廃校に突如現れた報告外の呪い出現により、生死を彷徨う体験をしてからひと月が経とうとしていた。
あの件から翌日、三日三晩家入先輩でも治せない原因不明の発熱を起こし魘されたものの、四日目にはケロリと突然元気になり普通に授業に出れるようになった。
授業に出て真っ先に日下部先生には「悟いたよな?なんであいつに押し付けなかった?あと俺逃げろって言ったよな?ただでさえ日頃から職務懈怠で怒られてんだ。そろそろ泣くぞ?」とすでに半泣きで追い詰められて謝り倒す。言いつけ破ってごめん、先生…。あれには事情があるんだよと心の中で言い訳をさせてもらった。というか、職務懈怠は自業自得ではとも思った。
それから何日か経った頃、偶然家入先輩と寮で会えて、お礼を伝えつつ当日の状況を教えてもらうことができた。私が対峙したのが一級もしくは特級だったなんてこともその時に知ってかなり血の気が引いたね。どうやら家入先輩がすぐ来れたのは事前に五条さんから仕事終わったら私達のいる現場に来るように連絡があったんだとか。
そのおかげで私は一命を取り留めらしいから一瞬五条さんを見直しそうになったけど、多分呪いを私一人でマジにやらせる気だったんだろうな、とも思って感動しかけた所スンと真顔になった。
もう少し遅れて到着してたら手遅れになるところだったなんて怖いことを言われた時はまぁ素直に顔が引き攣ったよね。どの道あの人にお礼を言うルートは避けられそうにない。
「…(五条さんにあの時のお礼言いたいんだけど…全然会えないんだよなぁ)」
『ウッホォ!』
「んっ」
気付けば関東地方の梅雨が明けて本格的に夏が始まった。この頃になると二年生も忙しくなるのか、偶々なのかぱったり先輩方を見かけなくなってしまった。というか呪術師界は人手不足が常だなんて言われてるし、気軽に会える方がおかしな話かもしれないけれど。
呪骸のレベルも二つ上げても問題ないくらい体力はすっかり元に戻ったし、多少考え事しながらでも術式を織り交ぜながら戦えるようになった。少しずつだけど自分で自分の成長を感じながら鍛錬を続けている。
あの呪いには三度も負けていられない。次あったら地獄の果てまで追いかけて絶対祓ってやるつもりだ。
「――よし」
猿型の呪骸のぴたりと動きを止めさせ、ぽてんと地面に倒れたそれを拾い上げて砂埃を払ってあげる。
流石に梅雨明けの鍛錬は蒸し暑くて堪えて休憩しようと、ベンチの上に置きっぱなしのジャージの上を手に取ったらぽつんと頭に何かが当たった。轟音と共に暗くなる頭上、そして突然の容赦ない雨。
「うわわわわっ、ゲリラ!」
急いで走って寮へと駆け込むが呪骸も全身も悲惨なびっちょびちょび具合だ。うわぁ、こんなんなるくらいなら雨宿りしてれば良かったかもしれない。判断ミスった…!
