酔払の古傷

 見上げた数字が最上階を表示し、ポーンと柔らかい効果音が響いた。さぁどうぞ!と言わんばかりに静かに開かれた扉のその先を睨みつけ意を決して足を踏み出す。フカフカのカーペットの感触を靴越しに感じながら、その一歩に重心をかけると自分の体重以上の負荷がかかってよろついた。
 それをなんとか持ちこたえてまた一歩、また一歩と足を踏み出す。

「おん゛っ…も…!!!」

 歩いた拍子に少し体勢を崩した五条さんを抱え直す。抱え直すと言うのか、引きずり直すと言うべきか。そう、私は今絶賛酔っ払い中の五条さんを部屋まで送り届けてる途中であった。

 何が悲しくてこんな南の島まで五条さんと来て一級祓って酔っ払った特級を介護しつつホテルの部屋まで連れてかなきゃなんないの…。朝早かったから眠いし任務は疲れたし酒は回ってるし…。

 こんなにハイパーど下戸なら飲ませるんじゃなかった!ホテルのスタッフさんが手を貸してくれようとしたのに「名前じゃなきゃやだーてこでも動かないからねー」ってよ。てへって効果音が聞こえた気がしたけど何にも可愛くない。
一九〇センチ越え、おまけに筋肉質…体重何キロあるんだこの人。

「名前ー名前ーうふふ」
「ハイハイ名前ですよ。部屋の前着いたんで鍵開けて入ってください」
「鍵?」
「カードキー、フロントでもらったやつですよ」
「あーはいはいこれねー」

 ごそごそズボンやら羽織を漁り、「テッテレー鍵ー」青い猫型ロボットの真似をしながら五条さんがポケットから鍵を取り出し、差し込み式のカードリーダーの入り口に手を伸ばした。

 その様子を見てやっと解放されると安堵のため息を吐く。よし、このあとは早くお風呂入って寝よう。報告書はもういい、帰りの飛行機の中だ。そして朝はコーヒー買って海沿いの散歩にでも行こう。明日東京に帰るから、誰にも邪魔されない静かなひと時をちょっと優雅に楽しもう。うん、このプラン最高。

「ん」
「…」
「あれ」
「…」 

 ひっそりとした廊下に五条さんがカードキーをカードリーダーにぶつける音だけが虚しく響く。

「んー?名前ーこれ鍵入んないよー?」

 ……いやそんなフェンシングみたいなテンションでやったらそりゃ入らんわ。思わず似非関西弁で突っ込む。…まぁ良い、もうすぐ解放されるしと思い直してカードリーダーにホテルのカードキーをがつがつぶつける五条さんの手を掴んでやめさせる。

「はぁ…ちゃんと入れてください。動作が荒っぽいんですよ」
「…」
「ここに当てて優しく押し込んで……ほら!入った!開きましたよ!さ、どうぞ存分に寝てくださいおやすみなさい!」
「やば、ムラってした」
「え?、うぐっ!?」

 一瞬真面目なトーンでボソッと何か一言言った五条さんはダラダラと私にもたれてた身体を起こし、あっという間に私を肩に担いで部屋の中へ入っていってしまった。なんだ、これ。あれ?……この人さっきまでベロベロに酔ってなかった?

「いやーまさかこんな簡単に釣れちゃうとはねー!名前チョロすぎ!」
「…………は?あいたっ……くない」
「あはは、どっちよ」

 ぼふんとベッドに放り投げられてつい反射的に「痛い」と言いかけるがそもそもリゾートホテルのベッド、痛いわけがなかった。まーた五条さんに遊ばれたのか。やられたと思いながら起き上がろうとすると肩を押し付けられてまたベッドに戻ってしまって目を丸くする。

 五条さんが乗り上がってくるのを見てそこで漸くなんだかまずいことになったと気付いた。

「ちょ、…っと五条さん…!?」

 しまった、あの時意地でもホテルのスタッフさんに任せるべきだったと今更ながら盛大に後悔していたら何故か近づくお顔。

 慌てて肘を突き付けて抵抗の意思表示を見せたがあっけなく手を取られ、せめてものと顔を背けた。無謀になった耳に五条さんの顔が近づく気配がして、ぎゅっと目を瞑っていると耳元で五条さんが笑った気配がしてゾクっとする。

「名前さぁー男の部屋までノコノコとついてきたりしたら……ワンチャンあるって思われるよ?」

 うるさいくらい鼓動を上げる心臓が、ぎゅうっと一際強く収縮したような感覚がして「うぅ」と可愛くない呻き声が出た。誰のせいだと思って…!内心反論した。

 それから思いっきり顔を横に向けて固まっているうちに五条さんが顔を上げる気配がして、「あぁ警告って意味でこういうことしたのね」と一人で勝手に納得しながら離れていく五条さんの方を見たらまたもや後悔した。

