死んだ人が勇気づけてくれたらそれがどんなに素晴らしいことか、カナは考えなかったことはない。でも、それは心の中にしかないことなのだ。カナは無知で、知らないことばかりだったけれど――それだけは理解していた。
カナはハリーに近づき難かった。双子が一年生たちの鼻を巨大な洗濯ばさみで摘んで、無理やり「しゃっくりチップス」を食べさせた時だって、カナはたいして巻き込まれないうちに静かに離れた(しゃっくりも出なかった)。残りの冬休みはハグリッドとフクロウの世話をしたり、ビーズのマスコット作りに奮闘したりした。
やがて休暇が終わりかけると、生徒たちがぽつぽつと帰省から戻ってきた。
ラベンダーはロンドンのホテルで撮った、特大クリスマスツリーの写真を見せてくれた。グリフィンドール塔の屋根くらい大きい。なんでも、アメリカに住んでいる祖父母と大叔父家族が訪ねてくれたので、盛大なパーティーになったそうだ。
パーバティはあちこちの国で宝石商をやっている叔父から、レイヴンクローにいる妹のパドマとおそろいの、特大ジュエリーをプレゼントに貰ったそうだ。
「うちは、至ってマグル式のクリスマス・パーティーだったわ」とハーマイオニーは言ったけれど、マグル式に興味を示したラベンダーやパーバティによって根掘り葉掘り説明を求められていた。
明日から授業が再開する。生徒たちはクリスマス休暇がどんなに素晴らしかったか、あるいはどんなに窮屈だったか、そしてレポートが数センチ足りないなどと嘆いたりした。
夕食の時、フレッド、ジョージ、リーの三人がこそこそしたあと、アリシアたちに耳打ちした。
「すっかり忘れてたわ!」
カナはアリシアの声に興味を引かれて、そちらを見た。
「おチビちゃん、お前さんも気になるか?」
リーがサンドイッチを手に取りながらカナに言った。
「休暇の前、スプラウト先生の花咲か豆の木に、百度栗を接木したんだ。今からそいつを見に行こうと思うんけど、お前たちもくるか?」
双子は面白半分という感じだったけれど、アリシアはひやひやしていた。アンジーがあきれた様子で「真似しちゃだめよ。スプラウト先生、怒ると怖いんだから」と一年生に注意した。カナはラベンダーとパーバティと一緒に、見に行ってみることにした。
三人が大広間から温室へ向かおうとした時だ。橋の上で、向こうからマルフォイたちがやってくるのが見えた。たしかにあちらはスリザリン寮の方角だ――カナは嫌な感じがした。橋の上ではどうしたってすれ違うしかない。
カナたちはできるだけ端っこに寄って、静かに通り過ぎようとした。けれどマルフォイたち三人がにやにやと広がりながら歩いて、カナの鞄にゴイルの腕がぶつかった。
「痛いな!」ゴイルが叫んだ。カナたちは呆れながら止まった。
「広がって歩いたのはそっちでしょ」パーバティが果敢に言い返した。
「もう行こう、パーバティ。相手してもろくなことないよ」
「グリフィンドールは謝り方も知らないらしい」マルフォイが冷ややかに言ったけれど、カナたちは無視して立ち去ろうとした。その時「おや」とマルフォイが白々しく大きな声で言った。
「大事なコインが落ちたぞ、エリオット」
マルフォイが握っているのは――クリスマスのプディングから出てきた銀貨だ。カナのお金はそれしかない。ぶつかった時にローブのポケットから滑り落ちたのだ。
「拾ってくれてどうもありがとう」
「おっと」カナが手を伸ばすと、マルフォイが遠ざけた。「杖をしまえよ、礼儀知らずなやつだな。『恋人』はそんなことも教えてくれないのか?」
わざとカナを煽るような言葉を使っていることに、カナはちゃんと気づいていた。だけど、カナはかっとなって杖を振った。マルフォイに攻撃をするためじゃなく、銀貨を取り返すためだったが――カナの杖は魔法を放つことはなかった。いつのまにかそばにいたクラッブが、その大きな握りこぶしで――カナの杖をひしゃげたからだ。
その場にいる全員が、言葉を飲んだ。
マルフォイが最初に言った。「クラッブ、ばか力。やりすぎだ」おもしろくなさそうに、大広間のほうへ歩き出してしまった。ゴイルと、クラッブもそれに続いた。
「弁償しなさいよ!」ラベンダーが叫んだけれど、マルフォイたちは振り返ることすらしなかった。カナは呆然と立ち尽くした。
杖が――真っ直ぐ伸びた、節くれだった灰色の杖は、見る影もない。先端が曲がり、ひび割れの中からキラキラした銀色の毛がのぞいていた。
