ひとつ、カナの身になにかおかしなことが起こっている。
退院した週の変身術の授業でのことだ。カナは杖を振るうのがおっくうだった。いつものことだけれど、カナだけは課題を裁縫針とマッチに戻してほしいと思っていた。
ハーマイオニーはなめらかな杖さばきで、羽根ペンをフォークに変え、そしてフォークを羽根ペンに戻してみせた。
「さあ、カナ。やってみて」
カナはゆっくり息を吸って吐いた。どうせ何も起きない――諦めたような気持ちで、杖を振った。
――ガラガラガラガラッ、と机にフォークが降り注ぐ。止まらない――カナが呆然とそれを眺めていると、机の端からフォークがあふれてこぼれ落ちそうになった瞬間、それらがパッと消え、一つだけが残った。
「ミス・エリオット?」
マクゴナガル先生が立っていた。
カナは汗をたらした。今、何が起きたの――と、杖を持つ手がふるえる。
「もう一度、今度はこのフォークを羽根ペンに戻してみせてください」
教室じゅうの視線がカナに集まっていた。みんな、カナがやっと魔法を起こしたと知って、興味しんしんになった――カナは授業が始まる前とは違う意味で心臓をばくばくさせて、もう一度杖を振った。
フォークは変化した。しかし、カナのワシミミズクの羽根ペン――ではなく、ワシミミズクそのものになった。フクロウはインク壺に足をひたしたあと、カナの羊皮紙に解読不明な文字(線?)を描き、違和感に気がついたのか――カナの顔をきょときょとと観察したあと、なんと――窓から飛び去っていった。
みんながそれを呆然と見守っていた。カナも飛んでいったフクロウを、口をあんぐり開けたまま見つめることしかできなかった。
「・・・・・・合格点を与えることはできませんが、ミス・エリオット、素晴らしい進歩です。魔法をきちんとコントロールするように。変身術で重要なのは、緻密さと正確さです」マクゴナガル先生のするどい瞳がきらりと光った。「魔力を無差別に放つだけなら、赤ん坊でもできることですよ」
カナはその後もハーマイオニーの指導のもと、羽根ペンをフォークに変えることに集中した。ガラガラといくつか落ちてきたけれど、一発目よりは数はうんと減った。
「でも、どうして急に?」
カナは困惑した――杖を持つ手がぴりぴりとかじかんでいる。
「心境の変化とか?」
ハーマイオニーは真面目なのかいいかげんなのか、よくわからない答えをくれた。おかあさんのメモを思い出す――「杖の扱いに気をつけて」――
「何にせよ、カナ、先生もおっしゃっていたけれど、魔法が使えるということは進歩だわ。つまり、進級できる可能性が生まれたということよ!」
ハーマイオニーはこのままではカナが進級できないことを憂いていた。カナはあまり納得いかなかったが、うんうんと頷いておいた。
それにしても何故、とつぜん魔法が使えるようになったのだろう。そう考えると、胃がちりちりと焼けるように痛む。おかあさんはこうなることを知っていたのだろうか? それとも、またなにかやっかいな魔法を?――カナには考えてもわからないことだけれど。
ハーマイオニーたちは授業が終わると「図書館で調べ物」をするためにそそくさと消えた。ニコラス・フラメルが何者かを調べているらしい。まだ、開いてみないといけない本が数百冊あるそうだ――カナもそのリストを見せられた。体調が戻ったら手伝ってほしいと。
カナにはニコラス・フラメルを探す理由がない。たとえスネイプ先生が、三頭犬――フラッフィーの下に隠されているものを盗もうとしているのだとしても、ダンブルドア校長が隠そうとしているものを暴くのはなんだか気が引けた。父親に従うガートのことを思い出すのもカナを落ち込ませた――それに――なんだか気分が悪い。
なんとかがまんして歩いていたけれど、やがて、胃の奥底がむかむかと踊る感覚が襲う――カナはトイレに駆け込んだ。個室のひとつに飛び込むと、思いっきり吐いた。朝食がどろどろ溶けたのが、ひとつ残らずあふれた。苦しくて、涙がぼとぼと落ちた。誰か――シオン――背中をさすってよ、なんて。カナはばかなことを考えていた。
しゃくりあげながら、しばらく便器に顔を突っ込んでいたカナだったけれど、口の中に何かが張り付いていることに気がついて、顔を上げた。舌の上を指で触れる――また気持ち悪くなる――取れた。
指に挟まっていたのは、白い花弁だ。まるく、のばらに似ている。
