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ウェスペル国オンゴ領とセラータ国の国境。オンゴ領の城壁から山を越えた先の丘に、セラータの兵士が迫って来ていた。
ロゼの指揮で、火薬と兵士が用意され、早速作戦は開始された。
兵士は、雪山に慣れた父の騎馬隊の隊員8名。そして、三男の指示の下、爆薬が用意された。こういう時に、技術者がいるものである。
時限式発火装置と火薬で山に細工を施すと、セラータ兵と鉢合わせることなく、さっさと下山させた。もちろん、名目としては偵察なので、敵の数と歩行速度、距離の確認も報告させた。
俺は山が見渡せる中央の張り出し櫓に来ていた。凍てつくような風が頬の熱を奪っていく。
セラータの兵が、一番手前の山を下りてくるのが見える。
フリッツ隊長が時計を見ながら、「時間です」と言うと、仕掛けていた爆薬が定刻通り爆発した。爆発地から距離があるとはいえ、大規模な爆発ではない。
何の変化も起こらないロゼの作戦に、同じくそれを見守っていた指揮権を持つ男──大尉が、ふんっとあざ笑った。
「何やら策を練っていたようだが、何も起こらんではないか」
所詮は、甘やかされた貴族の子ども──そう馬鹿にしようとした時、それは起こった。
白く巨大な雲のように膨らんだ雪。それが、山頂から降りてくる。
雪崩だ。
雪の波となった雪崩は、セラータの兵士を飲み込んでいく。
ゆっくりに見えるその波は、実際には物凄いスピードで、逃げ惑っても逃げられず、兵士が白に消えた。
目の前で起きた現象に、見守っていた兵士らも唖然とする。その中でロゼだけが、作戦の成功にほくそ笑んだ。
そう、これこそが、俺の策だ。
「成功ですね」
晴れやかな笑みを浮かべ、振り返る。大尉は、顔を真っ青にし、作戦を手伝ってくれた者たちは、目の前の出来事に、誰もが言葉を失った。
「あれだけの数の兵を、たったの8人で……」
唯一、戦場に慣れているフリッツ隊長が思わずといった感じで驚愕の声を上げる。
雪崩が収まり、セラータの兵士の数がごっそり減ったのを見て、周囲はようやく驚愕と歓喜の声を上げた。
「おいおい、成功したぞ!」
「見ろよ、セラータの兵士が雪に消えたぞ!」
「流石、公爵のご子息様だぜ!」
「レフフィット公爵家万歳!」
口々に、ロゼを囃したてる。ロゼも作戦が成功して、悪い気はしなかった。しかし、そこで問題が浮上して来る。士気だ。
作戦の成功に湧いた部隊の勢いが伝染し、多くの兵士らの不安が取り除かれたことで、出陣したいという声が上がり始める。
出撃に備えていたということもあり、出陣する流れができてしまった。
しかし、ロゼはこの流れを危険だと判断する。
「どうされますか」
フリッツ隊長が耳打ちしてくる。兵士の昂ぶりが最高潮に達しているからだ。今にでも戦地へ行ってしまいそうなくらいに。それはロゼの作戦の成功に、ウェスペル国オンゴ領の勝利は約束されたも同然だからだ。加えて、その兵士らの声に、真っ先に答えそうな者──指揮権を持つ某大尉がいる。しかし、彼に指揮をさせれば、確実に失敗する。それも大失敗だ。作戦後の戦地をわかっていない。
ロゼは、この作戦ゆえの先が見えない状況に、不安を持つが、今なら兵士たちをコントロールできると考えた。どうあっても、高まった士気を納得させねば、己の評価にはつながらない。
俺は、フリッツ隊長へ向き直った。
「出陣する。兵士の数は500人だ。集めてくれ」
注意事項を説明すると告げると、隊長が敬礼した。その後ろで、兵士たちが雄たけびを上げる。
その様に、指揮権は完全に掌握できたことがわかると、一心にこちらを見つめる三男に気づいた。彼に近づくと、自身の装備を用意してもらうように頼む。すると、今までの冷めた態度はどこへやら。熱い視線を残して去る彼に、俺は無意識に舌舐めずりして、いかんいかんと戦闘へと思考を追いやった。
集められた兵士500人。ふるいに掛けられた精鋭だ。もちろん、その中には父の私設部隊の面々も参加している。
武装したロゼが彼らの前に立つと、兵士から驚くような視線があった。無理もない。ロゼは学生で、体格も華奢だ。軍人の彼らと比べると足元にも及ばない。しかし、昂ぶった兵士を管理するのに、戦場に出る必要があるのだ。戦力は別にして。
「これから出撃となりますが、これから言うことを必ず守って下さい」
俺は、一人一人の目を見つめて、それから瞳に力を込めた。
「戦地へ出て、絶対に30分で戻って来ること」
出撃にしては異例の指揮に、兵士らは眉をひそめる。だが、俺はそれに構わず続ける。
「30分で合図を出します。そしたら、すぐに帰還してください。深追いはせず、敵も仲間も捨て置いて構いません。必ず戻って来て下さい」
俺の要求に、フリッツ隊長が返事! と、兵士を促す。最初は疎らだった返事が、フリッツ隊長のフォローでまとまり、兵士らの活気のある雄叫びに近い返事が響いた。
士気は高まった。
戦の時だ。
「出撃だ! 行くぞ!」
国境に建てられた城の厳つい門が開かれる。そこから、ロゼ率いる兵が戦地へと飛び出した。
