この物語は、おかあさんの――エリアの原初の記憶から始まる。
幼い頃のエリアは、どこにでもいるような普通の、幸せな女の子だった。
ママとパパが交互に家の外へと仕事に出かける。そのあいだ、エリアは真っ白なシーツがかかったソファーの上で、お人形と歌ったり、絵本を読んだり、虹色のシャボン玉を飛ばして遊ぶ。暗いブロンドをふわふわと揺らし、いつも機嫌よくしていた。
エリアは幸せな女の子だった。
ケルト海の深い青、そのずっと上――巨大な岸壁の中腹に、その家はあった。ただの窪地に見えるけれど、エリアはそこに住んでいた。エリアから見れば、暗い草地の真ん中に、真っ白な壁の背の高い我が家がそこにある。いちばんてっぺんの、三角屋根の部屋が、エリアの寝室だった。淡いブルーのシーツやカーテンは、両親がエリアのために揃えてくれた。エリアには、その柔らかい手触りしかわからないのだけれど。
エリアは幸せな女の子だった。
スカイブルーの瞳は、少しだけ白く濁っていた。生まれつきなんだろう。幼いエリアは知らなかった。この世界はエリアが見ているよりももっと明るくて鮮やからしい。夜の空には「星」が瞬いているし、パパの髪と瞳は真っ白ではなく、ママの髪と瞳も真っ黒ではないらしい。
でもエリアはちっとも苦にならなかった。明るくてよく笑うママに、心配性だけど優しいパパ。エリアの宝箱は、いつも閉じきらないほどたくさんのものであふれていた。
「かわいいエリア。ずっと一緒よ」
ママがエリアを寝かしつけるときの口癖だった。
「ねえ、ママとパパがこうして、あなたを愛していること、覚えていてね。そして、あなたに受け継いでほしい。いつかあなたの子どもが生まれても、ずっとずっと伝わってほしいの――血よりも濃い、愛の記憶を」
「ジョス、そんなことを言ったって、エリアはまだわからないだろう?」
「わからなくたっていいのよ、ドニー。これは祈りなの」
パパとママに挟まれて、ぎゅっと抱きしめられるのが、エリアは好きだった。
「私たちの宝物が、しあわせでいられますようにって」
エリアは幸せな女の子だったけれど、ある日、ママが帰ってこなかった。
「パパ、いっしょにねてもいい?」
その夜、エリアは、パパのベッドに潜り込みながらそう言った。パパはまどろみながら、エリアに毛布を分けてくれた。
「どうかしたのかい?」
「あのね、おうちのなかに、だれかたおれてるの」
パパはベッドを飛び出して、家じゅうを探した――でも、窓もドアもきちんと閉まっていたし、誰も倒れていなかった。
「エリア、誰もいないよ。きっと夢を見たんだ」
パパはエリアを抱き、寝かしつけてくれた。背中をトン、トン、と叩かれると、まもなく瞼が降りてくる。
「ママは明日には帰ってくるから」
「うん、うん・・・・・・」
しかし、エリアはまた夜中に飛び起きた。がたがた震え、息をきらして、大声で泣き出した。
「エリア?」
パパが跳ね起きて、エリアをなだめようとした。パパの顔を見たとたん、引き攣った悲鳴をあげ、エリアは半ば狂ったようにその手を押し退けようとした。
「いや、いやあ――」
逃れようとして、エリアは毛布に絡まって床に落ちてしまった。パパが声を荒げて、エリアを抱き上げた。泣きじゃくったままのエリアは、手足をめちゃくちゃに動かして暴れた。しかし、パパはそれよりもずっと力強く、娘を抱きしめていた。
「いやあ、ママ! ママ! やめて――」
「エリア、エリア、大丈夫だから。エリア・・・・・・」
やがて、エリアは抵抗をやめて、パパにすがった。「ママ、ママ・・・・・・」と嗚咽を繰り返し、疲れ果てて眠るまで泣いていた。
エリアが「夢」を見たのは、その夜が最初だった。でも、幼いエリアが、どんなに恐ろしい夢を見たのか説明できるはずがなかった。
その日は、エリアの五歳の誕生日だった。エリアはずうっと、ママが帰ってくるのを待っていた。ユニコーンのぬいぐるみを抱きながら、ソファーで足をぶらぶらさせていると、玄関のベルが鳴った。エリアはいそいでドアを開けた――しかし、そこに立っていたのはママではなく、真っ白な髭を垂らしたおじいさんだった。
「こんにちは、お嬢さん」
「ああ、ダンブルドア――」
パパがすかさず前に出て、おじいさんを家の中に通した。エリアがついていこうとすると、パパがそれを止めた。
