私の唇に重なったしっとりとしたそれがちゅ、と軽やかな音を立てて離れていくのを呆然として見送った。
「——は?」
「傑だけズルいし」
「……え、いや、………………はっ?」
ぽかんとして目の前の人を見上げていると、頬にあった手、その親指が私の唇をツイと撫で、「足りなかった?」と楽しそうに口元を吊り上げて五条さんが笑った。それを見てますます混乱する。
ちょっと待って、私今キスされた…!?なんで!?今の流れで!?
はぁっ!?
一気に現実を突きつけられて、ぶわりと熱を上げる顔。逃げ場のないベッドの上で少しでも離れようと後ずさりするけど、五条さんがいつかみたいにベッドに乗りあがってきたせいでますます距離が近くなってしまう。
「な、なにして…!?」
「何って、…キス?」
「それは分かります!!」
「傑にキスされてただろお前」
「され、ましたけど…!!なんで!?」
「は?何、傑は良くて俺はダメなの?」
「え?」
情けない表情をしているであろう顔をなるべく晒したくなくてつい無意識に手の甲で口元を覆ったら拭かれたと思ったのか、その手を五条さんに取られて、顔が五条さんの前に晒される。その声色は機嫌を損ねたときに発せられるもので、しかも一人称が「僕」から「俺」に代わっている。なんかちょっと五条さんのご機嫌の雲行きが怪しい雰囲気になってきて、
「ちょ、ちょっと待ってください五条さん!何か勘違いして、」
「——うるさい」
「ん、う」
またぴたりと重なる唇に、今度はぺろりと五条さんの舌が私の唇を舐め上げるから変な声が出てしまった。ぎゅっと口を噤んで耐えていると耳の縁、それも呪具ピアスの辺りをなぞられて「ひっ」と肩をすくめた瞬間に唇の間から分厚い肉をねじ込まれる。酸素と唾液を絡ませあうその行為に急に息苦しさを感じて、自然と身体が小さく震えた。
歯列をなぞり舌を絡め取られる中、震える手で五条さんの胸を押したり叩いたりしてみるが効果なし。それどころか首と頭の堺目に五条さんの手が回り、余計に離れられない。ぐっと五条さんが乗り上げるとベッドが二人分の重みを受けて生々しい音を立てるから、余計に頭がパニックになる。
どうしようどうしようどうしよう、呪力ないから術式で無理矢理突き離せないし、かと言って舌噛んだら何されるかわかったもんじゃない…!
「…いって」
「は…、ぁっ……」
物は試しだと五条さんの腰あたりの皮膚を服越しにぎゅっとありったけの力で摘まんだら、ちゅぱ、と夏油先輩の時とは違う甘くて、わざとらしいリップ音を立てて漸く唇が離された。俯いて息を整えていたら、顎を掬われて上を向けさせられる。
「う、」
「ねぇ痛かったんだけど」
「っ、だって、五条さんが…!」
「はは、顔ちょー真っ赤。傑にも見せたの?その顔」
「ちが、」
「何が違うんだよ」
言ってみろよ、高圧的な五条さんの態度に一瞬恐怖さえ覚えた。
だって、違う、違うんだもん……夏油先輩は、あの人は、
「げ、夏油先輩は!ほっぺ!でした!!」
「…………は?」
私のセリフに唖然とする五条さんの手を振り払って、ドタバタとベッドから転げ落ちるようにして逃げると、呪力が強制的に抜かれた頭で突然動いたからか、目の前がくらついてその辺の資料棚に頭をぶつけてヘ床にへたり込んだ。
「い゛っ…たい…」
「何やってんの」
「…それこっちのセリフなんですけど」
ぶつけた頭が痛くて蹲っていると、五条さんか近くにしゃがんでくるから反射的に警戒したら「もうキスはしないから」とため息をつきながら私の手を取った。なんで私の方が面倒くさそうにされなきゃいけないの?解せないんですけど…。
「それより、さっきの話。あれマジ?」
あれ、とは夏油先輩がキスしてきた場所のことであるのはすぐに察して小さく頷く。
「……マジです」
「マジか」と復唱しながら目元を覆う五条さんの顔はほんのり赤いように見えたけど、夕日の光に照らされたせいでもありそうな気がして、本当の表情がわからない。
「あー…早とちりしてごめんね?でも、いつかはチューする予定でしょ、僕達」
「言ってる意味がマジでわかんないんです…なんなんですかほんとに」
「んー…とりあえず、おやすみ?」
「え?」
トン、と額に指があてがわれて意識が遠のいた。
◼︎
ぐったり倒れた名前を腕の中に迎え入れて、短い吐息を吐きながら眉間を親指でぽりぽり掻いた。
「…やられた」
脳裏によぎったのはぺろ、と舌を出してしてやったり顔の親友。
