君の吐く息で重くなる睫毛


 まるで喪服みたいだ。鏡の中のわたしは髪の毛から爪先まで黒い。黒の薄いタイツからはこの間階段で転んでできた赤紫の痣が透けている。痣はなかなか薄くならないことを、わたしは今まで知らなかった。六月から毎日着ている制服は、まるで喪服みたいだ。寮の部屋の中にいる時は、寒い寒いと思って袖を通すのだけれども、一歩でも外に出れば暑くてたまらない。だってもう八月だ。こんな喪服みたいな制服ははやく脱いでしまわないと、倒れてしまう。いつもはジャケットをすぐに脱いでしまうけれど、今日だけは。

 ちょうど一ヶ月前、七月に執り行われた虎杖くんのお葬式は淡々としていた。
 貴重な検体だからと言って死体もなかった。その時初めて、彼には家族がいないことを知る。もし、この高専に来ていなければ、彼はどうやって生活をしていたのだろう。高専に来たから死んでしまったわけなので、どちらが幸せだったのかは火を見るより明らかだ、と考えたけれど、わたしがそんなことを決めるのはおこがましい。
 遺影として飾られている中学の卒業アルバムの虎杖くんはやっぱり笑っていて、ああ、お葬式って残されたわたしたちに思う存分泣いてもらうためにあるんだと思ったものだ。わたしたちは泣かなかったけれど。泣けなかった、と言った方が適切かもしれない。わたしたちは虎杖くんに守ってもらって、今こうして生きている。
 何処かしらからやってきたお坊さんがお経を唱えている。じっと動かずに正座をしてそれを聞いていたので、足が痛い。もうお葬式なんて二度と出たくないな、と思う。汗がタイツにへばりついて気持ち悪いし、物音ひとつ立てることすら許されない空気はきっと一生好きになれない。

 このお天気の中、日傘まで真っ黒で歩いていたので街行く人々には散々見られた。東京駅から二時間半をかけて仙台まで。今日は虎杖くんが死んで、ちょうど一ヶ月の節目の日。野薔薇と伏黒くんは任務に出ているので、わたしはひとりで花を手向にいく。
 仙台駅の駅ビルで花を買ったけれど、わたしは虎杖くんが好きな花のことすら知らなかった。お墓参りなんです、と告げると菊をメインにした花束を勧められた。わたし、命を懸けて守ってくれた人のことを本当に何も知らないんだ。二週間同じ教室で過ごしただけと言われればそれまでだけれど。
 黒い服に、菊の花束を持って、五条先生が教えてくれた虎杖くんのお墓まで歩いて行く。目眩がするような暑さの中をくぐり抜けてようやくたどり着いた。水をかけて、花を変えて、線香をあげる。

 今日の仙台はとても暑いです。
 次はいつこれるかなあ。
 虎杖くんの好きな花はなんですか。
 次来る時にはその花を買ってこようと思います。
 そちらはどうですか。
 家族とは会えましたか。

 言葉に出さずに両手を合わせて、生きている時に話したかったことと、天国にいるであろう彼に話かけた。
 帰り道、振り返るとお墓は太陽の光で白く白く霞んでいた。夏はまだこれからどんどん栄えていくというのに、わたしが来なければ、誰がこのお墓にお水をあげるんだろう。人は思ったよりもあっけなく死ぬ。十五歳と十六歳の隙間で、縁もゆかりもなかった土地に立ち尽くして、ひとりで泣いた。


 虎杖くんは九月に謎の呪文を唱えながら生き返った。何度まばたきしても目の前に虎杖くんがいる。驚きのあまり声もでない。野薔薇と伏黒くんとわたし、たぶんすごい顔をしていたんじゃないかと思う。幽霊じゃなかった。触ることができたから。足だって付いているし声も鮮明に聞こえた。謎の呪文は、少し前に流行ったお笑い芸人のネタだった。ちっとも笑えなかったけど。

 その後紆余曲折ありながらも秋と冬を越えて、春の始まりを迎えた。そうは言ってもまだ寒い。雨が降っていることもあって余計にそう思うのだろうか。
 虎杖くんが十六歳になるのはとてもゆっくりとしていた。ちょうど太陽と月が半分ずつ見える日に彼はひとつ歳を取った。
 ねえ、好きな花はなに。わたしの質問に面食らったような顔をする。そのあと、考えたことないと言って笑ったので、一緒に花を選んだ。青と白、それに緑。クラフトペーパーに包まれた花束は、あの日の花束とは正反対だと思った。

「俺、花束なんてもらうのはじめてかも」
「ちゃんと水を変えたら、長い間綺麗なままだから。たぶん四月が始まるくらいまで」
「わかった」
「…誕生日、おめでとう」

 虎杖くんに花束を渡すのは、本当は二回目だけれど、どうかそのことに気付かれませんように。
 わたしはね、虎杖くんが呼吸しているだけで嬉しいよ。雨間に虹がかかって近くて遠い空が笑う。もう死んだりしないから安心して、と言った君の言葉をわたしは信じてる。最後まで付き合うよ、どこまでも、地獄まででも。


20200423
きみの吐く息で重くなる睫毛