呪術師、呪う。

 東北の春先の朝は、東京とは違っていまだまだ肌を突き刺すような寒さがある。ほんのり空が白む早朝、首を温めるマフラーを口元まで上げ直して冷たい空気を突き進む。
 ポケットの中には不慣れな縫い物をどうにかほぼ徹夜で完成させたお守りの形をしたそれが入っている。

「良かった、門開いてた」

 ほっと独り言をつぶやくと白い息がしつこく顔の周りを纏う。それらを振り切るようにそそくさと校門を抜け、昇降口へと向かっていると私の耳に入ってきたのは体育館に響く、重たくて鈍い音。何度か聞いたことのある打球音に顔を上げた。
 もうすっかり見慣れた第三体育館へ静かに近寄り、開け放たれていた体育館の入り口をそろりと覗くと、轟音が2回響いた直後に出入り口に貼られていたボールの飛び出し防止用のグリーンネットにボールが飛んできて「ひぐっ」なんて情けない声が出た。

「えっ…?苗字、さん…?」
「あ…おはようございます」
「おはよ。珍しいね?こんな時間に」
「あー…」

 ネットの向こうで、早朝にしてもうすでに汗だくな及川徹が近くまで歩み寄る。彼に纏わりつく呪いの気配が強くなり、私も変な汗が出そうだ。
 こちらへ飛んできて行き場を無くしたバレーボールを片手で拾い上げる及川徹を静かに観察してみると、朝練にしてはやり込みすぎな印象を受けた。
 オーバーワーク、心の中で復唱するとあの枯茶色の瞳がキロと私を見下ろすから、心を除かれたのかと少し焦った。

「ひょっとして俺と岩ちゃんの話でも聞いた?」
「えっとまぁそうですね、ハイ」
「よくある事だし心配しないでいいよ」

 ぐい、とウェアの袖で顔の汗を拭う様子を見る。不思議だ、ネットを隔てるだけで及川徹との間に壁を感じるものがあるような気がした。

「あ、の……」
「うん?」

 喉まででかかっているのは仕上げたお守りのこと。どうせ渡すなら今がチャンスかもしれない。いやでも、と急に雑念が入り混じる。
 直接渡して変に期待されてもとも思うし、かと言って名乗らずに靴箱に入れとくのもやはり如何なものなのか。というより何故私はこんなことで頭を悩ませる必要があるのだろうか。
 
「…………め、迷惑でなかったら見ててもいいですか」

――何を言ってるんだ自分は。絞り出すように出した言葉は何故か見学志望の言葉だった。

「え、全然良いけど…面白くないよ?多分…」
「大丈夫です。邪魔にならないように上にいますから」

 あぁ、今すぐ物陰に入って盛大にため息を吐きたい。なぜそのままパッと渡せばよかったじゃないか、何を言ってるんだ自分は。まさか、渡すことに臆してるとでもいうのだろうか…?
 先日及川徹と話してからというもの自分で自分がよく分からないことが増えてきて嫌気がさす。
 
「待って苗字さん」
「?」
「こっちおいで」

 踵を返して階段へ向かおうとしたら出入口のネットを持ち上げられ、なんのへだたりもない及川徹がそこに。それはつまり、バレー部の聖域である体育館に踏み込んで良いということで良いのだろうか。
 再三確認し、了承を得たところでローファーを脱いで靴箱におさめる。ネットを持ち上げてくれている彼にお礼を言いながら、体育館の床に靴下だけの脚を置いた。「ほかのやつらには内緒ね」と耳と胸がくすぐったくなるような声が聞こえて、気を引き締めるように唇をキュッと噛み締めた。

「うわ…」
「バレーのネット、ここから見るのは初めて?」
「はい」

 目の前に広がるのはコートを分断するように堂々と佇むネット。私のためにどこからか来客用のスリッパを持ってきてくれた及川徹よりもうんと高く、本当にバレー部員たちはこれを挟んでブロックやスパイクなど打てるのか、甚だ不思議で仕方がない。

「底冷えするだろうからスリッパ履いてて。あとこれ、膝に掛けてて」
「でも、」

 差し出されたスリッパに両足を通し、バレー部の監督がいつも座っているパイプ椅子に案内されて大人しくそこに腰掛けると、及川徹が持ってきたジャージが膝にかけられた。
 
「大丈夫!俺今すっごい暑いから!ほら見て、汗だくしょ?」

 ホワイトにアイスグリーンのアクセントがあしらわれた青城を示すカラーリングに、アルファベットの文字。彼が日ごろ着用しているジャージが自分の膝下にあるこの状況がなんだかむず痒い。AOBAと描かれた文字を無意識になぞった。

「サーブ錬だけだから、流れ弾は来ないと思うけど…。まぁ、一応気を付けてね」
「はい」
 
 背後に呪いを張り付けた及川徹がカゴの中からボールを取り出し、コートのラインに立つ。豪速球が何度もネットの上を走り抜け、それがどんなに強烈な音を立てて床に叩き落とされようとも及川徹はちっとも表情を和らげることはない。むしろ徐々に険しくなっているような気さえした。

