※夏油if高専教師
※夏油を出しゃばらせたかった話。
※五条と付き合ってない。というか本人出てこない。
「はああ終わったぁあー…!」
精算書の紙束を紐で括り、それを行儀悪いと分かっていながらもデスクの上に軽く放り投げるとどすんと鈍い音が事務室に響いた。
向かいの席にいた伊地知さんが「お、お疲れ様でした苗字さん…」と平積みにされた書物の山から顔を出す。相変わらず顔はやつれている。
「すみません私の仕事を手伝ってくださって…」
「いやいや、伊地知さんのせいじゃないですよ。……こんな仕事量とても補助監督一人がやる量じゃないです…」
「ははは…お気遣い痛み入ります。コーヒーでも淹れましょうか」
「あ!私が淹れてきますよ!伊地知さんは休んでてください」
重たそうな体を動かし、椅子から立ち上がろうとする確か二徹目の伊地知さんを急いで制し、真っ先に事務室に備え付けられた給湯室に向かう。二人分のコーヒーの準備をしているとふと応接間にある頂き物のお菓子たちの存在を思い出した。
そうだ、どうせならあそこからオヤツ掻っ払ってきてティータイムにしようか。
「――うわ、ぶっ!?」
ケトルでお湯を沸かしてる間に取りに行こうと、上機嫌になって踵を返したところ、目の前には黒い壁。驚いて避けようとするものの、突然すぎてタイミングが悪く、そのまま壁と衝突した。
避けようと絶妙に重心を動かしてたところにぶつかってしまってバランスを崩すと、腕をしっかり掴まれてどうにか転げずに済んだ。まーた五条さんが気配消して近づいてきたなと内心悪態を吐き、どう文句を言ってやろうかと顔を上げると眼前には大日如来様が微笑む顔。
自分の想像とはかけ離れた人物がそこにいて一瞬自分が何を見てるのか分からなかった。
「や、久しぶり」
「げ、夏油先輩…!」
「相変わらず人の気配に鈍いねぇ」
「…五条さんと同じようなこと言わないでくださいよ…」
まさかここにいるとは。
驚きのあまりに少し大きい声を出すと、「お疲れ様です夏油さん…!」と伊地知さんの嬉しそうにする挨拶の声が聞こえた。分かる分かる。同じ特級呪術師で先輩なら五条さんより夏油先輩の方が何倍も嬉しいよね。あの人ただのトラブルメーカーでしかないし。
「二人こそお疲れ様。はは、死んだ顔してるね」
可愛い顔が勿体ない。少し休みを取ったらどう?なんて夢のような、如来のような言葉を振りかけてくれる夏油先輩に思わず私も伊地知さんも揃いに揃って自分の頬をつねった。
夢じゃない…!帰ってきた…!アレのストッパーが帰ってきた…!
「いつ帰ってきたんですか?」
そう、夏油先輩は三ヶ月前から出張で海外だった。帰るのは来週明けのフライトと聞いてたから、まさか今ここにいるとは…大変嬉しい知らせだった。
「ちょうどさっきだよ。東シナ海で怪しい熱低があったからね、ビザ切れする前に早めに帰らせてもらったよ。空港からはカモフラ効果のある呪霊でひとっ飛びしてきたところ」
「さ、流石すぎる…」
あっけらかんとしてそう答える夏油先輩はとても三ヶ月も異国の地で働いていたとは思えないくらいピンピンしていて。元気そうでとにかくホッとしていると、背後でケトルがお湯を沸かす音が聞こえてハッと我に返った。
「あ、コーヒー淹れるところだったんですけど飲みますか?」
「あぁ大丈夫、お構いなく。それからこれ。夜蛾先生から君達がすごく頑張ってるって聞いて、特別にお土産買ってきたよ」
……まっ、眩しい…。手に持っていた紙袋を軽く持ち上げながらにっこり微笑む夏油先輩がとにかく眩しい。「悟には内緒ね」と綺麗で長い人差し指の先を口元に抑える先輩が麗しくて目の保養が過ぎる。
「無垢に輝く目が痛いねぇ」
久方ぶりの常識人の登場に、どうやら私と伊地知さんは二人揃って仏を見つめるような、崇拝の色の入った眼光を向けていたらしく、夏油先輩は苦笑いした。
◼︎
「…まぁ悟には私からも言っておくよ」
「…スミマセン夏油さん」
「いやむしろこちらこそいろいろありがとう、私がいない間に悟の相手を」
三人で椅子を引っ張り合って最近の高専の近況を報告した所、夏油先輩はまたもや苦笑いしながらそう伊地知さんを宥めた。
夏油先輩帰ってきて良かったねぇ伊地知さん…。保護者が帰ってきたことで少しは五条さんの横暴っぷりも落ち着くといいな。涙目の伊地知さんが報われますように。
「おーっす、名前いるか?」
大人三人で雑談してたところに、失礼しまーすと一応律儀に挨拶して入室してきたのは高専のマスコットキャラクターでもあるパンダ君。
「おっ、傑!帰ってきてたのか」
「うん。久しぶりだねパンダ」
「パンダ君、どうしたの?」
「武具庫の鍵貸してほしいんだ。真希達とこれから昼練やろうと思ってな」
「なるほど」
確かポケットに入ってるはず、と椅子から腰を浮かせながらポケットから鍵を出し、それをパンダ君に投げる。…後で私も合流させてもらおうかな。事務室を出て行くパンダ君を見送ると、「そうだ名前」と夏油先輩が言った。
「久しぶりにどう?組手」
「……へ」
組手、組手…組手って……組手!?
