裏切の夏油

 応接室の窓からドン曇りの空を見て、それからひりひりする自分の手のひらを見ては短くため息を吐く。
 今日は世間ではクリスマスイヴなんて呼ばれる日で……例の百鬼夜行当日だ。
 普段から人手が少ない呪術高専内では、いつもより静けさが増している気がする。今呪術関係者はみな百鬼夜行が行われるとされている新宿と京都に派遣されていて、夜蛾先生、日下部先生、あの五条さんも皆新宿で待機だそうだ。あ、あと棘君とパンダ君も。

「はぁああああー…」

 ちなみに五条さんとはあの日、夏油先輩が突然高専にやってきた日からは会っていない。まぁお互い担任と副担の立場であるから、LINEでやりとりくらいはあるけど、内容は業務連絡ばっかりだ。

 つまるところ、勝手に早とちりして勝手に……その、キス…しておいてからは一度も面と向かって話をしていないわけである。
 最初こそは気まずかったから百鬼夜行案件で忙しそうにしてるならそれはそれで会わずに済んで助かるラッキー!とも思っていたけど、会わない期間が長引けば長引くほど、余計に会いにくさが増しちゃっていているのもまた事実で。百鬼夜行に便乗して一度顔を見れば、気まずさは半減されるかなとも邪な考えを思ったりもしたけど、昨日の夜中に届いたLINEには『明日は名前は高専でクリぼっちね。ケーキ冷蔵庫に入ってるから』だ。
ふざけんな。いろいろふざけんな。

「ご丁寧に外に出られないようにしてくれちゃって…」
「仕方ないだろ、夏油がお前を狙っている可能性があるんだ」
「!」

 応接室の入り口から聞こえた声にドキリとして、少し赤みを帯びたその手のひらをぎゅっと握った。「硝子先輩」思ったことは声と一緒に出ていた。白衣姿の硝子先輩は私の隣にある一人掛けのソファーにぼすんと腰を下ろすと、缶コーヒーをこちらに差し出た。お礼を伝えながらそれを受け取ったけど、硝子先輩の手はそのままこちらに伸ばされたままだったからその様子に首をかしげる。

「なんですか?」
「手、出しな」
「いえ、このくらい…!百鬼夜行が始まれば硝子先輩忙しくなりますよ、体力温存しておいてください」
「…そうか」

 バレているなら仕方ないと握る手を緩めた。手のひらは赤く、軽いヤケドのような状態になっている。

「五条に出るなって言われてただろ」
「居ても立っても居られなくてつい…」
「ま、お前らしいよ」

 呪いによる殺戮が行われようとしているのを知っていながらじっとしているわけにもいかないし、ついでだから五条さんを一目見てやろうかと呪具を持って飛び出し、高専を守る結界に触れたら案の定バチンだ。その結果がこの手のザマ。
 大方五条さんが夜蛾学長に頼んで天元様に私を外に出さないように頼み込んだのだろう。普段は適当なクセにこういうところは用意周到なんだ。ホント嫌になる。
 さてと、と思いまだ温かいコーヒーをカイロがわりにポケットに入れて立ち上がった。

「硝子先輩、コーヒーありがとうございました」
「どこに?」
「憂太君と真希ちゃんの様子でも見に行ってきます。異常事態になってますけど、私の顔見て少しは落ち着いてもらえれば」
「フッ、良い先生だ。どっかの教師にも見習って欲しいもんだ」

 硝子先輩と短い会話のやりとりを終え、ついでに何かあった時のために呪具を持って応接室を出た。
校舎を出て生徒達のいるであろう寮へ向かいながら、不意にスマホの画面で時間を確認する。百鬼夜行はどうなっているんだろうか。もう始まっているのか、それとも…。

「!?」

 突然高専内に嫌な気配を察した。廊下の窓の外を見上げれば上空に広がる闇色のカーテン。

 なんで帳が…!?帳だけでは味方の仕業なのか敵の仕業なのか検討がつかない。五条さんの目があればそれくらいの判別がついただろうけど…!術式を発動し敷地内で一番高い建物を駆け上がっているとスマホが震えた。硝子先輩だ。

