「ハリー、カナのことが好きか?」
 シリウスが淹れてくれたコーヒーをちょうど口に含んでいたなら、思いっきり吹き出していたに違いない。ずれた眼鏡を直しながら、隣に座る自身の名付け親を、信じられないような気持ちで見つめ返した。
「なんて?」
「だから、カナのことが好きなんだろうって」
 ハリーの顔がみるみる赤くなっていくと、シリウスはおもしろそうに眉毛をつんと跳ね上げて、片頬を持ち上げて微笑んだ。
「わかりやすいな」
「なんっ・・・・・・え? その・・・・・・」
「ハハッ、その顔、ジェームズにそっくりだ、ハリー!」
 名付け親に向かって、「この野郎」なんて言えるはずもないけれど、ハリーは内心、うっすらそういう気持ちが沸いた。
「リリーの話をするとき、あいつはいつも茹で海老みたいだった」
「シリウス・・・・・・リーマスには絶対に言わないでよ」
「ああ、もちろんだ。誰にも話すまい。男同士の秘密にしよう」
 シリウスはまだ面白おかしそうに、妙に仰々しく言った。
「友達とそういう話はしないのか? 誰が可愛いとか、夢に出るとか」
「しない・・・・・・けど、同級生の子はよくしてる」
「そうか。俺も学生時代は男友達と遊ぶのが一番だった。女なんかと歩くのはつまらないと思ってたもんだ。大人になるまで誰かと手を繋いだことすらなかった」
 ハリーは目を丸くした。今まさに目の前で椅子の背に片腕をかけてコーヒーを啜っている男が、まさか学生時代に女の子に囲まれていないはずがないと思ったからだ。
「ま、その大抵の理由は、家柄を目的に近づいてくる奴を俺が一方的に軽蔑してたからなんだが」
 うわついた背中を、ハリーは落ち着けた。まだ温かいコーヒーを、ハリーも啜った。シリウスの手前、シュガーもミルクも要らないと言ったけれど、苦い。
「で、あいつのことはいつから好きなんだ? 去年まではそういう感じじゃなかったろ」
 眼鏡の隅で見切れた意地悪くニヤつく父親代わりの男を、ハリーは思い切りにらみつけたい気持ちになった。
「その頃カナはセドリック・ディゴリーと付き合ってたし、その前はフレッドと付き合ってた」
「ふん」シリウスは今度は面白くなさそうに瞼を下ろした。「あの親子はともども、下の毛も生えてないお子様のくせに、いっちょまえに恋人なんて作りやがる」
 下の毛は生えてるらしいんだけど。と、いつだかフレッドが喋っていた下世話な話を思い出しながら、ハリーはほんのり耳を赤くした。
「僕がそうなりたいなんて思ってない。むしろ、僕は近づきすぎちゃダメなんだ」
「なんで? もともと仲が良いだろう、お前たちは」
 シリウスはテーブルに肘をついて、前のめりになってハリーに顔を近づけた。
「なんでって・・・・・・」
 バクバクと脈打つ心臓の音が、シリウスに聞こえていないか心配だった。
「好きかって聞かれたら、好きだよ。でも、それだけだ」
 カナと並んで立つセドリックの姿を思い出す。ハンサムで優しいセドリックと、純朴で愛らしいカナのふたりは、まさにお似合いのカップルだった。
「あの子を笑顔にできる自信がない」
 いつも手を引っ張って歩いていたフレッドと、無邪気に笑うカナの姿を思い出す。ふたりはぶつかりあうことも多かったけれど、カナがフレッドを見つめるあの瞳は、ほんとうに、あの子は彼のことが好きだったのだと思う。
「カナが聞いたら悲しむようなことを、僕はいつも考えてしまうから」
「例えば?」
 顔を上げると、こちらをじっと見つめてくる灰色の瞳と目が合った。ハリーは勝手に一人気まずくなって、視線を逸らした。
「カナのこと、見てると・・・・・・何の心配事もなく、いつも笑っていてほしいって思う。でも時々、頭を思いっきり掻きむしりたくなるような時もあるんだ。それが怖い・・・・・・傷つけたくなんてないのに、傷つけたいような気持ちになるんだ。シリウス、わかる?」



「好きっていう気持ちは、正直、よくわからない」
「でも、いつのまにか頭から離れなくなった。ロンやハーマイオニーは、友達だけど他人だよ。シリウスだってそうだし、リーマスだって。本当に大切で親しみを持っている人たちだけど、どこまで行っても他人だ。でもカナは――」
「カナのことだけは――いつの間にか、他人だと思えなくなった」