頭が割れそうにズキズキ痛んだ。この花弁は、見たことがあるはずだ。知っているはずだ。だけど――どうしても思い出せない。
気持ち悪い。
カナは濡れた花弁を吐物の中にすてた。
それからの体調は、信じられないけれど、すごく良い。カナがマフラーとブランケットを厳重に装備している努力も実を結んでいる。ただし、扱いづらい魔法に振り回される日々は続いた。杖を振るときは神経を使うし、手先は銀のゴブレットを磨き続けた時みたいにびりびりと痺れるし、杖は大きすぎて重たいし、結局、魔法を使うのはおっくうなままだ。
十二月に入った頃、リーマスから返事がきた。カナのもとに空色の封筒が届くと、シェーマスが「ヒュウ」と口笛を吹いた。カナがむっとして杖を取り出そうとすると「ごめん」とあわてて謝ってきた。爆発物という点においては、シェーマスもカナと似たようなものだ。
カナは手紙を開いた。いつもの、リーマスのあたたかみさえ感じるやわらかな筆跡で、カナを励ます言葉が綴られていた――「にやにやしちゃってさー」とシェーマスが冷やかしたのも、カナには聞こえていなかった――「開かない手紙」について、リーマスに力になれることはないと書いてあった。先生たちに相談するか、おかあさんに相談してみたらどうかと。カナはとりあえずマクゴナガル先生を頼ってみることに決めた。
それに、クリスマスはホグワーツに残るようにと書かれていた。リーマスは迎えに来れないらしい。ちょうどクリスマスの時期は忙しいのだと。そして、いつもの「愛を込めて」という言葉で閉じられている――カナはそういえば、リーマスがなんの仕事をしているのか聞いたことがなかった。いつも会うときは傷だらけで、服もみすぼらしくて、危険な仕事をしていることだけはわかっている。それに、あまり稼ぎが良くないことも。そんなリーマスが、カナのために時間をさいて手紙を書いてくれていることを、またカナの送った手紙を読んでくれていることを、嬉しく思う。
カナは「闇の魔術に対する防衛術」の授業が終わると、寮に飛んで戻った。そして、ランチも食べるのを忘れて手紙を綴った。
一年生のシーカーがスニッチを捕ったこと、ひどい風邪で倒れたこと、突然魔法が使えるようになったこと、そういえばニコラス・フラメルって知ってる? リーマスも風邪ひかないでね、傷が一日でも早く直りますように、危険な仕事が早く終わりますように、愛を込めて。
そして手紙を書き終えると、すぐにフクロウ小屋へ走った。もう夕食の時間になりかけていた。深夜には「天文学」の授業がある。夜食を確保しておかないと。
カナが大広間に辿り着いたのは、生徒があらかた出払った時間だった。つまりは、夕食の時間はもうじき終わる。グリフィンドールのテーブルにはハーマイオニー、ハリー、ロンの姿があった。
「『探し物』は順調?」カナはロンの隣へ座った。三人はあまりゆっくりと食事をとっている暇がなく、せわしい感じだ。ロンが口の中のものをかぼちゃジュースで押し流して、言った。
「君のほうこそ、ちゃんと恋人に手紙は出せたのか?」
カナはロンが手を伸ばしたコテージパイをすばやく取り上げた。
「悪かったよ!」ロンが根を上げた。
「ねえ、誰に手紙を書いているの? まさか本当に恋人じゃないわよね? どうして誰にも教えてくれないの?」目をきらきらさせたハーマイオニーの言葉に、カナは顔が紅潮するのがわかった。ハリーもロンもカナが何と言うのか、じっと見ていた――カナは、以前ハリーに「手紙を送ってくれる人はいない」と言った手前、気まずい思いで口を開いた。
「違うよ・・・・・・ぼくの家族みたいな人」カナのうめきに、ハーマイオニーもロンも「なーんだ」と脱力した。
ハリーが「ママじゃないんだね?」とカナに聞く。カナはどう答えたものかと考えた。
「ぼくに字を教えてくれたり、箒の乗り方を教えてくれたり、ホグワーツのことを教えてくれたりした人だよ。ぼくは、父親みたいに思っているけど・・・・・・」ロンが、カナに奪われたコテージパイを半分かっさらっていった。
「お父さまはいないの?」ハーマイオニーはオレンジの皮をちぎって、果肉をカナに分けてくれた。
「うん、父親は知らない」夜食用に、カナはマフィンをいくつかハンカチに包んだ。「知らないことばっかりなんだ」