「あんまりだ。きみ、怪我はしていない?」
通行していたハッフルパフの上級生も声をかけた。カナは返事ができなかった。なんと答えるべきか――いや、怪我はしていないのだから頷くべきだろう。数秒の間をおいて、カナはやっと頷いた。
「マクゴナガル先生に言おう。一緒に行って説明するよ」
上級生はカナにつきそい、グリフィンドール塔の入り口に構えた変身術の教室までついてきてくれた。
「僕はセドリック・ディゴリーだ。セドリックでいい」
「知ってるわ」ラベンダーがにっこり笑った。「ハッフルパフのシーカーよ」
「補欠だよ――でも、いいんだ、僕の話は」セドリックはやわらかい色の黒髪を揺らし、鼻先をかいた。「きみたちだよ。マルフォイの行動は目に余る、いつもあんなことを?」
「カナにはとくにひどいわ」パーバティが腹立たしそうに、指を折って説明した。「ハリー、ロン、の次よ」
「それじゃあ、よっぽどだな」セドリックはカナに同情した。
「これ、直せる?」カナは不安そうに言った。
「一度折れた杖は直せない。杖を作った人であってもね。ほら、マシュマロあげるよ。元気出して」
セドリックは変身術の職員室の扉を叩いた。中からマクゴナガル先生が出てくる。
「何か? ミスター・ディゴリー、それにあなたたちまで」
先生は生徒たちを部屋の中へ入れた。マクゴナガル先生の職員室は授業で使う物品が数多く積んであったけれど、そのどれもが整然と片付いていた。
カナは杖をマクゴナガル先生に見えるように出した。
「まあ」先生は眉を思いっきり顰めて、杖の折れた先端を撫でた。「杖先を保護すれば使えないこともありませんが、新しいものを用意したほうが良いでしょう。暴発するおそれがあります」先生の目がカナを見すえてきらりと光った。
「先生、スリザリンのクラッブが壊したんです」ラベンダーが震えながら言った。
「まあ、まあ。それで、クラッブはどうしたんです?」
「謝罪もなしに立ち去りました。杖はあまりに高価ですし、どうにかできませんか?」セドリックが説明した。
先生は淡くため息をついて、手元の羊皮紙にメモをし始めた。「まちがいなくクラッブがやったんですね?」とセドリックを見た。
「ええ。僕も見ましたし、他にも。マルフォイもそう認めていました」
「わかりました。ミス・エリオット、ひとまずはスペロテープで保護をしておきましょう。スネイプ先生に御相談してみます」先生は透明なぶあついテープをカナの杖の先端に巻いた。
カナたちはセドリックに連れられて、温室の中庭にやっとたどりついた。噴水の近くのベンチにアリシアやリーたちが待っていて、手持ち無沙汰に噛み噛み白菜の球根を跳ねさせて遊んでいた。
「おい、ディゴリーだ!」「また女の子を助けてるぞ」双子がこちらを見つけてはしゃいだ。セドリックは苦笑いして、「あの双子は苦手なんだ。それじゃあ。良い新学期を」と立ち去っていった。
「なんだ、つまんないやつだな」とフレッドはごちた。
「それより、どうしたんだ? ずいぶん遅かったな」リーがまだ小さな牙で噛みつこうとする白菜の球根に、鉢植えの土をかぶせながら言った。
「ちなみに百度栗のスパイは全滅してたよ。スプラウト先生が温室に入らない日があるわけないもんな」「それに植物に声をかけ忘れることだって」双子は目に見えて落胆していた。
「またスリザリンなのよ、カナの杖を見てよ」ラベンダーが怒って言った。カナはテープでぐるぐる巻きになったあわれな杖を出した。
「なんてこと」アリシアが悲鳴をあげた。
「ロンのやつよりひどいな」たしかにロンの杖もこんなふうに中の芯が覗いていた。「報復はしたのか?」
「やり返したら駄目よ、弁償してもらわなきゃ」アンジーが冷静に言った。「先生には言った?」
「さっきの、セドリックが一緒に来てくれたのよ」「マクゴナガル先生は、スネイプ先生に相談するって・・・・・・」ラベンダーとパーバティが説明したけれど、みんなの空気は静かに沈下していった。
「それじゃあ、あんまり期待できないな」リーが肩をすくめて言った。カナは、何と言えばリーマスやおかあさんに心配させずに杖を買い直してもらうことができるか、言い訳を考えていた。
翌朝、カナのもとにガリオン金貨が八枚、皮袋に包まれて送られてきた。袋は上質そうだったけれど、メッセージのひとつも添えられていなかった。
「きっとクラッブの家からよ」アンジーが静かに、でも怒りを滲ませて言った。
