「ちょっと、なんであんたたちがいるわけ?」
土曜日の朝、訓練部屋の古いベンチ――を改装したカウチに、ロンとハリー、そしてカナが収まっていた。ガートと二人のときは悠々と使えるそれに、男の子が二人も入ると、いっぱいいっぱいになった。身を動かすたびに、猫脚がキシキシとわずかに音を立てていた。
「カナ、あんた正気? この部屋に男子連れてきたの?」
「ぼくにいい考えがあって」
今や二人の男の子たちは、借りてきた猫みたいに縮こまっていた。
「ガート、ハリーと一緒に、ユールボールに出席してよ。ぼくがロンと行く」
バッとハリーが立ち上がった。そして、カナ、ガートと順番に見つめた。
「エイブリーはスリザリンじゃないか!」ロンも立ち上がって、先に反論した。「ハリーがスリザリンなんかと行くわけないだろ!」
カナはロンの意見を無視して、ガートに向き合った。
「ねえ、ガート。いいチャンスじゃない? きみが代表選手と並んで会場に入ったら、みんながびっくりすると思うよ?」
「そりゃ、そうかもしれないけど――」ガートは横目でハリーを見下ろした。ハリーが少し顔をしかめている。「あんた、あたしがもうパートナーを見つけてたら、どうするつもりだったの?」
「どうもこうも、わかってたからこうしてる」カナはにこにこと言った。「ここのところずっと、マルフォイがとっても機嫌よさそうだったからね。あいつの鼻を明かしてやろうと思って」
「ばかじゃないの」
男の子たちが、話題に取り残されていた。ガートは腰に手を当てて、軽く息を吐いた。
「ま、いいよ。あんたたちが納得するんならね」
ガートが順番に、ハリーとロンを見た。二人は押し黙ったまま、顔を見合わせた。
「まあでも、もし行くんだったら――」
ガートが、カナの腕を引っ張って、ハリーの隣に立たせた。そして、自分はロンの隣に立ち、その肩に手を置いた。
「こういう組み合わせになるんじゃない?」
「はあ?」
ロンが言った。身をよじってガートの手を避けながら、ヘーゼル色の目を見たけれど、ガートはカナを見た。
「カナ、あんたこそ鼻を明かしてやりなよ。彼の――」
「冗談じゃないぞ」ロンが口を曲げた。「よりによってスリザリンと――」
「あのね」ガートが口を挟んだ。「スリザリン、スリザリンって、なんなの? あたしがあんたに何かした? 選り好みできる立場ならどうぞご自由に。ボーバトンのヴィーラ少女でも誘ってきたら? 今度は話くらいは聞いてくれるかもよ――」
「その話はやめろよ!」
ロンが顔を赤くしたり青くしたりしながら、ヒステリックになった。
「ああ、いいさ! 一人で舞踏会に行くよりは何倍もマシだからね――ネビルのやつですらパートナーがいるってのに――」
「お誘いというよりは打ち合わせだよ。ロマンチックのかけらもないね。学年一の美少女を二人も捕まえておいてさ」ガートが肩をすくめた。「ポッターは?」
「うん、僕は、それでいいけど・・・・・・」ハリーは何度か、ガートとカナの頭を見比べていた。「カナはいいの?」
「何が?」
ハリーが心配そうにカナを見た。
「誰とも行かないって、きみ、言ってただろう?」
「気が変わっただけ」
うそだ――ほんとうは、変に意地を張っていても、みじめな思いをするだけだからだ。
「友達の助けになりたいだけだよ」
カナがへらりと笑うと、ハリーもロンも、意外そうにこっちを見た。
冬季休暇が訪れ、クリスマスまであと秒読みとなった。満員の談話室は騒々しくて――おもに、フレッドとジョージの新商品が大人気で、カナはその輪の中に興じるのをやめた。窓際の震えるようなテーブルで作業するのも癪なので、カナは暖炉の目の前のゆったりしたソファーをいつも陣取った。クリスマスまでに完成させるつもりでいたのに――トラブル続きで、クッション作りは全然進んでいなかった。
「ねえ、ねえ、カナ――」
アリシアが、おそるおそるといった感じで隣に座り、話しかけてきた。
「どうして、わたしに何も話してくれなかったの?」
「え?」カナは糸の絡まった針を投げ出して、顔を上げた。「なんの話?」
「ねえ、わかるでしょう。わたし、何か力になれたかもしれないのに――」
「なに、言ってるの」カナは半笑いで言った。「力になれることなんて、何もないよ。アリシアには、関係ないもの」
「関係あるわよ」アリシアが、茶色い瞳を揺らしながら、カナにすがった。「関係させてよ」
目を瞬かせながら、カナはアリシアの表情を見上げた。子犬のような愛らしい顔が、いつもはえくぼを浮かべるその口もとが、不安そうに緊張していた。
「できることなら、わたしがあなたと舞踏会に行きたかったわ」
「ぼく、もうハリーと約束しちゃったよ」
みるみる、アリシアの大きな目に涙が溜まっていく。
「わたしがあなたを見つけたのよ・・・・・・三年前のあの日、ホグズミード駅で」
「アリシア?」
「あんなやつに、渡すんじゃなかったわ。許すんじゃなかった。あなたがそう望むんだったら、それでいいと思ってたの。でも・・・・・・」
「あの・・・・・・」
大粒の涙をこぼしながら、息もきれぎれにあえぐアリシアを見て、カナはうろたえた。肩をつかむその手が熱くて、簡単にはふりほどけないほど強くて――カナは、どうしたらいいのか、わからなかった。
「ほら、ストップよ、アリー」
すらっとした手が伸びてきた。アンジーが、アリシアの手をそっとはがして、両手で握った。しゃくりあげながら、アリシアはアンジーを見つめた。
「わ、わたし・・・・・・」
「ごめんね、カナ。困ったわよね」
アンジーはアリシアを立たせ、ぎゅっと抱きしめながら、背中をさすった。ちらりとカナに視線をよこして、力なく微笑んだ。
「後輩思いが過ぎるわよ、アリシア――」
そう言って、ふたりは女子寮へと消えていった。取り残されたカナは、口を閉じるのも忘れて、ポカンとしていた。
「嘘でしょ・・・・・・」
泣きながらすがるアリシアのあの熱っぽい目を、カナは簡単には忘れられそうになかった。
「――そう思うよな、カナ?」
「えっ」
「君、まだ寝てるのかい? 朝食ちゃんと食べなかっただろ。どうしちゃったんだ?」
「えーっと・・・・・・」
カナは頭を振った。いつのまにか、朝食を終えてとっくに大広間を脱出していたらしい。
「なんだよ、たったいまハーマイオニーがマルフォイをバシッと追い返したのも、聞いてなかったのか?」
「はあ――考え事してた」
「それにしても変だぞ、君」
ロンが訝しんだ。ハリーもハーマイオニーも、三人とも、心配そうにカナを見ていたけれど、とても打ち明けられそうなことではない。同じ寮の先輩のことでもあるし、ハリーはクィディッチのチームメイトなのだ。まあ、フレッドともそうなのだけれど。
黙り込んだカナを置いて、三人は話を続けているようだった。
「やっぱり、違うぞ。君の歯・・・・・・」
「ええ、違うわよ。マルフォイが私に牙をくれたこと、お忘れになったの?」
「違うよ、そのもっと前より小さくなってる。いや、普通の大きさになってる――今更気づいたけど」
「ほんとだ」
