慟哭の懺悔

「今日は突然引き留めたりしてすみませんでした」

 アパートの近くの公園に車を降り、少し歩いたところで足を止めた七海さんがそう言った。辺りでは鈴虫がリーリー鳴いている音がして、東京でもこんな音が聞こえるんだよなぁ虫ってどこでも生きていけてすごいなぁと考えていたから反応するのに少し遅くなった。

「あっ、いえっ、むしろありがとうございました。……それから、あの、良ければなんですが連絡先を、「今日のこと、私のことはどうぞ忘れてくださって構いません。ではどうかお元気で」……へ?」

 それ以上は言わせないと言わんばかりに矢継ぎ早に全部言い切ってしまったナナミさんは頭を下げるとぱっと踵を返して行ってしまった。
 その背中を見て、相変わらずだなと一人静かに笑う。…え?

 ………相変わら、ず?


「——はくじょうもの」


 考えるより先に口にしていた言葉にハッとした。

 風船がぱんと弾け、中に充満した空気が吐き出されるかのように溢れ出した高専時代の記憶達。
 こちらを振り返る七海と記憶の中の七海を擦り合わせると十年分大人びていて、目元には高専時代にはかけてなかった眼鏡が。あとはちょっとやつれてるくらいで、ほとんどなにも変わっていなかった。じわりと視界が滲む。

「七海ぃ…!!ごめぇん…!!」

 真っ先に出た言葉は子どもみたいな謝り方でダサいと思ったけど、声が上ずってしまって仕方がない。ぼろぼろ溢れ出る涙は七海の姿をぼやぼやにしていく。

「…苗字?」
「私、私……、ッ、忘れてた!!今の今まで!全部全部!全部……全部、大事な事………忘れちゃってた…うぅっ!!」

 溢れ出した過去の記憶、特に高専時代の一年半に渡る記憶がやけに鮮明に蘇り、人目を憚る事なく咽び泣いた。街中から外れた場所とは言え、人の気配はあるのに泣き噦る自分を律することができない。
 脳みそに叩き込むように、暴力的なまでに襲いかかる数々の記憶の情報達が一番最後の、記憶が途切れたその瞬間で止まった。

 二年の三人で行った産土神信仰が根強く残る地域での二級呪霊祓除任務。

 緩く目を瞑る灰原を肩に抱えて私より先を走る七海、振り返ると近くまで迫っていた祓除対象の呪霊。走り逃げる足を止め、踵を返し、無我夢中に帳を落とした私。
 そうだ、私はあの時二人をなんとかしてこの場から逃がさなきゃと必死だった。灰原を助けなきゃって…そう……灰、原。灰原。

 犬みたいに明るく笑うアイツの笑顔が甦り、心臓がドクリと強く鼓動を打った。

「灰原は!?ねぇ七海!灰原は無事なの!?」
「…」

 七海が眼鏡を掛け直すようにして少し下を向いた。
 うそ、うそだ、なんの冗談だ…?無意識に顔を横に振っていた。

「あの日に、」

 死んだと直接的な表現は言われてないものの、七海のその反応に目の前が真っ暗になって膝から崩れ落ちる。
 慌てて駆け寄ってきた七海が腕を持ってくれるけどすっかり腰が抜けてしまって、スーツなんてお構いなしに地面にへたり込むと「車に戻りましょう」と軽々私の体を抱えてくれた。溢れる涙をそのままに、嗚咽を上げ続ける口元を抑えると、手が、いや体全体がガクガク震えてきた。
 はいばら、灰原、灰原…!!

「え?な、七海さん…!?」
「すみません、もう少し付き合ってください伊地知君」
「えっ、あ、はい…!またお呼びください…」

 七海が連れてきてくれた車の中には運転手さんがいたらしく、動揺しているのが分かったけど気にかけている余裕がなかった。黒塗りの車に乗るように促されて、震えながら七海の腕から座席に移り、閉ざされたドアに身を預けるようにして呻き声を上げながら涙した。

「っ、うっ……ひぐっ……ぅっ…うぅ…」

 反対側から乗り込んできた七海は何も言わない。

「…ごめん……ごめんね…っ………ごめんね七海」

 どこから謝ったらいいのかわからなかった。
十年前、突然独りにさせてしまった。十年間、ずっと独りにさせてしまった。十年間、ずっとずっと苦しませてしまった。
 七海の十年間を想うと胸が苦しくて張り裂けそうだった。きっと七海はこんなものじゃなかっただろう。