「あいつ、ひとさまの杖をだめにしておいて、謝罪の一つもないのかよ!」リー、フレッド、ジョージはカンカンに怒っていた。
カナは杖を振るのが怖かった――せっかく魔法のコントロールがつかめてきたと、自信をつけていた矢先にこれだ。それに、シックル銀貨もマルフォイにとられたままだ。
新学期の最初の授業は魔法薬学で、カナはひどく憂鬱になった。でも、杖を振る必要はない、そう思って油断していたのだ。
カナが、ちょっと杖で小突いて、火壺の位置をずらそうとした時だ――ドォン!と爆発が起きて、巨大な火柱がカナの大鍋をまるごと飲み込んだ。隣の席のネビルは遠くに逃げた――ネビルだけではない。教室中の生徒が、パニックになってできる限り遠くへ逃げた。カナはついに死んだと思った――思っただけだ。バケツをひっくり返したような水が降ってきて、カナはまだ生きていることを知った。カナはおそるおそる、目を開けた。
スネイプ先生が、すべてを凍らせるような冷たい表情でカナの目の前に立っていた。
「ミス・エリオット?」
蛇が獲物に絡みつくような、ねっとりとした低音がカナの焦げた頭を揺らした。カナは消え入りそうな声でなんとか返事を絞り出した。
「私の授業をめちゃくちゃにしてくれたな?」
水びたしの教室の真ん中に、水びたしのカナと、スネイプ先生だけが立っていた。他の生徒は壁の方にくっついている。たしかに爆発を起こしたのはカナだ。だけど、水を降らせたのはスネイプ先生のはずだ――なんてことは、カナは口が裂けても言えそうにない。
「すみません」
「グリフィンドールは五点減点。それと、ミス・エリオットは授業を終えたら教室に残るように」杖をひゅんひゅんと振って、スネイプ先生は教室(カナの黒焦げの大鍋以外)のすべてを元通りにしてしまい、「席に戻りなさい」と他の生徒に言い渡し、授業を再開した。水滴を滴らせていたカナの髪やローブは、少しは乾かしてもらえたようだけれど、湿ったままだった。
静まり返った地下室で、カナはたいへん肩身が狭かった。スリザリンのクスクス笑いが聞こえる。ネビルも隣に戻ってきたけれど、机の端っこで、ビクビクしてイラクサの葉を何枚も床に落として駄目にしていた。
カナは後片付けの手伝いを申し出たネビルを断り、教室に残った。黒焦げの大鍋を抱えたまま、みんなが地下教室から出ていくのを待った。
「ミス・エリオット」
「はい」生徒がみんないなくなり、提出分の「止血薬」の瓶を数え終わると、スネイプ先生はカナを呼び寄せて「体調は万全かね?」と、そう言った。
カナは聞き間違いかと思って、「はい?」と素っ頓狂な声が出た。
「体調はいかがかな、と。そう聞いている」スネイプ先生はジトリとカナを睨め付けながら、噛み砕いて再度、ゆっくりと言った。
「はあ、あの、大丈夫です。最近は」
「・・・・・・また『風邪薬』を作る必要があるか確かめたかっただけだ」
石膏像のような白い顔が、カナをじぃーっと見つめていた。カナは沈黙の中で、おかあさんのことを聞こうかと一瞬考えた。学生時代の先輩と後輩という間柄だったのは、リーマスから聞いた。だけど、それならどうしておかあさんは、カナにスネイプ先生を頼るようにことづけたのだろう。スネイプ先生はカナを知っていたのかな。スネイプ先生の黒い瞳は、カナの考えなんてぜんぶ見透かしているような、そんな心地がする――汗が垂れそうな緊張感のせいで口にはだせないまま――しばらく間があって、スネイプ先生が「ミスター・クラッブの件だが」と口を開いた。
「向こうの御両親に連絡を取ったが、その後はどうだね」
カナは今朝の皮袋を鞄から取り出した。
「あの、ガリオン金貨が届きました。無記名で、わからないのですが」スネイプ先生はその袋をちらりとだけ見て、「しまいなさい」と手で制した。
「それで杖を買いなさい」
「どこで?」
「ダイアゴン横丁だ」
聞いたことはあった。みんな、そこで学用品を買い揃えたのだと。カナの場合はリーマスがすべて準備してくれていて、買い物へ行くことはできなかった。
「一年生は本来ならば外出を許可されていないが、特別に私が引率する。明日の朝十時に北門に来ること」
だからといって、誰もスネイプ先生と出かけるはめになるとは想像しなかっただろう。
