五条の告白

「はーい、名前いま一回死んだねぇ」
「いった……う゛っ」

 訓練場の床に名前を遠慮なく叩きつけてその小さな躯体に乗りあがって一言。僕の下敷きになって悔しがり、なんとか下から這い出ようと捥がく名前がめちゃくちゃ可愛いくてつい口元が綻んだ。

 訓練場の隅に視線を上げれば、相変わらずなにを考えているのか分からないような無表情で僕らを見下ろしている恵の姿。おっかしいなぁ、なーんで表情豊かな僕と一緒にいてあんな無愛想に育っちゃったんだろ、と思いつつ恵に指を指す。

「恵、今の名前の敗因はなんだったと思う?」
「………単純に呪具の重みに振り回されて重心のブレが生じたところですかね。体幹の問題かと」
「解説しないで恵君…悲しくなってくるから…」

 つい吹き出して笑うと、名前が僕の足を叩いてくるから「可愛い抵抗だねぇ」って言ってあげたら、拳を作って爪先を狙ってきたのでそれを避ける。ダン、と鈍い音が訓練場に響いた。おー、こわっ。

 ここ数週間前から始めていた名前のマンツーマン稽古に最近は時間さえ合えば恵を呼んでいた。二人には少しでも早く強くなってもらわないと困るしね。

「重っ…い、です!五条、さん…!」
「はいはいごめんね。名前が弱っちすぎて」
「どういうことですか」

 背の上から退くついでに名前の髪をくしゃっと撫でると市販のシャンプーの匂いがして、良い歳しておきながら密かに胸が締め付けられたけど、済ました顔のまま立ち上がる。
 そういえば十年ぶりに再会した時もこの匂いだったのを思い出し、あの時はシャンプーの種類を当ててる余裕もなかった事を改めて思い知らされた。僕も今度同じやつ買おうかな、いやむしろ僕が使ってるヤツあげようかと思いながら立ち上がる。自分色に染まるほうが断然面白いし。

「ほら、早くかかっておいで。僕に一撃でも当てられたら五万円だよ」
「お金がかかってなくても全力で当てに行きますよ」
「きゃー僕ってば愛されてるー!」
「そのご尊顔をぶっ潰したいくらいには」
「愛憎と殺意は紙一重ってところかな。イイね!」
「あああ話が噛み合わない!恵君翻訳機持ってきて!」
「俺に振らないでくださいよ…」
「ははは恵ってば超辛辣」

 渋々と呪具を構える二十六歳の名前と十年前の十六歳の名前の面影を重ねて懐かしんでいると、突き出てきた棒の先端。それを避け、刃の面を蹴って軌道を逸らせる。名前的には結構いい線を行ったのだろう。悔しそうに僅かに歪められた瞳にぞくりとした。
 うーんどさくさに紛れて抱きついちゃおうかな、なんて目論んでいたら何かを察した名前が後方に下がる。へぇ勘がいいね。だから今までギリ死ななかったのかなぁ?
 さて、どこまで僕のペースについて来れるかな?指と手首を鳴らしながら脚を一歩前に出した。


——今だから言えることだけど、十年前、僕は名前に一目惚れに近いそれを感じていたと思う。


 入学当初、七海や灰原と一緒に肩を並べて校内を歩いているところを見かけたとき、ほんの少し見ていただけなのに表情がコロコロ変わる様子が面白いなと率直に思っていた。
僕も割と思ったことは顔に出るタイプであることは自覚しているものの、あの子のそれはなんだか僕のとは違くて。無邪気で純粋、それからお人好しな感じが出ているような、そんな素直な表情の移ろいに自然と目が彼女を追いかけていた。

 僕の家は呪術師界じゃ超有名で、御三家とも呼ばれているような家だ。僕は自分の顔色を伺い、ごまをすってくるような富も権利も呪術も持ち得なかったような可哀想な連中に囲まれて育ってきたってわけ。だから心の底から楽しそうに笑う彼女が眩しくて、「あんなのが僕の隣にいたら毎日楽しそうだな」なんて遠巻きに見てそう思っていた。

 けど当時の僕はほら、青二才だったから何かとつけて「今年の一年やたらガキっぽいヤツいる」とか、そんなセリフばっかり傑や硝子に投げていた気がする。いやー、過去に行けるなら頭ひっ叩いてたね。ていうか、傑隣にいたんなら叩けよって思ったね。無限かますけど。

 そんなこんなで名前を遠目で見かけてから数日後、自販機前で彼女とばったり会う機会があった。好奇心から六眼で彼女の能力を深く覗き見した時は術式おろか呪力も見えなかったのは驚いたよホント。
この子はすぐ死んでしまうなと悟った僕は気付けば名前を否定するような言葉ばかり放っていた。能力的な話だけに限ったことではない。彼女の人柄の良さは呪いを祓うときにも出ていたから、いつ呪いに呪い殺されてもおかしくなかったのも事実だ。まぁその辺りの僕の勘はひっじょーによく当たることで、覚えてる限りもう三回は死にかけてるね。