「マダム・ポンフリーが歯を縮めてくださったときにね、ほんのちょっとだけ余分に小さくしていただいたの。でも、両親は喜ばないと思うわ。私、いつか自分で魔法で小さくするって言ってたんだけど、二人とも歯列矯正をさせるって言って聞かなかったの――ほら、私の両親って歯医者だから」
「ハイシャ?」
「はあーっ」
突然、鉛を吐き出すようなため息をついて、カナはようやく口を開いた。
「ねえ、女の子どうしでダンスをするのっておかしい?」
「はあ?」ロンが口をあんぐり開けた。「たった今、女子からお誘いがあったのか?」
「ロン、黙って」ハーマイオニーがにらみをきかせた。「まあ、ダンブルドアが許しそうなことだったら・・・・・・ナシじゃないんじゃない。でも、あなたハリーと行くのよね? あの、二人から聞いたんだけど」
「ああ、うん、もちろん。そうだよ・・・・・・ぼく、動揺してるみたい」
「フラー・デラクールか?」
ハリーがちょっとおもしろがって聞いた。とたん、ロンがふるえあがった。
「その名前を出すなよ!」
「ロン!」ハーマイオニーが、ロンのローブをぐいっと引っ張った。「あれ、ピッグウィジョンだわ!」
豆フクロウが、玄関ホールの階段の手すりのてっぺんで、ハチドリのようにさえずりまくり、注目を浴びていた。
「あっ」
その向こうから、今いちばん会いたくない人物が顔を出した――アリシアとアンジーの二人組だった。いまから朝食に向かうんだろう。カナはあわてて後ろを向いて、三人に聞こえるか聞こえないかの声で「ぼく、行かなくちゃ」と言い、その場を離れた。逃げ出したはよいものの、行き場が見つからなくて――カナは玄関の大扉を開けた。
雪が静かに降り続いていた。カナはマフラーをきつく巻きつけ、階段に座り込んだ。真っ白な校庭に、ひらひら落ちては消えていく雪を黙って見ていたって、なんの感情も湧かなかった。
どうしてこんなことをしているんだろう。どうしてカナが逃げ回っているんだろう――怒りたいような気持ちだったけれど、でも誰に怒ればいいのかわからなかった。誰が悪いのかわからなかった。誰も悪くはないんだろう。こんなに寒いのに、頭はちっとも冷えなかった。
ぎいっと音を立てて、玄関扉がもう一度開いた。顔を出したのはジニーだった。ジニーのほうこそ、怒っているような、泣き出しそうな表情で、カナを見ていた。
「何してるの?」
「避難してる」
「なんのために?」
ジニーがぷるっとふるえ、カナのことを訝しげに見つめた。ため息をつきながら、カナの隣に腰を下ろした。
「ねえ、ハリーと舞踏会に行くって、ほ、本当なの?」
「あ・・・・・・うん。そうだよ」
カナはパッと顔をあげて、ジニーの目を見つめた。
「ごめん。ジニー、きみを裏切りたかったわけじゃないんだ」
「わかってるわ」
言葉とは裏腹に、ジニーは不満そうに言った。
「ハリーが決めたことだもの。あたしは、間が悪かったの。ネビルを悪くは言いたくないから、もうこれ以上は、後悔するのはやめるわ」
みるみる、ジニーの目もとが赤くなり、膝に顔を埋め――しだいに鼻をすする音が混ざり始めた。
「でも、ねえ、どうして、あたしは――あなたのこと、あなたを見ると、どうしてこんなにもムカムカしちゃうの? こんなの、嫌なのに――あなたのこと、嫌いになんてなりたくないのに――」
何も言えなかった。カナには、消え入りそうな声で「ジニー」と言うだけで精一杯だった。
「コリンが、言ってたの。どうしてあんな記事をスキーターに書かせたのか聞いたとき――『ハリーとカナだったら、お似合いだと思ったんだ。本当だよ』って。あたし、その言葉を信じてなかったの。信じたくなかったの――でも、ハリーがあなたと行くって聞いてから、まるで、打ちのめされた気分なの」
「ごめん」
「謝らないでよ!」
ジニーが立ち上がった。赤毛を乱して、ぼろぼろと涙を落としながら、大きくしゃくりあげた。
「みじめじゃない・・・・・・」
そのまま、ジニーは早足で玄関ホールへと戻っていった。取り残されたカナは、マントの前を撚り合せて、マフラーに顔を埋めた。
「ぼくだって、ずっとみじめな気持ちだよ」
ああ、このまま雪に野晒しになれば、明日の舞踏会には行かなくて済むのに――なんて、思った。
「ぼく、ハリーのパートナーになったの、間違いだったかも」
「あら、どうして?」
あとは寝るばかり、といった時に、カナがぼやいた。髪をとかしながら、ハーマイオニーがなんでもないように問いかけた。
「女の子を二人も泣かせちゃった」
「カナったら!」ラベンダーが、ベッドのカーテンからひょっこりと顔を出した。「このユールボールの裏で、何人の女の子が泣いてると思う? そんなの、いちいち気にしてられないわよ」
「そうかな・・・・・・」
「そうだわよ!」
ラベンダーが勇気づけてくれるのはありがたかった。シルクのキャップを被ったパーバティも近づいてきて、おしゃべりに参加した。
「ラベンダーは誰と行くの?」
「その、シェーマスよ」ラベンダーの白い頬が赤くなった。それをごまかすように振り返る。「パーバティは? いろんな子から声かけられてたけど、結局、誰にしたのかしら?」
「パドマが――妹が、レイヴンクローの子を紹介してくれたの。ほら、天文学のときの――」
「ああっ! あの金髪の? それじゃ、ディーンのお誘いは断ったの?」
「彼、ひと足遅かったわ。それに、たまにはグリフィンドールじゃない男の子とも過ごしてみるのもいいかと思って」
パーバティがふと気がついたように、カナにくるりと向き直って、ひそやかに言った。
「ねえ、グリフィンドールの中だったら――ハリーって、もう少し背が伸びたら、けっこうイケてると思わない?」
カナはきょとんとした。ちらりとハーマイオニーに視線を向けると、自分のベッドで本を手にしたまま、カナと同じような表情をしていた。
「そんなこと、考えたことなかった」
「ウッソー!」ラベンダーが小さな口をあんぐり開けた。「毎日一緒にいるのに、何とも思わないの?」
「まさか、兄弟みたいに思ってるとか、そんなこと言わないでしょうね?」
パーバティの追求に、カナはニンマリした。
「だとしたら、ハリーが弟だね」
「弟?」ハーマイオニーが素っ頓狂な声を出した。「ハリーが弟なの? カナ、あなたが妹じゃなくて?」
ラベンダーとパーバティが、吹き出して笑った。
「ねえ、なんかおかしい?」カナもすこし笑いながら言った。「だって、ぼくのほうが誕生日早いもん――」
ひさしぶりに、カナはルームメイトたちと遅くまでおしゃべりして――夜ふかしして過ごした。
朝食がすっかり終わってしまった頃、カナはのろのろと起き上がった。ベッドの足元に積み上がったプレゼントの箱を見て――その魅力的ないくつものリボンを、普段ならひとつ残らず、わくわくしてほどくのに――そんな気に、ちっともならなかった。しかし、黄色の大きなリボンがかけられ、箱の縁がキラキラと光っている真っ青な箱が、ときどきピクピクとうごめいているのを見つけた。