カナはスネイプ先生の衝撃発言のあと、自分がどんな顔で、何を言ったのか、どういう道をたどって歩いたのか覚えていない――ぼーっと夕食を摂って、ぼーっと動く階段を渡り歩いたに違いない。湿ったローブを引きずりながら、ようやくグリフィンドールの談話室に戻った。
「カナ!」太った婦人の肖像画の前に、ネビルが横たわっていた。カナは駆け寄った。両足がぴったりくっついて――「足縛りの呪い」だ。
「ネビル! どうしたの? マルフォイにやられた?」
「寒いよ、お願い、助けて・・・・・・誰も通らないんじゃないかと思った・・・・・・」
かわいそうに、腕には打ち身のあとがある。なんとか跳ねて転びながら、ここまでたどり着いたのだろう。
カナにも「呪文終了」の魔法が扱えたなら、ネビルを今すぐ助けてあげられたのに。カナには杖を握ることすら許されていない。スネイプ先生が預かっているからだ。
なんとかネビルを肖像画の裏の穴に押しやった。ネビルはつらそうにうさぎ跳びで這い上り、カナは「ごめんね」と謝りながら押した。
二人して、ようやく談話室に転がり込むと、注目を浴びた。ネビルはぴょんぴょんと陸に打ち上がった魚みたいに跳ねたので、それが滑稽で誰もが笑った。ハーマイオニーだけは駆けつけてくれて、「フィニート・インカンターテム」で呪いを解いてくれた。
カナはネビルを暖炉の前に連れて行った。二年生のペットの太った黒猫をどかして、ネビルを温かいソファーに座らせた。カナもその隣へ座る。ポケットにマシュマロの包みが入っていた。セドリックにもらったやつだけど――落ち込んだ時には甘いものを食べるといい、元気が出るから、とリーマスがよく言っていた――カナはネビルにマシュマロを握らせた。
「ネビル、何があったか話してよ」
「マルフォイが・・・・・・」ネビルは震えた声で話した。マルフォイの名に反応して、ハリーとロンもソファーの周りにやってきた。「図書館の外で出会ったんだ。誰かに呪文を試してみたかったって・・・・・・」
それを聞いてハーマイオニーが栗毛を逆立てた。
「マクゴナガル先生のところに行きなさいよ! マルフォイがやったって報告するのよ!」
「これ以上面倒はイヤだ」ネビルは首を横に振った。
「ネビル、マルフォイに立ち向かわなきゃダメだ」ロンが強い口調で言った。「あいつは平気でみんなをバカにしてる。だからといって屈服してヤツをつけあがらせていいってもんじゃない」
「ボクが勇気がなくてグリフィンドールにふさわしくないなんて、言わなくってもわかってるよ。マルフォイがさっきそう言ったから」ネビルは今にも泣き出しそうだ。カナは怒りが湧いてくる。
ハリーがネビルの肩を叩いた。「マルフォイが十人束になったってきみには及ばないよ。組み分け帽子に選ばれて、きみはグリフィンドールに入ったんだろう? マルフォイはどうだい? 腐れスリザリンに入れられたよ」
ハリーには、クリスマス休暇中の、朦朧とした気配はない。エメラルド色の瞳は暖炉の火を反射して、きらきらと光っていた。
「ハリー、ありがとう」ネビルは勇気づけられたようで、かすかにほほえんだ。「カナも、ありがとう。蛙チョコレートあげる」
ネビルは男子寮へと立ち去っていった。空いたソファーの席に、ロンがどかっと座った。
「わあ、ぼく、蛙チョコレート食べるの初めてだよ」
「ねえカナ、きみ、スネイプになに言われてたんだ? それにあの大火事は何?」
カナは蛙チョコレートの包みを開けた。蛙はきょろきょろとあたりを見回して、人間がいることを確認すると、カナの手を飛び出した――「おっと」カナは素早くそれをキャッチした。
「お見事ね」ハーマイオニーが突っ込んだ。
「ぼく、明日スネイプ先生と出かけなきゃ」カナはパタパタと暴れる蛙の頭をかじりながら言った。
「なんだって?」ロンとハリーが同時に素っ頓狂な声をあげた。
「マーリンの髭――知らなかったよ、そんなに仲がよかったなんて。どうして僕らに教えてくれなかったんだい?」ロンが腹を立てているのか困惑しているのかよくわからない早口で言った。
「ちがうよ、クラッブがぼくの杖をだめにしたんだ。だから弁償してもらうの」
「まあ!」ハーマイオニーが驚いた。「だから薬学であんなことが起きたのね。私はてっきり、またあなたの『発作』かと思ったわ――」
「へえ、そしたら、クラッブともお出かけか?」
「やめてよ、スリザリンは一人で十分・・・・・・あ、ダンブルドア」カナは蛙チョコレートのカードを取り出して眺めた。銀色の髭を蓄えた老人――ダンブルドア校長が、お茶目にウインクしてどこかへ去って行った。カナは裏面を見つめた。