「エリア、部屋で良い子で待っていて。お話が終わったら迎えにくるから」
エリアは玄関に座り込んだ。ユニコーンのモトローナに、話を聞かせた。
「あのね、ママが、たくさんのひとに、おいかけられてたの。それでね、ママ、ピカッてひかったら・・・・・・うごかなくなっちゃったの」
気がつくと、真後ろにさっきのおじいさんが立っていた。エリアは立ち上がって、膝をちょこんと曲げた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」おじいさんの目がきらりと光った。「きみは、エリアといったかな?」
「うん、わたし、エリア・エリオット」
「わしはダンブルドアじゃよ。忘れてくれてもいいがのう」
おじいさんはにっこり笑った。
「今の話を、よーく聞かせてくれんか。エリア」
あとになってわかったことだけれど、ダンブルドアが知らせにきたのは、ジョゼット・エリオットの死だった。遺体は、きれいには残らなかったそうだ。かき集められるだけかき集めて、この家に連れ帰ったのだと。そうして、三人だけで、弔った。エリアはこのとき、ママの死をよく理解していなかった。ただ、「ママはもう帰ってこないよ」とパパに言われて、なぜかそれだけはよくわかっていた。
それが、エリアとダンブルドアの出会いだった。
十一歳の夏が過ぎると、エリアはホグワーツ特急に乗り込んだ。ダークブロンドをだらりと垂らし、誰も見てはいないのに、顔を隠すようにうつむいた。昨日、うちつけたばかりの大きなあざが、頬を腫らしていたからだ。今夜からはもうあたらしい傷ができることに怯えなくて済むかもしれない、と思うと同時に、エリアはとても心細くなった。
「パパ、一人で大丈夫かな・・・・・・」
エリアの視力は、年々弱くなっていった。窓の外はぼんやりとしか見えないし、列車に乗り込むのだって手探りだった。
ひとりぼっちのコンパートメントは静かで、揺られているうちにエリアはだんだんと眠くなってきた。まぶたを閉じるときが、ここ最近ではエリアは一番好きだった。目が見えなくたって、眠りに落ちる瞬間は誰にでも平等に訪れるから。
ドンドン、と扉が叩かれ、エリアは肩を跳ねた。返事をする間もなく、扉がガラリと開け放たれる音がする。エリアはさらにうつむいた。
「ハーイ、空いてるよね、このコンパートメントって? それじゃ――って、どうしたっていうんだ、きみ? 具合でも悪いのかい」
はきはきした早口で、男の子の声だった。エリアは心臓がどぎまぎしながら、首を横に振った。
「あの、どうぞ――私、大丈夫だから」
エリアは、同世代の子と話すのは初めてだった。喉がからからに乾いていた。
「それとも、ホグワーツ特急憑きのゴーストか何かかい?」
突然、視界が明るくなった。目の前に、眼鏡をかけた男の子の顔があった。おもしろそうに笑っていた彼の顔が、一瞬でこわばった。
「あらら――ごめんね。だけど、ちゃんと生きてるじゃないか」
「ジェームズ! どこだよ――」
「ああ、ここさ、我が友よ!」
扉から身を乗り出しているんだろう、はつらつとした声がくぐもった。続けて、何人かの足音がして、誰かがエリアの向かいに座るのが見えた。
「ねえ、顔を上げなよ。隠してたってしょうがないだろ?」
払われたばかりの髪に手を通して、エリアは顔を上げた。顔はぼんやりしてよく見えなかったけれど、男の子が三人、向かいの席に座っていた。
「僕はジェームズだ。ジェームズ・ポッター。二年生だよ、グリフィンドールの」ぼさぼさ頭の眼鏡の男の子が名乗った。「きみ、新入生だろう、名前は?」
「エリア・エリオット」エリアはこわごわと言った。他の二人は――黒髪と、小柄なブロンドに見える。
「ほら、名前ぐらい教えてあげなよ、怖がってるじゃないか」
「シリウスだ」黒髪のほうが言った。
「ボク、ピーター・ペティグリュー。よろしくね」
「ひどいね、その傷。治療しなかったのかい?」ジェームズがあっけらかんと言った。エリアはあわてて手のひらで頬を隠した。まだ触るとズキンと痛む。
「ぶ、ぶつけただけ。なんでもないの」
とたん、大きな手がエリアの手首をつかんだ。真ん中の、シリウスがエリアのローブの袖をめくりあげた。ピーターが「うわぁ」と喉を引き攣らせた声が聞こえた。
「なんだよ、これ」