夕食を終えると、ハーマイオニーたちはその足で図書館へ向かった。カナもついていく。いつも閉館ぎりぎりまで「調べ物」をしているのだそうだ。
「一人、二冊三冊は読めそうね」
「本気かよ」ロンはげんなりした。
「静かにしていないと、司書に叱られるわよ」
図書館はカナが思っていた何倍もの広さがあった。何万冊もの蔵書があるに違いない。この中からニコラス・フラメルたった一人を探そうというのだ――カナはハーマイオニーたちの根気に感心した。
ハーマイオニーがリスト読み上げ、カナはタイトルの本を片っ端から持ってきて、ロンの腕の中に積んだ――「二十世紀の偉大な魔法使い」――「現代の著名な魔法使い」――「近代魔法界の主要な発見」――「魔法界における最近の進歩に関する研究」――ニコラス・フラメルがどんな人物なのかみんな知らないので、片っ端から魔法使いに関する本を洗い出しているのだ。
図書館司書のマダム・ピンスは厳格な鳶のような人で、生徒のマナー違反やいたずらを見つけては飛んできて、お小言をこぼしていた。ハリーたちも、最近毎日通っているせいか彼女の厳しい監視を受け、なかなかゆっくり探し物ができないようだった。
「本日も収穫なしか」
夜もふけてきた頃、グリフィンドール塔へ戻りながら、四人はため息をついた。
「いつもこんな遅くまで?」
「そうだよ。今日は君が来てくれて助かったよ。あんなふうにめくじら立てて、生徒をジロジロ見られちゃあ、ゆっくり本も読めないと思わないか?」
「そうだ。カナは『フラメル探し』なんてしている場合じゃないわよ。魔法の訓練をしないとね。あんなことを繰り返していたら、いつか誰かが怪我をするわ」
ハーマイオニーの言う通りだ。カナはそのことでハーマイオニーにアドバイスをもらおうと思っていた。
「カナはクリスマスはどうするの?」
ハリーがうきうきと聞いた。カナが「ホグワーツだよ」と言うと「それじゃあいくらでも魔法の練習ができるわね」とハーマイオニーが微笑んだ。
「僕のうちは家族がルーマニアに行くから残るんだ。チャーリーが、ドラゴンの研究をしてるからね」
「へえ、すごい!」カナはドラゴンに興味を持った――実はさっき、図書館でドラゴンに関する、銀色のうろこ皮の本が置かれていたのを見かけて、借りてきた。
「君ってちょっとチャーリーに似てるよ。好きだろ? 動物」
「うーん、そうかも。人より扱いやすいしね」
「変なやつ」ロンが肩をすくめた。
「人それぞれ」ハーマイオニーが言った。
「そんなに変?」カナはハリーに聞いた。
「ハグリッドには負ける」ハリーの意見に、違いないと、その場の全員が頷いた。
ホグワーツにも雪が深く積もり、湖が凍りつき、大イカの上で生徒がスケートを楽しんでいる頃。クリスマスが近づくと、城内はきらきらした装飾やヒイラギの葉、ヤドリギのリースなどが飾られるようになった。とくに大広間には巨大なもみの木がたくさん運ばれて、先生たちの手によって派手に飾られた。カナはほんもののクリスマスツリーを初めて見た。
「クリスマスツリーってこんなに素敵なんだね」
「カナ、クリスマスも知らないのね?」ラベンダーがあきれた。
カナはクリスマスといえば、リーマスがプレゼントを贈ってくれる日だという程度の認識しかない。リーマスが「メリークリスマス」と言うので、ぼくらも意味なんて知らずに真似してそう言った。そして、手ごろなもみの木なんて無いので、箒を逆立てたのに果物やお菓子を吊るして、飾ったことがある。リーマスが「クリスマスツリーの真似事」だと言って。
「ねえ、プレゼントはどうしようか?」パーバティがカタログをみんなに見せながら言った。「アクセサリーがいいと思うの」
「ちょっと待って」カナはカタログに書かれた値段を見つめて言った。「ぼくお金を持ってない。プレゼントは贈れないよ・・・・・・ごめん」
ラベンダーとパーバティはきょとんとした。そしてふたりは目を合わせた。
「それじゃあ、わたしたち連名であなたに送るわ」「そしたらそんなに気にしなくていいでしょ?」「そうそう、贈りたいから贈るのよ」とふたりは決めてしまったようだ。カナはリーマスに、おこづかいのことを相談するのをすっかり忘れていたことを後悔した。
クリスマス休暇にホグワーツに残る生徒はほとんどいないようだった。グリフィンドールではカナと、ハリーと、それからウィーズリーの兄弟たちだけだ。
