私はいつも少し悲しい
「大学、決まったんだって」
「…うん、結構いいとこ」
「おまえが?」
「先輩に向かって、失礼だなあ」
「こんな時ばっか先輩面すんなよ」
夏も冬も、ふたりで会うのはいつも中庭の奥まった場所だった。誰にも知られない場所。わたしが煙草を吸える場所。冬と春の境目。つんと澄んだ空気に吐き出した煙が溶けていく。
五条悟の弱点になりたくなかったから、わたしと悟が付き合っていることを誰にも話したことはなかった。
そして、誰にも知られないまま今日で終わる。
「せっかく大学決まったのに煙草吸ってるのバレたらやばいんじゃないの?」
「悟が言わなきゃバレないって」
「…だめにしてやろうか」
「そういうこと言うんだ?」
「…嘘だよ、おまえ、弱いし、普通の大学行く方が向いてるよ」
わたしもそう思う。
逆に、悟はこの世界でしか生きていけないのだということも痛いくらいわかっている。来月になれば、会うこともない。
「名前は普通の男と結婚して、普通に幸せになれるんだろうな。俺には普通なんて無理だし」
「最強の彼女するの、楽しかったけどね、スリルたっぷりで」
「俺もおまえの彼氏するの、そこそこ楽しかったよ」
わたしも悟もそう言うのが精一杯だった。涙はわたしたちには似合わない。誰にも知られないままゆるやかに始まった恋は、誰にも知られないままあっさりと終わった。一ヶ月も経たないうちにわたしはこの学校を卒業する。
卒業してから数ヶ月は高専時代の友人から連絡がくることもあったけれど、普通の大学生として過ごすうちにだんだん遠ざかって、ついぞ交流は途絶えた。それからさらに数年。わたしはもう立派に社会人だ。大学時代の友人と、会社の人、それから。連絡を取る人物はほとんど固定されていた。
ご飯でも食べに行こうと悟からメッセージが来たときには夢かと思った。すぐに行こうと返信する。これが悟に会える最後の機会だと思ったから。言わなくちゃいけないことがある。
随分と久しぶりに会った悟はまるで別人のようだった。
「なんか、悟じゃないみたい」
「そう?名前は綺麗になったね」
「うわ、あの頃の悟じゃ絶対そんなこと言わない」
「僕も子供だったんだよ」
「僕、ね」
悟はずっとひとりで最強であり続けていた。少し話しただけでわかる。一人称が変わっても、身長が伸びても、わたしのことをおまえなんて呼ばなくなっても。
居酒屋を指定したのは悟なのに、悟は一切お酒を飲まなかった。話は尽きなかった。わたしはほどよく酔っ払って、悟の手を引いてホテルに引き摺り込んだ。
さっきまでひとつだったはずなのに、今は別々の個体としてホテルの一室に存在している。薄く汗をかいた首筋あたりに額を押しつけると、あの頃と変わらない笑顔で悟は微笑んだ。
「わたし、来月結婚するの」
「知ってるよ」
「…じゃあ、共犯ね、わたしたち」
なんで知っているのかなんてどうでも良かったし、とっさに口から出た嘘かもしれない。今はただ、少しだけひやりとしたこの人の身体が愛おしい。
「煙草、もう吸わないの」
「…彼が嫌いだから」
「今、吸ってよ」
水のような瞳がホテルの照明を浴びてひかっている。わたしは鞄の中から、お守りのように持ち歩いている、くしゃくしゃになった紙箱を取り出して、ラッキーストライクに火をつけた。高専の頃から銘柄を変えてないはずなのに、あのころよりも苦く感じるのはなんでだろうね。悟は何も言わずに部屋に溶け出す白煙を眺めている。涙なんかわたしたちには似合わない。
ちゃんと、普通に、幸せになるよ。来月になれば、私は誰彼の花嫁。
20200808
私はいつも少し悲しい
title by にこごり