シリウスが声を低くした。エリアはふるえる腕を払い、コンパートメントの隅に体を寄せた。
「よく、怪我するの」
「怪我?」ジェームズも怪訝に言った。「これは魔法火の痕だよ。僕らもよく遊んでて火傷するからわかる。それにこっちは何かが強く擦れたみたいに見える。おそらく、紐か何かでね。女の子がするような怪我じゃないね。それに、すぐに治療すればこんなふうに痕にはならないはずだろう? きみの親はいったい何を――」
「黙って!」
エリアが声を張り上げると、三人はシーンと静かになった。
「ほんとに、な、なんでもないの」
涙声で言うと、ピーターがおろおろした。
「大丈夫だよ。学校に着いたらマダム・ポンフリーが治してくれるよ」
「そう、そう。そんなに泣くことないさ。もとの可愛い顔にすぐ戻るって」ジェームズも同調した。
ぎこちない沈黙が漂う。耐えかねたジェームズが「アー」と声を出したとき、シリウスが立ち上がった。
「お前、親にオモチャにされたんだろ」
目の前に、シリウスの顔が迫った。ビクンと大きく体を揺らして小さく固まるエリアは、しかしその揺れる視線だけは、しっかりと目の前の男の子をとらえたままだった。淡い色の瞳がまっすぐにこちらを見ているのがはっきりと見えた。
「ほらな――殴られたんだろ? そんなクソ親、かばうのかよ」
エリアはこわごわと、ほとんど込もっていないような力でシリウスを押し返した。
「知ったようなこと、言わないでよ」
「意味わかんねえ」言いながら、シリウスはどかっと座る。「やられっぱなしでいいってのか? 子どもは親の所有物じゃないんだ――」
「シリウス、ちょっと。落ち着けよ!」
ジェームズがシリウスをなだめた。エリアはぼろぼろと涙を流し、隅っこでふるえて、縮こまっていた。
「他人の家庭にはいろいろ事情があるだろう? きみだって、僕らみたいな外野に家のことをとやかく言われるのは好きじゃない。だろう?」
「でも・・・・・・」
「きみがこの場で、彼女に吠えたからって何になるんだ? こんなふうに怯えさせるだけだ」
「ジェームズ、わかったよ。それ以上紳士ヅラするな、寒気がする」
「ノン、僕は根っからの紳士だよ」
シリウスが咳払いした。
「あー・・・・・・エリア、だったか。大声出して悪かった」
エリアは顔を上げなかった。「ハッ」とシリウスが乾いた息を吐いたとき、コンパートメントの扉がガラッと開いた。
「兄さん、いた」
幼い、男の子の声だった。
「えっ・・・・・・女の子を泣かせたの?」
「ちげーよ、レギュラス、お前ここに入れ」
エリアのひとつ隣の席に、男の子が座った。すると、シリウスが立ち上がる。
「じゃ、あとは任せた。仲良くやれよ」
「それじゃ、また会おうじゃないか。今夜の歓迎会でね。弟くんもね」
「あの、またね、二人とも」
ピーターが喋ったのを最後に、コンパートメントの扉がピシャリと閉じられた。がたがたと列車が揺れ動く音だけが室内に響く。
「えっと」
唾を飲み込むように、男の子が言った。
「兄に、何か言われたんでしょ。あの人、いつも両親を困らせてて、ワガママで・・・・・・そんな人だから、気にしなくていいよ」
エリアはローブの両袖で頬をぬぐい、うつむいたまま淡く息を吐いた。
「きみ、静かに泣くんだね」
思わず顔を上げると、ぼやけた視界の中で、たしかに男の子と目が合った。
「僕、レギュラス・ブラック。きみは?」
「・・・・・・エリア」かすれた小さな声で、まだ震えながら言った。「エリア・エリオット」
「その、エリア。これ食べる?」
レギュラスは小さな手に、小ぶりな箱を乗せていた。
「蛙チョコレートだよ」
「でも・・・・・・」
差し出された手を見つめるものの、エリアはまだ緊張感をまとっていた。
「じゃあ・・・・・・ここに置いておく。欲しくなったら取っていいから」
そう言って、レギュラスはふたりの間の空席に、お菓子の箱を置いた。エリアはそれをちらりと見て、それからレギュラスの顔を見上げた。彼はわずかに口角を上げているように見えた。
二人とも、視線を外した。ぎこちない空気が流れる。
そっと、エリアが手を伸ばして、箱をつかんだ。鼻先に持ってきて、クルクル回して――ようやく五角形の蓋を開けた。中に何が収まっているのかと見つめる。
「んわっ」
軽い衝撃とともに、ピタッ! と何かが顔に張り付いた。チョコレートの甘ったるい香りがした。手探りでそれを掴んだとたん、レギュラスがクスクスと笑っていた。
