まるで頭の上から物理的に押し付けられているかのような、酷く濃い呪いを全身に受けながら体育館の入り口に佇む女子生徒を一目見る。彼女の上履きが一歩体育館へ踏み入れた途端、その重圧に膝が崩れそうになり全身が総毛立つ。
「げほっ…!」
「!…及川さん」
この重圧は彼女が呪詛師か、はたまた呪霊か、あらゆる可能性を弾き出していれば、すぐそばにいた及川徹が突然苦しそうに崩れ落ちた。鬼気迫るとてつもない呪力に気圧されたに違いない。
無理もない、私も自分の体を自分の呪力でカバーしなければ、気を抜いたら持っていかれそうになる。及川徹にどうにか自分の呪力を充てて中和させることはできるだろうか。彼への処置を試みた途端、生徒が何かを待ち構えて及川徹に向かって駆け出す。
「なっ」
信じられないことに彼女の手中にあるのは刃の出たカッターで、及川徹へ危害を加えようとしているのは明確だ。
「――させるか…!」
反射的に及川徹の前に飛び出し、それから躊躇いもなく向けられた刃を握りしめる。ただ握るだけならそう簡単に手のひらが切れることはないが、何度も抜こうと抵抗されてしまえば当然痛みは走り、手のひらに生暖かい液体が滲み広がる感覚。
「邪魔…するんじゃないわよ!!」
「っ!」
怒号を浴びせる彼女から最初の気迫よりもさらにひと段落上の強い呪いが放たれる。鬼のような形相の呪力が一瞬にして私をの身体をすり抜けて行き、意識が吹っ飛びそうになるのを必死に堪えた。
朱色を塗り込んだかのように白目を真っ赤にさせてにらみを利かせる目だ。こちらの血の気が引いてしまうほどの呪力…、これが普通の女子高校生が生み出す力とは思えない。何か、何かタネが必ずあるに違いないと、カッターを引き抜くのに四苦八苦する彼女をより見据えるよう目を細めると、白いブレザーのポケットに呪力の塊らしきものを見た。反射的にそこへ手を突っ込めば指先に何か物体が触れた途端悪寒が走る。
どうにか抜き取ったそれは古札が幾重にも貼られた呪物らしきもの。もはや札の塊と言っても過言ではないそれに、これはヤバいと本能が警笛を鳴らす。
「返して!」
「これは返せません!なぜあなたがこんなのを…!」
「こンの…!」
しかし片手にカッター、片手に呪物というのはなかなか状況が悪い。
女子生徒は呪物を盗られたことに気付くとカッターを手放し、その代わりに空いた両手の先を私の喉元へと狙いを定めた。呪物の力を借りているせいかとてつもない力で握り込まれ、このままだと私も及川徹も危ない。
「正当防衛」と称して彼女を蹴り飛ばすべく脚を上げると、女子生徒のか細い手首を大きな手がそっと握り込む。
「っ…!」
「はぁい…そこまでに、しようか……けほっ」
「及川クン…!」
冷や汗だらけの及川徹が手を掴んでいた。彼の呼びかけに女子生徒が気を緩めた瞬間、カッターを手放して血塗れの手のひらで彼女の肩を掴み、そのまま自分のありったけの呪力を彼女の身体にダイレクトに叩き込んだ。
その一連の動作でお互いぐらりと力が抜け、私は膝を着くような体勢でその場に崩れ、あちら側は不意打ちで私の呪力を打ち付けられたせいか、途端に意識を失い冷たい床に倒れそうになるのを及川徹が咄嗟に支えた。
憎悪と呪いの空気で充満していた館内に静寂が戻り、妙な圧迫感が消え失せて体が軽くなったよう。ようやく体内の血が再び巡り始めたかのように体はじんわりと汗ばみ、心臓の鼓動だけがただただ耳に響いていた。
「……つかれた…」
「大丈夫苗字さん!?……って、血!血!」
「あぁ…そのうち治しますよ」
「いやいや治すって!!ぼたぼたよ!?」
反転術式はやろうと思えばできる、けど如何せんソレは非常に呪力を喰う。手中に得体の知れない特級クラスの呪物がある以上、自分の呪力をガス欠モードにさせるわけにはいかない。
この呪物やっぱり特級クラスだよね、五条さんは今どこだろう、死ぬかと思った、電話に出たら出てくれるのか、というかこの女子生徒はなに、あぁ今電話するのは流石に朝早すぎるよね、いやあの人に気使う必要なんてある?
