ヒネクレオートフォーカス


またアイドルか。顔合わせの彼の自己紹介で、私はこっそりとため息をつく。Re:valeやTRIGGERなど例外も中にはいるけれど、アイドルって顔ありきじゃない。顔があそこまで整っていなかったら絶対起用できないような、そんな感じ。

でも今回上がキャスティングしたのは今話題になっているらしい若手のアイドル。話を聞くとデビューもしていないらしい。
彼らの名前も知らないほど興味のない、それに彼らをきちんと見たこともない私が言うのも何だけど、目も当てられないような演技をするんだろう。でもって、それでも話題の彼らを良く使いたいがためにあんまり強く言えなかったり。

あーやだやだ。
長い下積みを経てようやくなれたテレビカメラマンの仕事は重労働だ。無駄に筋肉もついちゃうからあんまり女の子っぽくはなれないし、そもそもロケの日は早起きして終電で帰るおかげで恋愛とかもやってる暇なんてない。
それでもやりがいを感じてきたから続けている仕事に、ここまでやる気が湧かないのは初めてだ。
まあ2時間ドラマだ。連ドラに比べれば、と思い私は自分を無理矢理奮い立たせることにした。


打ち合わせどおりに機材の調整をしている間の少しの空き時間に私は飲み物を買いに出させられた。
先輩の分のミネラルウォーターも何本か確保して腕に抱えて長い廊下を歩く。いつも運ぶ機材に比べればどうということはない重たさだったが、今日は一本腕の中から勢いよくつるりと滑って転がってしまう。……なぜか。答えは簡単で、これは結露の仕業だ。
私はため息をついてからころころと転がっていくペットボトルを追いかける。ちょうど曲がり角に差し掛かったところでペットボトルは失速したけれど、タイミング良くというかむしろ悪く、誰かの足が前に踏み出されたところで。

あ、どちらも声を出す暇もなく、その長い足は私のミネラルウォーターを綺麗に蹴っ飛ばす。また勢いよく動きだしたその容器のキャップが鈍く、どこか気持ちの良い音を立てて壁にぶつかって止まった。……なんか、いろいろ漫画みたいだ。タイミングとか、絵面、音など何もかも。
その足の持ち主と目を合わせる。あ、吹き出しちゃいそう。そう思った瞬間、二人同時にけらけらと笑いだししまった。


「待ってすみません、っ、蹴っちまって、ほんと」


そう謝られるが正直耳に入ってこなかった。なんとかこちらこそ、と笑い声の合間に返すといやいや、と返ってくる。


「俺が悪いんですから。買い直しに行きましょ、ね」


これは流石に、そこまでしてもらう道理はないだろう。容器を踏まれたことを気にするのって、お金持ちのお坊っちゃんじゃああるまいし。
やんわり講義しようとしてそこでまともに初めて彼の顔を見る。

……嘘でしょ。
きっとその気持ちは隠せず顔に出てしまっていただろう。間違えようもない、ちょっと緑がかった暗い色の髪の毛にメガネと三白眼……二階堂大和。
そう、ここ最近の私の憂鬱の元凶だ。


「いえ、結構ですので」


急に態度を変えた私を見て、彼は少し目を見開く。そうするとアイドルってすごいねと思わず手を叩きたくなるような大人びていて整った顔が少し幼く見えた。
しかしすぐに気を取り直したのか、彼は人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。


「いやいや、流石に人様に自分が踏んだ飲み物飲ませられませんって」


いくら睨んで突っぱねてみても、意見をかえようとはしてくれない。それどころか、ちょっと胡散臭いけれどちらりと優しさが垣間見える口調に踏み出しかけた足を躊躇わさせる私がいた。


「で、でも、」

「ね? 年下の俺に花をもたせるの、お願いしますよ」


必死の抵抗が、でも、なんておかしい。どこのコミュ障だ。

さらに、続けられた言葉の言い方があざとい。私のような相手にもどう接したらいいのかわかっている、と言った感じだ。
何も言えなくなる私に追い討ちをかけるように、目の前の男はにやりと笑うと____


そこから何が起きて、結局私がどうしたのかは口をつぐませてもらおう。
ただ一言言わせてもらえるのであれば、……アイドルって、ずるいなあ、とだけ!




「先輩、戻りました……」

「なんでそんな萎えてんだ? とりあえずおつかれー」


そう言った先輩にミネラルウォーターを渡すなり、先輩は短くお礼を言ってから二階堂大和すげぇらしいぞ、と続けた。


「なんか台本読んでたときとかでも迫力あったらしい。豹変っぷりがやべえ憑依型って噂」


さっきの彼の表情を思い出して、そっけなく返事をする。
アイドルだからという色眼鏡で見てるだけかもしれないけど、それでもあまり認めたい気持ちが起きなかった。


「……反応薄いな」

「……相次ぐ棒演技で若干新人アイドルがトラウマですから」

「今回は流石に……ま、機材の調整終わったらちらっと雰囲気掴むために見てくか」


文句を垂れる私を無視して彼はというと二階堂大和をゴリ押ししてくる。

そしてとうとうかけられたその言葉は文字だけを拾えば提案だが、断らせない圧力が先輩の言葉の端にあることに気がつき、私はわかりましたよ、といやいや口にした。


先輩がうまいこと掛け合ってくれ、見学をしにやってきた現場。今は大道具なしのリハーサルをやっているようで、扉をこっそりと開くとその隙間から彼の声はこちらまで響いてきた。
大きく、迫力たっぷりに。