セラータ国の兵は、山の表と裏の両方の雪崩を回避した生き残りだけだ。雪崩からこちらの出陣までの間に、隊を形成していた。敵のレベルの高さがうかがえる。しかし、こちらも士気の高まった精鋭だ。
オンゴ領の攻撃部隊が、敵に切り込んで行く。人の生き死にを間近に見て、緊張が走った。死に行く人の瞳に、ロゼが処刑される未来を思い出して、与えられた槍を握りしめた。絶対、そうなってはならない。
ロゼは強い眼差しで、敵を見た。すると、味方の兵が敵に斬りかかられようとしている。その敵に向けて、槍を放った。俺は、父の騎馬隊に守られているから、その間を縫うように槍が飛んでいった。見事、槍は敵を射止めた。俺は馬を走らせ、敵に刺さった槍を掴むと深く突き刺し、そして引き抜いた。敵が倒れると、助けたウェスペル国の兵に頷き、気をつけるように云う。馬に乗りながら、慣れない装備に動きを制限されながらも槍を振るう。
身体が熱くなってきた。
雪に囲まれた山で、凍てつく空気に頬は痛いのに、身体が汗をかく。敵を薙ぎ払い、一呼吸したところで、騎馬隊のフリッツ隊長がこちらへ馬を走らせてきた。
「ロゼ様、30分経ちました。時間です」
フリッツ隊長の言葉に、もうかと思いつつ、初陣に夢中になってしまっていた自分に気づいた。すぐに、フリッツ隊長に合図をするように告げる。合図である警笛が鳴る中、もっと冷静さが必要だなと反省した。
合図を出すと、俺と騎馬隊はすぐに踵を返した。合図と帰還する俺たちに気づいたウェスペル国の兵士は、名残惜しそうにしながらも多くは帰還を選択した。それでも、数人は功績を挙げようと敵を追ってしまい、帰還の約束を守らない兵もいたようだが。
城壁の内側へと兵士らが帰還してきたのを見て、守備役だった兵士らが拍手を贈る。しかし、出陣準備、出陣、帰還までの計1時間という短さに不満を持つ者も多くいたようだ。戦場にいた時間は実質30分にも満たない。出陣から帰還までの時間が短すぎて、功績どころか爪痕すら残せなかったのだから。
不満が募る兵士らに、フリッツ隊長が「どうされますか」と尋ねてくる。
「待機だ」
そう答えると、フリッツ隊長はわかりましたと一礼した。すぐに伝達係に伝えられる。俺はというと、兵士らの帰還を労うより先に、中央の張り出し櫓へ向かった。まだ作戦は続いているからだ。
凍てつく風が肌を撫でる。フリッツ隊長も追いついて、後ろへ控えた。
変化のない雪山で、敵の動向を探ろうとすると、後ろから複数の足音が聞こえてきて、思わず振り向いた。
足音の正体は、出撃から帰還した若い兵士たちだ。出陣について物申しに来たらしい。
「俺ら、まだ戦えます!」
「仲間たちも戦い足りてません」
「俺ら軍人は、敵を倒してこそ価値があるってもんです!」
折角の出陣で功績を上げる前に帰還させられた不満と、こちらの都合を考えない反論。言い出す奴は出てくるだろうとは思っていたが、早速来たか。
どう返したものかと思った時、凄まじい音が辺りに響いた。兵士らの視線が目の前の光景に集中する。
「来たか」
ロゼは静かにそう云った。
二度目の雪崩だ。
これが起こる可能性があったから、ロゼは戦闘を早めに切り上げたのだ。
再び起きた雪崩が、敵も、忠告を無視した味方も、飲み込んでいく。反論に来た兵士たちは動揺することしかできなかった。
「だから、言ったでしょう。必ず帰還するようにと。一度崩した雪山は、崩れやすい。あなた方は、この雪崩で多くの仲間を失ってでも敵を倒したかったのか?」
俺の言葉に、兵士らは黙ってしまった。当然だ。誰も仲間を失いたい者などいない。
「仲間の人命は大切です。二度目の雪崩の危険性があった。だからこそ、出撃する兵士の数を最低限にし、戦場へ出る時間をできるだけ短くしたのです」
ロゼの作戦の全貌に、兵士らは目を見開く。
自然の脅威を利用した作戦、兵士らの気持ちと人命の均衡を守った指揮。その秀逸さに気づいて、兵士らは顔を青くし、背筋を伸ばした。
その様を見て、ロゼはタイミング良く雪崩が来てくれて助かった。詳しく説明する手間が省けたと心の中で調子を良くする。
「……でも、私も言い過ぎました。雪攻めなんて初めてのことでしたし。私にとって、これが初陣となりましたが、戦闘力はまだまだあなた方の足元にも及びません。それに、あなた方が敵を倒しに出陣してくれたおかげで、二度目の雪崩を悟られずに済みました。あなた方がいなければ、今回の功績は挙げられなかったでしょう」
感謝しますと、謙遜してみせる。内部の評価を上げるための言動だが、それをどう捕えたのか、兵士らは頭をぺこぺこ下げてきた。
緊張が溶けると、フリッツ隊長が、やんわりと彼らの肩を抱いて退散を促す。
「ロゼ様は、指揮官というより、お父上に似て軍師の才がおありだ。それ故に作戦の詳しい指揮をなされない。すべてが作戦、すべてが軍師の掌の中なんだよ」
こんなに頼もしい味方はいないだろう。さぁ、持ち場に戻りなさいと、若い兵らを諭した。若い兵士らは、コクコクと何度も頷きながら、「若様すげぇ」「軍師コワイ……」と口々にしながら、櫓から出て行った。
しばらくして、セラータ兵の全滅が確認され、ウェスペル国の勝利が確定した。
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