畢竟の落涙

「…まぁこんな感じ…でしたね」

 最後の「五条さんがぶっ殺してくれる」の辺りのところは不要だと判断して、当時の状況をざっくりと説明し終えようやく息を吐く。
 とりあえずここまでが一度私の記憶が途切れた所だ。十年前なのにこんなにもしっかり覚えてるもんなんだね……ちょっと他人事のようだけど我ながらすごい。

「…その後はニ〇〇九年に日本海側の岸沿いでぶっ倒れてたらしいです。記憶が全部すっぽ抜けちゃって自分の名前も分からないような状態だったんですよ。たまたま持ってた高専の学生証は所々はげてて読めないし本当に八方塞がりだったんです。それから一年くらい警察と役所にお世話になってたんですけど、帰りようがないしどうしたもんかって途方に暮れて…そしたら私を見つけてくれた人が会社経営者だったので、ウチにおいでって言ってくれ…。就籍を取り、東雲名前として働いて今に至り…マス…」
「…ふざけてるでしょ」
「いたって大真面目ですけど!?」
「分かってるっつーの」
「……え、えぇ…?」

 ぎゅっと力を込められ、むちゃくちゃなセリフに思わず空目を見た。

 最初の頃の骨が折れそうな抱擁の仕方から一変、今は割と緩めな腕の力にホッとしている。
 特に七海と灰原を逃がして帳を落としたって辺りの話で肋骨がメキメキ言い出した時は痛過ぎて一瞬喋れなくなったよ。下手したらそこら辺の呪霊よりタチ悪いよこの人。特級呪術師じゃなくて、特級呪れ…ごほん。

 さて、この状況どうしたもんかとたじろぎ思案する私に後ろから五条さんの頭か額らしきものが肩に乗っかってきて、ずしっと重みが増したことで余計に緊張した。そして暫く離れてもらえないと静かに悟るのである。
 というかこの人、いまだに本当にあの五条さんなのかも正直怪しいところだ。高専時代の数々の出来事忘れてないからね。

 入学後すぐ呪力がどうこう貶されて、学年交流会は手助けしてくれなかったし…もう過去の話ほじくるだけで気力が無くなるけど、少なくとも今こうして私にくっつくようなことをする人間ではなかったはずだと認識していた。
 そこまで思ってため息を吐くと、急に疲労感が増した気がした。…人生においてトラウマレベルの話をしてるんだから当然か。

 気付けば目頭に溜まっていた涙を指先で拭う。あれだけ散々七海の隣で泣いたり、一人夜に涙したりしてきたっていうのに気が緩むとどんどん涙が出て来てしまいそうだ。大人になると涙もろくなるっていうのは本当らしい。

「泣いていいよ。むしろ泣いて」
「泣きませんよ。むしろ五条さんが泣いていいですよ?」
「僕が泣くわけないじゃん。最強なんだから」

 「ははっ、それ関係あるんですか?」と笑いながらスンと鼻を啜るとぽろっと左目から涙が落っこちた。

「それで?」
「え?」
「合コンまでの話がまだだけど」
「え、言わなきゃダメなんですか」
「ダメ」

 …間。

 ………え、…えぇぇー…すご…ちょ、…えぇーっ…涙が引っ込んじゃったよ。

「…えっ…と、私が勤めてる会社、地方に本社がありまして。今は東京支店にいるんですけど、元々本社勤めだったんです。さっきいた人達は本社の人達だったんですね」
「うん」
「それで、まあその…、後輩が今度本社来たら合コンやりましょーよって…そんだけですよ…ホント」
「……へーぇ」

 沈黙。

 いや、へぇじゃなくて聞いてきたからにはもっと何か言ってくれよ。何かないの?会話のキャッチボールになってないよ?

 体に巻きつく腕がぎゅっと強くなる。てか、本当になんでこの人私のこと知ってたんだ…?それからどうして新宿駅に…まさか、

「…七海のやつ言ったんですか?…いっ」

 腕の力が強くなってどっかの骨がミシッと言った。

「俺しかいない空間で他の男の名前口にしてんじゃねーよ」

 ちょっと待って本当になんなのこの人!?情緒まるで読めないよ!?いややっぱりこの人とつるんでられるの夏油先輩か硝子先輩かのどっちかしかいないわ!!すごいなあの二人!!