 その様子を見て、椅子の横に置いてあった鞄の中からいつものように水を取り出し、術式を展開。水で呪いを弾き飛ばしてみる。するとどうだろか、ピクリと肩を揺らした及川徹がボールを高く上げると、重心を全て一点へ充て、轟音が2つに分かれて体育館の中に響く。
 今のはよかったのでは?素人目にそう思う。

「…たった今確信した、かも」
「?」

 コートの奥を見続けていた及川徹がぽつりとひとこと呟き、それから私を振り返り見る。その表情はなんだか驚きの色が混じっているように見えた。
 
「前々から不思議だったんだけどさ、苗字さんが見ててくれると調子が上がるんだよね」
「……そう、ですか」

 相変わらず呪力の察しの良い及川徹は肩の力が抜けたように笑うと、先ほどよりは少し緊張の解けた表情でカゴの中からまたボールを手に取り構えた。私はその背中をじっと見つめる。
 どこまでもバレーに直向きな人だ。大好きなバレーを呪いなんかのせいで狂わされてどんなに苦しいか…、彼の胸中を一人勝手に慮る。夢は全国制覇と言っていた以上、本人としては一分一秒でも早くこの苦境を切り抜けなければと焦っているに違いない。
 やはり呪いは、真っ直ぐ突き進むべ中人を阻む存在であってはない…。ポケットの中に手を入れて、そこで温まっていたお守りを緩く握り、それからひざ掛け代わりにしているジャージをぎゅっと掴んで立ち上がる。

「――及川さんは!」
「うぉあ!?」
「あ」

 あ、しまったと思った瞬間にはもうすでに遅し。
 ボールを構えて集中していたところ、大きい声で呼び止められた及川徹はビクリと肩を揺らすものの、嫌な顔ひとつせずに私を振り返り見た。

「…及川さんは、何があろうともバレーはやっぱり好き、ですか…!」
「えっ!?うん…?好きだけど…!?」
「バレー、もっと続けたいですか!というより、続けますか!」
「えっ?えっ?なにこれ面接?」

 目を丸くする及川徹にゆっくりと近づく。呪いから身を守るためのお守りを渡すだけなのに、ただそれだけなのに。馬鹿みたいに騒ぎ立てる心臓をそのままにスリッパのまま及川徹に近づき、止まる。
 
「苗字…さん?」
「手、出してくれませんか」
「手?」

 「ハイ」とよく分かっていないまま素直に差し出された彼の右手は、先刻まで散々ボールを叩いていたせいか随分赤い。私のよりも大きくて皮膚の厚みがあり、バレーのためだけに有ると言っても過言でもないその大きな手のひらの上に、不恰好なお守りを乗せてそっと両手で握り込む。

「え、えっ!?苗字さ…!?」

 狼狽える及川徹に次第になんだか私も恥ずかしいことをしている気になってきたが、ここは集中。これは仕事の一部。
 
「…静かにしてください、うるさいです」
「怒られた…!?」

 小さく息を吐き、自分の手を解して呪力を及川徹の手の中にあるお守りに注いだ。

「……ッ!?」

 きっと私の呪力でも感知したのだろう。ビクリと体を震わす汗だくの及川の腕は鳥肌が広がっていた。

「……お守りです。これからもうまくやっていけるように」

 彼の手のひらにお守りを置き去りにして手を離す。素人の作りで少し縫い目が甘かったそれを一目見た及川徹はしみじみと手の上のお守りという名の呪力の塊を眺めた。
 
「ありがとう…なんだろう、なんか苗字さんがすぐ近くに居る気配がする…」
「いますけど」
「あ、いや、そう言うんじゃなくってね…なんていうかこう…上手く言えないんだけど、苗字さんの魔法がかかってるみたいっていうか」
「…よくそんな歯が浮くようなこと言えますね」
「だってホントのことだもん。もらった瞬間なんか鳥肌立った!し、なんかすっごい元気出た気がする!すごいね、コレ持ってると無敵になれそう!」

 くしゃくしゃに顔を歪めて、満面の笑みが向けられる。あぁ、まただ。彼を見ていると肺の奥を羽でなぞられ、それからあたたかくなる感じがする。

「…無敵ですよ」
「え?」
「それ持ってれば、無敵です」

 お世辞なんかじゃない、本心だった。及川徹はほんの少しびっくりした表情を浮かべたのちに頬を緩め、それから目元をやさしげに細めた。相変わらず表情が豊かな人だった。
 
「……うん、ありがとう苗字さん」
「どういたしまして、です」

 やることも終えたところでどうやってこの場を去ろうか、そう考えていたところ、出入り口の方からカタンと物音がしてそちらを見る。
 制服姿の女子生徒の姿がそこにはあった。

「えっと…マネージャーさん…ですか?」
「いや、違う」

 及川徹いわく、青城バレー部にはマネージャーはいないらしい。じゃあ及川徹のファンといったところだろうか、それなら邪魔にならないよう私は立ち去るべく「じゃあ、私はこれで」そう言いかけたところ、チリッと肌を裂くような強い呪いの気配。
 
「……なさいよ」
「え」
「及川くんから離れなさいよ…!」

呪いの気配は及川徹からではない、彼女からだ。
 



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