お呼びでないアルファベット!



その日のSTは、銀八先生がこんな具合に切り出して始まった。
いつも通りの声色だけど私たちは自然と耳を澄ます。

……今度はこの適当な教師、何を言い出すのだろう。

銀八先生が唐突に何かを言い出す時、私たち3Zはかなりの確率で面倒ごとに巻き込まれている。
急に放課後野球部の練習をさせられたり、先生の給料のためだけに勉強会を開かさせられたり。

とにかく、前科持ちの銀八先生の言葉にかなり呆れている生徒もいたと思う。もちろん、私もそのうちの一人だ。

それでも私たちは黙って先生がぼんやり喋り出すのを眺めていた。



「えー、高杉の分のクラスTシャツがなんかの手違いかMサイズしか残ってねー」



あくまでだるそうな声で続ける、教壇の上のあの人。そして朝特有の、先生にも勝るほどの空気で眺める私達。

えっ、それだけ? ちょっと拍子抜け。近藤くんが騒いでいるけれど、周りの私たちは無視を決め込む。



「ま、なんつーか、一応金払って貰ってるやつだから、しっかりしといた方がいいんじゃね? みたいな感じだとさ

ってなわけで、女子ィ、Tシャツのサイズチェック頼んだぞー」



なんつー適当さだ。
……全く、自分で配ったんだからちゃんとしといてよ。いろいろ突っ込みどころはありすぎるのだけど、まあどうせ私じゃないだろうし、関係ないよね。

僕もMサイズです、という泣きそうな新八くんの声と、私は永遠のMよ銀八先生! 先生私のサイズチェックをしてください! とかいう誰かの声を何事も無かったかのように無視して、銀八先生はふらふらと出ていってしまった。
……新八くん、別にLでも大丈夫そうなのに。敢えてもう1人には触れない。

微妙な雰囲気漂う教室に、STの終わりの合図のチャイムが響く。私は少々重たい腰を上げて準備をすべくロッカーへと足を進める。

今日は、げっ、一限目から苦手な古典だ、まじめにやらないと着いていけない。
文化祭シーズンとはいえ、銀高祭が全て終わってしまえばまたテスト週間が始まる。
3年生として、そこは真面目にやらなければ進路が危ういだろう。

私は最後に1度、高杉くんの空席をちらりと視界に入れると、そのまま一応出されていた宿題の答えを友達と確認し始めた。
チャイムと同時に銀八先生が古典の用意を片手に入ってくると、桂くんのゆっくりとした調子の挨拶が教室に静かに響いたのだった。


そう、銀八先生の話こそはちゃんと聞いていて、頭にも入ってはいたけれど、本当に私じゃないと思っていたのだ。
だって、クラスの女子の大半がMサイズだし、男子にだって数人かMサイズを着る人はいたし。つまり、3Zの半数近くの人間がMサイズを着ることになる。
Mサイズだと銀八先生に言われて渡されたものを受け取ったし、私の所にMサイズ以外が来る確率なんて、本当に少ない数字だったはずなのに。


その日の放課後、お妙ちゃんが明日の土曜日にある文化祭準備について話し出す。



「やっぱり、クラスTシャツ作ってもらったんだから、たくさんクラスで着る機会を作りたいじゃない?

だから、女子の明日の準備はみんなでTシャツを持って来ましょ」



その笑顔の提案に、真っ先に賛同した近藤くんは地面に埋められていた。かわいそう。
けれども、今のは女子だけの話だったから埋められても仕方ないんじゃないかな、感覚が麻痺してる気がしないでもないけれど。

お妙ちゃんを何かと気に入らない亜音ちゃんが、あんなダサいTシャツ最低限着たくないわよ、と一蹴すると、二人の喧嘩が勃発。今、少し涙目になっているTシャツをデザインした山崎くんには軽く同情した。不憫なり。


でも何やかんやで、明日は女子は全員クラスTシャツを着て準備をすることになった。亜音ちゃんも本気で嫌がっていたわけじゃないんだろう。丸く収まってよかったよかった。

……しかし、その土曜日。事件は起こった。
何故か風紀委員の面々もクラスTシャツを着て、準備に汗を流し、途中で気の利いたクラスの人の差し入れもつまみつつ、文化祭の次の日に控える体育祭の横断幕の準備は無事終わった。
でもあと少し、文化祭の当日のリハーサルをしてから帰ることになる。一応雰囲気作りのために、みんなで持ち寄ったそれぞれの衣装に着替える私たち。
そして、私がTシャツを脱いで、たたむ時ちらりと見えたそのタグに目を見開くこととなる。

……アレ、どうしたのかな、これ。目がかすんでるのかな、疲れ目か。嫌になっちゃうなぁ。
何度目を逸らしても、何度指でタグをなぞってみても、首元に当たる部分のタグは、このTシャツがLサイズであることを、その頭文字たった一文字で淡々と示していた。

嘘。とっさに手でその部分を隠す。
しかし指のあいだからは、棒が1回折れ曲がったような形のアルファベットが変わらず覗くのだった。

さあ、と顔が青ざめていく、という感覚はこういう事なのだと思った。

もしも神様がいるのなら、私は貴重な時間を丸一日費やして、ゆっくりと私に白羽の矢を立てた理由を問い詰めたいと思う。



「……ん、やよい! どうしたアルか? 腹でも下したアルか?」

「……ううん! 何でもないよ、気にしないで!」



神楽ちゃんにでも知られたら、悪気なしにどんどんTシャツの件が広まってしまう可能性が高い。
まだ私が彼のTシャツを持ってるなんてみんなに分かってしまえば、私はどうしたらいいんだろう?
こっそり今日の記憶に高杉くんの姿を探すが、確か今日1日は彼を見ていない。

……もう、めんどくさいし、何より高杉くん怖いし、黙ってればいいか。幸いなことに、Lサイズでも私は難なく着れたし。
私は、女子のみんなで寄り道をする案に賛同すると、Tシャツをスクバの奥へ詰め込んだ。


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