けど過去を悔いたって仕方ない。とりあえずタオルが欲しい。そう、タオル確保が先決だ。
いるかなぁー出かけてるかなぁー。同級生の存在が脳裏を過って、大きく息を吸った。
「はーいーばーらぁあー!」
試しに叫んでみたがまぁ反応無し。あ、携帯!……はそうだ、鍛錬だけだからっていいやって部屋に置いてきたんだった。なんで持って来なかった自分とも思ったけど雨に降られたから持ってなくっ良かったと思い直した。
「なーなーみぃいー!!」
うん、こちらもまた反応無し!いや多分七海のヤツはリスニングやってるなきっと。最近外国語の通信講座やってるって聞いたし。何?バイリンガル呪術師でも目指してるのアイツ。
「ははっ、びっちょびちょびじゃねーかお前ら」
「!」
どうしようかなぁなんて玄関先で途方に暮れていると、ガチャリと背後のドアが開いた。振り返った途端扉の隙間から入ってきた白に驚く。
「あ?」
「ごじょ、…!」
「最っ悪ーこんなんじゃ煙草シケるわぁー」
「悟、詰めてくれ。玄関先屋根無いんだからそこで止まられると濡れる」
五条さん、と言いかけると後ろから家入先輩と夏油先輩もわらわら入ってきて、元々そんなに広いわけじゃない玄関はあっという間に満員になってしまった。
「名前じゃん!ははっ、アンタもびしょ濡れねー」
「せ、先輩方…!」
「名前、久しぶりだね。君も降られたのか」
どうやら先輩たちも雨に降られて慌てて帰ってきたらしい。が、びしょ濡れなのは私、家入先輩、夏油先輩の三人だけだ。
例のムゲン?とやらで濡れずに済んでいた五条さんは術式を解くと、水滴は五条さんを避けるようにして足元に落ちて滲み広がっていった。不思議な動きをする水滴をまじまじ観察していたらひょいっと上り框に登った五条さんは口笛を吹きながら下駄箱に置いてあったスリッパを手に取った。…本当になんなのあの人の術式。
「おい五条、アンタ濡れてないんだからタオル持って来てよ」
「はぁ?やーだね。乾くまでタップダンスでもしてれば」
「名前、それ貸して」
「え?」
「夏油パス」
「ん」
私の手元にあったびしょ濡れの呪骸を手早く引ったくった家入先輩は隣の夏油先輩。かと思えば呪骸はもうすでに夏油先輩の手元から離れていて、気づけば五条さんの顔面にぶつかっていた。…うわぁ…術式解いたタイミングでかぁ……。やや間が空いてから呪骸が落下。顔だけべちゃべちゃな五条さんが笑った。いや、こっわ。
「…す、ぐ、る、くぅーん?」
「悟だけ濡れてないのは不平等だろう。私達はクラスメイトでもあってチームメイトでもある。どんな時も痛み分けさ」
「いや、平等に濡れるっておかしくね。人権平等ならまだしもなんか違うよねそれ」
「いーからさっさとタオル持ってこいよ五条ー、怪我したって治療してやんねぇぞ」
「いやガラ悪すぎるだろお前ら。人に物を頼む態度になってねぇから。ったく、いくらすると思ってんだこのサングラス」
「税込で千五十円」
「ちょっと、なんで知ってんの」
「いいじゃないか悟、どうせストックあるんだろ?」
「ねぇなんでクローゼットの中に入ってるストックの存在知ってんの。六眼持ってんの?」
びちょびちょに濡れたサングラスを鬱陶しそうに外した五条さんに、私は不覚にも目を逸らせなくなってしまった。
丸いヘンテコなサングラスの向こうからビー玉のように透き通ったアイスブルーの瞳が現れたのだ。綺麗な双眼はすぐに眉を顰めて怪訝そうに手元のサングラスを見つめる。うわ、まつ毛…白…そんでなっが…、
「うわ…」
無意識に出ていた口を慌てて手で塞ぐけれど、間に合わずに感嘆の声が出た。三人の視線がこっちに向けられ、なんでもないと言わんばかりに顔を横に振る。
私の反応に真っ先に家入先輩が突っ込んできた。
「あれ?名前初めて見る?五条のノーグラ」
「ノーブラのトーンやめろよ。確かに常にノーブラですけどー」
「…え、どなた…ですか?」
「ははっ、五条しかいねーじゃんウケる」
「そんなに驚いたのか?」
「え、あぁ……ハイ……めっちゃ…顔……整ってるんです、ね…」
「………はぁ?何言ってんの…お前。馬鹿じゃね?」
「良かったねー名前。五条のご尊顔拝めて」
「悟、タオル」
