〈昨日、お母さんと会ってきた〉
ほよん、とスマホの通知がして、目が覚める。明日から学校が始まる。気だるくて気だるくて、この体育祭の振替休日はほとんど自堕落に過ごした。
そして、焦凍からのメッセージが止まらない。
あの日曜日の夜。あのあと「子どもは10時までに寝ろ!」と息巻くお父さんに連行されて、ハイヤーに詰め込まれる。冬美と焦凍と涙のお別れをして、車中でハッと気がついたのだ。
「お父さん、連絡先教えてよ!」
「ムッ」
炎司が髭の炎をボフッと燃え上がらせた。
「私もライン使えるようになったんだー。クラスの子に教えてもらったの。冬美ちゃんと焦くんにも教えておいてくれる? 夏くんのは今度会った時に本人から聞くから!」
「ムムム・・・・・・」
炎司の大きな指が、スマホを一生懸命触る。やばいお父さんが握るとスマホちっちゃ! ププッと吹き出しそうになるのを堪えて、難航している炎司の画面を見つめる。
「どうするんだ」
「貸して」
友達追加を済ませて、冬美のアカウントにもつなげる。友達リストに焦凍の名前を探すけれど、無い。
「焦くんのライン入ってないじゃん!」
「ム・・・・・・」
ムしか言わないな、この人。
「どんだけ仲悪いの?」
「仲が悪いわけではない。焦凍は反抗期なんだ」
「ふーん・・・・・・」
私も人のこと言えないかも、と思って、スマホを返す。早速冬美が友達追加してくれたので、スターアンドストライプのラブリーなスタンプを送っておく。〈焦くんのアカウントおしえて!〉とも。
それがいけなかっただろうか。
それとも、焦凍はまめおくん(クラスの子が連絡の多い男子のことをそう呼んでいた)なのだろうか。
〈お母さんのお見舞いも行ってるんだ〉
〈ヒーロー科で忙しいのに、まめだね〉
〈まめおくん〉
〈いや〉
〈昨日、初めて行った〉
〈姉さんも驚いてた〉
いや行ってなかったんかい。焦凍から直接話を聞いたわけではないので、焦凍自身が母親にどういう思いを抱いているのかは計り知れないけれど。少なくとも、焦凍は母親のことを憎んではいないはずだ。父親から守ろうとしていたくらいだ。いちばん愛しているはずだ。
〈まめおくんって誰だ〉
〈俺は焦凍だ〉
〈わかってるよ〉
〈連絡が多い男のことを〉
〈まめおくんって言うの〉
〈アトランタの流行りか?〉
〈いやクラスの子が言ってた〉
〈そうか〉
〈それで 俺がまめおくんなのか?〉
こいつバカなのかな? いやヒーロー科には推薦入学だって聞いたけど、ってそういう意味のバカじゃなくて。なんていうか天然ボケっていうのかな。
〈そうだよ〉
〈鬱陶しいぐらいメッセ送ってくるじゃん〉
〈暇なの?〉
〈つむちゃんこそ〉
〈ずっと返事してくれるだろ〉
〈私は実際暇だからねー〉
〈明日になれば焦くんのメッセ減ると思うと〉
〈うれしいよ〉
〈俺は嬉しくない〉
〈つむちゃんともっと話したい〉
おや、と手が止まる。布団にごろごろと転がっていた体を起こす。ちゃぶ台にスマホを置いて、神妙に画面を覗き込む。
〈もしかして〉
〈話しかける感覚でメッセ送ってる?〉
〈だからこんなに多いの?〉
〈そうだけど〉
〈駄目か?〉
〈まあ駄目〉
喉が渇いたので冷蔵庫からペットボトルを出す。スターアンドストライプなタンブラーに注いで、画面をチラ見したとき、だば、と水をこぼした。
〈じゃあ 今から会いたい〉
結局のところ、今日はクラスメイトと遊ぶ約束をしていたので焦凍とは会えないのだ。たしかに暇だって自分で言ったけどさ。急に今から会いたいとか、おまえは私のカレピか何かか?
〈今日は友達と遊ぶので 無理〉
それだけ送って、画面を伏せた。水をグイと飲み干して、テーブルを適当なタオルで拭いて、洗濯機に投げ込む。顔を洗って髪をといて、家を出る支度をしないと。さっきからほよんほよんと通知がうるさい。バイブレーションを受けて私のスターがプルプルと震えている。こいつだけ通知切ったろうかな。
歯磨きしながらスマホを裏返す。
〈そうか〉
〈残念だ〉
〈何時に家に帰る?〉
〈今日は家に来れないか?〉
〈うるさい〉
昨日の今日なので、登校がかなり憂鬱だった。結局、〈明日の昼休み、話してえ〉とのことで、渋々了承するハメになった。
4限目が終わって、いつもは友達と食堂に向かうのだが、「今日用事があって」と断る自分のなんたる虚しさや。ヒーロー科の教室に向かう足取りが重い。
A組の目の前に立つ。雄英特有のデカすぎる扉が開かないので、まだ授業中かも、と思って、耳を近づけた。
バン! と思い切り開いた扉から生まれるはずのない風圧を感じ、顔が吹っ飛ぶかと思った。
「あ゛?」
どこかで見たことのある顔と、髪。
「あ、爆発さん太郎」
「誰じゃコラてめえ!」
また顔が吹っ飛ぶかと思った。そうだ。体育祭で一位だった。
「そうそう、バクゴウだ」
「なーに女子にまで喧嘩腰になってんだよ爆豪。おっ、普通科のふわふわ女子わたがしさんじゃん! どったの、なんか用事?」
この人もトーナメントに出てたような。
「名前覚えててくれて嬉しい! えーと、カミナリさん?」
「そーだよ上鳴電気だよ! なになに俺のことも体育祭で覚えてくれた感じ? いいよ、でんぴくんって呼んでも!」
