穽陥の後編

「懐かしい?」
「……ソーデスネ」
「まだそれ続いてんの?」

 いや、そんなつもりはないですけどと思いながら車の窓辺に頬杖をつき、窓の外を眺めた。新宿からもうずっと離れた山の麓まで来ている。

 見覚えのある山のカタチ、見覚えのある信号機がどんどん通り過ぎていく。十年前散々通ってきたぼっこぼこに割れていたアスファルトの道はいつのまにか綺麗に舗装し直されていて、道のおかげか車の性能のおかげなのかどっちかは分からないけど車に無駄な振動が響かなくなったのはそれはそれでどこかさみしく感じた。
 確かこの辺とかでっかい穴あって、運転下手な人が通ると車めっちゃ揺れるからうたた寝してる時に通られるとめっちゃびっくりするんだよねぇ、……あぁ懐かしいな。

「着いたよ」

 ロータリーに五条さんが車を停めてギアを踏む音が響く。ロータリーまで新しくなっていて、てことはとうとう校舎も…?と思ったけど、その向こうにあった建物はなに一つ変わらなかった。

 天元様のカモフラ効果がまだずっと続いているのだろう。まるで十年前に戻ったかのように校舎の雰囲気や配置はそのままだったから、本当に帰ってきたんだとしみじみそう思って、途端に胸と目尻が熱くなって視界がぼやけてきた。ズッと鼻を啜ると、五条さんがサングラスを下げながら私の顔を覗き見るからそっぽを向く。

「わー名前ってば泣き虫ー」
「違いますせん」
「ははっ、何それウケる」

 私だって自分がこんなに泣き虫だなんて思わなかったわ。指で軽く目元を拭うと、「はい」と差し出された大きな手のひら。それを数回瞬きして眺め、手の持ち主である五条さんを見上げる。

「タクシー代ですか?」
「まっさか!僕ってば富も名誉もルックスも運も全部揃ってるし。だからさ、ホラ!」

 何かを催促するようにワキワキ指が動く。…これは…

「……握りませんよ?」
「チッ」

 「雰囲気的に手とってくれるかと思ったのに」とぶつくさ言って足を進める五条さんの背中を暫く目で見送り、その後を追いかけるようにして私も足を進めた。どの辺が手をとってくれると思ったんだこの人はと、薄明の空を背景にしたその大きな背をちらりと見上げる。

 ……背、相変わらず大きいなあ。

 そう考え事をしていた私の視界に突然五条さんの隣を並んで歩く黒髪の学生服の人物が現れた。驚いて思わず足を止め、ぱちっと一度瞬きするとそれは文字通り瞬く間無くなってしまって、また五条さんの背中ひとつだけがそこに残る。

「…あれ、」
「どしたの?」

 不思議そうにこちらを振り返る五条さんの隣をチラリと見るけど、そこには何もいない。

「……いえ、なんでもないです」
「?」

 空いてしまった隣を埋めるかのように一歩踏み出し、五条さんの隣に並ぶ。

「五条さん」
「ん?」
「ここ、相変わらずですね」
「ソーッデッスネッ」
「…いやマネしないでくださいよ」

 楽しそうに肩を並べて歩く二人をよく見ていたあの頃の私が羨ましいなと、そう思った。





「あはははっ、入りづらい?」
「…」

 あの先が硝子の仕事部屋だよと言われてぴたりと足が止まる。

 無意識に唇を噛みながら扉を見ていると、隣の五条さんから「入らないの?」と。…いや、入りたいよ?そりゃぁもう。でもなんか、十年越しだし、死んだと思われてるし、夏油先輩のことも聞いちゃってるし……、どういう顔して入っていけばいいんだとなってるわけで。

「よし、名前」
「……はい?ぎゃあっ!?」

 気合を入れるように私の名前を呼んだ隣の五条さんを見上げようとした途端視界が真っ暗になり、さらには両手をあっさり拘束されお腹に腕らしきものが回って体が地面から浮く。

