呪術師、転入。

「フランスといえばパリにあるルーヴル美術館が有名です。世界最大級の美術館で尚且つ世界最大級の史跡のひとつとも言われており、そこにはレオナルドダヴィンチのモナリザを始めとする絵画や、ルーヴル美術館の至宝とも言われているサモトラケのニケ像などが所蔵されています」

 抑揚なく淡々と語る教師の声を興味のないラジオでも聞き流すかのように右から左へ受け流しつつ手元の教材を見下ろすと、そこにはルーヴル美術館と思わしきモダニズムな建築物の写真に、その下では有名な女性が微笑む肖像画が貼られていた。

「ちなみにニケは勝利の女神として有名ですが、本美術館に所蔵されているニケ像は頭部と両腕を失っており——」

 視線をずらすと、微笑む女性の隣には頭部と両腕が無い天使のような風態の像の写真がある。このような有様になってもなお勝利の女神と称され崇められている様を見ていると、"そう"は見えないものでも誰かが"そう"であると唱えてしまえば"そう"思えてきてしまえるのだから、人間という生き物はつくづく単純で都合の良いようにできているなと思う。

「(こんなの学んで何になるんだか)」

 壁に備え付けられた時計を見ると秒針はもうすぐ昼時を指そうとしていた。

 私がいるクラスの彼ら目線で語ってみると、あと2ヵ月ほどで上の3年生は卒業し、自分達の代が最高学年を迎えようとしている時期であった。
 余程のことが無い限り覆ることはないであろう完璧に築き上げられたスクールカーストや、やれ権力者のご機嫌だの、あのカップルは束縛が激しいから異性は話しかけるなだの、暗黙のルールだのなんだのと、1年10ヵ月の間に校舎という名の狭い箱の中で行われる学校生活は、新参者には到底理解できないような見えない縛りが仕上がっている時期でもあった。
 そんな面倒臭い予感しかしない時期に縁もゆかりないような土地で、さらには全く興味の無い学校に転入してから1週間が経つ。
 漫画の世界であれば転校生がやってきたクラスは、その物珍しい存在にクラスメイトが「どこから来たの?」なんて群がる構図までがテンプレート。けど現実はそんな甘くはない。
 この1週間の間、転入初日にクラスの委員長らしき人が役職義務を背負って挨拶をしてくれた程度で、あとはもう皆素知らぬふりだった。もしかすると先のテンプレートの例は美男美女限定イベントだったかもしれない。けどとにかくまぁ話しかけられないことはかえって私には都合が良いから願ったりかなったりな話だ。

 まだかと待ち侘びていたチャイムが漸く鳴り、授業の開放感に包まれた教室内では美味しそうな食べ物の匂いが立ち込める。

「(…窓からの報告書にあった3級相当の被呪者、どこにいるんだか…)」

 時間制限がかかっている昼休み、私は早めに昼を食べ終えて未開封の天然水ボトルを片手に教室を出た。
 すぐ目の前にあった廊下の窓を見ると、その先に広がるのはグランドの景色。校庭の端に張り巡らされているグリーンネットの一部がめらめらと陽炎のように揺らめいているのが見えた。目を少し細めるとそこには異質な存在が貼り付いている。
 妖怪のような風体がネットに貼りつくその真下では、制服のままサッカーボールを追いかける生徒の姿があるけれど、誰もその異質な存在には気付いていないに見える。
 …まぁ無理もない、"在れ"は普通の人間には視認することが出来ないものなのだ。

「(昨日より大きくなってる気がするなぁ…)」

 どんな図鑑を見ても絶対に判定することのできない"在れ"の正体は"呪い"だ。人の負の感情で生み出される超ハタ迷惑な産物。
 私はそのハタ迷惑な産物を祓う専門の学生で、訳あって宮城県仙台市にあるこの青葉城西高校、通称青城に転入。本来は東京の学生であるけれど、今回は任務というカタチでこの学校に来ていたのである。


 ここで話は転入する数日前に遡る。

 その日私は年季の入った木造校舎内で、2人分の学習机が置かれた閑散とした…いや、前向きに言えば広々とした教室にいた。
 隣にある学習机は最近まで人が使っていた痕跡はなく、今ではすっかり教室のお飾りのような存在と化している。それを気にも止めず、私はただ自分の目の前に広げられた書類を黙々と捲っていた。

