呪術師、琴線。

 五条さんを乗せたタクシーが遠退いていくを一人見送る。

 普段高専で会えば鬱陶しいあの人でも久しぶりに呪術関係者と話ができて、少しだけ…ほんの少しだけ肩の力が抜けたような気がした。多分後にも先にもこんな頭おかしいことを思うのはこの日だけだと思いたい。
 タクシーが曲がり角で完全に見えなくなったあたりで「そんな秒速で憑くのなら根源がいるのかもよ」先刻言われたてのアドバイスを頭の中で反芻しながら、少し顎に手を当てて思案に浸った。
 及川徹が呪いホイホイじゃなくて、及川徹一人にだけ誰かの呪いがかかっている説、濃厚かもしれない。としたら、一体誰が…。校内の人間か、あるいはあの人気な感じからして校外の可能性だってあるわけで、気が遠くなりそうな元凶探しがこれから始まりそうな気がして一人内心憂えた。

「や、苗字さん」
「!」

 まさに今悩みのタネの持ち主の声に、弾かれたように顔を上げた。まさかこんなところでと、驚きつつ振り返り見るとその先にいたのはやっぱり及川徹だった。
 驚いたのはそれだけではない、――呪いが消えている。

「あ……及川さん…どうしてここに?」
「あー男バレは月曜日部活休みなんだよねー」

 私が言いたいことをあっという間に察した彼は肩をすくめながら「さっきまで岩ちゃんと一緒だったんだけどね、先に帰られちゃって」と笑いながらそう教えてくれる様子をぱちぱちと何度か瞬きをして眺める。
 間違いなく呪いは綺麗に祓われている。ほんのり残穢が残っている気がするが、私の視力ではイマイチ視認しづらいレベルのそれだった。

「えと…苗字さん?なんか、そーんなにマジマジ見られるとちょっと照れるっていうか」
「…あ、すみません」
「こないだはごめんね。…腕の怪我、大丈夫?」

 言いづらそうな雰囲気で放たれた彼のセリフを処理するのにコンマ数秒。
 腕の怪我—―先週見られたのを思い出す。午前中硝子さんに治してもらってすっかり痛みが取れて忘れていたけれどそうだった。「全然大丈夫ですよ。もう全然痛くないので」と嘘ではない一言を口にした。

「ところで…そのー、さっきのおにーさん苗字さんのお友達なの?」
「え?」
「ほら、あのすっごい背が高い人」

 しどろもどろにオトモダチとやらの特徴を伝えてくる及川徹の言葉を反芻する。さっきのお兄さん…すっごい背の高い人…五条さんのことか。

「あぁ、友達というか先輩というか。そんな感じです」
「そうなんだ!俺、さっきぶつかっちゃってさ。…なんかモデルさんみたいな人だったね」

 彼のセリフに耳を疑った。ぶつかった…?あの五条さんと?

「ぶつかった…んですか?」
「そ、怪我はない?って聞かれたよ。優しい先輩だね」 
「や…やさしい……そうでしたか」
「さっき岩ちゃんとラーメン行ってて、その前にちょっとぶつかっちゃって…。んで帰りがけにあのお兄さんさっき見かけたなーって思ったら苗字さんと居るし?なんだかとっても親しい感じだったから、恋人なのかと思っちゃったよーあははは」
「まさか。卒業生です」
「卒業生…?」

 あ、まずい、これ以上は詮索されても。「あ、及川さんはこれから帰るところでしたよね?足を止めてしまって申し訳ないです」慌てて取り繕う。

「んー苗字さんはこのあと予定ある?よかったら家まで送らせてよ。女の子ひとりは危ないよ」

 一応こう見えても呪術師なのでそんな心配無用だが、素直に素性を明かすわけにもいかない。

「え。…と、遠いですよ?」
「ヘーキヘーキ」
「うぅ…」

 無害な笑みを前に少し固まる。生憎こちとら仕事でホテル暮らしなのだ。ホテル行ってここが家ですなんて言ったら何を思われるか…この感じからして引いてくれそうにもない。とりあえず「あっちの方なんですけど」と適当に指差し、マンションぽいのが見えたらそそくさと入って別れるのが一番良さそうだ。

「……」
「……」

 にしても困った。二人揃って歩いてから数分…、私は現在進行形で困っている。
 いつも昼休みに一方的に喋り倒している及川徹がちっとも話さないのだ。さっさとマンションらしき場所に転がり込んでしまいたい気持ちもあるが、生憎しばらくはオフィスビルや飲食店が並んでいて、住居らしき建物が見つからない。
 …青葉城西に入ってからというもの、男子高校生という生き物がつくづく分からなくて戸惑う日々すぎた。

「――お、及川さんはいつからバレーを?」
「…えっ?あっ、俺!?」
「ハイ」

 このまま喋らずにいたかったけれど、なんとなく居心地の悪さを感じた私は沈黙に勝てず。突然の私の問いかけに対して、それまでどこか上の空だったのか少し慌てたような様子を見せた及川徹は照れ臭そうに頬を掻きながらうーんと唸り宙を見上げた。
 彼をちらりと見上げると、頬を掻く指先に乗せた爪先がとても綺麗だった。それをひと目見たとき、休み時間にたまに彼の教室を通り過ぎたときに見た光景—―彼が黙々とやすりで爪先を整えていたあの姿を思い出した。