 それに、「他の男の名前口にしてんじゃねーよ」ってそんなのまるで…いや、そんなの考えたらコレぞ思うツボってやつか。危ない、まんまとはめられるところだった。五条さんこういう人なのね、ハイハイ分かった分かった。落ち着きますよ。

 そんな様子の五条さんに呆れ、なんだか少し気持ちに余裕が出てきたところで部屋の薄暗さに慣れた目で室内をチラリと見渡す。

 ここが五条さんのお家か…私の家よりずっとずっと広い。家賃最低でも百万単位だろうな。
不意に目の前に壁かけられたテレビに視線を見やると真っ黒い光沢画面には後ろからがっつり私を抱き込む白髪の大男…五条さんと、居心地悪そうに座る私が映り込んでいて慌てて目を逸らした。
 いやいやいやいやいや。絵面やばいこれはマジでやばいから。どうかしてる。

「…なんで今になって心拍数上がった?」
「ナンデモナイデス」

 うん、デリカシーのなさは健在らしい。密着してるから仕方ないけどさ、そこは黙っててくれよと内心そう念じていると、背中の向こうでため息を吐く音が聞こえた。

「伊地知の車を一目見たとき、まさかと思ったよ」
「…いじち?」
「後部座席にあったお前の残穢見て伊地知に問い詰めたら七海が連れてきたヤツのものって言うし」

 あぁなるほど。それからごめんイジチさん。どうやらイジチさんという人はあの時運転席にいた補助監督の人の名前のようだ。そういえば七海もイジチ君って言ってたような気がした。すみません、イジチさん。

 高専の社用車…五条さんが乗ったってそりゃおかしくない。呪力コントロールが下手な私も悪いが、高専の車で話をするようにすすめた七海もさぞ冷静ではなかったというわけか。そんなに同期に会えて嬉しかったんだなぁと言う反面、マジで申し訳ない気持ちでいっぱいになってなんとも言えない感情に包まれる。

「名前、お前復職しなよ。高専あるいは呪術連関係とか」
「いや戻りませんよ…」
「は?」
「…いやいや、なんですかその反応。散々学生時代に呪術師向いてないって言っとい…」
「え、なに?まだ根に持ってたの?十年も前の話を?相変わらずネチネチしてんのねぇ」
「……」

 えぇ持ってますとも!即答しかけた言葉を飲む。

「お前馬鹿なの?呪術師が万年人手不足なの知ってんだろ。十年前から変わってないんだからな状況」
「五条さんと夏油先輩がいれば呪術師界は安泰なことくらい分かりますよ」

 最強なんだろ?そう思っていたら後ろにいる五条さんがぴくっと震えた。…え、なに……?なにその反応?

「……いない」

 弱弱しく後ろから聞こえたセリフに「えっ?」と思わずもう一度聞いてしまった。

「…傑はいない」
「……えっ……それって、」

 灰原が過った。まさか、そんな、あの、夏油先輩が…?一気に指先が冷える感覚。急にどくどく暴れ始める心臓。

 夏油先輩がいない、それはどういう意味で言ってるのか。
 
膝の上で硬く握りあっていた手に、五条さんの大きな手が被せられる。

「…呪詛師になったんだよ、あの馬鹿」

 ……じゅそ、し。

 …呪詛師ってなんだっけ。久々に聞く単語に十年前の記憶をたぐり寄せる。呪詛師、確か日下部先生が言ってた。人を呪い殺すことを生業にした人を言う…って…。
 夏油先輩が……呪詛師?

