夕食から戻ったあと、カナはローブと靴を脱ぎ捨てて、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。うんと疲れた一日だった。飛行訓練で土まみれだったけれど、まぶたを押し上げるのさえ気だるくて、とろとろとまどろみに身を委ねた。

 目覚めたのはすっかり夜中になってしまってからだ。パーバティ、ラベンダー、ハーマイオニーの三人がベッドにいるのを確認して、カナはこっそりと部屋を抜け出して、シャワーを浴びた。
 ぺたぺたと裸足で階段を上がる、その帰り道だった。反対側の螺旋階段から降りてくる人影があった。燃えるような赤毛が、夜闇の中でもはっきりと見えた。
「ロン?」
 二人は肩をビクリと揺らした。パジャマの上にガウンを羽織ったハリーとロンが、こそこそとトロフィールームに向かうところだった。
「君・・・・・・なんだその格好、風邪ひいても知らないからな」
 カナはたしかに裸足で、薄着のシュミーズしか着ていない。湯上がりの髪はまだ湿っている。カナは顔をしかめた。
「そうじゃないでしょ。マルフォイの言うことなんて聞いたらダメだよ。行かないで」
「かまうもんか。あいつに逃げたと思われるくらいなら、規則破りでもなんでもした方がましだぜ」
 パッとあたりが赤く照らされた。「そう。ハリーまでこんなことをするとは思えなかったわ」ガウンを着たハーマイオニーが立っていた。
「今度は君か! いいから、ベッドに戻れよ!」ロンは顔を真っ赤にした。
「本当はあなたのお兄さんに言おうかと思ったのよ。パーシーに。監督生だから、絶対に止めさせるわ」
「そしたら君は、将来の監督生候補ってか?」
「ロン、行こう」
 ハリーとロンは談話室の穴をくぐり、寮の外へ出て行ってしまった。ハーマイオニーも引き留めるために後に続いた。
 カナはぽつんと取り残されてしまった。裸足のつま先が氷のように冷えていく。まるだしの肩もだ。ため息をついて、カナは寝室への階段を登る。でも、半分まで来たところで、引き返した。談話室のソファーのブランケットをひっ掴んで、カナも談話室の穴をくぐって、「太った婦人レディ」を押し退けて、外へ出た。
 廊下には誰もいなかった。もう、ハーマイオニーまでもが行ってしまったらしい。暖炉の熱が残っていた談話室とは違い、夜の七階の廊下は冷え切っていた。カナは靴を取りに戻らなかったことを後悔した。
ねえ
 暗闇から声がした。カナは辺りを見回したが、誰もいなかった。ゴーストさえも。
ハリー・ポッターを見た?
「誰なの?」カナはまとったブランケットをたぐりよせた。カナのすぐそばで、氷が急速に溶けていくように声の主が姿を表した。
 パジャマ姿のガートだ。
「ガート? どうしてグリフィンドール塔に?」
「マルフォイがポッターをはめたんだよ。あいつらは寮でぐっすり寝てる。それを忠告しようと思って」
「ハリーたちならもう行っちゃったよ」
「なら、追いかけよう」
 ガートは「ディシルーシオ目を眩ませよ」を唱え、カナの頭を杖でクルリと撫でた。カナの体を冷たい水が伝うような感覚がした。
「これは何?」
「『目眩まし術』だよ」ガートは自身にも呪文をかけた。すっかり見えなくなってしまったけれど、よく見たら、流水のようなゆらゆらとゆらめく輪郭が見える。
「すごい、ハーマイオニーみたい」
 ため息をつくようにカナが言うと、ガートはクスリと笑った。
「それって、かなり褒めすぎかも」
 カナはガートを見失いそうだったので、空中をさぐって手をつないだ。
「もうあたしのことは忘れちゃったのかと思ったよ」
 巨大ならせん階段を降りながら、ガートがこそこそと言った。
「どうして?」
「一度も話しかけてくれなかったじゃない――ううん、わかってるよ。話しかけられるわけないものね」
 グリフィンドール塔を出て、大階段にたどり着いた。動く自由気ままに段差がばらける階段は夜中も仕事をしてくれていた。肖像画たちは眠っていたり、お出かけで留守だったり、ほとんど昼間のような活気は見られず、静まり返っていた。
「ガートはグリフィンドールが嫌いじゃないの?」
「うん、まあね。べつにスリザリンも好きなわけではないかな。みんなマルフォイの言いなり。だからあたし、浮いてるんだ。わかるでしょ?」ガートの顔は見えないけれど、笑っているような気がした。「あんた、昼間、スリザリンのやつらに言い返してたよね。最高だった」カナも笑みが浮かんだ。
 ガートは望んでスリザリンに組み入ったけれど、マルフォイみたいな意地悪な連中とは違うのだと知って、嬉しかった。それに、ハリーに忠告をしようと規則破りを承知で、グリフィンドールまで出向いてくれたのだ。カナはガートの正義感が心地よかった。