カナはほとんど談話室で過ごした。女子寮にはカナしかいないのだ。ひとりぼっちで眠るのには慣れたつもりだったけれど、ホグワーツに来てからはにぎやかな生活が続いていたから、やっぱり誰もいない寝室は寂しかった。
カナは生まれて初めてチェスをした。やり方はロンが教えてくれた。シェーマスが置いていった駒は口うるさく、初心者のカナやハリーの手をさんざん酷評した。
「ロンの駒で遊びたいよ。こいつら、自分勝手すぎる」
カナが指差して文句を言うと、駒からもブーイングが起きた。
「いいけど、僕のチェスは祖父さんのだから、大人しそうに見えるけど癖があるよ」
結局カナはどの駒を使おうが、ロンにはかなわなかった。ロンはハリーにも勝っていた。
カナは暖炉前のぬくぬくしたカウチを独り占めできた。ブランケットに包まれてまどろんでいた。暖炉ではハリーとロンがマシュマロやらパンやらを焼いて遊んでいて、ときどきカナの口元に運ばれてくる。うとうとしながらカナはそれを与えられるがまま食べて飲み込んだ。ロンが面白がっていた。「赤ん坊の時のジニーみたいだ!」
居眠りをしているカナを、双子がやってきてさらっていった。カナが気づいたのは男子寮に運ばれている時だ――ぐるぐる巻きの芋虫みたいな状態で、カナが空中に浮かんでいた。
「ちょっと・・・・・・これは何?」
「やっとお出ましか」ジョージが言った。カナをゆっくり降ろしてくれたけれど、両手両足がブランケットでぐるぐる巻きだから歩きづらいし、垂れた布の端を引っ張って誘導される姿はまるで実験動物みたいだった。
室内は焦げ臭い――火薬の匂いがした。クローゼットにはクィディッチ・チームのポスターがたくさん貼ってある。それに、あたりにカラフルな箱や包みが散乱している――きっといたずら道具の材料なんだろう。
部屋のど真ん中のストーブの近くに椅子が置かれ、カナはそこに座らされた。まるで尋問するみたいに、目の前に双子が立って、カナにたずねた。
「お前、魔法が効きにくい体質か何かか?」
「なんて?」
「試作品のバード・ビスだよ。歓迎会の夜に配ったろ?」
「はずれがあるとか言ったな? 調べてみたところ、僕らの作品に失敗作は存在しなかった」
ジョージはフレッドの口の中に赤と黄色のチェック模様の「バード・ビス」を放り込んだ。フレッドは咳払いをした後、「ガア」とカラスの声で鳴いた。
「ならそれがたまたま失敗作だったか、お前さんに耐性があるかだ」
フレッドがカナの口元に「バード・ビス」を持ってきた。カナはそれを食べた――飲み込む。
「何か変わった?」やっぱりカナの声だ。
双子は目をぎらつかせてカナに詰め寄った。
「それはどういう能力なんだ? 強力な呪い返しか? お前さんが自分で?」
「知らないよ! ぼく、そんな魔法の才能なんかない。やっと物を浮かせるようになったばかりなんだ」
ちなみに、カナは浮遊呪文の練習で羽根ペンを吹っ飛ばし、寝室の天井に突き刺さって抜けなくなってしまった。
「手がしびれてきた。ブランケットをほどいてよ」カナを指差して「ガア」とフレッドが鳴いた。
「言っとくけど、お前さんが自分でくるまってたんだからな」ジョージはしぶしぶカナを解放した。
「いずれは姿も鳥に変わるようなのがいいな。インパクトが足りない」フレッドが声を取り戻して言った。
「クジャクのオスとかか?」
「サンプルが取りづらいのはナシだ」
カナはブランケットをひっつかんで、ふたりの寝室を出た。実験台にしようとしたけどカナは役に立たなかったらしい。
「男子寮に連れ込まれたって、アリシアに言いつけてやる」
そう言い捨てると、あわてて双子が追いかけてきた。「悪かったよ!」と謝ってきたけれど、カナはつーんとすまして、そのまま女子寮の階段を駆け上がって、舌を出した。男子は女子寮へは入れないのだ。階段に振り落とされて落っこちてしまうから。
クリスマスの朝だ。
「シオン、メリークリスマス」とカナは手鏡を見ながらつぶやいた。もちろん、リーマスの手鏡の奥に映るのはカナでしかない。
ベッドの足元には箱や包みがいくつか積まれていた。その中に、見覚えのある赤いリボンの箱があった――リーマスのクリスマスプレゼントだ。
カナは包装をやぶって、箱を開けた。リーマスはこれまで、いつもお菓子を送ってくれていた。箱いっぱいのチョコレートや、カラフルなキャンディの缶などが、ぼくら宛てに毎年届いた。なくなるのがもったいなくて、ぼくらはそれをちょっとずつ、時間をかけて食べた。