とんだ早とちりだ。突然高専に現れた傑は、遅れてロータリーにやってきた名前を振り返り見ると、すぐさまアイツの目の前へ移動し、再会を祝うかのように小さい体を腕に閉じ込めた。
傑の袈裟にすっぽり埋もれる名前は突然のことに驚き固まって何もできなかったんだろう。でも、二人の間からリップ音が聞こえた時は「お前何やってんだ」とどっちに対して怒っているのか自分でもよく分からないまま、呪力を辺り一体にぶっ放っちそうになった。
僕としてはてっきり唇同士のキスをしたのかと思っていて……ついイラだってやや強引に名前にキスをしちゃったんだけどどうやらあの生臭坊主、頬にしていたらしい。
……クソ、マジやられた。お陰で舌突っ込む事態にまでなっちゃったじゃん。本当は付き合ってから楽しみたかったのに。
ま、これもこれで背徳感あってアリだけど。
とりあえず自分が想像以上に動揺と混乱をしていて、このまま名前に醜態を晒してたまるかと強制的に気絶させてしまったわけだ。情けないのは自覚してるつもり。どうやら僕は自分で思っている以上に彼女のことにのめり込んでしまっているようだ。全然冷静じゃなかったよ。
さて、と、とりあえず脱力した名前の身体を抱えて、もう一度ベッドに寝かせる。すうすう寝る名前の寝顔をスマホに撮り納め、ジュイートにしようかと思ったけど先日アカウントを消されていた事を思い出した。ちぇ。
もう一度作り直そうか悩んでいたら医務室の部屋が開いて、見覚えのある呪力に顔を上げた。
「お疲れ様サマンサ〜!硝子」
「…まだ起きないのか」
「いんや、一度起きた。けどまた寝かせた」
「寝かせた?」
「あ、ねぇ硝子、ちょっとたんこぶできちゃったから治してくんない?」
「お前がか?」
「ううん、名前」
「……何したんだお前」
怪訝そうにベッド際に歩み寄る硝子に「いいからいいから」とせっつき、名前のたんこぶを治してもらう。
そのまま身を翻し、医務室内に設置された給湯エリアで二人分のコーヒーを淹れた硝子が、一つは僕に渡していつものデスク前に着席する。もらったコーヒーの中身を見ていたら「あとはセルフサービス」とセリフが飛んできたから仕方なく立ち上がる。
「それで、どうする」
「んー?」
「夏油のこと」
「あー…」
勝手に置かせてもらっている僕専用のシュガーボックスの中から角砂糖とガムシロ、ミルクを取り出してコーヒーの中にぶち込んでいたら、後ろから硝子の声が投げられた。
「狙いは乙骨憂太かと思っていたが…外れたか?新宿と京都の百鬼夜行…何がしたいんだアイツは」
「僕も最初はそう思ってたんだけどねー!」
使い捨てのマドラーでコーヒーをかき混ぜれば、ダークブラウンの液体にミルクの白が螺旋を描く。昔何度も見た傑の呪霊操術みたいだと思った。
傑のことを一瞬考えたら連想ゲームよろしくまた昼間の出来事を思い出してしまって、それを掻き消すようにやや煩雑に中身をかき混ぜた。
「でも傑の術式は主従関係のある呪霊は取り込めないからね、そこは外した。それから傑の残穢があった現場にいた棘って線も考えたけどこちらは薄そうだ。棘に口開かれて反撃されたら困るのは傑だからね」
意識を操る系の呪霊を持っていれば棘を利用することは造作もないんだろうけど、それならあの場で攫っていけばよかった。けど、傑は棘に一瞥もくれていないのは確認している。よって僕の中では棘狙いの線はナシ。
「それに加えて例の行方不明だった呪力を吸い上げるあの特級呪物、あれが傑の手に渡ってることにも分かったよ」
「名前のヤツまた吸われたのか」
「うん。しかも呪力枯渇期だから、もー本当すっからかん!ウケんね」
僕特製のオリジナルコーヒーが仕上がったところで、それを持って名前が眠るベッドサイドに腰をかける。少し乱れた前髪を整えてやると硝子がため息とはまではいかないけど、細長く息を吐くのが聞こえた。
「……それか、狙いは」
「…名前の生還はさ、別に隠してたつもりはないけどミスったかねぇ?傑が名前を使って何か仕出かそうとしてる可能性だけはゼロじゃないんだよね」
それにあの呪物がなんなのか、その正体がいまいち掴めていないのが厄介だ。
「ま、今年のクリスマスはケーキとチキン買い与えて、大人しく高専でお留守番してもらおうかね」
21.08.03(一部加筆修正)
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