「う゛っ…」
ばっと明るくなった視界、それからお腹あたりにのしかかる重さに潰れたような声が漏れた。
「名前」
「…」
「名前、名前ちゃーん、名前名前ー、名前さーん、名前せーんせ」
しつこく名前を連呼され、さらには揺さぶられて、挙句の果てにはカシューカシューなんて音が何回か聞こえてようやく嫌々目を開くと、突然目の前に突きつけられた何かに目を顰めた。
何度か瞬きしてみるも、近すぎてピントが合わん。何かの雑誌?…青っぽい写真が見えたかと思ったら今度はそれを離されて、代わりに包帯ぐるぐる巻きの顔がズイと近づいてきた。身じろぐと体のあちこちが筋肉痛やら打撲痛やらでズキズキ痛む。
この痛みは最近のデフォルトだ。マジで最近の鍛錬本気目に扱かれてる。
「おっ、起きた」
「…」
「おはよ、名前」
「…」
「お、は、よ、う、はー?んもー、テンション低いなぁ」
「…」
…目が覚めて早々物騒な顔見て上がるわけないだろと何度か瞬きしながら内心そう思った。
いやそれより苦しい、眩しい、眠い、ふざけんな。いろんな感情と悪態を最高に混えながら頭元にあったスマホの画面をタップ。待ち受けに表示された時間を見て、窓の外に視線を送り、それからもう一度五条さんを見上げた。
「……あの」
「なーに?」
「……今…朝の四時半なんですけど…………私の部屋で何してんですか五条さん?それに今日私オフなはずなんですけど…」
事実だけを一通り述べると、布団に丸くなる私の上に跨ったこの人がにぱっと笑った。寝起き早々血圧が上がりそうだ。
そう、ここは先にも言った通り私の部屋だ。それも高専の敷地内にあるアパートの、だ。
高専内は現役呪術師達をサポートするためにアパートが三棟ほどある。元々新宿近くにマンションを借りていたのだけど、高専に来てから毎日扱かれすぎて家まで帰る気力も体力もなくなった私に夜蛾先生…いや、夜蛾学長に学生寮とは少し違う、現役呪術師向けのアパートに住むことを提案してくれて飛びついた訳である。
私のアパートがなぜ高専敷地内にあるかの説明はこれで以上で、それから昨日から今日にかけての出来事を振り返る。昨日は一級術師と二件任務に同行させてもらい筋肉痛打撲で痛む体をどうにか奮い立たせ、手こずりながら片付けた。そして帰ってきたらいつものように五条さんに訓練場に呼び出されコテンパンにされて帰宅し、「明日から三日間休みだから初日はとことん寝る!」と意気込んで布団に潜ったはずだ。
解せんと言わんばかりに五条さんを睨むと、目の前に青い雑誌……沖縄と大々的に書かれた旅行雑誌が目の前に突き付けられた。あぁ、いいですよね沖縄。…ん?沖縄?
「今日からサプライズでハネムーンだよ」
高血圧に効果的な食べ物ってなんですか?
◼︎
「僕ハネムーンつったんだけどな」
「結婚どころかお付き合いすらしてません」
「伊地知にはハネムーンつってきたし」
「伊地知さんいじめないでくださいよ」
人生初のファーストクラスの座席で緊張していたら、隣に座る五条さんがぶすっと不満げに言ったセリフにすかさず突っ込んだら「え、そうなんですか?」と五条さんからとは反対方向の席から声が飛んできた。
「なにが?」
「お付き合いしてない…って…」
「どこら辺が恋人同士に見えたかな恵君」
「…いえ、失礼しました」
「恵大丈夫!夢はなる!って言ってると叶うから。これ少年ジャンプマジック」
「五条さんの年齢的に少年はアウトです」
「男はいつまでも心は少年さ」
「それ教師が言ったらマズイですよね」
ぶーたれる五条さんをフルシカトして鞄からタブレットを取り出して操作していると、ふわあと出てきたあくびを噛み締める。それを見ていたらしい隣から笑い声が聞こえてきた。
「ははっ、随分眠そうだね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「嬉しいことに僕だねぇ」
なーにが嬉しいだよ。ちらりとサングラスを下げながらこちらへご尊顔を見せつける五条さんに内心舌打ちした。あーあ、今日も素敵なお顔ですね!!