「うん。でんぴくん、轟焦凍いる?」
でんぴくんがまるでボディブローを食らったかのように鳩尾を押さえ、うめくように「と、とどろきー」とクラスの中に声をかけた。
「わり、遅くなった」
すぐに焦凍が光の速度でやってくる。
「待たせちまった」
「全然待ってない。あ、でんぴくんありがとね!」
今や真っ白になってしまった上鳴が、扉にもたれたまま、かろうじてサムズアップしてくれた。
「おまえのクラスに迎えに行ったのに」
「いえ、結構です」
外庭のベンチに、焦凍とふたり腰掛ける。今朝かんたんに作ったサンドイッチを分けてやると「いいのか?」と目をキラキラさせていた。
「それだけじゃ足りないでしょ。食堂で何か買ってくれば?」
「今はいい。腹が減ったらそうする」
しばらく無言ではむはむとサンドイッチを頬張る二人。
「私さ」
でっかくしすぎたハムたまごを半分ほどかじったところで、焦凍に話しかけた。
「焦くんに会うの、ちょっと楽しみだったんだよね」
「今日か?」
「バカちん、雄英にいるってわかってからだよ」
「バカちん・・・・・・」
はむ、ともう一口。晴れた空に淡い雲が泳いでいる。あの雲になりたい、と、いつだか暗い部屋の中で考えていたことを思い出す。
「でもなんかさ、実際会うと、なんか調子が狂うっていうか。何話していいかわかんないし。私、あの家で暮らしてた頃、焦くんとあんまり話したことなかったなあって、今思えばだけど」
パッと横を見ると、やたらとジッと見つめてくる焦凍と目があう。すでにドでかハムたまごサンドを食べ終えて、ごぼうサラダに手を伸ばしている。
「そうだったな、そういえば」
「焦くんもなんか変人だし」
「変人か?」
「変だよ」
パンの耳を口に押し込む。ペットボトルを手に取って、自分の咀嚼を待っていると、また視線を感じて振り向く。
ごくんと無理やり飲み込んで、指2本で自分の目と焦凍の目を指さす。
「なに、見つめすぎじゃない?」
「そうか?」
あっけらかんとした返事が返ってくる。その間すら焦凍は視線を逸らさない。
「今まで会えなかったからな。その分じっくり見てえのかも」
「・・・・・・焦くんってさ、そんなに私のこと好きだったの?」
ひとくち水を飲んで、喉を潤す。無理やり口の中のものを押し込んだ喉にまだ違和感がある。横目で見ると、焦凍はちょっとだけ視線を逸らしていた。
「まあ・・・・・・あの家の中じゃ、つむちゃんは特別に感じてた」
「ふーん?」
「お母さんのこと、庇ってくれただろ。だから、仲間意識みてえなもんがあった、かも」
「私は焦くんのこと、ほんとの弟だと思ってたよ」
「俺も」
焦凍が3つ目のサンドイッチに手を伸ばしている。
「でも、つむちゃんが燈矢兄のこと好きだなんて知らなかった」
あんぐり開いた口から、だば、と水があふれる。あわてて袖でぬぐいながら、かろうじて握りしめたペットボトルをおたおたと上下左右に動かす。
「なんっ、それは、もういいでしょ。ちっちゃい時の話だし!」
「ちっちゃくてもつむちゃんはつむちゃんだろ。燈矢兄とどんな話してたんだ」
「どんなって」
幼い頃の記憶を辿ろうとすると、胸がつきんと痛む。まばゆかったあの頃の思い出が全部、かき集めようとするたび、痛みを伴う。
「ヒーローになるって、燈矢兄はそればっかり言ってた」
両手に握ったペットボトルの汗が、たらりと手のひらを伝う。
「燈矢兄がヒーローになったら、私をサイドキックにしてくれるって約束したの。だから私、燈矢兄の事務所に雇ってもらおうと思って帰ってきたのに」
薄く笑うと、焦凍と目があう。聞いたのは自分なのに、何と言っていいのかわからないといったような表情だった。
「燈矢兄の個性、見たことある?」
「いや、ないな」
「すごくキレイだった」
「キレイってどういう意味だ?」
「なんか、お父さんみたいなオレンジの炎じゃなくてさ――」
ランチボックスに伸ばしたとき違和感に気づく。ごぼうサラダが消え去っていたので、びっくりして焦凍の手元を見る。
「ちょっと、ごぼう全部食べたでしょ!」
「ん。これ美味いな」
「当たり前でしょーが! 食べたかったのに!」
「わりい。また作ってくれ」
「あーもー!」
残った鶏ハムとにんじんのサンドをひっつかむ。焦凍がフッと息を吐いたのが聞こえて、ムキッとにらみつける。
「つむちゃん、けっこう怒りっぽいんだな」
「はあ? 焦くんが怒らせてるんですけど! 出久に聞いてみなよ、私怒ったこと一回もないから!」
「そうだな、緑谷にいろいろ聞かねえと」
「いろいろって何さ」
「・・・・・・おまえら、付き合ってるわけじゃないんだよな?」
「そーだよ。大事な友達です。そういう勘繰りって失礼だからね?」
「悪い。で、緑谷に親のこと話したか?」
「話してない」
「そうか。じゃあ黙っとく」
「そういう焦くんは?」
「緑谷には話した。お母さんのことは」
「そう」
また会話が閉じ。しばらく無言で、お互いにサンドイッチを平らげる。半分ずつのつもりだったけど焦凍にごぼうを奪われてしまったので、ひとつ余計に食べさせてやる。ヒーロー科って7限目まであるらしいし。ちょっと気を遣ってやる。
「緑谷のこと、オールマイトの隠し子かなんかかと思ってたんだ」
