ようやく、梅雨が明けた。昨日までの冴えない長雨が嘘みたいに、カラッと晴れた七月の空に蝉の鳴き声がとけていく。モコモコと立ち昇る入道雲のあいまに、夏の太陽が顔を出していた。
「ワンダフルだね、日本の夏」
扇風機でブルブル震えたひとりごとが、八畳の湿ったワンルームに散っていく。
雨の季節が終われば本腰を入れる、と心に決めていた。ぼさぼさのままの髪にブラシを入れて、いつもどおりに編んでいく。チョコレート色のエナメルバッグにノートや参考書や筆記用具を詰め込んで、財布と電話、家の鍵も忘れずに。鞄のポケットの中で、むかし父に買ってもらったスターアンドストライプのマスコットと目が合う。「がんばれ、少女」と自分に言って、星条旗の刺繍がされたキャップと、いつもの白パーカーを手に取った。
日本に来て一週間が経った。アパート付近のスーパーマーケットやコンビニを見て回ったり、散歩ついでにロードワークに良さそうなルートを考えたり、狭すぎるキッチンで料理するのに悪戦苦闘したり。そんなことをしていたら、あっという間に日々が過ぎていった。
生まれ育った町とはすこし違うけれど、それでも懐かしいような感じがした。アパートに洋室じゃなく和室を好んだのも、日本でのかつての暮らしが恋しかったからだ。
あの広すぎる家とは似ても似つかないけれど。
平日の真っ昼間を図書館で過ごすのは、なかなか浮いていた。そうだよね。つむじにとってはこの時期夏休みって気しかしないけど、日本だと全然授業中だもんね。でも、うちのアパートで一日中過ごしてたら、多分すぐに病気になってしまうので、公共の施設は積極的に使わせてもらいますよ。受験だの学費だのでお金が飛ぶ予定だからね。父からの仕送りがあるとはいえ、できることなら出費は避けたい。国立とはいえ、ヒーロー科って多分死ぬほどお金かかるらしいし。明日からは早朝に走り込みをして、昼間は図書館で勉強して、夕飯前にまた走り込みをして、晩ごはんを食べたらまたトレーニングをして、朝ごはんの支度をして――なんて考えていると。ああ、お腹すいたなあ。立ち止まっておなかのうえを撫でていると、背後から「うわあ!」と甲高い叫び声がした。
夕暮れのアスファルトに、ショルダーバッグとペットボトルが転がる。「うわっぷ! もごもごごごごめんなさい」とくぐもった声がして、何が起きたのかと、呆然と目の前を見つめた。
まるで、つむじの着ていた服をひったくったような出立ちで、男の子がワタワタと両手をうごめかせていた。手を伸ばして頭に張り付いていたパーカーを取り除くと、男の子は「ぷはっ」とようやく息を吸った。
「お怪我はないですか・・・・・・ってェ、なんで服着てないんですか!?」
「きみが持ってっちゃったんだよ」
残ったキャミの上にパーカーを羽織りながら、男の子の手の中にあるドルフィンパンツを指さした。すっぽんぽんじゃないだけマシだと思って欲しい。父親に下着の世話をされる娘って世間的には嫌な部類だろうけれど、これに限ってはつむじはとても感謝している。個性に呼応して同じはたらきをするシロモノだ。
顔を真っ赤にしながら、男の子は勢いよく腕を突き出す。差し出されたショートパンツを受け取る。一瞬触れた手の、手汗がすごいことになっている。
「ごめんねぇ。私が気をつけなきゃだった」
「そそそそそんなことは、ちゃんとぼぼぼ僕が前を見てれば女性をはは辱めるようなことには・・・・・・」
ピク、と顔を覆い隠す男の子の両腕が揺れた。
「なんで服だけ脱げたんだ・・・・・・? 真後ろからぶつかったのに・・・・・・ていうか、ぶつかった感じもなく僕が前にいるのはどうして・・・・・・」
男の子がパッと顔を上げた。目線が絡む。
「うん、私の"個性"だからね」
「早くズボンを履いてください・・・・・・!」
元通り服を着て、鞄と凹んだペットボトルを拾って。お詫びに缶ジュースを奢ってあげた。「迷惑をかけたのは僕なのに」と、終始ブツブツつぶやく男の子の手の中に無理やり、自販機から出てきたばかりの冷たいコーラをねじ込んだ。
「私、つむじっていうの。好きに呼んで」
「みみ緑谷いず出久くです」
「ミドリズク?」
「みどりや、いずくです」
生あたたかいベンチに腰掛けて、まだ申し訳なさそうな顔をしているイズクに笑いかける。
「そんなに緊張しないで」
「いや、その、緊張というか動揺もするというか、パパパ、パパ、パン・・・・・・ツを、見ちゃったし、その、女子と話すの、不慣れで・・・・・・」
「私だって、パパ以外と日本語で話すの、まだ慣れてなくて恥ずかしいの。おあいこだよ。これから慣れてこっ」
こぶしを作ってニッとわらうと、イズクは表情をくつろげたように見えた。
「さっきのことだけど。ほんと、よくあることなんだよ。気にしないで」
「いやそんな、よくあることなら余計に、つ、つむ、つむじ、さん、はもうちょっと気にした方が・・・・・・」
「いいのいいの。ねえっ、そんなことよりさ」
鞄からノートと鉛筆を取り出す。さっき吹っ飛んだので中身がぐちゃぐちゃだけど、後回し。
「『みどりやいずく』って、どういう字を書くの? 私、実は八年ぶりに帰国したばっかりで、書き文字には慣れてないの」
「ええっ、帰国子女? すごい! えっと、色の『緑』に・・・・・・」
「待ってね」
二次関数の応用問題のすぐ下に、いびつな漢字が並ぶ。緑、谷、出、久。みどりや、いずく。
「ありがと! 自分の名前とひらがなだけはずっと練習してたけどね。人の名前とか地名って難しくて」
「そうなんだ。僕からしたら、二か国語が話せるつむじさんってすごいなあって思うけど」
