約束の土曜日はよく晴れていた。やわらかな陽光があたたかく、カナは途中からマフラーもマントも抱えて歩いた。ホグズミードへの道すがら、セドがふとカナの一歩後ろを歩く。
「その髪飾り、素敵だね」
「ありがとう。ハニーデュークスの通りのお店で買ったんだ。きれいでしょ?」
いつかハーマイオニーとお揃いで買ったバレッタが、黒髪をゆったりと纏めていた。
「うん。よく似合ってる。きみの瞳の色みたいだ」
カナはちょっぴり気恥ずかしくなった。セドはカナのブルーの瞳をいたく気に入っているらしい。
「そんなに青い目が好きなの?」
「違うよ。きみに見つめられると、その目を忘れられなくなるんだ」
ほがらかに微笑むセドの様子から、きっと本心でそう言っているに違いない。赤毛の男の子がこの場にいたら、きっと震え上がったんだろうな、と思った。歯の浮くような台詞も、セドが言うとさまになってしまうのは何故なのだろう。
お気に入りの紅茶とシュガーを買ったあと、セドは書店でカナに天文学の参考書を買い与えた。カナも何か買ってあげたくて、スポーツ用品店を回ったけれど、クィディッチ用品は何もかも高価だ。ガリオン金貨を数枚必要とするシーカー用の手袋を、目を皿のようにして見つめながらカナが唸っていると、セドは店を変えた。
「こういうのはどう?」
誘われて立ち寄った「マジック・ニープ」で、セドは小さな鉢植えのサボテンを手に取った。杖でツンツンと小突くと、まんまるの体からニョキニョキと蕾を伸ばし、ポンと弾けるように咲いた。
「ずっと欲しかったんだけど、男友達といると買う機会がなくてね。かわいいだろ?」
「うん、かわいいけど・・・・・・」カナは歯切れ悪く言った。「でも、これじゃセドの役に立たないよ」
「役に立つものが欲しいわけじゃない」セドはクスッと笑った。「思い出が残るだろう。きみとこうやって買い物したことの証になる。こいつの花が咲いたら、今日のことを思い出すはずだ」
「でも」カナはグレーの瞳を見上げた。「セドにはいつもお世話になってるし・・・・・・してもらってばかりだから、なにか助けになりたくて」
「そういうことなら、カナ、きみはもう十分、僕のためになってるよ」セドは穏やかに微笑みながら言った。「そばにいてくれるだけで十分なんだ。こんな僕なんかのそばにね」
カナは突然おかしくなって、クスクス笑いが止まらなくなった。セドがぽかんとしてカナを見つめている。
「ああ、可笑しい――セド、まさかぼくのこと、硝子のケースに仕舞っておこうだなんて思ってないよね?」
「いったいどういうこと?」なにかの冗談の一環だと気がついたんだろう。セドもすこし口角を上げて聞いた。「硝子の中なんかにきみを閉じ込めたら、いったいケースが何個必要になるだろうね? それに、割れた硝子の掃除をしないと・・・・・・ほら、無理だ」
「言えてるね」カナがまだくすぶったようにお腹を揺らしていると、セドがそっと手を繋いできた。
「きみがじっとしておけるような子だったら、僕たちはまだ友達のままだった」
顔が熱くなって、カナはセドの腕に頭をくっつけた。サボテンがポン、ポン、と白い花を咲かせている。うれしそうにゆらゆらとうごめいて見えた。
「わかった。サボテンちゃん。とくべつにセドの寝室メンバーに加わることを許可しよう」
カナが芝居がかって言うと、セドも笑った。
「カナ、むしろ、僕はきみの力になれてるのかな」
店を出てから出し抜けに、セドがつぶやいた。きょとんとしていると、やさしいグレーの瞳がカナの顔を覗き込んだ。
「元気がないように見えたから・・・・・・その、湖から上がってから、ずっと」
「あ・・・・・・」
つないだ手を、カナがぷらぷらと揺らした。
「セド、ぼくの心の悩みは、きっときみの思いもよらないものだと思う」
カナが顔を上げると、セドは心配そうに見つめ返した。
「それって・・・・・・」
「でも、ダンブルドアが助けてくれるって」
やんわりと微笑んだけれど、心優しい男の子は納得いかなさそうな、寂しそうな表情をしていた。
「僕には話せないことなんだね」
「きみを信用していないわけじゃないんだよ」
きゅっと手を握ると、あたたかい手が握り返してくれる。
「いつか話せるようになると思う。自分でもまだ、整理がついていなくて」
「わかった、カナ。ちゃんと待つよ」
肩をくっつけるようにして、ふたりは歩いた。すこしぎこちないけれど、触れあうところは確かにあたたかい。
「ぼくのことばっかり気にして、優勝杯を取り逃がしたらダメだよ?」
クスッと笑いながら言うと、セドもようやく笑みをこぼした。
午後になって「三本の箒」で休憩していると、ハーマイオニーが店内に入ってきた。キョロキョロと見回して、あの女記者がいないか警戒しているようだった。約束していた通り、セドにバイバイをして、カナはハリー、ロン、ハーマイオニーの三人と合流する。
「一時半ね」
ハーマイオニーが、腕時計を見ながら言った。ハイストリートを歩き、ダービッシュ・アンド・バングズを通り過ぎ、ホグズミード村の郊外へと入っていく。舗装されていない小道が続き、だんだんと家がまばらになる。
角を曲がると、道からはずれたところに柵があった。そこに、大きな黒い影があった。犬だった。柵に前脚をのせ、新聞を口に咥えて、四人をじっと見つめていた。
「ふふっ」カナが吹き出して笑うのをよそに、ハリーが弾むように近づいた。
「こんにちは、シリウス」
黒い犬はハリーの鞄に吸い寄せられるように柵越しに匂いを嗅いだ。きっと食べ物が入っているに違いない。尻尾を振ると、踵を返して、道もない岩場を歩き出す。四人は柵を乗り越えて、あとをついていった。
