焦凍に話してしまった手前、不合格になってしまったら情けなくて死ねる、と思っていたけど。つむじは今無事にヒーロー科の林間合宿のためのバンに乗り合わせている。
 期末の実技試験は先生(プロヒーロー)とのタイマン勝負だった。出久によるとヒーロー科の生徒はツーマンセルだったらしい。なにそれ、私だけ不利すぎるでしょ。ハウンドドッグ先生との追いかけっこ、はちゃめちゃに怖かったんですけど。
「フワフワキティ、車酔いとか大丈夫?」
「全然大丈夫です!」
 プロヒーロー「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ」の運転するバン、通称「ねこバス」の後部座席に、米袋や野菜や肉などの食料品に挟まれる形で乗り込んでいる。
「イレイザーとブラドも粋なことするね。夏合宿でサプライズ登場とかさ」
「編入時期もちょうどよかったよね! 体育祭での活躍が認められたからかしら? 確かにすごかったにゃん」
「ありがとうございます!」
 マンダレイとピクシーボブの会話に混ざりつつ、つむじの視線はバックミラーに映る後ろの座席に吸い込まれている。
 6、7歳くらいの男の子。角のついた特徴的な赤い帽子を深く被って、黙って座っている。歳の割に大人しいな。つむじがこの子の年齢くらいの時には、鼻水垂らしてあちこち走り回って毎日擦り傷をこさえていたというのに。
「私、つむじ。きみ、名前は?」
「・・・・・・教えるかよ」
「こら洸汰」
 マンダレイが運転席からたしなめる。息子さんかな。
「ごめんね。従甥(いとこの子)なんだけど」
「コウタくん! どういう字を書くの?」
「話しかけてくんな」
 つむじはプーッと頬を膨らませた。
「何歳かな? 小学校一年生くらい?」
「うっせーな。子どもアツカイやめろよ気色わりぃ」
「ああ、ごめんね。自分の名前とはいえまだ漢字とかわからないか。いやぁーごめんごめん」
「はァ?! 書けるし! ノート貸して!」
 ノートと鉛筆をちらつかせるとコウタがでかでかと名前を書いてくれる。
「出水洸汰くんね。いい名前だねえ。教えてくれてありがと」
 マンダレイとピクシーボブが「うまく扱われてる・・・・・・!」と肩を震わせている。アトランタのストリートキッズたちと心を通わせた経験が活きたか。
「私の字はこう書くんだよ。名前はひらがなね」
「聞いてねーし」
「つむじさんはねえ漢字の練習始めたの一年前なんだよね。読むのはできても書くの難しいよねえ」
「はあ? 学校行ってねーの」
「アメリカにいたからね」
「アメリカ?」
 洸汰が食いついた。つむじは聞かれてもいないアメリカ時代の話をペラペラと話す。
「――でね、ほら見て! アメリカNo.1ヒーロー、スターアンドストライプ! 私この人に助けられたの。それからファンでね」
 ヒーロー、と言ってから、興味ありげに浮いていた洸汰のお尻が、スッと座席に戻る。
「どいつもこいつも、ヒーロー、ヒーローって・・・・・・」
 そう呟く声は、エンジンの音にかき消されていった。それ以降、洸汰はつむじがいくら話しかけても、悪態すら返さなくなった。

 お昼には早いくらいの時間に、宿泊施設の前にバンが停まる。温かみのある一枚板の看板に「プッシーキャッツのマタタビ荘」と書かれている。
 積荷を下ろす2人を手伝う。洸汰も手伝ってるのにつむじが手伝わない道理はないだろう。施設の中に入ると、イレイザーヘッドとブラドキングが話し込んでいるのが見えた。
「先生こんにちはー! 今日からよろしくお願いします!」
「おう綿某。来たか」
 ブラドが頬を持ち上げて片手を上げる。くぅ、かっこいい。
「あれ、先生。ヒーロー科の面々は?」
「いま森でボロ雑巾になってるところだ」
「え」
「ピクシーボブの個性で、森の端から土魔獣相手にこの施設を目指してるってワケ。何、参加したかった?」
 マンダレイがつむじの背後に野菜の箱を置きながら言った。
「いえ・・・・・・ここを目指すだけでいいなら、私、ぴゅーっと空を飛んで施設を探せばいいだけなんで」
「そう言うと思って、お前には参加させなかった。あいつらとの顔合わせもまだだしな」