「あはっ、…え?……夏油先輩がですか?いや、何言って…」
「…」
「ちょっと五条さん…やめてくださいよ……悪い冗談すぎますよ…っ、そんな…っそんなこと、…夏油先輩がっ……!」

 軽口を叩きながら五条さんの腕から離れようとしてみたけど、さらに強く抱き込まれてそれが本当なんだよと言われたような気分になる。それに五条さんが夏油先輩のことを呪詛師だなんて、そんなつまらない嘘をつくような人じゃないことくらい流石の私でもわかる。

 夏油先輩といえば、十年前の夏に寮での出来事を思い出した。あの蒸し暑い夏の日、あの大きな体が私を包んだことを。


「――すまなかったね、名前。最近夏バテ気味だったもので頭がくらくらしてしまった」


 夏油先輩が珍しく弱弱しい声、表情でそう言っていた。今思えばあれは夏バテじゃない…、少し記憶が薄れてしまってはいるが、あの時の夏油先輩はなんだかんだしっかりとした足取りで自分の部屋へ戻るのを確かに見ていた。

 夏バテだったらもっとフラフラじゃ…。あの時からもう夏油先輩の中で何かが変わっていったとでも…?

「お前と灰原がいなくなった二〇〇七年、九月だよ。傑が派遣された村落で百人を超える集団呪殺が起きた。残された残穢からは傑のものだと断定されてる。…僕も信じられなくて現場を見に行ってるから間違いない」
「……うそだ」
「アイツの実家には家族の遺体が転がってたそうだ。当の本人は十年経った今も行方をくらませてる」
「……っ」

 あんなに思いつめていた顔になんで気づけなかった?急に抱きしめられてどきどきしてる場合じゃなかったでしょ…。あんな憔悴しきった表情に……なんで私は気づかなかったんだろうか。
 私、夏油先輩のこと本当になにも知らなかった。元々自分が無力な人間であることはわかっていたのにここまでと思い知らされて胸が苦しかった。ひく、と喉が震える。

「だから、泣いていいって」
「泣きまっ……っ…せん、て、ば……っ」

 もう泣くのは嫌だ。嫌なのにどうしてこんなに涙が出るんだろう。心が痛かった。泣きたいのは五条さんの方だろうに。





「はいこれ。ティッシュとごみ箱」
「……ありがとうございます」

 もうどのくらいそうしていたか分からないが、私が落ち着いた頃を見計らって五条さんは立ち上がるとソファーの背もたれを跨いで少し離れ、目に優しい色の間接照明を付けた後にティッシュ箱とごみ箱を手に戻ってきてようやく私の隣に座った。

 長い事五条さんが後ろにいたから、少し背中が寂しい気がしたけど…多分気のせいだろう。

「…お互い十年……いろいろあったんですね」
「みたいだね」
「…」
「でも、」

 チンと鼻を噛む私の頭に五条さんの大きな手が触れ、そのまま少し圧をかけられると横にいた五条さんの鎖骨下あたりにこめかみが優しく当たった。

「お前が生きてて良かったよ。ほんとうに」

 優しい声にぶわっとまた視界が揺れる。

「っ…ごじょ、うさん…キャラ…違、くないですか…っ?」
「そりゃ十年あれば人間性格も丸っこくなるっしょー」
「しん、じられない、っ…ですよ」
「これでも?」

 十年前と何一つ変わらない…いや、強いて言うなら十年前よりすっかり大人の顔になったご尊顔と、宝石みたいな綺麗な瞳が私の顔を覗いた。…もうこりゃあ完全にご自身のツラの良さをよくわかっている表情だ。

 「営業の鈴村さん超イケメンですよね!?あれ以上を見たことないです!」と昔山田ちゃんが騒いでたのを思い出し、彼女に上には上がいるんだよと教えてあげたくなった。

「…顔の良さはご健在で何よりです」
「そりゃどーも!…名前」
「はい?」
「ずっと言えてなかったね。おかえり」
「……ただいま、です」

 「ただし高専には戻りません」と言ったら舌打ちが聞こえて、そこでようやく、あっ、やっぱりマジでこの人五条さんだと腑に落ちた。これだよこれ。
 昔みたいな態度の五条さんに思わず笑ってしまったら、右目から涙がひとつ零れ落ちた。

21.08.02(一部加筆修正)



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