任務でへとへとになって、とぼとぼ歩いて高専に帰る道の途中で野薔薇が教えてくれたラブソングを聞いている。今日は補助監督が誰も捕まらなかった。呪いの繁忙期、今はみんな忙しいのだ。わたしは高専の比較的近くで任務だったこともあり、地下鉄に乗って現場まで向かい、想定外のトラブルはあったものの、なんとか怪我することなく任務を終えた。
なんとなく、地下鉄みっつぶんくらいの距離を歩いて帰ることにした。歩いたら、そうだな、四十分くらいはかかるだろうか。歩きながら教えてもらったラブソングを耳に押し込む。
悠仁と喧嘩した。きっかけはなんだったか思い出せないけど、たぶんテレビのチャンネルとか、映画のネタバレをしたとかされたとか、デートに遅れてきたとか、そんな感じの、普段ならどうでも良いことだったと思う。いつもだったらお互い笑ってすぐに仲直りできたはずなのに、わたしが大きな声を上げてしまった。悠仁なんかもう嫌い!
じゃあいいよ、名前がそういうなら。そう言ってわたしの部屋から出て行く後ろ姿をみて、わたしはわんわん泣いてしまった。自分で嫌いって言ったのに、なんでそんなことを言ってしまったのかわからない。こんなささいなことで嫌いになんてならない。悠仁だってわかってるでしょ。
なんとなく歩いて帰ろうと思ったというのは嘘ではないけれど、その理由のひとつは、すぐに高専に行ったら今日は任務がない悠仁に、かなりの確率で会うからだ。今すぐに会ったら、なんて言えばいいの。本当は、わかっているのに、ごめんなさいも言えなくなってしまった。
野薔薇に悠仁と喧嘩した、というと、あんたたちの喧嘩なんて犬も喰わないわよ、これでも聞いて頭を冷やしなさい。メッセージアプリに送られてきたURLを開くとそこには知らない歌があった。どうやら恋の歌らしい。
なるべく裏道を通って帰る。まだまだ日は高い。寄り道をして帰ろう。普段通らないような細い道には金木犀のにおいがする。金木犀の、悲しいにおいがする。
野薔薇が教えてくれた歌はなんだかとても可愛らしい歌で、なんだかわたしにも野薔薇にも似つかわしくない。わたしは洋楽しか聞かないし、野薔薇は昭和の歌謡曲が好きだ。
歌のなかの女の子は、彼氏からメッセージが届いたら喜ぶし、デートの服でいちいち悩むし、目があっただけで嬉しい!そんな女の子の歌だった。
(そりゃ、付き合った当初はわたしだって)
記念日でもない日にごちそうを作ったり、休みの日には一緒にお菓子を作ったり、授業が終わった後に悠仁に会うという理由だけで髪を巻いたりしてたよ。部屋だっていつもきれいにしてた。服だって悠仁のために買った。ねえ、覚えてる?
例えば任務で疲れたわたしを自転車で迎えにきてくれたり、わたしの部屋に似合う花束を買ってきてくれたり、そしたら、わたしだって素直になれるのに。素直に謝ることができるのに。
付き合って、もうすぐニ度目の冬がくる。悠仁は寒い時に側にいてくれる、わたしが泣いたら慰めてくれる、生理でお腹が痛い時は温かい手でわたしのお腹をさすってくれる、失敗した料理でも美味しいって言ってぜんぶぜんぶ食べてくれる。映画の趣味も同じ、好きな音楽も同じ。まるで前世は双子だったのではないかと錯覚するほどに、悠仁とわたしはそばにいた。そばにいてもらうことが当たり前になってしまった。喧嘩する日がくるなんて、あんなこという日が来るなんて。
やっぱり悠仁に謝ろう。あれは絶対わたしが悪かった。喧嘩した内容は覚えてないけどわたしが悪い。嫌いだなんて、絶対言うべきではなかったんだ。
帰る道の途中で見つけたケーキ屋さんで、悠仁が好きなショートケーキを買った。しかもホールで。今日はパーティにする。食べきれなかったら、明日の朝ごはんにするんだ。
ポケットに入れたスマホが震える。悠仁から今どこ?と、メッセージが届く。わたしは無言で現在地を送ると、今行く、とすぐに返信がきた。
ケーキを包装してもらっているものの五分くらいで悠仁はわたしの前に現れた。
「名前が任務から帰ってないって聞いて不安だったから、迎えに来た。」
「…謝ろうと思って、ケーキ買ってたの」
昨日はごめんね。嫌いなんて言ってごめん。だいすき。
名前に嫌われたらと思うと怖かった、そう言ってわたしの手をにぎる。
ごめんね。でも、なんで喧嘩してたんだか、もうわたし忘れちゃったの、わたしは泣きそうになる。
俺も忘れたわ。ようやく悠仁の顔を見ることができた。悠仁は笑っていた。
悠仁に手を引かれながらケーキ屋さんをでた。自転車の籠にはわたしの部屋にはぜんぜん似合わなさそうな薔薇の花束が無造作に入っていて、やっぱりわたしは悠仁のことがだいすきだと思った。悠仁の腰に手を回す。今どき自転車の二人乗りなんて、怒られちゃうかもしれない。どうか見つかりませんように。これからわたしたち、ふたりでパーティを始めるんだ。
20200108
優しい人