「まだまだだよ。ことばも文化も勉強中。でも、ずっと日本に戻りたかったから。いまがすっごく楽しいの」
「日本で何かやりたいことでもあるの?」
「うん! 日本の高校に通うの」
出久のまるい目と口がパッと開く。
「つむじさんって、もしかして受験生?」
「そうだよ」
「じゃあ、同い年だ!」
ふわーっと笑顔になる出久に、つられて笑い合う。
「中学は、このあたりに通ってるの?」
「ううん。アトランタのミドルスクールを卒業して、こっちに来たの」
「そっか。向こうだと時期が違うのか」
「秋になっても行く学校がないのって、なんか変な感じなんだよね」
「あの、ところでつむじさん。僕も聞きたいことが――」
出久が自分の鞄を探ったとき、聞き慣れた着信音が鳴る。鞄を探って、電話を取り出す。出久が小さな声で「わっ、スターアンドストライプ!」とつぶやくのが聞こえた。その声に笑い返して、電話を耳にあてると、嗄れた声が届く。
「モーニン、パパ。今日は晴れてたから出かけてたの。もう帰るよ。うん、大丈夫だってば。パパもちゃんとご飯食べてよ。うん。わかってる。がんばってね。それじゃね」
パパ、相変わらず早起きだな、と思いながら電話を切る。出久がいろいろと気になっているような、なんとも言えない表情でこっちを見ていたので、説明してあげた。
「パパなんだけど、私が家にいないから心配して電話してきたみたい」
「え、まだそんなに遅い時間じゃないと思うけど・・・・・・?」
「えっとね、パパはアトランタにいるの。一緒に住んでないんだ。私、一人暮らし」
出久は、ほう、と頷いた。ママはいないの、とは聞いてはこなかった。
「私が家にいるかどうか、センサーつけてるんだよね。パパ」
「ええっ! 過保護・・・・・・なんだね」
まあ、過保護、と言えなくもない。ほとんど監視みたいなものだ。
「自分の管轄外で娘が何かしでかすんじゃないかって、気が気でないだけだと思うけど」
「それだけ大事に思われてるってことじゃないかな」
「うーん・・・・・・私の場合、ちょっと違うかも。信用されてないっていうか」
話し過ぎたかもな、と思いつつ、鞄を引っ掴んで、ベンチから腰を上げる。
「もう帰らなきゃ! 出久も気をつけてね。またぶつかったら私みたいに避けれる人は滅多にいないから」
「うん、気をつけます・・・・・・つむじさんの"個性"の話、聞きたかったなあ」
「私、よくここらへん歩いたり走ったりしてるから。また会えるよ。会えそうな気がする!」
「あ、うん! また」
電話を手にしたまま、出久にバイバイをする。小さなスターが、合わせて揺れる。まるで、彼女も新しい友人を喜んでくれてるみたいだった。
さて、晩ごはんに何を食べようかな。
「あ!」
数日後の日曜日。また会えそうだとは言ったけれど、再会は早いもので。
「ハロー、出久! 奇遇だね」
「! つむじさんこそ」
ゴミ山のあるビーチのまんなかに、やけにボロボロの出立ちの出久がいた。護岸の上から声をかけると、少し後ろに痩身の男性が立っているのが見えた。階段を降りて、そばに歩み寄る。
「こんにちは! 出久のパパ?」
「ち、違う違う! その、僕の師匠的な方で・・・・・・」
「へえっ、すごいねえ! 私、出久の友達の、つむじです。あ、綿某つむじ」
このあいだ、出久にはファミリーネームを名乗らなかったことを思い出して、つけたした。出久が「と、友達・・・・・・!」と目をキラキラさせているのが可愛い。
「やあ、はじめまして。綿某少女。私のことは八木とでも呼んでくれ」
「ヤギサン」電話を取り出して、メモ帳アプリを起動する。「どういう字を書くんですか?」
渡した液晶が八木サンから返ってくる。八木俊典さん。ぶら下がったスターが、うれしそうに見えた。
「スターアンドストライプが好きなのかい?」
「はい! 小さい頃助けてもらって、その時からファンで」
「HAHA! 彼女はアメイジングでブリリアントなヒーローだ」
「ヒーローの本場アメリカでNo.1の実力者だもんね! 数少ない女性ヒーローなのに加えてオールマイトに肉薄する実力なんじゃないかって言われてる・・・・・・!」
「スターはオールマイトを目標にしてるからね。知ってた?」
「もちろんだよ! 彼女の髪型はオールマイトの二本の触覚をリスペクトしてセットしてるって特集番組で言ってた・・・・・・!」
「出久、海外ヒーローなのに詳しいね!」
高速で出久が首を縦に振る。ゆらゆらと宙で揺れる小さなスターを、てのひらに乗せる。
「私も、そんな彼女に憧れてて。目標なんで」
「目標、ってことは、つむじさんもヒーロー目指してるの!?」
「うん!『も』ってことは、出久もだね?」
「そ、あ・・・・・・うん!」
出久のまるい目が、パッと見開く。
「うれしいな。日本で初めてできた友達が、同じ夢を持ってるなんて」
うれしくて、愛想じゃない笑顔がこぼれる。「そうだ」と出久に近寄って、電話アプリを開く。
「ね、連絡先交換しよ! ナンバー教えて」
「はわ、は、はい! あの、どうぞっ!」
打ち込んでもらった番号のメッセージ画面が開く。一番上にあったスターのハートフルなステッカーを送る。すぐに、出久からオールマイトのステッカーが返ってくる。
「出久はオールマイトのファンなんだ?」
そう言って笑うと、出久の肩がビクッと跳ねた。
「うん・・・・・・一番尊敬するヒーローで、僕の、目標なんだ」
「へへ、がんばろうね」
こぶしを突き出すと、出久も同じようにする。こつん、とぶつかると、出久が不思議そうな表情をした。
「あれ? この前と違う・・・・・・」