 制服のままボロボロのA組メンツが施設にたどり着く。食堂にずらっと並んだ料理に、みんなが沸いている。委員長らしき眼鏡の男の子の号令で皆順番に靴を脱ぎ手を洗い、おおきな「いただきます」の合図で夕食が始まる。
 A組が出発したのは9時半ごろだったらしい。お昼抜きで、たどり着いたのが午後5時だから、空腹すぎて妙なテンションでみんながっついている。
 キレイな制服のまま先に夕食をいただいちゃったのが申し訳ない感じだ。
「ご飯のおかわり欲しい人言ってねー」
「はい! って、エ!? つむじさん!」
 茶碗を突き出した出久の背後から蓮根の挟み揚げを提供する。そうそう。このびっくりした顔が見たかったんだよね。
「やっほー、出久!」
「なんでつむじさんがここに!?」
「何だよ緑谷! ふわふわ系女子と下の名前で呼び合う仲かよぉ?!」
 出久の隣にいた小柄な男子が身を乗り出した。
「はじめまして! 私綿某つむじーって、知ってたかな? 好きに呼んでいいよ! きみの名前は――」
「綿某さんごめーん! これ運んでくれるー?」
「あいあいさー! ごめんねブドウ系男子。またゆっくり話させて。出久、ご飯おかわりね」
 ブドウ系男子にことわって、出久の茶碗をさらっていく。いつもの感じで書き文字まで聞きたいところだったけど、今のつむじには大事なお仕事があるのだ。クタクタのみんなにあったかいご飯を届ける仕事が。
「俺もだコラ!」
「はいよ」
 出久の反対隣の男の子も茶碗を素早く突き出してきた。この爆発的ヘアースタイルは見覚えがある。
「バクゴウだっけ? 了解!」
 厨房に駆け足で向かう。すぐ2人の茶碗が山盛りになって返ってきて、それはパサランに運んでもらう。つむじは大きな骨付き肉のプレートを各テーブルに運ぶ。「ありがとー!」と大きな声でお礼を言われるのが心地よい。ヒーロー科のみんなって、より一層元気だ。
「普通科女子の綿某さん! 状況も相まって天使に見えるわぁ」
「わあ、でんぴくん相当疲れてるね」
「アンタよそのクラスの女子に変な名前で呼ばせんなよ」
 ショートヘアの女の子が上鳴にツッコミ入れつつ、つむじは次々と食事を運ぶ。
「ここで働いてんのか」
 テーブルの奥に行ったとき、焦凍が話しかけてきた。
「ちがうよー! 先生から説明あると思うから私黙っとく。今はお腹いっぱい食べて」
 空いた手でぱしん、と焦凍の背を叩く。きょろりと見回しただけでも、ガタイがいいのがいち、にい――わあ、ヒーロー科はやっぱりゴリラ男子、いるよねえ。眼福、眼福。と思いながら、次の料理をB組にも運ぶ。
 デザートのアイスクリームをパサランを使った早技で配りまくる。いいな、私のとき出なかったのに。おいしそう。垂れそうになる涎を必死に堪える。
 ――みんながお腹いっぱいになって、あったかいお茶orコーヒーで一息ついた頃。イレイザーヘッドとブラドキングの先生がたが、並んでつむじを手招きした。
 つむじは先生がたの横につつつ、と忍び寄り、エプロンを外す。
「見ての通りだが、今回の林間合宿に特別に参加する生徒がいる。自己紹介を」
 ブラドキングの紹介で、つむじは一歩前に出る。
「普通科C組だった、綿某つむじです。今回の合宿で全員と友達になるつもりで来ました! 気軽に話しかけてください。あー、もちろん自己課題もプルスウルトラするつもりです! 先生、ご心配なく! 切磋琢磨したいです! よろしくお願いします!」
 ウオーッ!! と歓声が上がって拍手で迎えられる。ちょっと張り切りすぎたかな、と若干赤い頬が気になりつつ、後ろに一歩下がる。
「綿某の言葉でわかったと思うが、彼女は夏休みが明ければ普通科からヒーロー科へ編入してくる。クラスはまだ決まってないが、彼女だけじゃなく、学科やクラスを垣根を越えて、この場にいる全員が、この合宿を機に交流を深める機会となることを願う。そしてお前たちもいい刺激を貰って、互いに高め合ってくれ。以上! A組から風呂に行けーッ!」
「ねえねえ綿某、私のこと覚えてるー?」
「もちろん! 溶解液の個性の芦戸三奈!」
「私葉隠透ー! つむじちゃんって呼んでもいーい?」
「いーよ!」
 A組女子にもみくちゃにされながら移動する。ピンクの子は体育祭で戦った子。透明人間の子が葉隠透。
「ウチ耳郎響香」
「蛙吹梅雨よ。梅雨ちゃんと呼んで」
「麗日お茶子です!」
「八百万百と申します。みなさんからはヤオモモと」
 そのまま流されるようにA組女子の寝室へと向かう。
「そういえば綿某、お風呂とか寝るのはどーすんの?」
「自由にしていいって。今日はA組と過ごそうかな。あしたB組で」
「やったぁ! いろいろ聞きたいことあんだよねー! いっちゃうよ根掘り葉掘り!」
「掘っちゃうぞー!」
「いいよー! なんでも来ーい!」
 なんか波長が合うかもしれん。この元気っこ2人。