シリウスは苦もなく岩の坂道を歩く。ほとんど山登りのような路に、子どもたちはすぐに息切れした。カナも猫に変身したかったけれど、三人の手前、それは心苦しく思えた。険しい岩場を、マントとマフラーを両手に抱えたまま歩くのは骨が折れた。
突然、犬のシルエットが消えた。四人がその場所まで近寄ると、小さな岩の裂け目があった。カナたちは子どもなので屈んでなんとか入れるけれど、大人は入れないだろうと思った。
中は暗く、ひんやりした洞穴になっていた。その一番奥で、バックビークが岩に繋がれていた。四人がお辞儀をすると、オレンジ色の瞳が見定めるようにゆっくりと視線を走らせ、最後にはお辞儀を返してくれた。カナが近寄って、銀色の羽毛を撫でると、バックビークは心地良さそうに目を閉じた。
「チキンだろう、ハリー!」
シリウスはすっかり、出会った頃みたいにボロボロになっていた。アリアナの崖で新調したはずの淡いグレー色のローブは、今や薄汚れて黒ずんでいた。髪が伸びて、紐で一つに括られている。髭も伸び放題で、その頬はまた痩せこけていた。
ハリーが鞄を開けて食料を取り出すと、シリウスは日刊予言者新聞をうち捨てて、包みを受け取った。チキンとパンをそれぞれの手でつかみ、かぶりついていた。
「助かった――ここのところ、ネズミばっかり食ってたんだ。あまり何度もホグズミードから食べ物を盗んだら、警戒されるからな」
シリウスは痩せた頬を持ち上げてニッコリ笑ったけれど、ハリーはあまり心の底から笑えていないようだった。
「シリウスはこんなところで何をしているの?」
「後見人としての責務を全うしてる」犬のように骨に齧り付きながら、シリウスは言った。「俺のことは心配するな。女子がコロッと喜びそうな、かわいい野良犬にしか見えないだろう?」
薄灰色の瞳が、いらずらっぽくカナを見た。カナは心配半分、呆れ半分のような表情を浮かべた。
「でも、シリウス、捕まったらどうするの? どうして隠れ家を飛び出してまで――」
「俺はそばにいたいんだ、ハリー。以前忠告した通り、ますますきな臭くなっている」
シリウスは、地面にうち捨てられた古い新聞の数々を、顎で差し示した。ロンとハーマイオニーが、いくつか手に取って読んでいた。ハリーはまだ「でも――」と食い下がっていたけれど、シリウスは肉を貪り続け、肩をすくめただけだった。
「言っただろう、ハリー。心配するな」
ハリーがどれだけ心配していても、シリウスは自分の行動を変えるつもりはないんだろう。
カナが鞄からバタービールの瓶を取り出すと、「随分気が効くな」とシリウスはまたニッコリ笑った。
「シリウス、『姿晦まし』でいつでもうちに戻ればいいのに」カナがあっけらかんと言うと、シリウスは首を横に振った。
「そりゃ、お前の家に行くのは簡単だ。しかし、『姿現し』でここに戻る時に、誰かが通りがかっていないとも限らないだろう。岩の間に挟まっちまうかもしれないしな。それに、夏休みのこと、忘れちゃいないよな? より安全な手段を選んでいるまでだ」食べ終えた骨を洞窟の奥に投げると、バックビークがうれしそうにそれを咥えた。「なに、サバイバルなら慣れてる――もっとも、今回は手助けなしだが」
「クラウチが病気ってほんとかな?」
出し抜けに、ロンが言った。ハリーとカナにも、さっきの新聞が回ってくる。「バーテミウス・クラウチの不可解な病気」と大きく見出しが書かれている。
「『十一月以来、公の場に現れず』・・・・・・『家に人影はなく』・・・・・・『聖マンゴ魔法疾患傷害病院はコメントを拒否』・・・・・・『魔法省は重症の噂を否定』・・・・・・まるで死にかけてるみたいな書き方だ」ハリーが言った。「だけど、そんな重い病気の人が、ホグワーツに侵入するなんてできっこない」
「ホグワーツに侵入だと?」シリウスが手の油を舐め取りながら、身を乗り出した。
「忍びの地図に名前があったんだ――ひと月くらい前だよ。スネイプの研究室に入っているのを見たんだ」
「たしかに、パーシーに仕事を代わってもらってるのに、そんなことをするのは変だね」カナが思い出したように呟いた。
「あー、パーシーっていうのは僕の兄さんで、クラウチの秘書なんだけど」ロンがシリウスに教えた。「兄さんが言うには、『働きすぎ』だって」
「だけど、あの人、僕が最後に近くで見た時にはほんとうに病気みたいだった。炎のゴブレットから名前が出た時のことだけど」
「ウィンキーを解雇した当然の報いよ」ハーマイオニーが冷たく言った。「そうしなきゃよかったって、きっと後悔してるのよ。お世話してくれるハウスエルフがいないとどんなに大変か、思い知ったんだわ」
「ハーマイオニーはハウスエルフに取り憑かれてるんだ」
ロンが呆れたようにシリウスに囁いた。しかし、シリウスは興味を持ったようで、ツンと眉毛を跳ね上げた。
「クラウチがエルフを解雇した?」
「うん、クィディッチ・ワールドカップのときに」ハリーがちらりとカナを見た。
「シリウス、『闇の印』が上がったのは知ってるでしょ?」カナが聞いた。
「ああ、『犠牲者なき布告』だったか――そう新聞には書かれていたな。カナ、お前のことも」
「その真下に、クラウチさんのエルフが倒れてたんだ。ハリーの杖を持って。実際、その杖は『闇の印』に使われたものだった」
「僕、いつのまにか杖をなくしてたんだ」ハリーが言った。「それで、クラウチはその場でハウスエルフに解雇を言い渡したんだ。自分はテントに残っていろと命令したのに、守らなかったって言って」
