猪口と前篇

 五条さんに開けられた軟骨のピアスホールに収まる呪具ピアスが体の一部として慣れてきた頃。

「名前は誰かにあげんの?」
「えっ?」
「チョコ」

 硝子先輩との学年交流任務の帰り、補助監督さんのピックアップ待ちをしていたら隣で白煙を吹く硝子先輩が不意にそんなことを言った。
 反射的に硝子先輩の方を見るけど、その目はこちらには向いておらず「ん」と咥えたタバコの先がアレと言わんばかりに正面を指す。その先を追いかけてみると真正面にあったショッピングモールのビルに「バレンタインデー」なんてラブリーに書かれた垂れ幕が大々と存在を主張している。
 そこでようやく私は今年もバレンタインが迫ってきていることを思い知らされた。バレンタインねぇ…。

「てか、硝子先輩そういう話好きなんですね?意外でした」
「フツーだろこのくらい。で?誰かにやる予定あんの?」
「そうですねぇ…」

 ガードレールにもたれながらしばし思案し、手を出す。ざっと思い浮かんだ人達の名前を読み上げては指を折りたたんでみた。

「硝子先輩と夏油先輩と同期二人、夜蛾先生、日下部先生ですかね!あと補助監督さん達」
「ははっ、五条いねーのウケる」
「どうせ間に合ってるパターンですよね?見え見えですよそのオチ」
「まあな。すごかったよ、五条と夏油の去年」

 その隣で私はでしょうね、軽く笑った。
 五条さんと夏油先輩は言わずもがなそれはそれは大層おモテになる。京都や年末年始に女の子達にキャピキャピ騒がれているのは目の当たりにしているし、この仕事をやっていると任務で助けた人達からお礼状や菓子折りが届くことがあるのだが、あの二人にだけ尋常じゃない量が届くのだ。
 甘いものが好きではない硝子先輩は去年同級生の所へ届いた大量のお菓子のことを思い出したのか、胸糞悪そうな表情を浮かべた。「綺麗なお顔が台無しですよ」と伝えておく。

「夏油には渡すんだ?」

 念押しするかのように面白そうにほくそ笑む硝子先輩。何を考えていらっしゃるんだか…。

「そりゃ当然ですよ。大日如来様はいつも心の支えになってますから。…まぁ受け取ってもらえなかったらそれはそれで夏油先輩の部屋の方に向けて一定期間飾っておきます」
「ブハッ、お供物」
「違いないですね」
「そんで、五条に渡してやんねーんだ?」
「渡したとして受け取ってもらえるとは思えないと判断しました。無意味なことはしないに限ります」
「そんなのわかんねーじゃん。渡してみなって。面白そう」
「本音ボロ見えですけど何企んでます?あ、お迎え来ましたよ硝子先輩」
「はいはい」

 硝子先輩の後ろについて足を進める。

 …五条さん、ね。…別にバレンタインどうこうで浮かれる人じゃないでしょあの人。でもまぁ、助けられたことがあるのは事実だ。一応用意してやらんこともない、と謎に上から目線になりながら車に乗り込んだ。





「お疲れ様です、苗字です。稲森さんすいません、今朝下ろしたところでお願いできますか?」
『お疲れ様でした苗字さん。あと五分ほどで着く予定です。例の物、買えましたか?』

 バレンタインデー当日。補助監督の稲森さんにピックアップのお願いの電話を入れた。楽しそうな彼女の最後のセリフに手元の紙袋を見下ろすと、そこには有名なブランドチョコのロゴが入った紙袋が。なかなかの人数分買ったからお財布が急に寂しくなったのは多分気のせい。

「おかげさまで。任務帰りに買い物がしたいなんて我儘言ってすいません」
『いいんですよ、上級生の皆さんは寄り道なんて日常茶飯事ですから』
「そうなんですか?」
『特に五条くんは降ろした地点から数十キロ離れたところにピックアップのお願いなんてよくあります』
「お、お疲れ様です…(何やってんのあの人)」
『ふふ、ありがとうございます。それじゃあ、後ほど』
「はい、お願いします!」

 電話を切って紙袋を持ち直す。流石に買いすぎたかも。重いわ。

 硝子先輩とバレンタインの話題を交わし、チョコを用意するかと決意した次の日から、まるで買いに行かせないといわんばかりに授業、実習、出張の任務が入り込んだ。結局当日になって都内の任務帰りに買うことに。
ま、間に合ったから結果オーライだけどね!