「んん?」
なんで、と渋い顔をしたので、焦凍があわく笑う。
「あいつ、入学した時からオールマイトに目ぇかけられてたからな。個性も似てる。だからあいつに勝たねえとって一方的に思って、ふっかけたんだ」
「はあ? 体育祭で? そんなことしてたの?」
「視野が狭かった」
焦凍が自分の左手を握り、そして開くのを、ジッと見つめた。
「親父のことでむしゃくしゃしてた。そしたらあいつ、ずけずけ踏み込んで――余計なもんぜんぶ、取っ払っちまった」
焦凍がつむじに振り返る。わずかに上がっただけの口角が、それが精一杯の焦凍の「うれしい」という笑顔なのだろう。
つむじも笑顔を返す。
「私もさ、出久が魔法使いに見えたことがある」
「魔法使い?」
「そうだよ。ほんの一瞬だけ、背負い込んだ荷物を持ち上げてね、息をしやすくしてくれるの」
ベンチに背中を預けて、空を見上げた。
「その一瞬のことを、ずーっと忘れられないんだぁ」
「・・・・・・つむちゃんって、いつもずりぃ」
「は?」
ずる、とベンチを滑ったまま、焦凍を見た。
「俺が欲しいもんをいつだって手に入れちまうから」
「え、なに。どういうこと?」
「いいんだ。俺が勝手に思ってるだけだから」
「いやいや、何か思うところがあるなら言ってよ! そういう感じで友達に刺された子知ってるから怖いんだけど」
「なんだそれ。アトランタ怖えな」
「だしょ! だから話しなよ」
「いや、まだ話せねえ」
「いつか話してくれるの?」
「ああ。俺がきっちり精算できたら」
「あ、そ。じゃあ待ってるけど」
「手始めに、今度職場体験があるんだが、親父のところに行こうと思ってる」
「いいじゃん。あの人腐ってもNo.2だし。ボコボコにされてきなよ」
「普段からボコボコにされてっから、そういう感じじゃねえといいが」
「あー、なんかごめん・・・・・・」
ヒーロー科が職場体験に出ている一週間。普通科は変わり映えのない日々を過ごしていたんだけども。
「綿某、ヒーロー科編入志望で間違いないな?」
「はい」
イレイザーヘッドに連行されて、職員室の真ん中をついて歩く。職員室なんて日直の時に体育館の鍵借りたり返したりぐらいでしか入ったことないし、こんなに堂々とど真ん中を歩いてたらさすがに緊張する。先生たちに見られてる気もするし。
「なら、水曜の職員会議の議題として、お前の編入可否を案として提出する。今日明日あたりでこいつを提出しろ。俺のとこまで」
ペラッと渡された紙は、ヒーロー科への転科志望の申請書だ。ご丁寧に茶封筒も一緒に渡してくれる。
「ええっ! 職員会議で決めるんですか?」
「他に何だと思ってたんだ」
「入試みたいな実技試験とか」
「まあ実際、実技試験は必要なんだが」イレイザーヘッドは頬を掻いた。「その実技試験に参加させてもいいかって会議だ。まずはな」
「なるほど」
「お前が持ってるアメリカのライセンス、ありゃ日本じゃ生きてないだろ」
「はいです、もちろん」
「だがま、実績ってのは何よりも説得力を生む。そのつもりで準備しておけよ。結果が出たらまた知らせる。ソレ、今日明日じゅうにだからな」
「お、わ・・・・・・イエッサー!」
「元気があってよろしい。次の授業遅れんなよ」
〈今から保須に行く〉
〈親父の引率で〉
〈保須?〉
〈もしかしてヒーロー殺し?〉
〈よくわかったな〉
〈筋トレしながらニュース見るぐらいしか〉
〈やることないの 普通科は〉
〈何が美味いかよく知らねえけど〉
〈土産とかいるか?〉
〈そんな軽い感じでいいの?〉
〈べつにない〉
〈あ〉
〈ごまけんぴ 食べたい〉
「わりぃ、ごまけんぴ買いに行けなくなった」
《いいよ今更そんなこと》
あきれたような声が返ってくる。今頃学校では昼休みだろうか。遠くにざわざわと人の話す声が聞こえてくる。
「心配かけたな」
《生きてるなら問題なし。このくらいのことで心配してたらヒーローの身内はできません。それに、入院レベルの怪我ってさ。どうせお父さんの言うこと聞かなかったんでしょ。自業自得》
「手厳しいな」
《どこが。超優しいでしょーが》
「まあ、俺は傷浅かったんだけどな。緑谷と飯田がけっこう深手負って」
《はい? 出久も入院してるの?》
「ああ」
《ちょっ・・・・・・はやく言ってよ!》
ガタンと席を立つ音。雑踏が遠ざかる。つむじが場所を変えるんだろう。
《そこに出久いるの?》
「同じ病室だ。代わろうか?」
隣のベッドでそわそわと俺の電話を見ていた緑谷に、スマホを差し出す。きょとんとしている緑谷に「つむちゃんがおまえと話したいって」と言うと「え!?」と目を丸くして受け取った。
「あっ、もしもしつむっ、つむじさん。あ、うん。いや大した怪我じゃないよ。体育祭と比べたらね、はは・・・・・・うん。大丈夫。まだ松葉杖だけど、今週中には退院できるし。うん。いやいや、轟くんがプロを呼んで、助けにきてくれたんだよ」
