口移しで与えられる眩暈の甘いこと

 一日に何回キスしてるのか数えようよ、と言い出したのは名前だった。
 キスすると免疫力があがるらしいよ、風邪がはやってるしちょうどよくない?
 思わず、いいけど、と言ってしまった。名前は、自分の可愛さを最大限に引き出す方法をわかっているんじゃないかと恐ろしくなる。もちろん自覚的にやってないからこそこわい。
 キスごときで免疫力があがるのなら、とっくにこの世から風邪なんかなくなってるんじゃない、とつぶやいた。日本人ってあんまりキスしないんだよ、平均すると週に一回するくらいらしいよ。確かに、それにくらべたら、僕たちがキスする回数は間違いなく多い。

「ねえ、まず今キスして」
「はいはい」

 首の後ろ側に手を回してキスを強請る。名前は決して媚びない。そして、ムードを作るのが壊滅的に下手だ。唇を近付けて、離した。そのあとすぐに、じゃあわたし歯を磨いたら朝ごはん作るから、悟は洗濯機回して干して、と言ってするすると腕から抜けて行った。もう少しベッドの中にいてくれても良かったんだけど。そしたらあと何回か触れるだけじゃないキスだってしたのに。

「悟、何食べたい?」
「…いらない」
「ケーキでもいいよ」
「じゃあケーキがいい」
「昨日ね、悟がいない間にシフォンケーキ焼いたの」

 名前に言われたとおりに洗濯機に洗い物を詰め込んで、洗剤を回してスイッチを入れた。こんなの、一分もかからない。あとは三十分放置しておくだけだ。洗濯機が低い音をたてて揺れている。これで僕の仕事の三分の一くらいは終わった。

「名前、僕のためにケーキ焼いてくれたの?嬉しい」
「本当は、昨日任務から帰ってきた時に食べてもらおうと思ったんだけどね、わたし、寝ちゃったから」

 彼女と一緒に住むようになってから、冷蔵庫のなかの色彩は豊かになった。季節の果物、旬の野菜、あとはジャムとか。お皿の上に、シフォンケーキ、果物とジャムが添えられていく。熟れた果実の匂いがキッチンを包んだ。それとは別に、名前の首あたりから甘い匂いがするような気がする。

「ねえ、首すじとかほっぺはキスした回数に入る?」
「うーん、入らないかな」
「じゃあこっち向いて」

 また唇が触れるだけのキスをする。それじゃ物足りなくてもう一度キスをしようとしたけれど、じゃあ朝ごはん食べよ、という名前の声に邪魔される。本当に、僕らにはロマンスが似合わない。キスの回数を数えようと言ったのは名前のはずなのに、結局振り回されているのは僕の方だ。

 朝ごはんという名のスイーツを食べたあと、名前は任務の報告書を作るといってパソコンと睨めっこをしていた。僕は見たかった映画を寝転がって眺める。あ、これ、はずれだ。面白いって評判だったから期待したのにな。
 お茶飲む?とか、疲れた、とか、洗濯終わった、とか適当な理由をつけてパソコンをかたかたと動かす名前に近づいてキスをした。今仕事してるんだからね、と怒られてまた映画を見るためにソファに戻る。はあ、映画はつまらないし、せっかくの休みなのにパソコンの音が耳につく。ロマンスには程遠い。

 いつのまにか映画を流しながらソファの上で眠ってしまっていた。エンドロールすら終わっていて、テレビの画面には何も映っていない。そして、目の前に名前がいる。

「悟、わたし仕事終わったよ」
「じゃあ名前からキスして」

 目ちゃんと閉じてね、と言われたので大人しく言う通りにした。相変わらず唇が触れるだけで体温は遠ざかっていく。ねえ、こんなに大人しく待ってたのに、それはないんじゃないの。名前。

「今のでね、ちょうど十回」
「ちゃんと数えてたんだ。そんなにしてた?」
「してたよ。悟は、一日のキスが十回って多いと思う?」
「…多いんじゃない」
「わたしは、まだまだ足りないんだけどなあ」
「僕だって、朝から名前に触るの我慢してたんだけど」

 本当は真夜中の二時くらいに、眠ってる名前の唇にキスしたんだよ。わりと何度も。そのキスの回数を合わせたら、満足してくれるかな。それでも足りないと言って笑うだろうか。
 あと何回キスしたい?と意地悪く聞くと、溺れるくらい、と名前は呟いた。ムードを作るのが下手だとか思ってごめん。最高の口説き文句だ。ああ、眩暈がする。僕はとっくに沈んでる。


20200501
口移しで与えられる眩暈の甘いこと