「……げ、とう……せんぱい?」
絞り出すように出た声はかっすかすだった。
「……ごめん……少し…、眩暈が」
そう言いながら体に回された腕にぎゅうと力が篭る。そ、そっか、眩暈!!やっぱり夏油先輩体調が良くなかったんだ!!どうしよう、硝子先輩かな!?ワタワタしていたら足元の携帯がまた震える。と、取りたい、取りたいけどこれどうしよう!?
「――ったく、人の電話シカトするとか良い度胸してんじゃん馬、鹿………」
唐突に開かれた談話室の扉にぎくっと体が強張った。体勢的に扉の方が見えないけど「あ?」と疑問詞を発した声の持ち主は絶対五条さんだ。こんなお口悪いようなセリフ吐けるのは五条さんしかいない。五条さんしか知らない。
文字通りカッチンコッチンに固まっていると、夏油先輩がゆっくりと動き出して体が離される。密着していたことでじっとり篭っていた熱が冷たい空気と入れ替わっていって、涼しいを通り越して寒気がした。
さっきの由基さんが乗ってたバイクの音みたいに心臓が、いや全身がポンプか何かになったように暴れ狂う。
「……すまなかったね名前。最近夏バテ気味だったから頭がくらってしてしまったよ」
「えっ、あ、……いえっ」
「あぁ、おかえり悟」
「………あぁ」
夏油先輩はまるで何でもなかったかのように足元に落ちた私の携帯と資料を拾うと「ごめんね」とまた謝りながら渡してきた。
恥ずかしさから顔を直視できなくて、受け取ったものを見ながら「いえ、」と短い言葉を発した。顔が熱い。
「…傑、調子悪ぃの」
「夏バテかな。寝れば治るさ」
「ふぅん…」
携帯のディスプレイに浮かんでいた「ぐらんちゅ」の文字をただ見ていると少し不機嫌そうな五条さんの声が聞こえた。
ちょっと咎めるような言い振りだったから夏油先輩は体調悪いことを五条さんに言ってなかったのかもしれない。五条さんも夏油先輩も体調が悪くても黙って耐えてそうなイメージあるし。
「最近遅くまで起きてるからだろ」
「そうだね、たまにはゆっくり休むことにするよ」
肩をすくめた夏油先輩は「じゃあね名前。任務頑張ってね」と一言言って踵を返す。やっぱり最後の最後まで顔を直視できなくて、立ち去ってからようやく夏油先輩の姿を見た。遠くなる背中は相変わらず憑き物がついたように重そうに見える。大丈夫かな、今度任務帰りになにかゼリーとか買ってった方が良いかな。
先輩の背中を見送りながら一息つくと今度はズイッと五条さんが寄ってきてちょっと身を引いた。のだけどまたぐいぐい近寄られ、その度に下がるを繰り返したらソファーの背もたれにぶつかり、これ以上離れることを諦めた。
じっと見つめられて居心地の悪さに目を泳がせていると、雑に顎を掴まれて五条さんと強制的に目が合う。心なしかブスッとしているような気もしなくない。ツラの良さのアピールですか?やめてくれ、本当に心臓に悪い。
「オイ」
「は、はい!?」
「電話」
「え?」
「出ろよ」
「あ、すいません…出れなくて…」
開きっぱなしのディスプレイを見てみたら「着信二件ぐらんちゅ」と書かれていて、それを見た五条さんが「何それ」と素早く突っ込んできた。
――あ、しまった。
「ぐらんちゅって何コレ、俺?」
「や、やだなー可愛い後輩の戯れですよ戯れ!」
「どう見ても嫌がらせだろコレ。お前さては沖縄の時から変えてなかったな」
「いだだだだっ」
大きい手で頭を鷲掴みにされて「今すぐイケメン五条先輩に変えろ」と脅され、渋々電話帳を開けてぐらんちゅから五条さんと書き直す。事実とはいえイケメン五条先輩は腹が立つので却下だ。とりあえずぐらんちゅ以外の名前ならなんでも良かったのか、五条さんはディスプレイから顔を離した。