穏やかな表情で話す緑谷を見つめる。先週、つむちゃんと友達なのかと尋ねた時は「つむちゃん・・・・・・?」と戸惑っていたが、綿某つむじ、と伝えると分かったようで、入学前の話を聞かせてくれた。ヒーローの夢を持つもの同士、同じ志望校同士で、意気投合したのだと。そして遊園地でクレープも分けっこしたのだと。それから、俺たちは幼い頃一緒に住んでいた幼馴染なのだと話すと、緑谷は「え、初めて知った・・・・・・」と驚いていた。「色々と訳アリでな」と言うと、「そうだよね、よく考えたら僕にそんな話をするわけないか。部外者が何言ってんだって感じだ」と自嘲気味に返ってきた。「つむちゃんは緑谷のこと、大事な友達だって言ってた」と伝えると、緑谷は表情をくつろげた。
「うれしいな」
頭の中の声と、目の前の緑谷の声が重なる。
「うん、頑張るよ。一応まだ職場体験中だし。つむじさんも体に気をつけてね・・・・・・え! それ本当?」
緑谷の視線が、一瞬こちらに向いた。
「それ、轟くんには言ったの? はぇ、うわ、マジか。いや、めちゃくちゃうれしい! うれしいけど、なんていうか。なんか顔に出ちゃいそうで・・・・・・うん、うん。あはは、わかったよ。それじゃ。がんばってね。応援してる」
スマホを返そうとした緑谷が、「あ、切れちゃった」と言った。俺の視線に気がついたのか、緑谷が笑顔を見せた。
「つむじさん、心配して電話くれたんだね。優しいや」
「つむちゃんと最後何喋ってたんだ?」
「えっと・・・・・・」緑谷が頬をかいた。「轟くんにはまだ秘密だって。自分で言いたいから、聞かれても絶対黙っててって言われちゃった」
「そうか」しゅんとした気持ちで床を見つめる。「二人で俺に隠し事か・・・・・・」
「いやっ、つむじさんは轟くんをびっくりさせたいんだと思うよ。ビッグニュースだし!」
「ビッグニュース・・・・・・」
つむちゃんのことだ。俺がどれだけ聞いたところで話してくれるとは思えない。俺が思っていたよりも、つむちゃんは緑谷のことを信頼しているらしい。緑谷も口が軽いやつだとは思えない。不服だが、引き下がるしかないだろう。
「・・・・・・わかった」
そう言うと、緑谷もほっとしたように息を吐いた。
「そうだ。轟くん、ごまけんぴだけど・・・・・・」
「うそぉ、ほんとに買ってきたの?」
午前中の中休み。C組の教室に扉を叩いた焦凍に、クラスは騒然としていた。だから来るなって言ったのに。
「病院の売店に売ってあった。緑谷から教えてもらった」
「やったー! 出久ナイスだ」
手を伸ばした先のごまけんぴがスッと逃げる。焦凍が取り上げたのだ。ぽかんとして見つめると、焦凍が口を開いた。
「緑谷には喋って、俺には言えないことがあるみてえだな」
「ま、まあね」
「いつになったら聞かせてくれるんだ?」
「それは・・・・・・」
自分でもそれはわからないことなのだ。先週末にイレイザーヘッドが、「会議の結果は意義なし満場一致。1学期中に実技テストを設ける。いつでも出られるように準備しておけ。ヒーローコスチュームも持ってるんだったか。学校に持ってきて申請しておけよ」とだけ。ヒーロー科の実技演習に参加させてもらえるのか、別途試験があるのか、わからないし、時期も不明。
ただまあ、焦凍に話してやってもかまわないのだ。試験に落ちた時に自分が情けなくなるだけの話で。
「じゃあ、今度の中間テスト。焦くんが私の成績より上だったら教えてあげてもいいよ。学年順位で」
焦凍の表情がピク、と動いた。焦凍の成績がいかほどかはわからんが、発破かけるにはいい材料になるだろう。
「わかった」
「それで勉強教えて欲しいって?」
「です! お願いします心操サマ!」
両手をすりすりして頭を下げる。すごく冷ややかな目で見下ろされているような気がする。深々と折り曲げた腰がつらい。
「報酬は?」
「あー。英語なら教えられマース」
「べつに英語に困ってないけど」
「ぐぬぬ」
正直この手は使いたくなかったけれど、他に差し出せるものが思いつかない。ぐっと顔を上げて、ドンと胸を張る。
「お昼ご飯一週間分でどう!」
「それって、綿某が弁当でも作ってくれんの?」
「え」
席に座ったままの心操の猫のような瞳が、じーっとつむじを見上げている。
「心操いつも食堂で頼んでるじゃん。弁当がいいの?」
「だってたまに持ってきてるよな」
「まあ、気が向いた時にね」
「じゃ、それで」
本気かよ、心操。そういう気持ちを込めて、きゅっと首をすぼめると、心操が至極真面目そうに口を開いた。
「弁当だったら勉強しながら教室で食えるだろ」
「ああ。なるほど?」
わずかに首を傾げると、今度は心操がそっぽ向いた。
「条件呑めないなら教えてやんないぞ」
「わあわ、わかったよ明日から作ります! 寝坊したらコンビニでもいい?」
「駄目」
「ケチんぼ!」
弁当を作ってくる日の理由なんて些細なものだ。夜ご飯のおかずが余ったとか。賞味期限の近い食材があるだとか。どうせ食べるのは自分だし。テキトーでも栄養バランスが悪くても見た目が悪くても、なんだっていい。
でもこう、敢えて弁当を作るとなったら、やっぱりサンドイッチが一番いいんだよなあ、と思い至る。手間的にも、見栄え的にも、あと洗い物的にも。朝から揚げ物してる自分がむなしい。フライパンでの揚げ焼きだけど。