「でも、ウィンキーはやってないわ」ハーマイオニーが口を挟んだ。
「うん――シリウス、あの場には男がいたんだよ。ぼくを襲って『印』を打ち上げたのは、透明マントを被った男だった。その声を、ハーマイオニーたちも聞いた。エルフと人間の男の声は全然違うでしょ? でも、『印』の下にいたのはぼくと、ハリーの杖を持ったウィンキーだけだった」
「ふむ・・・・・・ハリー、杖はどこでなくしたんだ?」シリウスはもう一足、チキンを掴みながら問いかけた。
「覚えてない・・・・・・ロンの家を出るとき、上着のポケットに入れたんだ」
「それじゃ、そのウィンキーというエルフに最初に会ったのはどこだ?」
「ワールドカップの貴賓席だ!」ロンが目を開いた。「クラウチの席を取ってた・・・・・・でもご主人は結局観戦に来なかったんだ」
「ウィンキーが盗んだっていうの?」間髪入れず、ハーマイオニーがロンを見た。
「貴賓席にいたのはエルフだけじゃないだろう」
シリウスの言葉を聞いて、二人は睨み合うのをやめた。
「ハリー、後ろには誰が座ってた?」
「いっぱいいたよ。ブルガリアの大臣とか、コーネリウス・ファッジ・・・・・・マルフォイ一家・・・・・・」
「マルフォイたちだ!」ロンが今度こそ叫んだ。その声が洞窟に反響して、バックビークが吃驚して立ち上がった。「絶対にそうだ。ルシウス・マルフォイだよ!」
「ほかには?」シリウスは続けた。
「そのくらいだよ」
「ルード・バグマンもいたわ」ハーマイオニーがハリーに付け足した。
「バグマンのことはよく知らないな。ウイムボーン・ワスプズのビーターだったこと以外は・・・・・・どんな奴なんだ?」
「あの人は大丈夫だよ」ハリーが言った。「トライウィザード・トーナメントのことで、いつも僕を助けたいって言うんだ」
「何?」シリウスは眉間の皺を深くした。「なぜそんなことを?」
「僕のことを気に入ったって」
「フーン・・・・・・」ため息混じりに、シリウスは考え込んだ。
「『闇の印』が現れる直前、私たち、森でバグマンに会ったわ。あなたたち、覚えてる?」ハーマイオニーがハリーとロンに向かって言った。
「でも、騒ぎを聞いてバグマンはすぐにいなくなっただろ」ロンが言った。「あの人はあの瞬間、キャンプ場に行ったんだ」
「あら、どうして『姿晦まし』をしたのに、行き先がわかるの?」
「君、嘘だろ」ロンが信じられないといったふうに首を振った。「バグマンが『闇の印』を作り出したっていうのか?」
「ウィンキーよりも可能性があるわ」
「ほらね、シリウス。言ったろ? ハーマイオニーは取り憑かれてるって・・・・・・」
「バグマンじゃないよ」カナが言った。「バグマンの声じゃない。それに、痩せてる人だった。おかあさんとも知り合いじゃないと思うし」
「エリアが何か関係あるのか?」シリウスが神妙に聞いた。
「その・・・・・・」カナはバックビークの紐をびながら、慎重に言葉を選んだ。「ぼくがその人に襲われたのは・・・・・・おかあさんのことを聞き出すためだった。おかあさんのことを聞かれて・・・・・・でも、ぼくは喋れなかった。おかあさんは自分の秘密を自分で守ってたからね。その人は・・・・・・」
カナが言い淀む。みんながじっとカナの言葉を待った。
「その人は、おかあさんを・・・・・・」
背中に手が触れた。ハリーだった。
「エリアおばさんは命を狙われてる」
「そうか――そうだな。あいつは生きている間、ずっと籠の鳥だ」
ダンブルドアと同じようなことを言い、シリウスは口元に手を当てた。しばらく黙って考え込み、新聞の見出しをジッと見つめた。
「『闇の印』が現れたとき、クラウチもその場にいたのか?」
「うん。カナとウィンキーが助け出されてから、現場を見に行った。茂みの奥を」ハリーが言った。「でも、それ以上何も見つからなかった」
「向こうの手の内に透明マントがあったのなら、そうだろうな」シリウスはまだ手のひらの奥から推理を述べた。「自分のハウスエルフ以外の容疑者が見つかれば、それに越したことはない・・・・・・しかし誰もいなかった。だからクラウチはエルフを解雇したと?」
「そうよ」ハーマイオニーは言葉に熱を込めた。「言いつけ通りテントに残っていなかったのが悪いっていうの。あの騒動の中で踏みつけになるべきだったって――」
「いい加減にしてくれよ、エルフのことはちょっと置いておいてくれ!」ロンがしびれをきらしたように言った。
しかし、シリウスはロンをなだめた。
「ロン。クラウチのことは、ハーマイオニーのほうがよく見ている。人となりを知るには、そいつが自分より目下の者をどう扱うかをよく見ることだ」
シリウスはどこか一点を見つめたまま、思考に没頭しているようだった。
「バーティー・クラウチはこのところずっと不在・・・・・・わざわざハウスエルフに席を取らせておきながら、観戦には来なかった。トライウィザード・トーナメントの復活にも尽力したのに、それも来なくなった・・・・・・クラウチらしくない。あいつが病気で欠勤するなどありえない」
「クラウチさんのこと、知ってるの?」
カナが問いかけると、シリウスの視線が返ってきた。その薄灰色の瞳が、薄闇の中で光って見えたので、カナは息を詰まらせた。
「カナ。エリアはこのことを知ってるのか?」
「先週話したばかりだよ。思い出したから」
「思い出した?」
「あー」カナはその説明をすっかり失念していた。「記憶を消されてたんだ。『闇の印』の時に。それがどういう目的かはわかってない・・・・・・」
「それを、思い出した・・・・・・ありえるのか? 思い出すなんてことが」