「硝子先輩!」
『名前、無事か』
「はい、今のところは!硝子先輩は結界術使って部屋に籠っててください!何かあると困るので…!」
『あぁ…それと、さっき真希が正門の方へ走っていくのが見えた』
「正門…ありがとうございま、」

 お礼を言い切ると同時にその正門方面から爆発音が響き渡る。

『名前』
「真希ちゃんかもしれません!切ります!」

 相次いでどろりとまとわりつく呪いの気配に嫌な予感がして、すぐにスマホを切って屋根の上を駆け出した。


◼︎


 ようやく辿り着いた正門前に降り立つとその先に広がる光景に絶句した。

「夏油…先輩…」
「やぁ名前。やっぱりここにいたんだね」

 まるで高専関係者だっただろうかと錯覚を受けてしまいそうなくらい……そのくらいフランクに挨拶してくる夏油先輩の姿があって、変な汗がこめかみを伝った。なぜ、どうしてここに…!
 その少し横に視線を送ると、地べたに倒れている彼女の姿。遠くからでも血まみれで重体なのが分かる。

「真希ちゃん!!!」

 地面を蹴り、彼女の身体を障らない程度に抱えて離れて容態を確認する。お腹と足が……、その人間業ではない酷い有様に息と言葉を詰まらせながらすぐにスーツで腹部を縛る。

 早く硝子先輩の所に、いや、でも夏油先輩を放っておくわけにはいかない。夏油先輩の目的が分からない以上、硝子先輩をここに気安く呼ぶのも危険だ。
 どうする、どうする…!!どうすれば、

「名前、もうすでにその猿は虫の息だよ」
「………は?」

 夏油先輩のセリフに少しだけ思考が止まった。……さる?……どういうこと…?

「な、何しに来たんですか…百鬼夜行は…?」
「私の本命はこっちだよ。乙骨憂太、いるだろう?呼んでくれるかな?祈本里香をもらいにきたのだけど」
「…憂太君を攫いにきたんですか…?」
「まさか、私に男の人攫いだなんて趣味はないよ。乙骨を殺して里香を手に入れようと思ってね」

 乙骨を殺して、のセリフを耳に入れた途端無意識に呪具を持つ手に力が入った。それを見た夏油先輩は僅かに目を細める。

「邪魔するのであればそれ相応に痛めつけなければならない。君は私が可愛がってきた後輩なんだ、できればあまり乱暴な真似はしたくない。——だから大人しくしててくれるかい?」

 瞬時に背後を取られ、私が振り返るより先に背中に異物を押し当てられて呪力が取られるような感覚がした。
酷い立ちくらみに膝を着くが、そのままの体勢で呪具を一文字に振ると、夏油先輩は綺麗に身を翻して私から距離を取った。

「おや?」

 一瞬の立ちくらみはあるがなんてことない。
 夏油先輩が離れたことで体勢を整え、耳元の呪具を乱雑に剥ぎ取りその辺に放り投げた。コン、と軽い音を立てて跳ねて転がるそれを夏油先輩の涼しげな目が追う。

「呪力抑えのピアスか」
「……すみません夏油先輩。私は呪術高専の一年、副担任の苗字名前です。生徒は命にかけても守る。生徒を脅かす脅威は私が…、私が祓います」
「…そうか、満月…底なしの呪力期。君一人くらい大したことないと思ってたけど、ちょっとした誤算だったかな。でも、まぁ問題はないよ」

 満月を察した夏油先輩は例の特級呪物は不要と判断したのかその辺に放り投げた。それを皮切りに瞬時に術式を体と呪具に付与させて地面を駆け出し、夏油先輩に向かって呪具を振るった。

 ツンとする鼻が痛くて、堪えるように口元をぎゅっとつぐむ。

 あの夏油先輩を敵として戦うのなんて嫌だった。なんで。どうしてこうなったんだろう。どうすればよかったんだろう。こうするしかないのか?考えれば考えるほどどんどん目尻が熱くなる。

 私の攻撃をいなす夏油先輩は十年前の体術訓練をしていた時と同じように綺麗な動きだった。
何一つ無駄がなくて美しい。いつだか、踊ってるみたいだよねって灰原と話したことがある。お手合わせをお願いした時は、お団子を崩したらアイスを奢ってくれるって約束したこともあった。でも一度たりとも崩せたことはなくて、訓練終わりにはいつもお疲れ様って、結局アイスを買ってくれたのをよく覚えてる。

