炎陽と前篇

 外では蝉がけたたましく泣き叫ぶ季節になった。

「灰原ー?」

 二年の教室を覗いた。

「灰原ー?」

 鍛錬場を覗いた。

「灰原くぅーん?」

 談話室を覗いた。

「おい灰原!いるんだろ!分かってるんだ!出てこい!」

 さながら借金の取り立てみたいな感じで寮の部屋を叩くも反応無し。

「えぇー…」

 ひょっとしてこのクソ暑い中グランドにいるんじゃないかと思って行ってみるけど姿無し。どこ行ったんだアイツ。こういうときに限って見つからない犬系同期に呆れながら広い高専の中を彷徨くこと一時間。
 …いやまじでアイツどこ行った?コンビニ行ってたにしても流石にそろそろ帰ってきててもおかしくないし…。

「出ない!!」

 電話もずっと出ないし折り返しもなく、どうしたもんかと持っていた紙束を見下ろした。午前中、補助監督さんに寮の玄関先まで呼び出されて、明後日の任務について追加の資料を貰った。灰原の分を受け取ったのだがまじで捕まらない。
 …もういっか、明後日渡せば。

「わ」

 ぼけーっとして歩いていた私の近くに心臓に響く重い音を立てる一台のバイクが止まった。
 アメリカンバイク……しかも女の人が乗ってる。髪の毛さらさらだし脚なっが。高専の関係者かなぁ?
 颯爽とバイクから降り立った女の人はヘルメットを外してまとわりついた髪を振り払うような仕草を見せ、それから私の姿に気づくなり「あら」と思ったよりも人懐っこそうな笑顔を見せてくれた。ちょー美人。

「こんにちは」
「こ、こんにちは…!」
「高専の子?だよね?」
「え、あ、はい」
「どんな男がタイプかな?」
「……えっ?」

 思わず聞き返してしまった。
 職員室はどこかな?なテンションで尋ねられて自分の想像と現実のギャップに脳みそが一瞬バグった。「ん?」私の様子にどうかしたのかなと女の人が首を傾げるからおかしいの私?とさえ勘違いしそうになった。

「あ、えーっと、そうですね、…あんまり考えたことなかった、ですねぇ」
「ありゃ、そのくらいの年なら理想像たくさん出てくると思ったんだけどな」
「そうですねぇ強いて言うなら…性格に難がない人ですかね」
「へぇ、外見じゃないんだ」
「老いればみんな同じような見た目になりますからね」

 それに顔が良ければ良い訳じゃないと全身全霊で教えてくれる例が一つ上の学年にいる。ちょっと悟ったような気分で語ると、女の人はお腹を抱えて爆笑。

「あっはっは!なんか人生二周目みたいなこと言うね君!面白いや!私、特級呪術師の九十九由基よ。よろしくねかわいこちゃん」
「え」

 差し出された手をおずおず握り、その名前を聞いて驚いた。女の人…九十九さんは「お?」と嬉しそうな笑みを浮かべる。

「あの、ですか?」
「んー!?どれどれ!?」

 嬉しそうに目を輝かせて迫ってくる九十九さんの迫力に押し負けそうだ。
 特級呪術師は三人いると聞いていて、そのうちの二人は五条さんと夏油先輩。それからもう一人は女の人の話だ。まぁ、ほとんど海外にいてぷらぷらしているとあまり良い噂は聞いてないがその実力は特級として申し分ないとか。

「え、と、海外によく行ってるって聞いてたので詳しい話は聞いてないのですが…、女性で凄腕の特級呪術師がいると」
「ははーん」

 顎に手を当てて嬉しそう自分の噂話を聞く九十九さんを見て妙な罪悪感を抱いた。いや、うん、私は間違ってはない。間違ったことは言ってない断じて。だから別に罪悪感を感じる必要はないだろう。

「それで?かわいこちゃんのお名前は?」
「あ、かわいこちゃんではないのですが、苗字名前です」
「そ、名前ちゃんね。オッケー覚えたわ」
「九十九さんは誰かに御用が…?」
「やーね、由基って呼んで!かたっ苦しいの嫌なの。ここに来た理由はね、春に特級になった子達がいるでしょう?帰国ついでに好みの女のタイプを聞いてこようかと思ってね」
「へぇ」

 挨拶ではないんだ……いや、違うか、挨拶か。好みのタイプを聞くのがこの人なりの挨拶なんだろう。アイスブレイクという用語があるくらいだ。初対面同士打ち明けるためにもこういう話術は、今後術師としてやっていくためには必要かもしれない。

 ちょっとした勉強をさせてもらったお礼に思い出せる限りの情報を捻り出して夏油先輩と五条さんの所在を思い出してみるが……うーんわからん。
 特級になってからあの人達は単独任務が増えたせいで一緒に過ごしているところを最近ほとんど見かけなくなってしまっていた。
 またあの二人が並んで笑っているところが見たいなってちょっと思ったり。