シリウスはより深く考え込んだ。
「エリアおばさまもそう言ってたわ」ハーマイオニーがはきはきと言った。「『忘却術』じゃなくて『記憶を抜き取る魔法』だって」
「・・・・・・」
シリウスはまた地面を見つめた。子どもたちが顔を見合わせていると、深いため息が洞窟内にこだました。
「カナを襲った人物に関して、エリアは何て言ってる?」
「ダンブルドアは、いま考えても答えは出ないって言ってたけど・・・・・・」
「いいや、エリアなら検討がついてるはずだ」
カナはみんなを見回した。不安そうにカナを見つめる視線の中で、シリウスだけは力強い眼差しを向けていた。
「・・・・・・レギュラス・ブラックか、バーテミウス・クラウチ・ジュニアだって」
「予想通りだ」シリウスは大きく後ろに体を伸ばしながら言った。「あいつ、神経質だからな。死んだ人間を勘定から外しきれないんだ」
「シリウス、その――」ハリーが声を出すと、シリウスは起き上がった。
「なんだ、みんなもっと驚くと思ったんだが――もう知ってるんだな」シリウスはニヤリと口角を上げた。「ハリー、聞きたいことがあるなら答えてやる。俺には何も隠すことは無い」
「それじゃ・・・・・・シリウスの弟が死喰い人だっていうのは、本当なの?」
「カナから聞いたのか」
「ごめん、シリウス」
カナが言うと、シリウスは淡く息を吐いた。そして、ハリーを見た。
「いいや、いずれ話さなければいけないことだ。ただ・・・・・・」シリウスはうつむいた。「子どもたちにどこまで話してやるべきかなのかを、俺はまだ考えてるんだ」
「今更だよ、シリウス」ハリーが力強く言った。
「闇の陣営の本当の恐ろしさを、お前たちがわかるはずもない」
「ああ、パパもそう言ったよ」ロンが苛立ったように言った。「僕たち、いつかは闇の魔法使いと戦わなくちゃ。そうだろ? ムーディが言ってた。早ければ早いほうがいいって。シリウス、僕ら、試される準備ならできてる」
「・・・・・・そうか」
シリウスが子どもたちを見回した。みんながまっすぐ見つめ返していると、シリウスは足を組み替えた。
「わかった。お前たちを試してみよう」
みんなで、ぐっとシリウスに近づいた。
「お前たちが知っての通り、弟は――レギュラスというんだが、俺と違ってスリザリンに入った。まあ、俺の家ではグリフィンドールに組み分けされた俺のほうが異端だったんだがな。当時のスリザリンは闇の魔術が盛んで、親や兄弟が死喰い人だとか呼ばれてるやつらがうじゃうじゃいた」
おかあさんの話していたとおりだ、とカナは思った。
「あいつが六年生の頃、ホグワーツを辞めてヴォルデモートの元へ行った。あいつは闇の帝王の熱心なファンだったんだ。いつからそうなっていたのか、俺は気づかなかった。高学年になるとほとんど家には戻らなかったからな。愚かな両親も、息子が闇の帝王に仕えるようになったことをたいそう喜んださ・・・・・・連中と同じ血が流れてることこそ、俺が最も屈辱に感じるところだ。ハリー、俺がヴォルデモートの配下のスパイだと思われていた理由の大半はそこなんだ」
「うん。僕はシリウスを信じてるよ。あなたの家族がどんな人でも」
ハリーが微笑むと、シリウスは安堵したように笑い返した。
「それから一年ほどだったか・・・・・・レギュラスは命を落とした。俺が知っているのはそれだけだ。誰にやられたとか、どこで死んだのかとか、詳しいことはわからない。その頃俺は勘当されて、ブラック家と縁が切れて清々していたからな」
沈黙が落ちた。シリウスが、荒れた髪をため息とともにかきあげた。
「シリウスは、弟のことを後悔しているの?」
カナが聞くと、シリウスは顔を上げないまま答えた。
「・・・・・・いいや。自分とは違う生き方を選んだやつのことをとやかく言えるほど、俺もできた人間じゃないんでね。それに、曲がりなりにも俺の弟だ。あいつは俺よりも頑固だったぞ。昔喧嘩した時には、機嫌を直すのに苦労したもんだ」
そう話すシリウスの顔は、どうにも虚しさを拭い切れていないように見えた。
「もう一人のことも知ってるの?」ハリーが聞いた。
「クラウチの息子だな――もちろん知っている。あいつは有名だった。次期魔法大臣の息子、十二ふくろうを獲った秀才。スリザリンの首席で、模範生」
「パーシーみたいなやつだ」ロンがつぶやいた。
「そいつは実の父親にアズカバンに入れられた」
全員が息を呑んだ。
「クラウチが息子を、自分の手で?」ハーマイオニーがショックを受けたようにこぼした。
「当時、世間の全員がそう思っていた。そうだな、その頃の話をしようか――」
ハリーが持ってきた包みの中からパンを取り出して、齧りながらシリウスは話を進めた。
「クラウチは当時、魔法省の『魔法執行部』の部長だった。取り締まりの実動部隊だよ。俺をアズカバンに送れと命令したのもやつだ。裁判もかけずにな」
シリウスの表情が、あの恐ろしい夜に出会った時のように、一瞬影が落ちる。
「次期魔法大臣と噂されていた。エリートの中のエリート。あいつの武器は強力な魔法の力――そして権力への野心だ。それでも、ヴォルデモートの支持者だったことはない。クラウチは常に闇の陣営にキッパリと対抗した。
想像してみるんだ。ヴォルデモートが強大な力を持っていて、誰が支持者かわからない。誰がやつに仕えていて、そうでないのかもわからない。闇の帝王には他人を操る力がある。誰もが、自分では止めることができないまま、凶行に及ぶかもしれない。次は自分かもしれない・・・・・・家族や友人でさえ信じられなくなる。毎週、毎週、行方不明、拷問、死者、そういったニュースが飛び交う。魔法省は大混乱だ。すべてをマグルから隠そうとしても、マグルも被害に遭っている。恐怖、パニック、混乱・・・・・・まさに暗黒の時代だよ。