 稲森さんにはその場で渡しちゃおう。灰原と七海は帰寮時間くらいになったら談話室集合させよーっと。メール画面を開いて宛先から二人の名前を探す。


「ーー!」


 ゾクリと背筋が粟立つ嫌な気配に顔を上げた。

 なに、これ。こんな街中でどでかい呪いの気配。
 肩にかけていた呪具入りのバッグを抱えなおして辺りを警戒するよう視線を巡らせる。呪いの気配は大きすぎるが動いているらしく、だんだんとこちらへ近づいているのがわかる。

「う、わっ!?」
「わっ!ご、ごめんなさいっ!」

 人混みから飛び出してきた女の子とぶつかりそうになって慌てて避けると、バチンと雷にでも当たったかのような呪力の衝撃を受ける。

 この呪力レベル…絶対二級じゃない…最低でも一級以上…!

「まっ……て、えっ!?足はやっ!」

 引き留めようとしたが人混みを上手く掻き分けて走り去る女の子はあっという間に姿が見えなくなってしまった。さらに目を見張ったのは彼女を追いかけるように飛び交う呪霊達だ。あの子を助けなければと直感的に体が動く。

 路地裏に回り込み、術式を使って非常階段や看板、マンションのベランダの手すりを蹴り上がってビルの屋上に降り立つ。

 幸い呪霊達がプチ百鬼夜行を行ってくれてるおかげで彼女の走り去った方向が分かった。ビルからビルへと駆け抜けながら携帯で電話をかける。

「稲森さんすいません緊急です!一級術師に応援要請お願いします!携帯の位置情報を、頼りに見つけてください!」
『えっ、位置情報!?……って、苗字さんどうやって移動して!?目立つようなことは…』
「すいません!それは後でしっかりこってり怒られます!では!」

 切る直前に稲森さんの戸惑いの声が聞こえた気がした。すいません…!これはたぶん結構不味い事態な気がしてならない。
 昼でも夕方でもない絶妙なこの時間、黒服のJKがビルを飛ぶようにして駆け抜けてたら流石に目立つか…。夜蛾先生に怒られるかな。怒られるよね…。
 なるべく一般人には「視界の片隅でカラスが飛んだ」と思われるくらいの空気を全力で纏って駆け抜ける。

「見つけた…!」

 プチ百鬼夜行の先端にいた女の子の姿を捉え、すぐさま指を二つ揃えて印を組み、散々授業で暗記させられた言霊を述べた。

「闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え!………ウン、デスヨネ」

 帳を下す言霊を述べても下りる気配ナシでがっくりと項垂れる。そう、私はとにかく帳を下ろすのにセンスがない!
 女の子が転ぶのを見て、帳の再チャレンジをさせてもらえる時間はなさそうだと瞬時に悟り頭を切り替える。

「帳もっと練習しておけばよかったー…」

 ぶつくさ言いながら呪具を素早く組み立て、術式を使いビルを蹴るように飛び降り、女の子に襲い掛かる呪霊達を手早く祓う。傍から見れば路地裏で薙刀を振るうトチ狂ったJKにしか見られないだろうなぁと他人事のように思いながら薙刀を振るった。
 呪霊を叩き切りながら通行人がいないかチェックしてほっと一息つく。よかった、目撃者は幸いこの子だけでなんとかなりそうだと一通り払い終えた所で急いで女の子の容態を確かめるべく駆け寄った。

「…あ……」
「君、大丈夫?」
「こ、来ないで…!」
「え?…っ!」

 不意打ちでドンと胸を押されて尻もちをついて、散々受け身の訓練してきたくせに「あでっ」と情けない声が出てしまう。
 私を突き放した女の子は踵を返すとすぐに私から逃げるように駆け出すが、その向こうにいたのは一級相当。鋭利な爪が生え揃ったその手は既に天高く振り上げられていて、下げたら一瞬でお陀仏間違いなしだった。


――なんとか地面に伏せるようにさせないと…!でも呪具だと怪我させちゃう…!