 本当に一瞬のことすぎて驚き固まった。

「へ!?なっ、…ちょっ、五条さん!?」
「そーんなことだろうと思ってね!やるしかないっしょー!サプライズ!」
「はぁ!?」

 私を小脇に抱えながら歩く五条さんの足がガツガツ体にぶつかるこの感じはどうやらどんどん前へと進んでいるらしい。顔周りを覆う布を取りたいのに両手首を掴まれていて何もできない。
上から聞こえた五条さんの楽しそうな声に何かものすごく嫌な予感がしていると、バン、それからパリンと何かを壊したような音が聞こえてビクッと震えた。

「硝子ー!サプラーイズ!」
「………何やってんのアンタ」
「硝子ー!サプラーイズ!」
「………聞こえてるっつーの」

 「ビーカー割れたんだけど」思いの外ドスの聞いた声にぎくっとした。これ絶対めちゃくちゃ不穏な空気…。

 私と、あと今は見えてないけど多分部屋の中にいるであろう硝子先輩と二人で絶妙な空気になっていると握られていた両手の拘束が解けて、顔にあった袋がパッと抜き取られた。

 目の前に広がる眩しさに「うっ」と一瞬顔を顰めるとそこは医務室のような部屋で、デスクに向かう硝子先輩が肘を付いたような姿勢のまま私の顔を見て目を丸くしていた。

「………名前…?」

 ガタンと音を立てながら椅子から立ち上がった硝子先輩は十年前の少女みたいな顔からすっかり大人の女性へと変わっていた。
 でも気怠そうな目、泣きぼくろは昔と変わらなくて…、あ、ちょっとお疲れ気味かな?クマが印象的だ。あと、か、髪が長くなってる…!

 麗しい見た目に変化していた硝子先輩の名前を恐る恐る口にした。

「しょ、硝子先輩…?」
「まさか…本当にか…?」
「ホントホント。僕が天国から引っ捕まえてきた」
「五条は黙ってろ」
「はいはい。ほら名前、行った行った」

 入り口でストンと落とされたかと思いきや直後にバシンと背中を叩かれ、「いった!」と五条さんを振り返って睨んだら、直後に柔らかくて薬品の匂いが私を包む。

「名前……生きてたのか…っ」
「硝子…せんぱい…」

 私よりも数センチ高い硝子先輩の腕がぎゅう、と優しく、でも力強く私を抱きしめる。不思議と硝子先輩からは煙草の匂いがしなくて、代わりに薬品のような匂いで肺が満たされた。
 別人のような雰囲気を纏う硝子先輩だけど、その優しい声色はやっぱり本人であると分かって、途端に鼻の奥がツンと痛くなった。

「…馬鹿ねぇ……十年だよ。…この十年、どこ、ほっつき歩いてたんだよ…!」
「しょう、こ…せんぱいっ…!」

 言葉を詰まらせながら文句を言う硝子先輩の声なんて初めて聞いたから、……体が震えた。ぼろぼろ伝う涙をお構いなしに硝子先輩の体をぎゅう、と抱きしめて「ごめんなさい、ただいま戻りました」と嗚咽を上げ、途切れ途切れになりながらも口にする。

「馬鹿…」
「ごめんなさい…ごめんなさい硝子先輩…!」

 お互いに良い歳しながらわんわん泣いて、顔ぐちゃぐちゃじゃんって笑いあえるくらいには落ち着いてくると、硝子先輩はデスクにあったティッシュ箱を手渡してくれた。
 その目にはもう涙は浮いてなかったけれど、目はまだ赤くて、それを見てまた胸が痛んで涙がぽろっと零れ落ちると硝子先輩が「仕方ない奴だな」と抱き寄せてくれた。

「んじゃあここは一つ僕も、」
「お前は来んな」
「えー酷くない?連れてきたの僕なんだけど」

 硝子先輩が投げたメスにギョッとしたが、メスは五条さんに当たる寸前でピタリと止まり、五条さんが指で宙を切るとメスがまん丸くなってしまって硝子先輩が舌打ちをした。あ、あれがムゲンとやらだろうか。

「こっちにも挨拶してあげてよ名前」
「…えっ?」

 五条さんが入り口から退くと、廊下の方に立っていた人が視界に入る。

「……苗字?」
「!…え、えっ……夜蛾…先生…?」

 五条さんとは違うサングラスをかけたその人は、ゆっくりとした動作でそのサングラスを外す。最後に見た時よりいくらか老けてしまってはいるが、何も変わらない、相変わらずな強面のその人がそこにいた。

「夜蛾先生…!先生!」

 反射的に飛び付こうとしたら突然拳を振り上げられて思わず「うっ」と腕でガードするポーズを取る。しまった、ゲンコツ!?