 ある時は任務が立て続けに入って気が滅入り、満身創痍で寮に帰った時、一人でいたら余計な事考えてしまいそうになって、談話室にいた夏油先輩に一緒に映画を見たいって言ったら、何も言わずに「おいで」と言ってソファーを開けてくれた優しい優しい夏油先輩。
思い出す夏油先輩はいつだって優しい声、優しい笑顔だった。

 だからこんな恐ろしい笑顔を浮かべた夏油先輩なんて一度も見たことが無くて、想像もできなくて、見たくなくて、どうしようもないくらいに泣きそうになった。

「せんぱい…っ…!どうして、」
「ごめんね、名前」
「かはっ!?」

 いつのまにか先輩に体に張り付いていた呪霊。その口から出ていた三節棍を引き抜いた夏油先輩は抜いた勢いで私の脇腹に打撃を入れる。私はそのまま足で踏ん張り留まることができなくてすっ飛ばされた。
 塀に叩きつけられたことで降ってきた瓦礫に体を押し潰され、その衝撃でぐらりと視界が揺らぐ。まずい、頭強く打った。

「ぐ、ぅ…!」
「おっと、誰かが帳に穴を開けたな。何事もそう思い通りにいかないもんだね」

 入らない力で瓦礫を押しのけていると、地響きが段々と強くなる。
 全ての壁という壁を破壊して、真っ直ぐにこちらにやってくる気配がする。恐らく二人、これは…!!

「やるね」
「ぱ、んだ君に棘君…!」
「大丈夫か名前!」
「しゃけ!」

 破壊された塀から姿を現したのはパンダ君だった。後からやってきたのが棘君。なんで、二人は確か新宿に…いや、でもそんなの今はどうだっていい…!
 二人が夏油先輩を相手にしている…私も加勢しないと…!けど自分の意志に反して視界は狭窄していき、音が遠くなっていく。……こんな時に気絶してる場合じゃ、


——ドッ


 床に落とされた衝撃でハッとして目を覚ますと、地面に伏せていたせいで眼前には傷だらけの自分の手が見えた。その先に転がっていたのは愛用の呪具。
 結界に触れて火傷した手のひらがチリっと痛んで、それがまるで早く呪具を手に取れと言われているような気がして、すぐにそれを引っ掴んで体を起こすと目の前にいた呪霊に腰が抜けそうになった。

「ひっ!?」

 すぐにわかった。特級だコレ。

 過去に一度遭遇したような覚えのある悍ましい呪力を放つソレに違和感を覚えつつ身構えると「苗字さん…よかった」と声が聞こえてそちらを見る。

「憂太君!」

 夏油先輩のターゲットである憂太君がそこにいて、すぐさま彼の腕を掴んだ。

「憂太君今すぐ逃げて!あの呪詛師の狙いは――」

 そこまで言いかけて言葉を呑む。

 憂太君の両手の平は真希ちゃんと棘君に向けられていて、二人は呪力によって薄いベールがかけられていた。何度も見たことのあるその光景…この子いつの間に反転術式を…!

「苗字さん、お気遣いありがとうございます。あの人の狙いが僕っていうのは分かってます」
「…!」
「だからこそ僕が、」

 憂太君がそこまで言いかけた途端、近くにいた呪霊が素早く真希ちゃんを掻っ攫っていった。

『ずるい、ずるい、お前ばっかり!!お前ばっかり!!』
「……ぐっ!」

 呪霊から……殺気なのか呪力なのかわからないが、空気を割くような衝撃を当てられて脳みそが揺れる錯覚を引き起こす。なんだ?なんであの呪霊は真希ちゃんを…

「何をしている里香」
「…えっ、」

 そこでようやくアレが噂の"里香ちゃん"であると理解した。アレが……完全顕現…初めて見た。夏に街中で見かけた時はもっと影のような外見をしていたのに、まさか本体が"こう"とは…。