そういう時代は人を英雄にする一方で、卑怯者にもする。クラウチの主義主張は、最初は歓迎された。魔法省でたちまち頭角をあらわにし、ヴォルデモートに従う者に極めて厳しい措置を取り始めた。『闇祓い』たちに新たな権限が与えられた――たとえば、捕まえるのではなく、殺してもいいという特権がな。裁判なしに吸魂鬼に引き渡されたのは、何も俺だけじゃなかった。クラウチは、暴力には暴力をもって立ち向かい、疑わしい者には『許されざる呪文』を使用するよう許可した」
カナが息を呑むと、シリウスの視線が向いた。
「いや・・・・・・闇祓いだったムーディ先生が『許されざる呪文』を扱えるのって、どうしてだろうと思ってたけど・・・・・・」
「そういう時代があったってことだ」シリウスも張り詰めたように続けた。「お前の疑問も最もだ。正義の執行人の立場であったクラウチは、多くの闇の陣営の輩と同じように、冷酷無情になってしまったと言える。たしかにあいつを支持する者も多かった。実際、多くの闇の魔法使いを打ち砕き、降伏させ、裁いてきた。支持者たちが、あいつを魔法大臣にせよと叫んだ。そしてついにヴォルデモートがいなくなり、クラウチがそうなるのは時間の問題だと思われた。しかし、不幸な事件が起きた――」
シリウスがひとつ息を吐いた。
「バーテミウス・クラウチ・ジュニアが、死喰い人の一味と共に捕まった。この一味は、言葉巧みにアズカバンを逃れた者たちで、ヴォルデモートを探し出して玉座に復帰させようと画策していた――あのクラウチにとっては、計り知れないほどのショックだっただろうな。もう少し家にいて、家族と一緒に過ごすべきだったんじゃないか。たまには仕事を早く切り上げて・・・・・・自分の息子のことをよく知るべきだったんだ」
シリウスはふたたびパンに齧りつき始めた。思い詰めたようなその語り口が、まるで自分自身に言っているようにも感じられた。
「クラウチ・ジュニアは、ほんとうに死喰い人だったの?」ハリーが聞いた。
「わからない。俺もやつのことをそこまで知っているわけじゃない。ただ、スリザリンにはもったいないほどの良いやつだった。成績優秀、人望もある、紳士的で、おまけにハンサムだった。あいつと一番親しかったのが、俺の弟とエリアだった。あいつらはいつも三人で過ごしてた」
「おかあさんは」カナが絞り出すように言った。「クラウチ・ジュニアが闇の魔術に関わっていただなんて、まだ信じられないって言ってた」
「自分の家族すら騙しおおせたんだ。もしもこの結果が本当なら、それほど、やつは完璧に無実の人間を装うことができたってことだ――あいつが捕まった時、俺もアズカバンの中だった。いま話していることの大部分は、あそこを出てからわかったことだ。あの時捕まった奴らは、確かに死喰い人に間違いない。クラウチ・ジュニアがその連中と一緒に捕まったのも事実だ。しかし、ハウスエルフと同じように、単に、運悪くその場に居合わせただけかもしれない」
「クラウチは自分の息子に罰を逃れさせようとしたの?」ハーマイオニー恐る恐ると言った感じで聞いた。
「罰を逃れさせる?」シリウスが犬の吠え声のような笑い声を出した。「ハーマイオニー、まだあいつの本性がわかってないな。魔法大臣になることに一生を賭けてきたんだ、少しでも自分の評判を傷つけるようなことは消してしまう男だぞ? 献身的なハウスエルフを解雇するところを見ただろ。エルフが、またしても自分と『闇の印』を結びつけるようなまねをしたからだ。それでやつの正体がわかるだろ? クラウチがせいぜい父親らしい愛情を見せたのは、息子を裁判にかけることだった。まあ、それもどう考えても、クラウチがどんなに息子を憎んでいるかを公に見せるための口実に過ぎなかった。それから息子を間も無くアズカバン送りにした」
「吸魂鬼に?」ハリーが暗い声で聞いた。
「ああ」シリウスも笑っていなかった。「吸魂鬼がやつを連れてくるのを、独房の鉄格子を通して見たよ。日が暮れる頃には、母親を呼んで泣き叫んでいた。二、三日すると大人しくなった・・・・・・みんな終いには静かになる・・・・・・眠るとき悲鳴をあげる以外は・・・・・・」
アズカバンのことを思い出させるのか、シリウスの瞳が暗くなっていく。
「その人はもう亡くなっているのよね?」ハーマイオニーが聞いた。
「ああ、一年ほど経った時だったか」シリウスは苦々しげに言った。「あそこにいるものはたいがい気が狂い、最後には何も食べなくなるようになる。生きる意思を失ってな。死が近づくと、俺たちにもそれがわかるんだ。吸魂鬼が嗅ぎつけて興奮するからな。
あいつは収監された時から病気のようだった。クラウチは魔法省の要人だったから、妻とともに息子の死際の面会を許された。それが、俺がバーティー・クラウチを見た最後だった。奥方を抱えるようにして俺の独房の前を通り過ぎて行った。奥方はそれからまもなく亡くなったらしい。嘆き悲しんで、息子と同じように憔悴していったらしい。クラウチは息子の遺体を引き取りには来なかった。そういう時、吸魂鬼が監獄の外に埋葬するんだ。俺はそれを見た」
シリウスはバタービールの瓶をあおって、飲み干した。
