逃げているだけだと、そういうことを言いたいのだと、カナも気がついたからだ。
「頭を冷やそうぜ。僕も、もだ」
 フレッドの足が視界から消えた。顔を上げると、早足で階段を下る後ろ姿が見えた。他の生徒が、カナの周りを避けてそっと通り過ぎていくのを見て、カナも歩き出した――とても朝食が喉を通るような気分にはなれなかった。

 その一日を、カナはどんなふうにやり過ごしたのか思い出せなかった。期待に浮き足だった生徒たちの中で、カナだけが憂鬱に表情を曇らせている。
 通行人が大勢いたのだから、今朝のうわさが出回るのも早かった。薬学の授業で、ガートが心配そうにカナに話しかけてきたけれど、その中身はちっとも覚えていない。あいまいな相槌しか返さないカナに、早々にあきれていたような気もする。
 なぜ気分が落ち込んでいるのか、ほんとうのところはカナにもよくわかっていない。フレッドがカナの気持ちをわかってくれないからだろうか。カナも、あえてセドリックの名前なんか出して、フレッドを傷つけたからだろうか。それとも――それとも、素直に「寂しかった」と言えなかったことを後悔しているのだろうか。
 授業が終わり、みんなが急ぎ足で自分の寮へと戻るなか、カナがのろのろと歩いていると、目の前に誰かが立ちはだかった。カナは顔を上げた。
 ジニーだ。困惑したような表情で、心配そうにカナを見ていた。
「大丈夫?」
 カナは言葉を紡ぐことも億劫で、ゆるゆると首を横に振った。ジニーはいま階段を降りてきたばかりだけれど、カナに付き添ってグリフィンドール塔へと共に向かってくれた。
「どうしてケンカしちゃったの? またフレッドが良くないことを言ったのかしら? あたしがガツンと言ってやるわ――」
「フレッドは悪くないよ」
 小さな声で、カナは言った。半日考えた結果、カナはそう思っている。
「ぼくがバカなんだ」
「カナ。そんなふうに言っちゃダメよ」
「ぼく、去年の家出の時から、なんにも変わってないみたい」
 ジニーが黙った。カナが階段をのぼるために顔を上げると、全身がピクリと固まった。ちょうど、フレッドとジョージ、そしてリーの三人が、カナたちとすれ違うところだった。ジョージとリーは、「やあ」とカナとジニーに微笑みかけたけれど、フレッドは目をそらしていた。
「・・・・・・ぶつかり合いのケンカになるときって、お互いに原因があるのよ」
 三人が声の聞こえない距離に行ったのを確認して、ジニーが言った。
「パパがよく言ってるわ」
「アーサーおじさんが言ってることなら、間違いないね」
 そう言うカナの声は沈みきっていた。ジニーはもどかしそうに、カナの腕を握った。
「カナったら! 今日は歓迎会のパーティーがあるのに、そんな顔でいいの?」
「ああ、うん、そっか」カナはわずかに口角を上げた。「お客様が来たら、笑顔でいないとね」
 そのいびつな表情に、ジニーは呆れ半分、心配半分といったところだろう。

 カナたちが玄関ホールに向かうころには、すでに集まった生徒たちは寮ごとに整列し、城の前へと並び始めていたところだった。
「ミス・エリオットに、ミス・ウィーズリー! 何をしていたのですか、さあこっちへ・・・・・・」
 マクゴナガル先生が手招きして、カナたちを呼び寄せた。玄関をくぐると、夕方の冷たい空気が全身を刺すようだった。一年生を先頭に、学年別に並べられ、カナは前から四列目の、ハーマイオニーの隣へと誘導された。その目の前に、ジニーも並ぶ。
「あら、カナ。わざわざお洒落してきたの?」
 ハーマイオニーが、ハーフアップにしたカナの髪に気がついた。
「ジニーが、気分転換にって、してくれたんだ」
 カナが小さな声で言うと、ジニーが振り返ってウインクをした。ハーマイオニーも小さく微笑んだ。カナはすこし落ち着かない気分だった――髪をまとめたリボンは、赤いビロードのものだ。フレッドが買ってくれた青と白は選ばなかった。そのことに、フレッドが気がついてしまわないだろうかと、それが気がかりだった――でも、たぶん、神経質なことを考えているのはカナだけなんだろう。
 夕暮れの、透き通った月が浮かぶ青白い空を、生徒たちはそわそわしながら見上げていた。カナはマントの襟をこれ以上ないほど引き寄せた。
「まもなく六時だ」
 ロンが、正門から続く馬車の道を見つめながら言った。
「どうやって来ると思う? 汽車かな?」
「違うと思う」ハーマイオニーが言った。
「じゃ、何だろう。箒かな?」ハリーも空を見上げながら言った。
「それも違うわね、ずっと遠くから来るのだし・・・・・・」
「ポート・キーか?」ロンが意見を次々と出した。「さもなきゃ、『姿現し』かも――どこだか知らないけど、あっちじゃ、十七歳未満でも使えるんじゃないか?」
「ホグワーツ校内では、『姿現し』はできません。何度言ったらわかるの?」ハーマイオニーが厳しく言った。
「ヒッポグリフかもよ」カナがぽつんと言った。三人が、こちらをパッと見たので、続けた。「冬になると、群れで長旅をするんだって――どう?」
 ハリーが、ニヤリと口角を上げた。
「そりゃいいね。ハグリッドが大喜びするさ」
「そんで、マルフォイのやつは片腕生活ふたたび、だ」
 ロンのヒソヒソ声に、四人はクスクスと笑った。すぐそばをマクゴナガル先生が通り過ぎて、おおきな咳払いをしたので、顔は笑ったまま、静かにするはめになったのだけれど。
 その場にいる全員が、少しずつ興奮を高めながら、暗闇が濃くなっていく校庭を眺めた。しかし、なんの気配もない。静かな、いつも通りの校庭がそこにあるだけだ。光ひとつ見られなかった。だんだんと気温が下がっていくのを、むずむずと耐えながら、カナは空に目をこらした。
 そのとき――最後列の教師陣から、ダンブルドアが声をあげた。
「おお! わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいてきておる!」
「どこ?」