 でもこの僕に、五条家の次期当主である僕に呪術師の才がないと言われてもアイツ噛み付いてくるのね。ちっとも僕の思い通りの動きしないの!ホントかなりヤキモキさせられたね。

 否定の言葉や呪術師として向いてないと貶してやれば当然何度も嫌そうな顔をされたし、顔を突き合わせるだけで不愉快そうな顔をされたりもした。……だけど、これはガキみたいな話だからあんまり言いたくないけど、どんな感情であれ名前の中に五条悟の存在が在ってくれていたのは単純に嬉しかった。
傑とか硝子と同じように僕を「五条家次期当主」なんて堅苦しい肩書き抜きに、ただの五条悟として、一人間として接してくれることがこんなにも心地良いものなんだ、なんてその時に知った。


 中でも特に印象的だったのは、彼女が入学してきたその時の年末のこと。

 容態は最悪であったものの、辛うじて何とか特級相当を退け帰還した名前に話を聞けば、相対した呪霊が自分の母親を殺したもので逃げるわけにはいかなかったと語った。その時は大したことない能力を持った、僕よりもうんと小さいこの体の中にあった信念と覚悟の強さをまざまざと見せつけられ、心臓のあたりが急に痛くなったのを覚えてる。

 その後マリカーやってたらトイレに行ったっきりなかなか戻ってこない名前を見兼ねて様子を見に行けば、廊下の窓辺で立ち止まる名前を見かけた。降り始めた雪を凝視するその様子は、先刻の芯の強さと打って変わって突然儚く脆く見えて、どうしてか視線を外すことができなかった。
ちなみにそれが所謂恋心の芽生えってヤツに気づくのはもう少し後の話ね。

 そんな彼女には余計に呪術師をやめて欲しかったのだけど、彼女が呪術師を目指して高専に入ってくれたおかげで近くにいれたのもまた事実なわけで。なんとも言い難いジレンマと随分戦ったよ。

 …あの頃の自分を思い出しては面白くなってしまってフと笑うと、いつの間にかまた彼女を床に転がしていたようだ。のそっと起き上がった名前が僕を見上げて「こわっ…」とぼそり独り言を呟く。…こういうところが可愛くて加虐心が煽られるんだけど分かってんのかなあコイツ。
親指で額をぽりぽり掻きながらどうしたもんかと考えていると、視界の隅で術式が組み立てられる気配。

「使えるもんなら別に術式使ってもいいけど、この中術式制限の結界貼ってあるから無駄だよ名前」
「ぐ、」

 呪力が予め引かれていた線をなぞるかの様に複雑に絡まり合い、発動目前まで組み立て上げられた術式は結界術の効果によって不発となる。だーから言ったじゃん。

「ほら、まずはシンプルに一発僕に当ててみ。僕も術式使ってないんだから。こんなラッキーチャンスなかなか無いよー?」
「信じられないくらい当たらないのはなんでですかね」
「信じられないくらい名前が弱いからかねぇ」
「…」

 無言は肯定。どうやらカチンときたらしい。ははっ、分っかりやす!

 正直に言えば名前は今も昔も飲み込みが早いし接近戦のポテンシャルは十二分にある。遠縁ではあるが加茂家の血が入ってる影響だろう。だからこそ十年前の僕は危険な任務に行ってほしくなかった。
せいぜい三級止まりで満足してればよかったんだ。

 けど、あの日……産土神信仰案件のあったあの日、名前の残穢と血の海を見たらこれまでの僕の考えや価値観はするっとまるっと一変した。
危険な任務から遠ざけるんじゃなく、死なせないように徹底的に扱けばよかったと、アドバイスしてやればよかったとたくさん後悔した。
それから、好いていたのなら徹底的に手に入れるように動けば良かった。いろんな後悔が過ぎってある意味脳が焼き切れるかと思ったよ。

 だから伊地知の車の中で名前の残穢を見た瞬間は自分で自分に領域展開をしかけたのかと思うくらいひどく強い衝撃を受けた。
 それからすぐに神様がチャンスをくれたんだと理解した僕はそこからの行動は早かった。