 四階にたどりついた。カナは「クシュン」とくしゃみを押し殺した。
「トロフィールームってここ?」ガートは杖で扉を叩いた。「鍵がかかってる」
「閉じ込められてるのかも」カナが不安そうに言った。「マルフォイが来たのかな」
「まさか」ガートは鍵の部分に杖を据え、「アロホモラ解錠せよ」と短く唱えた。とたん、鍵が開いた軽い音がした。
 しかし――カナはすぐにそこがトロフィールームなんかではないことを理解した。異臭がする。猛烈な獣の臭いだ。暗闇に目が慣れてくると、カナの心臓はぎくりときしんだ。
 怪獣だ。天井まで見上げるほど大きな、犬だ。ただし、図鑑で見た三叉の蛇のように、頭が三つある。鼻息が熱波のように髪を揺らした。犬は眠っていたが、二人の気配に気がついたのか、ピクピクと鼻を動かし、耳を揺らし、うっすらと目を開けた。
「ガート、逃げよう――」手を引こうとした。いつのまにか目眩まし術はすっかり解けてしまっていた。ガートは腰が抜けたみたいに立ち尽くして、びくともしなかった。
ガートルード!
 カナが声をあげると同時に、背後からドン!と大きな音がして、何かがなだれ込んできた。
「ネビル!?」最初に飛び込んできたのはネビルで、ロン、ハリー、ハーマイオニーも入ってきた。
「ハーマイオニー、鍵を開けて!」
え?
 カナが叫び、みんなが振り向いた。三頭犬はすっかり覚醒して、黄色い牙を剥き出して、涎を滴らせて――血走った六つの目でぎょろぎょろと六人の子どもたちを見据えていた。
 犬が一歩、前足を踏み出した時、子どもたちは叫びながら廊下に飛び出した。カナもガートの手を引いて、階段の踊り場まで来たところで止まった。
「ごめん、カナ」ガートが息を切らしながら、カナを引き止めたのだ。「あたし、ここで」
 ガートはスリザリンなのだ。大広間の地下にあるスリザリン寮まで戻らないといけない。
「うん。ガート、ありがとう。気をつけて」
「カナもね。また明日・・・・・・」ガートは得意の魔法で姿をくらませて、階段の向こうへ消えていった。カナはすっかり静寂に包まれてしまった大階段を慎重に登る。管理人のフィルチさんや飼い猫のミセス・ノリスがうろついているかもしれない。もうガートの目眩まし術はないのだから。
 それにしても、どうしてあんな怪物犬がホグワーツにいるんだろう――思い返せばたしかにあそこは、ダンブルドア校長が歓迎会の夜に言っていた「入ってはいけない四階の廊下」だ。どうして生徒が立ち入るかもしれないホグワーツの校舎の中にあんなのが暮らしているんだろう。襲ってくるかどうかはわからないけれど、凶暴そうだった。
「まあ、まあ、まだいたのね」
 太った婦人レディは先にハリーたちを通したのだろう。「豚の鼻」の合言葉で、カナも穴をくぐって談話室に入った。ハーマイオニーの押し殺した激昂が聞こえてきた。
「あなたたち、さぞかし満足でしょうね。もしかしたらみんな殺されてたかもしれないのよ。では、おさしつかえなければ、私たち、休ませていただくわ」ハーマイオニーはカナの手を引っ張った。「行きましょう!」
 カナは振り返って、ロンとハリーを見た。ネビルはすで寮に戻ったようだった。ロンはハーマイオニーをポカンと見送っていたけれど、ハリーはこちらを見なかった。
 女子寮への階段を登りながら、ハーマイオニーはぷりぷり悪態をついた。
「あなたがどうしてあそこにいたのか知らないけれど、カナ、いいこと? もうあのおバカさん二人には関わらない方が良いわ。死にたくなければね。それか、もっと悪くて、退学ね。どっちにしてもお断りだわ・・・・・・」
 カナは静かに寮の扉を開いた。水桶でタオルを絞って、足を拭いた。裸足で歩き回ったのは久しぶりだった。すっかり赤くなっている。見かねたハーマイオニーが、クリームを塗ってくれた。あたたかくて、花の良い香りがした。ただ、カナはベッドに入っても少し震えていた。体が冷え切ってしまったのだ。



