※五に彼女がいます
馬鹿みたいだ。名字さんの前で最近できた彼女について楽しそうに話す悟を見て、心底腹立たしく思った。名字さんはにこにことその話を聞いて、よかったねえと笑っている。彼女がそうしているので、怒りをあらわにすることは出来なかった。できれば、悟の顔に平手打ちのひとつでもしてやりたい。名字さんが無理して笑ってることに、悟はなんで気付かないんだろう。なんで私は気付いてしまったんだろう。
初めてできた彼女だというわけでもないのに、悟はとてもうかれていた。よほど今の恋人が可愛いらしい。名字さんは相変わらず笑いながら悟のくだらない話を聞いている。彼女との約束に遅刻して怒られただとか、彼女が靴を褒めてくれただとか、そんな話を。
名字さんは大人だ。ひとつ違うだけなのに、自分の感情を殺すのがうまい大人だ。その様子は、私にはひどく自分を傷つけているように見える。
夜蛾先生に呼ばれた悟がいなくなった談話室で、名字さんはソファの上で背を丸めてうずくまった。名字さんがこうして顔を見せずに泣く癖があるということを知っている。今みたいに声を殺して泣いているのを見るのは、二回目だ。一回目はつい数日前、悟に恋人ができたと聞いた時。その時、偶然見てしまった。
「…そうやって泣くくらいなら、あいつの話なんか聞かなくていいのに」
「話してくれるの、嬉しいし」
名字さんの表情は見えないけれど、声は震えている。必死に絞り出したであろう声はかすれていた。
五条悟という人物は、自分にとっては特別な人物だ。唯一無二の親友。親友という言葉が適切かどうかはわからないが、少なくとも不適切ではない。
彼女にとってもまた、五条悟という人物は特別だった。表情から、仕草から、悟に対する好意が滲み出ている。名字さんが悟のことが好きだということは、ずっと前から知っていた。
「好きなら好きだと言わないから、泣くことになるんですよ」
自分の言葉に棘があって驚いた。名字さんにたいしても腹が立っているのだと、ようやく気づいた。
「…言わないよ」
「なんで…」
「五条くんの彼女、術師じゃないんだよ。…たぶん彼女といる時、呪いとか関係なくなって、普通に幸せなんだろうなって」
幸せなら、それでいいよ。わたしじゃその幸せは作れないから。
名字さんは顔を上げる。涙の跡が蛍光灯の下できらきらと光っていた。
名字さんは大人だ。自分よりも他人を優先できる大人だ。でも、自分の幸せよりも自分のことを傷つける相手の幸せを願うなんて、馬鹿みたいだ。彼女のそういうところを好ましく思っていたはずなのに、今だけはどうしてかひどく腹立たしい。
今週末になったら悟は恋人と手を繋いでキスをして、そして、なんの悪気もなく私達に話して、名字先輩は楽しそうにその話を聞いてよかったと笑って、その後また名字さんは泣く。そんなことをこれから何回繰り返すんだろうか。
「夏油くんは好きな人ができたら、ちゃんと好きって言うんだよ。夏油くんならたぶんその人のこと幸せにできると思う、優しいし」
「優しくなんてないですよ」
「…優しいよ、今だってこうしてそばにいてくれるじゃん」
こうして涙する彼女のことを放っておけないのは、優しさからはかけ離れた言葉を口にしてしまうのは、悟の幸せばかりを願う彼女に腹が立つのは。
「好きです、名字さん」
泣いたあとの少しだけ赤くなった目の中には自分がいる。
「ようやく、こっち見ましたね」
名字さんはなにも言わない。柄にもなく、私の心臓は自分でもわかるくらいにうるさい。
20200812
君は祈りに向かぬひと
title by にこごり