さて、今年のクリスマスプレゼントはカナの想像と全く違う物だった。ガラスのティーセットと紅茶の詰め合わせだ。小さいけれど、ユニコーンの意匠があしらわれた可愛らしいデザインだ。手に取ると、ガラスが光を反射して虹色に光った。カナは感動してため息をついた。それを傷つけないよう、そっと箱に戻した。
茶色の包み紙の中身はハグリッドからだった。両手に乗るくらいのちいさなもみの木が入っていて、色のついたどんぐりや毛糸、赤い木の実などが同封されていた。小物の全てに紐が通されている。クリスマスツリーのミニチュアというわけだ。カナは飾り付けをしたことがなかったので、嬉しかった。ベッドサイドの窓際にそっと置く。
ハーマイオニーのプレゼントは、ビーズアクセサリーの手作りキットだった。マグルの商品のようだ。メッセージが添えられていた。「緻密な魔法の訓練に良いと思ったの。完成したらぜひ見せてね。メリークリスマス」
なんと、アリシアからもプレゼントが届いた。ニフラーの背毛のヘアブラシだ。黒のつやつやした毛の中に、時々鮮やかな青色の体毛が入り混じっている。カナはさっそくブラシで髪をとかした。やわらかすぎて、くすぐったいけれど、髪はサラサラになった。
パーバティとラベンダーからは髪飾りが届いていた。金の装飾が入った、赤いビロードのリボンだ。カナは髪が長くはなかったけれど、頭の左側にそれを結んでみた――似合わないということもないけれど、ふだんアクセサリーなんかつけないので、なんだか、むずがゆかった。そういえば、カナはずいぶんとリボンを結ぶのがじょうずになったみたいだ。
カナはおかあさんのお下がりの、古ぼけたワンピースに着替えて談話室へ降りた。上階の吹き抜けの踊り場で、はしゃいだ声が聞こえた。見上げると、向こうもカナを見つけた。フレッドとジョージが降りてくる。
「メリークリスマス! カナ」「どうした、今日はいつもと違うな」ジョージがフレッドを小突いた。「プレゼントだろ? 似合ってるよ、我らのグリフィンドールカラーだしな」よく見ると、双子は揃いの青いセーターを着ていた。それぞれ真ん中に大きく「F」と「G」の文字が黄色の毛糸で書かれている。カナは双子の顔をよく見た。
「・・・・・・イニシャルが逆じゃない?」
「さすがは『妖精さん』だ! お目が高いね」
「ママが毎年編むんだよ。ド派手で良いだろ? しかし、全員分だぞ?」
「ママは毛糸の扱いが、わが子の扱いの次に得意なんだ」カナは話を聞いているだけでも、ウィーズリー家のおかあさんをひと目見てみたいと思った。どんなに優しくて家族思いなおかあさんなんだろう、そんな人がほんとうに、絵本の外に存在するの? と。
カナは再び男子寮に引き込まれた。一年生の寝室に双子は飛び込んでいく。カナはさすがに自ら入っていくわけにはいかず、階段のそばで待っていた。
「おい、見ろよ――ハリーもウィーズリー家のセーターを持ってるぜ!」ジョージのはしゃいだ声が聞こえた。
「でもハリーの方が上等だな」「ママは身内じゃないとますます力が入るんだよ」「ロン、どうして着ないんだい? 着ろよ。とっても温かいじゃないか」「僕、栗色は嫌い」
扉が開けっ放しなので、男の子たちのどたばた騒ぎは廊下にももちろん響いていた。
「この騒ぎはなんだい?」パーシーが上階から降りてきた。「カナ!」そしてカナを見つけると、もちろん叫んだ。「どうして男子寮にいるんだ――」
双子が喜んで飛び出してきた。パーシーが小脇に抱えた紺色のセーターを見つけると、うばって広げた。
「監督生のP! パーシー、着ろよ。僕たちも着てるし、ハリーのもあるんだ」
「僕は・・・・・・いやだ、着たくない」双子はむりやりパーシーの頭にセーターをかぶせた。出てきたパーシーの頭は眼鏡がずれて、双子に文句を言ってやろうと構えていた。「いいかい、パーシー」だがジョージが口を開くほうが早かった。
「君はいつも監督生たちと一緒のテーブルにつくんだろうけど、今日だけはダメだぞ。だってクリスマスは家族が一緒になって祝うものだろ」
ジョージは、まだ腕を通し切っていない身動きのとれないパーシーを階下に連行していった。
「お前だけセーターがないな」フレッドが顎に手を当てて、まるで真剣な悩みのように首をひねった。