 アメリカには家族だろうと、服の下を見せる文化というのがあまりない。大衆浴場とか家族風呂とかに抵抗がないのは日本人独特の感覚だと思う。そして何を隠そう、つむじが他人と入浴したのは、かつて轟家で暮らしていた頃が最後なのである。
 めちゃくちゃ恥ずかしい。
「なーに言ってんの綿某。私たち友達1日目だけどさあ。テレビ中継で下着姿晒してたじゃん」
「なんかそれとこれとは違うかも・・・・・・!」
「まあまあ、綿某さん。私も恥ずかしいけど、しょうがないさ。B組の人も待ってるしね」
 麗日に励まされながら、裸一貫で浴場に踏み出す。まず体を洗うのよ、と蛙吹に教えてもらいながら、みんなで並んで洗身する。
「綿某、髪スゴッ。アフロみたいになってる」
「髪が多いのね」
「長いもんね、綿某さん」
「個性ゆえ・・・・・・」
 髪が長く多いゆえに、シャンプー中はものすごくボリューミーな泡がたつ。
「梅雨ちゃんも髪長いけど、私と違ってツルツルさらさらでうらやましいな」
「ありがとう。つむじちゃんの髪もステキよ」
「何という包容力!」
 ケロ、と蛙吹が喉を鳴らす。
 体を洗い終えて温泉に浸かる。足滑らせないようにね、と蛙吹が忠告してくれる。
 温かい湯が肩までかかると、ほわ、と気分がほぐれていく。
「きもちい・・・・・・」
「でしょぉー! 温泉ってサイコーだよねぇ」
 とろけるようにつむじが言うと、芦戸や葉隠が賛同する。
「日本人のこころだよ・・・・・・」と麗日。
「そうなんだ!」
「うちにも露天風呂がありますが、やはり本格的だと違いますわね」
「へえ〜! みんなのお家にもこういうお風呂あるの?」
「ヤオモモはお嬢様なんだよぅ。普通の家にはナイナイ」葉隠がお湯をぱちゃぱちゃ波立たせながら否定する。
「そっか。綿某はアメリカにいたんだっけね」と耳郎。
「いろいろ経験豊富なんだって〜? 」と芦戸がいろめき立つ。
「まあヒーロー活動のお手伝いはちょっとしたかな」
「そっちもだけど! 私が聞きたいのはラブとかライクとかそういう話だよう!」
「え」
 そのとき、竹の壁の向こうにざわめきが聞こえてきた。
「あー、男子入ってきたー」と芦戸が残念そうに言った。
「けっこう声近く聞こえるね〜・・・・・・」
「露天風呂ってそういうモンだよね」と耳郎。
「ねー」葉隠が同意する。
 会話できそうなくらい、男子の声がすぐ向こうで聞こえている。出久と焦凍もいるかな。つむじはちょっぴり熱ってきた頬を触る。
「だいじょぶ? のぼせた?」と芦戸。
「温泉に慣れていないのでしたら、長湯は禁物ですわ。綿某さん」
「うん。もう出よっかな・・・・・・っ」
 立ち上がろうとしたとき、くらりと世界が揺れる。「綿某!?」と女の子たちの悲鳴がして、誰かが支えようとしてくれたけれど、バラバラッとパサランが散らばる。
 あっけにとられている八百万の手を借りて、よろよろと体勢を持ち直す。
「ごめん、立ちくらみ。だいじょぶだよ・・・・・・」
「つむちゃん、大丈夫か?!」
「えっ、つむじさん? 轟くんなにが・・・・・・」
 壁のすぐそばから焦凍と、ちょっと遠くに出久の声がした。つむじの異変が聞こえていたんだろう。
「のぼせただけー! 男子心配ご無用ー!」芦戸がすぐに返事した。「今の轟?『つむちゃん』だって?! なになにー? どういうカンケー?!」
「三奈ちゃん今は綿某さん答えられんて・・・・・・」
「ヤオモモ、峰田くんがいるからはやくつむじちゃん引き上げよっ」
「ええ」
 ぬるめのシャワーを全身に浴びてから、脱衣室のベンチに座らせられる。バスタオルでわさわさっと包まれて「ここで涼んでおきなよ!」と芦戸が扇風機をつけていった。
「ありがと・・・・・・」じーんと痛み始めた頭で、かろうじて礼を言う。
 楽しくてつい長湯しちゃったのか。八百万が言っていた通り、温泉に慣れていないうちは早いうちに退散し方がいいんだろう。明日は失敗しないようにしないと。
 数分もしないうちに、全員が脱衣所に入ってきた。
「峰田やっぱりやると思ってた。サイッテー!」
「洸汰さんは大丈夫でしょうか・・・・・・?」
「ね、デクくんが連れてったみたいだけど・・・・・・」
「つむじちゃん、具合はどう?」
 蛙吹がつむじの顔を覗き込む。声からして葉隠も近くにいるんだろう。
「うん。大丈夫だよ。ごめんね、早速みんなに迷惑かけちゃって」
「温泉が初めてならこちらこそ気を遣うべきだったわ、大事にならなくてよかったけれど」
「もう平気だよ。みんなありがと」
 わしゃわしゃと髪にタオルを当てて、ニッとわらう。
「ところで、何かあったの?」



 ああ、そうだったな。微かに脳裏に残る記憶を引っ張り出してみれば、つむちゃんは元来、庭とか廊下とかめちゃくちゃに走り回るやつだった。夕食の時にヒーロー科の生徒たちのためにあちこち走り回るつむちゃんの姿を見て、少し懐かしいような、寂しいような気持ちになった。
 ヒーロー科に入れるかもしれない。
 先月、お母さんの病院に向かうバスの中でそう言われた時は、嬉しさと同時に何故か胸の奥がつきんと痛んだ。つむちゃんがヒーロー科に入る。そうしたら、俺が知っているつむちゃんじゃなくなってしまうのではないかと。
 かつて隣で眠ってくれた小さなつむちゃん。
 遠い海の向こうで数年を過ごしたつむちゃん。
 緑谷と遊園地に行ったつむちゃん。
 俺じゃない誰かに弁当を作ってきたつむちゃん。
 俺の知らないつむちゃん。
 考えてみれば、あの子のことを俺は何も知らない。日本に帰ってきてからのことを考えれば、俺とよりも、緑谷と過ごした時間のほうが圧倒的に長いのだろう。そんなことをひがんでもどうにもならないのだが。自分が幼稚すぎて情けなくなる。緑谷に嫉妬でもしてるってのか。
「とどろきぃ、お前、めっちゃ必死な顔してたぞ〜」
「らしくねェよなァ〜、綿某さんが心配だったんだ〜?」
 両サイドに上鳴と瀬呂が寄ってきて挟まれる。何故ニヤニヤしているのかわからない。視界の端に瀬呂のテープでぐるぐる巻きにされた峰田が吊るされているのが見えた。
「心配するだろ。つむちゃんに何かあったら困る」
「おやおや・・・・・・『つむちゃん』だって? ンー、俺の聞き間違いじゃなかったみたいだなァ〜、轟くん〜」
「前から気になってたんだけどさー、綿某さんとどういう関係?」
 まだくねくねしながら声を上擦らせる上鳴をよそに、瀬呂が肩を組んできてひっそりと聞いた。
「俺とつむちゃんの今の関係は・・・・・・俺が頼めば弁当を作ってきてくれるぐらい、の関係だ」
 まあ、緑谷は遊園地でクレープ半分こするぐらいの関係だから、俺はまだまだだ。と内心で思いつつ。
「彼女?!」と興奮する上鳴。
「そんなんじゃねェ」
「じゃあ好きなん? 轟は綿某さんのこと」瀬呂が耳元でコソッと聞いた。
「もちろんだ」
「きゃっきゃっ、イイコト聞いちゃった!」
「声でけぇよ上鳴。女子に聞こえちまうぞ」