 生徒たちが、あちこちばらばらの方向を向いて探した――しかし、カナには見えていた。ちょうど見上げていた上空に、なにか動くものが見えた。
「あそこだ!」同時に、上級生のひとりも気づいたらしい。上空を指差して叫ぶと、みんながいっせいに空を見上げた。
 いまやその影は、ぐんぐんと近づいているのがわかる――影を大きくしながら、ものすごいスピードで飛んできている。
「ドラゴンだ!」
「バカ言うなよ、あれは空飛ぶ家だ!」
 一年生が甲高い声で言い合っているのが聞こえたけれど、どちらも違った。
 禁じられた森の梢をかすめたとき、城の窓から漏れる明かりが巨大な影をわずかに照らした――それは、巨大なパステル・ブルーの馬車だった。立派な館ほどの巨大な馬車が、十二頭のこれまた巨大な天馬に引かれながら、こちらに向かって来る――
「落ちてくる!」
 前の三列の生徒たちが、ものすごい勢いで突っ込んでくる馬車を見て後ろに下がり、カナたちの列にも一年生が飛び込んできた――
 ドーン!と、金色の天馬が着地した。ディナー用の大皿よりも大きな蹄が、地を蹴った。その直後、巨大な馬車も降ってきて、金色の車輪がバウンドして、やがて静かになった。
 ボーバトンの金色の紋章――二本の杖が交差して、それぞれが三つの星を放っている――それが描かれた馬車の扉が、ゆっくりと開いた。
 淡い水色のローブを着た少年が、真っ先に飛び降りた。生徒かと思ったけれど――馬車の底をごそごそと探り、金色の踏み台を引っ張り出した。少年がうやうやしく飛び退くと、馬車の中から、ピカピカに磨かれた黒いハイヒールが現れた――カナが使っている枕みたいに大きい足だ――やがて見えた影に、何人かが息を呑んだ。
 見上げるほど大きい――おそらく、ハグリッドに負けないくらい大きいだろう。その人が足を踏み出して、開け放たれた玄関から溢れ出る光の中に入ると、ようやく顔が見えた。
 陶器のような小麦色の肌。切れ長の目には、黒い大きな瞳が収まっていた――その目は、出迎えるために集まったホグワーツの生徒たちをぐるりと見回している――鼻は高く尖っていて、黒髪は見事に結い上げられていて、ツヤツヤと輝いていた。ものすごく大きい女性という点を除けば、バーベッジ先生が教室に飾っているマグルのおもちゃの「ドール」のようだと思った。黒いサテンのドレスを身に纏い、見事なオパールがいくつも、首元と指で輝いている。
 ダンブルドアが拍手した。つられて、生徒もいっせいに拍手した。何人もの生徒が背伸びして、客人の女性を見ようとしている。
 女性は表情をやわらげ、優雅に微笑んだ。そしてダンブルドアに近づくと、きらめく片手を差し出した。ダンブルドアもうんと背が高いけれど、その手にくちづけを送るのに、体を曲げる必要がまったくなかった。
「これはこれは、マダム・マクシーム」
 ダンブルドアが挨拶した。
「ようこそ、ホグワーツへ」
ダンブリードール・・・・・・・・
 マダム・マクシームが、深く響く声で言った。
「おかわーり、ありませーんか?」
「おかげさまで、すこぶるよい」ダンブルドアが答えた。
「ワタシのせいとでーす」
 マダム・マクシームは、巨大な手を片方、後ろにひらりと回した。見ると、いつのまにかマダム・マクシームの後ろには、十数人の、おそらく十七、十八歳ほどの男女生徒が立っていた。みんな淡い水色の絹のような薄いローブを身につけていて、そのほとんどがマントを身につけていないので、寒そうに震えていた。何人かはスカーフを被ったり、ショールを纏ったりしていたけれど――セーターにマントを着込んでいるカナでさえ寒いのだから、あの生徒たちはそれ以上だろう――不安そうに、マダム・マクシームの影の中から、ホグワーツ城をちらりと見ていた。
「カルカロフはまーだ、きませーんか?」
「もうすぐ来るじゃろう。外でお待ちになられますかな? それとも、城に入られて、少しばかり暖をとられますかな?」
「あたたまりたいでーす。でも、ウーマは――」
「われらの『魔法生物飼育学』の教師が、喜んでお世話するじゃろう」
 ダンブルドアが朗らかに答えた。
「別の、あー――仕事で、すこし面倒があってのう。片づき次第すぐに」
「スクリュートだな、こりゃ」ロンがニヤリと笑った。
「ワタシのウーマたちのせわは――あー――ちからいりまーす」
 マダム・マクシームは心配そうに言った。
「ウーマたちは、とてもつよーいでーす・・・・・・」
「ハグリッドなら大丈夫じゃ。わしが保証しますぞ」
「それはどうもー」マダム・マクシームは軽く会釈した。「どうぞ、そのアグリッド・・・・・に、ウーマはシングルモルト・ウィスキーしかのまなーいと、おつたえくださーいますか?」
「かしこまりました」ダンブルドアもお辞儀した。
「おいで」
 マダム・マクシームは、圧のある声で生徒たちを呼んだ。ホグワーツ生は列を割り石垣の階段を譲り、ボーバトン一行を通した。
「カナ、惜しかったな。でっかいペガサスだなんて」ロンが言った。
「ダームストラングの馬はどのくらい大きいかなぁ?」
 シェーマスが、列から顔を出しながら言った。
「これより大きかったら、ハグリッドでも扱えないだろうな」ハリーが答えた。「それも、ハグリッドがスクリュートに襲われていなかったらの話だけど。いったい何が起こったんだろう?」
「もしかして、スクリュートが逃げたんじゃないか」ロンが、期待を込めて言った。
「ああ、そんなこと言わないで」ハーマイオニーが身震いした。「あんな連中が校庭にうじゃうじゃいたら・・・・・・」
「しかも爆発するし」カナもぽそっと言った。
 ダームストラングの到着を、生徒たちは震えながら待っていた。そのほとんどは空を見上げている――静寂に、巨大なペガサスの鼻息と、地を蹴る蹄の音だけが響いていた。
「――なにか聞こえないか?」ロンが言った。
 みんな耳を澄ませた。地響きのような、雷の唸る音のような――くぐもったゴロゴロという音が、校庭じゅうに響いて、大きくなっていく。
「湖だ!」リーのよく通る叫びが聞こえた。「見ろ!」
