今年の台風は異常だった。数十年に一度の豪雨に水没した地域が出たり、広い地域で土砂災害が起こったり、氾濫が起こったり。
その度に数少ない術師は駆り出され、私達一年生もより現場へ出る機会が増え凄惨な場面を見る回数も増えた。今月に入ってから寮も数回しか帰ってない気がする。あれ、なんか四角っぽい呪い倒してたら冷蔵庫の中身がちょっと心配になってきたな。豆腐って意外と期限短いんだよね…大丈夫かな。
「――ぶはぁっ」
消滅した呪いを見届けて転がり込んだ身体を起こす。ついでにズレた眼鏡の位置を元に戻した。
被災地に派遣されて五日目、数え切れないくらいの呪いを祓った気がする。呪具を地面に突き刺して、両腰に手を当てて息を整えながらさすがに疲れたと内心呟いた。呪術師界のブラックっぷりを一年にして目の当たりにした気分だ。こめかみ辺りから流れ落ちてきた汗を拭う。ペース配分ちょっとミスったかな…最初から飛ばしすぎた、なんて一人脳内反省会をしながらふうと息を吐くとそこで思い出したのが、先日の任務で起こった悲劇。
「助けてお姉ちゃん!」
「くっ、そ…!」
先日の任務で助けられなかった女の子のことが脳裏を過ってしまって目を瞑る。呪いを祓い続けると同時に助けられたはずの人の数も両手じゃ数えきれないくらいになってきて、その度に自分の無力を突きつけられて惨めな気持ちになる。五条さんの言葉を借りるならこれがおセンチってやつだろうか。
「苗字!」
「うわっ、灰原」
一通り呪いを祓ったその場で適当な瓦礫に腰を下ろして休んでいると背後からひょっこり現れた灰原に名前を呼ばれてびびりすぎて肩が跳ねた。少し疲れている様子が見えたけど、にこりと屈託のない笑みを浮かべる灰原が瓦礫の山を越えてやってくる。
「大丈夫か?怪我してる?」
「大したことないよ、かすり傷程度。灰原は?」
「僕は平気。西の方、七海も終わったらしくて今こっち向かってるって」
「そっか」
補助監督に一報を入れた灰原は「隣、いい?」と私の隣に腰を下ろした。眼鏡越しの視界にチラッと入った蠅頭の尾を掴むと、ぱんと弾け散って灰原が感嘆の声を上げた。
「へー微量の呪力でも祓えるようになったんだ」
「新月前後はせいぜい四級くらいのそれまでしか祓えないけどね」
さらさらと消えていく呪いを見送り、それから辺りを一視。
「この辺りはもう大丈夫そうだな」
「うん」
広がる景色には呪いは見えない。眼鏡の重さって結構ストレスなんだよなぁ、と思いながら外して胸ポケットに仕舞う。
「しかし今回は結構ハードだったね。被災地で広範囲だし」
空を仰ぎ見るとちょうど帳が上がって秋晴れが広がって、心なしか呼吸がしやすくなったような気がして大きく深呼吸をした。京都から帰ってきて一ヶ月、暑かった気温もだいぶ落ち着いてきて随分過ごしやすい時期に入ったと思う。
「…なんかさ」
ずっと胸の中にもやもや居座る感情につい言葉を発してしまい、灰原から「うん」と返事があって、どうしようあんまり考えずに話しかけちゃったと内心焦った。「えーっと」しどろもどろになる私に灰原は笑った。
「悩んでるんだろ?」
思わず隣の灰原を凝視するけど、彼は別にこちらを見るわけでもなく「今日は良い天気だな」と空に視線を上げていたのでとりあえず同意の言葉を並べた。
「別にすぐ決めなくても良いんじゃない?」
「…え?」