「すみません、今あの二人がどこにいるかわからなくって…電話でもしましょうか?」
「あぁ、いーのいーの!会えたらいいなーくらいに思ってるから。ちょっと探してみていなかったらお暇させてもらうわ」
「そうですか。私も人を探してるので、これで失礼します」
「また会いましょ、名前ちゃん」
「はい!さようなら由基さん」

 ぶんぶん手を振って由基さんとさよならして自室に戻ろうと足を進めると、ぴろんと携帯が新着メールを知らせる音を立てた。送り主は珍しく七海からで『さっき正門前ですれ違いました。携帯は部屋に忘れていたそうです』と文章を見て項垂れた。一番嫌なパターンだったよこいつ。正門前か、ここから向かえばちょうど会えるかな?持ち歩きすぎて紙束がくしゃくしゃになってきたから早く渡しちゃいたいんだけど。


「すれ違わなかったー!」


 もう一度言うが高専内は広い。それに目的地の場所まで向かうにもいくつかルートがあるから、最悪の場合すれ違うこともある。まさに今の状況だ。くそ、と内心口悪く毒づいていると『ごめん!今寮戻ってメールと電話気づいた!』のメール。
 見事に最悪のパターンだった。

「寮に戻るか」

 『私が着くまで絶対動くな。二度と寮出るな。ダメ絶対』とそれだけ返信して足を進める。


「――あ」


 またもや心臓に響くようなエンジン音が聞こえて顔を上げると寮の前に夏油先輩が立っていて、その視線の先には去っていくバイク。あ、由基さん夏油先輩に会えたんだ。
 由基さんを見送っていた夏油先輩はふう、と一息吐くと私の気配に気づいて顔をこちらへ向けた。

「名前?」
「夏油先輩こんにちは。由基さんに会えたんですね」
「名前知り合いだったのか」
「ついさっき知り合いました!」
「…そうか」

 ふと笑った夏油先輩から感じた妙な違和感。
…疲れてるのかな?大きな体を半ば引きずるように……、かったるそうに歩く背中は別に初めて見る訳じゃないのにやたら違和感がべたべた張り付いてくる。

「夏油先輩…」
「うん?」

 どうかしたんですか、と言いかけたけど声が出なかった。なんだか私なんかが軽率に聞いちゃだめなような気がして、それ以上の言葉が出なかった。よく考えたら私は知らなかった。夏油先輩だけじゃなくて、三年の先輩達が背負っているものを……何も知らなかったことに気づかされた。
 唐突に突きつけられた壁に足が出なくて、寮の玄関を開けた夏油先輩は立ち止まる私を振り返って不思議そうにしつつも優しい声色で名前を呼んだ。

「外は暑いだろう、早くおいで」
「あ…はい」

 ようやく足を動かすと暑さからくる汗とは違うものが首筋を流れた気がした。

 玄関で靴を脱いですぐ目の前にある談話室の扉を開けると、談話室についていた冷房が私達を包んでくれて心地よさにため息が溢れた。「やっぱり今年の夏は暑いね」ぱたぱたとTシャツの胸下を何度か引っ張って服の中の空気を入れ替える夏油先輩の表情は少し柔らかくなったように見えてホッとした。暑かっただけかな。
夏油先輩、いつも涼しそうな顔してるけど暑いのは意外と苦手なのだろうか。

 灰原用に持ち歩いていた資料がくしゃりと音を立てて、そこでようやく自分が変に力が入っていたことに気付かされる。

「明後日、灰原達と任務あるんだって?」
「あ、そうなんです!ちょっと遠いところでして」
「さっき彼と少し話したよ。お土産の話とか」
「マジですか。私アイツずっと探してたんですよ…この炎天下」
「あぁそうだったのかい。まあ今頃多分部屋に戻ってると思うよ」
「もう二度と寮から動くなって伝えてあるんですけど、そうだといいです…。灰原探しに一時間くらい時間取られてるんで」
「そうか…じゃあ一時間コキ使われてもらうしかないね」
「わ、まさか夏油先輩からそんな言葉を聞けるとは」
「私を何だと思っているんだい」
「大日如来様かと!」
「それを言われると怒るに怒れないなぁ」

 「ずるいねぇ」と言われて二人で笑った。なんだ、よかったいつもの夏油先輩じゃん。安心しきったところで突然ポケットに入っていた携帯が震える。着信っぽい震え方に、ディスプレイを見て確かめようとすると突然廊下がぎっと大きく音を立てた。顔を上げ、視線の先に瞠目した。

 少しよろめいた姿の夏油先輩がスローモーションに見えて、倒れちゃう、と血の気を引かせながら咄嗟に手を伸ばした。


「夏油せんぱ――」


 携帯と灰原に渡す予定だった資料がそれぞれ鈍い音と軽い音を立てて廊下の床に落ちた。

「……え?」

 体に巻きつかれる熱。
 石鹸の匂い加えてほんの少し柔軟剤の匂い。

 顔にかかる少しクセのある黒髪が頬に当たってちょっと痒かった。まるで抱きしめられているような体勢になってることに気付いた途端、息が詰まった。

21.08.01(一部加筆修正)



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