カナはパジャマのシュミーズまま、髪をとかすのもほったらかして、例の箱を引っ掴んで寝室を出た。グリフィンドール生がゆったりとくつろいで、届いたばかりのプレゼントを楽しんでいる談話室をずかずかと横切って、燃え盛る暖炉に、青の箱を投げ入れた。とたん、暖炉が爆発した――鮮やかな色の火花が重なり合って光り、けたたましい音を立て、蛍光色の煙を放ち、あちこちに飛び跳ねた――箱の中には、「長々花火」がぎゅうぎゅうに詰まっていたに違いない。フレッドからの手紙も入っていたかもしれないけれど、どのみち、普通に箱を開けたとしても、読めたかどうかあやしいものだ。ベッドに火がついていたかもしれないし。
「うわっ! 何やってんの?」
ロンがソファーの上で縮こまったまま、バチバチと激しく鳴り響く花火の音に負けじと、カナに向かって叫んだ。
カナは両手を広げ、ひと言も発さずに、女子寮へと踵を返した――ほんの少しだけスッキリしたので、手付かずのクリスマス・プレゼントたちがどんなものか、気になってきたからだ。
シリウスがくれた、バックビークの爪の抜け殻や抜け落ちた羽根が詰め込まれた瓶に透明な保存液を流し込んでいると、寝室の扉が開いた。ハーマイオニーだった。外で遊んでいたんだろう。ふわふわの栗毛に雪をつけたまま、マフラーやマントを脱いでいく。
「カナ、あなた、ランチにも来ないで」
「ん、モリーおばさんのパイがあったから」
「だからって、クリスマスの日に大鍋なんか」ハーマイオニーは、小さく整った歯を見せてニコッと笑った。「根っからの魔女ね」
「ハーマイオニーこそ、大鍋なんて出して」
カナが使い終わった大鍋の横に、ハーマイオニーが水をたっぷり満たした大鍋を並べた。
「ねえ、ちょっと手伝ってちょうだいよ」
七時が三十分ほど過ぎ、キラキラしたドレスローブに身を包んだカナは、寝室を出た。胸の上が大きくさらけ出たドレスは気恥ずかしかったけれど、ハーマイオニーが仕上げてくれたのだから、胸を張らなくては。大丈夫、きっと悪いようにはならない――首元には、金色の蛇も巻きついていた。リーマスが見守ってくれているような気がする。
カナは息を吐いて、階段を降りた。談話室はすでに、色とりどりのドレスローブに身を包んだグリフィンドール生で溢れかえっていた。シニヨンにまとまった後ろ頭がいつもと違って気になるけれど、触るのを我慢した。ハーマイオニーがていねいに編み込んでくれたのだから。
ハリーもロンも、まだ出てきていないみたいだった。カナはひとりぼっちで、男子寮の階段手すりのいちばん下に寄りかかった。足先にかかるヒラヒラの裾がうっとおしくて、とんがった靴先で何度も蹴っては、いやみのように裾がふわりと広がった。
「カナ?」
顔を上げると――上げなければよかった、と後悔した。赤毛の双子が、真っ青なドレスローブに身を包んでそっくり同じ姿で、階段を降りてきたばかりだった。その片割れが、つい、ぽろっと言葉を溢してしまったような表情をしていた。
カナはフイと顔をそらした。軽く撫で付けた赤毛がパーシーみたいで、そう言ってからかってやろうと、頭の片隅に思い浮かんだ。それをため息とともに吐き出した。もう以前とは違う――でも、頭はまだ冷えていない。ドレスローブのおかげでまるだしの、この――ここだ。胸の上のところに、フレッドが吸い付いた感触だって、まだ覚えているというのに。
「カナ」
ハリーの声だった。カナは顔を上げた。クシャクシャ頭の、いつものハリーだった。深緑色のローブに身を包んで、エメラルド色の瞳がいつもより鮮やかに映った。
「あ、その――」
ハリーが口をもごもご動かした。
「素敵だよ」
それを聞いて、カナは「フッ」と小さく吹き出した。
「ありがとう」
微笑むと、ハリーもすこし肩の力を抜いたようだった。カナは頭上にそっと手を伸ばした。ハリーはびっくりして身じろいだけれど、自分の髪にカナの手が通っているのがわかると、大人しくした。
「髪ぐらい、整えなよ」
手櫛で、あちこち飛び跳ねたハリーの髪を押さえつけた。けれど、カナが手を離すと、ぴょんと跳ねて元に戻ってしまう。
「これでも整えたんだ」ハリーがぎこちなく言った。その表情には諦めが滲んでいた。きっと、降りてくるまでにも格闘していたに違いない。
「ちょっと待ってね」
カナはドレスローブの脇口に指を突っ込んで、杖を取り出した。ハリーがその光景を、目を丸くして見ていた。「アクシオ」で軟膏壺と手鏡を呼び寄せると、カナはハリーを手近な椅子に座らせた。
「それ何?」手鏡を受け取ったハリーがキョトンとしていた。
「ヘアバームだよ。今回は特別だからね」
ほんの少し手に取って杖を振ると、薬はふわふわと泡立った。それを両手に広げて、ハリーのぼさぼさの髪に撫で付けた。みるみるうちにクシャクシャ髪は素直になり、カナの手櫛でも見違えるように整っていく。
「弟よ、今夜はシャンプー二回だからね」
いたずらっぽく言うと、ハリーは鏡を見つめながら、茫然と「うん」とだけ、返事した。
そうしているあいだに、ようやくロンがキョロキョロしながら合流した。珍しく、長い手足がきっちりとローブに収まっていたけれど、栗色のビロードのドレスローブは、袖口や襟がボロボロだった。
「どうしたのそれ?」カナが素っ頓狂に聞くと、ロンはイライラした。
「どうもこうも――こういうデザインだよ。ねえ、ハーマイオニーは?」
「さあね」
カナはすっとぼけた。ほんとうはハーマイオニーの行き先を知っている――今夜のダンスパートナーのところだ。
「カナ、ロンにもあれ、してあげてよ」
「ええ?」ハリーの提案に、カナは赤く色づいた口を開いた。「いいけど、舞踏会に遅刻するつもり?」
「なにを?」ロンがハリーの変化にちーっとも気づいていないように言った。ハリーが指し示して、ようやく気がついた。
「ああ――オッケー。ちゃちゃっとテキトーにやっちゃって」
「まったく、人任せなんだから」
カナはロンの前髪にベッタリと泡を塗りつけた――パーシー第二号だ。
玄関ホールに向かう道すがら、螺旋階段を降りる手前の手すりに、ガーネット色の煌びやかなドレスローブに身を包んだガートが立っていた。なめらかなチョコレート色の髪は左肩に流してあり、首元や指先の宝石が銀色の輝きを放っていた。
「あ、カナ!」
ガートはカナを見つけると、嬉しそうに笑って手を振った。カナの一歩後ろを、ロンとハリーがついてくる。
「出たね、毒きのこのお姫様」
「ガート、すごくきれい」
「あんたこそ。その色、やっぱり似合ってる」
カナはガートからのクリスマスプレゼントに、口紅を貰っていた。以前にアンジーとアリシアから貰ったリップは、とてもつける気にならなかったので、ちょうどよかった。
ガートがふと顔を上げて、ロンのことを上から下までじろじろと見回した。
「なんだよ?」
「それ、どうしちゃったの?」ガートがロンのローブのボロボロの袖を引っ張りながら言った。「そこらへんのカーテンでも巻いてる方がマシなんじゃない?」
「最初からこうだったんだよ」ロンはそれを払った。
「切り取ったみたいに見えるけど」ガートが小さなハンドバッグから、杖とスカーフを取り出した。「せめてさ、これ、使いなよ」
ロンはペイズリー柄の金色のスカーフを受け取った。ぎこちなく首に巻き付けていると、ガートの杖先が伸びてきて、あっというまに結んでしまった。
「袖のほつれてるところ、切っちゃっていい?」
