眼鏡と忸怩

「目、悪かったんですか?」

 ぼんやり窓の外を見ていたら突然七海が喋った。
 まさか自分に話しかけられているとは思わなくてしばし何も考えずに外を眺め続けていたら灰原に「苗字?」と呼ばれて、そこでようやく自分に話しかけられていることに気づいた。

「えっ?」
「それ」

 助手席に座っていた七海が少しこちらを向いたのかと思えば白くて長い指を自分の目元に向けた。それ…それ………やや間が開いてからなんのことか理解して、七海が言ったそれに触れる。

「あぁ!これ?呪力が込められてる眼鏡なんだってさ。夜蛾先生にもらったんだ」
「へぇ!そんなのあるんだ」
「そうみたい」

 掛けていたウェリントン型の眼鏡を一度外して車窓を見る。異常なし。それからもう一度眼鏡を掛けるとこの世の生物とは思えない呪い、低級のソレらが空をウロウロ飛んでいるのが見えた。そう、もうすぐ呪力がすっからかんになる新月が迫っていた。
 見たい見たいとせがむ灰原にそれを渡してやれば「いや、何も変わんないけど」と不満そうに感想を述べた灰原に笑いながらもらった時のことを思い返した。





「これで良いのか?苗字」
「はい。なんだかんだでこれが一番使いやすかったんですよね」
「そうか。これは一級呪具の寧楼。呪霊の核にぶつけると祓うことができる。核というのは言わば呪霊を形成する根っこみたいなものだ。刃先が呪具になっているから万一の時は刃物だけ持って帰ってこい。修理ができる」
「わかりました」

 武術ウィークを終えた週末。筋肉痛疲労感マックスの体を引きずって夜蛾先生に武器庫へ連れてきてもらった。この一週間、太刀、長刀、弓、トンファー、三節棍、ヌンチャク、色々使ってみたのだけど、しっくりきたのはやはり六尺棒。だからそれに近い薙刀の呪具を借りることにした。薙刀を渡された時に何千万円だからとか言われたけど忘れることにした。それで思いっきり呪具触れなかったらマズイでしょ。
 先生ご自慢の武器庫を後にして無駄に広い長い廊下で何千万円のそれを軽く振ってみると、刃物の重みもあってか少しバランスを崩しそうになる。

「うわ、重っ」
「当然だ。鉛の重さの分重心バランスが変わるからな。早く慣れておけ」
「は、はい」
「それから…」
「?」
「これをお前に渡しておく」

 夜蛾先生はポケットから箱を取り出すとそれを私に渡してきた。ぱっと見、眼鏡ケースのそれを開けてみたら、やっぱり期待を裏切らないウェリントン型の眼鏡が仕舞われていた。先生の横を歩きながら恐る恐る隣を見上げる。

「あの……私別に目悪いわけじゃないですよ…?」
「それは呪力を込めた眼鏡だ。お前は一定の時期、呪いが見えなくなるだろう?それをかけておけば見れるようになる」
「へぇ…!」





「苗字さ、なんで呪力ある時とない時があんの?そろそろ教えてくれよ」

 灰原の一言で意識を目の前に戻す。

「え?」
「七海も気になるよな?」

 助手席の後ろにいた灰原が前にいる七海に声かけるからそれに連れられて視線を灰原から七海に向けると、七海の形のいい耳が見えた。

「…そうですね。同期として一応知っておかなければいざと言う時対処に困りますから」

 なるほど一理あると頷く。さて、一体どこから説明したらよいのやら…、少し思案してから私は口を開いた。

「うーんと、簡単に言えば私月の半分は殆ど呪力無いようなもんなんだよねぇ」
「ふーん?それどういうシステム?」
「月の満ち欠けで呪力量が変わっちゃうのよ。すんっごい不便」
「…天与呪縛、ですか」

 少しこちらを振り返った七海は意外そうな顔をしていたから「七海!正解だ!」なんて日下部先生の真似してグッジョブポーズしたらウザそうにしてまた前を向いてしまった。ちぇ。
 話を戻すと私は天与呪縛の持ち主だ。確か夜蛾先生が無駄にかっこいい名前つけてくれたんだけど、なんて言うのかは忘れた。
 縛りの内容としては、さっきも言った通り月の満ち欠けで呪力量が変わってしまうという、もう本当にこればっかりはどうしようもない生まれつきの能力だった。
 満ち欠けを新月、上弦、満月、下弦と四等分にした時、下弦から上弦までの間は一般人並みの呪力、特に新月間近なるとすっからかんになって、呪いが見えなくなってしまう本当に迷惑極まりない縛り。