「バーティー・クラウチは、すべてをやり遂げたと思った時、すべてを失った。一時は次期魔法大臣と目された英雄扱いだったが、次の瞬間には、息子は死に、妻も後を追い、家名は汚された。そして世間の人気も失った。息子が亡くなると、皆があの子に同情をし始めた。れっきとした家柄の品行方正な若者が、なぜそこまで大きく道を誤ったのかと、人々は疑問に思い始めた。結論は、父親が息子を構ってやらなかったからだと、そういうことになった。
そして、コーネリウス・ファッジが最高の地位に就き、クラウチは『国際魔法協力部』へと左遷された」
長い沈黙が落ちた。みんな、あの森でのクラウチの激情について、思い出しているのかもしれない。そのような壮絶な人生があったとして、そしてそれが真実だったとして、それが世間に知られていて好き勝手に話されている気分というのは、一体どういうものだろうと、カナは思いを馳せていた。
「ムーディは、クラウチが闇の魔法使いを捕まえることに取り憑かれているって言ってた」ハリーがそっと言った。
「ああ、俺も、ほとんど病的だと聞いた」シリウスが頷く。「俺が見るところ、あいつはもう一人死喰い人を捕まえれば昔の人気を取り戻せると、まだそんなふうに思ってるんじゃないか」
「だからホグワーツに忍び込んで、スネイプの研究室を家捜ししたんだ!」ロンが興奮したように言った。
「それが、まったく理屈に合わないんだ」シリウスが言った。
「理屈に合うよ!」ロンが負けじと言ったが、シリウスは頭を振った。
「いいか、クラウチがスネイプを調べたいのなら、試合の審査員として来ればいい。それなら堂々とホグワーツに入って、スネイプを見張る格好の口実ができるだろ」
「シリウスは、スネイプが何か企んでるって思うの?」
ハリーが聞いたけれど、ハーマイオニーが口を挟んだ。
「いい? あなたがなんと言おうと、ダンブルドアがスネイプを信用なさっているのだから――」
「まったく、ハーマイオニー。いい加減にしろよ」ロンがイライラして言った。「ダンブルドアはそりゃあ素晴らしいお人ですよ。だけど、ほんとにずる賢い闇の魔法使いなら、ダンブルドアを騙せないわけじゃない――」
「だったらそもそも、どうしてスネイプは一年生の時にハリーの命を救ったりしたの? どうしてあのままハリーを死なせてしまわなかったの?」
「そんなの知るかよ。ダンブルドアに追い出されるかもしれないと思ったんだろ」
「シリウスはどう思う?」
言い合いをよそに、カナが聞くと、二人とも静かになった。
「二人とも、いいところを突いてる」シリウスがロンとハーマイオニーを見比べた。「スネイプがここで教えてると知って以来、なぜダンブルドアがスネイプを雇ったんだと不思議だった。あいつはいつも闇の魔術にお熱で、それで有名だった。いつも気味の悪い、髪のベットリしたナメクジ野郎だったさ」
ハリーとロンがニヤッと笑った。
「スネイプが入学した時、七年生が知るよりも多くの呪いを、やつはすでに知っていた。スリザリンの中で、のちにほとんどが死喰い人になったグループがあったんだが、スネイプはその一員だった」
シリウスは手を前に突き出し、指を折って数えた。
「ロジエールとウィルクス――両方ともヴォルデモートが失墜する前の年に、闇祓いに殺された。レストレンジ――夫婦ともどもだが――アズカバンにいる。マルシベール――こいつもアズカバンにいる。エイブリー――聞いたところでは、『服従の呪文』で動かされたと言って、辛くも難を逃れたそうだ。まだ捕まっていない」
カナの心臓が、ぎゅうーっと音を立てて縮んだように感じた。ガートの父親は、たしかに死喰い人だったんだ――静かに、ぎこちなく、詰まった息を吐き出した。
「だが、俺の知る限りでは、スネイプが死喰い人だと非難されたことはない。なんの証明にもならないがな。死喰い人の多くが、まだ一度も捕まっていない。ただ、スネイプはたしかに難を逃れるだけの悪運と狡猾さを持ってる」
「スネイプはカルカロフをよく知ってるよ。でもそれを隠したがってる」ロンが鼻息荒く言った。
「うん。カルカロフが昨日、『魔法薬』の教室に来た時の、スネイプの顔を見せたかった!」ハリーも勢いづいて言葉を続けた。「カルカロフはスネイプが自分を避けてるって言って、話があるみたいだった。何か心配そうに、自分の腕を見せていたんだ」
「スネイプに自分の腕を見せた?」
シリウスは拍子抜けしたような表情を浮かべた。大きな手で頭をわしっと掻いて、肩をすくめた。
「一体なんだろうな・・・・・・だが、もしカルカロフが本気で心配していることをスネイプに答えを求めたんなら・・・・・・」
シリウスはどこか一点を見つめていたけれど、顔をしかめて話を続けた。
「それでも、ダンブルドアがスネイプを信用しているというのは事実だ。他の誰もが選ばないような奴を、ダンブルドアなら選ぶっていうのもわかってる。だが、もしもスネイプがヴォルデモートに仕えたことが一度でもあるのなら、ホグワーツで教えることを許したりはしないだろう」
「それなら、ムーディとクラウチは、どうしてそんなにスネイプの研究室に入りたがるんだろう」ロンが食い下がった。
「そうだな」シリウスは考えながら答えた。「マッドアイのことだ。ホグワーツに来たとき、教師全員の部屋を捜索するくらいのことはやりかねない。ムーディは『闇の魔術に対する防衛術』を真剣にやっている。ダンブルドアとは逆で、ムーディのほうは誰も信用しないのかもしれない。あの人の経験を考えれば当然だろうな。しかし、これだけはムーディのために言っておくが、あの人は殺さずにすむときは殺さなかった。できるだけ生け捕りにした。厳しいひとだが、死喰い人のレベルまで身を落とすことはなかった。だがクラウチは・・・・・・クラウチは違う。本当に病気なのか? ならなぜ、そんな状態でスネイプの部屋に入り込んだ? 病気でないなら、何が狙いだ? ワールドカップで、観戦に来れないほど重要なことをしていたのか? トーナメントをほっぽり出してまで、何をやっている?」