それ以降、ホグワーツ魔法魔術学校へと向かう最中に二人の間で交わされたのは、ぎこちない、うわべだけの会話だった。けれど、それでよかった。彼はエリアの頬の傷や、腕から見え隠れする火傷の痕なんかにも、触れなかった。そして身の上にも。ただ静かに、お互いの視線が絡むこともなく、汽車の揺れる音に揺られた。
自然と、エリアとレギュラスは友人になった。同じスリザリンの同窓生となったのも大きかった。レギュラスは不器用だったけれど、つたない仕草には思いやりが感じられた。エリアの目が普通とは違うことを、短い付き合いの中で気がついたのだろう。授業や、食事や、移動でさえ、さりげなくフォローをしてくれているのが、エリアにはわかった。
だからエリアが、そんなレギュラスだけに心を開くのも、無理のない話だった。
スリザリン寮の湿った地下の寝室は、エリアにとっては暗すぎた。それに、エリアが身支度を済ませて寝室を出ようとすると、狙い澄ましたようなタイミングで、同級生の女の子たちは明かりを消して出ていく。つい、ため息の音が大きくなってしまう。
数か月をともに過ごした同級生のあいだでは、エリアは好かれていないようだった。陰気で言葉が少なく、入学式の日には身体じゅうに傷を負っていた。校医の先生がすぐにすべて治してくれたけれど、だからといってエリアの心の傷が癒えるわけではない。
他人と話すのは怖かった。はじめは愛想よく接してもらえても、エリアがたったひとつ言葉を間違えるだけで、豹変してしまうということはわかっていた。人間は皆そうなのだ。コンパートメントに乗り合わせた、グリフィンドールの二年生もそうだった。例外は、レギュラスだけ。
時には、エリアが何も言葉を発さなくとも、そういうことが起こり得る。誰にも話しかけられないのなら、それに越したことはない。
でも、これはやりすぎだ。
水滴を落とす教科書や羊皮紙のたばを、エリアは談話室の暖炉の前に並べた。杖を振って暖炉に火をつける。深夜の談話室にはもう誰もいない。
寮の女子トイレに詰め込まれていたのは、エリアの教科書や宿題、そのすべてだった。トランクに仕舞っていなかったのがよくなかったらしい。でも、犯人たちは朝になって慌てふためくエリアの姿を見たかっただろうに、残念ね。と、エリアはこの程度のことで傷つきもしない心の表面でそう思った。
ときどき、深夜に目が覚めることがある。怖い夢を見そうな気がして、胸騒ぎがして眠れなくなる時がある。そういうとき、エリアはいつも一人で過ごすことができる場所を探して、その夜は眠らずにやり過ごす。たいてい、深夜の談話室には誰もいないから、そこで朝まで過ごすことが多い。
水浸しになって滲んだ変身術のレポートを手に取る。きっとエリアの目が悪くなくたって、なんと書いてあるかわからなかっただろう。頑張って書いたのに。こんなことをした人物は、エリアの目が他の人ほど見えていないことを知ったら、意地悪をやめるだろうか。
「今日も夜更かしかい?」
誰かがエリアに話しかける。
「君、いつも夜中にこそこそしてるよな」
エリアは返事をしなかった。黙って暖炉の中に宿題だったものを放り入れる。
「おいおい、無視はひどいでしょうよ」
唇が重くて、エリアは返事ができなかった。
「俺のことを無視したって、宿題が返ってくるわけじゃないだろうに」
バーテミウス・クラウチは、ため息を吐きながらソファーに座った。エリアはそれを振り返りもせず、そうすることで勇気を振り絞って言った。
「あなたといるところ、見られたくないの」
「誰も見てない」
「そうは、言えないわ」
「何に怯えてるんだ? レギュラスか?」
エリアがぴく、と肩を動かしたのを見つけたのだろう。クラウチの声が笑っていた。
「俺といるところをレギュラスに見られたくないんだな?」
「彼は、そんなこと・・・・・・」
そこまでつぶやいたとき、エリアはとても恐ろしいことに気がついてしまった。
「隠さなくてもいいさ。君、いつもやつとベッタリ一緒じゃないか。からかったり、しない、よ・・・・・・」
クラウチがソファーから立ち上がって、暖炉の前に回った。肩をしゃくりあげながら、でも声も立てずに泣いているエリアに気がついたからだ。