 サングラスが外されて、息を飲むほど美しい双眼が惜しげもなく姿を現す。
 背後にはふかふかのベッド、顔の横には五条さんの腕、正面には美男子、それからこの距離でないと感じ取れない五条さんの匂い…。

 いやというほどに五感を伝って今の状況を思い知らされてしまって、

「ははっ、顔真っ赤!お酒のせいかなぁ?大丈夫?」
「……っ、だ、騙すなんて悪質ですよ…!飲んでませんよね五条さん!?」
「僕が飲むなんて一言も言ってないけどね。楽しみたいな、とは言ったけど」

 そうだ。今思い返せばカクテルを持っていたが口に運んでいた様子もなかったし、五条さんを部屋に帰そうと席立った時もカクテルはちっとも減っている気配はなかった。

「……信じられない…性格悪っ……最悪…」
「はいはい、褒め言葉ありがと」
「…こうやって色んな女の人を誑かして来たってわけですか、勉強になりますありがとうございます以後気をつけます」
「うーん、女の子を誑かして来た過去は否定しないけど、こうやって自分で部屋に連れ込んだのはハジメテだよ?」
「……は?」

 それ、どういう、……意味。

 不意に五条さんの大きな手がトップスの裾からするっと入り込まれて考え事をしていた思考が止まった。

「え」

 熱っぽくてゴツゴツとした指先が腹に触れ、慌てて腕を掴んで動きを止めさせる。いやいやいや。
 また心臓が酷く脈打ちはじめる。

「ご、ごご、五条さん!?流石にこれはオイタがすぎますよ!?」
「だってこのくらいやっておかないと君、僕を意識しないだろ?」
「意識って…」
「あんまりカワイイ反応しないで。少しちょっかいかけてやろうと思ってたくらいなのに歯止めが利かなくなっちゃうでしょーよ」
「な、何言って…!」

 ぐっと手を進められて指先がある一点に触れた途端、体がびくっと強張って五条さんの手が止まる。五条さんの僅かに見開かれた青い双眼が、私の服の下に隠れた自分の手から私の顔へと移り変わる。

 思わず気まずくなって視線を逸らすと、一度は止まった五条さんの指がまた少し動いて、今度は明らかに意思を持ってそこを撫でるように触れてくるから体がまた僅かに揺れる。こ、この野郎…!

「お前これ…」
「…、っ!」

 そっと腫物に触れるように五条さんの指先が優しくそこを撫でつけるのだが、ゾワゾワしてたまらない。今は服に隠れていて見えないが、そこはケロイド状になっている古傷がある場所だ。

 昔、母親を殺した呪霊と対峙した時にぶっ刺されて硝子先輩に治療してもらった所。内臓は綺麗さっぱり治ったものの、皮膚の部分だけはどうしても跡が残ってしまっている。

「見て良い?…………何この手」
「いやいやいや、なんで許可出す前に裾持ち上げてんですか」
「じゃあなに、ゴーサインでも出してくれるの?」
「…出しませんね」
「でしょ?なら、」
「なんでやねん」

 スムーズに出てきた芸人ばりのツッコミを入れながらも、慌てて手で服を押さえて五条さんの動きを阻止。
 なんで五条さんに腹見せる流れになる?そ、そりゃ触られたけども…!

「見たい」
「見なくて良いです」
「見たい」
「見たってしょうがないですよ」
「じゃあ見る」
「オイ!」

 両手をあっさり一纏めに、さらには頭上に固定されてしまって詰みモードに。
 徐々に巻くしあげられるトップスの裾にじっとしていられる性分ではなく、急いで五条さんの長い股下から自分の脚を引き抜いて分厚い腹を押し上げる。でも結局「邪魔」と咎めるように言われて、脚はまた五条さんの股下へ逆戻りだ。ホント最悪!

「――」

 五条さんの青い瞳が臍の緒のすぐ横にあった、人間の拳ぐらいの大きさのケロイドで固まった。居た堪れなくなって五条さんから視線を逸らして顔を背け、ベッドランプを無心で眺める。

 ねぇ、ほんと何この状況。なんで先輩に腹出してんの私。

「…跡、残っちゃってたんだね」
「まぁ、生きてるだけで丸儲けってやつで、っぁ!…あんまり触らないでください…!」
「ふーん…ココ、弱いんだ?」
「皮膚薄くなってるんで触られるとぞっとするんですよ!…ひっ」
「へぇ、じゃあお前を大人しくさせたいときはここ触ればいいと?」
「私はもともと大人しいです!騒がしくさせてるの五条さん!」