現実でも舌打ちしたくなる衝動を抑え、軽くひと睨みしてからタブレットを取り出してPDFデータを開いた。今回の討伐任務概要が記載された資料をスクロールしながら確認。二級相当の呪霊討伐のようだ。
「それ、見たってあんま意味ないよ」
「事前に知っておいて損はないと思います」
「思い込みもほどほどにねー。…にしても、なーんで恵まで着いてきちゃうかなぁ」
「恵君は良いんですよ。私の任務に同行させる話ですから」
そう、私の隣の席にいる少年、伏黒恵君は五条さんの元で呪術を学んでいる。
あまり詳しいことは聞いてはいないけど、五条さんのあやふやでざっくりで抽象的な説明から推測するに、だいぶ複雑な事情があって、将来呪術師として働くことを担保に高専からの金銭的援助などを取り付けているらしい。
そして、彼は来年その呪術高専入学予定でもある。先週夜蛾学長から彼の勉強の一環として私の任務に同行させてほしいと依頼があった。だからここ数日は恵君と任務へ当たることが増えている。それはそれで別に良い。
けどこの人は違うだろ。端末の任務概要を何度見ても、私の名前と特別同行者に恵君の名前しか載ってない。なんで?特級って忙しいんじゃないの?
「何もお前に付けなくたっていいじゃんねぇ。夜蛾学長もなーに考えてんだか!」
「むしろなんで五条さんがいるんですか。そっちの方が聞きたいですよ私」
「だから言ったでしょ、ハネムーンだって」
頼む、誰か通訳を呼んでくれ。思わず額に手を当てた。
◼︎
「……あ」
空港に降り立ち、出口へと進めば「めんそーれー」なんて歓迎を意味するうちなー言葉が書かれた看板が視界に入った。十年前のと全く姿形が変わらないそれに、七海と灰原の若いころの面影が脳裏に過る。…そうだ、ここで写真………撮ったな。あのときは人生初の沖縄で、星漿体の護衛任務の一環で那覇空港の警備として東京から遠路はるばる沖縄までやって来た。懐かしいなぁ。
しばし呆然としてそれを見上げていると、ちょうど真下あたりにいた五条さんがこちらを振り返った。
「どったの」
「ちょっと懐かしくて…。すみません、ちょっと写真撮らせてください」
さっとスマホを取り出しながらカメラを起動し、その看板に向かって掲げる。人生二度目の沖縄もまさか高専関係で来ることになろうとは思いもしなかった。
「――いや、あなたではなくて」
「違うの?」
ずいっとカメラの中に入り込んできたご尊顔からスマホを退かして、キメ顔する五条さんを白い目で見る。「あっちです」と上を指さすと、五条さんの視線が上がった。
「あぁ、あれね。あれ撮りたかったんだ。おーい恵!こっち来て」
「そうです。だから、五条さんでは、うぐっ」
「!」
「ハイ、チーズ!」
恵君を呼んで、私からスマホをひったくった五条さんは慣れた手つきでインカメに切り替えると、私と恵君を長い腕でまるっと引き寄せて、ローアングルからめんそーれの看板が入るように一枚撮った。
「よかったね名前、こんなイケメンと写真撮れて」
「うわわっ!?」
五条さんが楽しそうにこちらへスマホを放り投げてくるので慌ててそれを受け取り、画像を確認して頭を抱える。……わかってたけどローアングルはぶさいくが割り増しになるからやめてほしかった…。
というか、何で左右の二人は下から撮っても整った顔してんの?どういうこと?
◼︎
「お兄さんめっちゃ背高いね!」
「どこから来たんですか?」
「芸能人?」
「めっちゃイケメン!」
「どこの国の人ー?」
「彼女いるんですかー?」
はーーーーーー、うっっざ。あ、白いヤツの話です。あれ、この台詞、昔全く同じもの吐いた覚えあるような?