「だからさぁ、轟のことちょっとでもカッコよく見えちゃったりとかさ! あるでしょ!」
「全然ない。表情ないくせに変てこりんだし」
 この問答を何回繰り返しただろうか。色めき立った芦戸が形を変えて何度もつむじに尋ねる。布団を隣に陣取られ、肩がくっつくくらいの距離に桃肌の体温を感じる。
「幼馴染なの。今思えば小さい頃は可愛かったけどさ。弟みたいなモノだよ」
「そこまで徹底的に否定されると轟がカワイソーに思えてくんね・・・・・・」耳郎が枕に顔を埋めながら頬を引き攣らせた。
「クラス屈指のイケメンボーイなのにね・・・・・・!」と葉隠。
「轟はずぇーったい綿某のこと好きだと思うけどなー! 晩ごはんの時ずっと目で追ってたもん! 私見てたんだよねー!」
 してやったりと芦戸がニヤリ笑いを浮かべる。つむじは「あー」と軽く頷いた。
「焦くんって好きとかそういうのわかってないんじゃないかな。ニブチンぽいじゃん」
「なんかわかるッ」麗日が噴き出す。
「じゃあさじゃあさ、緑谷とはどうなの? 名前で呼び合ってさぁ、仲良さそうに話してたじゃんっ!」
 芦戸が攻めの方向性を変えた。
「出久はね、どっちかっていうと恩人かな。日本に来て初めてできた友達だったんだ。筋トレ仲間でヒーロー志望仲間で志望校まで一緒でね。意気投合したの」
「それでそれでー?!」
「うん、それだけだよ」
「なんでよー!!」芦戸が悔しそうに両手で枕を叩く。
「ごめんね。面白い話できなくて」
「いえ、綿某さんの話はとても興味深いですわ。その、緑谷さんと筋トレ仲間というのは?」
「そのまんまだよ。良いトレーニングがあったら共有したりして」
「いえ、その・・・・・・失礼ですが、綿某さん自身があまりトレーニングをなさっているようには見えなくて」
「うぐっ」
 腹の奥まで深々とヤオヨロアローが突き刺さる。葉隠が見えない指先でつむじのまるだしの腕をツンツンと突いた。
「ほんとだあ。マシュマロみたーい」
「マジ? 触らしてー。ほんとだふわふわー! NITORIのホテル枕みたーい!」
「うっ、おやめください・・・・・・私ゴリラになりたいの・・・・・・」
「なんでゴリラ!? 綿某変わってんね!」寝転んでいた耳郎が起き上がる。
「圧倒的ムキムキヒーローを目指してるの! スターアンドストライプのような!」
「あっ、スマホについてるマスコット! 見たことあると思ったー。スターアンドストライプなんやね」
 麗日が指差した。枕元に置いていたスマホのそばに、小さな黄色いシルエットが横たわっている。
「アトランタ(向こう)にいた時からトレーニングしてるけど、筋肉つかないんだよね。食事変えても運動強度上げてもさ。個性の影響かなって最近は思ってるけど」
「つむじちゃん今のままでも強いよ。常闇くん伸してたじゃん!」しょんぼりしたつむじを、葉隠がフォローしてくれる。
「確かに」蛙吹がケロッと賛同する。「常闇ちゃんも黒影(ダークシャドウ)ちゃんも強いのに、手数で圧倒してたわよね。体育祭」
「あれは悔しかったなあ」
「でもすごかったよー。試合には負けちゃったけど『綿某つむじが来たぁ!』って感じがしたなあ」
「麗日、なにそれ」耳郎が笑う。
「でもわかるかも」葉隠が賛同する。
「綿某さんが普通科だったからこそ、注目を集めたのだと思いますわ」
「やっぱズルいよね綿某ー」
「そんなことないよ。私みんなより出遅れてるもん」
 みんなを見回して、ニコッと笑う。
「だからこそ、どんなか細いチャンスでも掴んでやるって気持ち!」
「よっしゃ明日から頑張ろうー!」
「おー!」
 葉隠の声にみんなが応える。やる気いっぱいの仲間に囲まれるって、こんなに胸が熱くなるんだな。
「あ、男子部屋見に行くの忘れてた!」
「芦戸さん。あと30分で消灯時間ですのに」
「カタイこと言わないでよヤオモモー。時間には戻るからさ!」
「私も行くー。つむじちゃんは?」
「私も! 男子に挨拶したい」