 玄関からは、湖の黒く滑らかな水面がよく見える――穏やかだったその湖面が、突然乱れ、中心部にボコボコと巨大な泡が湧き出した。波が起き、岸辺を叩いている。そして、泡を吐く中心部が渦を撒き始めた。巨大な渦巻きが、湖を吸い込んでいるかのようだった。
 渦の中心から、黒く長い棒が突き出して、ゆっくりと迫り上がる。
「あれは帆柱だよ、船だ!」
 ハリーが叫んだ。ゆっくりと、堂々と、水面に姿を現したのは立派な船だった。ボーバトンの壮麗な雰囲気とは異なり、無骨な船はどこか骸骨のような雰囲気を漂わせていた。丸い船窓から漏れる仄暗い明かりが、黒い湖の中に浮かび上がって見える。
 ついに全身が顔を出すと、船は波を立てながら岸に向かって滑り出した。しばらくして、岸辺に到着したのだろう、物音がして、やがて乗員たちが船を降りてきた。
 その影は、マダム・マクシームほどではないけれど、全員がずんぐりと熊のように大きい。しかし、だんだんと近づくにつれて、その理由がはっきりした。引率されてきた生徒たち全員が、全身を覆う毛皮のマントを着ているからだった。先頭に立つ男だけは、滑らかな銀色の毛皮を身に纏っている。
「ダンブルドア!」
 坂道を登りながら、男が威勢よく言った。
「やあ、やあ。しばらくぶりだ。元気かね」
「元気いっぱいじゃよ、カルカロフ校長」
 ダンブルドアが挨拶を返す。城の明かりの下に入った時、カルカロフ校長の姿が見えた。ダンブルドアと同じ、痩せた長身で、しかしその銀色の髪は短く刈られている。先の縮れた髭は、やせた顎を隠し切れてはいなかった。カルカロフ校長はダンブルドアに近づくと、両手で親しげに握手を交わした。
「懐かしのホグワーツ城」
 カルカロフ校長は、城を見上げて微笑んだ。愛想のよい聞き心地のよい声を出す喉が、哀愁たっぷりに唸った。しかし、その目は冷たく、笑っていないように見えた。
「ここに来られてうれしい。実にうれしいよ・・・・・・ヴィクトール、こっちへ。暖かいところへ来るがいい・・・・・・ダンブルドア、かまわないかね? ヴィクトールは風邪気味なんだ・・・・・・」
 カルカロフ校長はひとりの生徒を手招きした。こちらの生徒たちもみんな背が高く、十七歳以上なんだろう。呼ばれた青年が通り過ぎるとき、カナは開いた口が塞がらなくなった。真っ黒な濃い眉毛、彫りの深い顔立ち、無愛想で猫背の――
「マーリン、嘘だろ――クラムだ!」
 ロンが呆然と言った。
 ダームストラングの一行が城に入り切ると、ホグワーツの生徒たちも整列してあとに続いた。
「クラムだぜ、ハリー! ヴィクトール・クラム!」
「ロン、落ち着きなさいよ」ハーマイオニーが言った。「たかがクィディッチの選手じゃない」
「たかがクィディッチの選手?」ロンが耳を疑ったようにハーマイオニーを見た。「ハーマイオニー――クラムは世界最高のシーカーの一人だぜ! まだ学生なんて、考えてもみなかった!」
 舞い上がっているのはロンだけじゃなかった。リーもつま先立ちで飛び上がりながら、クラムの後ろ姿を見ていたし、女子生徒が「ああ、どうしたのかしら。わたし、羽根ペンを一本も持っていないわ」「ねえ、あの人、私の帽子に口紅でサインしてくれると思う?」と、夢中でポケットを探っている。
「まったく、もう」ハーマイオニーが、ゴタゴタと騒がしい生徒たちを追い越しながら言った。
「どうして羽根ペンがいるの?」
 カナが呑気に尋ねると、ロンが言った。
「サインだよ、カナ! もらえるんなら、僕が、もらうぞ」
「サインを?」
「カナ、ロックハートが配ってただろう。有名人のサインはみんな欲しがるものなんだ」ハリーがすこし呆れ気味に言った。
 大広間の中は、盛大に飾り付けされていた。壁には各寮の垂れ幕がかかっている。グリフィンドールには赤地に金色のライオンが。レイヴンクローは青にブロンズの鷲が。ハッフルパフは黄色に黒の穴熊、スリザリンは緑に銀色の蛇が。教員のテーブルの背後には、ひときわ大きな垂れ幕が掛かっていて、ホグワーツの紋章が描かれていた。大きなHの頭文字を、獅子、鷲、穴熊、蛇が囲っている。
 四人はグリフィンドールのテーブルについた。ロンがわざわざ入り口の近くを選んで、そこに座った。ダームストラングの生徒たちが、どこに座るべきか迷い、入り口の付近で溜まっていたからだ。ボーバトンの生徒たちは、レイヴンクローのテーブルを選んだ。みんな不機嫌そうに大広間を見回している。三人ほどの生徒が、まだ頭に巻いたスカーフやショールをしっかり押さえていた。
「そこまで寒いわけないじゃない」それを見ていたハーマイオニーがイライラと言った。「あの人たち、どうしてマントを持ってこなかったのかしら。イギリスはフランスよりも寒いって、わかってたはずじゃない?」
「こっち! こっち来て座って!」ロンが歯を食いしばって言った。「こっちだ! ハーマイオニー、カナ、そこをどいて。席をあけてよ――」
「どうしたの?」カナが聞いても、ロンはこっちを見なかった。
「アー、遅かった」
 ロンが悔しそうに言った。視線をたどると、ダームストラングの生徒たちはスリザリンのテーブルについたようだった。
 マルフォイ、クラッブ、ゴイルの三人が、得意そうにグリフィンドールを振り返るのが見えた。そして、クラムの方へ身を乗り出して話しかけている。
「ああ、そうすりゃいいさ、マルフォイ。得意のベタベタを」ロンが毒づいた。「だけどクラムは、あいつのことなんてお見通しさ。きっといつも、みんながじゃれついてくるんだから・・・・・・ねえ、あの人たち、どこに泊まるのかな? 僕たちの寝室に空きを作ったらどうかな、ハリー。僕のベッドをクラムにあげたっていい。僕はソファーで寝るから」
 ロンの語りの最中に、ハーマイオニーが、フンと鼻を鳴らした。
「ダームストラングの人たちは、ホグワーツを楽しんでくれてるみたいだね?」カナが言った。
 ダームストラング生たちはぶあつい毛皮のマントを脱いで、興味津々で夜空を映す天井を眺めていた。何人かは、テーブルに並んだ空っぽの金の皿やゴブレットを持ち上げて、観察していた。毛皮の下には、真紅のローブを身につけている。
