※虎と結婚している
※夢主さんが妊娠してます
虎杖と名前が付き合いだしたのをきっかけに、俺は名字のことを名前と呼ぶようになった。悠仁と野薔薇が名前で呼ぶから、恵にも名前で呼んでほしいと言われたからだ。名前の名字が虎杖に変わったので、あの時名前で呼ぶ習慣をつけておいてよかったな、と湿度と温度がちょうど良く保たれた白い部屋の中で考える。
「野薔薇、遅れてくるって」
「そうか」
「コーヒーとさくらんぼじゃ合わないよね、へんな組み合わせでごめん、せっかく買ってきてくれたのに」
「…別にいい」
コーヒーの中に浮かぶ氷が、からん、と音を立てた。
名前は食べないのか聞くと、最近味覚が変わったせいでトマトばかり食べていると言った。子どもができると本当に味覚って変わるんだねえ、と笑う彼女はあと数ヶ月もしないうちに母親になる。そのお祝いをするために釘崎と久しぶりにこの部屋に来たのに、結局はいつも通り虎杖が夕飯を作ることになった。せめてもの手土産に持ってきたのは、昔から名前が好きだと言っていた果物だった。
「恵と野薔薇が来るって言ったら、悠仁ね、張り切っちゃって」
「あいつらしいな」
「たぶんすごい量買って帰ってくると思う、だからいっぱい食べてね」
それも、あいつらしいな。
透明なガラスの上に乗る、赤くひかる果物を口に押し込んだ。想像よりも少しかたくて、歯を押し込むたびに甘い果汁が喉に染み込んでいく。
悠仁がすごい過保護で、家の家事は全部やってくれてるから、さっき久しぶりにキッチンに立ったの。買い物に行っても、重いもの持たせてくれないし。寝ててくれたらいいってすごい言われる。任務も前より多く受けてるみたいだし。親になると人って変わるんだねえ。名前は学生だったころと変わらない顔でそう言って笑う。この部屋を丁寧に整える虎杖の姿とその横でやすらかに眠る名前の姿が目に浮かんだ。
「子どもがうまれても、たまには遊びにきてよ、しばらくは落ち着かないかもしれないけど」
「…俺は、もう来なくなると思う」
「なんで…」
「おまえに子供ができたら、いろいろ変わるだろ」
「でもそれで恵まで変わる必要ないでしょ」
余計なことを言ったかもしれないと思ったけれど、一度溢れた言葉を止めることはできなかった。
「俺は、本当におまえたちには幸せになってほしいと思ってる、けど、名前を取られるのが嫌なんだ」
「…だれに」
「おまえの子供に」
名前は一瞬だけ驚いた顔をして、なめらかに、澄んだ声で笑った。
「…虎杖や、釘崎と一緒にいても、名前はたぶん、俺のことを優先してくたような気がして、心地よかったんだと思う」
でも子供ができたら、彼女がなによりも優先するのは子供だ。それは当たり前のことで、もちろんそうあるべきだし、彼女に大切な存在ができることはこの上なく喜ばしいことだ。本当にそう思っている。
家族に似た愛情を無条件に与えてくれる名前の優しさがうれしかった。たぶんそれは母親に与えられる愛情に近かった。ほんとうの母親のことは、知らないからこそ、余計に。そこまで考えて、気まずくなって顔を伏せる。これじゃまるで子供だ。
ずっとあの時のまま四人で過ごせれば良かった。そうしてゆっくり、たしかに、大人になっていくことができれば良かった。
からん、と氷が音を立てて少しずつ溶けていく。水で薄められたコーヒーは、やっぱりつやつやと赤くひかる果物とはあわない。恵は今も昔もずっとわたしたちの誰より大人だよ、そう言って彼女は笑う。名前と虎杖にこどもができて、一番変わってしまうのは、たぶん俺だ。
20200706
こども