静かな夜に似つかわしくないエンジン音を携えて、名前さんは私のことを待っていた。午前二時、寮の消灯時間はとっくにすぎている。わずかばかりの街頭と、女性には不釣り合いな大きな車のヘッドライトがあたりを照らす。運転席に座ったまま、親指を立てて乗ってくれと合図をする彼女はとても様になっていた。この車は人を選ぶ外観をしている。大きくて直線的でタイヤが目立つ。けれど、彼女にはとても似合っていると、素直にそう思えた。
「急に呼び出さないでくださいって何度も言ってるでしょう」
「どうせ眠れなかったんでしょ?付き合ってよ」
「…はあ、お邪魔します」
「なに?声震えてない?きれいなお姉さんと夜中にドライブするの、緊張してる?」
「ただの礼儀ですよ」
起きてたら外まで出てきて。
短いそのメールが届いたのはほんの五分前のことだった。
「どこ行くんですか」
「んー、適当。今日は星が綺麗だよ」
車に乗り込むと暖かかった。いつもと変わらず1960年代のロックンロールが車内に流れている。
行こうか、という言葉と共に、名前さんはアクセルを踏み込んだ。黒い鉄の塊は、低い唸り声を上げながら闇の中を切り裂いて進んでいく。
ふたつ上のこの先輩は、なぜか私をドライブに行こうと誘う。名前さんが免許をとってすぐに車を買った時からだ。理由を聞いたら、夏油くんなら助手席で絶対寝ないでしょと言って笑っていた。この人の運転で眠れる人がいるなら是非お目にかかりたいものだ。いくら車や人が少ないとはいえ、東京は眠らない街と呼ばれる。ひやりとする場面になんども出くわした。
「ね、星綺麗でしょ」
「…そうですね」
少しずつ街から離れて、自然の匂いが濃くなる。フロントガラスの上の方には、東京の光をそのまま写しとったような星空が並んでいた。
来月になれば、名前さんは高専の寮を出て一人で暮らし始める。校内で会う機会はぐっと減る。呪術師を続けるということだけは聞いているけれど、この人のことだ。毎日酒を買い込んで、酔っ払って眠るのだろう。弱いくせに酒を飲みだがるどうしようもない人だ。でも、仕事となれば真剣な顔になる。引っ越しの準備は進みましたかと聞いたら、CDとこの車以外はほとんど捨てていくと言って笑っていた。それもこの人らしいな、と納得する。
「夏油くんは、髪の毛結んでるよりもおろしてる方がいいよ」
「名前さんは結んでた方が素敵ですよ」
「はあ、女慣れしてる男は言うことが違うね」
こうした冗談みたいな会話も、もう今日で最後になるかもしれない。
名前さんはそのまま笑いながら言葉を続けた。
「夏油くんが車の免許とったら、わたしはお酒飲みながらドライブできるのにな」
「酔っ払いの相手を未成年にさせるのはどうかと思いますけどね」
「夏油くんの運転する車の助手席で、お酒を飲んで、眠くなったら寝たい」
たぶん、もう簡単には会えなくなる。来年になれば私は大きな任務を任されるようになるだろうし、名前さんだって学生ではなくなって、生きていくために、生活するために呪いを祓うようになる。嘘でも、ただの思いつきでも、明日になれば忘れてしまうはなしでも、なんでもいい。未来の話がこんなにも嬉しい。
真剣なまなざしで運転する彼女の横顔をみると、星の光が長いまつげを照らしていた。、
「少し、窓開けてもいいですか」
「いいけど、寒いよ」
春の夜はまだ少しさむい。窓の外から流れ込んできた空気を吸って、ちいさくくしゃみをする。赤くなった顔を見られたくなかった。
十八歳になったら、すぐに免許をとって、名前さんに負けないくらい大きな車を買おうと思う。それから、彼女を一番はじめに助手席に招待して、細い腕をとって好きだと言う。緊張してるかと聞かれたら、こんなに綺麗な人が隣にいるから当たり前だと答えよう。
冷たい空気とフロントガラスから見える澄んだ星空。それから、風の音に重なるリバプールのロックンロール。くしゃみをした私のことを、彼女は馬鹿だなあと言って笑った。
20200822
それから