「うん、ボーバトンよりは楽しそうだ」ハリーが同意した。
 フィルチさんが、教員席のテーブルに椅子を運んできた。いつかのクリスマス・ディナーで見た、かび臭い燕尾風を着込んでいる。ダンブルドアの両脇に、二つずつ、つまり四つの席を追加した。
「どうしてフィルチは四つも椅子を出したのかな」ハリーが言った。「二人増えるだけなのに。あとは誰が来るんだろう?」
 やがて、生徒たちが全員席につくと、先生がたが一列になって上座のテーブルへと着席した。列の最後にダンブルドア、カルカロフ、マダム・マクシームが連なる。ボーバトン生は、マダムが入って来ると一斉に起立した。ホグワーツ生からいくつか笑い声が聞こえたけれど、ボーバトン生は平然としてまっすぐ前を見て、マダムがダンブルドアの左手に着席するまでは座らなかった。
 全員が座ったのを見ると、ダンブルドアが立ったまま、大広間を見回した。
「こんばんは。紳士、淑女、そしてゴーストの皆さん。そして、今夜はとくに、客人の皆さん」
 ダンブルドアは外国の学生に向かってニッコリと笑った。
「ホグワーツへおいでなさったことを、心から歓迎いたしますぞ。本校での滞在が、心地よく楽しいものとなることを、わしは望み、また信じておる」
 ボーバトンの生徒のひとりが、嘲るように笑った。
「フン、あんたなんか誰も引き留めはしないわよ」ハーマイオニーが、その生徒を睨め付けながら呟いた。
三大魔法学校対抗試合トライウィザード・トーナメントは、この宴が終わると正式に開始となる」ダンブルドアが気にせず続けた。「さあ、それでは、大いに飲み、食い、そしておくつろぎくだされ!」
 ダンブルドアが着席すると、目の前の皿たちが、いつものようにいっぱいに満たされた。いつものメニューのほかにも、見たことのない、馴染みのないいろいろな料理も並んでいた。
「あれ、なんだい?」
 ロンが指差したのは、大きなキドニー・ステーキ・パイの横にある、貝が入ったスープのようなものだった。
「ブイヤベースよ」
「いま、くしゃみした?」ロンがはぐらかした。
「フランス料理です」ハーマイオニーが言った。「去年の夏休み、フランスでこの料理を食べたの。とってもおいしかったわ」
「ええ、信じましょうとも」ロンはブラック・プディングを選び取りながら言った。
 たった二十人ほど生徒が増えただけだというのに、大広間はいつもよりずいぶんと混み合っているように思えた。ホグワーツの黒いローブの中に、違う色の制服が混じっているのが、目立ってしょうがなかった。
 歓迎会が始まって二十分ほど経った頃、ハグリッドが大広間にこっそりと入ってきた。四人を見つけると、包帯でぐるぐる巻きになっている手を振った。
「ハグリッド・・・・・・大丈夫?」
 カナが聞くと、ハグリッドはニッコリ笑った。
「おう、ぐんぐん育っちょるぞ。心配すんな!」
「いや、スクリュートじゃなくて・・・・・・」
「そうだろうと思ったさ」ロンが小声で言った。「あいつら、ついに好みの食べ物を見つけたらしいな。ハグリッドの指さ」
 そのとき、真後ろから軽やかな声がした。
「あーのすみませーん、ブイヤベースたべなーいのですか?」
 ダンブルドアの挨拶のときに笑った、ボーバトンの女の子だった。色白で、長いシルバーブロンドの髪を腰まで垂らし、その目の色は深いブルーだった。マダム・マクシームも「ドール」のようだったけれど、この子のような「ドール」もあるだろうな、とカナは思った。
 ロンが突然黙った。見ると、顔を真っ赤にして、口をパクパクと開き、息を吸っているのか吐いているのかわからない状態だった。
「うん、欲しいならどうぞ」
 ブイヤベースの深皿をカナが引き寄せて、少女へと手渡そうと顔を上げた。
 しかし同時に、少女は空気の音がするほど大きく息を呑んだ。
黒猫ちゃんシャ・ノアール
 つぎの瞬間、カナは少女の腕に抱き込まれ、その薄っぺらい胸にぎゅうぎゅうと押し付けられていた。グリフィンドールのみんながあっけに取られ、困惑していた。もちろん、カナも。
「な、なに?」
「シャ・ノアール! なーんてかわいらしーんでしょーう!」
 硝子細工のようにほっそりした腕が、カナの手首をつかんだ。引っ張られるままカナは立ち上がる。見た目とは裏腹に、あんがい力が強い。
「わたしたーち、いっしょにたべるーことにしましょーう!」
「ちょ、ちょっと」
 少女はしっかりとブイヤベースの皿も持ちながら、ぐいぐいとカナを引っ張っていった。振り返ると、ハーマイオニーたちが唖然としながら、カナが連れ去られるのを見つめていた。
 レイヴンクローのテーブルに到着すると、そのボーバトンの一団の端っこに、カナは押し込まれた。すぐ隣に少女が座り、カナの顔をじろじろと覗き込んでは微笑んだ。
「ぼく、自分の寮で食べたいんだけど・・・・・・」
「わたしあなーたとたべたいでーす。シャ・ノアール」
「それ、シャ・ノアールってなに? ぼくにはカナって名前があるよ」
「おー、キャーナ?」
「カ、ナ」
「カーナ、わたしのなまーえは、フラー・デラクールでーす」
 少女は肩の髪を払い、ふんわりと美しく笑った。
「わたしのかわいいー、シャ・ノアール」
 カナはなんだか調子が崩されながらも、なぜか自分が気に入られたらしいということを苦くも理解した。
「ブイヤベース、あなーたもたべてくださーい。ボーバトンほどのあじでは、ありませーんが」
 口もとにスプーンを差し出される。カナは口を開けることはせず、その持ち手を受け取った。なんだか、犬か猫、あるいは幼い子どもの世話でもされているみたいだった。
「うん、おいしい・・・・・・でも、ぼく、自分で食べられるから」
「もちろんでーす、カーナ」
 周りのボーバトンの生徒たち、そしてすこし向こうのレイヴンクローの生徒たちに、ジロジロと見られながら食事を摂るのはひどく居心地が悪かった――カナは勇気を振り絞って、フラーに声をかけてみた。