「月の半分が呪力無いって大分不便な能力だな?だから呪具持ち歩いてんだ」
「そそ」
「となると、あまり貴方は戦闘向きでは無いのかもしれませんね」
「いやいや七海さんあんまそんな悲しいこと言わないで。自分でもうっすら自覚してるから」
「まぁ日下部先生みたいにほとんど術式使わないであそこまで実力身につけてる人もいるし、気落とすなよ!な!」
「灰原今度何か奢らせて」
「ん?なんで?」
「なんでも」

 きょとん顔する灰原の背中を叩く。なんてできた男なんだコイツ。

「ともかく我々はあなたのその眼鏡で呪力量を判断すれば良いと」
「あーそういうことだね」
「そういうことは早めに言ってもらわないと困ります。…我々としてもサポートしようがない」

 助手席に座っている七海の顔はどんな表情かは窺えなかったが、代わりにふうと小さなため息が聞こえた。

「ねぇ灰原、七海って分かりにくいツンデレだよね」
「思った思った」
「…」
「ふふっ。皆、もうすぐ日下部先生の指定したポイントに着くよ」

 灰原と耳打ちしあっていればやりとりを聞いていた補助監督さんが笑いながら説明してくれて、その声に顔を挙げれば車の外には呪いがうようよ漂っているのが見えた。
 今日は実習だ。日下部先生は自分の任務に行ってからなので現地集合。補助監督さんに近くまで車で送ってもらい、指定された場所に向かえば棒付きキャンディーを咥えて携帯を弄る先生の姿が見えた。

「おー来たか」
「先生お待たせしました!」
「よーし、手っ取り早く今日の仕事内容伝える…てあれ?苗字目悪かった?」
「呪いが見れる眼鏡です。昨日もらいました」
「あぁなるほどな。いやでもよー、もっと今時風の眼鏡にしてもらえば良かったじゃねーか。なんかちと古臭くない?」
「そのセリフそっくりそのまま夜蛾先生に言っていいですか?」
「……ウン、よく似合ってるぞ苗字。んでだな、今日の任務の説明をする」

 夜蛾先生には頭が上がらないらしい先生が言うには話はこうだ。都内のとある廃墟で飛び降り自殺があったらしく、その場所に呪いが大量発生してしまったのだとか。
 日下部先生の説明を聞きながら背中にあったバッグから二つに折り畳まれた呪具を取り出してカチンと一本化させる。

「灰原と苗字、行ってこい」
「応!」
「はい!」
「七海は帳を」
「はい」
「…トバリ?」
「授業でやったでしょーよ。先生泣くぞ?」
「結界術の一種で、外から見えなくして呪いを炙り出すってやつだよ苗字」
「…あぁ!それか!」
「…闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」

 またもや呆れたように息を吐いた七海は印を組むと言霊を唱えた。直後に頭上から夜色のインクみたいな幕が降りる。

「流石二級術師だな。帳はお手の物か七海」
「えっ!?七海って二級術師だったの?」
「一年なのに!?」
「…呪術師に年齢なんて関係ないでしょう」
「まじか!置いてかれてるやばいよ灰原!」
「え、苗字何級?」
「三級」
「あ、一緒」
「わーい急に仲間意識芽生えた」
「はいはい、いいからさっさと行け。友情青春レッツゴー」

 パンパン、と日下部先生の叩いた手を合図に、薙刀の刃先カバーを外して帳の中へ駆け込んだ。





「やっがーせんっせー」
「雪だるまは作らんぞ。で、どうした苗字」
「あ、いた」

 とんっとっとっとんっとん、雪の女王でお馴染みのドアノックをしてみたら案の定ノリ良く夜蛾先生の研究部屋はすぐに開いた。先生、二年生見てるって聞いてたけど存外暇なのだろうか。ちょっと失礼なことがよぎった。