「大丈夫だよ。ブランケットを持っていく」
「待て、待て。そうだ。ちょっと忘れ物を取ってくる」フレッドは自分の寝室へと駆けて行った。
ロンとハリーが出てきた。
「カナ、声はしてたけど、ほんとにいたんだね。メリークリスマス」
「メリークリスマス」カナは右手を上げた。
ロンは栗色のセーターを、ハリーは鮮やかなグリーンのセーターを着ていた。
「ハリー、よかったね」ハリーはプレゼントを貰うあてがないのだ。ロンのママがうんと優しいのがわかった。
「うん、魔法みたいにあったかいよ」
「イニシャルがないね」ロンのセーターを見て、カナが言った。
「ママはお前なら自分の名前を忘れないと思ったんだろう」フレッドが戻ってきていた。「でも僕らだって馬鹿じゃないさ。自分の名前くらい覚えてるよ。グレッドさ」
フレッドはカナに茜色のセーターを手渡した。これにもイニシャルは書いていない。
「お下がりで悪いけど、今日はそれを着ときなよ――ほんとは毛糸をほどいて、糞爆弾のカモフラージュに使おうと思ってたんだ、ホラ、再利用さ――でもママの手編みが頑丈すぎて、ばらせなかったんだ」
「いいの?」
「仲間はずれはいやだろ?」カナは喜んで袖を通した。サイズはちょうどいい。いくつか毛玉が浮いていたけれど、温かい。
「あったかいね」フレッドはカナの頭をわしわしっとゆらした。リボンがほどけないように。「赤色のセーターは、誰のなの?」
「ジニーだよ、妹の。だからくすねたのがバレたら、箒のケツでぶっ飛ばされるぞ」
大広間にはとびっきりのごちそうが並んでいた。巨大な七面鳥のローストに、山盛りのポテト、大盛りのソーセージ、レモンの乗った豆のバター煮、瓶に入ったキラキラ輝くスパークリング。テーブルのあちこちにクラッカーが積んであった。
カナはハリーとロンと協力してクラッカーのひとつを引っ張った。爆音とともに青い煙が立ち込め、中から帽子と、ネズミの家族が飛び出した。みんなあちこちでクラッカーを引っ張るので、大広間は色とりどりの煙が吹きすさぶこととなった。中から飛び出したのは帽子やネズミだけじゃない。おもちゃに、アクセサリー、つまりは、クリスマスプレゼントだった。
煙が晴れると、みんなの顔が見えた。教員のテーブルでダンブルドア校長が桃色の巨大な花飾りがついた婦人帽子と自分の三角帽子を交換し、フリットウィック先生がクラッカーから飛び出したジョークの紙を読み上げていた。
フレッドはジョージの頭に牛の頭蓋骨を乗せた。ジョージはパーシーの頭に三又のピエロ帽子をかぶせた。垂れた帽子の先にラッパが付いていて、握ると「プウ」と鳴いた。カナはとんぼの目玉みたいなゴーグルを手に取った。たしかに後ろまでよく見える――真横にいるロンがお腹を抱えてカナを指差しているのが見えた。
七面鳥が片付くと、香りの良いプディングが現れた。パーシーはベリーの乗ったいちばん大きく切れたのをカナにくれた――その中からシックル銀貨が出てきて、みんなカナを祝福したけれど、あやうく飲み込んでしまうところだった。
ハグリッドはワインをしこたま飲んで、耳も、鼻先も、ひげ面のむこうも真っ赤に染まっていた。酔っ払ったしまいには、隣のマクゴナガル先生の頬にキスをした――先生は嫌がるどころか、頬を赤く染めてクスクス笑ったので、カナはスプーンを落とした。ハリーが振り返って、まん丸に開いた目を合わせた。同じものを見たに違いない。
カナは腕の中にとんぼゴーグルと、カラフルな蛍をいくつも閉じ込めたような光る風船、朝になるとガラスの薔薇が開花する指輪を抱いて、寝室に運んだ。それにジョージが被っていた牛の頭蓋骨ももらった。カナはそれをコートハンガーのてっぺんに引っ掛けた。
その午後は男の子たちが校庭で雪合戦をするのを横目に、カナは杖を振ってまん丸な雪玉を作って貢献した。でも力加減がまだ難しく――雪玉はほとんど潰れて、みんなが打ち合うスピードには追い付かなかった。一時間もすればみんなびしょ濡れだったので、大急ぎで談話室に戻り、暖炉の前で温まった。
夕食は七面鳥のサンドイッチ、ふわふわのマフィンに、宝石みたいなフルーツたっぷりのトライフル、山のようなクリスマスケーキを食べた――みんな寮に戻る頃にはくたくたで、談話室のソファーの上で体を伸ばした。