 翌朝、ハーマイオニーはカナを起こさなかった。いや、カナは目覚めなかったのだ。頭がひどく痛んだ。ぼーっと視界が滲む。これは、あれだ――
 ――風邪をひいたのかも。
 カナは這いつくばってトランクのなかを探った。ハーブの瓶詰めを手に取ると、それをいくつか口の中に入れた。そうすると、少し体が温まるような気がする。
「ねえ、カナ! まだベッドにいたのね?」それからどのくらい時間が経ったのだろう。朝食から戻ってきたらしいラベンダーが叫んだ。「ひどい汗よ」
「いまなんじなの?」カナは掠れた声で言った。パーバティがあきれていた。
「あなたが行くべきなのは薬学の教室じゃなくて、医務室だわ」
 ふたりに抱えられるようにして、カナは医務室を訪れた。棚の薬品を数えていたマダム・ポンフリーが、眉を吊り上げた。
「まあ、またあなたですか、ミス・エリオット」
「熱があるみたいなんです。マダム」カナをベッドに降ろしながら、パーバティが説明した。「感染症かも」
「ちゃんと眠っているのですか? 食事は?」
 マダム・ポンフリーの診察は半分尋問みたいだ。
「きのう、夜中にシャワーを浴びて、下着だけで寝ました」
 カナはなんとか言い訳を考えた。本当の原因は、下着みたいな格好で真夜中の城をうろうろしたからだ。
「なんて不注意なんでしょう」検温しながら、マダムはあきれた。「あなたがたは授業へ向かってください」カーテンの向こうで、ラベンダーとパーバティが立ち去る音がした。
「また後でね」とラベンダーの声がした。
「体を冷やすだなんてとんでもない。成長に差し支えますわ」マダムはお小言を言いながらも、薬を調合してくれた。
「むかしからなんです」
 カナはもっと小さい頃からほんとうによく風邪をひいていた。
「なら、あなたはもっと注意深くなるべきですわね」
 ほんとうにマダム・ポンフリーの言う通りだ。カナはいつでもグリフィンドールのブランケットを持ち歩くことを決意した。
 マダムはゴブレットを差し出した。灰色のとろみのある液体で満たされている。
「『元気爆発薬』です。風邪にはよく効きますよ」
 カナはそれをゆっくりと飲む。
「全部ですよ」
 何回かに分けて、薬を飲み干した。おかあさんのとびきり苦い風邪薬に比べたら、なんてことはない。手足がかーっと燃えるように熱くなったかと思うと、ぷしゅぅぅ、と耳から煙が噴き出した。カナのベッドのまわりは、あっという間に煙が充満した。
「しばらく煙が止まらなくなりますが、数時間でおさまります。気分が良くなるまではここで休んでいっていいですよ。教科の先生にはわたくしからお伝えしておきます」
 カナは医務室に残ることにした。まだ頭は重くてくらくらするし、まっすぐ歩けるか、自信がなかった。

 結果から言えば、カナの風邪に「元気爆発薬」は不十分だった。煙が止まって、昼を過ぎても気分がさえず、カナはポケットに入れていたおかあさんのおやつをつまんだ。白いしわがれた花冠が、苦くカナの舌を突く――このまま治らなかったらどうしよう――もう二度と授業を受けられなかったらどうしよう――みんなに会えなかったらどうしよう――リーマスに会えなくなったら、どうしよう――カナの頭に不安の潮が満ちていく。それがあふれて、目頭からひとつ涙がこぼれた。
「カナ、話せるかしら?」ラベンダーの声だ。パーバティも一緒にいるみたいだ。「ランチでも見なかったから、心配で」
「そんなにひどいの?」パーバティがゴブレットに水を汲んでくれた。カナはようやく起き上がって、それをすこし飲んだ。
「わかんないけど、いつもこうだから」
「いつも?」ラベンダーがブロンドを揺らした。「カナ、あなた体が弱いのね。はやく言ってほしかったわ」
 白く小さな手がカナを掴んだ。「つめたいわ」ラベンダーの手はあたたかい。
「スネイプ先生が宿題をいっぱい出したのよ」律儀なパーバティは聞きたくないことまでしっかり教えてくれた。
 午後。マダム・ポンフリーが、おかあさんのおやつを煎じて熱いお茶を淹れてくれた。「この薬草は見たことがないわ」とこぼしているのが聞こえた。カナは何も知らずにかじっていたが、本当はお茶にするものだったらしい。飲むと、少しだけ気分が良くなるのを感じた。お小遣いを手に入れたらティーセットを買うのもいいかもしれない――カナはお小遣いのひとつも渡されていなかった。
 差し出されたミルク粥を半分ほど食べることができたので、退院が許された。
 カナは冬に向けて、不安が募る。まだ九月だ。それに、ホグワーツに入学して二週間も経っていない。こんな調子で大丈夫なのだろうか、とまだ重い頭を引きずって、談話室へ戻った。

 元気いっぱいとはいかなかったけれど、カナは休日を暖炉の前で過ごした。もちろんグリフィンドールの真紅のブランケットも一緒にだ。持ち主がいないかアリシアやパーシーに聞いてみたけれど、特にいないということだった。かつての先輩が置いて行ったものだろうと。それならありがたく使わせてもらうまでだ。ちょっと埃っぽいけれど、すごく温かい。
 カナは変身術のレポートのために、鞄を探っていて、重要な悩みを思い出した。おかあさんに手紙が届かなかったことだ。
 夕食のあと、カナはハグリッドの小屋を訪れていた。ファングは相変わらず、カナにはべったりで、おもわずぎゅうと抱きしめたくなる。アドバイス通り手紙を出してみたこと、でもフクロウが返ってきてしまったことを相談してみたけれど、ハグリッドは「魔法のことはおれにはわからん」とお手上げだ。「そりゃ、エリアが意図的に隠しとるんだろう」とも。
 カナはリーマスに、このことを手紙で書いた。それから、頭が三つある犬についても聞いてみた。ホグワーツで過ごす些末な、とりとめのないことも。リーマスがどんな返事を書いてくれるのか考えるだけで、カナは胸がぽかぽかした。