 まずはその場で徹底的に伊地知を問い詰めた。
 任務先に向かう飛行機の時間に間に合わないと喚く伊地知にお構いなく、残穢の持ち主といつどこで会ったのか、何故車に乗るような事になったのか、話したのか、何を語ったのか、とにかく根掘り葉掘り尋ねた。まぁ正直やりすぎたとは思う。答えなきゃ任務行かないと駄々捏ねたり、脅し文句を伊地知にぶつけまくったことは流石にちょっとだけやりすぎたかなって思ったけど、「七海さんのお知り合いだそうで…!」と言ったときは速攻で矛先を変えてやっただけでも感謝してほしい。
 さらに詳しく聞けば七海に口止めされてたとか言うんだから、そのセリフと同時にデコビンタ(デコピンなんて可愛いもんじゃないよ?)しなかった僕に全世界が賞賛感謝拍手喝采するべきだ。身体的にも立場的にもアイツの首飛ばすくらい赤子の手を捻るようなもんなんだから。

 それからその後は矛先を七海に、と思ったけど生憎海外出張ときた。アイツ察したか?と思うくらいあの時はタイミングが良かったね。引き続き伊地知を脅して伊地知経由からも鬼電を試みたけど七海のヤツずっと機内モードにしててちっとも繋がんなかった。結局帰ってきたのは僕が名前と出会ってから数日後ね。ずるいだろ?僕もちょーそう思う。

 だから伊地知に"七海の知り合い"とどこら辺で出会ったのか、どこで別れたのかを洗いざらい吐き出させ、新宿周辺で会える確率が高いことが分かって、それからようやく見つけたって訳。

 あぁ、ちなみにあの日に新宿駅でたまたま見かけたのは本当に偶然だったよ。秤の昇給試験を見届けた帰りに人混みの中に割と呪力コントロールできてる奴を見つけてさ。しかもそいつ、あろうことか同行者に張り付いてた低級呪霊を引っ捕まえるもんだから、いやーあれは驚いたね。高専関係者なら脅かしちゃおーかなって近づいてみたらまさかのあの残穢の持ち主だったって訳。やっぱり世界は僕のために回ってるよねぇ。人生イージーモードってセリフ、僕以上に似合う男いないでしょ。

 ともかくあの時は早る気持ちを抑えながら脚を進めた。元々歩幅は広い方だったけど、一秒でも早く距離を縮めたくて大股で距離を詰め、名前の後ろを取るとそいつの向かいで「合コンやりましょうよ!」と一番若い女の子が言った。その子とその隣にいたそこそこグラマラスなおねーさんが僕に気づいて見上げるからニコリと微笑みながら会釈し、「ごめんね」と気持ちが伝わるように手を合わせたら色々察してくれたね。

 しかもその後「東雲さん」って若い子が言うだろ?「お前なに勝手に十年間死んだ事にしておいてのらりくらり生き伸びて苗字変えたり、挙げ句の果てには合コン行こうとしてんの」と喉まで出かけた怒号と、色々通り越してもはや殺意に近かったそれを腹の奥底になんとか留めたけど、今思えばあれは大正解だった。神様は間違いなく僕に付いてくれている。だってまさか記憶喪失になってたなんて思うわけがないじゃん、漫画じゃあるまいし。

「くっ…ふふっ…」
「…さっきから本当に何笑ってるんです、か!」
「いーや?名前は相変わらず可愛いなーって思って」
「…」
「あのさぁ、如何にも不愉快そうな顔するのやめてくれない?」
「如何にも不愉快になるセリフ吐くのやめてくださいよ」
「そんじゃあ、名前が止めさせてよ」

 足元目掛けた攻撃。…いや、これはフェイントか。上だな。そう思えば予想通りに来た棒を上体を逸らして回避し、ついでに反撃だと言わんばかりに名前に向かって思いっきり蹴りを入れる。

「お、脇腹に入ったかと思ったんだけどな」
「…っう………!スパルタすぎません!?」

 僕の蹴りを棒で間髪防いだ名前が衝撃で少し下がる。まぁ、これでも手加減してるんだから受け止めてもらわないと困るよねぇ。

「そりゃあそうさ。年内には一級にさせるからね」
「……は?」
「最高でも特級、最低でも一級だね!」

 そうすれば「一級なりたてほやほやだから何かあったら困るし、僕が付いてた方がいいでしょ」って適当な理由述べて一緒に任務に赴く機会も増えるし、最強の僕が付いていれば名前を死なせることもない。僕はゆっくり心置きなくこのド馬鹿を口説き落とすことができるし、地球温暖化防止……それどころか核戦争も防げてみんなハッピーエンドってわけ。どう?最高でしょ?

「…私…ブランク術師なんですけど…」
「うん、だから早く這い上がって来てよ。次死んだりしたらぶっ殺しちゃうぞー」

 「え?死んだら殺されるんですか?」と目を丸くする名前に僕はもちろん、と笑った。次勝手に死んだりしたら、地獄に行こうが天国に行こうがあの世の果てまで追いかけるよ。お前は僕に殺されるまで死んじゃダメ。

 まぁそれは言わずに「ほら、十万円にしてあげるから早くかかっておいで」と金額を上乗せしてあげたら名前の目が変わった。

21.08.03(一部加筆修正)



まにまにtop
top