「びっくりした?」
「いや、つむじさんが普通に服を着て歩けてる時点であの『すり抜け』はコントロールができるってコトだから・・・・・・イテッ!」
早口でブツブツと呟き始めた出久の頭に、八木さんがチョップを入れた。
「緑谷少年、そろそろ戻ろうか」
「あっ! ごめんなさい。何かトレーニング中だったんだよね。邪魔しちゃったね」
「いや・・・・・・! ありがとうつむじさん。会えて嬉しかった」
「こちらこそだよ。私、ちょっとだけビーチのゴミ拾いしようと思って来たんだけど、邪魔にならないかな?」
「へっ?」
「ここのビーチ、広いのにゴミだらけで、なんか嫌だからさ・・・・・・大きいのは無理だけど、小さいゴミなら私でも拾えるし」
「そっ、そっか! うん、うん。大丈夫、ですよね?」
「ああ、かまわないよ。綿某少女」
「ありがとうございまーす! じゃ、がんばってね!」
おそらく、"個性"だろう。いくつもの「手」を生み出して、拾える範囲のゴミをものすごいスピードで拾いながら、少女が歩いていく。「つむじさん、すごい、どういう個性なんだ・・・・・・?」と緑谷少年が呟いている。
「・・・・・・地元の人間は寄りつかないって、少年、言ってたじゃないか」
「えっ。ええ。つむじさんはもともとアメリカに住んでて、最近日本に来たばっかりらしいんです」
「そうか・・・・・・」
窪んだ眼窩の奥の青い瞳が、夕暮れ時のビーチでせっせとゴミを拾いあつめながら遠のいていく少女の、小さな後ろ姿を見つめた。
「ヒーローは本来、奉仕活動。彼女、良い精神を持ってるな」
そう言うと、緑谷少年がパッと顔を上げる。
「負けるなよ、ヒーロー志望!」
「はい!」
〈つむじさん!〉
〈僕の師匠が、君のことを褒めてたよ〉
〈今日のゴミ拾いのこと〉
〈ほんと? 嬉しい!〉
〈八木さんって〉
〈ヒーロー活動してた人なの?〉
〈僕も詳しくは知らないんだけど、〉
〈そうみたい!〉
〈謎の多い人なんだ〉
〈出久の師匠っておもしろいね〉
〈出久もビーチのゴミ掃除してるんでしょ?〉
〈そうだけど〉
〈どうして知ってるの?〉
〈冷蔵庫とかタイヤの山が無くなってた!〉
〈トレーニングって何だろうって考えてたら〉
〈そうかもって思って〉
〈つむじさん、鋭いね〉
〈実は私、もーっと筋トレしたくて〉
〈将来的にはゴリラになりたいの〉
〈でも真似したら出久の邪魔になっちゃうし〉
〈ゴリラに?!〉
〈つむじさん細身だから、〉
〈ゴリラになるのは大変だと思うよ・・・・・・〉
〈でも、粗大ゴミ運ぶの、実は結構効くよ!〉
〈運ぶ物によって使う筋肉が全然違うから〉
〈すごい体バキバキになっちゃうけど〉
〈いきなり始めるのは多分体壊しちゃうから〉
〈やっぱり自重がいいんじゃないかな〉
〈ダンベル買ってみたり〉
〈あとピラティスは運動強度も高くて、〉
〈インナーマッスルに良いって〉
〈わかった!〉
〈いつも相談乗ってくれてありがとう〉
〈やっぱプロの師匠がいる人は違うね〉
〈ごめんねズルしてるみたいで〉
〈ズルだなんて!〉
〈つむじさんは慣れない土地で十分頑張ってるよ〉
〈ヒーロー目指す者どうしだから〉
〈高めあっていこうよ〉
〈つむじさんは、〉
〈入りたい高校があるんだよね?〉
〈うん〉
〈言ってなかったっけ?〉
〈雄英高校だよ〉
〈雄英!〉
〈そうじゃないかと思ってた・・・・・・!〉
〈ヒーロー志望でアトランタに住んでたのに、〉
〈わざわざ日本に通いたい高校があるってことは〉
〈よっぽどだと思ったんだ〉
〈アメリカでも雄英は有名なの?〉
〈なんと言ってもオールマイトの母校だし〉
〈私はただ〉
〈日本に戻る口実が欲しかっただけなんだけど〉
〈どうせならやっぱり上に行きたい〉
〈雄英高校の今年の偏差値は79だよ!〉
〈実は僕も、雄英目指してる〉
〈つむじさんに負けられないな、余計に〉
〈そうなんだ!〉
〈やっぱり出久とは気が合うね〉
〈私たち絶対合格しようね!〉
〈ところで〉
〈偏差値って何?〉
〈見て〉
〈【写真を送信しました】〉
〈アメリカンでかわいいケーキだね!〉
〈スターアンドストライプモチーフだ!〉
〈どこのケーキなの?〉
〈自分で作ったの!〉
〈今日誕生日だったから〉
〈え?!?!〉
〈おめでとう!〉
〈もっと早く教えてよ!〉
〈僕もお祝いしたかった〉
〈ありがと!〉
〈言葉だけでも嬉しいよ!〉
〈出久の誕生日はいつなの?〉
〈7月15日だよ〉
〈君と最初にあった日のすこし後だったんだ〉
〈うわあ そっか〉
〈じゃあ来年こそは私もお祝いしたい!〉
〈ありがとう、つむじさん〉
〈ほんとだ〉
〈こう言ってもらえるだけでも嬉しいね〉
昨日〈いずく たすけて〉
〈やばいよう・・・・・・〉
〈どうしたの?!〉
〈【不在着信】〉
〈つむじさん?〉
〈あごめんね〉
〈古文得意?〉
〈え?〉
〈まぎらわしくてごめん!〉
〈受験勉強つまずいてて・・・・・・〉
〈なんだ!〉
〈大事じゃなくてよかった!〉
〈ほんとごめん〉
〈ううん!〉
〈僕で教えられるとこなら教えるよ!〉
〈あした〉
〈ビーチに参考書とノート持ってきてもいい?〉
〈トレーニングは何時くらいに終わる?〉
〈10時くらいに一度切り上げるから〉
〈その時なら!〉
〈じゃあ、明日〉
〈よろしくおねがいします〉
冬のような冷たい風が吹く季節になった。「木枯らし」というらしい。朝イチのロードワークのあと、いつも見ているニュース番組で言っていた。アトランタだとまだ夏と同じような格好で過ごせる時期だけど、日本ではセーターを着ている人も珍しくはない。