「…傑、調子悪いの前から知ってた?」
「え」
ぎく、と体が強張った。さっきのこと、だよね。
「いえ……。えっと…さっき久しぶりに会いまして…、なんか疲れてるのかな?ぐらいに思ってたんですけど…さっき立ち話してたら眩暈がしたって…」
「…あそ」
五条さんはそう言って少し下がりながら夏油先輩が消えていった談話室から男子寮へ繋がる廊下を見た。横から見えた綺麗な瞳はどこか寂しそうで心配しているようだ。
少し間が開いてから私が見ていることに気づいた五条さんは「んだよ」と軽く睨みながらそう言ってくるから「なんでもないです」と視線を逸らした。どうしよう、なんか気まずい。
「そいや、七海に聞いたけど明後日から東北の方で任務だって?」
「あ、そうなんですよ」
「甘いモンよろしく」
「あー灰原に言っておきます」
「この恩忘れたとは言わせねぇぞ」
「はっ?」
すっと五条さんの大きな手が私の顔に伸ばされて、そのまま耳に触れられて首をすくめた。ごつごつとした指先が耳の、それも軟骨部分に触れると普段からつけっぱなしの呪具へと移る。
この人ホントすぐ呪具に触りたがるけど皮膚の感触とはまた違うところを触れられるとぞわぞわするからやめてほしい…!
ちなみにこの恩、とはピアッサーの件だろうか。
「い、いや、それ随分前の話じゃないですか。それに穴開け権利渡したんで無効ですよ。むしろ適当なタイミングで勝手に違う所に開けたことまだ詫びられてないんですけど」
「はぁー?これだから女はネチネチネチネチ…」
「ネチネチしてるのはそっちの方じゃないですか!いだだだだだ」
耳たぶを引っ張られて反撃してやろうかと思ったら五条さんはぱっと耳を離した。じんじんする耳を抑えると、さっきの気まずさがどこかへ吹っ飛んでしまっていることに気づて、ひょっとして五条さんは気を遣ってくれたのだろうかと一人思案した。
「そうだな、帰ってきたら俺の金でバーベキューやってもいーよ」
「近江牛A5ランクの手配お願いします」
「お前まじでカワイクねーな」
ハン、と鼻で笑った五条さんは男子寮に向かいながら「考えとく」と言って立ち去るのを「え、いいの?」と半信半疑で見届け、その背中が見えなくなったところで自分も女子寮に向かった。
うーんあの反応の感じ、甘かったか?近江牛に加えて、飛騨と石垣も頼めばよかった…後で追加の要求メールでも送っておこうかな。あとアワビとか伊勢海老とかも。
『苗字まだー?』
夜になって届いた一通のメールを見て顔に手を当てた。…すっ……かり忘れてた。
いろいろ短時間で情報が入り混じりすぎて当初の目的だった灰原へ資料を渡す任務が頭からすっぽ抜けてしまってた。
「はぁ、行くか」
産土神信仰にまつわる二級呪霊の祓除任務の詳細が書かれた紙を見て項垂れる。……灰原にもバーベキューの意見聞いておいてあげようと思い、ヨイショとベッドから立ち上がった。
◼
――記録 二〇〇七年 八月某日 ■■県■■群■■村
――任務概要 村落内に潜める二級呪霊の祓除
――呪術高専二年 二級呪術師 三名が派遣
――七海建人 二級術師 軽傷
――灰原 雄 二級術師 死亡
◼
「――神とか名前が付けられるぐらいならそれらしい見た目しとけっつーのクソが」
眼下に広がる荒れ果てた大地を這いずり回る今回の祓除対象の"それ"を見て毒づけずにはいられなかった。道中目を通した資料には産土神信仰が強く根を張る村内にて二級呪霊の祓除と書かれていたがどうにも違う。
窓の見当違いか、それとも等級が上がっていったのか。どちらにせよ俺から見たら雑魚には代わりないそれに向かって右手を伸ばす。
