「呪物の確認?」
クリスマスと年の瀬が近づこうとしている十二月下旬。今年の自分へのご褒美は何にしようかと自室でネットサーフィンをしていたら急な日下部先生の呼び出しを受けたらこれだ。
「あぁ、通常三級術師は同級術師かそれ以上と任務に当んなきゃならないことになっているが、今回はただの呪物の確認だ。悪いが一人で行ってもらう。なにせ、」
「呪術師は万年人手不足、だからですよね」
「そーゆーこった」
「分かりました」
「災害の影響で三級呪物を保管していた寺院が半壊してな、その保存確認って訳だ。札や管理箱のチェックってところだな」
「へぇ、そういう仕事もあるんですね」
先も言ったが、呪術師界は人手不足が常。学校としては冬休みに入っても、残念ながら術師としての仕事は休みはない。まぁ年末年始に仕事に駆り出されるよりは良いだろうと思い任務概要の資料を受け取った。
翌日、平成の天皇誕生日に新幹線に乗り込んで目的の寺院とやらに足を運ぶ。大きな駅で乗り換えて、ローカル線に揺らされて二十分。歴史ある由緒正しさあふれる建物の門前を潜り、寺務所へ向かえば掃き掃除をしていた役僧さんは顔を上げるなり「あぁ」と声を漏らして薄く微笑んだ。
「こんにちは。貴方が連絡のあった…」
「はい。呪術高専一年の苗字名前と言います」
「えぇ、えぇ。どうぞこちらへ」
話は通じているらしく、爽やかな笑みを浮かべた役僧さんは丁寧な動作で手にしていた箒を壁に立てかけるとすぐに呪物の場所を案内してくれた。目的地の建物まで少し距離があるらしく、寺中を見渡しながら彼の後に続く。
「なんだか…見たところそんなに被害は受けてなさそうですね?」
「あぁ、実は呪物保管庫の方が酷くって…。山側にあるので土砂が流れ込んできてしまったんですよ」
「そうだったんですか」
「あそこが呪術を保管していた建物です」と言われて見上げるとたしかに建物の半分が土砂に巻き込まれてしまっていた。呪物はすでに掘り起こされて別の場所に保管されていたと言うので違う建物に向かう。
「…んー、特に問題はなさそうですね。丁寧に保管されています」
「そうですか、良かった」
「念のため底面に新しい封印札を貼らせてもらいますが、いいですか?」
「えぇ、どうぞ」
先生にもらった札を丁寧に呪物の底面に貼りつけて任務完了だ。その場で日下部先生に一報を入れて門へ向かう。
「我々にも術師様はお忙しいと小耳に挟んでおります。どうかご自愛くださいませ」
「ご、ご丁寧にありがとうございます…!そちらこそ、大変だとは思いますが…!」
えーとえーと、こう時なんて言ったら良いか分からなくてもたついていたら察してくれた役僧さんが「ありがとうございます。頑張ります」と微笑んでくれた。
「それじゃあ、私は、」「あっ、こないだのオネーチャン!」
体が固まる。
視線だけで横に動かすと、廃校で出会った子どもの呪霊がすぐそばでニコニコと微笑んでいた。
小さく声を漏らした役僧さんは見える側のようだが、これが呪いには見えてないだろう。旗から見ればただの無害そうな、ちょっと小汚い小学生が人懐っこい笑みを浮かべて私に話しかけているような微笑ましい光景に見えてるはずだ。
「あははっ、生きてたんだね、オネーチャン」
三日月型に細められた目を見て、全身にぶわりと脂汗が浮かんだ。ほんとに、その奥に孕んだ殺意と呪力は相変わらず何も笑えない。
「うわっ」
「今すぐ逃げてください!このお寺にいる人達を連れてなるべく遠くまで!!」
「は、はいっ!」
「あはっ、ゲーム?よく分かんないけど良いよ、付き合うよ!」
役僧さんを突き放すと、子供の呪霊が飛びつこうとするのを足蹴にして動きを止めさせた。すぐに離れて呪具を組み立てる。カチンと音を立てて一本化した呪具の矛先を呪霊に向けた。