「…宮城の学校に呪いが集中していて、さらには強い呪いに呪われている被呪者がいるからそれらの祓除っていうのは分かりましたけど…わざわざ転入する必要あります?」

 一通り書類に目を通したところで視線を上げる。

「学校の呪いは夜でいいし、被呪者に関しては放課後に生徒に紛れて祓除じゃダメなんですか。その方がコスパ良いですよ」

 私から見て目の前に置かれた教卓、そこに両手をついては気だるそうに佇むのは私の本当の担任の日下部先生だ。
 私の口からズラズラと吐かれる小言を聞きながらカラコロと口の中で棒付きキャンディーを弄ぶと、雑に頭を掻きながら息を吐く。この人を見るたびに常々思うのは、こんなのでも先生ができるから世も末だということ。

「夜蛾サンの計らいだよ。ほら、お前の学年は生徒はお前一人だろ?せっかくの花の女子高校生なんだ、ちったぁ集団生活を楽しんできたらどうよってな」
「…」
「ホントお前は…心底嫌なことあるとすーぐ顔に出るなぁ…。臭いもの見るような顔やめろっつーに」

 「こんな顔してんぞお前」と私の顔真似する先生を余所にまた手元の紙を捲くる。そんな芸人みたいな顔はしていない。

「すいませんね、表情豊かな卒業生がしょっちゅうちょっかい出してくるのでつい」
「マジで向こうの学校でその顔すんなよ、友達出来ねぇぞ」
「友達作りに行くんじゃないんですけど」
「その年でないと味わえない青春っちゅーもんがあるぞー。いいぞ、共学は」
「青春なら呪術高専に入った地点で諦めてます」

 私が事実上所属しているのは、呪いを祓うために呪いを学び、呪術師を目指す呪術高等専門学校だった。
 呪いを祓うことを生業にする呪術師は実にマイノリティーな立場の人間。呪術師を目指すには呪いが見えることが最低必須条件で、この必須条件を満たすと次はこの世の物ではない悍ましい化け物と戦う覚悟の有無が問われる。
 ふるいにかけてかけられて残っているのがこの学校の関係者というわけだ。相当頭がイカれてないとやっていけないと思う。1年時には1人同級生がいたけれど、呪いに立ち向かう恐怖に勝てずに中退。今ではこの学年では私1人となってしまっていた。

 そんな私に不憫さを感じたのか、カタブツ学長こと夜蛾正道学長は私に第二のスクールライフを楽しんでもらうべく、長期任務とかこぎつけてこの青城に放り込んだわけだ。ちっとも楽しめてないことをそろそろ今日の報告書から書いても良いかな。

「(予鈴が鳴る前に見つけないと)」

 正直なところ私は呪いを見つけるのは苦手で、どちらかというと呪術師の中でも見えにくい方。高専の卒業生である白髪のアホ先輩が持つ六眼の力をちょびっと分けてほしいくらいだ。

 教室から出たばかりの足を階段へと向けて数歩進めると耳をつんざくような悲鳴が耳に入る。
 反射的に持っていたペットボトルを待ち構え、戦闘態勢を取りながら声の方を振り返り見るが、悲鳴と思ったものはどうやら違ったようで、正確に言えば黄色い声と表現されるそちらの種類だったらしい。

「及川くーん!強化合宿おかえり!」
「卒業前に会えて良かったぁ」
「卒業しても応援してるからね!」
「及川くん、これ受け取って!」

 騒がしい声の出所は女子生徒の群れから。そこ囲まれている男子生徒の後ろ姿が見えた。随分と背が高く、周りの女子生徒たちと比べると頭ひとつ以上は抜き出ているのがわかる。卒業だのなんだの言っているが、ここは2年の教室がある階。どういう騒ぎなのか。

「ありがとうございます先輩方。卒業しても応援、お願いしますね」
「――!」

 男子生徒から物腰柔らかい声が放たれた途端、またあの黄色い声が湧くより先に自分の全身の毛が総毛だった。

 突如として彼を取り巻くようにして呪いが出現したのだ。

 在れだ、在れが本件の呪いに違いない。彼が報告書の被呪者だと勘が言う。
 久しぶりに見た3級相当の呪いを暫し見ていると、不意に男子生徒がこちらを振り返った。思ってもみなかったお顔の拝見に、あぁなるほど女子がきゃいきゃいと騒ぐ理由も分かるなと内心納得。
 高身長、スタイル良ければ顔も良いときた。ただ背後の呪いに手を焼きそうだなと憂鬱さに浸っていたら、彼のやや色素の薄い枯茶色の瞳がばっちりと私の顔を捉えた。

 もしかして私を認識されているのだろうかなんて思った瞬間、「マジで向こうの学校でその顔すんなよ」と言った担任の助言を思い出す。
 先生ごめん、時すでに遅しかも。



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