――虚式『茈』
体の半分以上を弾け飛ばした呪霊の悲鳴が辺り一体に響き渡る。一撃で吹っ飛ばせば良かった。傑が呪霊欲しがるから半殺ししてしまう悪癖がついちまったな、と片耳を抑えながら地割れした地面を歩く。
まぁ留めを刺さずともアレはそのうち完全に消え失せるだろうな。それよりも今はあのボンクラの安否確認が先決だった。
命からがら補助監カンのところに戻り、高専へ帰還した七海が言うにはあのバカが一人帳を下ろして現場に残ったらしい。俺が現場に辿り着いた頃にはその帳は既に上がっていて、廃村内を呪霊が這いずり回っているところだった。
「どこにいんだよあのボンクラ」
雑にサングラスを外して開けた森を一視すれば、現場に散らばる複数の残穢が二年の奴らの当時の戦闘状況を物語らせる。相当派手にやってるな。より残穢が濃い方へと進める足は気付けば走り出していた。
この先にいてくれ、生きてろ、と普段は信じもしない神にこの時ばかりは密かに願った。ひたすらアイツの残穢を追いかけたところでその先の景色に足が地面に縫い付けられたかのように止まる。
「名前…?」
荒れた大地に広がる一層濃い残穢。同じ場所に広がった血は時間の経過を物語るように黒くなっていた。残穢も血も、そこから一歩たりとも動いてない。
――つまり名前はここで姿を消した。
それは"そういうこと"を意味しているのは嫌でも理解させられたし、知った顔が死ぬのも別に初めてなことじゃない。ただ……約束しただろーが。俺の金でバーベキューするっつったのになにくたばってんだよ名前。馬鹿じゃねぇのお前。
次第に募る苛立ちにその場を後にし、今もなお呻き声をあげる呪霊へと足を向け、カミサマらしく隅々まで見通せそうな立派な目玉を足蹴にする。
「オイお前…アイツはどうした」
『う、……ぎっ…』
「お前の悲鳴はどうでもいいんだよ。アイツは。名前をどうしたかつってんだよ」
『ぎゃぁっ!!』
「はぁ?ぎゃあじゃねーだろ、なんのためにあんだよこの無駄にでけぇ耳は、よ!!」
崇拝者の声をよく聞くために大きくしたであろう耳を引きちぎると汚い悲鳴が響き渡った。
「ははっ、お前、神のくせに口が聞けねぇんだ。ぶはははっ、クソみてぇ」
『ぐうっ…ぐふぅうっ…』
「じゃあいいわ、もう喋んなくてもいいよ」
引きちぎった耳を歯列の多い口にぶち込む。呪霊の顔を見たら、片耳だけ千切れてんのもアンバランスに見えたから、残った片耳も同じように引きちぎって口に入れてやった。これでシンメトリーだね。
何泣いてんのコイツ。ダメじゃん、カミサマなら笑ってねーと。あ、そうだ、口は割いて口角を作れば良いじゃん。
「――ひっ」
「あ゛?」
気付いたら呪霊は消えていた。こっちへ向かってる最中だった硝子に高専へと戻るように連絡を入れてからどのくらい経ったのかよく覚えてない。
「ご、五条くん怪我は…!?」
「……あぁ、ダイジョウブ。なんともねぇよ」
その辺の倒木に腰掛けてボーッとしてたら稲森さんが血相を変えて俺の方へ駆け寄ってくるから、何をそんなにドン引いてんだと自分の格好を見ると割と血まみれなことに気づいた。きっしょ。
「ごめん、稲森さん。…俺…アイツを見つけられなかった」
「五条くん…」
その後は窓や補助監カンによる名前の捜索が半年にかけて行われたが、結局誰もその姿を見ることは叶わなかった。
名前は記録上死亡扱いとして全て幕を閉じる。
――追加記録
――苗字名前 二級術師 死亡(遺体無)
21.08.02(一部加筆修正)
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