退屈したのか、バックビークがカナの髪をひとふさかじっている。
ぶつぶつと呟いていたシリウスが、ようやく顔を上げた。
「ロンの兄さんがクラウチの秘書だと言ったか。最近クラウチを見たかどうか、聞くことはできるか?」
「やってみるけど」ロンは自信なさそうだった。「でも、クラウチが何か怪しいことを企んでいるって勘付かれる言い方はしないほうがいいな。パーシーはクラウチが大好きだから」
「ついでに、バーサ・ジョーキンズの手がかりが掴めたかどうか聞き出してみるといい」
シリウスは別の「日刊予言者新聞」を指差して言った。
「バーサ・ジョーキンズ?」カナが聞くと、シリウスが教えてくれた。
「バグマンの部下だ。夏にアルバニアで消息不明になったまま、帰ってこない」
シリウスが取り上げた新聞に、小さく「魔法省職員が行方不明」と書かれている。
「バグマンは僕に、まだ掴んでないって教えてくれたよ」ハリーが言った。
「ああ、バグマンのコメントがそこに載ってる」シリウスはカナの手にある記事をあごで指した。「バーサがどれだけ忘れっぽいやつかと喚いてるみたいだな。俺が知ってる頃のバーサとは印象が違う。ホグワーツで知ってた頃は、バーサは忘れっぽくなんてなかった。むしろ、ちょっとぼんやりしてたが、ゴシップとなるとかなり記憶力の良い魔女だった。それでよくゴタゴタに巻き込まれたもんだ。口を閉じるってことを知らない奴だった。魔法省では厄介だっただろうな。だからバグマンは長い間探そうともしなかったんだろう」
シリウスは深い眼窩を擦って、ため息を吐いた。
「いま何時だ?」
「四時よ」ハーマイオニーが腕時計を見ながら言った。
「もう学校に戻ったほうがいいな」
シリウスが立ち上がった。
「いいか。言うことをよく聞くんだ・・・・・・」シリウスはとくにハリーをじっと見つめた。「今後、俺に会うために学校を抜け出したりしないでくれ。いいか? ここ宛にメモを送ってくれ。おかしなことがあったら知りたい。だが、許可なしにホグワーツを出たりするな。誰かがお前たちを襲う格好のチャンスを与えてしまう」
「僕を襲おうとする人なんて、ドラゴンとグリンデローくらいだよ」
「そういうことじゃない」シリウスがハリーを厳しく見つめた。「このトーナメントが終われば、俺はまた安心して息ができる。つまり六月まではダメだ。それからもうひとつ。俺のことは『スナッフル』と呼ぶこと」
カナの髪を涎まみれにしていた嘴が、髪飾りを噛み始めた。「こらっ、バックビーク」とカナがたしためると、シリウスがカナを呼んだ。
「エリアのことだが――」カナが髪飾りを手で守りながら振り向くと、シリウスがひどく真剣な表情でカナを見下ろしていた。「俺ははっきり言って、力になれないだろう。こんな有様だし・・・・・・身を隠すことで精一杯だ――だからよく聞け、自分でなんとかしようだなんて思うよなよ。大人に任せるんだ。ここにはダンブルドアも、マッドアイもいる。よくないうわさがお前を責めるかもしれない。だが自分を強く持つことだ。何かあったらすぐにリーマスへ知らせなさい」
「うん・・・・・・ありがとう」カナが堪えたように言うと、後頭部にバックビークが嘴をすり寄せてきた。
「そんなに不安がるな」シリウスがやさしく微笑んだ。「これまでうまくやってこれたんだ。今回も乗り越えられる。夏になればまたあの家に帰れる」
「・・・・・・そうだといいな」
涙がこぼれそうになるのをこらえて、カナはバックビークにお別れのあいさつをした。
シリウスが村境の柵のところまで、犬の姿で送ってくれた。四人は順番にその砂っぽい頭を撫で、「スナッフル」にバイバイをした。
帰り道、四人は今日の話を思い出し、コソコソと話しながら、赤く照らされた街路を歩いた。
「兄弟が闇の魔法使いになるのって、どんな気持ちだろう」ハリーが言った。みんな、キョトンとしてハリーを見つめ返した。「だって、僕は兄弟がいないから」
「私もいないわ」
「僕んとこは、まあ、想像つかないけど」ロンが空を見上げて考えながら答えた。「やっぱ、縁を切るのかな。めちゃくちゃムカつくだろうね。パパとママは泣くだろうな」
「ロンの家族は、そんなことにはならないよ」カナが言うと、ロンがびっくりしたように目を丸くした。
「私もそう思うわ。ね、ハリー?」ハーマイオニーがにっこり笑った。
「もちろん、そうだよ」ハリーも頷いた。
「そりゃよかったよ」ロンも笑って肩をすくめた。
「ねえ、カナのお兄さまって、どんな人だったの?」
唐突に、ハーマイオニーが言った。カナは目をぱちくりさせた。
「そういえば、話したことがなかったね」
風にあおられる黒髪を抑え、カナは考えながら、とつとつと話した。
「シオンは、うーん、何から話したらいいかなあ。リーマスはよく、ぼくたちのことを『うりふたつだ』って言ってた。ぼくもそう思う。初めて鏡を見たときは、シオンがそこにいるって、思ったもの。十一歳の頃、ぼくたちはよく似てたみたい。あの子も青い目で――ああ、でも、おかあさんやリーマスはぼくたちを間違えたりしたことはなかったなあ。今生きてたら、きっと誰も間違えたりはしないと思うけど。双子だけど、男と女だもの」
はにかみながら、カナは話を続けた。
「でも、性格はけっこう違ったかな。あの子、わからず屋だった」