べつに、焦凍の時と違って心操から「食べたい」と言ってくれたのが嬉しくて張り切ってるとかではない。断じて。ていうか「食べたい」とは言ってなかった気がする。なんかうまく誘導されたような気がする。もうちょっとイジメとけばよかったかな。なんて思っても、つむじは下手に出るしかなかったのだけれど。
ぶあついカツサンド、鶏ハム&にんじん、ごぼうサラダ、定番のハムたまご。それぞれレタスもちゃんと挟んじゃったりして。これだけあれば食べ盛りの心操も満足してくれるだろう。焦凍の時で男の子は思っていたよりも食べるものだとわかったし、もし足りなかったら自分の分もあげていいし。彼はさいきんよく食べるようになったから。
意外と早く片付いた。ロードワークの時間を削って準備してたから、今日は走って登校しようかな。雄英のシャワールームは誰でも使い放題なのがありがたい。サンドイッチだから走ってぐちゃぐちゃになるとかはないと思うけど、けっこうしっかり目にラップしておく。ま、パサランずに運んでもらえばいいか。
体操服に袖を通して運動靴を履く。ランチボックスを忘れずに。あと水筒。鞄はリュックみたいに背中に背負う。
日本に来てもうすぐ一年が経つ。つむじが帰国したのは長引いた梅雨の時期だった。今日の空はまだカラッと晴れている。雨の日は体が重くなるから、また趣旨の違うトレニーングができるからそれはそれでいいんだけど。重くなるって、気持ちじゃなく物理的に。
「つむじちゃん、もう登校かい」
「朝から気張ってんね!」
「おはようございまーす! いってきまーす!」
ご近所のおじさまおばさま達と挨拶を交わす。駅の近くゆえに、飲食店や小売店が多く並ぶ。そしてそういうお店の主人たちはたいてい気さくだ。
いつもはHRの1時間前の電車に乗るけれど、今日はそれよりさらに1時間早い。余裕で着くだろう。私は人よりも体が軽いから、思ったより速く走れるのだ。
「つむじちゃん、相変わらず元気だけど、ペース速いねえ。大丈夫なのかね」
「個性由来だって言ってたよ。あの子見てると自分の若い頃思い出しちまうねぇ」
「釜さんにもああいう時代があったってのかい!」
「当たり前だよ。なんでもやればできると思ってたし、実際そうだったさ」
「若いっていいねえ」
シャワーも浴びてスッキリした気持ちで教室に入る。マラソン登校結構楽しいかもしれん。湿った髪をタオルで包んで歩いていると、後ろから「お」と声をかけられる。
「つむちゃん」
「おはよ、焦くん」
焦凍の視線が明らかにつむじの背後に浮かぶデカいランチボックスに吸い込まれている。つむじはサッとそれを両手で掴んでお腹の前に抱える。
「今日弁当か」
「そうですけど」
「随分でかいな。誰と食うんだ」
「友達とですけど」
「俺の分は」
「ないですけど」
焦凍が表情を硬くした。じっとこちらを見つめ続ける視線が恨みがましい。
「そんな顔しても、今日は焦くんの分ないからね。ちゃんとあげる人がいるんです」
じり、と焦凍が歩み寄るので、つむじも一歩下がる。じきに踵が壁にこつんとぶつかる。背後をチラッと見た隙に、焦凍の左手が頭上に伸びてきた。
あたたかい手が頭に乗ったので、つむじは目を瞬いた。案外無骨な手が、湿った髪をさらりと撫ぜた。
「なんで髪、濡れてんだ」
「走ったから、シャワー浴びて」
「そうか」
おろしているせいで思う存分に広がりまくっている髪を、これまた思う存分に触っている焦凍。長い髪が珍しいのか、たてがみを撫でられている馬のような気持ちになる。
「あの、何をなさっているんでしょうか」
「? なんでさっきから敬語なんだ」
「焦くんの挙動がおかしいからでしょーが」
「ん、ああ。もういいぞ」
手が離れていく。思わずなでつけた髪がふわふわとあたたかい。
「乾かしてくれたの?」
「ああ。風邪ひいたら駄目だろ」
「言葉が足りないよ焦くんは。まあ、ありがとね」
ほろん、ほろんとパサランが飛ぶ。焦凍が「お」と目で追いかける。
「懐かしいな」
「焦くんが知ってる私の個性はこれだよね。髪とか抜けると勝手に飛んじゃうの」
予鈴が鳴る。まだ話し足りなさそうな焦凍に手を振って、早歩きでC組の教室に向かう。
「はよ」
「おはよ、心操!」
つむじの席は一番後ろなので、ど真ん中の心操の席とすれ違う。ランチボックスを掲げてやると、心操はちょっと嬉しそうにしたけど、気恥ずかしいのかすぐにプイと前を向いた。
「すご」
スマホでランチボックスの中に美しく並んだサンドイッチたちを撮影する心操。まあまあ、鼻が高くなるのもしょうがない。今日の出来は結構自信があったから。
「なにこれ。惣菜?」
「ユーのために朝から揚げてきました」
「マジ?」
いただきます、と心操の大きな口に吸い込まれていくカツサンド。青少年の心をくすぐるボリュームをしている。鶏ハムにんじんを手に取りながら、心操の反応をにまにまと見つめる。
「美味い」
「よかった」
つむじもようやく食事に手をつける。うん、いつもの味だ。心操がペロリとカツサンドを平らげると、次のを手に取ってそれを眺めている。
「なんか、想像してたのと違った。朝からこれ全部作ってきたのかよ?」
「カツとたまごはね。鶏ハムとかごぼうのサラダは作り置きしてるから、それを挟んだだけ」
「ちゃんと自炊してんだな」
「まあねー。食事は体づくりの資本ですから?」