「ッ、本当にごめ、ん」
「謝るのは私の方です」

 スーツにぼたぼた落ちていく涙を見送りながらとにかく謝っていたら落ち着いた七海の声に遮られた。顔を上げると涙は頬を伝って顎から落ちる。
七海はポケットからハンカチを差し出すと、私の顔にそっと押し当て「持っててください」って言うから、震える手でハンカチを握った。

「私はあの日…全部あなたに背負わせてしまった。すまない」
「ちがうよ…っ!………ちがうっ」

 違うと、それだけ繰り返すと車内は静まり返る。ひぐ、と私の嗚咽を漏らしたり鼻を啜ったりする音以外、何も物音はしなかった。
 こんなにも心が痛い夜は初めてで、行き場のない感情がひたすら胸の内を暴れ狂っていた。


◼︎


「私は逃げたんですよ苗字」

 一通り一人で勝手にわんさか泣いて落ち着きを取り戻したけどまだまだ体の震えは収まりそうにはないなと他人事のように自分の体を見ていたら、隣に座っていた七海が静かに呟くように言った。
 「逃げた?」気付いたら私も口にしていた。

「二人の死から、私は逃げました」

 それを皮切りに七海は続けて言った。

「他人のために命を投げるこの仕事に嫌気がし、呪術師の価値を見出せなくなった私は…高専卒業後その道から逃げて一般企業に就職しました。自分の命はあなた方が繋いでくれたにも拘らず、私は誰かに繋げようとしなかった。…逃げたんですよ、私」

 自虐しているような声色だった。学生服からスーツへと身を包む、かつての同級生を見上げる。

「金だけ常に対等で裏切らないものとして信じて働き続けてきた。でも金を巻き上げ続けることにまた違う嫌気がさした私は、その会社の価値が見出せなくなった。だから……慣れ親しんだ、まだ少し価値があると思えた呪術師に逃げ戻ってきたんですよ」
「…それは……それは逃げるとは違うよ七海」
「………」
「七海が戻ってきたのは、」
「ちょっと黙っててもらえますか?」
「七海がこうして呪術師に戻ってきたのは、「苗字!」…自分の命と…っ、人生と真剣に向き合ってきたってことでしょう…っ!?」

 最後の言葉はまた嗚咽が込み上げてきて威勢が下がる。

 七海は逃げてない。

 例え仮にそれを逃げてたというならどうして今呪術師をしているんだ。どうして他人のために命を投げ出す事に戻ってきた。
言ってることとやってることが矛盾していて、常に正論を語り私をことごとく論破してきた七海らしくなくって笑えてきた。

「私はこうして生きてるけどさ…っ、死んだ二人が繋げた命で、七海なりに一生懸命生きてきたってことじゃん…!ぐす…っ、私達の死から逃げてたなんて馬鹿言わないでよ……っ!怒るよ…!?」
「もう怒ってるじゃ無いですか……ふう…っ…私もいい大人…あまり泣かせるんじゃ、無い」
「先に泣かせてきたのそっち!…それに高専時代、散々体術で負かされて泣かされてきたんだから今のうちにやり返すわ。思えば高専の時七海が泣いてるの見たことなかったな…今のうちに見ておいてやろうか…!?」
「何言ってるんですか。そんなぐずぐずな目玉で見れるわけがないでしょう」

 あぁ、このやりとりが懐かしい。やっぱり隣にいるのは七海だと笑った。それから、悲しい。やっぱり灰原はいないんだと現実を突き付けられる。

「苗字」
「うん?」
「生きててくれて良かった。……ありがとう」

 七海のありがとうの言葉は私だけに言った言葉じゃないだろう。ここにいないもう一人の大事な仲間にも言った言葉だとすぐに分かった。

「それはこっちのセリフだよ」

 最後にぽろっと涙が溢れてそれから涙は止まった。

 灰原、見てるかな。私達生きてるよ。お人好しなアンタのことだから、もしかして今日七海と引き合わせてくれたのかな?死んでもお節介は直んなさそうだね。

「七海、今度アイツのお墓連れてってよ」
「ついでにあなたのも見せましょうか」
「…うわぁなんとも言えない気持ちになりそう……。…それからさ、七海、」

 私は軽い呪いの言葉を七海にかけた。


◼︎


「…それからさ、七海、悪いんだけど、高専の人達には私が生きてることは黙っておいてくれるかな」

 新宿で偶然苗字と再会し、最後にこの言葉を交わしてから数日後。

 記憶のない彼女ならばあのまま二度と会うこともなく他人として一生を過ごそうと決めていた矢先に突然記憶を取り戻し、互いに目を赤くしながら話をしたのが随分昔のように感じた。