「フラー、あのカナッペの皿を取ってくれる? 」
「おー、カーナ。あーれはカナッペといいませーん。わたしたーちはタルティーヌとよびまーす」
「そうなの?」
 肩をすくめながらも、フラーは細長い腕を伸ばして、カナの前にタルティーヌの皿を寄せてくれた。
「テーブルにアルコールあればカナッペでーす。そうでなければタルティーヌ」
「へえ、教えてくれてありがとう」
 カナが微笑むと、フラーは目を輝かせた。
「カーナ。わたしあなーたをみつけられてよかったとおもいまーす」
「どうして?」
 クリームチーズのたっぷり乗ったサーモンのタルティーヌを頬張りながら、カナは聞いた。
「うつくしいヒトのともだち、うつくしくなければいけませーん。わたしそうおもいまーす。ですかーら、カーナ、あなたとわたし、ぴったりでーす」
 ダンブルドアの挨拶を笑ったりしていた時点で変だとは思っていたけれど――このフラーという少女は、相当変わり者に違いない。ちらりと見回したボーバトンの生徒たちも、わずかに冷ややかな目でカナを見ている気がする。もしもひとつ隣のグリフィンドールのテーブルで、ハーマイオニーがこの会話に聞き耳を立てていたら、きっとものすごく怒るだろうな、とカナは思った。
「フラー、きみはそうかもしれないけれど、ぼくはちがうよ。見た目は関係ない。ぼくは、自分が心地よいと思った人と友だちでいたい」
 カナの言葉に、フラーはすこし面食らったように大きな瞳を瞬いた。そして、笑顔をひそめて言った。
「ほんとーにねこみたいでーす。シャ・ノアール」
 デザートがテーブルに現れ始めたころ、カナは教職員テーブルを見て目を丸くした。余分と思われた二席に、いつのまにか魔法省のルード・バグマンと、バーティー・クラウチが座っていた。
「フラー、ぼく、もう戻らないと」
 魔法省の役人が揃ったということは、きっと正式な開会が宣言されるんだろう。カナは「ブランマンジェ」とフラーに差し出された、プディングに似たデザートをぺろっと平らげると、立ち上がった。
「カーナ、またわたしのばしょにきてくださーい」
「こんどはフラーがぼくのところに来てよ。ほんとは、ぼくはここにいちゃだめなんだよ?」
 レイヴンクロー生の視線をやり過ごしながら、カナはそそくさと、もといたグリフィンドールのテーブルへと戻った。
「オー、シャ・ノアール! あの美少女と知り合いか?」
 リーが、身を乗り出しながら冗談混じりに聞いた。
「まさか。それにその呼び方、やめて」
 カナがピシャリと言うと、テーブルから笑い声があがった。ちらりと、リーの隣に座るフレッドと目が合ったのだけれど――それも一瞬で、その横顔はすぐに逸れた。
「カナ! あの子となに話してたんだ?」
 ロンがひどく興奮しきって聞いた。
「あのひと、ぼくの見た目が好きだって」
 ハリーが、あやうく口に入れたばかりのデザートを吹き出すところだった。
「すっごくヘンな子だったよ、ロン」
「ええ、変でしょうとも」ハーマイオニーがあきれたように言った。「常識がないわよ。それに、きっとわがままなひとなんだわ」
「正確な審美眼ですこと」
 ロンが体を傾けながら、まだちらちらとフラーのほうを覗き見ているので、ハーマイオニーがとうとう吠えた。
「もう、それ、やめてちょうだい。邪魔です!」

 やがて、デザートもテーブルの上からなくなり、ピカピカの皿だけが残ると、ダンブルドアが再び立ち上がった。
「時が来た」
 みんながダンブルドアを見上げている――そのひとつひとつに、ダンブルドアは笑いかけた。
三大魔法学校対抗試合トライウィザード・トーナメントが、まさしく始まろうとしておる。『箱』を持って来させる前に、二言、三言、説明しておこうかの」
「箱って?」ハリーが聞いたけれど、みんな「知らない」と肩をすくめた。
「――今年はどんな手順で進めるのを明らかにしておくためじゃが、その前に、まだこちらのお二人を知らぬ者のためにご紹介しよう。魔法省、国際魔法協力部部長、バーテミウス・クラウチ氏」
 ぱらぱらと、形式的な拍手が起こった。
「そして、魔法ゲーム及びスポーツ部部長、ルード・バグマン氏じゃ」
 こんどは明らかに大きな拍手が起こった。プロ選手としての名声もあるし、ワールドカップを知っている者は実況解説をしたバグマンのことを覚えているだろう。
 バグマンは陽気に手を振って拍手に応えた――対照的に、クラウチ氏はにこりともしなかった。
「バグマン氏とクラウチ氏は、この数か月というもの、三大魔法学校対抗試合トライウィザード・トーナメントの準備に骨身を惜しまず尽力されてきた。そして、御二方にはカルカロフ校長、マダム・マクシーム、そしてこのわしとともに、代表選手の成績を評価する審査委員会に加わってくださる」
 ――「代表選手」という言葉が聞こえたとたん、生徒たちは姿勢を正して耳を研ぎ澄ませた。ダンブルドアもそれに気がついたのか、ニッコリと笑った。
「それでは、フィルチさん、箱をこちらへ」
 大広間の隅に身を潜めていたフィルチさんが、その手に大きな木箱を持って前に進み出た。宝石がぎっしりと散りばめられて、ごてごてしている、古い木箱だ。生徒たちはとたんにざわめきだして、あれが一体なんなのかと見つめた。
「代表選手たちが今回取り組むべき課題の内容は、すでにクラウチ氏とバグマン氏が検討し終えておる」
 ダンブルドアの目の前のテーブルに、フィルチさんが箱を置いた。
「さらに、御二方はそれぞれの課題に必要な手配もしてくださった。課題は三つあり、今年度一年間にわたって行われ、代表選手はあらゆる角度から試される――魔力の卓越さ、果敢な勇気、論理力と推理力、そして言うまでもなく、危険に対処する能力などをじゃ」
 今度こそ、大広間は完全に沈黙した。息を呑む音さえ聞こえない。カナはハーマイオニーが説明してくれたことを思い出した――数百年前に死者の山を作ったという記録が残っている。
