さて御話というのは、夏油傑がその様な状態で生き甲斐のない其日、其日を送っている所へ、ある日のこと、それは先に云った例の離れ島の大工事が始まる一年ばかり前に当たるのですが、実にすばらしい幸運が舞い込んで来たことから始まるのです。
それは一口に幸運などという言葉では云い尽せない程、奇怪至極な、寧ろ恐るべき、それでいてお伽噺にも似た蠱惑を伴う所の、ある事柄でありました。
彼はその吉報に接して、やがてある事に思い当ると、恐らく何人も嘗て経験したことのない不思議な歓喜を味い、そしてその次の刹那には、彼自身の考えの余りの恐しさに、歯の根も合わぬ程の戦慄を覚えたのであります。
その報知を齎した者は、大学時代、彼の同級生であった、一人の新聞記者でありましたが、ある日、その男が、久し振りに夏油傑の下宿を訪れ、何かの話の序に、無論、彼としては何の気もつかず、ふとその事柄を言い出したのでした。

「そう云えば、君はまだ知らないだろうけれど、つい二、三日前に君の兄貴が死んだのだよ」
「なんだって?」

その時、夏油傑は、相手の異様な言葉に、ついこんな風に反問しないではいられませんでした。

「ホラ、君はもう忘れたのかい。例の有名な君の片割れだよ、双生児の片割れだよ。五条司さ」
「アア、五条か。あの大金持ちの五条がかい。それは驚いたな。全体、何の病気で死んだのだい」
「うちに原稿が送られて来たのだよ。それによると、先生、持病の癲癇でやられたらしい。発作が起こったまま回復しなかったのだね。まだ若いのに、可哀相なことをしたよ」

そのあとにつけ加えて、新聞記者はこんなことを云いました。

「それにしても、僕は今更、感心したね。なんてよく似ているのだろう。君とあの男がさ。原稿と一緒に五条の最近の写真を入れて来たのだが、それを見ると、あれから五、六年たつけれど、君達は、寧ろ学生時代以上に似て来たね。あの写真の口の所へ指を当てて、そこへ、君のそのピアスを付けさせればまるでそっくりなんだからね」

この会話によって、読者諸君が已に想像された通り、貧乏学生の夏油傑と、M県随一の富豪、五条司とは、大学時代の同級生で、しかも、不思議なことには、外の学生達から双生児という渾名をつけられていた程、顔形から背恰好、声音に至るまで、まるで瓜二つだったのです。
同級生達は彼等の年齢の相違から、五条司を双生児の兄と呼び、夏油傑を弟と呼んで、何かにつけて二人をからかおうとしました。
からかわれながら、彼等は、お互に、その渾名が決して偽りではないことを、自から認めない訳には行かなかったのです。
こうしたことは、間々ある習いとは云いながら、彼等の様に、双生児でもないのに、双生児と間違う程も似ているというのは、一寸、珍らしい事でした。
殊にそれが、後になって、世にも驚くべき怪事件を生むに至った事実を思えば、因縁の恐しさに、身震いを禁じ得ないのです。
彼等が双方とも、余り教室へ顔を見せない方だったのと、五条司が軽度の近眼で、始終、眼鏡を用いていたのとで、二人が顔を合せる機会が少く、顔を合せた所で一方は眼鏡がある為、遠方からでも十分、区別することが出来たものですから、さしたる珍談も起らないで済みましたが、それでも、長い学生生活中には、笑い話の種になる様な事柄が一、二度ならずありました。
それ程、彼等はよく似ていたのです。
その所謂、双生児の片割が死んだというのですから、夏油傑に取っては、外の同窓の訃報に接したよりは、いくらか驚きが強かった訳ですが、でも、彼は当時から、まるで自分の影の様な五条に対して、彼等が余りに似過ぎている為に却って嫌悪の情を抱いていた位で、無論、悲しみを感ずるという程ではありませんでした。
とは云え、この出来事には何とも知れず夏油傑をうつものがあったのです。
それは悲しみというよりは驚き、驚きというよりは、何かこう、妙に不気味な、得体の知れぬ予感の様なものでありました。
併しそれが何であるか、相手の新聞記者がそれから又、長い間、世間話を続けて、さて帰ってしまうまで、彼は一向、気づかないでいたのですが、一人になってから、妙に頭に残っている五条の死について、色々と考えている内に、やがてある途方もない空想が、夕立雲の拡がる時の様な、早さ、不気味さで、彼の頭の中にムラムラと湧き起こって来たのです。
彼は真青になって歯を喰いしばって、はてはガタガタ震えながら、いつまでもじっと一つ所に坐ったまま、その段々ハッキリと正体を現わして来る考えを見つめて居りました。
ある時は、余りの怖さに、次々と湧き上る妙計を、抑え止めようと努力したのですが、どうして止まるどころか、抑えれば抑える程、却って百色眼鏡の鮮かさを以て、その悪計の一つ一つの場面までが、幻想されて来るのでした。


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