「お酒はどうする?」
「飲みたい」
「もしかして、はじめて?」
わたしは大げさに頷いた。悟くんは初めてならどのお酒がいいのかなあと首を傾げている。たぶん、お酒が飲めない悟くんよりも、わたしの方がお酒詳しいんじゃないかなあ。お酒ははじめてだと嘘をついた手前、わたしは悟くんにお任せした。
店員さんに呪文のようなカタカナで、噛むこともなくお酒とソフトドリンクを注文してくれた。
二十歳になったお祝いに連れてきてもらったのは、高級すぎてわたしみたいな小娘が知らないようなホテルのレストランだった。鞄を預ける、コートを預ける、恭しく扱われて戸惑ってしまう。悟くんはその扱いに慣れてるようで、いちいち戸惑ったりしない。今日のために選んだネイビーのワンピースだけがわたしの背筋をしゃんと伸ばしてくれる。
悟くんは、近所に住むかっこいいお兄さんだった。遠い親戚で、とても強いということだけ知っていた。中学を卒業すると同時に東京に行ってしまったけれど、長期休暇に帰ってきてくれた時には必ずわたしと遊んでくれるお兄さん。親戚一堂に会する飲み会の席で、眠そうにしていたわたしを近所のコンビニまで連れ出してくれる悟くんのことがだいすきだった。
「わたしが二十歳になったら結婚しようね」
「…おまえが二十になるころ、おれは二十八なんだけど」
「えー、おっさんじゃん」
「うるせえな」
「悟くんはおじさんになんてならないでよ」
「…おまえに、おじさんになったって思われんのは嫌だな」
まだその頃のわたしは、言葉を持っていなかった。今みたいに、愛だとか恋だとか呪いだとか、そういう言葉に何一つ意味がなかった。未言語の世界の中で、唯一の関係性が結婚だった。それだけのこと。あの時の好きは、今のわたしの言葉で言うなら、どんな種類の好きなんだろう。
いちじくと生ハムの前菜が運ばれてきた。本日のアミューズブーシュです、と店員さんは知らない単語を話している。フォークとナイフは外から使うんだよ、と教えてくれた。わたしだってそれくらい知ってるんだけど。他の男の人にされる子供扱いはあんなに嫌なのに、悟くんがわたしのことを丁寧に扱うのは心地が良いなあと思う。
あの、ふたりで行ったあおいろにひかる看板のローソンは、今は緑色の看板に変わっちゃったんだよ。泣けるくらい綺麗だったのにね。いつもご馳走してくれたアイスの味、まだなんとなく覚えてるよ。
わたし、大学に好きな人がいるんだよ。その人と一緒にお酒も飲んだの。もしかしたら明日にでも付き合うことになるかもしれない。だから安心してね。あの時の約束覚えてる?なんて聞いて困らせたりしないから。
「悟くん、幸せになってね」
わたしは運ばれて来たグラスを傾けながら微笑んだ。悟くんはそんなに一気に飲んで大丈夫?と心配してくれている。悟くんがいるから大丈夫でしょ。どんなものからも守ってくれるんでしょ。言葉にはせず、お酒と一緒に飲み込んだ。
窓の外から見える東京の街のことを、悟くんが生きてきたこと街のことを、わたしはよく知らない。来月、冬の終わりに悟くんは結婚する。一人称が俺から僕に変わったけれど、二十八歳になった悟くんは今も変わらずかっこいい。
20201011
たからものだったこと