彼の姿にいつまでも魅入っていると、後ろから先輩に小突かれて慌てて中にこっそりと入る。先輩を見上げると、にやにやとこちらを見て笑っていた。

その身振り手振りから、キャラクターの感情が滲み出ていて、その登場人物が本当に生きているんだと思った。完成度が高いとか、そういう次元の話じゃない。そのままそっくり小説の中から引っ張り出してきたような……

もっともっと、できればずっと見ていたい、いつの間にかそう思っていた。
でもその欲を断ち切り、私はまたこっそりとその場を抜け出す。挨拶はむしろ邪魔だからしなくていいと先輩が言っていたので、入るときよりもさらに足音に気を遣って外に出た。


「お前さ、ちょろすぎだろ」


緊迫した空気が充満していた空間から出るなり、笑う彼にうつむきながら伝えた。
彼の演技は、実に爽快に私の傲慢を叩き折ったのだった。


「……なんか、私、天狗になってた気がします」

「団子鼻の癖に?」


茶々を入れられ無言で二の腕をつねるけど、彼には摘めるほどの肉はなかった。
当然だ。この人は、私より遥かに早くからこの会社にずっと貢献してきたのだ、いつでも大きな重たいカメラを担いで。

……私は、どうだろう。まだまだ新人で、センスも磨かなくてはいけないのに、それを怠り人を見下し文句だけうだうだと言い続けていた。
今思うとかなり恥ずかしいことをしていたんだ。いまさら羞恥心がとめどなく湧いて、私は顔を両手で覆い隠す。


「目から鱗でした。私、今回のドラマの撮影までに、頑張りますから」


何を、なんてまだ未熟な私にはわからないけれど。それでもこのままじゃいけない、何か行動を起こしたい、その一心での言葉だった。ちらりと先輩をうかがう。すると先輩は、白い歯を見せて牛丼でも奢ってやろうか、と軽い調子で笑ってくれた。
牛丼いりません、と思わず即答してしまってから、私は大急ぎで口を噤む。予想済みだとでも言うように先輩は口角を上げて手を振って去っていった。


建物内に残ってセンスがあるとされているカメラが上手な人の撮った動画をいろいろと見てみる。
その映像の中で何を上手いと思うのか、自分がどこを好きだと感じたのか。それは参考にできるのか。そんなふうにずっと分析を続けていればかなりの時間が経っており。
ああ、こんなに勉強をしっかりしたのは久しぶりだ。また一つ反省する。

ミネラルウォーターを飲み干すけれど、なんとなくペットボトルを捨てられず、そのまま鞄の中に詰める。そしてエレベーターホールまで歩いてボタンを押して降りてくるのを待つこと数十秒。

扉が開き、乗り込んで一階のボタンを押そうとするとすでに点灯していた。驚くがエレベーターの中にもう一つ気配があったことに気がついて、私は勢いよく顔を上げた。


「あ、ペットボトルの。お疲れ様です」


黒縁メガネの奥の、グリーンの猫目がこちらを覗いていた。
私は思わず息を呑む。……いや、でも何か返事をしないと。

お疲れ様です、ペットボトルの件は申し訳ありませんでした、リハ少し見学いたしましたがとても感動しました。

……言おうと思っていたことは全部頭の中からすっぽ抜けて、結局出てきたのはこんな言葉だった。


「……あの、ありがとうございます」


理解不能、支離滅裂な発言。
それでも、今日、あなたの演技に深く感銘を受けたのだということを伝えたかった。
だけど、だめだ。こんなに話すこととは緊張することだったっけ。舌がもつれて、こんな短文でも噛みそうになるなんて私は知らない。


「いえ、もうあの水のことは気にしないでほしいですかね。一階でいいすか」


廊下で合ったときよりも随分淡白なその問にこくりとうなずいて返す。
憑依型の俳優には、役を引きずるという人もいるけれど、彼もそうなのかなと勝手に想像した。だって似てる、先程リハで見た彼の表情と。そのアーモンドの形をした目の奥の何かがまだ抜けきっていなくて、心を鷲掴みにした彼の演技を思い出した。
ぶるりと鳥肌のたった腕をこっそりと擦る。

そうこうしているうちに真意は伝わらないまま、エレベーターは一階に到着してしまった。
……でも、それでもいいや。今度、撮影のとき、私の態度でそれをどうにかして伝えよう。開くボタンを押して、彼を先に外に出るように促せば、軽く会釈をしてからこの空間から出ていく。

その後ろ姿をみて、ハッとした私は両方の親指と人差し指を使ってファインダーを作ってみると、指の中に写り込んだのは、エントランスの鉢植えと、ガラスの自動ドア、間接照明。

たくさんの被写体があったけれど、自然にピントが合ったのは、もちろん二階堂大和で。

……切り取って心の中に収めたその景色は、光の加減から色やその他のバランスなど文句なしに私好みのもので。

あ、何だか大丈夫そう。今は、素直にそう思えた。
これなら次の撮影で、彼の最高の姿を届けることができそうだ、なんて少しだけ自信が湧いて出てくる。
何かを掴んだ。その何かはわからないけど、絶対に悪いものではないはず。

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