境内の翻弄

「うう…寒い…」

 肌を刺すような寒さにぶるりと体が震えた。
 すでに締め切っているダウンのフロントジップをさらに引き上げ、それからマフラーを耳を隠すように立ち上げる。なんなのこれ寒すぎる。
 デニール数の高いタイツと靴下で包まれた足を突っ込まれたスニーカーはいつもよりパンパンになって見えて可哀想だと思うけど、それよりも寒い中こうして外に連れ出されている自分の方が可哀想だと思うんだよね。

 それに比べて、と上げた視線の先にいるのは割と薄手なコートを着る一年生達。パンダ君は流石に目立つからいないけど、前には真希ちゃん、棘君、憂太君の三人。君達なぜダウンを着ない?見てて寒いからダウンにしない?ダウンの方があったかいよ?

「僕二人きりでつったんだけどな、初詣」

 若いっていいなーなんて考えて歩いていたら、隣にいた壁もとい五条さんが不満を漏らした。最初こそは聞こえないふりして足を進めていたが「ねーえ?聞いてる?」と人の視界に割り込んでくるから「大人は二人ですよ」と手短に口を開いたら「屁理屈!」ぴえんなんて効果音が聞こえそうなテンションで返ってきた。めんどくさすぎない?

「なんか名前冷たくない?」
「(自己防衛だっつーの)」

 今日の五条さんは見てて(心が)痛そうな包帯ではなくサングラスだ。黒いコーチジャケットに濃紺のスキニーパンツというシンプルなコーデだが、頭は白いし背は高いから目立つ。おまけにサングラスしてもツラの良さは滲み出ているから目立って仕方がない。
 男女ともに視線を集める五条さんのせいで、次はその隣にいる私に視線が来るわけで。「あのイケメンやば」「あの隣にいる女はなに?」実際にそう言われたわけじゃないけど、そういった類の無言の圧がびしばし飛んでくるのである。私の方がぴえんだ。

「新年明けたばっかなんだしさー、もっと楽しくいこうよー。せっかく伊地知脅して取り上げた休みなんだし」
「新年早々伊地知さん振り回さないであげてくださいよ」
「新年早々働かせないでほしいけどね。三が日くらい休ませてほしいよホント」

 そう、夏油先輩が亡くなってら気付けばもう一週間以上が経っていた。いまだに高専内は復旧作業真っ只中。

 身内ではないけれど、親しかった先輩が亡くなれば新年あけましておめでとう的な空気を楽しむ気にもなれず…。自室でぼけーっと過ごしていた私のところに突然「行くでしょ、初詣!」と五条さんがアポなしロケよろしくやってきては、強制的に連れ出されたわけである。正門前に向かったら一年生達もいて、あの子達も同じように巻き込まれたんだろうなとすぐに察した。

「懐かしいでしょこの神社」
「ですね」

 三が日、屋台が並び活気に溢れる参道を進んでいく。
 十年前に当時高専生だった自分が十年後に呪術師として、それから五条さんと彼の教え子達とこうして同じ参道を歩いているのは何とも不思議な感覚だった。前を歩く一年生達の背中を眺めながら、十年前の自分達に面影を重ねてしまう。あの時は七海がいなかったから、五人で歩いてたっけな。…あのメンバーのうち二人はもういなくなってしまった。

「ねぇ名前スパボー買ってよ」
「自分で買ったらいいじゃないですか。数百円の食べ物後輩にたからないでくださいよ」
「やだ。名前が買わなきゃ意味ない」
「え、えぇー…?」
「好きな人にあーんしてもらいたい青春を叶えてない僕ってさ、なんだかめちゃくちゃ可哀そうだと思わない?」
「ちっとも思いませんね。キャバクラのお姉さんならいくらでもやってくれると思いますよ」
「辛辣!」

 「やっぱり今日の名前一層冷たい!憂太慰めて!」と憂太君に泣きつく大の大人に白目を剥いた。夏油先輩が亡くなったというのに五条さんはこの調子だ。夏油先輩と対峙したのがまるで嘘かのようなテンション。たまにあれが夢だったのか?と思わされるけど高専のあの状況を見てはあの日の出来事は夢じゃなかったと再認識して、ほぼ毎日その繰り返しだ。

 …まぁ、亡くなったあの日は流石に気持ち的に参っていたようだけど、あの日以来弱っているところは一切見なくなった。私がいる前では気丈にふるまっているように見せているだけなのか、それとも、