「暇つぶしここに来てみたらまさかオネーチャンがいるなんて思わなかったなぁ。なんで生きてんの?流石にあれは死ぬコースだったっしょ」
「残念だったね。しぶとさだけは一人前よ」
「うっざ」
「――ふぅ」
深呼吸をする。多分、今きっと私は呪術師としての度量を試されている。久々に対峙する人間のカタチに近い呪いを目の前にぎゅっと呪具を握った。
「呪術師向いてねーよ」「苦しまないようにと思っているのかなるべく一撃で。人間の容姿に近いものには一瞬躊躇う傾向が見られるんですよ、あなた」五条さんと七海に言われたセリフが頭の中でループした。今まで自分の中で混在してた"呪いを祓う"ことと"生命体を殺す"ことの違い。
あの人たちは私が混在していることをわかっていたんだ。
だけどこの半年私も伊達に呪いを祓い続けてきたわけじゃない。ようやく殺しているのではなく、祓ってきている自覚を得た。今までの状況を基礎問題だとしたら、これは応用問題だ。人のカタチに近い呪いを祓えるのか、まるでそう言われているようだ。その応用問題の相手が母の仇であるところは何かの因縁なのかは分からない。
「――っ!」
突如振りかざされた拳を薙刀で振り払うと風を切る音が耳を掠めた。廃校で土手っ腹に穴を開けられてから半年、その間鍛錬も経験も重ね、長物のリーチをうまく使って立ち回る動作もすっかりこなせる様になった。相手は子どもの容姿、手足の届く範囲だって限られてる。避けて牽制して、さらには遠心力を使って薙刀を振るう。チャンスは見逃さずにぐっと腹に力を込めて呪霊の両腕を切断し、確信を得る。大丈夫斬れると自分を肯定した。
かすり傷を負いながらも目の前の呪霊を追い詰めていくと、不意に向こうが距離を取った。
「ふーん、前よりやるようになったじゃん」
「ゆとり世代舐めんな」
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけどさぁ?オネーチャンと僕って、何処で出会った?記憶が無いんだよねぇ」
「そういうナンパものは間に合ってるんだけど」
薙刀を構えるとぽつんと鼻先に落ちた粒。それは次第に数が増えていき、制服に雨水が滲んでいった。
「あぁ、そうだ。思い出した、三年前の雨の日だ」
それは両手をぽんを合わせて言ってきた。
「ごめんね、思い出すの遅くなって。僕は雨の日の憂鬱さから生まれた呪霊なものでね、雨が降ると調子良くなるんだ。だからおかげさまでようやく気づいたよ!
確か、適当に行き着いた場所で、すっごい美味しそうな呪力を持った子を見かけたんだった。
明日には食べちゃおーって思ったら次の日には鮮度が落ちててさ。でもまぁなんでもいっか、って思ってその子を食べようとしたんだよね。
そしたらそいつの母親が飛び込んできて、邪魔されてムカついたから殺したんだっけ。オネーチャンってさあれだよね、あの日僕が殺り損ねた人間だよね?」
長々と悦に浸りながら語る呪物に薙刀を握る手がミシミシ音を立てる。
「あっは、怒った?」
「…別に」
「超怒ってるじゃん」
こいつは絶対に"殺す"。
◼︎
「――はぁっ…はぁっ……」
「堪え性のないヤツだなぁ、もう死ぬ?もう死んじゃう?人間ってこういうところ脆いよねぇ」
「だ、れが…」
雨と一緒に血が地面に滴る。アレをやるしかない、か。呪具と体に同時に術式練り込む方法…まだスムーズにかつうまく行った試しがないんだけど…そう思った瞬間体に広がるあの感覚に顔を上げる。満月の時期に入ったこと体が感知した。
これは好機、時間はかけずに一気に行くしかない…いまだ荒っぽい技だけど自分の体力はそうはもたない。畳みかけるしか方法が思いつかなかった。