 そこで腕にぶら下がっていたブランドチョコの存在を思い出し、一秒未満の判断力でそれを腕から抜いて、投げやすいように取っ手を握り振りかぶった。

「ふんっ!!」

 贈り物だろうがなんだろうがもうなりふり構ってられるか!
 チョコの入った紙袋ごと彼女の脹脛めがけて投げつけると、膝カックンよろしく見事にバランスを崩した彼女。お陰で呪霊の鋭利な刃は彼女の身体を引き裂かずに宙を斬った。
 すぐに術式で地面を蹴り、転んだ彼女の身体を抱えて離脱。抱えた瞬間特級レベルの呪力が流れ込んできて一瞬だけ意識が遠退きかけて転びそうになったけどなんとか持ち堪えて呪霊から離れる。な、なんだ今の…。

「あ、あの…!」
「お姉ちゃんが助けてあげる。だから、お願い。逃げないで…!」

 改めてみた彼女の顔はずいぶんと幼い。まだ小学生かそこらだろう。怖がらせないように努めて優しい声色で訴えるようにそういえば、女の子は泣きそうな顔で頷いてくれてほっとした。

 この子を一人にしてあの呪霊とやりあうには些か不安が残る。私に結界術が使えれば…そう思ったところで、前に灰原にもらった呪符の存在を思い出した。
 初詣の時に灰原がお守りにと作ってくれた呪符。バッグに忍ばせてあるそれを取り出し、彼女の背中に貼り付けるとうっすら黄色味がかった膜が彼女を覆い、近くにいた蠅頭が膜にぶつかるとバチンと電撃を受けて消滅した。その様子を見て確信を得た。これなら祓いに行けると。

「そのお札、絶対剥がさないで。化け物から守ってくれるから!」
「う、うん」

 車の影にしゃがませ、一級相当の呪霊と再度向き直る。呪符の効果は確か…五分。

「闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」

 今度こそ降ってきた黒いカーテンを視界の隅で見届けながら呪具をしっかり握り込む。
 稲森さん、一級呪術師呼んでくれたかな…。正直勝算はないんだ。五分間足止めさせ、間に合わなかったらとにかく連れて逃げ回る。

「――嘘…、めちゃ硬い…!」

 時間稼ぎとは言ったものの、正直私の時間の問題すぎた。
 ギャンと金属特有の音を立てて呪具が弾かれバランスを崩す。呪力込めてるはずなのになんで歯が通らない…なんで!?

「うわやば、」

 視界の片隅にあった呪力が少しずつ消えていく気配を感じ取った。灰原の呪符の効果が消える、そう意識を一瞬女の子の方へ向けた途端、呪霊の尻尾が脇腹に直撃して吹っ飛んだ。

「ぐっ……!」

 建物にぶつかる衝撃に目をぎゅっと瞑って備えていたらばふんと、柔らかい感触のものに全身が包まれて吹っ飛ばされた身体が止まった。

「……へ」
「なーに雑魚如きに手こずってんのお前」
「うえっ!?」
「や、加勢に来たよ名前」
「五条、さん、に夏油先輩…!」

 見上げたら夏油先輩と五条さんがふかふかそうな呪霊の上に立っていた。
 どうやら私は吹っ飛ばされたところを夏油先輩が出した呪霊に助けられたらしい。「ダッセーな」なんてげらげら笑いながら人をバカにするようなことを言った五条さんは得意げに右手を差し出すと、「悟ー、あんまやりすぎないようにねー。それ結構イイやつだから欲しい」と夏油先輩が間延びした声で注意を促した。

「えー?また?たまにはスカッと行かせてよ」
「私がいない単独の任務でなら存分にやってくれ」

 五条さんは不満そうに術式を放つと、先ほど私が散々戦いに苦戦していた呪霊に一撃が当たり、地響きを立てながら地面にぶっ倒れた。人間業じゃないその光景を唖然と見つめ、潔く項垂れる。
 悔しいけど、これが現実だ。

「はぁ…とにかく助かった…」
「よく一人で持ちこたえたね」
「ありがとう、ございます…。あの、その、向こうに女の子が…」
「あぁ彼女なら稲森さんが保護してくれたよ」

 「…そっか……良かった…」しみじみ呟くと急に襲い掛かってくる眠気。こんなふかふかな呪霊の上にいたらもう寝てくださいって言ってるようなもんだ……。
 そんなに呪力を使っていないはずなのに、やけに身体が重い。

「名前?……え、寝てる…?」
「えっ?マジ?おーい、毛蟹?」

 遠いところで二人が驚いてるような声が聞こえた気がして、それから頬をペチペチ叩かれてる感覚があったが、私は意識を沼の底に放ってしまった。

「コイツ呪力少ねーな」
「そうなの?…残穢見た感じそんなに呪力使ってなさそうだけど」
「心当たりあるならあのガキの持ってる呪物かもな。デケー気配広げてるし」
「あぁ、もしかして"吸う"タイプか?」
「かも」

ーー苗字、入眠。

21.08.01(一部加筆修正)



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