日が傾いてきて美ら海も空もオレンジ色に染まる頃。高級リゾートホテルの宿泊者専用プールに隣接した屋外レストランで私と恵君は女の子に囲まれている五条さんを白い目で見ながら沖縄料理をつついていた。いや、どちらかといえば私か。
恵君はあまり興味がないのか、黙々と口元に料理を運ぶ作業をしている。ほっぺがもきゅもきゅしてて可愛い…けど、それは黙っておく。前にうっかり可愛いなんて言ったら一週間くらい口聞いてくれなかったことあったからね。
そんなうっかり可愛いと呟いてしまいそうな恵君はごくりと食べ物を飲み込むと、五条さんの方を親指で指差す。
「…いいんですか、アレ」
「私が聞きたい。というか正直もっといろいろ聞きたいことがある」
恵君とそんな話をしながらシークワーサーのジュースをずぞぞと啜り上げたら空になってしまったのでヤケクソだと言わんばかりにウェイターさんにスパークリングワインを注文した。
話は少し遡ること一時間と少し前。
先に沖縄に来ていた補助監督さんの手配で車で現場へ移動し、想像以上に手こずったが報告書通りの呪霊を討伐し終えた私。
あれ二級じゃないと思う。一級相当だったと思う。しかも新月期の時期にこの任務宛ててくるとか誰かの嫌味としか思えないんだけど。ぐちぐち心の中で不満を零しながら呪具と眼鏡を片付けていたら、ふと一緒に来ていた五条さんと恵君の姿が一切見えないことに違和感を抱いた。
血の跡が見当たらないけど姿がない…呪霊は倒したはずだけどどうしたんだろう…もしかて何かに巻き込まれた…!?彼らの姿を探しながらも補助監督さんに連絡しなきゃと黒い帳に触れるとその向こうにはまさに私が探していた二人と補助監督さんがいて拍子抜けした。
なんだ、外にいたのかと思いながら任務が終わった旨を伝えたら何故か五条さんに飛びつかれそうになって慌てて逃げ、最終的には避けるのが面倒臭くなって呪具で寄ってくるのを押さえてたら五条さんが一言。
「一級呪霊討伐おめでとう名前!これで君も晴れて一級術師の仲間入りだよ!」
「…は?」
親指を立ててグッジョブポーズをかました五条さん。その隣で恵君が無表情でぱちぱちと小さく拍手をしてくれていた。一級術師って……は?
「さっきの任務、実は昇級試験だったんだよねー!いえーい!」
「…おめでとうございます苗字さん」
「……はっ?」
昇級…試験…?頭の中で大量の疑問詞が浮かんで脳内を埋め尽くされる。待ってくれ、疑問を何一つ解決できない。
「いや、あの、…えっ?一級呪霊…?」
「お前本当はもうだいぶ前にブランク術師から正式に二級術師として再登録されてんの。そんで、七海と冥さんから一級への推薦をお願いしててね、昨日の地点ですでに準一級だったってワケ」
ちょっと待ってくれ。情報が完結しない。は?二級術師?再登録?七海と冥さんから推薦?準一級?私が?
「最近一級術師との同行多かっただろ?あれは一級適正試験みたいなもんだったのよ」
「…」
「で、今日は実質昇級テストみたいなもんで、一級案件を一人でこなさせたってワケ。必須条件は呪力すっからかんの時期だったから、月輪カレンダーと調整するの大変だったんだよー?(伊地知が)んま、とにかくこれで僕が報告すればお前は晴れて一級術師の仲間入り!」
「…」
「いやぁー、僕が散々扱いてきた甲斐があったよねぇ!やっぱ教師向いてるや僕。呪術師の教師なんて、天職中の天職すぎる」
「だよね!」と適当に隣にいた補助監督さんを巻き込みながら五条さんは機嫌良さそうにして車に向かってしまった。そのまま視界の端にいた恵君を見ると、なんだか申し訳なさそうにして軽く頭を下げた。その様子は詳しいことは五条さんに、と無言で言われてるようだった。…そりゃそうだと盛大なため息が出た。
その後、ご褒美休暇と称してリゾートホテルに連れてこられたってワケだ。ホテルに到着した頃にはもう夕食の時間で、今こうして恵君と屋外レストランでディナーをいただいている。え?宿泊代?知らないよ?