「どうして泣いているんだ? そんなに、嫌だったか?」
目の前にクラウチがあらわれると、エリアは両手で顔を隠した。
「何か言ってくれよ・・・・・・」
クラウチが困り果てていた。エリアのふるえる背中に手を伸ばす――そして触れる寸前、エリアがはじかれたように体を小さくした。硬くこぶしをつくって、顔の前を守っている。その尋常でない様子に、クラウチがまた戸惑った。
「ハッ、ハッ・・・・・・ごめ、ハッ、なさ・・・・・・」
吐く暇もないほど、短く息を吸うエリアの背に、今度こそ温かい手が触れた。エリアはぶるぶるふるえたまま、呼吸を乱していた。
「落ち着いて・・・・・・」
エリアがすこしだけ体を起こした。
「大丈夫だ、息を吐いて、エリオット」
もう片方の手が、かたくこわばったように握りしめられたエリアのこぶしをさすった。何度も、何度も、やさしい手が涙で濡れたこぶしを撫でた。しだいに、エリアはゆっくりと息を吸うようになり、そして吐くことができた。石のように固まっていた指先が、クラウチの手によって開かれていく。そして、やんわりと包まれる。
「怖かったんだな」
「う・・・・・・」
引き攣った喉を開こうとして、エリアは咳き込んだ。
「君に何が起こったんだ? 聞いてもいいことかな?」
エリアは首を横に振った。
「それじゃ・・・・・・君を怖がらせたこと、謝るよ。もう不用意に君に触れたりしない」
いつのまにかぎゅっと掴んでいた手を、エリアはこわばりながら離した。
「その・・・・・・クラウチ、くん・・・・・・」
「バーティーでいい。みんなそう呼ぶんだ」
「・・・・・・バーティー、ごめんなさい」
「君が謝ることないだろう」
「じゃあ、なんて、言えばいいの」
すん、と鼻をすすると、バーティーが笑った。
「何も言わなくていい」
意外なことに、氷のようなエリアの心に最初に触れることができたのは、レギュラスではなくバーティーだった。バーティーはエリアの心の中で何が起こっていたのかしつこく聞き出して、とうとうエリアの口を割った。なぜ突然泣き始めたのかといえば、エリアがレギュラスの評価を貶めているのではないかと気がついたからだ。嫌われ者の自分がひっついて回るせいで、レギュラスが迷惑しているのではないかと、そのせいで彼が嫌われてしまうのではないかと、そう思い至ったからだった。そのことを話すと、バーティーは「そんなことないと思うけど」と言った。
「レギュラスのやつ、友達と遊ぶのが得意じゃなさそうなんだ。だから仲のいい君に話を聞こうと思ったんだけど・・・・・・」
バーティーがじっとエリアを見つめていたけれど、エリアは気づかなかった。
「俺らとバカやるより、君の世話を焼いてる方が好きなんだと思うよ」
エリアが顔を赤くしたので、またバーティーはニヤッと笑った。
「君、やっぱり好きなんだな。やつのこと」
「ちが・・・・・・」
エリアは頭が痛くなるくらい首を横に振った。
「私、友達が初めてで・・・・・・ときどき、どうしていいかわからないの」
「そういうものなんじゃないか? 俺だって、みんなとうまくやれてるかなんてわからない」
エリアが眠くて目を擦る。今日はずいぶんと、話さなくてもいいことを話してしまったな、と思っていた。
「君がどんな子か知らなかったけど、話してみると思ってたより普通なんだなって、わかってよかった。やっぱり、いろんな人と話してみるのは面白い」
「・・・・・・あなたみたいにはできないわ」
「そりゃ、そうだよ。人はそれぞれ違う。君みたいに呪文が得意な人がいれば、ボールドウィンみたいに下手くそな人もいる」
「他人をよく見てるのね」エリアがあくびをかみ殺した。「私は目が悪いから、うらやましい」
「どういうことだ?」
バーティーが聞き返したけれど、エリアは「ん?」とまどろんだだけだ。もう夜更かしも限界が近いのだろう。
「そういう・・・・・・ただ鈍臭いだけじゃなかったんだな」
まるで誕生日プレゼントでも貰ったかのように、バーティーは茶色い瞳をきらりと光らせた。
いつのまにか、バーティーはレギュラスとエリアと共に過ごすようになっていた。はじめは、エリアが怖がらずに誰かと話しているのが珍しいと、レギュラスも目を見張ったものだった。
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