言いながら、あっというまにローブの袖を整えていった。その早業に、ロンもハリーも唖然としていた。カナはこっそり笑ってそれを見ていた。
「で、ウィーズリーくん。あたしに何か言うことは?」
「あー、ありがとう・・・・・・」
「違う」
ロンは「じゃ、なんだよ?」と首をすくめた。
「あんたのダンスパートナーを見て、何か言うことはないわけ?」
ガートはその場でくるりと一回転した。マーメイドラインのドレスの裾が、控えめに広がる。背の高いガートが男の子を見上げているのって、なんだか珍しいな、と、カナは呑気に思っていた。
「『きれいだね』とか、『素敵だよ』とか、思ってなくても言うもんなの。社交場とか行かないの、あんたの家は?」
「はいはい、お綺麗ですよ、ミス・エイブリー」
「まあ、それで結構です」ガートはふんぞり返った。そのやりとりがおかしくて、カナはクスクスと笑った。
玄関ホールはドレス姿の生徒たちで、談話室以上にごった返していた。八時になって大広間の扉が開かれるのを、みんな待っているのだ。
「ほーら、カナ、見てごらん」
カナたち四人は、螺旋階段の上から玄関ホールを見下ろしていた。ガートが人混みを嫌ったのだ。彼女が指差した一団の先頭にいたのはマルフォイだった。黒いビロードの詰襟ローブを着ていて、隣には、普段よりもブロンドをきつく巻いたパーキンソンを侍らせている。フリルがたっぷりしたベビーピンクのドレスは、彼女のグラマーな体型を引き立てていた。
「あいつ、パンジーってさ、自分のことバービー人形か何かだと思ってるんだよ」
「バービー人形?」
「バーベッジ先生が教室に飾ってる、おへそのくびれた人形だよ」
「ああ! 確かにね、そっくりだよ、巻き髪とか」
「あんなにベタベタくっついちゃってさ。恥ずかしいのはどっちだよって話」
「あの子、けっこうスタイル良いんだね」
「もう少し痩せるべきだと思うけどね。まあ、ああいうのが好きなんでしょ、ドラコくんは」
振り返ると、ロンがまだキョロキョロと玄関ホールを見回していた。
「ハーマイオニー、どこ行っちゃったんだろう?」
「ロン、ハーマイオニーは――」
カナが言いかけた時、玄関の大扉が開いた。ダームストラングの一団が、カルカロフを先頭にして一列になって、ホールへと流れ込んできた。一番前を歩くのはクラムだった。そして、スカイブルーのドレスローブに身を包んだハーマイオニーを連れていた。カナはたったいま言おうとした言葉を飲み込んだ。
「クラムと一緒に来てる子、誰だろう?」
ロンがそう言った。ハリーも気づいていないみたいだった。カナはガートに視線を送った――あきれた様子だった。
「代表選手はこちらへ!」
マクゴナガル先生の声が、ホールに響いた。手すりに寄りかかっていたハリーは起き上がり、急いで階段をくだろうとした。
「待って、ハリー」
カナが呼び止めると、上からガートの声がかかる。
「ポッター、パートナーをエスコートしなきゃ」
思い出したようにカナが手を差し出すと、ハリーがそっと、下から手を添えた。きゅっと握り込むと、二人は照れたように笑った。
「なんか・・・・・・変だ」
「そりゃ、変でしょうとも」
カナとハリーが玄関ホールを通るとき、ピタッとおしゃべりが止んで、人垣が割れていった。視線を感じた――こんなの、ハリーが普段から浴びているものに比べたら、なんてことはない。カナは胸を張った。
マクゴナガル先生は、真っ赤なパーティー用のドレスローブを着ていた。恐ろしく似合わなかった。ひっつめ髪は解き放たれてはいなかったけれど、いつもとは違う帽子の縁に、いびつなアザミのリースを飾っていて、それもまた不自然だった。
代表選手とそのパートナーは、扉の脇で待つよう指示された。すべての生徒が入ってしまってから、最後に入場することになっていた。
シルバー・サテンのドレスに身を包んだフラーが、まず一番前に陣取った。パートナーに、レイヴンクローの六年生のロジャー・デイヴィーズを連れていた。彼はずっとフラーに釘づけで、まっすぐ歩けるだろうかと心配になるほど呆けていた。
「シャ・ノアール!」
フラーがカナに気がつき、青い目をこぼれそうなほど見開いた。カナはニコッと微笑んだ。飾り気のないシンプルなドレスローブは、フラー自身の美しさを引き立てているようだった。
「フラー、すごく素敵だね」
その声に、フラーのすぐ後ろのセドリックとチョウが振り向いて、驚いたようにカナを見ていた。カナは二人にも微笑んだ。セドリックは皺ひとつないグレーのジャケットを着ていた。チョウはミッドナイトブルーが淡くグラデーションになったドレスローブを身につけ、胸元には鮮やかな青色の蝶々のブローチがはためいていた。
「チョウ、とっても似合ってる」
「ありがとう。あなたこそ素敵よ」チョウの、キラキラしたブラウンのアイシャドーで彩られた目元が、やさしく垂れ下がった。
カナはチョウに見えないように、ハリーの足を軽く蹴った。しかし、ハリーは押し黙ったまま、後ろに視線を逸らし――そのままこわばった。
「ハリー、カナ、こんばんは!」
はつらつとした声だった。ハーマイオニーだ。ハリーは、クラムの隣に立っているのがハーマイオニーなのだと、たった今気がついたみたいに、ぽかんとしていた。まあ――はっきり言って、無理もない。
普段のハーマイオニーとは、雰囲気がガラリと違う。カナと二人で二時間かけて、「スリーク・イージーの直毛薬」をたっぷり使って、ハーマイオニーのふわふわの髪をまっすぐに伸ばしたのだ。それを、カナが悪戦苦闘しながらシニヨンにまとめた。ハーマイオニーがやったカナの髪よりも出来がわるいだろうに、彼女はなにひとつ文句を言わなかった。すこし緊張したように、でもにっこりと微笑むと、ハーマイオニーのリスみたいで可愛かった前歯が小さくなったのだと、余計にわかる。大広間に入る生徒たちはハーマイオニーを見つけると、おもしろいほどにみんな、口をあんぐりと開けた。あれほど彼女を侮辱していたマルフォイとパーキンソンや、トレイシー・デイヴィスも、言葉が見つからないようだった。ハーマイオニーがとってもかわいい女の子だということに、みんないまさら気がついたのだ。ロンは――顔も上げずに通り抜けていった。
隣で、葡萄酒色のローブに身を包んだクラムが、むっつりしたままその様子を眺めていた。何を考えているのか、さっぱりわからない無表情で。
ふと、マリーゴールド色のドレスローブを着たアリシアが、穴が開くほどこちらを見つめていることに気がついた。カナと目が合うと、何もなかったように目を背けた。アンジーとジョージのペアの後ろで、フレッドと並んで大広間に入っていく。カナの微笑みがわずかにこわばったことを見つめている人物がもう一人いることには、カナは気づかなかった。
全員が着席し終えると、マクゴナガル先生が代表選手とそのパートナーたちに合図した。先生のあとに続いて、大広間に入っていく。ハリーがそっと、右手を差し出した。カナはその上に手を乗せた。
拍手が、八人を迎えた。大広間はこれまでのクリスマスの中でも、もっとも美しかった。壁は銀色の霜で覆われ、夜空の天井の下にはヤドリギや花蔦が絡み、垂れ下がっていた。いつもの長テーブルはなく、十人ほど座れる円形のテーブルがずらりと並んでいた。それぞれに仄かなランタンが灯され、夜の闇に浮かび上がっているのが、言葉を失うほどきれいだった。