 「どーだか」と鼻で笑った五条さんが耳元に唇を寄せながら、また古傷に触れてきてゾクっとした。

「や、め……!」
「名前さぁ、いい加減僕を見てくれない?」
「今、…目の前にいるじゃないですか…!」
「全く…ホント往生際が悪いなぁ」

 自分でもそうだとも思う。こんな状況に追い込まれてなお、とぼけることしかできない自分に流石にそろそろ嫌気が差してきた頃だった。

 五条さんが私に対して特別な感情を抱いていることは、なんとなく気付いてはいた。でもそれは果たして恋慕のようなそれなのか、弱者を弄ぶ強者の戯れのようなそれなのかが分からずに今日にまで至る。

 だってこの人呪術師界最強なんだよ?五条家の当主であり、顔スタイルともに申し分なし、お金もあるし、命の保証はないけど仕事だっていいポジションにいる。その辺プラプラしてれば女はこぞって食いついてくるほどのハイスペック人間なんだ。こんな平々凡々な出戻り呪術師に執着する理由が全くわからない。

 だからいつも私は思い込んでいた。無理矢理働いてた会社を寿退社させて高専に連れ戻したり、一年生の子達に嫁だのなんだの紹介したり、沖縄の任務をハネムーンと言ったり、今こうして私と視線を合わせるように顎を掴んでくるのは……それは全部五条さんのただの戯れだと。

「名前」

 優しい眼差しと優しい声色をふっかけたって騙されないんだから。
 だってその証拠に私は一度だってこの人の口から一言も、


「好き」


 そう、こんなセリフを聞いたことがないし。
 ……ん?……あれ?

「……へ」
「だからさぁ、好きだっつってんの。聞こえてる?」
「あ…、そう、なんですか…?」
「そ、名前のことが好きなんだよね僕。昔っから」
「すき、なんですね…?」

 すきってなんだっけ…隙?犂?好き?いやいや、もう余計に意味がわからない。いや分かってる。でも分からない。顔が、体が、全部が熱い。

 五条さんが小さく笑いながら私の耳元に唇を寄せた。

「うん。だから僕のものになってよ」
「ひ、うっ…!」
「だめ?」

 唇が軟骨のフチを撫でるように這い、直接耳に言葉を吐きかけるようにして囁くからゾクリと背筋が粟立った。
ぬるくて柔いそれが耳のフチを緩く食んできた途端、急速に視界が狭くなり頭が締め付けられる感覚がして、あ、やばいと思った時には目の前が真っ暗になっていた。

 早朝の出立、日中のなかなか苦戦した一級祓除任務、数十分前まで飲酒していて、自分よりガタイのいい男を部屋まで運び、ここで暴れさせられて今更お酒がぐわんぐわんに回ってきた私は五条さんを目の前に腹出したまま意識を手放すことになった。


◼︎


「名前?」

 急に大人しくなった後輩の様子に違和感を覚えて、顔を覗き見ればすっかり寝入った表情。

「…え、マジ?」

 んー…まぁ、無理もないか。連日は訓練でしばき倒してるし、今朝は早かったし、沖縄ついてからすぐに昇級任務行かせて、散々酒を飲んだんだ。流石に疲れさせちゃった、かな?

 くうくう眠る名前の頬を指の背で撫でつけるも、相当深い眠りに入ってしまったのか身じろぎ一つしない。こいつマジにマジか。

「…いやぁ、この僕が一世一代の告白したっつーのに直後に寝落ちするなんて…ふふっ……、こんなことするの、くはっ……ほんとお前だけだよ……っ!」 

 最初は唖然としていたものの、だんだん面白おかしくなってきちゃってふつふつ笑いが込み上げてくるのをなんとか押し殺しきれずに笑う。

「今回のお前の無礼は目瞑ってやるからさ、こんくらいは許してよ」

 腹にある皮膚が薄くなった所にそっと唇で触れればピクリと小さく揺れた。…ホント弱いのねここ、と名前の知らないことをまた一つ知れてニヤつくだらしない顔のまま服を下げてやる。この場で犯してやってもいいけど名前に嫌われるような事はしたくない。

「あ、そうだ」

 上体を起こしてナイトテーブルの上に置いておいた箱を手繰り寄せて開く。中にはボタンピアスが一つ。

「昇級オメデト」

 それを先程自分が食んでいた名前の軟骨に開いた穴に通し、キャッチで固定する。

「あーあ、なんだこれ据え膳ってやつー?マージか。こんなの初めてなんだけど僕」

 名前の隣に寝転がり、疲弊しきった体を抱き寄せて目を閉じた。さて、これで覚えてなかったらもう一度伝えてやるまでだし、覚えてたらきっちり返事を聞かせてもらうとしよう。

 さてさて、朝が楽しみだ。

21.08.03(一部加筆修正)



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