 カナにはしばらく手紙が届かなかった。その間に九月が終わり、ハリーはグリフィンドールの「とっておき」として夜遅くまで練習を始めた。ハーマイオニー対ロンとハリーの冷たい関係は続き、カナはどちらともあまり話さなくなっていた。
 郵便があったのは十月に入って一週間ほど経った頃だ。郵便というよりは、鞄の中に沸いていたというほうが正しいか。妖精の呪文の教科書を準備している時に、鞄の中から滑り出してきたのだ。黄ばんだ、銘のない封蝋がしてある。カナは受け取った覚えのないその便箋をひっくり返した。カナの名前が書かれているだけで、差出人の名前はない。それに、歪だけれど丁寧なその筆跡には、カナは見覚えがない。
「どうしたの?」身支度をととのえたラベンダーが覗き込んだ。
 カナは便箋を伏せた。「ううん。なんでもない」図書館に返却する予定の「トロールでもわかる呪文術入門」とともに鞄に入れ込んだ。

 昼食前に、カナは教科棟の中庭で、手紙を開けようとした。それが間違いだった。
 奥の廊下から、マルフォイたちが顔を出した。魔法史の授業が終わったのだろう。あくびを噛み殺して、退屈そうに体を伸ばしながら歩いていた。カナは急いで手紙をしまい、見つかる前に立ち去ろうとした。
 その時、顔にするどい閃光が飛んできて、はじけた。さいわい、熱くも痛くもない。マルフォイが杖を構えて、にやにやと近づいてくる。カナはそちらを睨んだ。
「どうした、エリオット? ほぉら、杖を出して反撃してごらん。君が本当に魔女ならね」スリザリンの取り巻きは下品に笑った。マルフォイが杖の先でペチペチとカナの頬を叩いた。カナはマルフォイの杖を掴む。
「離せよ」
「ぼくに謝るのが先だよ」
「君が原始人みたいに僕の杖を握ってる限り、できないね」
「そんなに杖を使えるのが嬉しいんだね、おもちゃを与えられた子どもみたいに」
「ひがむなよ、出来損ないめ。魔法が使えないからって」
 マルフォイはいまいましげにカナの手を振り払った。鼻を鳴らすと、カナの足元に目をやった。
「おや? これはなんだ」手紙だ。差出人のない。立ち上がった時にカナが落としたのだ。
「ぼくのだよ。返して」
「ふん、エリオット。たかが手紙を、すぐに開けないで昼休みまでとっておくなんてな。一生に何通貰えるかわからないものな。お前みたいな気の短い女にも、手紙を出してくれるやつがいたとはね」マルフォイは便箋を開けるつもりだ。「ちょっと!」カナが叫ぶ。手を伸ばすが、傍にいたクラッブが押さえつけた。
 マルフォイが眉を吊り上げた。
「フェイク・レターじゃないか。こんなので僕をだましたつもりか? くだらない」手紙は投げ捨てられた。マルフォイたちはそのまま大広間へ向かって行った。
 カナは手紙を拾った。フェイクだって? 角がわずかに汚れてしまった手紙をなんどかひっくり返し、カナは封をめくろうとした。
 開かない。
 爪で引っ掻こうが、上から破ろうが、杖で小突こうが、手紙はつるりとカナの指を避け、ぴしゃりと背すじを伸ばして鎮座していた。
「何なの、これは」カナは呆然と立ち尽くした。いったい誰に相談したものかと、頭を悩ませた。



 リーマスの返信にはたっぷり一か月を要した。それでも、届いた時にはカナは飛び上がりたくなるほどに嬉しかった。

「カナへ。
 手紙をありがとう。きみのお母さんを訪ねていて、返事が遅くなってしまったことを謝るよ。
 どうやらホグワーツで刺激的な生活を送っているようだね。
 わたしもクィディッチが大好きだったよ。友達がすばらしい選手だったんだ。箒の授業は良い気晴らしだった。カナも、シオンの分まで楽しむと良い。そして、できたらまた素晴らしい選手の話を聞かせておくれ。
 三頭犬については、わたしは力になれないようだ。わたしが在籍していた頃にはそんなものはいなかった、ということは言える。ホグワーツには秘密が多いからね。
 きみがやんちゃなのは知っているけれど、あまりはめを外しすぎないように。また生きて会いたいからね。
 ハグリッドのファングはそんなに大きくなったのか。想像がつかないよ。わたしが知っているのは、きみの半分くらいしか無い小さい犬だからね。あれは気が弱くて、わたしはよく足を噛まれていたよ。
 確かにきみの家はフクロウの知らないところにある。もしもエリアに手紙を届けたかったら、わたし宛に送ると良い。月に一度で良いなら、彼女のもとを訪ねるから、その時に渡そう。
 エリアはきみのために薬草を育てているようだよ。相変わらずね。あとのことは、直接お母さんにたずねておくれ。きみがエリアに手紙を出そうとしたこと、わたしはとても嬉しかったよ。自分のことでもないのにね。
 寒くなってきたから、湖には気をつけて。大イカの気が立ってくる時期だから。
 愛を込めて。リーマス・ルーピンより」

