はじめまして、どちらさま



結果は総合優勝。
やはりリレーなどの得点が高い競技で点数を取れていたのが最大の勝因だろう。
結果発表を聞いたあと、3Zのみんなは担任の元へ駆けつけたが、銀八先生は嫌がって胴上げをさせてくれなかった。それでも、渋々定位置に戻った私たちに向かって若干嬉しそうにひらひら手を振ってくれていたので心が少しあったかくなった。

うずくまってばかりの状況をやっと打開できた今だからわかる。銀八先生は厳しく私を突き放すようにしたけれど、それは私を思ってくれていたからこそ。やはり銀八先生はいい先生だ。先生に向いていないとよく彼を知らない人は言うけれど、私から見るとそんなことは無い、天職なのではとも勝手に思っている。


閑話休題。
私は自転車を走らせていた。車には気をつけながら坂を勢いよく下り、アスファルトの道路を急ぐ。かなり前に整備された道路は、少しでこぼこが多めだが、気にせずにひたすらペダルに体重を乗せた。頬を撫でて過ぎ去っていく風が清々しくてたまらなかった。

打ち上げに参加しない、と謝った私にお妙ちゃんは笑いながらからかうような口調で私を送り出してくれた。


「やよいちゃん、高杉くんと頑張るのよ」


いらぬ応援付きで。

なんだか先程の会話が違うように取られてしまっているような気がしなくもないが、私はそれ以上は掘り下げず、無理して誘わずにいてくれたお妙ちゃんに感謝した。

ちなみに私がなぜそうしたかと言うと。私は急いで今から今日また着てしまったTシャツを洗濯し直したかったから。もっと言うと、何としてでも今日、彼にTシャツを返したかったのだ。
日もまだ長いし、乾燥機や扇風機、ドライヤーなどとも供用すれば駅前の約束の時間には間に合わせることが出来るだろう。私はそう考えたのだ。

家に帰るなり私はTシャツと一緒に洗剤、そして柔軟剤を洗濯機の中にぶちまけて蓋を閉じる。少し分量が多くなってしまった気もするが、多くて困るということもないはずだ。汗の臭いが残ったままという方がよっぽど嫌だ!

約束は6時半。流石にその時間になっても制服でいる理由はないだろう、だから着替えの私服を用意したい。いや、今日は随分汗をかいた。その前にひとまずシャワーを浴びておこうと私はバスルームへかけこむのだった。
今日の疲れを洗い流し、着替えも問題なく用意出来、済ませた頃に洗濯機が大きく電子音を鳴らす。急いで蓋を開けると石鹸と混じって強くシトラスが主張する。
柑橘系の香りは無難だろうから大丈夫だと高を括っていたが、如何せん匂いがあまりにも強すぎる。失敗した! いくらなんでも多すぎのかな。でも私には時間が無い。
少し迷ったあとの動きは早かった。陽の当たるところにTシャツをかけて扇風機をセットし、手早くドライヤーを手に取りプラグをコンセントへ差し込んだ。
まんべんなく風を当てていくと、私の計算通りTシャツは乾く。乾きやすい素材で出来ていたことに感
謝しつつアイロンをかけてから紙袋に詰めた。ほんの少しくしゃっとなってしまったのは許してもらおう。玄関においてある姿見を一瞥し、靴を履いて外へ飛び出した。時間は少し早いくらいだが、それでも私が彼を待たせた期間に比べれば遥かに少ないだろう。夕焼けに染まり始めた空を見つめてから、駅前を目指して私はまた自転車のペダルを漕ぐのだった。


予想通り時間よりも随分早くについた私は、ファストフード店で持て余した時間を潰すことにした。喉も乾いていたし、爽やかなフレーバーのジュースでも買うことにする。
席についてストローでちびちびと吸いながら、大人しく待っていようとぼんやりとあつあつほくほくに揚げられたじゃがいもを頬張るのだった。

そして来たる6時半。私は勢いよくファストフード店の扉を開ける。
その瞬間私のポケットでバイブレータが動作するのと同時に、設定された軽快なメロディーの着信音が流れる。私は躊躇いながらも、その明るめの音楽に後押しされると緑のボタンで通話を開始し、震える声で電話口の奥に笑いかけた。


「……今どこだ。俺は駅の西口の近く」

「もしもし、高杉くん、本当に来てくれてありがとう」


あまりまともに聞いたことは無いけれど、機械を通して少し低くなった高杉くんの声が聞こえてきた。

西口、か。それならここからそう遠くない。念の為きょろきょろと見渡しながら、足はそちらの方へ進める。


「おい、だからどこだって」

「あっ、私がそっち行ってるよ、ちょっと待ってて」


呆れたような口調をしている彼があまり怖くなくてそれからは緊張せずに自然に話すことができたのだけど、なんだかその事実が信じられなくて、胸のあたりがちょっとくすぐったかった。

そうこうしているうちに、視界の端の方によぎった待ち合わせ相手兼通話相手の姿に、あからさまに体が反応する。
スマホを耳のあたりで支えて、少しだけいつもよりも隙のある表情というか、そんなふうだった。
とにかく、こんな顔の高杉くんはみたことない。レア杉くん。はは、ふざけ杉____ふざけすぎた。


「待ってろ、っつったって、オイ……」


気を取られすぎたのか、足がもつれて自分の上体が傾いていることに気づいたのはロータリーの道路が自分の眼前数十センチになってから。
迫るアスファルトの黒。私は必死に手を伸ばし、どうにか鼻に来たであろう衝撃を和らげたが、醜態を晒すことは防ぐことが出来なかった。

文字では表せないような、カエルが潰れたような声とはまさにこれのためにあるのだとか思ってしまう、そんな呻きが私の口から漏れる。
まずは周りの目が気になり、急いで起き上がると次に電話を通した先の高杉くんが気になり、スマホを耳に当てると向こう側でかすかに誰かが笑った気配があった。鼻で笑われていなかったことに安心する。

……………………いや、誰かって、誰? まあ、高杉くんしかありえない訳だけれども。
短い自問自答をしているうちに、電話を切られ、高杉くんと私の通信は切断される。顔の前にスマホをずらすと画面は既に切り替わって元のメッセージ画面が覗く。

今、高杉くん、笑った?


呆然とその格好のまま立ち尽くしていると、目の前まで靴と地面がかすかに擦れる音がやってきて、そして止まる。私はゆっくりつま先から視線を伝わせ、彼の顔を見る。
ばかだろ、御上。空気が少しだけ動く。
うそでしょ、高杉くん。呟いた私のキャッチボールをする気のない言葉は、私の骨を伝って自分の耳にしか届かなかった。



高杉くんが、かっこいいのが悪い。色々悪い。


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