「皆も知っての通り、試合で競うのは参加三校から一人ずつ選ばれた、三人の代表選手じゃ。選手は課題の一つひとつをどのように巧みにこなすかで採点され、三つの課題の総合得点が最も高い者が、優勝杯を獲得する。代表選手を選ぶのは、公正なる選者――『炎のゴブレット』じゃ」
 ダンブルドアは杖を取り出し、木箱の蓋を三度叩いた。蓋が軋みながらゆっくりと開くと、中にそっと手が差し入れられた。ダンブルドアの手の中には、荒削りの木のゴブレットが収まっていた。それが液体を注ぐためのものではないと、ひと目でわかった。なぜなら、青白い炎が絶えずその縁から溢れ出ていたからだ。
 木の箱が閉じられ、ダンブルドアはその上に「炎のゴブレット」を置いた。
「代表選手に名乗りを上げたい者は、羊皮紙に名前と所属校名をはっきりと書き、このゴブレットの中に入れなければならぬ。立候補する意志ある者はこれから二十四時間のうちに、その名を提出するよう。明日、ハロウィーンの夜に、ゴブレットは各校を代表するにふさわしいと判断した三人の名前を、返して寄越すだろう。このゴブレットは、今夜玄関ホールに置かれる。我こそはと思う者は、自由に近づくがよい。
 また――年齢に満たない生徒が、誘惑に駆られることのないよう。『炎のゴブレット』が玄関ホールに置かれたのち、その周囲にわしが『年齢線』を引くことにする。十七歳に満たない者は、何人なんぴとたりともその線を越えることはできぬ」
 ダンブルドアが、大広間を見回しながら続けた。
「最後に。この試合で競おうとする者にはっきりと言うておこう。軽々しく名乗りを上げぬことじゃ。『炎のゴブレット』がひとたび代表選手と選んだ者には、最後まで戦い抜く義務がある。ゴブレットに名前を入れるということは、魔法契約によって拘束されるということじゃ。代表選手になったからには、途中で気が変わったなどということは許されぬ。じゃから、心底、競技する覚悟があるのかどうか確信を持った上で、ゴブレットに名前を入れるのじゃぞ――
 さて、もう寝る時間じゃ。皆、おやすみ」
 ダンブルドアが解散を告げ、みんなが玄関ホールに続くドアの方へと詰め寄った。
「『年齢線』か!」
 後ろから明朗な声がして、カナがぎくりと肩を跳ねさせた。フレッドの声だ。
「それなら『老け薬』でごまかせるんじゃないか? いったん名前をゴブレットに入れちまえば、もうこっちのもんさ――十七歳かどうかなんて、ゴブレットにはわかりゃしないさ!」
「でも、十七歳未満には見込みはないと思うわ。まだ勉強が足りないもの・・・・・・」
 ハーマイオニーの声だ。カナはもやもやと軋む心臓が口から出そうになりながら、そっと息をひそめた。
「お前さんはそうだろうさ」ジョージがそっけなく言った。「ハリー、君はやるだろ? 立候補」
 ふと、誰かが口元を塞いでいたカナの腕に触れた。顔を上げると、隣に立っていたのはアリシアだった。反対隣に、アンジーもつけていた。
「ハーイ、カナ」
 アリシアは朗らかに、でもこっそりと言った。
「ちょっと、おいで」
 三人は出口に詰め寄る集団を抜けた。はたから見ると、ダームストラングの一団が出口扉付近で固まって、道を塞いでいることに気がついた。
「おバカさんたちはああ言ってるけど、わたし、絶対無理だと思うのよ。ダンブルドアは『老け薬』なんて想定内に決まってる」
 カナがなにも言い出さないうちから、アリシアはつらつらと話し出した。
「それでね、ほら、アンジー! カナに教えてあげなよ」
「カナ、あたし、先週誕生日だったのよ。だから、十七歳なの」
 カナは目を瞬いた。
「立候補するってこと?」
「そうよ」アンジーは頷いた。
「それをどうしてぼくに教えてくれるの?」
 アリシアが、豊かな黒髪を膨らませた。
「カナ。あの双子、商売がちょっとうまくいってるからって、調子づいてるのよ。その伸び切った鼻をへし折ってやりたいと思わないの?」
「・・・・・・アリシア、怒ってるの?」
 アリシアとアンジーが、顔を見合わせた。
「当然でしょ。どうしてあなたが息を止めるほど肩身の狭い思いをしているっていうのに、あいつはああやってのびのびとできるわけ? わたし、たった今の光景を見て――腹が立ってしょうがないったら!」
「少なくとも、イラついてはいるみたいだけど」アンジーが補足した。「カナ、無理に仲直りしようとか思わなくていいんじゃない? それに気を遣う必要もないわ――」
「でも、ぼく、これ以上フレッドを傷つけたくないよ」
「お人好しなんだから」
 アリシアが、カナの頭を抱きながら言った。
「悲しい顔は似合わないわ。アンジーがきっと良いニュースを持ってきてくれるから、元気出してちょうだい」
「・・・・・・二人とも、ありがとう」



 十月三十一日は土曜日だったにもかかわらず、みんな早起きして、だれが「炎のゴブレット」に名前を投げ入れているのか、玄関ホールへ見物しに行ったらしい。
 朝食へ降りていくアンジーとアリシアが、一度カナを誘ったけれど、それを断った。
「昨日は言えなかったけど・・・・・・アンジーだったら、きっと良い選手になれるよ」
 そう言うと、アンジーはカナをぎゅっと抱きしめて、背筋をピンと伸ばして談話室を出て行った。
 ふたりは昨夜、ああ言っていたけれど――やっぱりフレッドと鉢合わせて、どんな顔をしていいかわからなかったカナは、誰もいなくなった談話室のソファーで膝を抱えていた。
「ぼく、臆病になっちゃったのかな」
 ゆっくり横倒れになって、肘掛けに頭を乗せた。パチパチ弾ける暖炉の火を見つめながら、カナは誰に言うでもなく独り言を言った。
「グリフィンドールが笑っちゃうよ」
 ため息をついて目を閉じた――しかし、カナはすぐに目を開ける羽目になった。肩の上に、ずしっと何かが乗ってきた。誰かのペットだろうと思って見ると、小柄な黒々したカラスが、カナのことを食い入るように見つめていた。
 その嘴に挟まっている羊皮紙のメモを、カナは引っ張った。差出人はわかっている。記名は無かったけれど――フクロウ代わりにカラスを寄越すのは、ガートしかいない。