 けれど、思った衝撃は来なくて代わりに力強く抱きしめられて息が詰まる。

「…お前ってやつは…本当に………っ」
「お騒がせしました…!!」
「本当だ………本当に、…本当によかった…!!」

 ばしばしと良い音を立てながら背中を叩かれるけど派手な音の割には全然痛くなくて…、それでまた涙が出てきた。ぐっと一段力強く抱きしめられると、先生は私を離してわしわしと大きな手で頭を撫ぜる。それから私の顔を覗き見てニカリと厳つく笑った。相変わらずヤクザみたいな顔してる、と思いながら私も薄く笑うと、

「おかえり苗字二級術師。十年分の報告書がお前を待ってるぞ」
「…………マ、マジですか」

 夜蛾先生のとんでもない発言に思わず一瞬涙が止まった。
 けれどその後どっと湧き上がった笑い声にまた涙が出た。

「苗字名前、ただいま帰還いたしました」
「「「遅い!」」」

 三人の揃ったツッコミ。夜蛾先生には頭を撫ぜられ、硝子先輩には肩を抱かれてまたちょっとだけ涙が出た。

 不意に「お」と顔を上げた五条さんに私達三人の視線がそちらへ向く。

「…夜蛾さん?こちらにいらっしゃ、…」

 タブレットを手にした七海が医務室へと入ってきたのを見て、お互いに驚いて固まった。

「な、七海!?」
「苗字…?なぜ、ここに、」

 海外出張って聞いてたけど、もう帰ってきたのか…。

「なーなみ!おかえり!大変だったでしょー!久しぶりの海外」
「労いのお言葉痛み入ります」

 そこへすかさず五条さんが医務室へ入ってきたばかりの七海の肩を力強く抱く。その反動でズレた眼鏡を直す七海を見て「この二人、こんなに仲良かったっけ…?」と少し思考が別の方向へ向かってしまった。まぁ、五条さんがこの調子だと一方的に仲良くならざるを得なさそうだな。
 本当に何があったんだろうかこのコミュ力お化け。

「ちょーど良いところに帰ってきたねぇ!僕、お前には聞きたいことが山ほどあるんだよね。……ちょっと体育館裏まで来いよ」
「そうですか。奇遇ですね、私は五条さんに言いたいことは何もありません。そしてここには体育館と呼ばれるものは存在しませんよ」
「相変わらずドライ」

 塩対応な七海が面白くて笑うと、七海が私を見て口元を綻ばせた。「苗字、おかえり」呆れたようででも嬉しそうな声、それから高専時代に数回かしか見たことのない優しい微笑みについ七海に飛びつきたくなって駆け寄る。

「ただいまなな、んぶっ!?」
「捕獲ー!なんかムカつくから接触禁止ー!」
「は、はいぃ!?」

 もう少しで七海に、というタイミングで前に立ちはだかった五条さんに抱き止められて顔面を強く打ちつけた。

「なんだ、お前らいつの間にかデキてたのか」
「んなっ、違いますよ硝子先輩!!は、離してください五条さん!」
「やーだね!僕最強だから」
「全然理由になってない…!!助けて七海!」
「…夜蛾さんすみません、来週の任務の件で少々気になる点が…」
「あぁあ薄情者!!」

 こうして私は高専へ十年の時を経て帰還することになったのであった。五条さんが満足するまでそのまま暫く離してもらえなかったのは言うまでもない。
何なんだこの人!!

21.08.02(一部加筆修正)



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