「こんにちは、つむじちゃん」
「こんにちはー! 今日は何かのパーティーですか?」
「やだわなんて勘が鋭いのかしら。おでんパよ、おでんパ」
「オデンぱ?」
「田楽さん、つむじちゃん困ってるだろ。アメリカにおでんなんて無いんだから」
「さすがにおでんは知ってます! あ、『おでんパーティー』ってことだ!」
「やだわ若い子は頭が柔らかいんだから、おほほ」
いつも使わせてもらってる八百屋さんの店先で、顔馴染みの主婦さんと店主さんと話がはずむ。
「つむじちゃん、今日は茄子が安いよ。秋茄子だ。美味いぞう」
「ほんとですか。うわあ、土曜日ってお店午前中だけですよね・・・・・・帰りには買えないなあ」
「特別にまけてあげよう。三本で210円だ。いや、200円!」
「うむむむ・・・・・・買った!」
「まいどあり〜」
「ネギだれで和えると美味しいわよ」
「うちは肉味噌炒めだな!」
「どっちも美味しそうです! おやじさん、ありがとうございます」
「お出かけすんなら気をつけてな〜」
出久から借りたコミックを入れてる紙袋に、茄子の入った袋を入れる。そうだ。出久にも分けてあげよう。
商店街を出て道路沿いを歩いていたとき、ピロン、と電話が鳴る。メッセージの通知だ。出久かな、と思ってパーカーのポケットに腕を突っ込んだとき。
ドン、と肩に衝撃。左手の重みが消え去って、目の前には自転車で走り去る男の姿。その手にはニューヨークブランドのショッピングバッグ。つむじが持っていた、出久のコミックが入った、紙袋。
ひったくられた!
「ちょっ・・・・・・待ちなさい!」
メッセを見る暇もなく、走り出す。男はそのまま沿岸道路沿いに曲がる。つむじも負けじと走る。男がふと振り返って、驚愕の表情を浮かべる。何と言ったって、つむじはうんと足が早いのだから。
「なんだコイツ!」
「人のもの奪ったらダメでしょ! 返しなさい!」
「なんで自転車に追いつけるんだよ!」
「今返せば警察に引き渡さないであげるけど!」
「バカ言え、てめえ!」
男の背中、服を突き破って、三日月型の何かが飛び出してくる。
「骨!?」
そういう個性か。肋骨のようなそれを真正面から受けると、つむじの頭はパッと飛び散る。男が「ハァ?!」と声をあげる。自転車がよろめいて減速した。今だ――肩にかかったままだったエナメルバッグを思い切り振りかぶる。当てるなら側頭部!
その時。進路上に誰か飛び出してきた。
「つむじさん!」
振りかぶった鈍器は止まらない。鈍い音、そしてけたたましい金属音と同時に、自転車ごと男が横倒れになる。目の前で友人が男を吹っ飛ばした光景を目の当たりにして、出久の驚きに見開かれた大きな目が、つむじに疑問を投げかけているように見えた。
「っだ、大丈夫ですか?」
出久が声をひっくり返しながら介抱に駆けつける。うめき、体を縮こまらせながら、男は頭から血を流していた。倒れた時にアスファルトに頭を打ったみたいだった。
肩で息をしながら、放り投げられた紙袋に歩み寄る。転がった茄子と、散乱したコミックを力無くかき集める。
「とりあえず、救急車、呼んだけど」出久が恐る恐るといった感じで、話しかけてくる。「つむじさん、なにがあったの?」
わかるよ。出久は優しいから。その問いかけが「心配」だってことは、つむじにはわかってる。でも、出久の真心に泥をかけてしまうような気がして。答えられなかった。
自分自身が恐ろしくなることは初めてじゃなかった。日本に来て、ここしばらく忘れていたあの感覚。
震える手で電話を耳につける。
「あの。ひとを怪我させてしまいました」
私、どうしようもなく絶望していた。
「出久が友達連れてくるなんて、初めてだねえ。しかも女の子!」
「お母さん、そういうの言わなくていいから!」
甘い香りの揚げ浸しに化けた茄子が、じんわりと胃に染みる。
自転車の男が救急車に乗せられて、パトカーにつむじが乗り込んだあと。出久からメッセージが届いていた。ひとつは読めていなかった、〈海浜公園のベンチにいるよ〉。その次に〈事情を聞きたいんだけど、いいかな〉と。
スルーもできなくて、〈うん〉と短くテキストを返した。すぐに「多古場警察署でしょ。迎えに行くよ」と返ってくる。角がぼろぼろになった紙袋に、傷の入った茄子。表紙がよれたコミック。ああ、何してるんだろう。警察署の前のベンチに、うなだれて座り込む。
パパになんて説明しよう。鼻の先がツンと痛む。
「つむじさん」
控えめで、やさしい声がした。顔を上げると、薄暗いピンク色の空を背にして、眉を下げた出久が立っていた。またやけにぼろぼろになっている。トレーニングの帰りかな。なんて言えばいいのかわからなくて、唾を飲み込んだ。
「あの、つむじさんさえよければ、今からうちに、来ませんか」
「・・・・・・え?」
出久があわてたように両手をわさわさと動かす。
「いやっ、あの、べつに深い意味はなくてっ、勉強教える約束だったし。でももう暗いし・・・・・・つむじさん、お腹空いてるだろうしって、思って」
「良いお茄子ねえ。ほんとにいただいちゃってよかったの?」
「もともとそのつもりでしたから。私こそご馳走になっちゃって、すみません」
「謝ることないわ。私も嬉しくてつい張り切っちゃって。お口に合うといいんだけど」
「何から何まで美味しいです!」
勢いでつい誘ってしまったけど、自分の家に家族じゃ無い人間がいるって、ものすごく緊張する・・・・・・! さっきからつむじさんはお母さんと普通に喋ってるけど、大丈夫かな。無理してないかな。
出久。これ、茄子。好き? 食べる?