「あっ!」
そして息をのんだ。カナはロンのローブをぐいぐい引っ張って、カードを見せた。そこにはこう書かれていた。
アルバス・ダンブルドア
ホグワーツ校の現校長。近代の魔法使いの中で最も偉大な魔法使いといわれている。特に、一九四五年、闇の魔法使い、グリンデルバルドを破ったこと、ドラゴンの血液の十二の利用法の発見、パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究などで有名。趣味は室内楽とボウリング。
「ニコラス・フラメル!」ロンがささやいた。ハリー、ハーマイオニーも顔を寄せる。
「こんなところにいたんだ」ハリーが興奮して言った。「僕、絶対どこかで見たことがあると思ったんだ――」
ハーマイオニーは寮の寝室へと駆け上がり、年季の入った古い本を抱えて戻ってきた。
「この本で探してみようなんて考えもしなかったわ。ちょっと軽い読書をしようと思って、ずいぶん前に図書館から借り出していたの」
「軽い?」とロンが本の厚みを指で測りながらこぼした。
「ちょっと黙ってて!」とハーマイオニーはページを捲り始めた。三人は顔を見合わせて、ぶつぶつ言いながらページを探すハーマイオニーをじっと待った。
「これだわ、これよ!」
「もうしゃべってもいいのかな?」ロンは不服そうだ。
「『ニコラス・フラメルは、我々の知る限り、賢者の石の創造に成功した唯一の者』!」
ハーマイオニーは(ひそひそ声で)高らかに読み上げたけれど、三人はきょとんした。「何、それ?」と。
「まったく、もう、みんな本を読まないの? ほら、ここ・・・・・・読んでみて」ハーマイオニーが寄越した古い本を三人で掴み合って読んだ。
――錬金術とは、「賢者の石」といわれる恐るべき力をもつ伝説の物質を創造することに関わる古代の学問であった。この「賢者の石」は、いかなる金属をも黄金に変える力があり、また飲めば不老不死になる「命の水」の源でもある。
「賢者の石」については何世紀にもわたって多くの報告がなされてきたが、現存する唯一の石は著名な錬金術師であり、オペラ愛好家であるニコラス・フラメル氏が所有している。フラメル氏は昨年、六六五歳の誕生日を迎え、デヴォン州でペレネレ夫人(六五八歳)と静かに暮らしている。
「ねっ?」ハーマイオニーは三人を見渡した。「あの犬はフラメルの『賢者の石』を守っているに違いないわ! フラメルがダンブルドアに保管してくれって頼んだのよ。だって二人は友達だし、フラメルは誰かがねらっているのを知ってたのね。だからグリンゴッツから石を移して欲しかったんだわ!」
「金を作る石、決して死なないようにする石! スネイプがねらうのも無理ないよ。誰だって欲しいもの」
「それに『魔法界における最近の進歩に関する研究』に載ってなかったわけだ。だって六六五歳じゃ厳密には最近とは言えないよな」
三人は興奮と喜びの混じった声で話し合った。カナはそれに混ざることができなかった。無限のお金に、命だ。スネイプ先生はそんなものを得て何をしようというのだろう。死んだ人は蘇らないというのに――カナは、クリスマスの鏡のことも思い出して、寂しい気持ちになった。カードの中にダンブルドアが戻ってきていた。ふわふわのパジャマに三角帽子をかぶって、おやすみの準備をしていた。
カナは朝から憂鬱だった。もし遅刻したら、スネイプ先生にどんな冷たい言葉を浴びせかけられるんだろうと心配して、日が昇るよりもずいぶん早くから目が覚めてしまい、今となっては少し眠い。
朝食の席で、フレッドとジョージが面白がって、「ちゃんとおめかししたか?」「糞爆弾は持ったか?」と右往左往し、カナをからかった。味なんてしなかったけれど、アリシアがよそってくれた豆の甘煮をちびちびと食べた。元気は出ないけれど、グリフィンドールの友だちが励ましてくれることは嬉しかった。
ハーマイオニーなんて最後まで「何かあったら大声で叫ぶのよ。あなたは杖を持っていないかもしれないけど、あそこは魔法使いがたくさんいるから」と念を押した。
約束の十時の五分前に北門に行くと、スネイプ先生がすでに立っていた。カナが来たのを見ると「『付き添い姿現し』の経験はあるか」とたずねてきた。カナは入学当日のことを思い出しながら答えた。
「あります。でも、気絶しました」