カナが見惚れていると、ハリーの肩とぶつかった。振り返ると、灯りが反射する眼鏡の奥ですごく変な顔をしていた。とても緊張しているに違いない。カナはクスッと笑い、それをハリーがまたうらめしそうに見た。
代表選手とそのパートナーは、一番奥のひときわ大きな丸テーブルに通された。トーナメントの審査員たちが座っている。選手たちが近づいていくと、真ん中の席で、ダンブルドアがうれしそうに微笑んでいるのが見えた。カルカロフは、クラムが連れてきたのがホグワーツの生徒だとわかり、意外そうに目をすぼめていた。バグマンは鮮やかな紫の生地に、星が散った派手なローブを着ていた。生徒と一緒になって、楽しそうに拍手をしていた。反対側の席でマダム・マクシームが、ラベンダー色のシルクのドレスを纏い、ゆったりと拍手していた。その隣のクラウチ氏――カナは目をまんまるに見開いた。クラウチ氏の席に座っていたのは、本物のパーシーだった。ネイビーブルーのドレスローブを着て、口の上には切り揃えられた薄い髭を蓄えていた。ピッタリと、真っ直ぐに撫で付けた本物の七三分けに、カナはほんのちょっと笑いそうな気持ちになった。
選手たち全員がテーブルの目の前に来た時、パーシーが自分の隣の椅子を引いて、ハリーに合図した。ハリー、カナの順で、パーシーの隣に座った。
「昇進したんだ」
きらりと、眼鏡を光らせてパーシーが言った。とても嬉しそうだった。
「おめでとう」とカナが言うと、パーシーは鼻高々に頷いた。
「クラウチさん専属の補佐官になった。僕は、クラウチさんの代理でここに来ているんだ」
「あの人、どうして来ないの?」ハリーが聞いた。
「残念ながら、あの方は体調が良くない。まったく良くない。ワールドカップ以降、ずっと調子が変なんだ。それも当然――働きすぎだ。もうお若くはないし――もちろん、まだ彼の才覚は冴え渡っているし、昔と変わらない素晴らしい頭脳をお持ちだ。しかし、ワールドカップは魔法省全体にとっての一大不祥事だったし、クラウチさん個人も、あのブリンキーだったか、ハウスエルフの不始末で――」
「ウィンキー」
カナが言葉を添えると、パーシーの早口が一瞬止まった。かつての友情を忘れさせてしまうような冷たい視線が、カナをとらえた。
「――君の母親が、毎日のように面会の申し入れをするのも、クラウチさんにストレスを与えているんだ。まったく、エルフがいなくなって家の中ことすら追いついていらっしゃらないというのに――」
カナは一瞬、なんのことか理解が追いつかなかった。わずかな軽蔑がこもった視線に、たじろいだのもあった。母親とは、つまり――
「エリアおばさんが?」ハリーが言った。
「言いたくないが、あの魔女は病気だ」パーシーが、憐れむように言った。「妄想に取り憑かれてる。クラウチさんの、亡くなった家族のことまで持ち出して、意味のわからないことをせがんでは、本人の言葉を欲しがっているんだ――ああ、お気の毒に。あの方のことを嗅ぎ回るのはリータ・スキーターとかいう女一人で手一杯だのに」
ハッと、パーシーがカナを見た。「言いすぎた」と、顔に書いてあった。カナはどういう顔をしていいのか、わからなかった。エリアさんはまだ、カナにとっては「知らない人」でしかなくて――カナのためになにかを調べまわっているということだけは、リーマスから届く手紙で知っていた。でも、カナはエリアさんがどんな人なのかすら、何ひとつ知らないのだ。
「――とにかく、クラウチさんは、いまは静かにクリスマスを過ごしていらっしゃる。当然の権利だよ。自分の代理を務める信頼できる部下がいることをご存知なのが、僕としては幸いだよ」
赤毛の悪魔が、カナの頭のかたすみで「それで、氏はそのチョビヒゲも褒めてつかわしたのか? ウェザービー君」と、ささやいていた。
テーブルの上には空っぽの金の皿が並んでいたけれど、いつまでたっても料理は現れなかった。ふと、小さなメニュー表が一人ひとりの前に並んでいた。しかし、これをどうするべきなのか、誰もわからなかった――ダンブルドアが、メニュー表をじっくりと眺めたあとに、「フム」と頷いた。
「ポークチョップじゃ」
すると、ダンブルドアの目の前の皿に、ポークチョップが現れた。みんな合点がいった。ホグワーツでは初めて出会う、新しい食事の方法だ。厨房では、ハウスエルフたちはどんなふうに料理を準備しているのだろう。まさか、注文が入ってから作っているのだろうか?
「カナッペ、じゃないや――タルティーヌ。たーっくさん」
カナが言うと、目の前の金の皿に、いろんな具材で彩られたタルティーヌが、三段スタンドにぎっしり並んで現れた。カナはハリーにもそれを分けようとした――ハリーはグラーシュ・シチューに乗ったパンを、フォークとナイフで切り分けているところだった。
「あ、ごめん」カナは恥じ入ったように言った。「今夜は、こういうみっともない食べ方はしないんだよね」
「いや――」ハリーが、カナの皿に手を伸ばし、チーズが乗った一切れをつかみ、口に入れた。「――美味しそうだと思ったんだ」
ハリーがはにかんだので、カナも緊張をゆるめた。
いくらかお腹に入ると、周りを見回す余裕が生まれた。ハーマイオニーは、今夜ばかりはハウスエルフたちの労働環境のことは忘れてしまっているようだった。クラムと話し込んで、自分が何を食べているのかなんてわかっていないようだった。それに、カナは、クラムの声を初めて聞いたかもしれない。
「ええ、ゔぉくたちのところにも、城があります。こんなに大きくはないし、こんなに居心地よくないです、と思います」
クラムは、夢中になってハーマイオニーに話していた。
「ゔぉくたちの城は四階建てです。そして、魔法を使うときだけ火を熾します。しかし、ゔぉくたちの校庭はここよりも広いです――でも冬には、ゔぉくたちのところはゔぉとんど太陽がないので、ゔぉくたちは楽しんでないです。しかし、夏には、ゔぉくたちは毎日飛んでいます。湖や山の上を――」
「これ、これ、ヴィクトール!」
カルカロフは笑いながら言った。でも、その目は冷たいままだった。
「それ以上は、もう明かしてはいけないよ。さもないと、君のチャーミングなお友達に、わたしたちの居場所がわかってしまう!」
「イゴール」ダンブルドアが目をキラキラさせて微笑んだ。「そんなに秘密主義じゃと、だれも客に来てほしくないのかと思ってしまうじゃろう」
「はて、ダンブルドア」カルカロフは黄色い歯をむき出しにした。「我々は皆、自らの領地を守ろうとするものではないですかな? 我々はまさに、我々に託された学びの殿堂を、執念深いほどに守っている。我々のみが自らの学校の秘密を知っているという誇りを持ち、それを守ろうとするのは、正しいことではないですかな?」