帰りしな、貸してた漫画が入った紙袋に、何故か茄子が入ってた。つむじさんが帰り道に発した言葉はたったそれだけで。いつもの溌剌とした元気のよさはなくて。僕もなんとも言いがたくて、「うん、ありがとう」と言うので精一杯だった。
「あの、『出久ママ』じゃ、あんまりなんで。お名前聞いてもいいですか?」
「ん? あら、いいのよ気にしないで。『緑谷のおばさん』って呼んでちょうだい」
「いえ、そういう呼び方はあんまりしたくなくて」
「ふふ! いい心がけね。引子よ」
「インコさん。どういう字ですか?」
「引力の引に、子どもの子よ」
つむじさんは勉強熱心だ。最近では、漢字をわざわざ書き出さなくてもわかるようになったらしい。初めて会った時からそうだったけど、つむじさんは人の名前を聞くのが好きみたいだ。僕だって知らなかったオールマイトの本名をいともたやすく聞き出していたし。まあアレは「オールマイト」なんて名乗ったら大変なことになってしまうからしょうがなかったのかもしれないけど。
一人一人との関係を大事にしているんだろうな、と思う。
「出久、食べないの?」
お母さんの言葉に我に返る。しまった。ずっとつむじさんを見てたかもしれない。それがバレてたかもしれない・・・・・・!
「ほんとは茄子好きじゃなかった?」
つむじさんが心配そうに言った。ブンブンと首を左右に振りたくる。
「ううん! 茄子、好きだよ!」
「出久は小さいときから好き嫌いないもんね」
「うわ、わかるかも。そんな感じするなあ」
笑顔を浮かべるつむじさんを見て、ほっと息を吐く。今日の午前中に見た、表情の抜け落ちたような姿がどうしても頭にこびりついている。
お母さんが背後で食器を洗う音がする。ソファーを少しずらして、テレビ前のテーブルに余白を作る。つむじさんが、いつも肩にかけている深い色のバッグから、ノートと、赤本、古語辞典を引っ張り出して広げた。
「それ重かったんじゃない? 辞典ならウチにもあったのに」
「だって家でひとりで振り返りできないと意味ないし」
浮かべられた笑みが、弱々しく見えた。
問題を見せてもらって、つむじさんの解釈を聞く。
「大昔の日本人はホントにこんな言葉遣いしてたの? あたまおかしくなっちゃうよ」
「大事なところは、横に現代語訳が書いてあるでしょ。そしたら、問題は小学生レベルの国語とそう変わらないよ」
「その国語がむずかしくて」
「ああ・・・・・・そうだよね」
「誰が誰に対して喋ってるかわからないの」
「それを探すのが古文の問題なんだよね。ホラ、ここは尊敬語で話してるでしょ。これは相手が目上の人ってことだから・・・・・・」
ことん、とマグカップがふたつ、目の前に置かれた。「インスタントだけど」と、シロップとミルクが、つむじさんの方にだけ置かれる。
「頑張ってるわね」
「ありがとうございます」
つむじさんが顔を上げて、お母さんにお礼を言った。その表情はとても朗らかに見えるのに、やっぱり、今まで見てきたつむじさんとは違うような気がした。
「お母さん、ちょっと出かけてくるから」
「えっ。今から?」
「婦人会の方たちとね。スパ銭よ、スパ銭。ほら、リニューアルしたとこ。お風呂入ってくるだけだから、すぐ帰るわ」
「そっか。気をつけてね」
「帰ったら、つむじちゃんお家まで送るからね」
「はーい。引子さん、いってらっしゃーい!」
バタン。玄関が閉まると、空気が淀む。赤本に視線を落としたつむじさんが、浅く息を吐く。呼吸の音すら聞こえそうな静寂に、喉が張り付いたような感覚になる。
「・・・・・・あっ、これが女中のセリフってことだ」
「そうだよ。つむじさん、ゆっくりやればわかるじゃない」
「ううん・・・・・・」
つむじさんが身を起こして、すぐ後ろにあるソファーに背をもたれた。やわく指先に握る鉛筆を、ゆらゆらと揺らしていた。
「なんだか気を遣わせちゃって、ごめんね」
「えっ、いや、そんな」
「出久が優しいから、甘えてしまった」
笑顔がなりをひそめたつむじさんの顔は、なんだか、すぐそばにいるはずなのに。ものすごく遠くに感じる。声も届かないのではないのかと、思うくらいに。
「これじゃ出久のせいみたいな言い方になっちゃった。そうじゃ、なくて・・・・・・」
「いや、大丈夫だよ。つむじさん。わかってるよ」
「うん、出久はそう言うよね」
すっ、と。大福ように白い手が差し出された。傷ひとつない、女の子の小さな手が。
「出久、手を握って」
「え」
急に心臓がドッと跳ねた。断るのも変な流れになってしまうので、手を伸ばす。けど、めちゃくちゃ目が泳いでしまう。
ふるえる手が、つむじさんのそれに重なり、覚悟した体温が触れ――触れない。
そこに何もなかったかのように、やわく握った手は空を切る。同時に、つむじさんの手首から先が、なくなって。ぶわっ、と、何かが飛び散るように舞った。
「私の"個性"」
そして、あっという間にまた集まって、つむじさんの手が元通りになる。
「私の体は、今の綿毛みたいなものでできてるの。自然な状態だと、今みたいに私のほうがバラけて、すり抜ける」