「ちょっと二人ともー!もう少し楽しそうにしてよ。てかなんで二人とも水着じゃないのさ」
一通り女の子にキャピキャピされてご満足された五条さんが私と恵君のいるテーブル席へやってきては私の隣にどっかり腰かけ、「なんのためのご褒美休暇だと思ってんの」と私の服をぐいっと引っ掴んだ。有名なサーフィンブランドの海パンにラッシュガードを羽織った五条さんとは対照的に私と恵君はちょっとラフめな私服姿である。ちょっとラフすぎるかと思ったけど、そこは沖縄の特有のゆるさのお陰であまりお高く纏う必要はさなそうで助かった。
「せっかく水着プレゼントしたのにー」
「着る必要性がないと思ったので」
「あるでしょ、僕の為」
「恵くーん、五条さんがひと肌脱いでって言ってる」
「野郎の見て誰が得するんだよ」
「…俺を巻き込まないで下さいよ」
心底嫌そうな顔をしながら恵君はラフテーを口に含んだ。私だって巻き込まれたくない、と負けじとラフテーを口に放り込む。
「ね、名前。それ僕にもちょーだい?」
ちゃっかりサングラスを外してぶりっ子ポーズをかます五条さんからラフテーのおねだり。私昼間呪い祓ってたんですけど、引き続きこの特級も祓わなきゃいけないんだろうか。
無駄にキラキラさせた眼差しに負けて取り皿にラフテーを乗せて五条さんに差し出した。
「どうぞ」
「ねぇ今のどう見てもアーンなノリだったよ?なんで取り皿に乗せて渡すの?」
「これが私流のアーンなので」
「じゃあ僕流のアーン覚えてよ」
めんどくさいなこの人、これでシラフ?なんて思ってたら、恵君が席を立ち上がる。あ、まずい。これ帰るやつだ。何度か見ているからわかるのだ。五条さんが果てしなく面倒くさくなった時の顔を。
「あっ、ちょっ、恵君!」
「ちょっと所要で部屋戻ってます」
「所要ってなに!?すっごいめんどくさそうな顔してるけど!?」
「………同級生と電話を」
「恵君学校で結構問題起こしてたよね!?電話するほど仲良い子いないでしょ!」
「名前それ恵のことさり気にディスってる」
「引き続き楽しんでください」と恵君はカット済みのドラゴンフルーツを一口食べてはさっさとホテルの中へ戻って行ってしまった。横から飛んでくるキラキラした光線が目に痛いので空いたお皿で五条さんの顔を隠すが、あっさり取り上げられてしまう。どうやって部屋に戻ろうかと思案しながらグラスを呷る。
「良かったね、これで二人きりだよ。大人の時間だね」
「どの辺がですか。朝から今に至るまで情報不足すぎて頭の処理能力がキャパオーバーしてるのでこれ以上考えさせないでくださいよ」
「おっかしーな、僕領域展開してないはずなんだけどなー」
ぶつぶつ言いながらも素直に五条さんは先ほど受け取った取り皿にあるラフテーをぱくぱく口に放り込むと「もう少し黒糖入れたって良かったのにね」と一言。いやレストランの料理に口出しすな。たまたま近くにスタッフさんいなかったからいいけど。五条さんに冷ややかな視線を送りながらお皿を回収しに来てくれたスタッフさんに追加でお酒を頼む。
「すみません、コスモポリタン一つ」
「それ美味しいの?」
「?おいしいですよ、クランベリー味です」
「あ、じゃあ僕も」
「…五条さん飲めるんですか?」
「下戸なんだけどねー。せっかく沖縄に来たしさ!楽しみたいな」
「…」
…まぁ、そう思うのも無理ないか。何せ五条さんは特級術師であって教師でもあるのだ。たまには羽を伸ばしたいと思うこともあるだろう。最近やたら振り回されているがしかたないな、今日くらいは付き合ってあげようか。
「…じゃあそれ二つお願いします」
このセリフをこの後私は盛大に後悔する羽目になる。
21.08.03(一部加筆修正)
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