「みんなおはよー。それからただいまー」
ずっしりと重たくなったエコバッグを肩にかけ、挨拶の言葉を投げかけながら一年生達の教室を開ければお馴染みの子達はすでに着席していた。
「おー名前おかえり」
「こんぶ」
「おかえり名前」
「おかえりなさい苗字さん」
「あー重っ」
バッグを教卓に置いて一息つき、中から沖縄のお土産を取り出していたら「大体硝子に聞いたぞ。一級に昇格らしいな」とパンダ君のセリフに思わず「そう!!」と声を荒げながら指をさした。
「気付かない間に準一になっててさぁー!さらには昇級任務とかもう…!………はぁ、どうかしてるあの人…」
「(気づかず任務へ行ってるお前もどうかしてると思うけどな、名前)」
「まぁ無事昇級できたってことでヨシとしとく。皆にお土産買ってきたから配るね」
「明太子」
「ありがとうございます苗字さん…!」
「はい、真希ちゃんも」
「……」
「ん?」
皆にお土産を配りつつ真希ちゃんの机の前に立つと、彼女は机に頬杖をついたままじっと私の顔を見てきた。つい「どうかしたの?」と何も考えずに尋ねたら、真希ちゃんは綺麗なお顔をニヤリと歪める。
すぐに何か嫌な予感がした。
「悟とヤったのか?」
「んぐっ…!!」
ひゅっと息を飲み込んだら唾が気管に入り込んで激しくむせた。すかさずパンダ君が背中をさすりに来てくれて、ジェスチャーでお礼を伝えながら咳き込む。
「こら真希!そんなストレートに聞くな!俺も気になってたけど!」
「しゃけしゃけ」
「やった…?五条先生と喧嘩でもしたんですか苗字さん?」
憂太君の純粋な心配が余計に胸が苦しくなって一層咳き込んだ。いろいろと涙が出る。
「げほっ…うっ…いや、えーと、うん、大丈夫、心配させてごめんね憂太くん。それから君達!私は沖縄には普通に討伐任務に行っただけだからね!余計な詮索しない!」
「チッ」
私的には普通に任務に行ったつもりなのになんであぁなったんだか。むせた拍子に垂れてきた髪を耳にかけると指先に無機質なものに当たる感覚、それから軟骨部分に小さな違和感が走った。
…あぁ、そうだった、気付いたら付けられてたんだっけ。呪力抑えのピアス。
◼︎
話はちょっと遡ること、沖縄滞在二日目の朝。
まず最初になんだか妙に暑いと思った。
瞼は重たくて持ち上がらず、その時はとりあえず視覚以外の五感で自分の近くにあるものを認知することにした。まず先にも言ったように暑くて、なんか纏わりつかれててそれから重い。身体の下はフカフカだ。あと嗅ぎ慣れた良い匂い。…なんだっけ、落ち着くようで緊張するこの感じ……暫し思案したけれどやはり分からず、余計に気になってしまった私は渋々目を開け、それから瞬時に後悔したのである。
「——ッ!?」
目が覚めたら人形みたいに整った顔面がすぐそこにあった時、人はどうなると思う?私はマジで時が止まったかと、もしくは文字通り心臓が止まったかと錯覚するくらいに身も心も硬直した。
暑くて重いと思ったのは私に絡まる五条さんの腕や脚で、嗅ぎ慣れた匂いっていうのはまさにこの人の匂いだった。フカフカなのは言わずもがな、ホテルのベッドだ。
…あ、朝チュン?………いやいやいやいやいや。そんなまさか。
早鐘を打つ心臓と打って変わって、それはそれはもうとにかくゆっくりと慎重に五条さんの腕から抜け出すことを試みた。
体の上にのし掛かる重たい筋肉質の腕をなんとか持ち上げ退かし、さあ起きよう!としたら「ううーん」と唸った五条さんの腕がまた私に絡まってくるの繰り返し。
勘弁してくれと思いつつ五条さんをチラ見したら六眼がしっかりがっつり私を捉えてるからマジで口から心臓が飛び出るかと思うくらいビビった。起き抜けにこれはマジで心臓に悪い。
「おはよ、名前」
「お、はよう…ございます……いっつ…」
「あぁ、水持ってきてあげるよ」
ズキっと痛む頭を押さえたらそれを見た五条さんは軽く微笑み、くしゃりと私の頭をひと撫でしてから立ち上がった。あの人絶対私が起きるより先に起きてた。その背中を見ながら一人そう思う。
備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを二本取り出して、そのうち一本を開封して私に手渡してくれた五条さんにお礼を伝え、なるべくゆっくりそれを飲みながら今の状況を確認する。
私も五条さんも着衣に乱れなし、服装の感じからして昨日のディナーのままここで寝てしまったらしい。大丈夫、まずいことはなにも起こってないはずだ。よし、ここまでオーキードーキ―。