「おお、わしはホグワーツの秘密のすべてを知っておるなどと、夢にも思わんぞ、イゴール」ダンブルドアはとても楽しげに話した。「たとえば、つい今朝のことじゃがの。トイレに行く途中、曲がる廊下を間違えてのう――これまで見たことのない、見事に調和の取れた美しい部屋に迷い込んでしもうた。そこにはほんとうにすばらしいおまるのコレクションがあってのう。もっと詳しく調べてみようと、あとでもう一度行ってみると、そのような部屋は跡形もなかったのじゃ。しかし、わしはこれからも見逃さぬよう気をつけるつもりじゃ。もしかすると、朝の五時半にのみ近づけるのかもしれん。あるいは、半月の日にのみ現れるか――いや、求める者の膀胱が、ことさらに満ちているときかもしれんのう」
カナの真横で、ハリーが吹き出した。パーシーが顔をしかめてそれを見ていた。カナは、真面目な顔でダンブルドアに聞いた。
「校長先生、おまるって何ですか?」
「フム、ミス・エリオット――それは幼子が排泄のトレーニングをする、神聖でありもっとも家庭的な道具じゃよ。ここにいる者がみな、きちんとトイレを使うことができるのならば――すべておまるのおかげじゃよ」
ハリーが今度は水を吹きこぼした。
「先生、食事中です」パーシーがピシャリと言ったけれど、当のダンブルドアはいたずらっぽく微笑んでいた。
向かいのほうでは、フラーがホグワーツのクリスマス飾りをけなしていた。カナはじゅうぶんきれいだと思うけれど――フラーは、ホグワーツの古臭い鎧や、さまようゴーストたちが気に入らないみたいだった。ボーバトンの宮殿は、いったいどれほど素晴らしいところなのだろう、と、ほんの少し気になった。マダム・マクシームが、とっても厳しそうなので、とても行ってみたいとは思えないけれど。
セドリックとチョウは、バグマンを交えて親しげに話していた。ふたりとも、寮代表のシーカーなのだから、とても嬉しそうだった。ふと、セドリックの視線がこちらに向いた――カナはスプーンに掬ったばかりのアイスクリームを、皿に落とした。
そのとき、つん、と指先がカナの手の甲に触れた。ハリーが教職員テーブルを指し示した。そこにはハグリッドが、やぼったい茶色い毛皮の背広を着込んで座っていた。こちらのテーブルをじっと見つめ、小さく手を振っていた。カナやハリーに向けたのかと思ったけれど、違う――ハグリッドの視線は、マダム・マクシームにまっすぐ注がれていた。マダムがそっと手を振り返している。指に収まったオパールが、ランタンの灯りを受けてきらめいていた。
隣側で、ハーマイオニーが今度は自分の名前の正しい発音をクラムに教えていた。クラムはずっと「ハーミィオウン」と呼んでいたからだ。
「ハー、マイ、オ、ニー」
「ハーム、オウン、ニニィ」
「まあ、だいたい合ってるわ」
ハーマイオニーがこっちを見て、ニコッと笑った。
食事が終わり、ダンブルドアが立ち上がった。生徒たちにも促した。そして、杖をひと振りすると、テーブルがあっというまに壁に寄せられ、広々とした空間が生まれた。ダンブルドアはまた杖のひと振りで壁際にステージを作ってしまい、そこにあらゆる楽器が置かれた。そして、大きな拍手が上がる――カナは知らなかったけれど、毛深い「妖女シスターズ」なる集団がステージに上がり、それぞれが楽器を手に取った。
突然、ランタンの灯りがいっせいに消えた。代表選手たちが立ち上がり、カナもそれにならう。
「ハリー」
このことをすっかり忘れていたような表情を浮かべるハリーの手を、カナはつかんだ。
「大丈夫、行こう」
何もなくなって、明るく照らされた大広間の真ん中がダンスフロアだ。妖女シスターズが、もの悲しげなゆっくりした音楽を奏で始めた。ハリーの手を引きながら、カナは精一杯の微笑みを浮かべて、光の下に進み出た。光の外で、同級生たちがからかい混じりの視線を送っていることに気がついたけれど、カナは気にしないことにした。向かいあうときに、ハリーの手を腰に添えさせ、カナはハリーの肩に手を置いた。反対の手は握ったまま、カナのリードでゆったりとターンした。
「ごめんね」
微笑みを保ったまま、カナは言った。ハリーは目を瞬かせ、言葉の意味を探るようにカナを見た。
「ほんとうに一緒に踊りたかった子、いたんでしょ」
「あ、いや・・・・・・」ハリーが口ごもった。カナの足を踏まないようにと、注意が逸れているようだった。
「ハリーと踊りたかった女の子も、いたんだよ」
「カナだって」ハリーのエメラルド色の瞳が、カナのスカイブルーをまっすぐに見た。「ほんとうは僕じゃない人と、こうしたかっただろ?」
「やめてよ」
カナは笑って流した。ハリーの肩越しに、あの真っ青なローブを探そうとするのは、やめた。
ほどなくして、他の生徒たちもダンスフロアに躍り出てきた。すぐ近くで、真っ赤な赤毛の女の子がペールオレンジのフレアをひらめかせているのが見えた。しょっちゅうすくみあがって、ダンスが中断している――ジニーとネビルのペアだ。
ダンブルドアが、マダム・マクシームとくるくる踊っているのが見えた。その身長差はまるで子どもと大人みたいだった。シニストラ先生が、ムーディ先生とぎこちなく踊っていた――義足に踏まれてはたまらないからだ。
「いい靴下だな、ポッター」
ムーディ先生が、すれ違いざまに魔法の目をぎょろぎょろ動かして、ハリーに声をかけた。
「あ――ええ、ハウスエルフのドビーが編んでくれたんです」ハリーは苦笑いした。
「へえ、あの子が?」
カナは見下ろして、ハリーがまくったローブのすそから、鮮やかな赤色の手編みの靴下が覗いたのを見た。
「ハウスエルフは裁縫もじょうずなんだね――そうだ、こんど教えてもらおうかな」
「きみ、さいきんやたら針を握ってるもんね――まあ、ハーマイオニーが怒らないといいけど」
バグパイプのロングトーンを最後に、演奏が終わった。会場からは拍手が湧き、みんなが動きを止めた。カナとハリーも自然と離れる。
「ちょっと、座ろう」
「いいよ」
妖女シスターズは、こんどはテンポの速い曲を演奏し始めた。まわりでエネルギッシュなダンスが始まる中、ふたりは光の下から逃げ出した。双子とそのパートナー、そして驚くことに、リーとノエムのペアまでもが、この激しい音楽で元気にダンスを披露していた。グリフィンドールの元気印たちだ。
ハリーはロンを見つけた。テーブルに座って、ロンはクラムとハーマイオニーのダンスを睨みつけていた。ガートが手を挙げてカナを誘い、隣に座るよう椅子を引いた。
「ぼく、ちゃんとできてた?」
「良かったよ。教えた甲斐があった」
ガートが機嫌よさそうに誉めた。そして、何の気無しに言った。
「ねえ、スネイプ教授がどこにいるか知らない? あたし、一曲申し込みたいんだけど――いなくて」
「ウエッ」
ハリーが、ガートにドン引きしながら――金色のアイスバケツからバタービールの瓶を取り出したのを見て、カナは立ち上がった。
「わあっ、ぼくもバタービールがいい」
「やめときなよ」ハリーが顔をしかめた。しかし、ガートが眉を跳ね上げた。
「どうして? 別にいいじゃん。自分だって飲むんでしょ?」ガートが二本、バタービールの瓶を取った。
「僕、知らないよ」ハリーがロンの隣に腰を下ろした。
「えへへっ、久しぶりだなあ」
カナとガートは同時に栓を開けた。ガートがゴブレットを引き寄せ、カナの分を注いでくれた。