白い指先が、僕の宙に浮かんだままの手の甲をツンと突いた。
「でも、私が『触れたい』と思うと、こうして触れることができるの」
「えっ・・・・・・凄ッ! 凄い個性だね!」
すぐさまノートを取りたかったけれど、手近に書くものも書かれるものもなかった。僕の動きを見てか、つむじさんがノートの一番後ろを破って、鉛筆も貸してくれた。
「そうだね。使い勝手は良い個性だって自分でも思うよ。それに、こうやってね」
ポン、と音も立てずに、さっきの綿毛がつむじさんの腕からひとつ、飛び出した。
「うぶ毛でも髪の毛でもね、体毛を使って、分身を出すの。自分の体を作ってる綿毛を『ケセラン』。外に出る分身を『パサラン』って呼んでる。性質が違うから」
「おおおお・・・・・・ケセランパサランかあ!」
ものすごいスピードで鉛筆を走らせていると、つむじさんがその紙面をじっと見つめていることに気がついた。
「あっ、その、ごめん。僕、一人で盛り上がっちゃって」
「出久って他人の個性も研究するタイプなんだね」
つむじさんの言葉に、額が熱くなる。なんだか恥ずかしくなってくる。
「なんていうかこれは完全に僕の趣味で・・・・・・」
「出久はさ、"個性"が性格や思考に影響を及ぼしてると考えたことはある?」
つむじさんがひとの言葉をさえぎってまで話すのは初めてだった。膝を抱えて、そこに頬をつけて、僕のことをうかがうようにじっと見つめている。だけど、どこか遠くを見つめているようにも思える。
「・・・・・・個性は身体的特徴のひとつで。だから、他人からの評価がついてくるわけだから・・・・・・その経験が、人の性格を形作っていくんだと思えば、僕は、そうだと思うけど」
つむじさんが、膝の中に顔を埋めた。
「つむじさん、君に何があったの?」
「・・・・・・私、さ。自分の体がこんなだから。怪我なんてしたことないの。痛い思いもしないの」
無敵じゃないか、と言いたくなった自分を押さえつける。つむじさんは、ひけらかしたくて自分の個性の話を始めたんじゃないんだと、ようやく気がついたからだ。
「だから、他人の痛みに鈍感なんだ、って思うの」
「そんな」
そんなこと、ないよ。そう言いたかった。現に、痛い思いをしないと言ったつむじさんは今、心を痛めている。
「あんなふうに他人に怪我をさせたのは初めてじゃないよ。警察は、先に暴行しようとしたのは向こうだから正当防衛の範疇だって言ってくれたけど、それって私が未成年だからだよね。ただのひったくりにあんな怪我をさせる必要はなかったはずだよね。それに、暴行を受けたからって、私は自分の個性のおかげで怪我をしないんだから・・・・・・ヒーロー志望が聞いて呆れちゃう。もっと冷静にならなきゃだった・・・・・・」
顔を上げたつむじさんが、足を崩して、ノートに向き直った。
「へへ。ごめんね、出久。カッコ悪いとこ見せちゃった。引子さんが帰ってくる前に、ベンキョ終わらせないとね」
つむじさんは笑顔を作って、赤本の問をなぞる。自分の手の中にある、つむじさんの個性のメモを、きゅっと握りしめた。
「つむじさんは」
喉から、むりやり捻り出したような声が出た。
「そうやって、他人の痛みのことを考えている時点で・・・・・・すごく、優しいひとなんだと、思うよ」
頭の中に、粗暴なふるまいの幼馴染が浮かぶ。
「自分のふるまいを省みることができて・・・・・・カッコ悪くなんかない。僕は、つむじさんのそういうところ、尊敬してる、から」
顔を上げると、きょとんとした顔のつむじさんが、僕を見つめていた。目があうと、ぱちぱちっと瞬いて、そして、破顔した。
「出久ったら、口が上手なんだから」
困ったようにやさしく垂れたまなじり。なんだか、いつもと違う笑顔に見えた。もしかしたらこれが、つむじさんの心からの、ほんとうの笑顔なのかもしれなかった。だとしたら――それはとても不器用な笑顔に見えた。
「でも、ありがとう」
そんな不器用な、困ったような微笑みが、まっすぐに注がれて。
それが、たった数秒にも満たないそれが。やけにゆっくりと時が流れたように感じた。
「ね、もし。もしだけど・・・・・・出久も自分の個性の話がしたくなったら、その時は聞かせてね」
「へ?」
素っ頓狂な声が出てしまった。今やつむじさんは、いつものあっけらかんとしたつかみどころのない笑顔で、くすくすと笑っている。
「出久もさ、自分の個性の話、しないから。私と同じなのかなって思って。自分の個性にちょっと思うところアリの人かなって」
「えとあの、それは、まさしくそうかも、なんて・・・・・・」
「だよね」つむじさんはあわく頷いた。「だから、出久の準備ができるまで待つよ。おばあちゃんになるまで待ったっていい」
「いやさすがにそこまで待たせることはしないと思うけど・・・・・・」
「あははっ。私もそのくらいの覚悟で、自分の個性の話をしたってことだよ。レディの人生の重みを感じたまえよ」
ミルクとシロップが混ざったコーヒーを、つむじさんは飲み干した。僕も自分のオールマイト柄のマグカップを手に取る。すっかり冷たくなってしまっている。
「ただいまぁ〜」