しかしまぁ、あの五条さんと二人きりで朝を迎えるなんて変な感じだと水を飲みながらそう思う。五条さんと朝まで同じ部屋で寝ていることは高専時代にあったけど、いつだってその場には硝子先輩や夏油先輩がいた。桃鉄に巻き込まれてオールとかしたことあるからね。
だから二人きりって……。朝特有の爽やかな空気に緊張感が混じる。
「よく眠れた?眠れたよね?この僕に抱きしめられてぐーすか寝といて眠れなかったなんて言わせないけど」
「……ソーデスネ」
「で?」
「?」
「覚えてるの?昨晩のこと」
「…」
覚えてるもなにも…確かディナー食べてお酒飲んでたら五条さんが酔っ払って、部屋に送って……………おくっ…て……それ、で……。
仄暗い部屋の中で天井をバックにした五条さんの姿が脳裏をよぎった途端、熱くなる顔。「あー」だの「うー」だの唸っていたら五条さんはベランダのカーテンを開けてしまい、情けない顔が朝日に照らされる。
「顔真っ赤だねぇ、名前」
なんなのマジで性格悪いよこの人!熱い頬を冷ますようにして両手で軽く頬を叩くと、耳に懐かしい違和感を感じてその違和感の正体を指先で確認する。
「ん?」
「呪力抑えの呪具だよ。十年前のお前の落とし物」
「えっ」
不意によぎる十年前のあの日。……確かピアスを取ってそのあと私は…。
ぼんやり昔の記憶を手繰り寄せてたら五条さんがベッドに乗り上がってきて思い返す作業が中断される。反動でマットレスが揺れ、視覚と触覚が拾った情報のせいでまた昨日のことを鮮明に思い出してしまい、顔を熱くしながらゆっくりと後退りした。
「僕ってば十年も持ってて一途でしょ?」
「ち、近い!です!」
「あははっ、その様子だと昨日の夜のこと覚えてるみたいだね?良かった良かったー!この僕の一世一代の告白を無碍にされたらコイツマジでどうしてやろうかと思ったよ」
今度は血の気が引くよね!こっわ!!
うわぁ、どうしてやろうか、のセリフの中にいろんな意味合いが聞こえてきて……こっわ。笑顔なのも相まって余計に怖い。
「もちろん返事、聞かせてくれるよね?」
「……う」
「ノー以外は聞くけど」
「いやそれ横暴すぎません?」
ノー以外とかイエスしかないじゃん。
何が楽しいのか知らないがケラケラ笑いながら四つん這いの姿勢から普通にベッドの端に腰掛けた五条さんは、朝日の光を浴びながら水を飲む。その様子がCMみたいに様になっていて無性に腹が立つ。
随分余裕そう五条さんが悔しくて暫く無言でそれを睨んでいたけれど、やがて脱力してため息をついた。
「……正直、信じられないんですよ」
その腹立たしく思う気持ちがまぁ見事に声に乗って出た。水をペットボトルの半分ほど一気飲みした五条さんはヘッドボードに立てかけられた枕を背もたれにするようにして座り直す。当然ベッドの上に座ったままの私もその振動で少し揺れた。
「えー?なんで?どうして?」
「五条さんなんて東京の渋谷でまっぱで歩いてたって女も男もこぞってついてきそうじゃないですか」
「流石にその状態じゃあついてくるのは警察だけだと思うけどね。無限かますけど。あと流石に男は嫌」
「と、とにかく!そんな五条さんにす、…好き、とか、言われても…!私からしたら揶揄ってるとしか思えないんですよ…それならそうと早く言ってくれませんかね」
「んー分かった分かった。じゃあ、それなら分かってもらえるまで口説き落とせばいいってことだね?」
「おっかしいな…お互い日本語使ってるはずなのに…」
「何もおかしいこと言ってないでしょ。僕言ったじゃん、ノー以外は聞くって」
「いやだからそれって……ん?」
…………ノー以外は聞く…?もう一度その言葉を頭の中で呟いてみる。
「選択肢与えてて優しいだろ?保留って手段も与えてやってんだよ」
「マジですか。だいぶ上から目線すぎてびっくりなんですけどマジですか」
「マジ」
よく考えたら五条さんの性格からしたら「はい、かイエスしか聞かないから」とか言いそうだ。うわ、ほんとにこの人丸くなったんだ…ついベッドでくつろぐ五条さんを凝視してしまった。
「何、そんなに見つめちゃって。キスされたいの?」
「うーん、頭がおかしいのか耳がおかしいのか」
「卵が先か鶏が先かみたいな話だね。んまぁ、とりあえず僕これから本気でお前を落としにかかるよ」
「それはー…………地獄へ?」
「それがお望みであらば仕方ないね」
「すみませんでした」
てか、本気で落としにかかるって何?もし本当に五条さんが……私のことを慕ってくれてたとして、だ。
…あれが本気じゃないとなると、本気になるとどうなんの?