 連絡先を交換し、数日に一回とスローペースではあるがお互いに近況の報告をし合っている。私も仮にも一級術師、苗字も仕事に勤めている身。お互い仕事は多忙を極めているせいでなかなか会う機会がないが、それでも構わなかった。彼女がこの世界に存在している、それだけで充分だ。

「(黙っておいて…か)」

 それを彼女がどういう意図で言っているのか分からなくもない。
 私も彼女の立場になって、全てを思い出したとしてもそのままその会社で働いていただろう。死んだとされているのなら今更それを覆しに行って何になると言うのだ。実は生きてました、と言いふらし、感動の再会を果たしたいと思えるほど私も彼女も子どもではない。すでに彼女には第二の、一般人としての路線ができている。
 それに、何より八年前に得体の知れない自分を助けてくれたその会社への恩もあるだろう。一度切れた過去へ闇雲に手を伸ばそうとしない辺りに彼女の誠意を感じる。あの様子だと今更呪術師になるつもりもないだろう。呪術師は人手不足ではあるが、彼女はいい。それでいい。呪術師にあるまじき私情であるだろうが、なんとでも言ってくれと思う。

 一仕事を終えて高専に戻り、応接間にあるソファーに腰かけ天井を仰ぎ見る。苗字と再会してから一息ついたような、つかないような。

「なーなみ!おー疲れサマンサー!」
「…五条さん、お疲れ様です」

 背後から顔を覗かせてきたのは段ボールを小脇に抱えた先輩、五条さんだ。

「相変わらずドライねー。ほら、こないだの海外出張のお土産あげる」
「なんですかこれは」
「現地で神聖な生き物の日干し」

 「ドライな七海だけにドライした食べ物ってねー!」なんて楽しそうに説明してくる先輩(仮)にため息をつく。訳の分からない扱いづらい土産を渡してくるのは勘弁してほしい。神聖な生き物の日干し…なぜ神聖なのに日干しにした?経口摂取をすることで神の力を……いや、考えるだけエネルギー無駄だ。今回もロクなものが入っていない筈の押し付けられた紙袋をテーブルの上に置きながらため息を吐く。
 どうやら受け持ちの生徒にも土産を買ってきているらしく、これはアイツにやるだのなんだの楽しそうに段ボール箱の中身を漁っている。

 ……五条さんの隣に苗字が居たら、とふと少し考える。高専時代に散々歪みあっていた二人を思い出したのだ。…この人には言うべきか………いや、私は何を考えているんだと眉間を指でつまんだ。
 そんなことすればこの人は、

「——七海、お前なんかあった?」

 ふざけたような声色から一転、ワントーン下がった声色で問いかけられて固まる。考えを見透かされたような気がして、六眼は心も読めただろうかと動揺しかけた気持ちを一瞬にして落ち着かせる。これでも一級術師。街中で十年前に死んだと思っていた同期を見つけたあの衝撃に比べたら、このくらい訳ない。

「…いえ」
「夏バテ?アイス食べ過ぎてんじゃない?」
「一日三食アイスを食べるあなたと一緒にしないでください」
「ちぇー!大方名前の命月でおセンチになってんじゃないかって心配してたのになー」
「…」
「……どったの」
「…かもしれませんね」
「マジ?めっずらしい…名前の墓前で飲み会やっちゃう?僕ノンアルで良ければ付き合うよ?」
「結構です」

 拗ねた。「つべてー」と不満そうに唇と尖らせる五条さんを横目に新聞を手に取り、開こうとしたところでふと疑問。これくらいは苗字に関して触れてみても罰は当たるまい。

「五条さん」
「んー?なに?」
「もし、苗字が生きていたら、どうしますか?」

 一変する空気に内心ため息を吐いた。全くこの人は…。

「は?生きてんの?」
「聞いていましたか。もし、と言いました」
「……なんで聞くの、それ」
「特に深い意味は。毎年思ってたことなので」

 毎年彼女の墓参りの度に墓前で思っていたことは事実だ。もし生きていたら、こうして灰原の墓を見ていただろうか、五条さんが教職しているのを共に見守っていただろうか、と。

 私の質問を小さく復唱し、「そうだねぇ」と言いながら暫し思案した五条さんが思いついたかのように薄く笑う。
 それを見てすぐにろくな事言わないだとうなと悟った。そう思えるくらいにはこの人との付き合いは長いと思っている。

「十年分ぶっ殺す」
「そうですか」

 やはり黙っておこうとローテーブルの上に置かれていた新聞に手を伸ばし、広げる。また同期を殺されてはたまらない。

21.08.02(一部加筆修正)



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