「あっ、お母さん」
ほかほかと桃色の頬に笑顔を浮かべて、お母さんが帰ってきた。手にはビニール袋を下げていて、ゆらゆらさせている。
「美味しそうだからつい買っちゃった。温泉プリン。つむじちゃんも食べる?」
「やったぁ! 食べますもちろんー!」
立ち上がって、つむじさんがお母さんに駆け寄る。うれしそうに弾んでいるすがたに、今日みたいな暗い部分を思わせるようなしぐさは見当たらない。
「へへ、出久のお腹がぽよぽよになっちゃうぞー」
「なっ・・・・・・せっかく割れてきてるのに!」
「私もだけどねん」
くすくすと笑いあいながら、やさしい時間と、甘さを分けあった。
つむじさんに対して感じている友情の、より深いところに、一歩近づけたような気がした。
思えば、物心付いて以降、ちゃんとした「友達」という関係を築けたのは、つむじさんが初めてだ。幼稚園からの繰り上がりで共に過ごしてきた級友は、僕が「無個性」だとわかると距離を取るようになった。
つむじさんも、僕が「無個性」の人間だと知ったら、離れていってしまうんだろうか。いや、彼女はそんなことしないと願いたい。そんな人で、あってほしくはない。
僕の醜くて自分勝手な願望の中でつむじさんが、やさしく笑っている。
〈出久、今日はありがとう〉
〈引子さんのご飯、すごく美味しかった〉
〈とっても素敵なお母さんだね〉
〈出久がうらやましいな〉
日本の冬は、アトランタよりも過ごしやすい。寒暖差があまり無いし、何よりさほど寒くもない。ジャケットの下に何枚も着込んだパーカーやシャツを脱ぐことはほとんどなく。向こうでパパの部下勢から卒業祝いにと買ってもらった冬用コートも、年末年始の雪の日に着たっきりだ。気に入っているのに、片手で数えるほどしか着ていない。
そんなコートを引っ張り出そうと思った理由は、今朝のニュースで「春一番」という強い風が吹く、とお天気お姉さんが言っていたからだ。オレンジ系統の大きなチェック柄がかわいいピーコートは、ツムジの瞳の色に合う、って先輩が言ってくれたっけ。
「うーん・・・・・・」
紺色のハイネックニットとミルク色のハーフパンツに、鞄と同じ色のロングブーツ。履き慣れてるはずのハーフパンツだけど、なんかちょっと――
「気合い入りすぎ?」
いつも駅で見かけるキレイなお姉さんたちのことを思う。ツヤツヤの髪にタイトなロングスカート。ゴージャスな巻き髪にふわふわのワンピース。それらを思い浮かべると、目の前の鏡に映る自分自身の、なんと幼稚なこと。
「ま、いっか」
アトランタでも子ども扱いされていたことを思い出し、頭を左右に振る。日本人は幼く見られがちだ。向こうでの卒業式の日、同級生に「妹のほうがよっぽど卒業生に見える」とからかわれたことを忘れたことはない。
まだ15歳なんだから、子どもでいいでしょ。そう言い聞かせて、跳ねた前髪をパッと払う。
「あ、つむじさん!」
田等院駅で待ち合わせていた出久が、つむじを見つけて大きく手を振る。紺色のブルゾンに、トレードマークの赤いシューズが、出久らしい出立ちだ。
「ごめんね、待ったでしょ」
「ううん! 僕もいま着いたところだよ」
「またまたぁ〜。優男の常套句でしょソレ」
「そういうのどこで覚えてくるんだろう君は・・・・・・!」
改札を通って、二人で並んで電車を待つ。乗り換え案内のアプリを見せながら、出久が移動の計画を立ててくれる。土地勘がないのでありがたい。
電車の中はまずまずの混み具合で、扉の近くの隅っこに二人して立つ。
「同い年くらいの子も多いね。もう春休みなのかな?」
「卒業生だったら、休みだね。在校生はまだ授業が残ってると思うけど」
出久も、先日中学校を卒業したと言っていた。雄英高校の入試の合否が届いた数日後のことだった。
「へへ、楽しみだなあ」
目を細めると、出久も「僕も」と言って笑った。
張波湖に隣接したリゾート遊園地。春先ということもあって、家族連れのゲストも多い。出久の後ろにくっついてチケット窓口に並んでいると、急に出久がガッチンゴッチンに固まって、ギギ、と鈍い音を立てた。その視線をたどる。
「カップル割の方が安いじゃん!」
「ひぇっ、カプかかかかかっっぷりゅ?!」
「私学割持ってないし。出久が嫌ならやめるけど」
「いやいやいや嫌というわけでは」
「じゃ、それで。ペアパスポートひと組くださーい!」
茹で海老みたいに真っ赤になった出久の手を引っ張って、施設に入る。もらったチケットをちぎって、出久に手渡す。
「てっ、ててててて手てて手ヲを」
「動揺しすぎ!」
風が冷たいのにダラダラと汗を垂らす出久がおもしろくて、ついお腹を抱える。出久はまだしどろもどろしながら、「あ」とか「う」とか言っている。
「あははっ、ごめん。からかったわけじゃなくてさ・・・・・・」目尻に溜まった涙を袖でぬぐう。「今日は私の慰め会でしょ! ちゃんと付き合ってよね」
そう言うと、出久が我に帰ったようにつむじに視線を向ける。
「そ、そうだよ。うん、僕、つむじさんの気が済むまでちゃんと付き合うよ!」
「よっしゃその意気だ! アトラクション全制覇するぞー!」