腕まくりした心操の前腕をチラッと見る。少しムキッとしてきたように思う。
「やっと筋トレに目覚めたの?」
「まあ」
「羨ましい。私ほとんど筋肉つかないから」
「俺はあんたのほうが羨ましい」
心操はサンドイッチを見つめたまま、真剣な表情でかじりついている。
「早いうちから認めてもらってて、その個性もちゃんと求められてて。ひねくれて出遅れた俺なんかよりずっと先にいる」
「私の場合は環境が良かったし、運も良かった。それに、大人に使われてただけだよ。ヒーロー活動なんかじゃない」
「でも誰かの役に立ったんだろ」
心操がふたつ目を平らげた。指についたマスタードをペロリと舐めている。
「俺もはやく、誰かの役に立てるようになりたい」
それが心操の思い描くヒーロー像なんだろう。「おう! がんばろう!」と言うと「声デカ」と藤色の瞳がこっちを見る。
「・・・・・・綿某さ」
「うん?」
心操がすこし言いにくそうに視線を逸らした。
「今日のも美味いけど。俺、あんたがいつも食ってるようなやつ、がいいんだけど」
「いつも食ってるやつって、晩ご飯の残り物だよ?」
「うん。それで」
「え、タッパー弁当になっちゃうけど」
「全然いいよ。綿某今日何時に起きた? 毎日朝からこんなの作ってたらしんどいでしょ」
「まあ心操がそんなんでいいならそうするけど。起きる時間は変わんないから大丈夫だよ。朝トレの時間削ってるだけ」
「それだよ」心操が口をまげた。「あんたの足引っ張ってんじゃないかって、今更思ったからさ」
「なに言ってんの! 頼んだのは私だし。心操はドーンと構えて私の学力向上だけを考えてくれたらそれでいいの!」
「そう。じゃ、綿某がやりやすいようにやって」
心操がわらう。3つ目のサンドイッチを手に取って、「ごぼう、めっちゃ美味い」とつぶやく。
「綿某、今朝の現代文の小テスト、見せて」
「え゛」
「あるでしょ。ホラ。セメントスは小テストは大事にしなさいって最初に言ってたし、多分試験問題ここから出すでしょ。ここらへん復習しとけばいいんだよ」
「あっす、そ、そうなんデスネ・・・・・・」
つむじはバツがたくさんついた紙切れを机から引っ張り出した。その点数を見た心操があきれて「トレーニングより勉強時間増やしたほうがいいんじゃないか?」とぼやいた。
一週間後。二日間の中間試験を終え、お疲れさまの余韻もなく呼び出された午後。校舎裏口に待っていたのはイレイザーヘッドと。
「心操? なんで?」
体操着姿の心操がイレイザーヘッドの隣に立っていた。
「綿某。お前の実力は体育祭で充分見たから知ってはいるが。今日は何ができて何ができないのかを説明してもらう」
「先生質問。心操はなぜ?」
「見学だ」
「見学・・・・・・?」
「俺が見たいって先生に頼んだ」
心操が視線を外しながら言った。
「このあと綿某を見るって言ってたから、多分、ヒーロー科編入がらみのことだろうと思って」
そのこと、心操には話していなかったけれど。やっぱり同じ志を持つ者どうし、勘がいい。
ひとつの疑問が浮かぶ。
「・・・・・・心操はイレイザーヘッドに何か用事があったんじゃないの?」
「いや、弟子入りした」
「弟子入り!?」
パッと表情を輝かせてつむじが近寄ると、心操は首をすぼめた。
「なんで!? いつ!? いいなあ羨ましい!」
「お前ら、ダベりに連れてきたんじゃないぞ」
イレイザーヘッドの厳しい声に身を正す。
「体育館に更衣室がある。綿某、コスチュームに着替えて来い」
体育館α。校舎にいちばん近い、普通科の体育や部活動で使われる至って普通の体育館。そんな日常の一幕の中にヒーローコスチュームを着て立っている自分自身の、なんと違和感のあることか。
「なんか恥ずい・・・・・・」
「いやカッコいいけど」
つむじのコスチュームはサポートアイテムや特別な機能はなく、至ってシンプルだ。ケセランを利用して作ってあるので、普通の衣類と違ってつむじの分散と収束に対応する。デザインはつむじの好みでしかない。
「ていうかなんでブラドキングまで来てるんだろ・・・・・・!」
「一年ヒーロー科の担任2名で見るって話だ」
ムキムキゴリラのブラドキングがかっこよすぎて直視できない。つむじはゴリラを夢見るあまり、ゴリラな人物が大好きである。幼い頃は体の大きな炎司を怖いと思っていた。スターアンドストライプに救われ、彼女のようになりたいと憧れたが、その筋肉を保持することのなんと難しいことか。才能がないと至れない境地だ、あれは。と、つむじは痛感している。とくに筋肉のつかない自分の体質だとなおさら。
「生ブラドキング・・・・・・! 後光が見える! イレイザーヘッドすみません。もしヒーロー科入れるなら絶対B組がいいです!」
「贅沢抜かせ。個性やらクラスメイトとの相性やら考えてこっちで決める」
「ぐぬぬ」
パン、とイレイザーヘッドが手を叩く。
「よし、それじゃ、綿某。お前の課題だが」
緊張する。生唾を飲む。イレイザーヘッドの三白眼が、じろりとつむじを射抜く。
「俺たちから一本取ってみせろ」
「ハイ!! ・・・・・・え?」
返事だけは威勢が良かったけれど、つむじの頭は真っ白になった。一本取れって、プロヒーローのこの人たちから?