パッチェリーつぎはぎちゃん、十時にいつもの部屋に来て」

 約束の時間には早かったけれど、誰にも会わなくて済むのでカナは埃っぽい「訓練部屋」にいた。クッションを手に取り、いつもこの部屋にあるものが勝手に掃除してくれたらいいのにな――などと考えていた。
「おや、早かったね」
 ガートが部屋に入ってくるなり、テーブルの上にスコーンの包みを広げている。
「なにか急ぎの用事?」
「まあ、そんなところ。朝食に来てなかったでしょ。食べる?」
 いつのまにか呼び寄せたティーセットを杖で叩き、お茶の準備をしながら、ガートはカナにスコーンをすすめた。
「双子のウィーズリーが『老け薬』で年齢線を超えてね、おもしろいことになってたよ」
「やっぱり、失敗したんだ」
「ま、あんなの、上級生に手伝ってもらって名前を入れれば、誰だってエントリーできると思わない? あれで制限してるつもりなんてさ、生徒が不正しないって過信しすぎだと思うよ」
「さすがにそんな情けないやつ、いないでしょ」
「グリフィンドールらしい意見だね」
 ガートがティーカップを置いた。カナもスコーンをひとつ平らげて、ひと息ついたとき、ガートが神妙な顔で口を開いた。
「あんた、また死にかけたんだって?」
 ガートが何の話をしているのか、カナは一瞬はかりかねた。
「ああ、キャンプ場でね・・・・・・待って、ガートがなんでそれを知ってるの?」
 セドリックは、カナが被害に遭ったことは「魔法省も公にしていない」と言っていたはずだ。なら、あの場にいなかったガートが事情を知っているはずがない。カナだってそのことは話していないのだから。
「今日呼びつけたのは、その件だよ」ガートはいたって真面目な調子で言った。「どこから漏れたか知らないけど、そんなうわさがスリザリンであがってた。あんたを襲った死喰い人デス・イーターが誰かとか、何の呪いかって、そんな話だよ・・・・・・」
「ガートは死喰い人デス・イーターを知ってるの?」
「・・・・・・まあ、スリザリンにいる限り、切っても切れない話題だよ。親がその疑いをかけられてたやつも多いからね」
 カナは、ガートに言うかどうか躊躇った。バートラム・エイブリーは、死喰い人デス・イーターではないのか――
「あんたが何を言いたいかはわかってるよ。あたしのパパのことでしょ」
 ガートは長い足を組み替えた。
「・・・・・・うん。そのうわさ、聞いたことがあるから」
「あたしもわからないんだ。そうじゃないって信じてるけど。パパはあまり自分のことを話そうとしないし」
 しばらく、ふたりのあいだには沈黙が漂った。カナは手を伸ばし、すっかりぬるくなったお茶を、一気に飲み干した。
「幻滅した?」
 ガートの言葉に、カナは目を丸くした。ガートは弱々しく微笑み、あきらめたように床板を見つめていた。
「あたしが死喰い人デス・イーターの娘だって、そうだとしたら、嫌になる気持ちもわかるよ。あたしだってそう思う。そういう子と付き合うの、ちょっと怖いよね」
「そんなこと思ってないよ」
「いいよ、強がらなくて。あんたが嫌なら、あたしは今後いっさい関わらない――」
「ほんとだよ。嫌じゃない。ぼくはガートが好きだもん」
 ガートが顔を上げた。ゆらゆら揺れるはしばみ色のひとみにカナが映ると、カナはにっこりと笑った。
「誰と付き合うかは、自分で決めるよ。ヴォルデモートの配下が目をつけてるのだって、自分でじゅうぶんわかってる。それはガートのせいでもないし、ぼくのせいでもないんだ」
「――そう言うと思ったよ」ガートがあきれたように微笑んだ。「あんたが真っ直ぐすぎて――たまに、なんか眩しく見える時があるよ」
 ティーポットが空っぽになると、ふたりはテーブルの上を片付けはじめた。
「そうだ」カナが思い出したように言った。「この部屋を掃除してくれるよう、何かに魔法をかけようと思うんだけど・・・・・・どうかな?」
「いいんじゃない? 箒かなんか置いておけば?」
「でも、この部屋にはごみ箱がないし、窓も開かないから換気もできないでしょ。箒だけじゃ埃が立ってしょうがないよ」
「ま、なんか考えることがあったほうが、あんたにとっちゃ気晴らしになるでしょ――そうだ、そろそろ模様替えもしたいよね。いつまでもボロっちい小部屋じゃ味気ないもん。今度、絨毯と、そうだな、ストーブかなんかも持ってくるよ――」
 部屋を出たとき、ふたりは言葉をなくした。マダム・マクシーム率いるボーバトンの一団と、ばったり出くわしたからだ。
「うわ」
 カナがごくごく小さな声で言ったとたん、マダムの真後ろに立っていた背の高いシルバーブロンドの美少女――フラーが顔を出して、破顔した。
ボンジューごきげんよう、シャ・ノアール」
 しかし、カナが身構えたのとは裏腹に、フラーは滑らかに手を振っただけで、列から飛び出したりはしなかった。ボーバトンの一行は廊下を曲がり、マダム・マクシームについて階段を降りて行った。
「パッチェ、あんた、ほんとに猫だってバレてるんじゃない?」
「ガートまでへんな名前で呼ばないでよ。それに、バレてない」
「ま、それならあたしがバレてないのも変か。あのボーバトンの子にどうやって気に入られたわけ?」
「フラー・デラクール。彼女の一目惚れだよ。『うつくしいヒトのともだち、うつくしくなければいけませーん』だって」
 カナが不機嫌そうに言うと、ガートはお腹を抱えて笑い始めた。
「変なやつに好かれるんだねえ、あんた」
 目尻に浮かんだ涙を掬いながら、ガートが言った。
「あの子、たしかに美人だけど、男たちの熱狂っぷりったら尋常じゃないと思わない? ほんとにヴィーラだったりしてね。だとしたらさ、あんたって動物に好かれやすいし・・・・・・」
「だから気に入られてるって? まあ、一目惚れよりはまだ納得できるよ」
 ふたりは玄関ホールへ、「炎のゴブレット」見物しに行くことにした。
「でもさ、一目惚れってのもあながち間違いじゃないと思うけどね。あたし、あんたのことかなり可愛いと思うよ」