 カナは奥歯のあたりがむずむずした。何度も何度も、そのやわらかい筆跡に目を通した。署名の下の、インクの滲みさえ好きだった。
 カナの食事の手がずっと止まったままなので、シェーマスが覗き込もうとして、ラベンダーに小突かれていた。
「君、たまに手紙が届くと、ずいぶん嬉しそーにするよなぁ。家族から? それとも恋人からか?」シェーマスはほとんど冗談でからかった。ラベンダーがまた「バカじゃないの」と突っ込んだが、カナは、シェーマスの青い瞳を見つめたまま、固まってしまった。
 恋人?
 カナの顔が、熟れきったトマトみたいにみるみる真っ赤になっていった。握りしめた手紙がくしゃ、と音を立てた。シェーマスは呆然とカナと見つめあって、後ろでディーンが「マジかよ」と呟いた。カナがそっと手紙をたたむと、グリフィンドール生も静かに食事を再開した。カナは恥ずかしすぎて顔を上げることができなかった。
 ――家族だって、家族みたいに思ってるって、すぐに言えなかった。カナはそればかり考えた。恋人?って、カナ、ばかじゃないの。一瞬でもそんなことを考えてしまったことが恥ずかしくてたまらなかった。カナはすごく、すごく、すごく後悔した。
 気づかなきゃよかった。カナはリーマスのことを、家族として愛しているわけではないのかもしれない。



 ハロウィーンの朝がやってきた。カナはそれがどんなイベントなのか知らなかった。数日前からホグワーツは浮き足だったムードで、日ごとにあちこちのかぼちゃが増えていくのを数えるのが、カナは楽しかった。
 昨日は、ハグリッドが巨大なかぼちゃを大広間に運ぶのを手伝った。カナはツタが地面を引き摺らないように持っていただけだったけれど。それに、ハロウィーンをしたことがないと言うと、ハグリッドが子猫ぐらいの小さなかぼちゃをカナにくれたので、生まれて初めてかぼちゃをくりぬいた。不恰好だったけれど、ハグリッドが中に蛍火石を入れてくれたので、月が出ている夜は綺麗に光る。

 結局「開かない手紙」のこともリーマスの手紙に書いた――カナはリーマスのことを考えた時、猛烈に顔が熱くなる――おかあさんへの手紙を同封するかどうかはまだ決めかねていた。返信が欲しいわけでもないし、よくよく考えたら、あのときはホグワーツに来たばかりで、不安でどうにかしていたのだ。いつか機会があれば書き直そうと思い、リーマスにもその旨を伝えた。返事はおそらくひと月後だ。そのくらいでいい。あんまり早くに手紙が届くと、カナの心臓が破裂してしまう。

 授業ではフリットウィック先生が「そろそろ物を飛ばす練習をしましょう」と言った。カナは気分が泥水みたいに沈んでいくのがわかった。ちなみに隣のネビルもだ。カナの魔法は一度も成功したことがない。失敗すらしていない。なにも起こらないのだ。
 先生は生徒を二人組にして練習させた。目の前の机では信じられないことが起こった。ロンがハーマイオニーと二人組になってしまった。ふたりとも今にも爆発しそうな雰囲気で、目から火花を走らせていた。あの三頭犬の以降、一度も口をきいている姿を見たことがない。
「さあ、今まで練習してきたしなやかな手首の動かし方を思い出して。ビューン、ヒョイですよ。いいですか。ビューン、ヒョイ。呪文を正確に」
 本の上に立った先生が声高らかに言った。カナは今回こそ何かを起こして見せると集中するために、深呼吸をした。
「あの魔法使いバルッフィオは、ではなくの発音をしたために、気がついたら自分が床に寝転んでバッファローが自分の胸に乗っかっていましたね」
 もはや先生の話を聞いているのは涼しい顔をしたハーマイオニーだけだ。みんながそれぞれビューン、ヒョイと浮遊呪文に取り組んでいる。斜め前の席では爆発が起こった。シェーマスだ。
 相方のネビルも杖を振ったが、浮いたのは机の上の羽ではなくカナ――いや、カナの座っていた椅子だった。大きな音をたてて床に尻をうちつけるはめになった。
「ご、ごめん! カナ」
「う、うん。尻餅をついただけだよ」
 ネビルは泣きそうな顔をして落ち込んでしまった。
「ボク、またやっちゃった・・・・・・」
「椅子が浮いたんだから、羽だって浮くはずだよ。えっと、ぼくの椅子は・・・・・・」
「頭の上ですよ、ミス・エリオット」
 フリットウィック先生が浮いたままの椅子を取り戻してくれた。先生も苦笑いして、ネビルにふたたび杖の振り方と正しい呪文の発音を繰り返して、また別の生徒のところへとチョコチョコと歩いて行った。
「最初からうまくいく人なんてそういないよ」そう落ち込むネビルの背中を叩いたときだった。目の前のロンとハーマイオニーの席で、フリットウィック先生が「オー!」と声を上げ、拍手をしていた。
「皆さん、見てください。ミス・グレンジャーがやりました!」ハーマイオニーの羽はくるくると空中を漂っていた。
「まあ、ハーマイオニーはぼくらとは違うかもね」