冷静なつもりでいたけれど、先のひと騒動は想像以上にアドレナリンがどばどばに出たらしい。頭の中であらゆる思考や雑念が飛び交い、全てがとっ散らかってしまってまとまらない。思わず痛みのない手で頭を抱えた。
「痛いよね!?保健室行こう!あぁあ何本縫うレベルだろ…あ、でもこの子どうしよう!?」
「…」
私の目の前には血を見た及川徹が必死の形相一人で盛大にテンパっている。不思議としばらくその様子を見ていたら頭に上っていた血がすっと引いていき、しまいには笑いさえ込み上げてきてしまって、口元をぎゅっと噛みしめるものの、やはり隠しきれていないのか「なんで笑うの!?」と怒られた。そこは素直に申し訳ないと思う。
及川徹のおかげで自分が冷静になってきてきたようだ。
「大丈夫です、このくらい大したことないです。ありがとうございます」
「……えぇ?なんでお礼…?」
「それより彼女、どんな感じですか」
「どんなって……眠ってる…ような…」
「及川さんも彼女も、特級クラスに充てられて死んでないのはラッキーでしたね」
「はっ?死…っ!?」
一息ついてからゆっくりと立ち上がり、及川徹の腕の中にいる女子生徒の様子を窺うよう目を細めると、ひどい残穢が纏わりついているのが見える。
これだけの特級呪物に振り回されていたことになれば彼女は高専関係者による精密検査が必要になるかもしれない。椅子の近くに置き去りにしていた鞄の中から携帯を取り出して、仙台支部に電話を一つ入れる。
「苗字です。朝早くにすみません、青葉城西高校の件で精密検査をお願いしたい被呪者が一名。恐らく長期に渡って特級呪物を持ち歩いていた可能性があります。…あの両面宿儺かと」
眠る女子生徒の表情を見て、淡々と状況を説明していれば、視界の中では及川徹が困惑そうな眼差しをこちらに向けていた。もう誤魔化しはきかないだろう。
さて…これからなんと言えば良いのやら。応援要請を済ませて携帯を閉じ、こめかみのあたりを掻く。
「苗字さん…?一体…」
「えーっと…」
「うぅっ…」
腕の中の女子生徒が呻く声に私達の視線はそちらへと向けられる。
「…目、覚めた?」
「私……えっ、及川クン…!?」
パチクリと目を見開かせた彼女は及川徹の存在に気づくと頬を赤く染めながら身じろぐ。
私はそんな彼女の様子にお構いなく詰め寄った。ついさっきまで気絶してたとかそんなの知らない。こういうものは呪力が引いていくと記憶も自然に無くなってしまうことだってありえる。そのために補助監督たちが回収に来る前に、記憶が新鮮なうちに聞き出せるだけ情報を聞き出しておく必要がある。
「教えてください。これあなたのポケットに入っていました。どこで拾ったんですか?」
「それ…」
古い札でぐるぐる巻きにされている呪物を目の前に差し出す。
「…これは普通の人が持っている代物ではないんです。正直に答えてください、どこで拾ったのか…、あるいはもらったのか」
「ちょ、苗字さん…?」
「初詣で…僧呂さんにもらったの…。好きな人と結ばれるとかで」
「……僧呂にもらった?」
「僧呂さんにしては髪がとても長かったから違うかもしれないけど…お坊さんが着てそうな着物着てた人に…もらいました」
その僧侶が呪術師だったとして、だ。こんな一般人に特級呪物など安安と手渡すはずがない。そうなってくると一つ考えられるのは私たち呪術師の敵である呪詛師、と言ったところだろうか。
「……縁結び…とでも唆されましたか…。大方そのお相手は及川さん…ですかね」
「…っ!」
図星だった。恥ずかしそうにこちらを見上げる彼女は、恐らく呪物の矛先を及川徹に向けたに違いなかった。
「…呪いの藁人形とか知ってますよね?それと同じなんですよ、コレ」
「そんな…」
「あなたがコレに及川さんを想えば想うほど、コレは彼を苦しめていたんです。最悪、及川さんのバレー選手としての選手生命さえも危ぶまれるところでした」
「……っ!私!そんなつもりじゃ…!違うの及川クン!これは…!」
彼女は私のセリフに血相を変えながら自分の体を支えてくれている及川徹を見上げた。どうやら彼女なりに事の重大さが分かってきたらしい。
「ごめんなさい!及川クンごめんなさい…!」
館内に彼女の消え入りそうな謝罪の声が響く。及川徹がこの数か月自分の身に起こっていたこと、その原因を知って何を感じたのかは、私には知るすべもない。
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