「やっほー男子。部屋見せて〜」
 扉の向こうから芦戸さんの声がする。「おー来たか!」と上鳴くんがドアを開ける。
「綿某さんも来たんだ!」
「うん。さっきブドウ系男子と話の途中だったから」
「ブドウ系って峰田くんのこと?」
「やめとき綿某! あいつ性欲の権化だよ!」
「セイヨクノゴンゲ?」
 芦戸さん、葉隠さん、そしてつむじさんが大部屋に入ってくる。「おおー、広いね!」「雑魚寝いいねー! 合宿っぽー!」と葉隠さん芦戸さんが見回しているのを横に、つむじさんと目があう。ひらひらっとこちらに手を振るしぐさに胸がきゅっとする。
「つむじさん、さっきは大丈夫だったの? お風呂で・・・・・・」
「あぁうん! のぼせちゃっただけ。温泉って初めてだったから」
「そっか! なんともないならよかったよ」
 僕とつむじさんの間に、ヌッ! と人影が現れる。峰田くんだ。
「綿某ぃー・・・・・・オイラと話したかったんだって? オイラわかってたぜ。あんたはそこらの女子と一味違うってな」
「ブドウ系男子! 名前聞いてなかったね。教えて?」
「峰田実だ。好きに呼んでいいぜ。ダーリンでもハニーでもな」
「付き合ってもないのにハニーはちょっとなぁ〜」
「そんなことよりよぉ、そんな露出の多いキャミソールにィ? ショーパンなんか履いちゃってよォ! もしかして綿某って・・・・・・」峰田くんがグッと声量を抑える。でも僕には聞こえたぞ。「俺と同じくらいスケベなのか・・・・・・?」
「? 個性の関係で布面積少ないほうが事故らないんだよね」
「綿某つむじをデザインしてくれた女神に感謝だぜ!」
 峰田くんとつむじさんの会話をハラハラしながら見守る。大丈夫か、つむじさん。峰田くんとの距離感それで大丈夫か?
「俺瀬呂な。よろしく綿某さん」
「よろしくー!」
「俺ぁ切島! あっちで寝てんのが爆豪な。まあ無理に仲良くする必要ないぞー。話してみりゃわかると思うけど」
「うん、明日話してみる!」
「俺はA組クラス委員長の飯田天哉だ! 綿某くん、君の自己紹介には心を打たれたよ! 共に切磋琢磨しよう!」
「うん! がんばろう!」
 思わず口があんぐり開くほどに、つむじさんはすごい。あっという間にみんなと打ち解けている。ひと通りここの場にいる男子と挨拶を交わして、芦戸さんの「そんじゃおやすみー!」という声とともに女子3人は退室していった。
 壁際でやけに静かにしている轟くんが気になった。「枕投げしよーぜ!」「あと5分で消灯時間だ!」と言い合っている喧騒をよそに、すすす、と忍び寄る。
「轟くん。つむじさんと話さなくてよかったの?」
「・・・・・・つむちゃんは全員と友達になりたいから男子部屋来たんだろ。俺とはもう親しいから話す必要ないだろ」
「それもそうだね・・・・・!」
 なんていうか、轟くんは堅物そうに見えて思考は案外柔軟で、それでいて天然だ。それはもう天然記念物といった感じだ。それに体育祭で僕に向けていたような表情はすっかり抜け落ちて、柔らかい雰囲気を纏うようになったと思う。だけど職場体験前、僕につむじさんのことを聞いてきた時の轟くんは、ちょっとだけ頼りなさげに見えたのだ。なんというか、お気に入りのおもちゃを取り上げられた子犬のような。
「それに、思ってたより大丈夫だった」
「うん?」
 轟くんの言葉の意味をはかりかねて、首を傾げる。
「つむちゃんが他のやつらと親しくなったら、自分がどんな気持ちになるのか心配してたんだが・・・・・・思ってたよりなんてことはなかったな。つむちゃんって、誰にでもニコニコ笑ってて、いつも元気だろ。変わらないなって、そう思って、安心したんだ」
 それって無自覚な独占欲っていうんじゃないだろうか、轟くん。僕がひとすじ汗をタラリとかいていると、轟くんがこっちをみた。
「つむちゃんが泣いたり怒ったりするのは、俺の前だけでいい」
 そう微笑む轟くんの表情の、なんと甘ったるいことか。声を失って、「おお・・・・・・」と引き攣った鳴き声を上げるだけの僕のもとに、飯田くんが「就寝!」と駆けてきて、慌てて布団に潜ることになった。
 つむじさんって、泣いたり怒ったりするんだ。想像できないや。



 翌日、早朝。「個性を伸ばす」と言ってイレイザーヘッドは生徒たちをプッシーキャッツの面々に預けていく。なるほど。個性そのものの底上げか。敷地内や授業での個性使用を許可されているヒーロー科ならではのトレーニングだ。
「さて、綿某。お前のプランだが・・・・・・」
「先生! 私、自己課題があるって言いましたよね! それでもいいですか!」
「・・・・・・先生の言葉を遮るのはいただけないが、言ってみろ」
 こほん、と咳払いして、胸を張る。
「私の個性『ケセランパサラン』って、思いつくことだいたいなんでもできちゃうんですよ。広範囲の捜索。分身。浮遊。めくらまし。体毛を消費しますんで上限はありますけど、これといった反動もありません。スピードも、それ系の個性と比べたらそりゃ劣りますけど、人よりは速いです。私、個性由来で体重軽いんで」
「なんだ、自慢か?」
「最後まで聞いてください! で、唯一課題があるとしたら、近接戦闘なんです」
 つむじはぎゅっと自分の拳を握りしめた。
「私、以前先生たちが相手してくださったときも、期末の実技試験でも、思い知ったんです。タイマンになったら弱い。手数があっても、決定力がない。だから搦め手の手段が欲しい」
「つまり?」
「回避と攻撃を同時にできるようにしたいんです」