 妖精の呪文の授業が終わるなり、生徒たちは早くあの香ばしく誘うパンプキンパイに辿り着きたいとばかりに、足早に教室をあとにする。
 後ろのほうでロンがガミガミと吠えているのが聞こえてきた。どうもハーマイオニーと一悶着あって、機嫌が悪いようだ。カナだって、マルフォイと一時間の授業を一緒に過ごせと言われたら煮えた鍋みたいに怒り狂う自信がある――いや、ふたりがそのぐらいの仲だということだ。
「・・・・・・だから、誰だってあいつには我慢できないっていうんだ。まるで悪夢みたいなヤツさ!」
 だからといってその言い方は、まるでみんなしてハーマイオニーを嫌っているかのようだった。カナはロンに言葉の使い方を気をつけるよう、ひとこと言ってやろうと歩調を緩めようとした。
 その時、ふわふわの栗色がカナを追い抜いていった。ハーマイオニーだ。カナの足が止まる。
「今の、聞こえたみたいだ」「それがどうした?」ロンとハリーがカナを追い越していった。「誰も友達がいないってことはとっくに気がついているだろうさ」
 カナは走り出した。ハーマイオニーを追いかけた。さいわい、そう遠くへは行っていないようだ。

「ハーマイオニー、ハーマイオニー!」
 大階段の塔に入る前にふたりは並んだ。彼女はふわふわの栗毛のすきまからカナの足をちらりと確認すると「ほっといて」と涙声で言った。だけどカナはハーマイオニーについて歩いた。やがてひと気のない廊下にたどり着くと、カナはハーマイオニーの手首を握って歩みを止めさせた。
「何よ、いまさら、私がかわいそうになったってわけ? それとも私を笑いにきたの?」涙声だけど、ハーマイオニーはいつもの強気な口調を崩さなかった。
「違うよ、きみを一人にさせたくなくて、心配で」
「心配ですって?」ハーマイオニーは顔を上げた。目はすでに赤く、目じりにはこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。「私みたいなのは放っておけばいいじゃない。友達が居ないのは、自分でいちばんわかってるわ。誰もこんな女の子と仲良くしたいと思わないことだって」ハーマイオニーはカナの手を振りほどこうとした。しかしカナも負けじと抵抗する。
「ロンに謝らせるから」
 ハーマイオニーの動きが止まる。驚いて目を丸くしていた。
「こんなのは続けるべきじゃないよ」
「なんて、おせっかいなの!」今度こそハーマイオニーはカナの手を振りほどいた。そして走って、廊下の角を曲がった。カナは追いかけなかった。今度は、ロンを説得するために。