「まずは俺だ」
イレイザーヘッドが体育館の一辺に歩いていく。「チンタラするなよ」と低い声が飛んできたので、あわてて反対側の位置につく。
「それじゃ」ブラドキングがストップウォッチを手にしている。「5分以内だ。よーい・・・・・・」
ぐっと足を踏み込む。イレイザーヘッドがゴーグルを顔に着ける。視線を悟られないための装備か。
「始め!」
思い切り駆け出す。イレイザーヘッドの個性は「抹消」。見た相手の個性を消してくる。つまりケセランで避けたりは封じられているということだ。
「個性は消したはずだが、速ェな」
「生まれつきなんで!」
首元に巻かれた包帯みたいな布が飛んでくる。捕縛アイテムか。避けて懐に潜り込む。パンチもキックも避けられる。それにあの布攻撃も厄介だ。くそ。打開策なし。
「避けるだけか?」
足払いに引っかかる。つむじはひとよりもずいぶん体重が軽いから、いとも簡単に体勢を崩されてしまう。イレイザーヘッドの視線を切ることができれば。個性さえ出すことができれば――
その時だ。ほんの一瞬、パサランがまろび出た。ゴロン、と床に体が転がると同時に、目の前いっぱいにパサランを広げる。一瞬の隙があった。そうか。イレイザーヘッドも人間。瞬きをする必要がある。ずっと発動確認しておいてよかった。これで見えないはずだ。体勢を立て直せる――
「煙幕か。甘いな」
捕縛布が飛んでくる。すんでのところで避けて、どうにか起き上がる。絶えず飛んでくる捕縛布が、だんだんと視界を晴らしていく。
「・・・・・・距離を取ったか」
パサランが霧散する。イレイザーヘッドが最初の位置に戻ったつむじを捉えるも、浮遊したパサランたちが、個性が消えない。
「まさか」
「そのまさかですよッ」
真上からつむじが降ってくる。一瞬の隙に上空へと浮いたつむじが、イレイザーヘッドの背後にまっすぐにドロップキックをお見舞いし、派手な音が体育館に響く。体育祭で常闇に見せた不意打ち。名付けて――
「流星コンフェイト!」
しかしイレイザーヘッドもプロ。つむじが接近したとわかるその瞬間に捕縛布を広げていた。今蹴りの反動で後退すれば、確実にその中に囚われる。でも今はイレイザーヘッドの背後。
「こんな布切れ避けれちゃいますから!」
「そりゃ俺次第だな!」
イレイザーヘッドが振り返る。あの超落下蹴りを食らって意識保っていられるとは。舐めていたわけではないが、手の内を読まれていたような気がして悔しい。個性を消されたならそれを利用するまでだ。
パシ、と捕縛布を両手で掴む。そのまま一気にイレイザーヘッドの首元に迫るその瞬間に、足をパックリと開いて絡みつく。
「は?!」
心操の声がした。つむじはニヤリと笑う。
捕縛布を操るために両手が塞がったイレイザーヘッドに組み付くのは簡単だ。脛の裏にイレイザーヘッドの喉仏をガッチリホールドする。
「せんせぇ〜、どうしましょうね。私を解放しないと苦しいままですよ」
グッとイレイザーヘッドの喉元に巻き付けた足を締める。
「お前もな」
胸部と首元に巻き付いた布がググ、と締められる。さすがに全ては避けきらなかった。胸郭が締められていることで呼吸が妨げられて、なかなか苦しい。
これは、どちらが先に根負けするかの勝負だ。
「そこまで! 終ー了ー!!」
勝負が見え始めたと思ったとたん、ブラドキングの大声が体育館に響き、捕縛布がゆるむ。つむじも足の力を抜くと、「けほ」とむせ込みながらイレイザーヘッドの頭の上に手を置いた。
「先生容赦なさすぎ!」
「なに居座ってんだ降りろ」
渋々降りるつむじに、「あとお前軽すぎだな。ガキか」と呟くイレイザーヘッドに「生まれつきなんで」と返す。
疲れたけどめちゃくちゃ楽しかった。なんかつい技名まで叫んじゃったし。体育祭のあとずっと考えてたんだよね。
ブラドキングと心操が観戦してた入り口付近に集まる。
「綿某、覚悟決まりすぎだろ」
心操がちょっとドン引きしたような顔でつむじを見ていた。
「そりゃ先生とやりあうんだもん。なりふり構ってられないでしょ」
「それでも先生に向かって開脚とかさぁ・・・・・・」
「言い方!」
「綿某。インターバルついでに講評を挟むぞ」
イレイザーヘッドが手招きする。心操とともに駆け寄る。
「全体的に機転の効いた動きはできてた。抹消の隙を突いて発動した個性出力も良し。しかし最後の状況で飛び込んできたのは安直だったな。俺が刃物を持っていたらどうするつもりだった」
「刺されても同じプランで落とせちゃえばいいかなって思ってました」
「どんだけ覚悟決まってんだよ・・・・・・」
横で心操が引いている。
「あと私、怪我しても治り早いんで!」
「そういうことを誇らしげにするな」イレイザーヘッドも若干顔が引き攣っている。
「いいえ! 私の『ケセランパサラン』はみんなと違う特別仕様なんで!」
鼻息をフンと吐くつむじを、他3人が神妙な顔で眺めた。
「お前のその無鉄砲さは命取りになるぞ」
イレイザーヘッドの言葉に、つむじはまた強気に笑った。
「心配には及びません! 私、簡単には死にませんから!」
「生きる死ぬだけの話じゃなくてだな・・・・・・」
「まあその辺にしとけ、イレイザー」ブラドキングが間に入る。「次は俺が相手する。綿某、位置につけ」
「――液体系の個性とは相性が悪いと以前言ってたが、まさにそうだったな」
イレイザーヘッド相手に善戦した綿某が、完封された。「操血」か。血を操り自在に形を変化させ、固めて拘束する。
ブラドキングの個性を思いっきり浴びて血まみれになった綿某が、地団駄を踏む。
「悔しい! ブラドキング強すぎる。上腕二頭筋触らせてください!」
「そういうのはやめときなさい」
「大腿四頭筋でもいいんで!」
「余計駄目だ!」