「えっ、いいんですか?」
「うん。フライトが長かったから、固くなった体を動かしたくてね」
なんたる偶然。ここ最近デスクワーク漬けすぎてそろそろ体を動かしたいなと思った矢先のお声がけ。しかもいつも的確なアドバイスをくれる夏油先輩から。これは行かないわけがない。
「嬉しい…!伊地知さんすみません、ちょっとリフレッシュ行ってきて良いですか?終わったら続き手伝います…!」
「いえ、もう後は私一人で充分ですよ。一週間も手伝っていただけたので助かりました。存分に体を動かしてきてください」
やつれた天使のような笑顔を浮かべる伊地知さんに明日は絶対アリナミン買って出社するからね…!と内心彼を労いながら夏油先輩の後を追いかけた。
◼︎
「わー、夏油先輩と組手なんて久しぶりですねぇー」
「そうだねぇ、学生時代の時はしょっちゅうやってたのにね」
「流石に生身でお願いしますよ…。夏油先輩に武具持たせたら私死ぬので」
訓練場でもある中庭で軽く準備運動しながら隣で肩周りのストレッチをしている夏油先輩を見上げると、先輩は自分の後頭部で作られているハーフアップのお団子を指指さした。
「いいよ。ヘアゴム取ったらアイス?」
「もうアイスって歳じゃないですよ」
「お土産見せたら目を輝かせてたのに?」
「うっ」
「じゃあ私のおごりで一杯、でどうかな」
「ごちそうさまです!」
「ふふ、気が早いね」
細められた夏油先輩の目を見て思う。あぁもう誘われてるなこれはと。長年組手をお願いしてきた仲でもあるから、はいじゃぁ今からお願いしますーなど言わなくても始まりの合図は暗黙の了解で分かるのだ。
空かさず拳を突き上げ、攻撃を繰り出した。まぁ案の定拳は綺麗に避けられて、当然反撃が繰り出される。突き出した腕を絡め取られる前に素早く引き抜いて足元を狙おうとすれば、夏油先輩の足が迫る。
「ふぐっ…!」
「おや、避けたね?さっきの苦手だったのに」
「真希ちゃんに散々ど突かれたので…!」
こうして組手をしながら夏油先輩と会話できるようになった自分もなかなか成長したものだ。攻防を繰り返すと不意に夏油先輩がふわりと笑う。
「――でも残念、もう一つ」
「!」
息を切らす様子もない声が止む。直感的にマズいのが来ると察し身構え、夏油先輩の動きを注視。この組手で一番素早く突き出された拳を見て、どうにか受け止めるべく腕に全神経を集中させた。
「う゛っ!?」
「ふふ、フェイントの弱さは健在だね」
「……やられました」
腕に重い一撃が来るかと思いきやまさかの膝カックン。予想だにしていない衝撃にまあそれはそれは綺麗に崩れ落ちて地面にすっ転んだ。
そうかぁ、フェイントかぁ〜。そっちかぁ。悔しそうに脱力した声を上げる私に「怪我は無い?」と夏油先輩はからかいの音を入れて謝り、楽しそうに手を差し出してきた。
「まぁ、男の本気は気合入れて構えてないと大怪我するからね。九割目の前、一割は別の可能性と反撃できる隙を見ておくといい」
「大変勉強になります…」
ぐいっと片腕一本で起こしてもらい、背中をパタパタ叩いて砂埃を落とす。私達呪術師の戦う相手は必ずしも呪霊だけとは限らないのだ。時には人間…呪詛師とも戦わなければいけない時がある。人間の方がずっと狡猾な戦い方をするし、夏油先輩が言う事は最もだろう。
アドバイスをしっかり自分の中で整理し、それからもう一回お願いしようと夏油先輩を見上げると顔にさらりと黒くて長い髪が触れた。それから頬に当たったのは柔らかい感覚。
黒髪が頬を撫でるように離れると同時に夏油先輩の顔も離れていき、私は茫然として感触のあった頬に触れた。それから今もなお優しく見つめてくる夏油先輩を瞬きひとつせずに見上げる。今、の、なに…?いや、今の、ほっぺに…!!