 ハーマイオニーは昼食に姿を現さなかった。午後の薬草学にも来なかったし、すっかり姿をくらませていた。
「もう、いい加減にしておくれよ。何度言われても嫌なものは嫌だって。君ってばしつこいよ」
「しつこくしてれば、きみはいつか根を上げるでしょ?」
 カナはロンに本当にしつこく言い寄った。昼食から、談話室でも、薬草学の授業中も隣を陣取ったし、今も夕食の席でもロンが耳を塞ぎたくなるほど言い続けていた。そのせいかロンはぐったり気味だ。せっかくのハロウィーンの装飾も、こうもりのダンスも、焼きたてのパンプキンパイも味がしないだろう。
「きみが一言『謝る』って言ってくれたらいいんだ。それで終わるんだよ? どうしてそれができないの?」
「君ってば、どうしてそんなに性格が悪いんだ? あんなにおとなしそうだったのは、どこに行ったんだ?」
「ぼくの話はいいんだよ。今は自分のことを考えなよ。ぼく、きみが認めないなら、夜だって寝かさないからね。寝室に忍び込んで、枕元でずっと『謝れ』って言い続けてやる」
「誰だよ、こいつを『魔女じゃない』なんて言ったやつは――」
 ロンの喚叫は、バタン!と響いた巨大な音にかき消された。大広間の扉が勢いよく開いたのだ。
 飛び込んできたのはクィレル先生だ。大広間は静寂で満ち、みんなが注目した。クィレル先生のターバンはゆがみ、顔はひきつって蒼白だ。そのままダンブルドア校長のもとまで駆け寄ると、テーブルにもたれかかるように崩れた。
「トロールが・・・・・・地下室に・・・・・・お知らせしなくてはと思って・・・・・・」
 そしてその場で気を失ってしまった。
 大広間はパニックだ。あちこちから悲鳴が上がり、生徒たちは大混乱となった。
 パーン! と今度は破裂音だ。ダンブルドア校長の杖から伸びた爆竹だった。それでやっと静かになる。
「監督生よ。すぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に帰るように」
 校長先生の重々しい声が轟いた。
 パーシーがすぐさま立ち上がって、生徒たちを先導した。カナはロンに引っ張られながら、あわててパイを口の中に詰め込んだ。
「僕についてきて! 一年生はみんな一緒に固まって! 僕の言うとおりにしていれば、トロールは恐るるに足らず! さあ、僕の後ろについて離れないで! 道を開けてくれ。一年生を通してくれ! 道を開けて。僕は監督生です!」
「いったいトロールはどうやって入ってきたんだろう」ハリーがつぶやいた。
 押し合うようにして階段をのぼりながら、カナはもぐもぐとパイを咀嚼していて話せなかったので、その視線はロンに向かった。
「僕に聞いたって知らないよ。でも、トロールってとってもバカなやつらしいよ。もしかしてハロウィーンの冗談のつもりで、ピーブズが入れたのかな」
 大階段前の廊下は混乱状態だった。生徒が右往左往し、ぶつかりあいすれ違いあいながら、人混みをかきわけて進まなければならなかった。
 パイをようやく飲み下して、カナはロンの手をパッと放した。
「ハーマイオニーに知らせないと」
 カナは元来た道を引き返す。反対方向へ急ぐハッフルパフ生にまぎれ込み、誰もいなくなった方の廊下をすり抜け、三階を目指した。パーバティが言っていた。「ハーマイオニーが三階の女子トイレで泣いていたみたいよ」と――
「カナ!」
 ハリーの声がした。振り返ると、ロンも一緒だった。
「君ってとっても勝手だよ。一人じゃ危ない。それに、そんなに足が速いなんて知らなかった」ハリーは頬に汗を垂らしながら言う。
 二人が来てくれてほっとした。ほんとうは、魔法が使えないカナはどうやって身を守ればよいのか不安だった。
「ロン、ハーマイオニーと仲直りしてくれる気になった?」
「まだ考え中」ロンは不機嫌に言った。
 三人はこそこそと廊下を進んだ。角を曲がったとたん、後ろから急いでやってくる足音が聞こえた。ロンが「パーシーだ!」とささやいて、ハリーとカナを怪獣グリフィン像の後ろに引っ張り込んだ。
 パーシーではなくスネイプ先生だった。ずいぶんと急ぎ足で廊下を渡って、いなくなってしまった。
「何してるんだろう。どうして他の先生と一緒に地下室に行かないんだろう」ハリーがつぶやいた。
「残った生徒がいないか探してるのかもよ」カナが言うと、ハリーとロンは身震いした。
 それから動き出そうとした途端、再び背後からパタパタと足音がして、カナは立ち上がろうとしたロンとハリーをもう一度石像の後ろに引っ張った。
 小さな後ろ姿が走っていくのが見えた。スリザリン生だった。三人は顔を見合わせて、二人が消えた方向に忍び足で身をかがめて廊下を進んだ。
「四階の階段のほうだ」
 曲がり角の向こう側で「スネイプ教授!」と女の子の声が聞こえて、足音がやんだ。カナたちも歩くのをやめて、大時計の裏に隠れた。
「エイブリー!」スネイプ先生の低音が聞こえて、カナたちは身を小さくして震えた。それから目を見開いた。
 何故ガートがこんなところに?
「こんな所で何をやっている! さっさと寮に――」
「お父様から言い聞かされているんです! 私に、教授の手助けをさせてください!」
 ガートとスネイプ先生は言い合いを始めた。ガートは彼に協力を申し出ているが、一方のスネイプ先生は力強く彼女を拒む。
 状況がまったく掴めない。
 低い声で生徒を寮に帰そうとし続けたスネイプ先生だったけれど、ガートも譲らなかった。やがてスネイプ先生は「帰れ!」と大きな声で叫んだ。カナたちはもっともっと身を小さくした。顔が見えていないだけでこんなにも怖いのに、ガートはいったいどれだけの恐怖と立ち向かっているんだろう。
「何を吹き込まれたか知らんが、私には関わるな!」
「私、死んでも動きません!」
「どけ!」
 どんなにスネイプ先生が怒鳴ろうと、ガートは一歩も譲らなかった。
「悪く思うな」スネイプ先生が低く唸った後、廊下がパッと赤く光るのが見えた。何かが倒れる音がして、ガートが大人しくなった――まさか――先生がガートに危害を加えた? カナは汗が顎を伝うのを感じた。ハリーも「スネイプのやつ、何を・・・・・・」と立ち上がりかけた。けれどカナは擦り切れそうな理性でそれを制して、スネイプ先生が立ち去るのを待った。
 足音が聞こえなくなるのを待って、カナはガートのもとに駆け出した。廊下の隅にガートは寝かされていた。息はしているようだ。どうやら意識を失っているだけらしい。肩を叩いても目を覚まさない。だけれど生きていることが分かっただけでもカナはほっと息をつくことができた。先生は、声を聞いているだけでも、殺してしまいかねない剣幕だった。
 生徒に向かって、なんてことを――カナはショックと怒りで体がふるえるのがわかった。
「ぼく、スネイプ先生を追いかける」
 ハリーがカナを呼び止めたけれど、足を止めることはできなかった。四階へ続く階段を駆け上がる。スネイプ先生がどこに向かうのか予想がついていた。
 立ち入り禁止の廊下だ。そこしかない。カナは自分の体のうちで、怒りがふつふつと、茹だった大釜みたいに揺れ動くのがわかった。
 予想は的中した。スネイプ先生はそこにいた。扉に杖を突きつけて――鍵を開けようとしていた!
「スネイプ先生」
 先生はカナを杖で突き刺す勢いで振り返った。カナが近づいてくることに気がついていなかった。スネイプ先生がこんなにも油断しているのは珍しい――あるいは、ほかに気を取られることがあったのか。
「エリオット、ここで何をしている」低い声が、カナの頬をピリピリと切りつけるようだった。カナは負けない。
「先生こそ、ここは立ち入り禁止の廊下ですよ?」
生徒は・・・な」
 スネイプ先生が一歩ずつ、ゆっくりと詰め寄ってくる。カナは引かなかった。ぬらりとそびえ立つ影のような、先生の顔を見上げることになっても、足が震えていても、カナは意地でも動かなかった。
「ここに何が隠されているのか知ってるんですか?」
「黙れ! 騒ぐな。いいか、直ちにここから立ち去るのだ」
 カナが言い返すために口を開いた時、悲鳴が聞こえた。階下からだ。そして――この声は。
「ハーマイオニー!」
 カナは振り返って、走り出した。スネイプ先生がカナを追い越した。ひどい騒音があたりに響いた。ものが割れる――砕ける――打撃音――悲鳴――カナは泣きたくなった。
 トロールは地下にいるんじゃなかったの? ハーマイオニーは生きてる? 怪我をしてない? ハリーと、ロンはどうなったの? ガートは?
 三階にたどり着いたとき、特別大きな地響きがカナの足を伝った。異様な――据えたへどろのようなにおいが三階いっぱいに充満している。最後の振動から、あたりは静かになった――スネイプ先生がトロールを退治してくれたのだろうか。女子トイレの方向に、クィレル先生が駆け寄っているのが見えた。
「カナ」
 ガートの声だ。見ると、大時計の影に隠れている。意識を取り戻したらしい。カナは息を吐いて、そちらに駆け寄った。
「ガート! 頭は痛まない? どこかおかしなところはない?」
「あんたの声がキンキン響くだけ」ガートは顔をしかめた。「スネイプ教授は?」
「トロールの方に行った」
 カナが教えると、ガートは肩の力を抜いて、壁に寄りかかった。
「ねえ、ガート、ぼく聞いちゃったんだけど・・・・・・」
 ガートは「シー」とくちびるに指を立てた。
「カナ、また今度話そう」顎をくいっと動かした方を見ると、ハーマイオニーが出てきたところだった。カナは背を押されて、廊下に飛び出した。
「カナ」
 ハーマイオニーが気が抜けたように言った。カナはハーマイオニーに連れ立った。大時計の影には、もうガートはいない。得意の「目眩まし術」でスリザリン寮に戻ったのだろう。
「ハーマイオニー、どこも痛くない?」カナは顔を覗き込んだ。
 ハーマイオニーは静かに首を振る。涙の跡はあるけれど、怪我はしていないようだ。
「私・・・・・・」ハーマイオニーが口籠る。彼女がこんなに言いにくそうなのは珍しい。「先生に嘘をついたわ。だけど・・・・・・仕方がなかったのよ。ロンとハリーが、トロールから助け出してくれたの。私があそこに隠れていなければ、二人が危険な目に遭うこともなかったし・・・・・・」
「大丈夫だよ、ハーマイオニー」カナは手を繋いだ。ハーマイオニーの指先はすっかり冷たくなっている。かたいペンだこを撫でた。「きっとうまくいくよ」
 ハーマイオニーはぎこちなくほほえんだ。