「振り落とされなかったのならば良い。ついてきなさい」
スネイプ先生は歩き出した。雪の残る石畳を大股で歩く先生に置いていかれないよう、カナは早足で必死についていった。
「あの、先生」
「無駄話を許した覚えはないが、特別に質問を許可しよう。なんだね?」
「『姿あらわし』は建物の近くだとできないんですか?」
「なぜそう思う」
「以前も・・・・・・自分の家からロンドンの駅に飛ぶ時です、家からしばらく歩かなくてはいけませんでした。でもロンドンの街中へ飛ぶことはできるということですよね?」
カナは必死に歩き、時々走りながら喋ったので、息が切れぎれだ。スネイプ先生は涼しい顔で、しばらく間をおいて、カナのほうを振り返った。
「『姿あらわし』に場所の制限はない。どこへでも、どうしても、どういう意図で行くのか明確でさえあれば、杖も呪文も不要な高等瞬間転移魔法だ」カナがスネイプ先生のそばに追いついた。「ホグワーツには生徒を守るための結界が施されている。世界で最も安全だと云われる所以だ。あの中では『姿あらわし』はできないようになっている」
スネイプ先生が右手を差し出した。カナは意図がわからず、きょとんとした。
「はやく掴まれ。ダイアゴン横丁へ飛ぶ」
カナはスネイプ先生のエピソードの中で、今日が一番恐ろしいと思った。いくら「付き添い姿あらわし」のためとはいえ、あの大きな石のような手をぎゅっと握りしめたなんて、きっとロンに話したら気絶してしまうだろう。
カナはしばらく頭がぐるぐるまわっただけで、今回はさほどダメージを受けなかった。手袋越しのスネイプ先生の手は、温度なんてなさそうで、少し温かいようにも感じた。
先生はよどみなく街の中を進む。ぐにゃぐにゃとゆがんだ街道沿いに、でこぼこといくつも店が立ち並ぶ。望遠鏡や星図を扱う神秘的な装いの店。本が高く積まれた書店。大きな窓の向こうに並べられた大鍋、薬の材料に魔法植物。婦人が集まって話している店は高級ブラウスにローブを扱っているようだ。それに箒屋、小さな子どもたちが興奮して展示された箒を眺めている。ペット用のフクロウや猫も、通り過ぎるカナをじっと見つめていた。カナはきょろきょろと、つい興味を奪われてしまう。
「よそ見は許可していない」
そんなカナのことなんて、スネイプ先生にはお見通しだ。
先生は、ずいぶん古く、ずいぶん小さな道角の店の前で足を止めた。埃が積もってくすんだ窓の向こうは暗く、店内のようすは見えない。ただ、日焼けした紫色のまるいクッションの上に一本、杖が鎮座しているだけだ。
「入りなさい」
カナは言われるがまま、古くて歪んだドアを押した。ちりんちりん、とベルが鳴る。スネイプ先生は入り口で立ち止まって、カナの買い物が終わるのを待った。
店内は暗く、狭い。壁の一面はすべて棚になっていて、細長い箱が数えきれないほど積まれている。杖が入っているんだ。
「いらっしゃいませ」
しわがれた声がした。乾いているけれど、柔らかい声色だ。店の奥から、白髪をまとったしわだらけの老人が現れる。薄い銀色の瞳にやわく垂れたまぶたが、柔和な印象を持たせる。
「こんにちは」カナが挨拶した。
「おや、おや、こんな時期に珍しい。ホグワーツの生徒が来なさるとは」
「あの、折れてしまったんです」カナが言いにくそうに言うと、老人は「それで」とスネイプ先生のほうを見た。
カナはスネイプ先生から返してもらった杖を、店主へ見せた。
「おお、これは――もちろん覚えておりますとも」店主は悲痛そうに折れた杖の全身を撫でた。「柳の木でできていた、非常に堅実で、美しい逸品じゃった。三十六センチの大きな杖じゃったが、彼は手が大きかったからすぐに馴染んだ。悩みを抱え、すべてに不安を感じておった、そういうところに惹かれたのじゃ。杖は持ち主の困難を見抜いておった」
目が合った。カナは、店主が誰の話をしているのか、さっぱりわからなかった。
「彼?」
「ああ、貴方は――」
「カナ・エリオットです」
「おお、エリオットさん。私は店主のオリバンダーです」右手を差し出され、握手を交わした。ぬるく、たるんだ手だ。「あなたのお祖父様の杖も、ようやくここで役目を終えたようじゃ」
「祖父の?」カナは自分がまぬけな顔をしていることにきっと気づいていないだろう。まさか――こんなところで縁者の話を聞けるとは思っていなかったからだ。
「さよう。彼は自分の運命を呪っておったが――いや、この話はよそう、スネイプ先生もはやくお仕事に戻らねばならんじゃろう」