「昔傑にあげてたじゃん」
「えっ」
「?なに、僕変なこと言った?」
「いえ…」

 …それとも吹っ切れたのかは分からないが、五条さんの中では何かしら落ちているようだった。じゃなきゃこうして突然夏油先輩の名前出してきたりしないだろう。というかいきなり名前が飛び出してくるとこっちがドキリとするからやめてほしいのですが。

 五条さんがスパボーを買えとうるさく、このまま本格的に駄々こねられて余計に視線を浴びるのも勘弁なので素直にスパボーを買って皆と合流すれば真希ちゃんが真っ先にスパボーを何本かごっそり抜いてった。あーあーほらー五条さんがうるさいじゃん。

「それで、名前はもう出歩いて平気なのか」
「うん。本当なら体術訓練だって付き合えるんだけどね。任務に関しては「ダーメでーす!」ってこの人が」

 皆の視線が腕でバツを作る五条さんに向けられる。特級術師に一体どんな権限があって私の任務にストップをかけているのか知らないけど、もしそこに伊地知さんが関わってたらマジ申し訳ないなと思う。伊地知さんに仕事運が上がりそうなお守りでも買ってってあげようか。いや、むしろ縁切りの方が良いかな…。

「ハイハイ愛されてんのな名前は」
「しゃけしゃけ」
「新手の嫌がらせでしょコレ」
「ははは…五条先生も苗字さんが心配なんですよ」
「そーいうこと!はい名前、あーんしてよ」
「は?」
「傑にやったこと、僕にもやってよー」
「いや、それはしてませんよ!」
「あんな熱い抱擁交わした仲なのに!胸の中で泣かせてくれたのに!」
「ちょ…!」

 こんな往来の場でそれも一年生達の前で言うか普通!慌てて一年生達を見ると、ほらやっぱり白い目だ!

「そうなのか?」
「……君達は私と五条さんどっちを信じる?」
「愚門だったな」
「ツナマヨ」
「嘘でしょみんなして」

 こればっかりは五条さんの人間性に助けられたと胸を撫でおろした。まぁ…五条さんの言う通り、熱いとは言えないがあの人を抱きしめて泣いていいですよ、とは言った。……けど泣いてないよな、この人。
あーん待ちの五条さんにスパボーを押し付けるとどうやら満足されたようなのでとっとと足を進める。いい年して恥ずかしい真似させるなと内心文句言った。

「…あ」

 不意に目の前に近づいてきたあの鳥居を見上げる。記憶が戻らなかった期間中、何度か初詣で神社の鳥居をくぐっている経験あるし、十年前もここの鳥居をくぐったことあるからもう昔の、京都で起こったような鼻血出る現象は起こらないとは思っているけど…記憶を取り戻してからとなると些か緊張が走る。

 一歩踏み出せば鳥居を抜ける、というときに私の冷えた右手を温かい何かが引っ掴んだ。


「——え」


 ぐっと引っ張られると自然と足が出て、タンと左足が鳥居の向こうで着く。不自然に一歩出た左足を見てから、そのまま視線を上げて腕を掴んできた人を見上げる。
そっと見上げた先にあったのはサングラス越しに見えるアイスブルーの双眼。唖然としてその人物を見上げていると、その口元が愉しそうに歪められた。

「ご、じょ…さん」
「抜け駆け、しちゃおっか」
「えっ…?うわっ!?」
「あ、おい悟、名前!」
「こんぶ!」
「ごめーん、おっ先ー!皆、大人いらずで楽しんで!」

 大人いらずってなんだと思いつつもぐっと握られた手を引かれて足がどんどん進んでいくこの状況はまるで昔…、高専時代を彷彿とさせて、一瞬だけあの頃に戻ったかのようだった。

 最初は五条さんの急な行動に驚いたものの、次第に「あぁまた振り回されてるのか」と状況を飲み込めるようになり、目の前の大きな背中を見上げる。不意に五条さんが振り返り、サングラスを少し下げてあの青い目を晒し、優しく細めてきたから心臓の当たりがズクリと抉られた気分だ。
 それからまた前を向いた五条さんから「調子はどう?」と一言。

「な、んも異常ありません!」
「ふは、その言い方高専時代と全く一緒じゃん」
「そ、そうでしたっけ…?」
「うん。酷いなぁー忘れちゃったの?」

 いやさすがに初詣でどういう会話交わしたとか全然覚えてないんですけど。十年経っても覚えている方が怖くないか?そう思っていると、五条さんが私の手を掴む力を少し強め、参道に沿って並ぶ屋台同士の隙間へと進んでいった。