「いや、韻踏むな馬鹿傑。ボケの嵐にツッコミ捌き切れねぇよ」
濡れたサングラスを胸ポケットにしまった五条さんはどかどかと足音を当てて男子寮の方へ向かっていって、その背中を見送る。うわぁ、すごいもの見た気分…。
「顔はいいだろ?悟」
「…あんまり本人の前で言いたくないですけど……ソーデスネ」
「それ本人も自覚してるから大丈夫大丈夫」
「何がどの辺が大丈夫なんですか…」
雨で重たくなったシャツの裾を絞ると、肩にあったかくて適度に重みのあるものがかけられた。ハッとして顔を上げるとワイシャツ姿の夏油先輩。
「女の子が体を冷やすのは良くない。着替えるまでそれ羽織っていて良いから」
「いや、でも、お二人も…!」
「私達は割とすぐ着いた方だから君ほど濡れてないよ。じゃあ少し待ってててくれ。部屋からタオル取ってくる」
「じゃあ私ボイラー入れてくるわ。寒いっしょ名前」
「うわ…何から何まで…」
ささっと靴下を脱いだ家入先輩と夏油先輩はスリッパに履き替えてそれぞれ女子寮と男子寮の方へと向かった。再び一人になった玄関先で改めて自分の格好を見下ろす。黒いジャージの上下セットが貼り付いて気持ち悪かった。
…そういえば五条さんにお礼、言いそびれたな。
「いやまさか悟が本当にタオル持ってきてくれるとは思わなかったよ」
「俺をなんだと思ってんの」
「傍若無人」
「オイ」
真っ白いバスタオルを頭に乗せた夏油先輩と同じものを抱えた五条さんが戻ってきた。
「あ?硝子は?」
「お風呂のボイラー入れに行ってくれました」
「あそ。ほらよ」
差し出されたタオルに一瞬思考が固まる。は?え、これ、私に?タオルと五条さんを見比べ、周りを見る。うん、私しかいないな。
「え…っ、あ、ありがとうございます」
「てかお前、なんで傑の学ラン着てんの」
「私が貸したんだよ。冷えるだろうと思ってね」
「ふーん、あそ」
てっきりお前のは無いからって言われるかと思ってたからびっくりした。貰ったタオルをまじまじ見つめていたら五条さんに引ったくられて「早く拭けよ!玄関びちゃびちゃになんだろーが」ってタオル越しに頭を掴まれた。なになになにこのくすぐったい距離感。
うわぁ、すっごい五条さんのにおいがする…いやでも制服から夏油先輩の匂いがしてよくわからなくなった。つい近くにいた夏油先輩を見上げると大日如来様のように微笑まれてハッとした。
あ、お礼言うなら今だ。夏油先輩いるしちゃんと話聞いてくれそうだと唇に入れて顔を上げる。
「あの!五条さん」
「あ?」
「廃校でのこと…ありがとうございました」
「…」
「家入先輩のこと呼んでくださったんですよね?もう少し到着が遅れてたら手遅れになってた、って聞きました。だから、えっと、…ありがとう、ございました…」
「……で?」
「はい?」
「呪術師諦める算段ついたってわけ?」
「…………は?」
…は………はぁっ!?
思いもよらぬことを言われて心底思ったことと同じ声が出た。いや、今のその流れでどうしたら呪術師諦めるコースになるんだ?この手叩いたろか。頬が痙攣してる。五条さんの隣にいる夏油先輩は少し呆れた顔をしていた。
「あ、五条のヤツまた後輩たぶらかしてるー」
家入先輩の楽しそうな声に五条さんは私の頭から手を離した。
「してねぇっつの」
ぱっと振り向いた五条さんは「傑、風呂入ったらマリパやろーぜ」「どこで?」「談話室」とゲームに花を咲かせる。…あの綺麗な双眼の興味が違うところへ向かったことに安堵してタオルで拭く手を動かした。
せっかく思い切ってお礼言ったのになんだろうこの損した気分。
「名前、もしかして五条に見惚れちった?」
「うーん……」
「え?マジ?」
「あ、いや、そうではなく。神様も案外不器用なんだなぁ…と思いまして」
「は?」
三人の視線がまたこちらに集まる。
「顔を一生懸命作ったら性格整えるの忘れちゃったんだなって」
「「ぶっ!!」」
全身全霊の嫌味に家入先輩と夏油先輩が吹いた。この直後私は五条さんが持っていた三つ目のタオルの奇襲を受ける。多分家入先輩用に持ってきたやつ。
21.07.29(一部加筆修正)
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