「今日は都内で実習じゃなかったか?」
「あ、そうなんです。無事終えまして」
「そうか」
「それでなんですけど、呪骸貸してもらえませんか?」
「呪骸?何用だ?」
「対組手用のが良いです。ほら、前に日下部先生に貸し出してたようなの…ありませんか?」

 今日の実践は灰原のお陰で任務に成功したようなものだった。自分の体なのに動かしきれずに灰原のフォローでなんとか成り立ったという。
 だから悔しくて、どうにかあの二人に少しでも追いつきたくてどうしたものかと考えた結果先生の呪骸を借りようという結論に至った。

「こいつを渡そう。呪力がないお前でもオンオフができるように声認識タイプだ。スタートでこいつが動き始める」
「終わる時はなんて言えばいいんですか?」
「タンマ、だ」
「…めっちゃ言いたくないやつじゃないですか」
「だろう。ちなみに、止め方はもう一つある…が、それは自分で見つけろ」

 そのニヤケ顔からしたらどうやら結構自信作らしい。とりあえず先生にお礼を伝えて、呪骸を脇に抱えて開けた場所へ向かうことにした。

「スタート!」
『ギニャァアアアア!!』
「うわっ」

 私の声でブルブルと震え上がった呪骸は真っ先に私の顔を狙ってきた。振りかざされた拳を払って数歩下がる。足元を狙ってみたが高くジャンプされて躱され、そのまま落下の勢いを使って両足を揃えてこちらへ降りてきた。食らわないように体を捻る。

「ふっ、…!」
『ニャァアア!!』

 どれくらい叩いては殴られ、蹴ってはど突かれたかは覚えていない。あれ、てか、これ音声以外にも止まる方法あるんだよね…?さっきから結構ぼかすか殴ってるけどオフどこ…?

『ニャオン!!』
「うぶっ」

 一瞬考え事をしたのがまずった。
 顎に良いものが入って視界がグラリと揺れる。やばいこれ、たぶん脳震盪だ。呪骸を見るとすでに次の攻撃に差し掛かろうと拳を振り上げていて、ガードが間に合いそうになかった。

「――っ」

 腹を括った瞬間、鈍い音が響いた。

『…ニャオン』
「……へっ!?」

 重いパンチが飛んでくると思ったら気の抜けた呪骸の鳴き声。構えていた私にぽふんと柔らかいもの…力の抜けた呪骸が自分に落ちてきて何が何だか分からない。思いの外重たい呪骸の重みに負けてそのまま地面に倒れ込むと、頭の近くで何かが落っこちた音。起き上がってそれを手に取ってみたら消しゴムだった。
 え、…なぜだ。…何故消しゴム?

「!」

 手中のそれを頭の中ハテナまみれにしながら見ていたら突然浮かび上がっては私の方に向かって飛んできた。慌てて避けると後ろからげらげら笑い声。
 この声は!と尻もちついたまま振り返る。

「ぶはははっ、だっせぇ眼鏡」
「んなっ」

 思った通りの人の手中にはさっきの消しゴムが手に収まっていた。五条さんだ。

「その程度で手こずってんなら呪術師やめれば〜?YOUやめちゃいなよ」
「それが五条さんのご希望ならやめられないとまらないですよ」
「はっ、かっぱえびせん」
「というか、」

 小さくため息をついて立ち上がり、お尻についた砂を払ってから呪骸も軽く叩く。一応借り物だからね。

「なぜ一々突っかかってくるんですか?私あなたに何かしました?」
「いんや、ただの先輩のあっりがたーい助言」
「そんなの、っ!」
「お前、呪術師向いてねぇよ」

 ずいと目の前に現れたサングラスに体が強張った。結構離れてたのにもうこんな眼前……、足の長さえっぐ。

「前に会った時よりかは呪力増えてるっぽいけど、せいぜい毛が生えた程度だろ。そう毛蟹!」
「…は?!
「毛蟹ができることなんざたかが知れてる。だからお前には呪術師より補助カン目指すことをオススメするよ。じゃなきゃロクな死に方しねぇよ、お前」

 サングラスの向こうにある目が笑った気がして私の負けず嫌いスイッチが押された。だから私も笑ってやる。

「私毛蟹好きですよ。美味しいですし。あっりがたい助言どうもご丁寧にご親切にわざわざありがとうございます」

 直後に不穏な空気が生まれたのは言うまでもない。

21.07.28(一部加筆修正)



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