「ハリーに言っておきたいことがある」
「何?」
 淡いグレーの瞳が、ハリーをじっと見つめた。
「カナは俺の娘なんだ」
 パチッ、と目の前で電気がはじけたような感覚がした。反応を探るように見つめてくるシリウスの顔を、まじまじと見つめた。
 艶のある漆黒の髪。まっすぐ引かれた意志の強い眉。睫毛が目立つ、くっきりした目のかたち。見れば見るほど、シリウスにはカナの面影があった――いや、シリウスの顔立ちを、カナが受け継いでいるんだ。
「エリアが密かに産んだから、俺がリーマス以上に父親面できるわけじゃないが」
 ため息をつくように、ハリーは喉を震わせた。
「僕・・・・・・どうして気づかなかったんだろう」
「無理もない。ハリーと会う時は、俺はいつもずいぶんみすぼらしかったし。カナ自身もおそらくは、知らないことだ」
「それじゃ、カナに話す前に、どうして僕に話してくれたの?」
 視線を落としながら、シリウスは悲しそうに微笑んだ。
「他でもないハリーに、知ってほしいと思ったからだ。カナのことを思ってくれて、それに口が硬そうだ。変に囃し立てたりもしないだろう」
「じゃあ、シリウスは・・・・・・」
 エリアおばさんと結ばれたかったの、と聞こうとして、ハリーはその名前を言えなかった。シリウスはそれをわかっているかのように、力無く首を左右に振った。
「エリアのことは、悔やんでも悔やみきれない」低い声が掠れて、酷く悲しみに暮れていた。「だが、あいつはカナを生かすために、自分の命を捧げた。ハリー、お前の母親のように。リリーと同じように。だからもともと、エリアはこの先長くは生きられなかった。そう話す女に、感情だけを頼りに『やり直そう』なんて虫のいいことは言えはしなかった。家も金もないお尋ね者が、偉そうに言えることでもないしな」

「明日、カナが帰ってくる。ずっと病院に缶詰で、面会謝絶。フクロウすら入れない。徹底した隠しっぷりだ、ダンブルドアは」
 最後に見たカナの姿を思い出した。マッドアイ・ムーディのふりをしたバーテミウス・クラウチ・ジュニアに拘束されて、やつの部屋の床下に、母親の遺体とともに押し込まれていた。引き上げられたその体は、あのキャンプ場の森で発見された時よりも酷かった。ふるえるその体を腕に抱き留めた瞬間、ハリーは、この女の子を二度と離してはいけないと、瞬時に理解した。

「あいつのことだから、メソメソ泣いてるか、無理して気丈に振る舞おうとするか、そのどっちもか、だな」
「きっとカナはいつも通り振る舞おうとすると思う」ハリーはまた暗い気持ちが自分の胸に溢れかえって、ズシンと重くなるのを感じた。「みんなと違って・・・・・・何も知らないから。僕と同じだ。何も聞かされてないから」
 マグカップの中でゆらゆら揺れている自分の顔を、ハリーはじっと見つめた。
「でもカナは、僕みたいに腹を立てたりはしないだろうね。ときどき、急に大人びて見えるんだ」








 長く伸びた髪を切ったカナは、ずいぶん身軽そうに見えた。
「あっ・・・・・・ハリー」
 ふと振り返って、空色の瞳がハリーを見つけた。胸がドクンと大きくきしんで、それから全身に血が巡りはじめたのがわかった。
 会いたかった。ずっと。ひと夏じゅう。君のことが心配だった。そう言いたかった。
「久しぶり」
 ハリーの元へ歩みよって、カナがすこし悲しそうに微笑んだ。
「ハリー、どうしてるかなって、心配してた。気に病んでないかって・・・・・・その、ぼくが言うのも変だけど」
 なにか言いかけて、ハリーは言葉が出なかった。他人の心配なんてしている状況ではないだろうに、この心優しい少女は、そう考えてしまうんだ。
「カナ、君こそ・・・・・・」ハリーは何度も口を開いては、言葉を選んだ。「・・・・・・つらかったね」
 カナが一度だけ瞬きをしたその瞬間に、睫毛の先で、ぱちっと水滴が弾けたような気がした。カナの鼻先がほんの少し赤い。ああ、泣かせてしまっただろうか、とハリーは思ったけれど、裏腹にカナはにっこり笑った。
「元気出してよ」

 だから、だから僕はこの子に、「好き」だなんて言えはしないのだ。














戻る
TOP