「…へぇ、どっから湧いてくんのソレ。そうそう、そのすっごい美味しそうな呪力……懐かしいなぁ食べ損ねたやつそのまんまだ」
「…味わわせてあげるよ、底無しの呪力に私の術式」
術式の火力最大にして呪具と肉体に練り込み、地面を蹴ると、反動で足元が崩れた。その勢いを殺さずに呪霊に呪具を振り下ろす。
「ふぅん、前も見たけどソレ、自身の筋骨を強化する術式…と言ったところか、な゛っ」
避けようとした呪霊の背後を先回りしてその小さな躯体に思いっきり叩き込むと轟音が響いた。術式入りの呪具、さらに術式で強化した肉体で振り下ろした攻撃は相当堪えるはずだ。藍色の体液が迸る。
「術式が理解できたところで対処できなきゃどうしようもないでしょ」
「あっ…がはっ…」
追い討ちをかけるようにして呪力入りの肉弾戦と薙刀の両方を叩き込むと、相当効いたのか口から藍色の血を吐き出した。いける!このまま、
「これでラスト!」
呪具を突く瞬間、呪霊はパンと両手を印を結ぶようにして握り合わせた。
「――領域展開、」
その後何かの言葉をつぶやいた直後に藍色の物々しい空間に包まれ、ぴたりと体が止まる。球体に包まれているような空間だった。四方全てが水に覆われていて水面のように揺れている。
ここへきて今の状況を整理する。匂いはない。音も特にしない。新しい痛みはない。感覚はある。息はできる。目の前にはあの呪霊の姿がある。今のところ攻撃はされていない。
……何ここ?
「が、はぁっ……はぁーっ…ったく…ここまで梃子摺らせてくれちゃって…はぁ…っ」
「…なに、…ここ……」
「知らないの?領域展開。ざまぁないね呪術師!!」
「!」
「針千本のーますっ!!」
四方の水面から雨粒が飛んできた。それは思ってた衝撃ではなく、体に鉄砲玉が当たるような殺傷性のあるもので、呪具を振り回しながら避ける。一定の時間降り注ぐと攻撃は止んでくれたが、幾らかは体に当たって全身が痛んだ。
「うっ、くっ」
「何も知らないまま死なせてもいいけど、僕今気分最悪だから絶望させたままぶっ殺してやるよ。領域展開はね、術式を付与した生得領域を呪力で具現化させたことを言うのさ」
「…!」
「簡単に言えばオネーチャンは僕にコテンパンにされる領域に引きずり込まれたってこと」
すっと指がこちらに向けられるとまたさっきと同じ雨粒の弾丸が飛んできた。あぁもう、あともうちょっとだったって言うのに!面倒臭い!もどかしい!
「くそ、」
そう思った瞬間、カーンと頭の中で高い鐘の音が響いた。あの京都で起きた感覚と同じ現象だ。足元に滴る血を一目見ては、呪霊をもう一度見て溜息を吐く。
「…もーーー…面倒臭い。やめにしよう」
「こっちのセリフだよクソ呪術師!お前も死んだ母親と同じように食い裂いて呪い殺してやるよ!!!」
「――」
ゆっくり深呼吸をして集中力を高める。難しいことを考えるのは元々苦手だったから、一旦考えを放棄するのは得意だ。
さて、今最優先すべきなのは…と目を開く。この空間からの離脱か。
とにかくありったけの呪力を一気に押し出してこの空間を制する。何度か呼吸を繰り返し、足を一歩前に踏み出すと足元に広がっていた血と雨水が一緒にばしゃんと跳ねた。
「――領域展開、」
踏みつけた場所から広がる白い曼荼羅のような円陣は、瞬く間に水面のような空間を白い空間へと姿を変えた。動揺する呪霊に違和感を覚える。すごく心地いいのになぜそんな顔をするのか分からなかった。心地いいのにこの空間にアレがいるのが気分が悪くて堪らない。まるで白いキャンバスに虫の死骸が張り付いてしまったような不快感。
「ば、馬鹿な…!!」