 結果からいえば、つむじの提案は却下された。「そりゃ学校の演習でできる内容だな」と。今しかできないトレーニングということで、つむじはひたすらたくさんのパサランを遠く遠くへ飛ばしている。この広大なプッシーキャッツ私有地。こんな広い場所での個性使用なんてめったにできるものではない。市街地で行えばテロ活動か何かかと勘違いされて通報される。それもそうだ。
 つむじが遠くに飛ばしたパサランの場所がわかるのはおおよそ5km向こう、徒歩1時間圏内くらいのものだ。その付近でパサランを集めて、ミニチュアつむじの分身を形成する。すると、つむじと視覚と聴覚を共有する。見つけたピクシーボブ作のオブジェクトを当てて、ラグドールと答え合わせすれば範囲を広げる。ひたすらこの繰り返しだ。距離が延びれば当然範囲も広がるわけで。体毛もどんどこ減っていくわけで。

「ウッソー! 綿某、その髪どったの?!」
 夕方、くたくたになって集まった宿泊施設前。個性使用ですっかり短くなったつむじの髪を、芦戸が指差して大声を出した。
「私の個性『毛』由来なの! 個性ぶっぱするとこうなるんだよね。髪まで使ったの久しぶりで・・・・・・」
「じゃあ伸びるまで待たないと個性は使えないってことなのかな?」
 出久が興味津々に声をかけてきた。
「ううん。ケアして寝たら明日には戻ってるよー」
「すごい回復力だ・・・・・・!」
「へへ。『特別仕様』ですから?」
「・・・・・・オイ聞こえたぜ。毛由来だって? つまり綿某は今パ――」
「峰田。俺のテープもう出涸らしなんだわ・・・・・・ちっとは大人しくして・・・・・・」

 全身の筋肉がブッチブチだけど自分たちの夕飯は自分たちでお作りくださいということで。A組に混じってカレーに入れる野菜類の下拵えをしていく。
 皮を剥いて白い肌を出した玉ねぎを山積みにしていく。
「つむじさん。じゃがいも剥き終わったやつ、ここに置いてていいかな」
「ありがと、出久! ね、にんじん切ってくれない?」
「え、でも、まだ皮剥いてないよ?」
「にんじんは皮剥かなくてよいのです!」
「そうなんだ、知らなかった・・・・・・!」
 出久はあまり包丁を持ったことがないんだろう。つたないしぐさで右手をうろつかせている。
「えーと、適当に・・・・・・日本語ではなんて言うのかな・・・・・・回しながら斜めに切ってくの」
「こうかな?」
「そうそう」
「乱切りってやつだ」
 つむじも玉ねぎのカットに着手する。大雑把に放射状に包丁を入れる。
「めっちゃ染みる!」
「わ、僕が玉ねぎ切ればよかったね」
「ううん。おいしい玉ねぎの匂いがするよー」
 とどろき火ィちょうだい、バクゴー爆発で火つけれね? と背後で楽しい喧騒が聞こえる。たのしいな。
「出久に話したいことがあったんだった」
「何?」
 出久のやさしい声が返ってくる。
「私、無神経なこと言っちゃったかなって」
 つむじは出久の個性のこと、詳しく知らない。体育祭で見たのは、自分を壊しながら戦う出久の姿だ。
「出久は自分の個性を使うだけで傷ついていくのに、私は怪我したことないなんて言っちゃってさ。よりにもよって出久にそんなこと話して、すごく考えなしだったなって」
「あ、いやあの、つむじさん。違うよ。僕まだ個性ベタ踏み状態で、あの、でも今は怪我しないで扱えるようになったから! だから気にしないで!」
 トン、と包丁が着地する音がして、出久の手が止まる。
「つむじさんに、僕も話したいって、思ってたんだけど・・・・・・なかなか機会がなくて。実は僕、つい最近個性がわかって・・・・・・ずっと無個性状態だったんだ」
「・・・・・・」
 きょとんとして見上げていると、だらだらと出久が汗をかく。
「なななんかその医学的にはありえない話じゃないみたいで」
「だからあんな無茶なトレーニングしてたんだ。ごみ掃除。個性がわかったから急ピッチで仕上げてたんだ」
「へッ、あ、アそう! そうなんだよ」
「あははっ」
 つむじが笑うと、今度は出久がきょとんとした。
「おもしろい人生を送ってるんだね、出久。はらんばんじょーだ」
 止まっていた手を再び動かす。トントン、と心地よい音が隣からも聞こえる。
「きっとギフトなんだね。出久がヒーローになるための」
 つむじがそう言うと、出久の手が再び止まった。
「誰かを救う運命にあるのかもね」
「それは」出久の声がわずかにふるえていた。「いつかそうなりたいって、僕も思ってるよ。誰かのヒーローに」
 真面目な顔した出久に、つむじは微笑んだ。
「知ってる? 運命は螺旋状にいくつも重なってるって話だよ。ちょっとでもズレたら、別の軌道にずれて、運命の終着点は変化するって」
「バタフライエフェクトってやつ・・・・・・?」
「そ!」
 玉ねぎのボウルがいっぱいになって、出久が運んできたじゃがいもに着手する。
「今日の一分一秒だって、無駄じゃないってことさ。出久これ、芽が残ってるよ」
「え? うわっ! ほんとだごめん!」
「バタフライエフェクト発生ー。雄英高校林間合宿、食中毒事件回避!」
 わたわたする出久に、ニッと笑顔をつくる。
「未来のプロヒーローさん。いつか今日の私に感謝してね」
 おどけてそう言うと、出久は「もちろんだよ!」と笑った。