「呪術師になるかどうか、別にすぐ決めなくたって良いと思うよ僕は」
灰原はたまに勘が良い時がある。
一言もそんなことは言ってないのに、まさに悩んでいた言葉を言われてドキッとしてしまった。正直、最近あの母親を殺した呪霊を祓った後の自分はどうなるんだろうと考える日々があったのだ。その後もまた「呪いの被害者を救うため」なんて理由を掲げて祓い続けていくことになるのだろうかと。そんなことが果たして自分にできるのか。
「なんかさー、悩んで悩んで悩み続けるとさ、ある日急に来るんだよな、決める瞬間が。ほら、無くし物もそん時探しても見つからなくてある日突然見つかったりするだろ?似てるよなー!」
「…そうだね」
確かにどれだけ迷ってもいつか必ず選択肢を選ばなきゃいけない時は目の前に来る。それもそうだなと思って立ち上がり、地面に刺しっぱなしだった呪具を引っこ抜く。それを二つに分解しながらふと湧き上がった疑問を同期にぶつけてみた。
「灰原はさ、どうして高専に来ようと思ったの?」
「んー?大した理由じゃないよ?」
「いいじゃん、ちょうど良い機会だし話してよ」
「んー」と暫く顎に手を当ている灰原はどこから話そうかと悩んでいるみたい。それから顎に当てていた手を離し、ぴっと人差し指を当ててこちらを見た。
「僕、妹いるんだけどさ」
「うん、知ってる」
「妹は呪いが見えるんだ」
「へぇ」
「小さい頃からずーっと。親は一般人で呪いが見えない体質なのに僕と妹だけ見れてたんだよな。子共の頃なんか一緒に呪いに怯えて過ごしてたよ。今だから言えることだけど、蠅頭如きに怯えててさぁ」
遠い昔の、まだ幼い頃の自分を思い出しているのだろうか。苦笑いしながら灰原は語る。
「でも…ある日妹が呪い殺されそうになったことがあってね……妹を助けられるのは僕しかいないんだ、って思った時、アイツみたいな力の弱い人達を助けられる存在になりたいって思ったんだ。呪術師ならそれが出来るって知って、高専に来たってわけ!」
「…」
「本当それだけ!別に面白くないしょ!ごめん!」なんて照れ笑いしながらそう言われたけど、全然そんなことないと薄く笑いながら顔を横に振った。大切な人を守るために戦う、こんなに立派な理由がつまらない訳がない。
「苗字は?苗字はなんで高専に来た?」
「……私は、」
あの呪霊を祓うため…誰のためでも無い、自分のため。……言葉に詰まって思わず両手をぎゅっと握った。あまりにも独善的な理由すぎて、灰原の眩しい理由を聞いた今とても正直には答えられなかった。
「うーん正直、分からないや。ひょっとしたら私の方がつまらない理由でここにいるかもしれないね」
「そんなことないさ!理由なんて今の苗字に見えてないだけで、絶対何かがあるよ!大丈夫、いつか気付くさ」
なんでか知らないけど、灰原のセリフはいつも「そうだね」と言ってしまえる力強さと優しさがあって、つい嘘を言ってしまった私の心を救ってくれたような気がした。
◼︎
「はぁー、やっと帰れた」
被災地呪霊討伐任務を終えた次の日、長い移動を終えてようやく高専の寮に到着した。灰原と七海は途中スーパーに寄るだとかなんだとか言ったので私だけ先に帰ってきた。もう正直ご飯よりも早くシャワー浴びて寝たい。
玄関から談話室に入ると、ふとソファの背もたれの端から長い足が二つ出ているのが見えて、夏油先輩かな?