「ええっ、つむじさん絶叫大丈夫なの?!」
「ドンと来い超常社会ー!」
雄英高校のヒーロー科入学試験。実技試験と筆記試験。どっちが足りなかったのかわからないけど、つむじは不合格だった。筆記は出久と一緒に自己採点して、国語が足を引っ張ったけどギリ合格ラインだったから、実技試験の方かな。戦闘ロボットとの市街地擬似戦闘演習。悪い成績じゃなかったと思うけど、雄英の壁は高かったってことだ。
「春から出久はヒーロー科だけどさ」
ローラーコースターの列の中で、そっと出久に話しかける。出久は絶叫マシン苦手っぽいけど、なんだかんだで付き合ってくれている。
「私もすぐ追いつくからね。普通科から編入した前例もあるみたい」
「そうなんだ! うん。つむじさんならきっとすぐにヒーロー科に入れるよ。個性の使い方もすごいし。オールマイトにも認められてたし・・・・・・!」
「オールマイト?」
「あっいやあの、実は・・・・・・!」
出久が声をひそめた。
「来年度から、オールマイトが雄英の教師になるんだって。だからあの実技試験、オールマイトも見てたらしいんだ。それで、つむじさんのこと、褒めてたよ」
「出久、オールマイトと話したの?!」
「いやあ、その、合格通知がプロジェクターで届いてね、僕とつむじさんが仲良いこと知ってたみたいでそこで話してて・・・・・・!」
「そう・・・・・・そうなんだ」
うれしくて、胸が温かくなる。頬がゆるんだつむじの顔を、出久がほっとしたように見ていた。
「うわあ、うれしいなあ! 後から後からうれしい!」
「わかるよ、つむじさん!」
そのあと、ローラーコースターでグロッキーになった出久を引っ張って、テイクアウトショップが並ぶエリアのベンチに腰掛ける。
「何か飲めそう?」
「えー、あー、うん。何かさっぱりしたものを・・・・・・」
自動販売機でスポーツドリンクを買って、出久に手渡す。ベンチでくったりしている出久は、ひとくち口に含んで、ため息とともに声を漏らす。
「ごめんね。そんなに苦手だったのに付き合わせちゃって」
「苦手なわけじゃないんだけど、最近の出来事にちょっと似てて、まだ体が追いついてないっていうか・・・・・・」
「そう? まあ、ちょっとゆっくりしよっか」
それなりのお客さんで賑わう園内を見渡す。巡回中のヒーローもいる。足をぷらぷら揺らしていると、出久がふとベンチにもたれていた体を起こした。
「つむじさん、どうしてそんなに嬉しそうなの? その、僕のせいで休憩してるのに」
「ん?」
そんなことを聞かれると思っていなくて、きょとんとしてしまった。
「ああ・・・・・・とっても平和で、すてきだなって思っただけだよ」
風が吹いた。四つに分けたおさげが、大きく揺れる。前髪も巻き上がる。思わず目を瞑る。帽子被ってこなくてよかった。
「私、日本に帰ってきてよかったって、さいきん、すごくそう思うの」
「・・・・・・つむじさん、出会ったときから、明るくて素敵な人だったけど・・・・・・最近は、その、もっとキラキラしてる。って、僕も思うよ」
「出久だって、背も伸びたし、体もだいぶいい感じにガッシリしてきたじゃん」
「師匠に認めてもらうために、必死だったから」
「私もゴリラになりたいのにー」
「いやあ、つむじさんはそのままがいいんじゃないかな・・・・・・」
「スターアンドストライプみたいになりたいよー」
しばらく駄弁って、出久が「もうじゅうぶん休めたよ」と言って立ち上がって、ふたりはまた園内を歩きだす。
「あ! クレープだ!」
つむじが指差した先にあるカラフルなキッチンカーを、出久も振り返って見やる。
「超おいしそ〜・・・・・・出久も食べない?」
「僕、食べ切れるかな・・・・・・」
「じゃ、私の半分あげる! どれにする?」
「はぇ、は、ははは半分ん?」
しどろもどろしながら、出久はいちごスペシャルを選んだ。スプーンふたつくださーい、と付け足すと、出久の顔がさらにのぼせる。アイスクリームも乗せてくれるらしい。すごい!
結局さっきのベンチに戻って、ふたりは山盛りのクレープをどう崩そうかと試行錯誤した。結局、先にアイスクリームを半分こして、出久は苺と生クリームをひとくちもらっただけで、あとはつむじさんが食べて、とうつむいた。
出久をからかうのは楽しい。
「むかし、日本に住んでたとき。年上のお姉ちゃんとよくかき氷半分こしたりしてたなあ。でもシロップが混ざっちゃってね。すっごい色になるの」
「女の子は好きだよね、半分こ」
「男の子としたのは出久が初めてだけど」
出久がついに両手で顔を隠してしまった。
「今日みたいに、友達とね、いろんなところに遊びに行きたい。高校に行ったら、もっと友達できるかなあ」
つむじのひとりごとに、出久が手の奥からくぐもった声を出した。
「つむじさんはすぐ人気者になれるよ」
「そうだといいけど」
指の隙間から、こっちを覗く出久の目と、目があう。
「雄英、楽しみだね」
自分のこと。パパのこと。ママのこと。いろいろ不安もあるけれど。出久が、友達がそこにいてくれると思うと、なんだか安心するのだ。
20260717