「いや、構わん」
オリバンダーさんは長い巻尺をポケットから出した。「杖腕はどちらかな?」
「右です」
「では腕を伸ばして、そう、そう」
銀色の巻尺は、ひとりでにカナの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の高さ――手際よく寸法を測っていく。カナは顔の周りを巻尺が動き回るので、息を殺してじっとしていなくてはいけなかった。
「ふむ、あの杖は貴方には扱いにくかったことじゃろう。家族のお下がりの杖を使うものは数多くおるがね、私に言わせれば、ふさわしい杖がふさわしい持ち主のもとにあるべきだ。貴方のものになりたいと思う杖はおるはずでの。他人の杖を使ったところで、自分の杖ほどの力は引き出せないのじゃ、お互いにな」
巻尺が風のように戻っていく。オリバンダーさんは細長い箱のひとつを取り出して持ってきた。
「どうぞ、エリオットさん。これを試してみなされ。楡の木に、芯は不死鳥の羽根、二十五センチ。賢くて従順だ。さあ、振ってごらんなさい」
カナは開けられた箱から、ぐりぐりといびつにゆがんだ褐色の杖を手に取った。そして言われるがままに杖を振り上げた途端「いかん!」とオリバンダーさんに杖を引ったくられる。カナが戸惑うまもなく、次の箱がやってきた。
「月桂樹に、ドラゴンの心臓の琴線、二十センチ。しなやかで俊敏」
カナはまた杖を振った。バン!と大きな音が鳴り、杖先から黒い煙が噴き出した。
「だめだ――次は黒胡桃、ユニコーンの毛、二十二センチ」
杖は振られることなくひったくられた。
オリバンダーさんは杖を探して、何度も店の奥とこちら側を行ったり来たりしていた。何度も何度も、いろんな杖をとっかえひっかえしては試した。どのくらい時間が経ったのだろう。カナは立ち続けるのも疲れてきた。
カナは、つい――振り返ってスネイプ先生に視線を送った。先生は後ろに手を組んだ石像のように突っ立ったままで、カナの杖選びをじっと見ていた。カナは期待はずれに思って向き直った。スネイプ先生が、グリフィンドールの生徒を励ましてくれるはずがないのだ。いくら知り合いの子どもだからといって――
「サンザシはいかがかな? ユニコーンの毛、二十七センチ。握りやすく振りやすい」
一度だけ火花が弾けたが、すぐに泡のように消えていった。カナは不安が今にも溢れ出しそうになるのを感じた。
「あの・・・・・・」声をかけても、オリバンダーさんはカナを振り返りもしなかった。よく見るとうきうきと嬉しそうに笑い、紅潮した額に汗をにじませていた。
「心配なさるな。必ずあなたにぴったりの杖を探して見せますわい――では、ふむ、これは? 七竈に、ユニコーンの毛、二十六センチ。安定重視。驚くほどに振りやすい」
蔦のように絡んだ灰色の杖だ。カナは手に取って、驚いた。触れたところは温かく、吸い付くように手に馴染んだ。今までいくつも杖を握ったけれど、こんな感覚は初めてだ。カナは思わずオリバンダーさんの銀色の瞳を見た。彼は微笑んでいた。「さあどうぞ、振ってごらんなさい」と優しく言った。
カナが杖を振ると、暖かい風が吹いたように感じた。銀色の光がふわっと灯り、薄暗い店内を煌々と照らした。オリバンダーさんは「ブラボー!」と叫び、手を叩いて喜んだ。
「素晴らしい! いや、はや、良い杖と巡り会えましたな」
カナは杖をそっとおろした。手の中にある灰色の杖身を見つめた。鞄の中からお金の袋を取り出そうとした時だ。
「あらゆる困難があなたを試すじゃろうな」カナの空色の目を見て、オリバンダーさんが言った。「じゃが、どうか忘れなさるな。杖はあなたを守ってくれる。信じなさい、あなたは杖に選ばれたのじゃ」
カナはうまく言葉が紡げず、ただ消え入りそうな声で「はい」と返事をした。
店を出たとき、軒先にスネイプ先生が待っていた。そういえば、カナは付き添って来たのだった。ずいぶん時間がかかってしまったことを思い出して、カナは謝った。
「すみません、先生。時間がかかってしまいました」
「いや、こんなものだろう。古い方の杖はどうした?」
「持ち帰ります」カナは折れてしまった杖を、新しい方の箱に入れてもらった。それを先生に見せる。
「ならば今日の目的は済んだ。ホグワーツに戻るぞ」