と覗いてみると違った。頭が白い方だった。黒い半袖Tシャツにグレーのスウェット姿だ。
「…五条さん?」
返事はないから寝てるらしい。てか体に対してソファのサイズ合ってなくない?体痛くないんだろうか。
まぁいっかと思いながら部屋に向かうとずっと部屋に置きっぱなしだった封筒の存在を思い出した。先月京都でいろいろお世話になったお代だ。長いこと会ってなさすぎて返すタイミングが無くて、ちょっと記憶から薄れかけてた。
部屋に戻り、渡そうと準備していたお金の入った封筒と入浴セットを持つと、不意にベッド上にあった毛布に視線が止まる。一分ほどそれを見て固まるとええい持ってけドロボー!と意味わからないことを心の中で叫んでは毛布を持って部屋を出た。
「………はぁ」
なーにやってんだか私も。
私が帰寮した時と全く変わらない姿勢で眠る五条さんに部屋から持ってきた毛布をそっと掛けた。脚が出てるけど知らないよ。
それからローテーブルの上に置いてあった携帯の下に封筒を置く。ここに置いておけば流石にわかるだろう。なんとなくまた五条さんを見下ろすとサングラスが気になりだして、一瞬手を伸ばしかけるが…まぁそこまで面倒見なくても良いかと手を引っ込めた。壊れたって大丈夫でしょ、ストックあるって聞いたし。
ソファの下に置いてあった入浴セットに手を伸ばす。
「――ひっ!?」
急にがしっと手を握られて悲鳴に近い声が出た。
私の手を握った方とは反対の手でサングラスをずらした五条さんはあの綺麗な目でこちらを見上げていた。その眼はしっかり開かれていてとても寝起きのようには見えない。
「…起きてるならそう言ってくださいよ…」
「寝てるなんて言ってないけどー?」
「寝てる人が寝てるなんて言いません!…相変わらず良い感じに性格歪んでますね」
「照れるけどお前ほどじゃねぇよ」
「五条さんに言われたくないですね…。…京都のお金、ここに置いておきましたから」
「薄給のクセに律儀だなーお前」
「…もう行って良いですか?」
離してくださいと言わんばかりに掴まれた手をブンブン振る。なんなのこの人まじで情緒分かんない。
「お前なんかやつれた?」
「はい?」
「若さが取り柄な年代がやつれたら救いようねーな」
「今日もすっごい最高の悪口ありがとうございます。心配してくださってるなら手放してください」
「してないっての。お前の心配して俺にメリットあんの?脳内お花畑か」
煽り上手だなぁ。ただ不思議と別に前ほどイラッとした感情が込み上げない。多分、なんだかんだ五条さんが善い人って言うのを知ってしまったからだろう。今までだったら歌姫先輩みたいに突っかかってただろうなぁと思う。
「なんかあったの」
「…全国東西南北呪霊退治に伴走してて何かが出ないことあります?五条さんじゃないんですから」
「…」
「あぁ、言い過ぎましたね生意気言ってどうもすいませんでした。シャワー行きたいんで離してください」
一瞬ムッとしたような五条さんは何かを言いたそうにしたかと思えば私の手に封筒をバシンと叩きつけては毛布に潜り込んだ。
「いっ、た!!」
「……のぼせて鼻血出すんじゃねーよ」
「…シャワーでのぼせられる方法あったら教えてください」
「おまえな」と言いたげな五条さんを放ってシャワールームへ向かった。あ、お金のお礼言い損ねた。
◼︎
「…いない」
シャワーから戻るときに談話室を通ったらソファはもぬけの殻だった。座面には五条さんが抜け出したまんま置かれている毛布がある。部屋に戻ったのかな…?