フレッドとジョージがパーシーの監督生バッジをぬすんで――「パーフェクト・パーシーは監督生」と歌いながら――その攻防でグリフィンドール寮を走り回っていた。
「楽しかったね」カナはそれをぼーっと眺めているハリーの隣で、つぶやくように繰り返した。ロンのペットのスキャバーズが、夕食のマフィンをかじっているお尻をツンと小突いて遊んだ。「楽しかったぁ・・・・・・」そしてあくびが出た。
ハリーは心ここに在らずといった感じで「うん」と頷いたっきり、また黙ってしまった。カナも眠かったので、ハリーも疲れたに違いないと思っていた。
翌日、カナが朝食の席に向かい、先にありついていたハリーとロンに声をかけると、二人はビク! と肩を揺らした。
「どうしたの?」
ハリーは昨日の晩のようにぼーっと、感情を失ったように座り込んでいた。
「なんか様子がおかしいよな」ロンも心配して、ハリーの皿にベーコンエッグやらトーストクランペットやらを取り分けた。けれどハリーは食事に手をつけることはなかった。
「カナは、自分の知らない家族に会いたいと思う?」
その後、寝室でハリーはクリスマスプレゼントと共に届いた「透明マント」を見せてくれた。それは銀色のキラキラした布のようで、水面を折り畳んだような、不思議な色あいをしていた。触れるとそれは確かにそこにあり、カナが身にまとうと、首から下が消えて、絨毯の草模様がはっきり見えた。
「家族に?」
「父親に会いたいと思うかい?」ハリーはカナをまっすぐ見て言った。ロンが困ったようにカナを見た――ハリーのただならぬ様子を心配しているようにも見えた。でも、カナは――
「うん、会いたいと思うよ。会えるならね」
昨晩、ハリーが透明マントを使って禁書の棚を探っていた時、フィルチさんに見つかりそうになって無我夢中で逃げ回り、たどり着いた部屋に「それ」があったのだと。
「『鏡』だよ。僕の家族を――両親が映ってた」
「それじゃあ、ロンがその鏡を見たらきっとぎゅうぎゅうになっちゃうね」
「わからないさ、鏡は亡くなった人だけを見せるのかも」
夜になって三人は静かに寮を抜け出した。透明マントはシーツぐらい大きいけれど、さすがに三人で纏うとなると時々靴が見え隠れしてしまう。
ハリーは昨晩の図書館からの道を、暗闇の中もう一度辿った。目印の甲冑を探して一時間ほどうろうろした。「ねえ、凍えちまうよ。もうあきらめて帰ろう」とロンが根を上げた。「いやだ。どっかこのあたりなんだから・・・・・・」ハリーはしぶとく首を回して探した。わがままを言うのはハリーらしくなかった。今朝からどうも様子がおかしいのだ。
もうしばらく歩き、ロンがぶつぶつ文句を言った。カナが「もうちょっと付き合おう」となだめたときだ。「ここだ!」ハリーが見つけた。
たしかに、どうしてこんなところに――という場所に、息を殺すようにドアが聳え立っていた。
三人は部屋の中へ入る。ハリーはマントを脱ぎ捨てるみたいに飛び出して、鏡の前に立った。
「ほら! みんなを見てよ、僕のママに、パパだ」ハリーは興奮してささやいた。
「何も見えないよ」ロンの言う通りだ。傍に立つカナからは、ガウン姿のハリーしか見えない。
「ちゃんと見てごらんよ、ここに立って・・・・・・」
ロンが鏡の正面に立った。やっぱりパジャマのロンの姿しか見えなかった。
「僕を見て!」ロンが興奮して言った。鏡に映った自分の姿を夢中で眺めている。
「家族みんながきみを囲んでいるのが見える?」ハリーが聞いた。
「ううん・・・・・・僕一人だ・・・・・・でも僕じゃないみたい・・・・・・もっと年上に見える・・・・・・」ロンが息をのんだ。「僕、首席だ!」
「「なんだって?」」カナとハリーの声が重なった。ロンは惚けたように声がうわずっていた。「僕、ビルがつけていたようなバッジをつけてる・・・・・・最優秀寮杯とクィディッチ優勝杯も持ってる・・・・・・僕、クィディッチのキャプテンもやってるんだ」
ロンはようやく鏡から目を離した。
「この鏡は未来を見せてくれるのかなあ?」
「そんなはずないよ。僕の家族は誰も生きてない・・・・・・」ハリーは信じられないとでも言うように暗い声だ。
「カナは? 君も見ておくれよ」
ロンがカナの腕を引っ張って、鏡の前に連れてきた。カナはこわごわと目を向けた。黒髪で、淡色の瞳のカナが立っている。
その傍らで、ぼくが笑っている。