乾杯をして、ふたりはバタービールを味わった。甘くて冷たい飲み物が、しゅわしゅわ弾けながら喉を通っていくのが心地よかった。カナは何度もゴブレットに口をつけては、嬉しそうに笑った。
「そんなにバタービールが好きなのに、どうして避けてたの?」ガートが不思議そうに言い、カナの空っぽになったゴブレットに次を注いだ。
「ダメって言われてたの、フレッドにね」口の端についた泡をぺろっと舐め取りながら、カナがにこにこと言った。
「あーあ。約束やーぶった」おもしろがって、ガートが言った。
「もう関係ないもんね」
そう言いながら、カナは無意識のうちにダンスフロアを見ては、青色のローブを探した。その持ち主が、楽しそうに笑っているのを見つけてしまうと、息を飲み込んで、テーブルの下でガートの手を掴んだ。
「どうしたの?」
ガートが覗き込んできた。カナが心許なげにしていたことに、気が付いたに違いない。カナは首を振り、力なく笑い、手首をきゅっと絡ませながら、線の細い肩に頭をつけた。
「はっはーん。そういうことね」ガートがハリーとロンに目配せして言った。「あんたねえ、バタービール一杯で、もう酔ってるの?」
「酔ってないよ」カナは顔も上げずに言った。「ふらふらしたりしないし、眠くもない――ちょっと寂しくなっちゃっただけ」
「よく言うよ」
ガートは今度は水さしを引き寄せた。カナが手に持つゴブレットに注がれる前に、ぴったりと口をつけてガードする。
「ちょっと、品がないよ」
「もともとないもーん」
「あっ、こら!」
カナはバタービールの瓶をつかんで、席を立った。壁際のテーブルに逃げ、そこでゴブレットを満たす。ほんとうにおいしい。カナはずっと、ずっとこれが飲みたかったのだ。誰のために、なんのために我慢していたんだか――
「壁の花にしちゃ、もったいないな」
振り向くと、見知った顔がそこにあった。救護チームで一緒だったヴィヴが、興味深そうにカナを見ていた。
「ポッターは何してるんだ?」
「うーん、さあ?」
「『さあ?』って、君――ふらふらしてていいのかよ?」ヴィヴはからかい半分に言っているように感じた。「君と踊りたいヤツはいっぱいいるぞ」
「あははっ! まさか」カナは心底おもしろくて、笑った。「ぼくじゃなくたっていいでしょ。女の子なら、誰でもね」
「捻くれてんな」ヴィヴが金の皿に果物をたっぷり呼び寄せて、葡萄をひと粒口に入れた。「今夜をいちばんの思い出にしようと一生懸命なヤツもいるってのに」
「ふーん?」カナはまたゴブレットに口をつけた。冷たくて気持ちいいけれど、最初ほど、おいしいとは感じなかった。「ダンスが思い出になるの? よく、わかんないな」
「君がそれほどうぶじゃないってことだな」ヴィヴは含み笑いを見せた。「手が触れ合うだけで、ひと晩じゅう忘れられなくなるだろ?」
「ああ――うん、そうだよ」カナはへらへら笑いながら言った。「最初に手を握ったときのことは、ずーっと忘れないよね」
ダンスフロアからおおきな拍手があがった。きれいなドレスローブたちが、混ざり合うように入れ替わっていく。音楽に加わる深紅と黄色のドレス、飲み物を求めるライム色のと桃色のドレス、誰かを探しているグレーのドレス――
「ヴィヴは誰とも踊らないの?」
「俺は見てるだけでいいのさ」黒い瞳が、ニヤッと笑った。「男と踊りたい男なんて、めったにいないからな」
カナがぽかんとしていると、ヴィヴが顎をしゃくった。
「ほら、王子様がお出ましだ」
ヴィヴがひと房、葡萄をちぎって、手持ち無沙汰に揺らした。こちらに歩いてきたグレーのドレスローブは、セドリックだった。肩で息をして、「やあ」とカナに笑いかけたあと、ヴィヴのことを見下ろした。
「指一本触れちゃいない」それを聞くと、セドリック「ああ」と息を吐いた。
「カナ、その――」
セドリックは、つま先から頭のてっぺんまで、カナを見た。かまわずバタービールに口をつけていると、セドリックは咳払いした。
「一人かい? ハリーは?」
「ハリーならあっちにいるよ」
「ああ、違うんだ」
セドリックが、胸の前に手を差し出した。ヴィヴがそっと遠ざかっていくのが、視界の端でわかった。
「一曲踊らないか?」
ひどく真剣な顔で、セドリックは浅い呼吸のあいまに、そう言った。セドリックのほうこそ、チョウはどうしたんだろう――
「うん」カナはセドリックのこめかみが濡れているのを見た。「いいけど、きみは休憩したほうがいいんじゃない?」
カナがそう言うと、セドリックは気が抜けたようにぽかんとした。もう残り少なくなってしまったバタービールの瓶を、セドリックが差し出した手にのせた。
「ねえ、暑いでしょ。あたらしい瓶を取ってさ――こっちに来てよ」
カナはゴブレットを置いた。振り返りながら、セドリックがバタービールの瓶を二本持っているのを見ながら、カナはうれしそうに微笑んだ。セドリックはまだよくわかっていない表情のまま、ついて来ていた。
大広間を出ると、玄関の大扉が開きっぱなしになっていた。薔薇の茂みのまわりを妖精たちが飛び回り、好き勝手に光っていた。雪の積もった校庭では、舞踏会を抜け出した生徒たちが、石のベンチで休んでいた。
「こっちだよ」
カナはセドリックのローブの裾をつかんだ。大広間の窓から漏れるわずかな明かりと、妖精たちが舞う淡い光だけが、夜道を照らした。石壁の向こうから、音楽や生徒たちの楽しそうな声が漏れ聞こえている。
ふたりは船着場を見下ろす、大広間の裏口に出た。ベンチはないけれど、手すりに寄りかかって、カナはバタービールをねだった。
「乾杯しよ」
瓶がこつんとぶつかって、蜂蜜色が揺れた。瓶がたっぷりかいた汗がたらたらと手を伝って肘まで濡らしたけれど、気にしなかった。隣を見ると、セドリックも同じように瓶に口をつけていた。
「セドリックは品のないしぐさも様になるね」
「どういうこと?」
「かっこいいってことだよ」
セドリックは吹き出した。「もったいない」とカナが言うと、「ごめん」と返って来た。
「カナ、きみ、今日は何だか――いつもと違う」
「変?」
「うん、変だ」
「今夜はみーんな変なんだよ」カナはクスクス笑った。
「でも、ただ変なんじゃなくて――」微笑みながら、淡いグレーの瞳が、じっとカナを見た。「変になるくらい可愛い」
カナは薄く唇を開いたまま、セドリックの瞳から目が離せなかった。それは熱っぽいのだけれど、やさしくて、気遣うような視線だった。カナは逃げるように手すりを離れ、セドリックを振り返った。
「ここでだったら、ぼく、踊っていいよ。ねえ、セドリック、音楽はないけど――」
「ああ、うん」セドリックは瓶の中身を飲み干し、それを足元に置いた。「そうしよう」
大きな熱い手が、カナの腰に触れた。握り合う手が熱く湿っていて、いつのまにか、落ち着かない気持ちになっていたのはカナのほうだった。
音楽はない。リズムもない。ただ、二人はしずかに、風の音、遠くの森の梢が擦れあう音や、わずかに漏れ聞こえる遠い喧騒を感じながら、ゆったりとターンした。こんどは、セドリックがリードしていた。身長差が大きく開いているので、カナはほとんど真上を見上げていた。
「その、聞いてもいい?」セドリックが、ためらうように言った。「ハリーがきみを誘ったのかい?」