「俺、上に姉ちゃんがいてその影響かな。あ、岩ちゃんとも一緒にやってたんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、知れた仲なんですね」
「まぁそうなるね。子供のころ公園でバレーボール触ってたらさ、最初は見向きもしてなかった岩ちゃんもやり始めて?そしたらなんか次第にドンドン負けられなくなってきて?気付いたら2人ともここまで来たみたいな?……あれ、こうやって話すとここまでの道のり結構単純…?」
「…ふは、」
「!」

 自分でもよく分からないと言いたげな及川徹につい笑みがこぼれてしまった。やっぱりやらされてるわけじゃないんだな。この人も、先日私に告白してきたあの人とおなじ、住む世界が違う人だ。

「練習、苦しくはないんですか?」

 これは…住む世界が違う人へのちょっとした好奇心だった。海外の人に海外での生活はどんな感じなの?なんて聞くに似たそれ。
 私とは真逆の道を歩む、やりたいことをやりたくてやっている人種というものに……少しだけ興味がわいたのだ。
 
「そりゃーモチロン苦しいさ。知らないかもしれないけど、俺、皆が見えてない所で監督にボロクソ言われたりことあるし」
「え、そうなんですか?」
「うん。……正直言うと最近はスランプ気味でね…余計にって感じ」

 力無く笑う及川徹の表情からほんの少しの焦燥感を垣間見た気がした。スランプなのは…、厳密に言えばその原因は私が一番よく知っている。
 部活は1度だけならず2度3度と見ているし、爪の手入れをする及川徹の表情が酷く険しいものも、練習中に陰ながら1人歯を食いしばっているのも、よく見ていた。
 だからこそ浮かぶ疑問がひとつあった。

「…どうして痛い思いや苦しい思いをしてまでバレーに打ち込むんですか?」

 私の問いかけに及川徹のキョトンとした瞳がこちらを向く。今は何も怖くは感じない枯茶色の瞳、私もじっと見据える。
 強制された道ではないのだ。やりたければやればいいし、やりたくなければやめればいい。物事はシンプルなはずなのにどうして苦しい思いしてまでやり込むのか、単純に疑問でしか無かった。

「俺、負けず嫌いでさ。岩ちゃんにも後輩にも、他校にも負けたくなくって」

 コクリと無意識に喉を鳴らす。…あぁ、なんだろうこの、目を背けたくなるような感じ…。眩しい、というのか。この言葉の表現がしっくりきた気がした。

「あとは夢なんだ」
「夢?」
「全国大会優勝。今のチームなら行けると思ってる」
「全国…」
「白鳥沢って知ってる?宮城の全国大会出場常連校なんだけど、あそこにすんごい気に入らないヤツがいてさぁ、もー俺そいつこてんぱんにぶっ潰したくて仕方ないの」
「大会出場の常連校…及川さんはそこに入らなかったんですか?」
「……」

 …なにか不都合なことでも言ってしまったのだろうか。下唇を少し突き出してむすりをした表情を浮かべる及川徹に少し狼狽える。

「……勝利が約束されてるチームなんてつまらないでしょ?それに、俺がやりたいバレーは”それ”じゃないんだ」
「及川さんがやりたい、バレー…?勝つのとはまた違うんですか?」
「うん。ただ勝つだけじゃない…、セッターが…あ、セッターってのはバレーで攻撃を組み立てる司令塔みたいなポジションのことね。そのセッターがスパイカーのポテンシャルを100%引き出して勝利に導く…そんなバレーの勝ちがしたいんだ」

 勝ちの在り方だなんて、そんなこと私には考えたこともなかったから彼の言葉は目から鱗な気分だった。
 ただ呪いを祓えば終わり、相手を負かせば終わりだなんてレベルじゃない。自分の納得いく勝ちにこだわる及川徹を少し呆然として見上げていた。住む世界が違っていたのは彼の方だったのかもしれない。

「って、俺喋ってばっかりで恥ずかしいね!?苗字さん聞き上手だったからついべらべら喋っちゃったよ!」
「そんなことないですよ。面白かったです」
「えっ変だった!?」

 何を焦っているのか分からないけど慌てふためく及川徹が面白おかしくて、小さく笑う。
 私はレールを敷かれた側、彼はそうではない側だと思っていた。けどそれはどうやら見当違いのようだ。彼らは自分が信じる道、目標へとひとつひとつ繋ぐように自らレールを敷いて、突き進んでいたのだ。生きる世界は違えども、そこでがむしゃらに足掻いている。呪術師が非呪術師が、だなんて勝手に線を引いていた自分が少し情けなくも感じて、自嘲するようにして口元を緩めた。
 そうしてようやく見えてきた適当なマンションを前に足を止める。

「ありがとうございました。私はここで大丈夫です」
「うん、また明日ね」
「はい、また明日」

 来た道を戻る及川徹の背中を見て思う。ひたむきな彼らの力になれたら、なんて。



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