「ちょ、拝殿あっちですよ?」
「うん、知ってる」

 明らかに拝殿じゃない方向へぐいぐい進んでいく五条さんに一体どこ行くんだと戸惑っていれば、屋台裏にあった灯篭の前で立ち止まり、私の方を振り返り見る。それから握られた手を引かれて、一層近づく距離。「わ」と思わず後ろに下がろうとするけれど、五条さんの片手が腰に回って距離は近いままだ。
いろいろやることなすことか急すぎて心臓がドクドクいっていて、新年早々本当に心臓に悪いと思った。

「これも、忘れちゃったかな?」

 五条さんに握られた手がするりと私の手のひらに回り、指の間に絡んできて緩く握り込まれる。

「こうして恋人つなぎしたことも」

 五条さんのほんのり甘い、恋人に語り掛けるような声色。握り込まれた手の甲を五条さんの指先が優しくなでる。先刻から心臓が馬鹿みたいに騒ぎ立てていて、完全に自分が五条さんに踊らされているのが嫌でも分かった。

「そ、それはしてません!!絶対してません!」
「チッ、騙されなかったか」
「記憶喪失に便乗しようったってそうはいきませんよ。それに、こんなところでふざけたらバチあたりです」
「失礼だなー、僕はいつだってお前を口説くのには大真面目だよ。僕無神論者だけどいいよ?その辺はカミサマとやらに誓っても」
「う」
「おっ?今の結構ヒットした?ホームランかな?新年早々幸先よさそうだ」
「ファウルで」
「えぇーっ!?嘘でしょ!?どうみたって一塁は行けたよね!厳しすぎっしょ審判!」
「…ふふっ……あははっ」

 先刻の甘い雰囲気から一変、あからさまにいじける五条さんを見ていたら急に力が抜けて、面白くなってつい笑うと、「え、何お前、可愛いんですけど」なんて急にマジトーンの声が降ってきて。私といえば五条さんのその緩急激しい声にびっくりして「え」と顔を上げたら眼前には喉仏があって、おでこに柔らかいものが当たった。
 その状況を理解した瞬間、とうとう心臓が止まるかと思った。つい「は?」と小さな声が出る。

「名前」

 ご機嫌そうな五条さんが私の顎を掴んで上を向けさせる。そのまま近づいてきた御尊顔に慌ててハッと我に返って、空いた手で顔を抑えつけたら「んぐ」と五条さんが潰れたような声を出した。五条さんの顔に触れられた瞬間「あっ、無限は解除してたのか」って驚いたけど、違う!今はそこじゃなくて!

「な、何して!?」
「えー、今の流れでこれやる普通?照れてるの?もう僕らキスした仲じゃん。一回に二回も、百回も変わんないって」
「変わります…何かが……変わります…」
「まぁ、今日はこれくらいで勘弁しといてあげる。次可愛い顔したら舌突っ込むからね」
「うわぁ…見事なイカれ具合…」
「呪術師はイカれてないとやっていけないからねぇ」
「そうではなくて!」
「なんで?事実っしょ」

 話にならないと唸っていると「んじゃあ、行こうか本殿」とさっきからずっと繋がれっぱなしの手を引かれて参道に戻る。なぜかもうこの地点で随分な疲労感だ。沖縄の昇給討伐任務で一級と対峙した時よりも疲れてる気もしなくない。それもそうか、なんせ相手は特級……いや、関係ないか。
 目的の拝殿に着いて握り込まれた手をほどき、賽銭箱に小銭を放り込んで二礼二拍手で両手を合わせると、未だに心臓が騒いでいることに気づかされる。

 もう今日は終始五条さんに振り回されている気がしてならない。悔しい。いや、ここは神前なんだから心頭滅却ないと。そうそう、せっかく神前なんだからお願い事…いや、ここは抱負の方がいいのだろうか。
 頭の中であれこれ思案していると「――ねぇ遅くない?まさか未だに縁結びの願い事とか馬鹿みたいなことしてる?……突っ込むよ?」と背後から五条さんのドスの効いた声が聞こえ、慌ててその場で一礼して踵を返した。

 最後の一言余計だっつーの!

 この後合流した真希ちゃん達に「名前は何をお願いしたんだ?」と聞かれ、そこで私は十年前と同じように神様にお願いごとを伝え忘れたことに気づいた。くそう、五条さんめ。

21.08.03(一部加筆修正)



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