カナは言葉を失った。鏡に手をついた――鏡の向こうのカナも同じようにした。鏡のぼくは動かなかった。ただ、ただニコニコ笑って、カナのことを見ていた。カナは、その顔をもっとよく見ようと思った。でも、「ぼく」はこちらへ来てはくれなかった。
――これはシオンじゃない。シオンは間違いなく死んだんだ。
「なに、これは・・・・・・」カナはよろよろと後ろへ下がった。ロンは無邪気に「どうだった?」と聞いてきた。ハリーも「お父さんはいた?」と聞いた。そのどれも、カナの耳には入ってこなかった。
「これ、こんなの・・・・・・嘘だ。ひどいよ、どうしてこんなものを見せるの」カナは頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、その場に座り込んだ。
「おい、何が見えたんだ?」とロンがカナをゆすった。「カナ?」カナはばっと顔を上げた。かわいそうに、ぼろぼろ泣いていた。
「それをどこかへやって!」
ロンは困惑した。一方で、ハリーはまた取り憑かれたように鏡に見入っていた。
その時、廊下で物音がした。ロンがハリーを引っ張って、マントをかぶせた――同時に、フィルチさんの猫、ミセス・ノリスが目をぎらりと光らせて部屋に入ってきた――カナは息を止めた。
どのぐらい経っただろう、カナの息が続く時間ではあったけれど、とても長い沈黙を経て、ミセス・ノリスは引き返していった。
カナはどっと息をついた。涙は止まっていた。
「君がかんしゃくを起こすからだぞ――」ロンがささやいた。「あいつ、フィルチに告げ口に行ったんだ。僕らの声が聞こえたに違いないよ。はやく行こう」
カナとロンは協力してハリーを引っ張り出した。今度ははみ出た足を隠すことよりも、一秒でも早く寮に戻ることを考えて、できるだけ早足で帰った。
カナは談話室にたどり着くと、透明マントの中から抜け出して、振り返ることなく寝室に逃げた。
ベッドに飛び込んだ――カナは、また涙がにじむのがわかった。どうしてこんなに悲しいのだろう。どうしてこんなに涙が出るのだろう。だって、カナは――カナはぼくが死んだことなんてわかっていた。
きっと、あれは心の奥底を抉り出すようなしろものなんだ。ハリーは顔も知らない家族を望んだ。取り憑かれたように鏡に執着しているのはそのせいだ。ロンは成功を望んだ――カナは――カナの望みはぼくだ。でもそれは、ひどい痛みを伴った。だって、もう叶うことはないとわかりきっているからだ。
窓の向こうが明るくなっても、カナは寝室から出なかった。昨夜はいつ眠ったのかも覚えていない。作りかけのビーズ人形も、窓際のミニチュアツリーも、箱に入ったままのティーセットだって、そのままだ。
寝室の扉を叩く人はいない。女子寮にカナはひとりきりなのだ。男子は入れない――コンコン。力強いノックが二回聞こえた。カナは飛び跳ねた。
私服姿のマクゴナガル先生だ。
「ミス・エリオット。夕食を持ってきました」
先生はバスケットをカナに押し付けた。カナは寝巻きで、あちこちに髪を跳ねさせたまま、洗ってない顔でそれを受け取った。カナはお礼も言わず、茫然とそれをベッドに置いた。
「カナ、入りますよ」マクゴナガル先生が乗り切んできた。洗面器でタオルを絞ると、カナの顔をぬぐった。「まったく、レディとは思えない、ひどい顔ですよ」温かかった。
先生は小言を言いながらもカナの髪をとかし、シュミーズのしわを伸ばし、えりを正した。「ティーセットは?」と聞かれたので、カナはリーマスのプレゼントの箱を開けた。マクゴナガル先生はそれを丁寧に受け取って、なめらかに杖を振って紅茶を淹れてくれた。
そのころには、カナはもう随分指先が温まっていた。ティーカップの中で、ユニコーンが流星とともにくるくると踊った。リーマスはずいぶんとファンシーなものを選んだのだなあと、カナはおかしく思った。
カナが息を吐いたのを見て、マクゴナガル先生が言った。
「食事は取れそうですか?」
「はい。あの、ありがとうございます」カナはとたんに消えたくなった。マクゴナガル先生に迷惑をかけてしまった。
うつむいたカナに、先生は微笑んだ。「娘がいたらこんなものかと思いましたよ。ですが、このようなことは今夜だけですからね。きちんと食事を摂るように」
カナは思っていたとしても言えなかった。「絵本の中の『お母さん』みたいでした」だなんて。
20171220-20230312