「僕の領域展開が押し負けた!?」慌てる呪霊を見ていると、体の四箇所が光っていることに気づいた。あぁ、あれは急所なんだ。誰かに教えられたわけでもないのに、脳が"そうである"ことを伝えてくる。不思議な感じだ。
軋む体にムチ打って足に力を入れて蹴り出すと簡単に呪霊との距離が縮んだ。あれだけ痛めつけられた体は背中に羽でも生えてるみたいに体が軽かった。
「く、っ、そっ…!!」
「いい加減大人しく死んでよ。せめてここから出てってくれないかな」
「お前が閉じ込めたんだろーが!!」
呪霊の光る急所を半分ほど破壊したところで急に体が泥沼にはまったかのように重みがかかる。遠退く意識に膝をついて、嘔吐感に身を任せると口の中に鉄の味が広がった。死ぬのかな、あーあ、この中は心地いいけどなんか死にたくないなぁ。
最期まであの憎たらしい白を連想させてくるのやめてほしい。
「あはははははっ、領域展開は呪力の消耗が大きいからね!広げすぎてハイペースにやりすぎたのかなぁ!?もう死んでいいよ!はいさよーなら!」
「…くそ」
詰んだ。そう思って目の前の呪霊を睨んだ。
瞬間、カシャンとガラスが割れたようなら音に見上げた。まさに先程思い浮かんだ、あの憎たらしいあの白いやつの姿が見えた。アイスブルーの双眼と目が合うのを確かに見た。
「術式順転ーー蒼」
五条さんの静かな、でも悍ましい殺意を纏った声が木霊した。
◼︎
「ご、じょう…さとる゛ぅっ」
白亜空間がガラスのように音を立てて崩れる。
無様にも地面に転がる呪霊の身体は半分以上吹っ飛んでいて、忌々しげに俺の名前を紡いだ。アレはあのまま放っておいても消えるから無視。それより今はこの馬鹿の手当が先決だ。俺の腕の中で脱力している名前の様子を一目見て硝子に電話をかけた。
「硝子、今どこ!?」
待っているよりこっちからトんだ方が早いかもしれないな…。合流地点の摺合せしていれば「許さない…許さないからな五条悟!」背後から聞こえた呪霊の名前がぴくりと動いた。ぐっと身体を起こすバカを止める。
「おい動く、な…!」
瞬時に腕の中から飛び出た名前は、瀕死の呪霊に飛びかかり、その顔を殴った。その一撃で呪霊は完全に消滅した。もう祓い終えて消え失せてるが、関わらず拳は止まらない。
「オイ!何やってんだお前!」
地面をひたすら殴る名前の腕を掴んで気づいた。コイツ、意識がねぇ。
「落ち着け名前!!もう終わった!呪霊は祓った!だから、もういい!」
抱き込んで目元を手で覆い、そう叫べば漸く止まった体。
「ご、じょ…さん…?」
ゆっくり目元を放してやれば、名前の目がようやく近くにいた俺に向けられ、途端に馬鹿みたいに散り散りに放たれていた呪力がゆっくりと落ち着いていった。その瞬間六眼が今まで見たことがなかった、名前自身に刻まれた術式をはっきりと映し出す。見るのは二度目だったが、ここまではっきりと見たのは初めてだった。なんで今更こんな鮮明に見えて……、そうこう思案しているうちに見えた術式は呪力の収縮と共に見えなった。
ぐにゃりと脱力した名前の体を抱き止める。
「ごじょう、さん」
「そーだよ」
「…はぁ………はぁっ…!目、が、目、まわる…っ…きもちわ、るい……」
「…落ち着け、深呼吸しろ」
「五条さん…っ!」
「もう喋んな」
「じゅれい…っ、」
「もう終わったんだよ全部」
ようやく俺のセリフを理解したのか。虚な瞳に薄い膜が張り、それはやがて目尻へと流れていった。嗚咽を上げて泣きじゃくる傷だらけの小さい体を今はただただ何も言わずに抱きしめた。
21.07.29(一部加筆修正)
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