「――女は怖いよねぇ」


 前に"里香ちゃん"の完全顕現を見たという五条さんに、その容姿がどんなものだったか教えてもらったことがある。あの人は「んー」と顎に手を当てながら暫し思案すると、それから笑いながらそう言ってたことを思い出した。…や、なんも笑えないよ。暫くご飯が喉を通らなさそうなくらい怖いよこれ。

 憂太君に怒られた里香ちゃんがぽろぽろ涙を流しながら真希ちゃんを返す様子を横目に見ながら立ち上がる。次、完全顕現をしたら五条さんと憂太君はもろとも処刑されるらしいけど、何せ今は緊急事態だし、今のところはコントロール出来ている。このままにしておいても問題はないだろう。なんなら私も責任を取る。

 それよりも、と夏油先輩の姿を探して地上を見下ろすと、私の姿に気づいた夏油先輩がにこやかに笑ってヒラヒラとこちらに手を振った。……どうやら待っているようだ。

「行ける?憂太君」
「はい」
「行って。適当に合わせるから」
「ありがとうございます苗字さん」

 それぞれ地を蹴って夏油先輩に攻撃を仕掛ける。憂太君の拡声機越しの呪言に合わせて低級呪霊の群れを斬り裂き、その勢いで夏油先輩を直に叩きに行くが、またもや三節棍に塞がれる。
――が、想定内だ。背後から迫る憂太君が私の横脇から素早い突きを入れる。避けられたけど。

 そのまま里香ちゃんと共に追い込んだ憂太君だったけれど、足元から出現した呪いに気を取られ、夏油先輩の追い討ちをかけられる。その横から薙刀を突っ込み、距離を開かせた。夏油先輩を相手にしながらチラリと憂太君の様子を見たところ、どうやら里香ちゃんが助けてくれたようだ。

「全く……底無しの呪力の塊に取り憑かれた人間と底無しの呪力を持つ人間…なかなか骨が折れるね」
「降参…する気はなさそうですね」
「まぁね」

 でしょうね。息を整えながら薙刀を振るうと風を切る音が響いた。さて、流石に五条さんならぼちぼち夏油先輩の目論みに気付いてあちらが片付き次第来てくれるだろう。それまでどうにか足止めしなければ。

「全身全霊で私を殺そうとする乙骨、全身全霊で私を止めようとする名前……二人の誠意に応えて私も全霊を持って挑むとしよう。もう質も量も妥協はしない」

 嫌な、予感がする。

「知ってるかい?特級を冠する人間は四人」

 瞬く間に当たりの空気が変わる。

「呪いだと十六体存在する。これはそのうちの一体……特級仮想怨霊、化身玉藻前。――呪霊操術、極ノ番、うずまき」

 今までに感じたことのない数の呪霊の情報が味覚以外の五感に叩きつけられる。そのうちの二体は特級ときた。この状況に立っている自分がなんだかバカらしくも面白くて、場違いとは分かっていながらも笑ってしまいそうだった。

「乙骨、君が祈本里香を使いこなす前に殺しにきてよかった。それから名前、せっかくこうして再会できたのに申し訳なくも思うよ。……だから、せめて私の手で眠っておくれ」

 申し訳なさそうに眉尻を下げる夏油先輩の隣に一瞬五条さんが見えた気がした。


「次死んだりしたらぶっ殺しちゃうぞー」


 いつだか言っていた物騒なセリフを浮かべる五条さんに、とうとう笑いを堪えきれずフフ、と薄ら笑ってしまった。

「ごめんなさい夏油先輩。私、もう死ぬわけにはいかないんですよね」

 隣で里香ちゃんへの愛を囁く憂太君の声をぼんやりと聞きながら呪力をひたすら捻り出す。死ぬわけにはいかないとは言ったけど、この短時間でこの量の呪力を捻り出した経験がないから、正直終わった後自分がどうなるかなんて分からない。

 隣で膨大な呪力を蓄える里香ちゃんの気配を感じながら目を閉じて集中力を高める。

「…そうくるか!女誑しめ!」

 そう吐き捨てる夏油先輩の声に目を開くと、視界はすっかり可視化できるようにまで濃縮された自分の呪力に覆われていた。

「失礼だな、純愛だよ」
「ならばこちらは大義だ」
「……私は呪い約束なので」

 直後、三つの呪力の塊が衝突した。

21.08.03(一部加筆修正)



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