 合宿も折り返しの3日目に差し掛かった。期末で赤点を取ったらしい補習組が寝不足でふらつく様子に喝を入れながら、イレイザーヘッドが全体を見回す。
「気を抜くなよ。皆もダラダラやるな。何をするにも常に原点を意識しとけ。向上ってのはそういうもんだ。何の為に汗かいて何の為にこうしてグチグチ言われるか、常に頭に置いておけ」
 原点(オリジン)か。
 つむじのヒーロー観の原初にあるのは、やっぱり燈矢の姿だった。父より強くなると言って家を飛び出す燈矢の後ろを、短い足で一生懸命に追いかけていた日々を思い出す。
 だって、必死になって表情を歪めている燈矢の姿は、つむじにはキラキラしているように見えたから。
 燈矢も、さいしょのうちは困っていた。「女の子は家の中で遊べよ!」とつむじを追い返していた。つむじが走るとパサランがほよんほよんと落ちて足跡がバレバレなので「親父にバレちまうだろ!」と、いつしか家を出る時から燈矢がおんぶしてくれるようになった。「つむちゃん、全然重くないな。女の子だからかな。夏くんが5歳の時はメチャクチャ重かったぞ」そんなことを話して。
「綿某、集中しろー」
「かつてないほど集中してますっ!」
 つむじの原点にいたはずのその人は、もういない。それでもつむじがヒーローを夢見ることをやめないのは、それがもう自分自身のものになってしまっているからだ。
 アトランタで、いろんなヒーローに出会って、彼らに助けられた。家族や友人と同じくらい犯罪が身近にあるあの土地で、ひだまりの下を歩く人間と、汚れた路地裏に暮らす人間。つむじがナイフを持った大人に誘拐された時、落としてきたパサランを辿って助けに来てくれた、スターアンドストライプ。「あなたみたいなヒーローになりたい!」と言ったときの、まばゆい笑顔。
 私もあなたみたいに、燈矢兄みたいに。誰かに夢や希望を与えられるひとになりたい。
「・・・・・・?」
「フワフワキティ、どうしたにゃん?」
 ラグドールがつむじの異変に気づいて声をかけてきた。
「や・・・・・・南南東に飛ばしたパサランが消えちゃって」
「感知範囲を出ちゃったにゃん?」
「そうじゃないと思いますけど・・・・・・野鳥か何かに食べられちゃったかな。もっかい飛ばします!」