「違うよ」どう説明したものかと、アルコールでぽやぽやした頭で考えながら言った。「ハリーは選択肢がなかったんだ」
「どういうこと?」
カナはターンするたびに、月明かりでキラキラ光る湖面を見つめた。
「ぼくぐらいしか、余ってる子がいなかったから」
「それがわからない。余るって、きみが? フレッドは何してるんだ?」
「あはは・・・・・・」
カナはそっと、握っていた手、肩に乗せていた手を離した。しかし、その両手を、セドリックが捕まえた。ステップが止まり、二人はただ向かい合い、カナはうつむいたまま、黙りこくっていた。
「僕は」セドリックが、やさしく言った。「彼がきみのパートナーでないと知っていたのなら、必ずきみを誘ってた」
「セドリック、そんなふうにぼくを慰めなくてもいいんだよ」
「慰めてない。本心だ」
カナは顔を上げられなかった。真っ黒な湖が、カナを飲み込んでしまいそうに感じた。
「ぼく、その、セドリック、きみにとって心地のいい言葉をかけてあげられそうにないよ」カナはようやく顔をあげて、締まりのない作り笑いを浮かべた。「ぼくね、酔っ払ってるし・・・・・・この話は終わりにしよ」
「僕のこと、嫌いかい?」
しかし、セドリックが逃げるのを許さなかった。熱い指先がやんわりとカナの手を包み、しっかりと捕まえていた。でも、振り解こうと思えば、そうできた。
「そうじゃないよ。そうじゃなくて・・・・・・」
カナのひとみがゆらゆら揺れるのを、セドリックがじっと見た。そして、フッと息を吐いた。
「カナ、きみの気持ちがどこにあるか、わかってるつもりだ・・・・・・いいんだ。無理を言ってごめん」
涙の溜まったカナの目を、グレーの瞳が、いたわっていた。まばたきをすると、あふれた涙がこぼれる。熱い指先が、それをぬぐった。
「でも、カナ、もし・・・・・・」
一歩、セドリックが足を踏み出した。
「もしも、きみがこの手を払わないのなら――今夜、五秒だけ、僕にくれないか?」
そっと、たっぷり時間をかけて、セドリックの影が屈み、カナに重なった。赤く色づいた上唇に、熱くてやわいものが触れた。それはたったの一秒にも満たない、わずかな口付けだったのだけれど、ひどくゆっくりしたものに感じられた。
カナはまぶたを開いたままだった。驚いてはいなかった。セドリックは、ずっとカナのことが好きだった。カナだって、それをわかっていた。セドリックがこわごわと瞼を開いた。この、舞踏会の一連で踏み荒れた心に、やさしく水を撒くような、そんなまなざしが、そこにあった。
そして、申し訳なさそうに、傷ついたように、セドリックが微笑んだ。
「きみを泣かせたくはなかったのに」
ぼろぼろと、とめどなく、涙があふれた。カナはたぶん、まだ、胸のうちでフレッドのことを想っていた。それをどうしようもなく感じてしまって、情けなくて、みじめで、そして何より、セドリックに申し訳なかった。
そっと、慎重に、セドリックはカナの肩を抱いた。
「きみを癒すためだったら、僕はなんだってするよ」
カナはしゃくりあげながら、グレーのジャケットの胸元に顔を埋めた。腕が背中に回り、やさしく、慰めるようにゆっくり叩いた。
やがて――カナは涙で濡れた顔を上げた。
「セドリック、お願い」
カナは手を伸ばした。
「五秒じゃ、足りない――足りないから」
唇が触れた。すぐに離れようとしたセドリックの後頭部を、カナは捕まえて、引き寄せた。かかとを浮かせ、ふらついたカナを、大きな腕が抱き留めた。
「もっと――」
薄く唇を開いて待っていると、セドリックの顔が降りてくる。カナは目を閉じた――
「警戒を怠るな!」
二人は飛び上がり、セドリックがカナを隠すように腕に閉じ込めた。カナはその胸に顔を伏せた。
「ディゴリー、エリオット」
厳格な声の主は、ムーディ先生だった。セドリックの心臓が、ドキドキと脈打っているのが聞こえた。
「先生、その――すみません――」
「スネイプ先生とカルカロフ校長が、お散歩していらっしゃる」
カナも顔を上げた。傷だらけの歪な顔が、ニヤリと笑っているように見えた。
「ふしだらな行いは厳重な注意を施すようにと、我々教職員は仰せつかっている――ハッフルパフとグリフィンドールから一点ずつ、減点だ」
セドリックとカナは顔を見合わせた。
「大広間に戻るのだ。風邪を引く前にな」
そう言って、ムーディ先生は義足の足音をコツッ、コツッと響かせながら、二人のそばを通り過ぎていった。
カナとセドリックはぎこちなく離れ、床に置いたバタービールの空き瓶を拾った。そして、どちらからともなく手をつなぎ、来た道を戻る。
「夢みたいだ」
とうとつに、セドリックがそうこぼした。
「きみとこうして歩いているなんて」
「ねえ、いまさらだけど、チョウを置いてきてよかったの?」
「ああ、彼女は――」セドリックは眉を下げて笑った。「ぜんぶわかってくれてる。友達として、協力してくれたんだ」
「やさしいね」
「うん。申し訳ないくらいに」
セドリックは胸を撫で下ろした。
「僕、生まれて初めて減点を食らったよ」
「ウソでしょ?」カナが目をまんまるに見開いた。「品行方正な監督生のセドリック・ディゴリーくん。女の子とキスしてて――はじめての減点!」
「からかわないでくれ」セドリックが顔を真っ赤にして言った。「カナ、きみだって同じだからね」
「ぼくは、一点減点されるくらい、なんてことないよ」カナはまだお腹を揺らしていた。「スネイプ先生に何百点減点されたか・・・・・・」
「ハハッ」セドリックが笑った。「僕も規則破りに寛容にならなくちゃ。きみと一緒にいられなくなる」
「へえ。ワルの道にきみを引き込んじゃったかな」
玄関の大扉をくぐると、松明の明かりの下でセドリックがカナの顔を覗き込んだ。
「カナ、大広間に戻る前に、メイクを直したほうがいいよ」
カナは頬に触れた。おそらく、涙の跡がくっきり残っていて、まぶたのキラキラも落ちてしまっていることだろう。明かりの下で見ることで、セドリックのジャケットの胸元に皺が寄っていて、そこがわずかにキラキラしていることに気がついた。
「セドリックも」
カナが自分の唇を指差した。セドリックがあわてて、ローブの裾で口元をぬぐうと、口紅の赤色がわずかに色移りしていた。ふたりは、ほがらかにはにかんだ。
「ぼく、もう寝ようかな。他の子と踊るような気分じゃないし・・・・・・」
「ああ、わかった。ハリーに会ったら、そう伝えておくよ」
セドリックが屈み、カナの額におやすみのキスを送った。カナも手招きして、汗ばんだ黒髪の生え際に、口付けた。もう口紅は移らなかった。
「おやすみ。またね」
そう言って振り返ったとき、ばったりと出くわした。ハリーとロンが、ちょうど外から玄関ホールに入ってきたところだった。
「あ・・・・・・ハリー」
今のを見ていたんだろう。ひどく冷たい目で、ハリーがカナのことを見ていた。すっかり色の落ちた口元を隠すようにして、カナはうつむいた。
「先に帰るね」
そう言っても、ハリーも、ロンも、何も言わなかった――男の子たちはカナのことをあまり歓迎していないのかもしれないと思った。
20250605