毛布を部屋に持って帰ろう、いやてか畳んで行けよと心の中で文句を言いながら畳んでいると男子寮の方から来る足音に顔を上げた。
「名前?」
「あ、夏油先輩」
白い七分袖Tシャツに黒いスウェット姿の夏油さんが「久しぶり」と手を挙げてくれた。…うわぁ、五条さんの色違いみたいな格好してる。
「地方任務だったみたいだね、お疲れ様。いつ帰ってきたんだい?」
「あ、さっきです。五日ほどかかりました」
「それは本当にお疲れ様だったね。ゆっくり休むといい」
「はい!おやすみなさい」
毛布を抱えてその場を後にする。自分の部屋のドアに手を伸ばしたところで手が止まる。
…疲れてるし眠いんだけど正直このままベッドに横になったところで寝れる気がしないのだ。余計なことをぐるぐるぐるぐる考えそうで…いや絶対考えるって。
いろいろ考えた末にドアノブにかけた手を下ろしてUターンすることにした。
「夏油先輩…」
「名前?」
談話室に戻ればさっき五条さんが寝ていたソファには夏油先輩の姿あって、向かいにあるテレビは何かの映画。映画と夏油先輩を交互に見た後におずおずと口を開いてみた。
「…あのー…私も一緒に観てもいいですか?」
「私は構わないが…寝なくてもいいのかい?」
「…」
「フフ、おいで名前」
寝たいけどなんか部屋に戻っても考え事してもやもやしそうで、でも疲れてる。そんな私の気持ちを汲み取ってくれた夏油先輩は微笑みながらソファの横を叩いてくれた。
大日如来様の導きが嬉しくなって座面側に回り込む。
「何見てたんですか?」
「B級ホラー」
「あはっ、呪術師がですか?」
「倒しにくそうな霊が出てくるのを観るのも結構面白いよ?」
「映画監督もびっくりな新しい映画の楽しみ方ですね」
「最初から流そうかい?」
「いえ!今からでも大丈夫です!」
ソファに座って畳んだ毛布を抱き抱えるようにテレビへと向き合った。
◼︎
「名前?」
少しだけカクンとソファが揺れて隣を見ると、毛布を抱えた名前の頭はふらふらと危なしげに揺れていた。
ゆっくり頭をこちらに誘導させてみたら思ったより簡単に膝の上に頭が乗っかり、抱えていた毛布をそっと抜き取って小さく丸まる体を覆うように被せる。それから顔にかかった髪を耳にかけてやれば小さくて白い耳と首筋が現れた。
「お疲れ様」
ひと月ぶりに見た名前は随分と疲れが溜まって疲弊しているように見えた。ただの肉体的疲労だけには見えないような。
ここのところ呪術師界は数週間前に起きた災害で忙しくしている。一年生もあちこち三、四級の呪霊討伐に駆り出されているのは聞いていた。恐らく名前も経験を重ねるにつれて色々思い悩むことが増えてきたのだろう。
労るようにその小さな頭を撫でた。
「傑?」
「おかえり悟」
玄関先から物音が聞こえ、私が振り返るより先に談話室の扉が開いて名前を呼ばれた。振り返った先にいた悟の手にはコンビニのレジ袋。悟は私の姿を見た後にテレビの画面に視線を移す。どうやら私が映画を見始めたことが気に入らなかったのか、不満げに唇を尖らせた。
「あーなに先に観てんだよーこれからオールで観賞会やろうと思ってたのに!」
「シー」
「チッ、これ終わったら俺の好きなやつね」
「はいはい」
隣を抜けて冷蔵庫を開ける悟からは揚げ物スナックの匂い。
「お前も食う?結構買い込んだんだよね」
「うん、ありがとう」
コンビニに行って夜食を買ってきたみたいだ。さては無限を使ったな。
二人分にしては多いなと思っていたら「一年ズも呼ぼうぜ」と悟が提案してくるから、ふと膝下の彼女を見て「いや、今日は二人で見よう」とこちらからも提案を返した。
「悟はそっち座ってね」
「は?なんで、……!」
リプトンミルクティーに角砂糖を追加したオリジナルドリンクを作った悟に一人掛けのソファを勧めれば思った通り反応だった。
口元に人差し指を充ててもう一度「シー」と小さく制する。
「可愛いお客さん来てるから」
私の膝に寝転がる小さな後輩に気付いた悟は鼻を鳴らして大人しく一人掛けのソファに腰を下ろした。
ミルクティーに入れた砂糖を溶かすようにかき混ぜる仕草は少し雑で、かなり面白くないと思っている気持ちがよく伝わる。
「そこ俺の特等席なんだけどなー。そろそろ料金制導入すっか」
「そもそも共用設備品だろう」
悟の席からは名前の顔が見えるのか、チラチラとテレビ画面とこちらを行き来する青い瞳に人知れずに苦笑いした。あとで悟に部屋まで届けさせてやろう。
今はただ私の隣で気を許してくれているこの小さな温もりを手放したくはないんだ。少し優越感に浸らせておくれ親友。
21.07.29(一部加筆修正)
まにまにtop
top