「ガート、それ、前も言ってたけど」カナはまた顔をしかめた。「もっとほかに、ぼくの良いところないの?」
「自己評価はどうなの?」
「えーっと」ガートの切り返しに、カナは頭をひねった。「・・・・・・嘘つかないところとか?」
「まったく。男はそんなの、どーだっていいって思ってるよ。顔がかわいくて、自分より小柄で、自分より鈍臭い女の子がみーんな好きなんだ」
「それって、良いことなの?」
「少なくとも、だいたいの男子は顔と体しか見てないよ。あんたがもしも泥水みたいな性格だったとしても、それでも惚れるやつはいたと思うね」
「んー、よくわからない・・・・・・」
 玄関ホールを見下ろす階段の踊り場で、手すりに寄りかかりながら、ふたりは「ゴブレット」を見下ろした。ちょうど、ハッフルパフの一団が年齢線を取り囲み、その中から一人が進み出た。
「セドリックだ」
「やっぱりエントリーするんだね」
 なんの問題もなく年齢線を越え、セドリックは無事ゴブレットに羊皮紙を入れた。羊皮紙を飲み込んだ途端、青白い炎は赤く色を変え、一瞬大きく燃え上がった。周りのハッフルパフ生たちが、口笛を吹いたり、声高に賞賛して盛り上がっている。
「あ」
 ふと、セドリックが顔を上げた。炎に照らされた淡色の目がまっすぐこちらを見て、カナと目があった――ニコリと一瞬微笑み、拳を突き上げたのち、セドリックは振り返ってハッフルパフの仲間たちのもとへ戻り、もみくちゃにされていた。
「ハッフルパフって、目立った生徒があんまりいないからね。エントリーするってだけで英雄扱い」
 ガートが頬杖をつきながら、カナのことを見上げた。
「ところで、彼とは仲直りするつもりがあるの?」
「・・・・・・ぼく、家出した時となんにも変わってないって、フレッドに言われたよ。確かにそうだなって思う」
「そうかな? あたしだったら、ほったらかしにされたら安く買い叩かれてるって思って、愛想がつきちゃうかな。こだわるような恋人がいたわけでもないけどね、あんたと違って」
「べつに、ぼくだって、こだわってるわけじゃないよ。フレッドがもうぼくのこと好きじゃないって言うなら、終わっても良いって思ってる」
「あんたは?」
 ガートの瞳が、まっすぐにカナを見た。
「あんたの気持ちはどうなるの?」
 カナは答えられなかった。好きじゃない、わけじゃない。今までと同じように仲良くできるなら、そうしたい――けれど、フレッドがカナにこだわる理由だって、ないはずだ。だって、カナは話が面白いわけでもないし、頭だって良くないし、クィディッチに詳しいわけでもない。
 黙っていると、ガートがため息を吐いて廊下の方を振り返った。すぐに、肩がちょんと叩かれて、カナも振り返った。
「あ・・・・・・ごめん。邪魔したかな?」
 セドリックが、たった一人でそこに立っていた。さっきまで一緒にいた仲間たちはそばにいない。いつだって、セドリックは後輩や友人に慕われて、囲まれているのに。
「いーえ、ディゴリー先輩。あたし、そろそろお暇しようと思ってたから。それじゃあね、カナ」
 そう言うと、ガートはさっさと立ち去ってしまった。その背中を心細く見つめていると、セドリックがやんわりと話しかけてきた。
「きみたち、スリザリンとグリフィンドールなのに、仲が良いんだ。珍しいね」
「うん、そうかもね」
 カナはあいまいに返答した。さっきまでガートがいた場所に、セドリックが寄りかかった。
「その、僕が名前を入れるところ、見てたよね?」
「たまたまね」
「前に、『勇気を出す』って言ってただろう。もうわかってると思うけど、代表選手に立候補するか、迷ってたんだ。グリフィンドールから見れば、僕はたしかにうすのろ・・・・に見えるかもしれない。そもそも『ゴブレット』のお眼鏡に適わないかもしれない――」
 カナは少し胸が痛くなった。ハッフルパフ以外からのセドリックの評価は、なぜかおおむね悪い。
「でも、せっかくチャンスが目の前にあるのに、逃したりしたくない。エイダン・リンチみたいに死ぬ気で飛び出せないようじゃ、スニッチを追う資格もないと思った。きみが見ず知らずのフェレットのために飛び出したのを見て、あの時に心が決まったんだ。この日が来たら、必ず名乗りを上げるってね」
 カナがじっと見上げていると、セドリックはすこしはにかんで、指先で鼻をかいた。
「ごめん、一人で喋りすぎたかな」
「ううん、セドリック」カナはわずかに微笑んだ。「ぼくがいなくったって、きっときみは立候補してた。そうでしょ?」
「それはわからない」セドリックも微笑んだ。「実際、僕はきみの影響を受けた。その時に決めたんだ」
「ぼくは、セドリックが思ってるほど勇敢じゃないし、決断する力もないよ」
 カナはまた玄関ホールの「ゴブレット」を見下ろした。こんどはスリザリンの上級生が、何人か年齢線の前に立っている。
「考えなしなだけなんだ。いつも間違えてばっかり。ぼくが十七歳だったとしても、立候補してたとは思えないし・・・・・・だから、きみが勇気を出したことや、意志を曲げなかったことは、きみ自身の強さだと思う。うすのろ・・・・だなんて、ぼくは思ってないよ。『ゴブレット』がきみを選ぶかもしれないって、本気で思ってる」
「もしも」セドリックが声のトーンを落として、カナと同じように玄関ホールを見下ろして、言った。「もしも、フレッド・ウィーズリーが何かの間違いで立候補したとしても、同じことを思うかい?」
「間違いは起きないよ。それに――」スリザリンの上級生が、年齢線に近づくのをあきらめて玄関ホールから立ち去っていく。「フレッドがもしも選手になったとしたら、心配のほうが上回ると思うんだ。だから、立候補できなくてよかったって、正直思ってる。本人には言えないけどね」
「・・・・・・そっか」
 セドリックは穏やかに微笑んだ。カナの寂しい気持ちが、言葉に滲んでいませんように、と祈った。



20241210


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