「……へ!?夏油先輩!!?」
「…あぁごめんごめん。向こうでの生活が長くてつい、ね」
慌てふためく私の様子が相当面白かったのか、夏油先輩は吹き出すように綺麗に笑う。「向こうでの生活…」ぽつりと自分でも言い直して気づく。そ、そうか…!夏油先輩は三か月も海外に行ってたもんね…!あるある、こういう挨拶あるある!
「……あ、あぁ、そそそそうですよね!」
全力で夏油先輩を肯定していると、私達の間を裂くように響いたスマホの着信音。私の物ではないそれはやはり目の前の夏油先輩のもので、電話に出た数秒後には「任務ですか?…えぇ、問題ありませんが…」と電話向こうの人にそう答えながら私を見た。特級呪術師は三人しかいないもんね。
私の方も問題ないと伝えるために人差し指と親指でわっかを作り、OKマークを見せると、夏油先輩は片手で「ごめんね」と意思表示を示して、飛行用の呪霊で飛び立った。
「…」
黒髪を靡かせながら遠のく背中を見ているうちに、先程の感触が不意に鮮明に蘇り、一人でぺちぺち頬を叩いて気を紛らわす。
「名前いたのか」
「明太子」
「…!みんな…」
名前を呼ばれて振り返った先にいたのは、一年生のみんなだった。それぞれ武具を持っていて、見たところこれから鍛錬するっぽい雰囲気でもあった。
「ん?顔赤いぞどうした?」
パンダ君が自分の頬をツンツンを突く様子に、私はぺちんと頬を強く叩く。
「いやっ、なんも!」
「ほっぺたなんて押さえちゃって…さっき傑といたよな?…まさかキスされたとか?」
「うりうり」と彼に肘でど突かれながら思う。これはパンダ君の最大の謎なんだが、なぜ呪骸の身でありながらそういう話の面白さが分かるのだろうか。なぜそういう機微が分かる。そして面白そうな目で見ないで棘君。
「いやいやいや、あのね、あれはただの挨拶よ」
「おーっと?」
「なんだ、されてんのかよキス」
真希ちゃんのぶっこんだセリフにしまったと思う。
「しゃけしゃけ」
「おい憂太、なんか面白くなりそうだし、悟に言ってみろよ」
「やめろ真希!高専が…いや東京が日本地図から消えてもいいのか!」
「おかか!おかか…!!」
「えっ、どういうことなの!?パンダ君!?」
「憂太…お前あの二人のマジ喧嘩見たことねぇだろ?悪いことは言わねぇ、硝子にしろ」
「硝子サンが言うだろ。どの道着地点悟コースじゃねぇか」
「…はぁ」
やいのやいの楽しそうに話に花を咲かせる一年生達を見て頭を抱えた。墓穴を掘ったとはこのことか?
ていうか、なんで最終的に五条さんに着地するとマズいわけ…?
「いや、でもまぁ、うん、ほら、向こうでの生活が長くてついって言ってたし。だから、そう言うのじゃないよ。ただの挨拶挨拶」
再三それを繰り返すと真希ちゃんが不思議そうな目で私を見る。
「お前知らないのか?…アイツの出張先」
「…」
出張先。そこでふと事務室でもらったお土産の存在を思い出す。…がっつり書かれてたな、中国語。じゃあやっぱり挨拶じゃないのか。…次第に赤くなる顔を見られないよう俯き、片手で顔を覆う。
「あぁ、確か中国だろ。そんなフランクな挨拶文化なんてなさそうなところじゃねーか」
それはそれはもう楽しそうなパンダ君の声が聞こえた気がした。あぁもう夏油先輩の馬鹿。
まにまにtop
top