カナはスネイプ先生に空いているほうの手をぐいっと引っ張られた。突然力強く引っ張られて、カナは混乱した。後ろから湿った若い声が聞こえる。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。僕だよ、セブルス」
振り返ると、赤茶けた黒髪のポニーテールをゆるく垂らした、貴族風の男が立っていた。
「おや、かわいいね」オリーブ色の目がじわりと細くなった。カナはその瞳の色に飲み込まれそうな感覚になり――目の前にスネイプ先生が立ったことで、我に返った。
「何の用だ。バートラム」
男はくつくつと笑う。カナは気になってスネイプ先生の後ろから顔を出そうとした――けれど先生の手がカナを押さえつけて、隠した。
「ハハ、お馬鹿ちゃんだね。学習しないのかな」
「バートラム」先生がしびれをきらしたように言った。「用はなんだ」
「いや、何てことはないさ。ただ君を見かけたから声をかけただけ。娘はちゃぁんとやっているかと思ってね」
「何も問題はない。彼女は君に手紙を送っているはずだが」
「それもそうだ。なんといったって、僕がいちからしつけたからね。おりこうさんだろう?」
「もう消えろ。我々は戻らなければならない」
「そう」
カナはどうしてか、男の顔が気になってしょうがなかった。スネイプ先生の力が強すぎて、すこしも動くことができないが。「セブルス、そんなにその子を押さえつけなくても大丈夫だ。思っていたよりもずいぶんと手強そうだ」
スネイプ先生はそう言われ、手の力を緩めた。カナはまたひょっこり顔を出した。バートラムと呼ばれた男は、そんなカナを見てひらりと笑った。優しそうな風貌だが、声から狡猾さが滲み出ている。
「それじゃあね、エリオットさん。ガートルードをよろしく」
「えっ!」カナは悲鳴をあげたが、男は気づくと目の前からいなくなっていた。ガートルード。ガートルードというと――ガートルード・エイブリー?
「今のは、ガートのおとうさん?」
スネイプ先生は眉間を揉み、重いため息をついた。
「先生、ガートのおとうさんはどうしてぼくのことを知っているんですか? それに、ぼくはどう見たってグリフィンドールなのに、どうしてガートと交流があることを知っているの? 先生は何か隠していますよね? あの人はぼくに何かしようとしていたんですか?」
ホグワーツの近辺に「姿あらわし」した後、カナはふらつくこともなくスネイプ先生に詰め寄った。初回の転移で気絶しただなんて嘘のようだ――スネイプ先生はというと、カナの存在なんてまるでないみたいに、完全に無視をした。
「先生。先生は『賢者の石』を知っていますよね?」その言葉にだけ、先生は過剰に反応した。今度は先生のほうが振り返ってカナに詰め寄る。
「それを――どこで――聞いた」
先生は一歩ずつ、詰め寄ってくる。カナは人生で最大の後悔をした――言わなきゃよかった。言わなきゃよかった!
「あの、本で読みました」
嘘はついていない。先生は暗く、冷たい瞳でカナを見つめた。カナは、闇を閉じ込めたようなその瞳に吸い込まれそうな心地だった――バートラム・エイブリーの時に似ていた。
「エリオット」スネイプ先生は地を這うような低い声で、乱暴に呼び捨てた。「二度とその言葉を口にするな。母親を悲しませたくなければな」吐き捨てると、スネイプ先生はローブを翻して、ホグワーツのほうへと歩き出した。
カナはしばらく呆然と立ち尽くした。その先で、スネイプ先生が振り返って待っていることに気がついたので、あわてて追いかけた。カナは懲りずに口を開いた。
「先生はぼくのおかあさんと友だちなんですか?」
怒鳴られるかと思ったけれど、そうではなかった。先生は雪を踏みながら、歩調をゆるめた。
「お前の母親は手のかかるやつだった」
「ぼくよりもですか?」
「そうだ」
カナは早足で歩けば、スネイプ先生に並ぶことができた。しだいに、ホグワーツの北門とグラウンドが見えてくる。
「おかあさんは、先生のことを信頼してました」
「知っている」
カナはそれから、なんと言えば良いのかわからなかった。ハリーをどうしていじめるのかも聞きたかったけれど、あまりスネイプ先生を怒りそうなことを言いたくはなかった。それに、バートラム・エイブリーのことも答えてはくれなかった。もう一度聞いたって同じだろう。カナはだまってホグワーツを目指した。もう昼を過ぎたあたりで、カナはずいぶんとお腹がすいていた。
20171210-20230313