 今、思えば。
 あの小さな違和感を、未熟な自分の思い違いなんかで済ませなきゃよかったんだ。
 
 夕食の後。クラス対抗肝試しを行うということで、寝食を共にしたB組と一緒になって森の中に隠れる。
「よっしゃA組全員の腰抜かしたる! やったろー回原、凡戸!」
「おおー」
「お前そういうタイプね。鉄哲と似たタイプ」
 等身大のパサラン分身に、凡戸の接着剤をべたべたと纏わせる。ボロボロと崩れるつむじと、どろりと溶けたような表面。
「これ歩いてるだけで結構怖えぞ」
 回原がゴクリと唾をのんだ。確かに、薄暗い木々のあいだからコレが出てきたら失禁するかもしれん。そのレベルの出来だ。
「もし反応弱かったら、予定通り破裂させるね!」
「いや怖えって」
 一番手の障子&常闇ペアから始まり、二番手の爆豪&焦凍のペアすらあまり驚いてくれなくて、結局2回とも爆散させるはめになってしまった。
「『助けて〜』とか言わせたほうがいいんじゃないか? 轟のやつにゃ、めちゃくちゃ偽物だってバレてたぞ」
 回原が言う。たしかに焦凍は「よくできてるな」と近づいてパラサン分身をしげしげと見つめていた。
「でもあの悲鳴聞いてみ! 次はうまくいくって!」
 森の木々のあいまから、甲高い悲鳴が聞こえてくる。耳郎と葉隠っぽいな。
「なんか焦げ臭くないか?」
「え、うーん。言われてみればタシカニ」
 回原に言われて、つむじが鼻をつまむ。何だろう。キャンプファイヤーでも炊いてるのかな。
「へへっ、もうすぐ来るぞ・・・・・・綿某、スタンバ・・・・・・」
 向かいの木の影に隠れていた凡戸の頭が、ぐらりと揺れた。
「凡戸! どうした?」
 駆け寄ろうとした回原が、獣道のど真ん中でばたりと倒れる。
「え・・・・・・」
 ネルシャツの袖で口と鼻を覆う。煙のような霧のような気体が漂っているのが、目にも見えるほどみるみるうちに濃くなっていく。
 なに、これは。A組もB組もプロたちにも、こんな個性の人はいない。つまりは。
 部外者が入り込んだ。
「Shit(クソ)・・・・・・ッ」
 パサランを凡戸、回原の下に滑り込ませる。ぼこぼこと山なりに、雲のように形を成したパサランたちが、二人を持ち上げる。そして音もなくモコモコとうごめきながら、移動する。そっと、慎重に二人をここから離脱させる。もしかしたら他にも倒れている生徒がいるかもしれないけれど、まずは自分の身の安全を確保するのが優先だ。どこからこの霧が発生しているのかわからない以上、息もつけない状態で森をさまようことはできない。
 つむじ自身もパサラン雲に乗り、上空へと慎重に浮かび上がる。木々の梢のあたりまで来ると、完全に視界が晴れる。つむじはゆっくり息を吸う――大丈夫だ。
「何が起きてるの・・・・・・」
 ぐるり、と振り返ったとき。つむじは目を疑った。東側、小高い崖のほんの手前のあたりで、木々が燃えている。
 何で。
「なんで。あおい、炎・・・・・・」
 蒼炎が、森を侵している。ドクドクと心臓が胸を叩く。頭がガンガンと痛む。あおくて。あのあおい、炎は。
 かぶりを振る。炎系の個性をもつ敵(ヴィラン)だろう。それも高温度を放つ。危険だ。炎は純度によって色が変わると、ミドルスクールで習った事がある。関係ない。燈矢は関係ないのだ。
 とにかく、凡戸と回原の二人を安全な場所まで運ばないと。あの霧。上空には届いていないということは、空気よりも重い気体、おそらくガスだ。それも催眠作用がある。上空が安全とは限らない。つむじは頭を低くしながら、敵(ヴィラン)に悟られないよう木の葉の間にパサランを、全方位に飛ばして状況を探る。
 ガスの濃い位置は特定した。しかしガスの中は視界が遮られて、倒れた生徒を探すのは困難だ。あの炎から遠ざかるように動けば、ガスからも逃げられる。でも他の敵(ヴィラン)がいるかもしれない。敵の位置も人数もわからない。どうする。どうする。
《皆(みんな)!!》
 ビク、と肩が揺れる。マンダレイの「テレパス」だ。頭の中に流れ込んでくる声に意識を集中する。
《敵(ヴィラン)2名襲来! 他にも複数いる可能性アリ! 動ける者は直ちに施設へ! 会敵しても決して交戦せず撤退を!!》
 やっぱり、敵(ヴィラン)は複数いる。マンダレイが交戦している2名と、炎の個性、ガスの個性。少なくとも4人以上。
 つむじたちが立つルートの少し後ろに、中間地点のラグドールがいたはずだ。そちらに合流するか、まっすぐ施設を目指すか。いや、敵(ヴィラン)がどこにいるのかもわからないのに、動けない二人を抱えては安直には移動できない。それに、ラグドールも交戦しているとしたら邪魔になってしまう。
 パサランで周囲を探りながら、ガスから離れる。これしかない。地上の二人もパサラン担架(フラッフタクシー)では速くは移動できない。
 そして、ひとかたまりのパサランを、施設方向へとまっすぐに飛ばす。鳥の形を模していれば、少しはバレにくいだろう。マンダレイのテレパスには、ガスと火事の情報が無かった。残りのプロはスタート地点の広場に残っていたはず。火事は見えるかもしれないけれど、ガスの被害は知らない可能性が高い。プロの誰かに、先生たちに、状況を伝えないと。
「そりゃいただけないな、ヒーロー候補生」
 全力で飛び退いたけれど、間に合わなかった。思いっきり地面に転がる。下半身を奪われた(・・・・)。
 やられた。焦って、背後の索敵が疎かになっていた。
「これはこれは、まるで解体マジックショーだ。真っ二つになっても、血の一滴も出ないとは!」
 仮面の男が、おどけた口調で高らかに言う。上体だけの身で、無様に地面に転がったまま、つむじはなんとか腕をつく。つながりを失ったケセランが、ふわふわとあたりに舞う。
「・・・・・・殺しが目的?」
「君がビックリ人間じゃなければ、そうなっていたところだったねェ」
 コン、と男の持つステッキが、つむじの鼻先で地面を叩く。まだ施設に向かわせたパサランは辿り着いていない。速さのない自身の個性をもどかしく思う。回原と凡戸はガスの範囲からは逃げられたけれど、まだ茂みの中だ。この男に見つからなければいいけれど。
 この男、おそらく、「空間ごと切り取る」個性だ。
「悪いけれど、『超再生』の娘さん。キミをいただくよ」







 暗い。それに、息苦しい。
 水槽のような四角い箱の中に押し込まれているみたいだ。上半身だけの惨めな体のまま、体勢はなんかこう、ひっくり返っているような。
「やあ、お目覚めかい」
 全身が逆立つような、ぞっとするような声がした。耳を澄ますと、分厚い壁の向こうで、機械的な呼吸音と、低い笑い声が聞こえた。つむじを襲ったあの仮面の男とは、まるで雰囲気が違う。
「君とはすこし、話をしたくてね。綿某つむじ。特別にこっちに招待したんだ」
 きょろ、と暗闇に視線を走らせながら、つむじはなんとか声を出した。
「あなたは誰?」
「誰だっていいだろう。じきに君には関係なくなる」
 その声は心底楽しそうなのだけれど、なぜか全身が冷たくなるような心地がしてしまう。
「再名生(さいみょう)まどかを知っているかい」
「さあ。昔のアイドルか何か?」
「非道いなあ。









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