あっさり拒否されてるところも含めて間抜けすぎる。さっきの戦いはまあまあカッコよかったのに。
「ブラドは明確な天敵だな。何かさせる前に仕留めるか、対策を講じる必要があった」
「対策ですかぁ。だってブラドキング、私の大軍勢にも動じてすらなかったじゃないですか」
「本体がどこにいるかわかってたからな。あの手の技は本体を叩くのが一番だ」
綿某ががっくりと肩を落とした。イレイザーヘッドの時とは違う戦法で仕掛けたが、あっさりと血液を浴びて凝固され、捉えられた形だ。
「ううっ。先生がた。完敗&引き分けでどっちからも一本取れなかった私は不合格ですか・・・・・・? ヒーロー科入れない?」
「その試験はまだ先だ」
「え」
俺と綿某の声が重なる。ブラドキングが腕を組む。
「今日のは簡単にお前を見ただけだ。お前の個性は汎用性もあり実績もあるがゆえにどのような手数を持っているのか未知数だったからな。本試験はヒーロー科の期末に行われる実技試験と同様の内容で行う予定だ」
「おお・・・・・・!」
綿某が嬉しそうに両手のこぶしをブンブンと振った。
「心操もですか?」
「こいつはお前ほど動けん」イレイザーヘッドの厳しい声だ。「せめて身を守るくらいのことができなきゃヒーロー科でやっていけないんでな。最低限のすべは叩き込むつもりではいるが」
イレイザーヘッドのニヤリ笑いが飛んでくる。
「心操。お前も、今日の見て何か思うところあっただろ。言ってみろ」
「・・・・・・やっぱり、綿某はすごいです。先生相手なのに、全然ビビってなかった。むしろ楽しそうで・・・・・・」
「勘違いするなよ。戦闘が楽しいなんて思ってんのは一部のイカれた奴らだけだ」
「先生言葉強いんですけど!」
苦笑したブラドキングの視線が綿某に向く。
「だがまあ、『怖気付かない』『諦めない』という度胸と根性はヒーローに必要不可欠だ。そういう意味じゃ、綿某はすでに土壌を持ってるな」
「度胸を履き違えて死ぬ奴もいるがな」
「イレイザー、そこはこれから教育していけばいい」
ブラドキングがイレイザーヘッドをたしなめる。
「いいか、綿某。本番で引っ掛かるなよ。校長をはじめ、先生がたは新たなヒーローのたまごを期待している」
「ハイ!!!」
「声でか」
俺が顔を遠ざけていると、ほとんどないような力こぶを作った綿某が、ニッと得意そうに笑った。
「言ったっしょ。心操、私先に行っちゃうからね」
こぶしが突きつけられる。俺もつられて笑みを浮かべる。
「・・・・・・必ず追い越してみせる」
グーとグーがぶつからず、崩れてすり抜けた綿某の人差し指が額にぶつかる。
「・・・・・・このやろ」
「へっへーん、甘いね、心・・・・・・」
ピタリと綿某の動きが止まる。洗脳に引っかかった間抜け顔の綿某が俺に絡むのをやめて、先生たちに向き直る。ブラドキングもイレイザーヘッドも苦笑して、「それじゃ、解散」と告げた。
「で、つむちゃんの順位は」
成績表を焦凍に奪われる。クラス順位は9位だったけど。
「学年62位か。頑張ったほうじゃねえか?」
「頭いいなら最初から言ってよ!」
「条件出してきたのはつむちゃんだろ」
焦凍はクラス順位5位。学年順位も150人中の13位と、上澄みも上澄みだ。
「でも意外だった。現代文得意だったんだな」
「まあ猛勉強のおかげというか」
苦手だったから心操にかなり徹底して教えてもらったのと、あとはセメントス先生の教え方が優しいからだ。担任だし、頭下げたらめちゃくちゃ丁寧に教えてくれた。
「英語が俺より下なのも意外だ」
「うぐっ」
対策しなくてもいけるだろと踏んでいたのが間違いだった。美しい文法を成立させるのと話すことは全然違う。
「それじゃ、約束守ってもらうぞ」
「はいです、もちろん」
期末試験の時期に、ヒーロー科編入のための試験を受けることを焦凍に話す。焦凍はまた感情の読みづらい表情で「そうか、よかったな、つむちゃん」と言った。
「あんま嬉しくなさそう?」
「結果出てねぇからなんとも言えねぇのと、あと、つむちゃんと同じクラスがいいなとか、色々考えてた」
「焦くんA組でしょ。A組の担任ってイレイザー先生でしょ」
イレイザーヘッドの冷たい視線を思い出す。接点が薄いからとかそういうことではなく、なんとなく信用されていないような、そんな気がする。
「私、ブラド先生がいいなー。優しいしゴリラでカッチョイイし」
焦凍のジットリした睨みが飛んでくる。「ゴリラがいいのか・・・・・・」とつぶやく焦凍はより複雑そうな表情を浮かべた。
そうこうしていると次の停車駅のアナウンスが流れる。焦凍が降車ボタンを押して、席を立つ準備をする。
ああ、ドキドキしてきた。
日曜日は、焦凍は毎週冷のお見舞いに行っているらしい。先週末につむじのことを話したらしく、冷が「会いたい」と言ったそうな。
そんなの、つむじだって会いたいに決まってる。
「家族以外はダメとか言われないよね?」
「ちゃんと病院に確認した。それに、つむちゃんは家族みたいなもんだろ」
その言葉に背中がムズムズする。いつものおさげ。必要最低限のシルバーのポシェット。同じ色のメリージェーンパンプス。ちょっと暑いかなとも思いつつ、張り切って着てきた濃いデニムのミニワンピ。久しぶりに大切な人に会う。日本に帰ってきてから何度かそういう機会はあったけれど、これまで以上に緊張する。
だって、つむじが「お母さん」と呼べる人は、後にも先にもこの人だけだ。
つむじの緊張を知ってか知らずか、スターアンドストライプのチャームを握りしめる手に、上から体温が重なる。
「大丈夫だ。つむちゃん」
あの泣き虫だった焦凍にこんなふうに背中を押される日が来るなんて、つむじは思ってもみなかった。この子も大人になっていってるんだな、なんて、他人事のように思った。
20260725