 寮に戻ると、ハロウィーン・パーティーの続きが行われていた。料理が運ばれてきて、生徒たちは自由に騒いで過ごしている。やんちゃな生徒が花火を飛ばして、空中に投げたキャンディをこうもりに変えて遊んでいる。
 カナはかぼちゃジュースを取りに行こうとハーマイオニーを誘ったが、「ここで待ってるわ」と入り口のあたりに立ち尽くした。カナも一緒に、宴の輪の外側で待つことにした。
 少しして、ロンとハリーが談話室に入ってきた。二人がこちらを見つけると、ハーマイオニーはうつむいてしまった。ハリーとロンも気まずそうに押し黙っている。
「――っくちゅん」
 唐突に、くしゃみがカナをおそった。三人は一瞬注目したのち、笑い出した。「ごめん」
「まったく、カナったら・・・・・・」ロンがあきれたように言った。
「ロン、ハリー、ありがとう」ハーマイオニーがくすくす笑いをこらえて、二人に言った。
「ハーマイオニー、かばってくれてありがとう」
「君の浮遊呪文の指導は正しかったよ、それに、ごめん」ハリーとロンも、素直に言った。四人はパーティーの一団に加わって、ようやくパンプキンパイの甘い香りと味を楽しむことができた。



20171001-20230306


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