「だとしたら、君たちってば本当にそっくりだったんだな」ロンが皮肉っぽく言ったので、カナはクスッと笑った。
「そうだね、ぼくたち、お互いに『わからず屋』だと思ってたと思う。よく喧嘩してた。怪我をしたり、させることも多かったし。でも、眠るときはいつも一緒だった。地下の冷たい、魔法薬学の教室みたいなところに寝室があったから、よく凍えないようにくっついて眠った。おでこをくっつけるとよく眠れた。ぼくがいつもわがままを言って、シオンがそれをたしなめてね。でもたまに、シオンの方が頑固だった。怖いって思う時もあったな。それで・・・・・・シオンは、ぼくと違って、おかあさんが好きだった」
カナは一度、息を深く吸って、吐いた。
「辛抱強い子だったんじゃないかな。ぼくは反対に、自分がしたいことばっかり言ってたから」
「そうなの? カナってあんまり、わがままな感じはしないけど」ハーマイオニーが言った。
「そんなことないよ。ユールボールのあと、医務室でみんなに八つ当たりしたでしょ。ぼくはずっとあんな感じだよ」
カナは少し申し訳なさそうに笑った。
「でも、そうだね・・・・・・ホグワーツに来てからは不安で、シオンだったらどうするのかなあっていつも考えてた。あの子はやさしくて、いつもぼくのために何かを堪えてた。ぼくはいつもリーマスに、おかあさんがどんなにひどい人か、話して聞かせてた。それが嫌だったんだと思う。シオンはいつも、『家族は一緒にいないと』って、そればっかり言ってた。
みんなは知らないと思うけど、ぼくのおかあさんは、去年の夏に駅で会った人とは、まるで別人だったんだ。ほんとうに、心を病んだ、廃人みたいな人だったんだよ。でも、幼かったぼくにはそれがわからなくて、シオンはそれをわかってたみたいだった。
ほかにもぼくとは違うところがあったね。走るのはぼくの方が早かったよ。でも、シオンは箒がとっても上手だった。ぼくを後ろに乗せてね、ふたりで湖の上をよく飛んだんだ。ぼくが落っこちるまではね――あ、それから、食べ物の好みも全然違うよ。シオンはボソボソしたオートミールとか、味のしないミルク粥ばっかり食べてた。変な子でしょ? たぶん、ホグワーツの食事に慣れるのは大変なんじゃないかな。
ホグワーツといえば・・・・・・十一歳の誕生日に、ぼくたち二人に入学案内が届いた。一緒に行こうねって約束してたけど、その年の七月に、突然――」
「亡くなってしまったのよね」ハーマイオニーがやさしく続けた。カナは頷いた。
「悲しかったけど、うまく泣けなかったな。前も言ったけど、シオンが死んだ日のことは、よく覚えてないんだ。ぽっかり空いた空白の時間のあいだに、シオンはいなくなっちゃった・・・・・・大嫌いなおかあさんとふたりっきりになっちゃってね。どうしていいかわからなかったなあ。一人で眠るのも、一人で食事を摂るのも、慣れるまではうまくできなかった」
校庭に差し掛かると、まだ遊んでいる下級生たちがまばらに散っていた。箒で飛んだり、魔法を試したりして、ときどきあちこちで火花が散っている。
玄関扉を通るとき、ハーマイオニーが言った。
「カナは、シオンのことが大好きだったのね」
その言葉に射抜かれたように、カナは立ち尽くした。そのせいですぐ後ろのロンがカナにぶつかって、二人は潰れた蛙みたいな声を出した。
「う、あ・・・・・・」
カナが喉をひきつらせたので、ロンがあわてて両手をあげた。
「うわっ、ちょっとぶつかっただけだろ! そんなことで泣くなよ――」
樫の扉に手を触れたまま、カナはぽろぽろと涙を落とした。
「ねえ、ごめん、どこか痛かった?」
ロンの問いかけに、カナは首を左右に揺らした。
「ちがう。ただ、ぼく・・・・・・」
手の甲で涙をぬぐって、カナはへらりと笑った。
「なんでもない」
きっと、なんでもなくはないんだろうと、三人とも思っていたに違いない。それでも、誰もカナに追及はしなかった。
夕食が終わって、お風呂が終わって、談話室の暖炉の火が消えるころ。カナもほかのみんなと同じように、ベッドのカーテンをぴったり閉じて、パジャマに包まれて、毛布をたぐり寄せた。
眠れはしなかった。気づけば、ぽろぽろ、ぽろぽろと、あとからあとから涙があふれた。
「シオン――」
押し殺したつぶやきが、カナの喉をしめつけた。しゃくりあげる声を抑えきれないほど。
「ぼく、きみに、言ってなかった」
カナ。
「一度だって、愛してたって、言わなかった」
枕に顔を押し当てた。くぐもった嗚咽だけはきっと、寝室に漏れ聞こえているだろう。それでも、カナはこらえきれなかった。
「きみに大好きだって言わなかった」
カナ。
「生きてる間、一度も」
カナ。
「ひどいことばかり言った」
かわいそうに、カナ。
「やさしくしてあげたかった」
そんなことで泣いて。
「わるい妹で」
泣いて。
「もっと良い、きみの家族でいたかった」
泣かないで。
「きみがいなくなるって、わかってたら」
もうやめて。
「いまなら、できるのに」
きみがそんなふうだから、ぼくは――
「おかあさんのこともわるく言わないから」
――カナがどれほど後悔しても、時は戻らない。
「シオン、ねえ、シオン・・・・・・」
かわいそうなほど、カナはぼくの名を呼び続けた。
「ごめんなさい・・・・・・」
まるで、きょうだいとはぐれた仔猫が、声が枯れるまで鳴き続けるみたいに。悲痛な後悔が、枕の中に消えていく。
「ごめんなさい・・・・・・!」
ぼくがきみに、どれだけ謝っても償いきれないことがあると知ったら、きみはどんな顔をするだろう。
20260310