◼︎
そんなこんなで帰京し今に至る。ため息をつきながら日本神話のテキストをカバンから取り出し、皆にも同じものを出してもらうように促した。とにかく今は授業授業。
「ぜっっってー何かあったろその顔」
「悟のウザさ割増してるもんな」
「しゃけ」
「え?ウザさ割増って……誰が?」
「悟に決まってるだろ。アイツのジュイッター見てないのかよ?」
「……そもそも五条さんがジュイッターやってること自体初めて聞いたんだけど。え、あの人やってるの?」
「ツナマヨ」
「……へ」
ズイ、と突きつけられた棘君のスマホにはジュイッターのタイムラインが開かれていて、@gogogojooo1207と、いかにも五条さんらしき……てか、このプロフィール「最強GLGダヨー」とか書いてあるあたりもう間違いなく五条さんだな。「ちょっと借りるね」と一言棘君に伝えて画面をスクロールしていくと、
『かわいいかわいいかわいい pic.jwitter.com/jpdgJdm』
『すやすや。僕の腕の中落ち着くのかな? pic.jwitter.com/MdgwFR』
『ちなみにこれ学生時代。はいかわいいー。 pic.jwitter.com/ochIUYsn』
私の寝顔のオンパレードでつい棘君のスマホを握り潰しかけた。一枚目は布団に包まる私…この布団カバー自宅のやつだ。二枚目は五条さんに腕枕してもらいながら寝てる私…この服沖縄で五条さんと一晩過ごした時のだ絶対。
三枚目は…今よりうんと若い私が膝枕してもらって爆睡してる写真だ。画質がちょっと悪いこの写真は高専時代、那覇空港の警備の時のやつだろう。このステテコ柄見覚えある。
どの写真にも「無断転載禁止」とかちゃっかり入ってるけど無断掲載してるヤツが何言ってるんだろか?頭湧いてない?ひとまずスマホは棘君に返して、フウと息を吐く。
「……授業内容変更。今日は皆でこのアカウントを潰してもらいます」
「えー何それひっどーい!」
どこからか音もなく出てきては、さりげなく私の隣に立ち、さりげなく私の肩を組むこの人にもう驚くことはない。憂太君、この程度で驚いてたらこの先大変だよ?と目をパチクリさせている憂太君に心の中で指摘しながらスマホで「jwitter BAN 方法」で検索。
「なんてったて肖像権の侵害ですからね」
「お前に肖像権なんてあるようでないようなもんだろ?それに僕の鍵アカだし」
「そういう問題ですか!ジュンスタで五条さんの顔専用のアカウントでも作りましょうか!!」
「あー、それ面白そうで良いね。でも、待ち受けにして願い事が叶うとか、そんなジンクスで有名になったら困るからちょっと勘弁かなー」
「ぐぅ…っ」
「諦めろ名前」
軽く唸っていればパンダ君に宥められる私。先生が生徒に宥められるとか先生失格レベルだな。
そこで真希ちゃんが「で」と一言述べて状況を整理。
「何しに来たんだ悟は」
「ん、ちょいと憂太は今日から僕に預けさせてもらおうと思ってね」
「五条さんがですか?」
「そう、五条さんが!ついに二週間後に始まるんだよね」
唐突に顔面に押し付けられた用紙を引ったくるように受け取り、大々的に印字された字面を読み上げる。
「姉妹校学年交流会?」
「え、名前忘れちゃった?記憶喪失設定まだ引き摺ってたのー?流石にもうそろそろやめた方がいいと思うけど」
「覚えてますよ!!まだこのイベントがあったのかと思っただけです。これ一年生出れなかったのでは…?憂太君一年生ですよ?」
「例年通りなら一年は出る幕ないんだけどね。僕ルーティン嫌いだからさ、今年は変わり種として憂太に出てもらおうと思ってんだよね」
「僕がですか…!?」
「へぇ、憂太さんがいれば来年は東京だな」
「そうだな。憂太さんいれば圧勝だろ」
「しゃけ」
「えぇっ…そんな、」
「でっしょー!?さすが皆分かってるねー!てなわけで、憂太は今から僕とマンツーマンで直接扱きまーす!そうと決まれば今から秘密の特訓へー…あ、そうだ名前」
「なんですか?」
「……んー、まぁいっか!」
「なんで」
「じゃ、これにてアデュー!行くよ、憂太」
「ま、待ってください五条先生…!」
何かを言いかけた後にやっぱりいいやと言い、投げキッスをしながら教室を飛び出していく五条さんとその背中を追いかける憂太君を皆で見送る。何かあったんだろうか?いや、でもあの人適当なところあるからあんま気にする必要ないか。
一息ついてから「さて」と切り替えるセリフを告げて、私はスマホを取り出した。
「邪魔者いなくなったことだし、アカウント潰し再開します」
「名前のヤツまだ諦めてなかった」
21.08.03(一部加筆修正)
まにまにtop
top